<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


黒蛋白石の追復曲 black opal- canon







 白山羊亭のテーブルに、全体的に黒い二人組みが座っている。
 片方は、今までにも良く白山羊亭に来ていたコールだが、もう片方は、「あら、貴方が白山羊亭に来るなんて珍しいわね」と、ルディアが思わず声をかけてしまうほどに、頻度は少ない。
 そんな事を言われてしまったアクラは、そうだっけ? と、曖昧に返す。確かに此処最近はさっぱりだったことは事実だ。
 難しい面持ちの二人に、あえて声をかけようとするのは、ルディアくらいのもので、他のお客も何故だか彼らの周りを避けるように陣取っている。
 出来るなら、他の場所が良かったけれど、お互い知っていて落ち着ける場所が他に無かったのだから仕方がない。
 ボソボソと話をするアクラの両手それぞれに、紅の賢者が作ってくれたアーティファクトが乗っている。
「いいコール? ウィズが作ってくれたコレで、ルミナスの魂と繋げる。多分其処にはヘリオールも居ると思う。彼が何をしてくるか分からないけど、ルミナスを起こして、こっちの“鳥籠”を発動させて、ヘリオールを捕まえて引きずり出す。この流れ、大丈夫?」
「ああ。大丈夫だ」
 ボソボソと、普段そんな様子なんて全く見せない二人が、難しい顔で話し合っている様は、どこか異様に写った。








 正に何かあったと二人の顔が悠然と物語っている。そんな二人を放って置けるほど付き合いは短くない。
「眉間に皺とは珍しいな、アクラ」
 そんなキング=オセロットの声に、アクラははっとして顔を上げ、ばつが悪そうに肩をすくめて笑う。
「聞いてた。よね? 皆も」
 そう言って視線を動かした先には、いつものメンバーが。
「もう少し詳しい話を聞かせて欲しい」
 聞いていたとは言っても本当に最後の方だけで、何がどうしてそうなったのか分からずサクリファイスは問いかける。
「あ、うん、そうだね。ダメって行っても来るでしょ?」
 危ないからとか、そいう理由はもう通用しないことは、前々のことからも充分に分かっている。アクラは一度コールと顔を見合わせて、何が起きたかを洗いざらい話した。
「……ルミナスの魂とそのヘリオールの魂を分離できればルミナスを正気に戻せる、つまりルツーセも助けられるな?」
 サクリファイスの口から現実のヘリオールに捕まっているルツーセの名が出たことで、アクラの表情があからさまに曇った。今まで彼女の事を邪険にしていた彼だが、流石に見捨てられるほど嫌いという訳ではない。
「……ヘリオールとやらにとって私たちは招かれざる客だ。何事もなくルミナスを取り戻せるとは思っていないが――」
「その点は、私も分かっている」
 コールは紅の賢者から聞いた、魔法力を吸収するだけではなく、反射する事ができるという話を短く告げる。その力でどれだけ反射できるか分からないが、ある一定の時間、もしくは回数、何の影響も無く近づくことができるだろうとの予想は付けた。だからこそ、コールが向かうわけだが。
 そして、話が終わりかけた所から、今まで静かに聴いていたアレスディア・ヴォルフリートの顔が、静かな怒りに彩られていく。今すぐ爆発してしまいそうなほどのそれは、ぶつける相手がここに居ないことで、今は納まっているといったような状態のようにも見えた。
「そろそろ行こうか」
 これ以上の説明は中がどうなっているか分からない以上しようがない。アーティファクトを持ち上げたアクラに、同じように口を挟んでこなかった千獣は、じぃーっと彼を見つめ、物言いたげな瞳を浮かべたものの、一人何かを決めたように頷く。
「……行って、くる」
 本当は、アクラにとってヘリオールとはどういった人物なのか気になっていた。けれど、ヒトは知られたくないことほど知らない振りをするもの。もし、どうでもいい相手だったなら、きっと染みを治しにいった時話してくれたはず。だからこそ、少なくともアクラにとってヘリオールがどうでもいい相手ではないのだろうと、考えていた。









