<東京怪談ノベル(シングル)>
詐欺師セレスティア
「あるがままの状態……というのは要するに、こういう事でしょう?」
にこにこと笑いながら、エルファリア王女は言った。私は、何も言えなかった。
エルザード王宮の一角に、私セレスティアは自室を与えられている。
そこに突然、エルファリア王女が押し入って来たのだ。抜き打ちだった。
逆らう事も出来ず私は、混沌の世界を王女にお見せする羽目になってしまった。
足の踏み場もないので、王女はとりあえず扉付近に佇んだまま、私の部屋を見渡している。そして言う。
「全ては流れる水のように、あるがままに……それが貴女たち水操師の、信条であり理念であり、行動の原点。そうだったかしら? ねえセレスティア」
「はい……」
「とても立派だと思うわ。あらゆる物事を、本来あるべき状態に維持して見守る。貴女はとても立派なお仕事をしてくれているのよ、セレスティア」
「いえ……」
「だけど、貴女も経験したでしょう? あるがままの状態というものは、人によっては不幸ともなり得る。その不幸を、本来あるべき状態として放置しておく。放置して、何もしない……それが正しいあり方だと言うのなら、貴女がこの世界に来た意味はないと思うのよ。セレスティア、貴女は何もしないためにソーンへ来たわけではないでしょう?」
「どうなんでしょうか……」
「貴女は、何かをするためにソーンへ降り立った。そして何かをした結果、一組の母子が救われた……もう少し誇りに思いなさい。貴女は何も、間違った事はしていないのよ」
「ありがとう、ございます……」
私は一礼し、エルファリア王女の傍をそそくさと通り抜け、部屋を出ようとした。
王女のたおやかな手が、私の首根っこをガッシと掴み捕えた。
「ねえセレティア、私はこう言っているのよ。この有様を、本来あるべき状態として放置しておく事は許しません、とね」
エルファリアが、にっこりと微笑んだ。
「……お部屋を、片付けなさい」
私セレスティアを、あるがままの状態で放置しておくと、まず部屋が汚れる。汚れ放題になる。
セレスティアになる前の私は、一人暮らしの男にしては部屋が片付いている方であった。テーブルトークRPGで、人が集まる事が度々あったからだ。
それが男から女に変化した途端、この有様である。
「ご存知ですかエルファリア様。世の中には、片付けられない女という種族がおりまして。これがまたゴブリンとかオークよりも堕落した生き物で、いやぁ私あいつらの事バカにしてたんですけどね」
「これは要るの、要らないの」
エルファリア王女が、私の戯言を黙殺しながら、何かを拾い上げ見せつけてきた。
ボロボロになった書物である。何やら黒っぽいものが点々とこびりついている。
「エルファリア様、それゴキブリの糞……」
「いいから。捨てるのか取っておくのか、それだけを決めなさい」
昆虫の排泄物ごときに動じる王女ではなかった。
彼女がゴミの大海から拾い上げたのは、回復魔法に関する書物である。私が以前、古書店で買い求めたものだ。
値段だけでなく内容も二束三文で、はっきり言って何の参考にもならなかった。それがわかった時点で、処分すれば良かったのだが。
「ええと……どうしましょう。本当は何か参考になる事が書いてあって、私が読みきれていないだけかも……いや、そんな事ないかな。でも……」
「少しでも迷ったら捨ててしまいなさい。それが、お片付けの鉄則よ」
虫の糞まみれの書物をパラパラとめくって眺めながら、エルファリア王女は言った。
「それにしても……今更、こんなもので回復魔法のお勉強? あれほどの奇跡を起こして見せたセレスティアが」
「あれは、とりあえず封印します。禁忌として」
並行世界との接触。
そんな危険な業に頼らずとも、もっとお手軽に病気や怪我を治す術が、ソーンには存在するはずなのだ。
「何と言いますか……治癒・治療系の魔法は、私にとって必要なんです。困っている人を助けるためと言うより、まず私自身のために。生き甲斐、って言うのとは少し違って」
ファンタジー世界らしくと言うべきか、ここソーンにおいて、回復魔法の使い手はさほど珍しい存在ではない。私の見たところ、英会話の出来る日本人と同程度であろうか。
日本の書店に英会話の本が並んでいるように、この世界でも、回復魔法に関する書物は容易に入手する事が出来る。
入手した書物や巻物が今こうして、私の部屋でゴミの大海となっているのだ。
「私の、精神的な平穏のために……とでも申せましょうか」
「癒しの魔法を研究していないと、落ち着かないというわけね……あらあら、こんな物まで」
