<東京怪談ノベル(シングル)>
レピアとエルファリア
「人はのう、他人を許す事というのは案外、出来るものじゃ」
女賢者が、小さな身体でレピアを押し倒しながら、そんな事を言っている。
「例えば、わしがこんな事してもレピアは許してくれるじゃろ?」
「許すか変態! やめろっ、離せえええええッ!」
寝台の上で、レピアは暴れた。
むっちりと形良い左右の太股が、エプロンドレスの裾をあられもなく跳ね上げて悶える。
純白のブラウスを豊麗に膨らませた胸が、仰向けでいくらか上下に引き伸ばされながらも元気に揺れる。
そこに可愛らしい顔を押し付けながら、女賢者はなおも語った。
「じゃがのう、自分自身を許すというのは難しい。例えば誰かを傷付けたら、傷付けた自分をずっと責め続ける事になる。傷付けられた者が許してくれたとしても、じゃ」
「あ、あたしは……あの子を……」
傷付けた、わけではないのかも知れない。
だが、笑わせる事も助ける事も出来なかった。
「あたしは……あの子のために、何にもしてあげられなかった……」
「……思い上がりじゃという事、自覚しておるかの?」
「わかってるよ! 誰かのために何かしてあげる、そんなの自己満足のうぬぼれだ!」
怒鳴りながら、レピアは涙を流していた。
「あの子のために、してあげられる事なんて……あたしには最初っからなかったんだ……わかってるんだよ畜生……」
「おぬしはのうレピアよ。咎人の呪いを解きたいと願う一方、呪いを受け続ける事で自分に罰を与えている、つもりになっておるのじゃよ」
深く柔らかな谷間に顔を埋めながら、女賢者は言った。
「それでは解ける呪いも解けはせん。何百年、苦労しようが同じ事じゃ」
「そ、それと今あんたがやってる事! 一体どーゆう関係があんのよッ!」
こんなふうに図々しくのしかかって来ているのが男であれば、容赦なく叩きのめすだけだ。鍛え抜かれた踊り子の太股で、臓物を締め潰す事も出来る。首を折る事も出来る。
だが今、レピアの身体の上にいるのは、少なくとも見た目は可愛らしい、幼い女の子である。
暴力で振り払う事は出来る。魔力はともかく身体能力においては、幼女の肉体を持つ老婆など『傾国の踊り子』の敵ではない。
たやすく振りほどけるはずの相手に、しかしレピアは今、されるがままであった。
「や、やめろ! やめなさい、やめて! やめて下さい、ご主人様! ……あ、じゃなくて」
「うふふふふ。ご主人様がのう、おぬしの心を丸裸にしてくれようぞ」
今のレピアは、メイドである。
ご主人様に逆らう事など、出来はしないのだ。
「自分で自分を許せるようになるにはのう、とにかく吹っ切れる事じゃ。開き直る事じゃて。それには、これが一番なのじゃよ」
「知っとるか? 咎人の呪いが解けるのは『無償の真実の愛に目覚めた時』であるそうな」
「……さっきのが、そうだってんじゃないでしょうね」
女賢者に続いて地下迷宮を歩きながら、レピアは頬を赤らめ、呻いた。
全身あちこちに、様々な恥ずかしい感触が残っている。恥ずかしい声で、先程は大いに泣き叫んでしまった。
「あんなの無償の愛でも何でもない! 単なる性犯罪だってのよ」
「それよ。性と愛とは、なかなかに判別し難きものでなあ」
そんな事を言いながら、女賢者が立ち止まった。
レピアも、立ち止まった。
迷宮の最奥部。エルファリアが、首輪と鎖で繋がれていた場所である。
その鎖が、ちぎれていた。エルファリアの姿はない。
「馬鹿な……こ、この鎖を引きちぎるなど」
狼狽する女賢者を抱き上げながら、レピアは跳躍した。
とてつもなく凶暴な気配が、獣臭さをまといながら頭上から襲い掛かって来たのだ。
「がぁああああああうッ!」
エルファリアだった。
元々はドレスであったボロ布が、その全身から、風圧だけでちぎれ飛んでしまいそうである。
それほどの速度で襲い掛かって来たエルファリアを、レピアは跳んでかわしていた。
そして着地しながら、女賢者の小さな身体を放り捨てる。優しく下ろしてやる余裕などなかった。
「早く逃げて!」