 まさか……と、小さく呟いたのは誰だったか。
 今まででも、精神や夢の中という場所へ何度か連れてこられた事はあったが、ここまで現実味を帯びた感覚は初めてだった。
 コールは閉口して頭を抱え、申し訳なさそうに振り返る。
「この“回廊”は、あおぞら荘で私が起動したものそのままのようだ」
 現実でヘリオールを閉じ込める為に使ったものが、精神世界では、逆に彼らの姿を探し辛くした。何とも皮肉な話である。
 ただ、現実と違う部分は、ここは意思の世界であるということ。
「なら、この先に二人が居るということか」
 入り組んだ階段や廊下の先は暗くて見えない。
 サクリファイスは、飛んでしまえば、重力や上下左右も関係ないため、回廊の隙間をじっと見つめて、その先に目を凝らす。
 この場所が彼の意思で動くならば、コールが真っ先に狙われるのではないかと考え、彼の守りにつこうと決める。ただ、それはルミナスの中で剣を振るうのが怖いという事もあった。
「この“回廊”を解除は出来ないのかい?」
 この場所からどうすれば先に進めるだろうかと、伸びる階段や廊下を見つめながらオセロットは問う。
「出来なくもないだろうが、それが現実にも及ぶと少々厄介だ」
「……確かにな」
 “回廊”は、あおぞら荘にヘリオールを閉じ込める為に起動した装置だ。今彼の身を自由にしてしまったら、弟達に危険が及ぶ可能性もある。
「地道に進むしかないか」
 どれだけの時間が自分達に与えられているかは分からないが、悠長にしてもいられない。
「早く、行こう……」
 一歩を踏み出した回廊の階段。それは、長さ高さを変え、方向感覚を狂わせる。元から方向なんて、あってないようなもの。
「何度もすまないな」
 故意のあるなしに関わらず、これまで何度も自分を含めた兄弟たちが関わった事柄に手を貸してもらい、今回もそうだ。
「気にされるな。この大事、彼らに一言伝えねば気が済まぬ」
 アレスディアの表情は硬いままだったが、それは一重に想いが深い故のことなのだと、考える事にした。
「諦めないと、ルツーセに約束したしな」
 ふっとサクリファイスは微笑む。
 ヘリオールに乗っ取られたとはいえ、ルミナスが戻ってきた事に変わりはなく、今までのように手さえも伸ばせない場所に行ってしまったわけではない。彼をどうにかしさせすれば、完全に帰ってくるのだと、分かっている。
 短い会話を何度かしながら、当て所なく先へ先へと進んでいく。それを何度か繰り返したある時、新しい階段や廊下に一歩踏み入った瞬間、その長さや方角が決まった事に気がついた。
「これは……」
 どこかに良く似ている。
 そう―――黒山羊亭で愚痴っていた彼の家だ。
 求める事で拓かれる道。思いによって変化する部屋。願いに応え開かれる扉。
 最上級のアーティファクトと、コール達有石族が持つ建築技術が融合した“回廊”。
 ただ1つの思いだけを持ち、階段に廊下に足を踏み入れる。
 そして、その回廊を抜けた先、二人の青年が何もない真四角の空間にふっと現れた。
 一人は、背に2対4枚の白い羽を持つ、碧い髪、碧い瞳の青年。紅の賢者とは対照的な、澄んだ海のような碧を湛えた青年からは、生気の様なものが全く感じられない。
 そして、もう一人は、自分達が良く知る――ルミナス。
 ルミナスはその場に座り込み、ただただ頭を垂れて俯いたまま微動だにしない。碧い青年はそんなルミナスを満足げな笑みで見下ろしている。
 きっと彼が―――
「ヘリオール……」
 最初の一言からずっと沈黙を保っていた――いや、怒りを溜め込んでいたアレスディアが、それを解放するかのように、低く彼に問いかける。
「ライム殿が言っていた神様とは、あなたか?」
「……ああ、まぁいいけど。そうだね、僕が“神様”になるかな」
