<東京怪談ノベル(シングル)>
時の彼方からの契約〜後編
夜空を彩る星々と月明かりが差し込む寝所で、不思議そうに見上げてくるエルファリアを前にレピアはそっと記憶の糸をたどる。
それはかつて訪れた遠い世界でのことだ。
何の罪もなく、踊り子としての地位を奪われ、いきなり咎人に落とされたレピアは流浪の旅人となり、多くの世界を旅していた。
手がかりもなく、さまようだけの日々を送っていたレピアは、四大精霊の守護をうけた小王国に流れ着き―そこで、驚きの出会いを遂げた。
「旅の踊り子であると?なんとも不思議なことだ」
楽しげな、だが、凛とした響きを持つ娘の声に自然とレピアの背は伸びると同時に息を飲む。
咎人の呪いを解くために流れ着いたこの王国に入った瞬間、問答無用に警備兵らに連行され、引き出された先にいたのが、声の主。
明るく、人をひきつけてやまない聡明な空気を纏う同い年の娘。
居並ぶ侍女たちが頭を垂れる最中、彼女はレピアに近づくと、その顔をまじまじと見て感嘆した。
それもそうだろう。
彼女とレピアはまるでコインの裏と表。生まれた時と場所が違っていなければ、双子で通るほど良く似ていた。
「まことに良く似ておられますな、王女様」
「そなた、名をレピアと申したな?少々、頼みがある。聞いてもらえまいか?」
つくづく感心したと繰り返す乳母や侍女たちを遠ざけ、自分にそっくりな娘―王女はいたずら好きな笑みを浮かべて、レピアに頼みごとをしてきた。
「頼みごと?それはなんなんです、レピア」
「たわいのないことよ、エルファリア。彼の王女の顔はそっくりだったけど、裏表のない公正な人でね。ただ、本当にいたずらしたかっただけだったのよ」
小首を傾げて問うてくるエルファリアにレピアは少しばかり瞳を曇らせ、遠い過去を思い出す。
そう、あの王女に何の計算も打算もなかった。
ただ純粋に街の事を知りたかっただけで、レピアを傷つける気など毛頭なかった。
けれど、運命というのは残酷で。時として予想外な出来事を常に起こしていく。
あの時もそうだった、とレピアは思い返した。
「い、一日だけ服を取り換える?!そんな無茶な話、うなづくとでも?!」
素っ頓狂な声を上げ、抵抗するレピアに王女はつまらんと言わんばかりの表情で、むくれるも、その程度で引き下がるような人物でもなかった。
「ほんの一日、だ、レピア。私も父たちが治める国を己の目で見てみたいだけだ。頼む」
あっさりと頭を下げる王女にレピアは呆気にとられ―結局はほだされてた。
最上級の絹であつらえた王女のドレスを身に纏うレピアを満足に見ていた王女はさっさとレピアの服を纏うと、あとはよろしくと言い残すやいなや、王宮からとん走した。
全く元気のいい、お転婆な姫様で、と恐縮する乳母を慰め、レピアはのんびりと王女らしくベッドで寝そべり、ゆっくりと過ごすつもりでいた。
だが、そう簡単に話は進むはずもない。
災いの種は不意に投げ込まれ、国一つの根幹を揺るがすほどの事態を引き起こす。
その中にレピアは否応なく巻き込まれた。
王女を見送って数時間。もうすぐ約束の時間になる。
早めに着替えを纏めておきますか、と立ち上がった瞬間、鈍い衝撃が大地を揺るがす。
その激しい振動にレピアは立っておられず、床に座り込む。
時間にしてわずか十数秒。だがそれは永遠とも思えるほどの長い時間に思えた。
「いったい何事なの?」
不安げな表情を浮かべるレピアに乳母たちは右往左往しながら、レピア―いや、王女のために情報を集めに駆け回る。
だが、突如、レピアの四方から禍々しい光を纏った何かが現れ、彼女を取り囲んだ。
その圧倒的な存在感と殺気に乳母だけなく、侍女たちはあっという間に気絶し、その場に倒れ伏していく。
対して取り囲まれたレピアは光から感じる並外れた気配に息を飲み、その場から一歩も動けなくなる。
「ようやく見つけたぞ、最後の封印の守り手よ」
「誰っ!!」
背後から聞こえたのは、光と同じほど、いやそれ以上の禍々しさを放つ獣じみた男の声。
振り向くと同時に腕を掴まれ、ひねりあげられる。
そこにいたのは、獣の尾で作られたえりまきと漆黒の衣を纏った巨大な化け物とそれに従う麗しき精霊たちの姿。
「なっ……なんでっ精霊たちがっ!!」
「ふふふふふふ、愚かな貴様には分かるまい。我の魔力を持ってすれば、精霊たちなど恐れるにあらず!!そんなことよりも己の心配をするがよい!!」
紫暗色の目が禍々しい光を放ち、周囲を包み込む。眩い閃光が室内を貫き、レピアの悲鳴が木霊した。
「ふはははははははははははっ!王女は封じられた。人間どもよ、恐れ、敬うがいい!!世界はこの我のものぞっ!!」
勝ち誇った化け物の声。砕かれた岩を抱えて姿を消す精霊たち。
