<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


黒き花嫁

 時を重ね、想いを重ね
 統べる闇への誘いの下。
 一重、二重、三重、幾重にも覆い行く――

 常に闇に覆われ月明かりのみが古城を照らす。
 城主であるアルテミシアを悦ばせる為に咲き誇る薔薇園の花々は、まるで時間が止まっているように連綿と咲き続けた。

 月を近く感じる塔のポーチ。射し込む月光に仄明るく浮かび上がる麗人。
 手にした銀のゴブレットに満たされた葡萄酒に映る月を煽るように飲み干して艶やかに微笑む。
 白き喉が上下し身の内へと落ちると、ゴブレットは黒き蝶へと姿を変え、彼女の指先で翅を休める。
 今宵も蝶は呼吸に合わせて、翅を開いては閉じ……閉じては開く。その様を見澄まし、
「……ふぅ……っ」
 色を帯びた吐息を吹きかけると目的を得たように蝶は飛び立つ。
 カツンっと高く靴を響かせて身を翻したアルテミシアは愉悦を浮かべ寝室へと向った。

 靡く裾に名残のように、黒の花弁が舞い上がり宵闇へと吸い込まれていく。

 ひら……ひらひらひら……蝶は舞う。

 舞い落ちる花びらの如く、一片、二片……枯れない花が咲き誇る庭園を抜け、黒蝶が翅を羽ばたかせ舞う軌跡に残る鱗粉が月の光を浴びて白く美しく煌めく。
 白き道標の真実の色は、誘い込まれた小鳥には……もう、見えない――


「――……誓います」
 荘厳な聖堂内に甘く響く誓いの言葉。高い天井から射す月明かりは、柔らかくアリサ・シルヴァンティエを照らす。美しき真白のウェディングドレスは今宵も黒に染められ、アリサの曇りなき瞳の煌めきは深淵へと墜ちる。
 それは夜毎行われる結婚式。形こそ挙式ではあるが、その内容はアルテミシアへと帰依する営み。

「ん……ん、ぅ」
 深く甘い誓いの口付け。胸の内から沸き起こる熱にアリサの全身は浮かされ、心は自ら考えることを拒絶する。
「ぁ……」
 アルテミシアの歯が軽くアリサの唇を食み、重なり合っていた口付けは離れた。意図せず名残惜しげな声が漏れてしまったことなどアリサは気が付かない。ただ、開いたアルテミシアとの距離がもどかしい。
 そんなアリサの切なげな色をした瞳を、満足気に見つめ緩やかに瞳を細めたアルテミシアは、ぱちんっと指を鳴らした。
 美しく整えられ飾られた指先から弾き出された音に呼応して、何もなかったはずの空間から豪奢な縁取りがされた姿見が現出する。
「アリサ、見なさい」
「……はい」
 主人たるアルテミシアしか見ていなかったアリサの身体を引き寄せ、姿見の方へと促す。微かに開いた唇の隙間から漏れた吐息は艶を含んでいた。
 鏡に映し出された黒の美女。人とは異なる理で生きる彼女は艶麗、並ぶ自分も、
「アリサ、美しいでしょう?」
 アルテミシアの指先が、アリサの輪郭をゆっくりとなぞり鏡の中のアリサへと微笑んだ。アリサの小さな喉が僅かに上下する。
「貴女の為のドレス。貴女の為の宝飾品の数々、どれも貴女を飾り付ける素材として一級だけれど、一番は……」
 赤く縁取られた唇が妖艶に下弦の月を描く。
 アルテミシアは続きを告げたわけではない。けれど、その続きは言われなくても分かる。
 ――私は、なんという表情をしているのか。
 上気した頬。潤んだ瞳。艶を帯びた唇。その一つ一つが悦びを知っている。求めている。
 それが何より
「美しい――」
「ええ、美しいわよ。アリサ、貴女は美しい」
 自ら声に出したことに驚きつつも、同意されると素直にそうなのだと受け入れられる。
 私は美しく、それを凌駕するアルテミシア様に求められている。私は、アルテミシア様の――
 こつりと、アリサのヒールが一度鳴り、漆黒のドレスの裾が揺れた。繊細な黒薔薇の刺繍とレースが施されたスカートの上に星が降るようにキラキラと宝石が瞬く。贅の尽くされた一枚だ。
「この程度の物。人々に捧げさせ、搾り取れば良い」
「――……」
「その財で、こうして身を飾ればふたり美しく着飾って愛し合える」
 そうでしょう? というようにアリサの耳元で囁く。時折、アリサの外耳をアルテミシアの吐息が掠め、指の先が耳を撫でる。その所作は甘い快感をアリサに植え付け思考は揺れた。
 育ての親の顔が脳裏を刹那よぎる。彼の教えが胸で揺れる。人々を愛する尊い気持ちが、彼らから無為に搾取することを拒んだ。
 愛とは見返りを求めないもの。
 愛とは隔てなく全てのものへと注ぐもの。
 愛とは……――
「アリサ」
 頭の片隅で明滅した記憶の欠片。愛を説く言葉、想いの断片。
「アリサ、忘れてしまったのかしら」
 人々への愛を? 鏡の中で視線を合わせたアリサの瞳が揺らぐ。
「貴女は、捨てられた。産みの親に――」
 どくんっ、心の臓が高鳴る。
「忘れてしまったのかしら」
 アルテミシアは愉快そうに頬を緩め、アリサの瞳を覗き込む。
「周りの者共が如何に薄情であったか――」
 ぎりっと、胸が痛む。全身の血が滾る。悪しき感情だと押し込めていたものが駆け巡り熱を持つ。
「遠巻きから眺めるだけ、捨て子でありハーフエルフである貴女を見る目」
 同情的なアルテミシアの瞳に、アリサは一縷の光を見たような気がした。残念なことに、その光はアリサの持つ愛を上塗りする毒の一粒――
「誰も、心の深くに踏み込みはしない……薄っぺらで蔑むべき者共――貴女はいつもひとりきり……」
「……私は」
 そう、ひとりきり……繰り返したアルテミシアの声色に、アリサの視界は揺れた。これまでの不条理な経験など捨ててしまった。しかしそれは上辺のこと。深く刻み込まれた負の記憶は、アリサの心をきりきりと痛みつける。
 涙の数を思い出す。胸の痛みを思い出す。
 そうです……私は、ひとりぼっち……。

