<東京怪談ノベル(シングル)>


幻をひさぐ者


 店の中が若干、やかましいくらいに華やいでいる。
 女性客が数名、カウンター席で紅茶とお菓子を堪能しながら、お喋りに興じているのだ。
 十代の、少女たちである。
 元々、お香や香水を扱う店であった。
 やがて商品に紅茶類が加わった。それらを気軽に楽しんでもらうため、喫茶のためのカウンター席を設けた。
 紅茶を飲ませるのならば当然、お茶請けが必要になる。ケーキやクッキーなど菓子類も、取り扱うようになった。
 結果、香類の専門店であった店が、半ば喫茶店のようになってしまった。
 どちらかと言うと上流階級向けの香り物にはちょっと手を出しにくい、庶民の女の子が、こうして集まるようにもなった。
「ね、ね、店長さんはどう思います?」
 少女の1人が、店主エル・クロークに話を振ってくる。
「死んでも残る真実の愛って、あると思いますか?」
「……大仰だね。一体、何の話かな」
 削り取った香木の欠片を、熱した香炉灰の上に置きながら、クロークは会話に応じた。
 あまり強い香は炊けない。紅茶の香りが、台無しになってしまうからだ。
「だからぁ、あの古いお城ですよう」
「お姫様の幽霊が、今でも王子様を待ってるって話! 店長さんも聞いた事あるでしょ?」
「違うでしょ、王子様じゃなくて身分の低い騎士。お姫様はね、王子様との結婚話も蹴って、その騎士様を何百年も待ち続けてるの」
 何百年は大げさだよ、とクロークは思わず言ってしまいそうになった。せいぜい150年ほど前の話である。
 この町から少し離れた、今や荒野と言っても良いほど荒れ果てた土地に建つ古城。
 かつては、この地を治めていた貴族の居城であった。その貴族の没落後は住む者もなく、今は廃墟と化している。
 その廃城に、貴族の姫君の亡霊が出る、という噂は、ずいぶん前から囁かれていた。
「姫君が、戦争に行ってしまったその騎士を……今でも、待ち続けている。吟遊詩人の歌のような話だね」
 言いつつクロークは、香炉に蓋をした。
 花と妖精、の形をした香炉。陶器で出来た妖精たちに導かれるようにして、花弁から仄かな香気が漂い出す。
 紅茶の香りは妨げない、だが香物の店として最低限の自己主張はする。そんな控え目な芳香である。
「そういう話が、あってもいいとは思うよ……ふふっ、貴女たちはどうかな。愛する人が、戦場でなくとも遠い所へ行ってしまったとしたら。待ち続けて、あげられる?」
「あたし待つ! そういう恋って、素敵じゃないですかあ」
 少女の1人が、キラキラと瞳を輝かせる。別の少女が、ころころと笑う。
「あんたじゃ無理無理。3日くらいで新しい彼氏作っちゃうって」
「ひっどーい! そんな事ないもん、本当に素敵な彼なら、幽霊になっても待っててあげられるもん!」
「ね、店長さんはどうなんですか?」
 少女の1人が、興味深げに訊いてくる。
「どっかに、待っててくれる人とかいるんじゃない?」
「僕? いないよ、そんな人は。いれば嬉しいけれど」
 クロークは微笑んで見せた。
 男か女か判然としない顔立ちが、にこりと歪む。
 美しい、と言われた事はある。エル・クローク自身は、よくわからない。
 18歳、新進気鋭の香物商として、この町では通している。
 本当の年齢を言ったところで、この少女たちは信じないだろう。
「店長さんって、どこへ行ってもモテモテじゃないんですかあ? 綺麗だし優しいし!」
「あたし、恋人に立候補してもいい! どう? 店長さん」
「お気持ちだけ、いただいておくよ。お客様とそういう関係になって破滅した同業者を、何人も知っているからね」
 恋人、とは言わないだろう。だが大切な人なら、かつていた。
(貴女が、幽霊にでもなって、どこかで待っていてくれるなら……僕は、会いに行くのに)
 もはや応えてはくれない相手に、クロークは心の中で語りかけていた。