その姿を隠れて見送った人々の顔に血の気はなく、恐れと怯えを浮かべ、力なくへたり込む。
あれこそは精霊たちによって封じ込めらていた魔王に他ならない。
伝説の存在がまさか蘇るなど、思っても見なかっただけでなく、味方であり、守護者であるはずの精霊たちまでが裏切るなど考えてもいなかった。
絶望が一気に広がりを見せ、人々の中から光が消えていく。
だが、そのさなか、たった一人だけ、希望を失わない者がいた。
「おのれ、魔王っ……よもや精霊たちを洗脳するばかりでなく、レピアを石像に変えるとはっ!!」
「いえ、殿下。これは神の僥倖にありますぞ。魔王を打ち倒すことができるお力を持った殿下が救われたのです!石像に変えられ、砕かれたレピア様を救い、精霊たちを解放することもできますゆえ」
異変を感じとり、急ぎ王宮に舞い戻った王女が目にしたのは、石像に変えられただけでなく、四つに砕かれ、操られた精霊たちに持ち去られた光景。
我を忘れ、飛び出そうとした王女を居合わせた側近たちが必死に取り押さえる。
振りほどこうと暴れる王女をいさめたのは、年かさの武官の言葉。
そう。王家に生まれた女児には魔を払い、精霊たちを従える力が与えられていた。
かつて魔王が暴れ狂った時、この国の始祖である女王が精霊たちの力を借り、打倒したという伝説がある。
その力を受け継ぐ王女は世界に残された希望なのだ。
今ここで失うわけにいかない、と側近たちも必死だった。
目の前で何もできずに砕かれ、連れ去られるレピアを見送ることしかできなかった王女は悔しげに拳を床に叩き付けた。
かつては緑なす豊かな土地だった場所は荒れ狂う砂礫の大地へと変貌を遂げていた。
砂よけのマントをしっかりと着込み、王女はしっかりとした足取りで大地を歩く。
レピアが連れ去られてから数日。
王女はいさめる皆を振り切って、城を飛び出すと、レピアと名乗り、魔王討伐の旅を続けていた。
元々腕に覚えがあっただけでなく、精霊を正気に戻す力を秘めていたことから、王女は各地に散った四大精霊を訪ね、呪いから解放する戦いを選んだ。
水筒に入れた水を飲み干し、王女は息を吐き出した。
「あと一つ。地の精霊を解放すれば、レ……いえ、王女を取り戻せるのね?」
―ええ、そうです。レピア。彼を解放すれば王女殿下を完全に取り戻すことが出来ます。
―ですが、最後の精霊である地の精霊は思わぬ策を練る者です。十二分にお気を付け下さい。
―我々も出来うる限り、お力添えをしますゆえ
苦戦の末にようやく解放することが出来た火水風の精霊たちが囁く。
自然と一体化した精霊たちの姿は半透明で、常人の目には映らない。
けれど、強い力を持った王女の目には彼らの姿ははっきりと映っていた。
正気に返った彼らは穏やかで、優しく、また力強くもあったが、敵として戦うにはあまりにも強すぎた。
逆巻く炎、凄まじく渦巻く水、その身を切り裂かん強烈な風。
思い出すだけでも悪夢に近かった。
「とにかく地の精霊を解放。それで王女奪還!さぁ、行くわよっ!!」
拳をぶつけ、気合十分とばかりに王女は砂礫の大地の向こうに現れた古代神殿に踏み込んだ。
乾き切り、一歩踏み出すごとに崩れていく石畳。
振り返れば、戻る道はなく、全ては砂に消えていた。
「全く、なんなのよ。これ……」
思わず愚痴がついて出たと同時に足元の砂が吹き上がり、鎖となって両手両足を拘束する。
バランスを失い、倒れ込む王女の前に現れたのは不敵に笑う地の精霊。
罠だ、と気づいた時にはすべてが遅かった。
「くっ!!嘘でしょ」
「嘘ではない、現実だよ、小娘」
くくっくと笑う地の精霊を睨みつけ、王女は不自由な両腕で必死に抵抗し、その横面を張り飛ばす。
思わぬ一撃に、呆気にとられた地の精霊だったが、すぐに怒りを爆発させ、一気に力を解放する。
ザンッと砂が鳴り、暴れる王女を一気に包み込む。
声にならない悲鳴。ようやく静まり返った後に残されたのは石像と化した王女の姿。
まともに戦うことすらできずに捕えられた王女が連れて行かれたのは、忌々しい仇敵・魔王の居城。
闇と雷が支配するその地で待っていたのは、王女として、女としての屈辱だった。
気づけば、目の前にあったのは漆黒色の天蓋。肌触りのいい同色のシーツが敷かれたベッドに寝かされていた王女は両腕を一つにまとめられ、縛り上げられていた。
身を守るために纏っていた軽装鎧ははぎ取られ、下に着込んでいたレピアの衣装―踊り子の服が露わになっていた。
「な……何よ、これはっ」
「何よ?だと……これからのお楽しみのためではないか」
そわり、と肌が泡立ち、全身に嫌悪感が走り抜ける。
ずしりと重みを感じたかと思うと、乱暴な手つきで衣服がはぎ取られ、固く閉じた足が開かれる。