 どこか飄々とした口調で話すヘリオールはとても楽しそうで、その様子にアレスディアの手がより強く握り締められる。
「神として生きるということがどれほどのものか、人として生きてきた私には計り知れぬ」
「アレスディア」
 名を呼ばれ、振り返った。
「少し、話をさせて欲しい」
「……承知した」
 言いたいことは沢山あったが、確かに最初にコールが話をして何事も無く事が進むのならば、そのほうがいいだろうと、アレスディアは一歩後ろへ下がる。
 コールはそんなアレスディアにありがとうと告げると、ヘリオールへと向き直った・
「なぜ君は、ルミナスの中に入り、此処へ来た?」
 一緒に帰ろうと言うのなら、自らの身体でソーンへ来ればよかったはずだ。それをしなかったのは、ルツーセのように世界線を越える制約があったからか? それならば、納得はできずとも理由は分かる。けれど、ヘリオールはそうとは思えない。
 ヘリオールはこの場所で再構築されている“自分”の手を見下ろして、瞬きと共にコールを見た。
「ねえ、お兄さん貴方は知っていた? 僕たちの最期がどうなるか」
 コールはゆっくりと首を振る。記憶を失う前ならば、もしかしたら知っていたかもしれないが、今のコールには何もない。
「腐って、溶けて、消えてくんだ。還る魂を受け止めて、世界へ廻す。それってね、凄く痛くて悲しくて辛いんだ。心も、身体も、ね……」
 あの世界で、限界がきてしまった自分の身体は、骨と皮だけで構成されているかのように角ばっていて、こんな肉を持った柔らかみなんて無かった。
「なんで僕だけこんな思いしなきゃいけないのかって、とても世界が憎たらしかった。僕はね、貴方達みたいな自分の手が、こんなに綺麗だなんて知らなかったんだよ」
 今この場所で見ているヘリオールは、とても綺麗な青年で、彼が言うような骨と皮の姿は想像がつかない。
「だからね、僕が消える前に、“僕”を全部あげたんだ」
 それが何故だか結果的にルミナスの身体を乗っ取ってしまったような状況になってしまっただけ。意図してやったわけではない。と、どこか他人事のような話しぶりでヘリオールは告げる。それは、まるで自分は悪くないと言っているようで、口を挟まぬよう耐えていたアレスディアに火をつけた。
「如何に事情があろうと、人であろうと神であろうと、私は私の友を傷つける者は許さぬ!!」
 友という言葉が出た瞬間、ヘリオールの目が不機嫌にすっと細くなる。
「辛さも、苦しみも、憎しみも、このような形で訴えたところで救われぬ! ルミナス殿も然り! 彼に思うところもあろう。しかし、今のままでは誰も救えぬ、救われぬ!」
 その叫びに、ピクッと微かにルミナスの肩が震えた気がした。
「まずは両名、表へ出ろ!! 共々、私が受け止める!!」
 激昂が灯る瞳で、アレスディアはヘリオールとルミナスを睨みつける。だが、その様にヘリオールは口元に手を当ててふっと笑った。
「何熱くなってるの?」
 そして小首をかしげる仕草と共に、アレスディアの叫びもさらりと受け流してしまう。安全圏からかけられた言葉など響かないだろうと予想はしていたが、これほど届きもしていないとは。
「それにね、僕はここから出たら……死んじゃうんだ」
 ヘリオールの身体は、元の世界で完全に灰になって消えてしまった。ここに居る彼は、ルミナスが吸収した彼の一部。それは夢馬の欠片をコールが吸収していた方法と同じ。それでも主導権がヘリオールに移ってしまったのは、彼の魔法力が桁違いに高かった事と、ルミナスの心が弱ってしまっていたせい。
「だから、ねぇルミナス。僕は君と一緒に居ていいよね?」
 ぎゅっと、何にも反応を返さないルミナスを、後ろから抱きしめる。その言葉と行動は、ここから出るつもりはないと告げていた。
 まるでランタンのように“鳥籠”を手にしたコールが、薄く息を吐き、どこか悲しそうな面持ちで口を開く。
「……ヘリオール。君は、分かっているのだろう?」