エルファリアが、埃まみれの水晶球を拾い上げた。
「ああ、それは私が黒山羊亭近くの骨董屋で買い求めたものですね。何でも、古の大賢者の知識が封印されているとかで」
封印されていたものを再生したところ、賢者と思しき老人の立体映像が現れ、いろいろと語って消えた。
他愛のない自分語りが大半であった。その中にしかし、興味深い部分がないわけでもなかった。
「そもそも『治癒』というものに、『治す』もしくは『回復させる』必要はあるのか……その賢者様は、そんな事を言っておられましたね」
「それは……どのような意味かしら?」
「私にもわかりません。ただ、それを聞いて私は思ったんです。『治癒』って要するに、術者や対象の人にとって都合のいい『状態』に『変化』させる事じゃないかって」
アニメ漫画ゲームを問わずファンタジー世界というものは基本、イメージ万能論で出来ていると言っても過言ではないと私は思う。
人の思いが、心の力が、世界を救う。
それを、いかにして御都合主義に見せぬよう描写するか。そこがクリエーターの腕の見せ所だ。
人の思いや心の力で、まあ世界を救うのは無理にしても怪我や病気を治すくらいの事は出来なければ、それこそエルファリア王女の言う通り、水操師などという大層なものとしてソーンにやって来た意味がない。
勇者や救世主の役目は無理にしても、やはり人の役に立つ存在でありたい。
それは私でなくとも、異世界転移系ファンタジー作品の主人公全員が、作中で語らずとも常に心の奥底で温めている思いではないだろうか。
全くの役立たずとして異世界からやって来た、とは思いたくないものだ。
エルファリア王女が言った。
「都合の良い状態に変化させる……それは森羅万象を本来あるがままに維持して見守るという、水操師の使命とは」
「合わない、かも知れません。そこは上手く、折り合いをつけていこうと思っています。合わないもの同士を折り合わせるのは、まあ不得意ではないので」
私も長年、伊達に会社勤めをしていたわけではない。
「私、思う事にしました。本来あるべき状態の維持にこだわって、あの母子を見捨てていたら……私、それはそれで絶対に後悔して今頃うじうじ悩んでいたでしょうから」
「そうね、その通りだと思うわ。で、これは要るの? 要らないの?」
「えーと……要りません」
王女が水晶球を、ゴミ袋の1つに放り込んだ。
「あのお店に行くのは、もうやめなさいセレスティア。このような無害な骨董品だけではなく、いくらか危険なものを取り扱っている疑いのある商人よ。今、調査を進めているところだから」
「危険なもの……例えば禁断の魔法書とか、魔神が封印されている壺とか、持つと殺人鬼に変わってしまう剣とか、ですか?」
「貴女、詳しいのね?」
「いやまあ、ファンタジー世界のお約束と言えばお約束ですから」
「誰と何を約束したのかは知りませんけれど……ああもうセレスティアは、こんなものまで買って」
二束三文の書物を、王女がまた1冊、ゴミの中から発掘した。
「占星術、姓名判断、骨相鑑定に数秘術……貴女、まさか占い師になろうとしているの?」
「まあちょっと、似たような事をやってみようかなと」
上司から、聞いた事がある。
占い師というのは、人間の未来を見通す職業ではない。
まず客と会話をする。その会話の中から、客が本当に望んでいる己の未来の状態というものを読み取る。
その状態に客本人が少しでも近付けるよう助言する。それが占い師の仕事であるという。
要するに占い師に必要なものは魔力超能力の類ではなく、人間を見抜く眼力と会話力。優れた占い師は、だからビジネスマンとしても成功する。
そんな事を、その上司は言っていたものだ。
「占いという形で、お客様の口から御自身の情報を何とか引き出すわけですよ。そこから、お客様が本当に望んでおられる『健康』な状態というものを読み取って、そうなるように『変化』させると言いますか、まあそんな感じの事を」
「それは占い師と言うより……詐欺師と、紙一重ではなくて?」
「……そうですね」
優れた占い師は、犯罪者としても成功する。あの上司は、そんな事も言っていた。
詐欺行為でも、並行世界との道を開いてしまう所業よりは若干ましではないか、と私は思うのだが。
「で、これは要る? 要らない?」
「……要りません」
占いの書物を、王女はゴミ袋の1つに放り込んだ。
一応、可燃物と不燃物に分かれてはいるようであった。
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