危機を感じ、目に見えぬそこを蹴り飛ばすがびくともしない。
と、生臭い息を頬に感じたかと思った瞬間、そこにあったのはいやらしく舌擦りをする魔王の顔があった。
「ひっ!止め」
「麗しき踊り子がまだ乙女とは……その純潔、ありがたく受け取らせてもらおう」
にいぃっと笑う魔王の顔。全身を突き抜ける悪寒。
声を上げることも抵抗することもできないまま、王女はその醜い嵐に耐える。
事が終わり、ようやく放されたのはいつのか分からない。
だが、一瞬。そこにできたチャンスを王女は見逃さなかった。
拘束を解かれた両手に瞬時に集めた魔力がこぶし大の球体となり、無防備になった魔王の背に容赦なく―というか、乙女の無念と怒りを乗せた強烈な一撃が炸裂した。
魔王の身体を貫くのは、王女が持つ聖なる力。
純潔を失いながらも、その威力は充分で、魔王をずたずたに引き裂きながら、地面に呪印を刻んで封じ込める。
それを見届けた瞬間、王女がぐったりとベッドに横たわるも、悔しさが滲む。
乙女を奪われたこともだが、そのせいで完全な封印が行えなかった。
このままでは、封印を破って魔王が復活するのも時間の問題である。
悔しさのあまり唇をかむ王女に触れたのは、柔らかな女の手。
ハッとして起き上がると、そこにいたのは呪縛から解放されたレピアと四大精霊の姿。
「レピア、ごめんなさい。こんなことに巻き込まれて……」
「いいえ、いいのよ。それよりも、このままでは魔王が復活してしまうんでしょう?」
「王女の純潔が奪われたせいで、封印が不完全なのは事実」
「このまま放置するわけには行きませぬ」
泣き出しそうな王女の両手を包み込み、涙を流すレピア。
その二人の姿を見ながら、嫌味全開に小さくなっている地の精霊に痛い言葉を浴びせる風と水の精霊。
あまりに辛辣すぎる台詞に火の精霊はわずかばかり同情した。
魔王の元に王女を送り込んだのは確かに地の精霊だが、操られていたのが原因だ。
自分たちも操られていたのだから、同情する余地はあるというのに、むごい。
が、乙女を無残に奪われた王女の立場を思うと、哀れに思う。
「責め立てる暇があったら、手を貸せ。水、風、地。あまり使いたくはないが、これ以外、手がない」
「っ!!だが、あの術はっ」
「では、また屈辱を味わいたいか? 今度こそ世界を滅ぼしかねないぞ」
「致し方あるまい……だが、当人たちの意思を確かめないか?それぐらいは許されると思うぞ」
「水の言うとおりだ。火よ。いくらなんでも乱暴が過ぎる」
苦渋に満ちた表情で言い争う四大精霊たちの真意が分からず、首をかしげる王女の肩をそっと励まし、決意を固めたレピアは嫣然と微笑んでみせた。
「構いません、精霊の方々。どうぞ身体を御取り替えください。わが身にかかった呪いは魂に刻まれたもの……殿下に仇なすことはありませんから」
「なっ、何を言ってるの!?レピア。身体の交換ってどういう」
「魔王の封印には王女の純潔が不可欠。故に、この娘―レピアの身体と取り換えさせてもらう」
信じられないことを告げる火の精霊に王女は言葉を失い、その場に凍りつく。
いくら穢された身で封印を行えないからといって、他人の身体を奪うなど考えられない。
決意を込めて拒否しようとした瞬間、ドクンッと呪印が胎動を始め、刻み込まれた刻印に亀裂が走る。
早急な魔王復活の気配に王女はただ凍りつく。
封印を行えるのは自分だけ。けれども、魔王によって穢された身では完全な封印は行えない。
必要なのは穢れなき乙女の身体。
「幸い、といってはいけないですが、この踊り子と王女は良く似通っております。入れ替えを行っても、命の危機はありません。どうかご決断を!」
「拒否権などないわ。さぁ早く」
ぐっと噛みしめた唇から一筋の鮮血が流れ落ちる。
世界を救うための代償。仕方のない事。それだけで片付けていい問題ではない。
女として最も屈辱を受けた身を押し付け、自分は綺麗な身になるなど、すぐに受け入れられるわけがない。
だが、自分が拒否すれば、多くの命が失われる。
決意と悲しみを込め、噛みしめたこの味を生涯忘れまい、と王女は誓い、差し伸べられた火と風の精霊の手を取った。
向かい側では同じように、水と地の精霊の手を取ったレピアが微笑む。
覚えているのは、その清らかな微笑みだけ。悔しさが滲み、涙があふれた。
その日、心正しき王女と一人の娘の献身によって世界は魔の脅威から救われた、と史書に刻まれた。
失ったものは決して小さくはなかったが、得たものはそれ以上に大きかった。
変わらぬ微笑みを称えるレピアは慈愛に満ちていた。
FIN
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