 死ぬと口にしたヘリオール。それは、自分がもう死んでいることを自覚し、ここに留まりたいと思うことは我侭だという事を。
「人間は……いろんな、ものに、生き方……縛られる……」
 千獣は、ふと目の前で消えた遠い大陸で出会った邪仙のことを思い出す。彼もまた自由だと思いながら、憎しみに縛られて生きていた悲しい人だった。
「それでも……やっちゃ、いけない、ことは、ある……ルミナスの、体は、ルミナスの、もの……」
 コールの大事なルミナスも大事だけど、アクラの大事も大事だと、千獣は爪や翼は使わず、ただ自らの足で駆け出して、ヘリオールを引き離そうと手を伸ばす。
「近寄るな」
 碧い瞳が淡く光る。背の羽が、ライムや双子を襲っていた異形のように形を変化させ、千獣を隔てる壁のように立ちはだかり、その壁から棘を伸ばす。
 千獣はその棘を身に受けながらも、少しでもヘリオールに近づこうと手を伸ばした。けれど、それは叶うことなく吹き飛ばされる。
 棘から受けた傷はじんじんと痛い。千獣は、あの異形から受けた染みを思い返す。あの羽根の持ち主である彼との相性は最悪だ。歪んでしまっていても“神”と呼ばれていた存在の神聖性はやはり大きいと言うことか。
「すまない千獣。アクラであれば、その傷も直ぐに癒せたのだろうが……」
「……大丈夫」
 コールはそっと千獣の肩に軽く触れる。千獣は、何かがすうっと抜けていく感覚に、後ろを振り返った。けれど、そこには、変わらずヘリオールを見つめるコールがいるだけ。
 千獣は自分が受けた傷を見直す。なんだか少しだけ回復が早くなったような気がした。
 隔てる壁を消し去り、ヘリオールはふっと息を吐く。
「さあ、そろそろ出て行ってくれない?」
「出て行くのはあなた方であろう!」
 間髪居れず返したアレスディアに、ヘリオールの視線が向く。
「出て行け」
 すっと、その雰囲気が冷たいものへと変わり、アレスディアは握った拳に力を込める。
「さあ、今直ぐに!」
 ヘリオールの羽が変質し、無数の針を作り出す。それは、一直線に針の雨となって降り注いだ。
 ああ、やはり戦うしかないのかと、頭の片隅で思う横で、すっとコールが歩み出る。
「……コール?」
 針は、コールに届くことなく反射され、ヘリオールの元へと戻っていく。
「!?」
 ヘリオールは反射されたことに一瞬の驚きを見せたが、針はそのままヘリオールの背へと戻り、またも羽の形を構成する。
「……っ」
 薄く短く何度も呼吸を繰り返して、コールはその場に膝を着く。反射は自動的に行われるとはいえ、反射できる容量には限りがある。
「止めてよ、お兄さん。僕の力を何度も受けたら、お兄さんが壊れてしまう。僕はお兄さんも一緒に帰ってほしいって思っているのに」
 まるで言い聞かせるような口調と共に手を広げ、ヘリオールはゆっくりとコールへ向かって歩いてくる。
「それ以上は、近づかないでもらおうか」
 サクリファイスが二人の間を遮るように降り立つ。コールはヘリオールを捕まえる要だ。彼の手に渡すわけにはいかない。
「ああ怖いね。どうして貴女達はそんなに僕を邪険にするのか本当に分からない」
「ルツーセ殿を傷つけ、何も分からぬと言うのか!」
 ぎりっと奥歯をかみ締め、アレスディアは叫ぶ。けれど、ヘリオールはきょとんと小首をかしげ、自分の両手を胸の前で広げてじっと見つめるだけ。
「ああ、何故だろうね。僕の両手はこんなに綺麗なのに……」
 緊迫した沈黙の空気が一瞬流れ、ヘリオールはにっと口の端を持ち上げ大声で笑い始めた。
「……はは! ははは!! どうしてかな? 僕がもう腐ってしまったから?」
 問いかけたところで、答えなんて返ってこない。それでもヘリオールは話し続ける。
「傷つけた? 大丈夫さ! 帰れば直ぐにでも治してあげるよ! それには、貴女達が邪魔だ!!」
 ヘリオールの慟哭に比例するように、彼が望む“彼で居たい”と願う姿が、終わった現実に引き摺られるように影を背負っていく。