 ――つぅ……っと意図せず、一筋の涙がアリサの頬を伝った。
「可哀想なアリサ」
 言って抱き寄せアルテミシアは、頬を伝う涙を吸い取り……
「私は、貴女を……アリサを受け入れる」

 ぞくんっ、アリサの全身が顫動した。寒気とか悪寒とかそういう類のモノではなくて――
「私は貴女を独りにはしない……不変の愛を貴女へ与える。私の愛こそが――」
 紡がれる言葉の最後は重なる口付けによって、直接注がれた。
「……っ、アル、テミシア様……」
 抱き寄せられる腕の中で、甘い快感に震え深くなる口付けに呑まれるように思考は黒く、甘く、彼女こそが全てとばかりに染まり狂う――


「……様」
 至極静かに覚醒する。
 アリサの瞳に映ったのは眠る前に見たものと同じ自室の天井。夢の終わりはいつも突然やってくる。
 けれど、もうアリサはそれには驚かない。
 頬を抓り現実を確かめるようなこともしない。
 自らの現実をどちらに求めるか――アリサにとってその比重は日に日にどちらに傾いているか、明確だった。
 目を閉じれば瞼の裏に浮かぶ……美しき黒の妖精。蠱惑的な金瞳、甘い果実のような唇から紡ぎ出される甘言。
 その味わいが、水面に落ちる一滴の毒のように波紋を描き、口内に広がり夢と現実の狭間へと誘う。
 アリサは寝台の上で寝返りを打ち、無意識に唇を噛み、湿った唇を指先で撫でる。身体を丸め自らを抱きしめる。そっと自分の肌を滑る指先の感触に甘い吐息が漏れ、上気する頬を枕へとすり付けた。
「あぁ……」
 胸にとろりと蘇ってくる甘い感情。
 心地よく全身を支配する法悦。より深く求めようとする感情に頬の上に落ちた睫がふるふると震える。感情の底へと身を委ねそうになった――瞬間、アリサは息を詰めた。
「……っ」
 閃光のように、これまでの人々の笑顔が浮かんだ。愛すべき人たちの姿だ。
 彼らを守り慈しみ続けなくてはいけない。
 使命感にも似た感情。

 アリサは夜着ごと、ぎゅっと胸元で拳を作り、強く……強く握りしめた。
 そうあることが人々の幸福。
 そうすることが自身の幸福――

 シーツを胸元に手繰り寄せ、真白の寝台から抜け出して、ずるずると床を引きずるシーツをそのままに、窓辺に立つ。
 薄いカーテンを割る。外はまだ夜の明けぬ世界。
「私の、幸せはそこに、あるはず、です……」
 人々とともに……。掠れはっきりと紡ぐことの出来ない言葉。それはアリサの迷いを如実に表しているようで……。
「それなのに……」
 それ、なのにっ! 沸き上がる苦々しい想いと共にガシャッと窓を打つ。硝子のひんやりとした冷たさが手のひらから伝わった。

『貴女はひとりきり』

 視界が明滅した。愛すべき人の笑顔はハーフエルフを侮蔑し畏れるモノへと変わる。僅かばかりの光をも飲み込むように闇が支配し、アリサの心を覆い尽くす。
 何故、私があのような想いをしなくてはいけないのですか。
 何故、私があのような瞳を向けられなければいけないのですか。
 何もしていない私を何故、母は捨て……彼らは……。
 疑問符をなくした問いは澄み渡った心を黒く染めるには十分過ぎた。
 そして、ただ一人――
「アルテミ、シア……様」
 窓に映る自身の姿の後ろにアルテミシアの幻が寄り添う。
 馥郁とした果実酒のような濃厚な薔薇の香りと共に、アリサへと手を伸ばす女性。そっと指先が触れると同時に、黒き薔薇の花弁が散りアリサへと降り注ぐ。

『私の愛こそが永遠――』
「貴女こそが私の永遠……」

 するりと、身体を包んでいたシーツが音もなく床に広がる。
 伸びてくる白い腕が背後からアリサを包み込む様に抱き留めた。

『私は、貴女を受け入れる』
「アルテミシア様」
 唇から零れた音は、艶を含み細められた瞳は悦が入る。
 前にまわったアルテミシアの腕を抱きしめ、恍惚とした表情で双眸を閉じた。

 ひらり……。

 どこからともなく黒き蝶が現出し羽ばたく。
 蝶はアリサの周りをぐるりと一周……そして、窓をすり抜け消えかけた月へと黒き道筋を延ばした。

 時を重ね……思いを重ね……
 統べる闇への誘い。
 囚われる聖なる光はまどろんで、一重、二重、三重――
 幾重にも覆う常闇に抱かれた小鳥は羽ばたくことを忘れて行く……。

【黒き花嫁:了】