 噂には、尾ひれが付くものである。
「そう……あれから、もう150年が経つのか……」
 昼間は少女たちが座っていたカウンター席に腰を下ろしたまま、クロークは呟いた。
 古城に、姫君の亡霊が出るという。亡霊となって、彼女は帰らぬ人を待ち続けているという。
 生前の姫君とは、親交があった。クロークを贔屓してくれる、顧客の1人であったのだ。
 彼女が、1人の身分低い騎士と恋仲であった事も知っている。
 その騎士が、戦場で命を落とした。
 姫君は絶望し、毒を仰いだ。
 そこまでは真実である。
 付いてしまった尾ひれを今更、切り取る事もないだろう、とクロークは思う。
「姫君は、永遠に待ち続けている……それで、いいじゃないか」
 ちらり、と顔だけを振り向かせ、語りかける。
 いつの間にか店内に立っていた、1人の客にだ。
「貴方も、そう思うだろう?」
「…………」
 その客は答えず、じっとクロークを見つめている。
 暗い、眼差しだった。
 血まみれの甲冑に身を包んだ、1人の若者。
 騎士階級、であろうか。だとしても、歩兵の1つ2つ上という程度の身分であろう。
 その若い騎士が、言葉を発した。
「……店を持ったのだな、エル・クローク」
「少し、落ち着いてみようと思ってね」
 クロークは、席から立ち上がった。
「貴方が、お客として来てくれるのを待っていた……ようこそ、エル・クロークの店へ。どのような香りを御所望かな?」
「おわかりのはずだ。貴公なら、私の望むものを」
 若い騎士が、血の汚れを帯びた革袋をカウンターに置いた。銀貨の鳴る音がした。
「民から奪ったものではないぞ。私が、あの戦で褒賞として賜った財だ」
「勇猛果敢な戦いぶりであったと聞く。それだけの勇気があるのなら……」
 姫君に、直に会いに行けば良い。
 その言葉を、クロークは呑み込んだ。
 この騎士が、実際にあの古城へと赴いたのか。
 戦場で死ぬまで戦う勇気はあっても、かつての主君の居城を訪れる勇気は持てぬまま、150年間さまよい続けていたのか。
 それは、わからない。訊いてみる事でもない。
 とにかく、この騎士は客として金を払ったのだ。香物商として、クロークが行うべき事は1つしかない。
「貴方には……そうだね、これを」
 小さな燭台を、クロークは手に取った。
 金属の蛇が、いくらか青みがかった蝋燭に絡み付いている。そんな形の燭台だ。
 柔らかな火が、灯っている。
 その火を挟んで、クロークは騎士と見つめ合った。
「蝋に、少し特殊な香料が練り込んである。僕が調合したものでね……さあ、深呼吸をして。僕の言葉に、耳を傾けて」
「…………」
 騎士の両眼が、どこか遠くを見つめ始める。
 暗く陰鬱な眼光が、揺らいでいる。
 クロークは、なおも語りかけた。
「見えるだろう? 彼女は、そこにいる……貴方が戦場で戦い、命懸けで守り抜いた彼女が」
「…………姫…………」
 呟きながら騎士が、ふわりと身を翻した。
 目に見えぬ誰かの手を取り、踊っている。そんな動きだ。
 いや。ほんの一瞬、見えた。
 若い騎士にエスコートされ、軽やかに身を翻しながら幸せそうに微笑む、美しい姫君の姿が。
 確かに見えた、とクロークは思った。
 思った瞬間、誰もいなくなった。
 姫君も、それに騎士も、消え失せた。まるで最初から、いなかったかのように。
 カウンター上に、血まみれの革袋が残されている。
 クロークは開けてみた。
 古めかしい銀貨が、詰まっている。100年以上も前の通貨である。
 もはや貨幣としては使えないが、銀の含有率は今の硬貨よりも高い。貴金属としての価値はある。
 この代金に見合うだけのものを、あの若い騎士のために、してやれたのだろうか。
 150年前の記憶を、クロークはゆっくりと蘇らせた。
 あの古城に、姫君の幽霊など出るわけがない。
 何故なら彼女は、毒を仰いだ後、奇跡的に命を取り留めたのだから。
 だが実家の没落は止められず、彼女は結局、貴族の姫君という身分は失う事となった。
 クロークと親しかった1人の商人が、彼女を娶った。
 幸せな結婚だった。
 子宝にも恵まれ、幸福な老後を過ごした後、彼女は天寿を全うした。
 若い頃に恋をした1人の騎士を時折、思い出す事くらいはあったのかも知れない。
「そんな真実を教えるのは、僕の仕事ではないからね……」
 あの騎士は、真実ではなく幻を求めて、ここを訪れたのだ。幸せな、幻を。
「そう……幻は、幸せ……」
 仄かに香る灯火を揺らめかせながら、クロークは語りかけた。もはや何も応えてはくれない相手にだ。
「幻、でもいい……貴女に、会いたいよ……」