「ヘリオール……」
「ルミナス!」
 俯いていたルミナスが顔を上げ、その瞳が薄く開く。名を呼ばれた事で、ヘリオールの姿から影が消える。
「僕は、此処に居ますから……」
 そのまますぅっと開いた目が閉じていく。
 ルミナスは、辛うじて“自分”という形を保っているが、主導権を取り戻そうという意思は全くない。
「その選択を許す事はできないな」
 オセロットは小さく紡がれたルミナスの言葉に否を発する。詳しい事情や間柄を知るわけではないため、慮るしかないが、それでもという思いで言葉を続ける。
「なあ、ルミナス、あなたは彼の境遇や言い分に共感し、負い目を感じていないか? 彼を半ば自ら受け入れてはいないか?」
 話しかける事で、少しでも何かしらの変化や動きが見受けられないか、じっと見つめながら言葉を続ける。
「あなたは優しい。だが、諾々と受け入れることは優しさではないし、何かの償いになるわけでもない」
「ねえ、止めてよ」
「相手の境遇がどうであれ、間違っていることは間違っていると止めてやるのが、本当の優しさではないかな」
「何なの? 本当に、貴女達はいったい何なの?」
 自分が知らない間にルミナスが築き上げた絆に、ヘリオールは頭を抱える。
「ルミナス。私も聞いてほしいことがあるんだ」
 オセロットの言葉を引き継ぐようにサクリファイスが語りかける。
「覚えているか? 前に嘘をつかないでほしいと約束したこと。今は、一人で抱えないでくれと約束すべきだったと思ってる」
 どこか苦い笑みを浮かべ、サクリファイスは言葉を続ける。
「あなたはいつも一人自分を責めていた。ヘリオールのこともそうなんだろう? でも、それじゃダメだ」
 サクリファイスはこの声が届くようにと、もう一歩思わず前に出る。
「一人で何でも背負えるわけじゃない。だから、皆がいるんだ。もっと信じていい。頼っていい。皆待ってる」
「その通りだな。どうすればいいか、一人で思い悩む必要はない。悩み考えるなら、私たちも共に考えよう。きっと、皆も一緒に考えてくれる」
 オセロットも、サクリファイスの言葉に頷きながら、ルミナスが何かしらの反応を示してくれる事を願った。
「……帰っておいで、と言っていたな。ルミナス、あなたの帰る場所はどこだ? あなたの答えが聞きたい」
「答えって何? どうして貴女達はそんなに気軽に話しかけてくるの? いったい何なの!?」
 言葉を遮るようにヘリオールが叫ぶ。それでも、サクリファイスは諦めることなく最後の言葉を告げる。
「だから、まずは起きるんだ、ルミナス」
 ポタ、ポタ……と、床が濡れる。
「ルミナス?」
 ルミナスの閉じられた瞳から溢れ出る涙。
「ああ、ああ、止めてよ。ルミナスの友達は僕たちだけでしょう? 僕と皆と君の大切な兄弟たちも一緒にいようってだけなのに!」
 頭を抱えるヘリオールは全てを否定するように首を振る。
「僕、は――…」
 溢れる涙を湛えた瞳で、ルミナスは顔を上げる。
「あおぞら荘へ、帰りたい……」
 それはヘリオールが知らない場所。知らない時間。
「止めてルミナス! 僕を……僕を否定しないで! 僕を独りにしないで!!」
 ルミナスの意識が自分から外れた事に、ヘリオールはぎりっと奥歯をかみ締め、据わった瞳で叫んだ。
 碧い瞳だけはそのままに、ヘリオールの姿が、最期の時を紡いでいた姿へと変貌する。
 白かった羽は腐ったような赤黒いものへ。ヒトとして肉を持っていた身体は、骨と皮だけが残ったかのような姿へ変貌していく。
「嫌だ……嫌だぁあ……!」
 ヘリオールは、何も見ないよう、自らの手で顔を被いつくす。ボタボタと爛れて落ちる羽が、床に黒い染みを作っていった。
 この染みはよくないものだ。ルミナスの心の中であるこの空間を染めつくしてしまったら、今ここに姿が見えている“ルミナス”ごと消えてしまう。
「ダメ……」
 千獣は駆け出す。
 何としても、彼の動きを止めなくては!