石壁に激突し、頭を押さえて転げ回る女賢者に、レピアはそんな声を投げるのが精一杯だった。
エルファリアの細腕が、凄まじい勢いで宙を裂き、殴りかかって来る。
反射的に身を反らせ、それをかわしたレピアに、しかし次の瞬間とてつもなく重い衝撃が叩き付けられた。
エルファリアの、左脚。
たおやかな脚線が、斬撃の如く一閃していた。
豊かな胸を抱え込むように、レピアは両の細腕を交差させ、その蹴りを受けた。防御した。
防御しながら、レピアは吹っ飛んでいた。
「ぐぅ……っ……!」
背中が、石畳に激突する。
受け身では殺しきれない衝撃が、レピアの内臓を揺るがした。
少量の血を吐きながら、レピアは微笑みかけた。
「エルファリア……強かった、んだね……知らなかったよ……」
「がふぅっ、ぐぁああああああああう!」
会話に応じてくれるはずもなく、エルファリアが牙を剥き、飛びかかって来る。
否。飛びかかろうとする姿勢のまま、硬直していた。
エルファリアは、石像と化していた。
「ふう……参った参った」
頭でたんこぶを膨らませた女賢者が、片手を掲げている。
その可愛らしい五指と掌から、石化の魔力が放出されているのが、レピアにはわかった。
「……で、どうするんじゃ? これから」
「獣の呪いを、あたしの身体に戻して」
迷う事なく、レピアは言った。
「お願い……何度も、同じ事はさせないから。これを最後にして見せる、絶対に」
「無償の、真実の愛……目覚める必要もなく、最初から持っておるのじゃよな。おぬしらは」
女賢者は、苦笑した。
自分がとてつもない悪臭を発している事に、エルファリアはぼんやりと気付いた。
その臭いを、しかし嫌がる事もなく、レピアが甘えて来てくれている。
「くぅうううん……ごろごろ」
「レピア……」
獣と化したレピアの頭を、エルファリアはそっと撫でた。
何故レピアが、獣と化しているのか。それは考えるまでもない。
「すまんのうエルファリア、そなたを獣にしたり石にしたり」
女賢者が言った。
「じゃが、まあ見ての通りじゃ。今のレピアを捕えておるのは、咎人の呪いとはもはや無関係の獣化……催眠術で野生化しておるような程度のものじゃ。エルファリアの力なら、解いてやれるじゃろ」
「……御面倒を、おかけしてしまいましたね。賢者様」
レピアの頬を撫でながら、エルファリアは言った。
「この御礼は、必ず……」
「わしは何もしとらんよ。レピア自身が己の過去と向き合い、自力で『咎人の呪い』を解いたのじゃ」
言いつつ女賢者が背を向け、すたすたと歩き出した。
「レピアに伝えておくれ。これで、おぬしは普通に年齢を重ねる身体になってしまった。老いるのは、あっと言う間じゃと……若返りたくなったら、わしに言えと」
「へえ……あの子供婆さんが、そんな事を?」
エルファリアの髪を丹念に洗いながら、レピアは言った。
「そっか。あたしも、これからは普通に年取って……いつかは、お婆ちゃんになるんだね。エルファリアと一緒に」
「ふふっ……嫌な事を言うのね」
エルファリアが笑う。
汚れ放題だった肌は、瑞々しい輝きを取り戻した。やはり髪を洗う方が大変だ。
「ずっと若いままだった、貴女の感覚なら……老いてゆくのは本当に、あっと言う間でしょうね。怖くはない?」
「どうかな。お婆ちゃんになるのも悪くはない、って今なら思えるけど」
レピアは、後ろからエルファリアを抱き締めた。
「もう少し、とうが立ってきたら……わかんないね。あの子供ババアに、泣きついたりしちゃうかも。エルファリアはどうなのさ? この身体、あたしと一緒に弛んだりくすんだり皺だらけになったり」
「不敬罪よ、レピア!」
二十歳をいくつも過ぎた王女が、おどけながら抱きついて来る。
エルファリアと一緒。
それだけを、レピアは強く思った。
これまで何人もの大切な人が、レピアを残して行ってしまった。
これからは、エルファリアと同じ時を過ごす事が出来るのだ。
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