「あなたは、ここに、いては、ダメ……」
 飛んでくる黒い針は、末の弟達を追いかけていたものと同じ。触れば同じように千獣の身にも黒い染みを作る。それでも、止まれない。
「!!?」
 虚を突かれた様にヘリオールは瞳を大きくする。その隙に、千獣はヘリオールに組み付いた。
 運動能力的にはそこまで高くないようで、近づいてしまえばヘリオールは簡単に捕まってしまった。
「止めろ! 放せっ!」
「ヘリオールッ!」
 ルミナスは振り返りヘリオールに手を伸ばすが、ヘリオールが捕まった隙に飛び込んだサクリファイスが、ルミナスの身を持ち上げて二人の距離を離す。
「行かないで、ルミナス! 嫌だよ!!」
 ヘリオールの叫びに、ルミナスの眉根がきつく歪む。
 空を切ってしまった手を引き、ルミナスはぎゅっとその手を抱きしめるように身を丸くした。
「ごめん、なさい……アレスディアさん。僕は、誰かを傷つけたかったわけではないのです。僕は、助けたかった。守りたかった。ただ、それだけだったのに。僕は、彼を、見捨ててしまった! 償い……ああ、これは、そうかもしれませんね。ちっぽけな僕が、彼にできることなんて、これくらいしかなくて、僕は、ただ、彼を救いたかった……!」
「それ以上は何も言われるな!」
 現実世界では殆ど見せたことがない涙を、止め処なく流すルミナスに、どう声をかけるべきか分からない。ただ、謝られて彼の気持ちを知ってしまった以上、この怒りをもち続けることは出来なかった。
 その様子を見やり、自分が声をかけずとも大丈夫だろうと、コールはルミナスを通り越して、千獣に組み付かれているヘリオールを見下ろす。
「どうして!? どうして誰も僕と一緒に居るって言ってくれないの!!?」
 慟哭に似た叫びに、コールはただ目を伏せ“鳥籠”を持ち上げる。
「ヘリオール……君は、やりすぎた」
 掲げた“鳥籠”の扉が開く。
「嫌だ……嫌だ! もう、独りは―――」
 意志を持った力の塊と変わらないヘリオールは、“鳥籠”の中へと吸い込まれ、千獣の腕が床につく。
 暫くすると、天上から淡い光が零れ落ち、迎えの時間が来たことを示していた。











 アクラは、一度ゆっくりと息を吐くとあおぞら荘の入り口を開けた。
 その中は、出てきた時と全く同じ。奥へ行くにつれ複雑な階段が入り組んだかのような天地のない空間。勿論、ここに入居している人たちが、この“回廊”に入り込む事は無いよう、入り口で区別されている。
 アクラが掲げる、紅の賢者が作ったアーティファクト――天球儀。天球を象った模型のようなそれは、それぞれの輪が天体ではなく現実と幻想と時間を表していた。
 急速に廻る現実と時間の輪が、幻想でやるべきことが終わった事を意味している。
 アクラは力を解放する。すると、その場にコールを始め、一緒に行ったオセロットやアレスディア、千獣、そしてサクリファイスが現れた。
「コール、“回廊”を解除して」
 アクラはコールに短く告げる。コールは頷き、軽い手の動きだけで“回廊”を解除した。
 いつものあおぞら荘に戻り、ホールから伸びる廊下の奥、扉が開いたルミナスの部屋の中、見える2つの頭。
 あれは―――
 アクラは駆け出す。
 その後を、アレスディアとサクリファイスが追いかける。



 ルツーセは温かい光に包まれていた。
「ルツーセ」
「ルミ、ナス……?」
 出来るだけ安心させたくて、ルミナスは無理矢理笑顔を浮かべぎゅっとルツーセを抱きしめる。
「ごめんねルツーセ。痛かったですよね。本当にごめんなさい……」
「ヘリオール様は……?」
 静かに目を伏せたルミナスの顔を見て、ルツーセの瞳を溢れんばかりの涙が潤ませる。
「あたし、独りにしてしまったこと、分かってたの……」
 そして、堪えきれなくなり、その目から大粒となって零れ落ちていく。
「それはボクも一緒だよ……」
 部屋の入り口。ぎゅっと何かを堪えるように奥歯をかみ締めた、アクラが立っていた。
 癒しの力はアクラよりもルミナスの方が扱いが上手い。
 ヘリオールに触れられた部分が爛れていたルツーセの身体も、今では綺麗に癒えている。
「ルツーセ殿!!」
 ペタンと座り込んでいる状態のルツーセを、アレスディアは思わず抱きしめる。感極まった様子のアレスディアに、ルツーセは宥めるようポンポンとその背を叩く。
「ありがとうアレスディアさん。あたしはもう大丈夫」
 それでも、そう言って笑顔を浮かべたルツーセの顔は、少しだけ寂しさを含んでいた。
 アレスディアとルツーセの姿を、ほっとしたような表情で見つめるルミナスに、サクリファイスが声をかける。
「おかえり、ルミナス」
「ただいま……帰りました」
 今は、それ以上の会話は必要なかった。
 誰もが安堵した表情を浮かべ、ホールへと戻ってくる。その姿に、自然と胸をなでおろした。
 千獣は、くいくいっとコールの服を引っ張って微笑む。
「良かった、ね……」
「ああ」
 ルミナスは元に戻った。後は、この碧い光を留めた“鳥籠”を紅の賢者に渡すだけ。
「本当に、あなた達の世界の道具は不思議なものだな」
 オセロットは“鳥籠”を見つめ、思い返す。
 街に香に杖に鍵。そして――籠。
 見た目とは違う力を秘めたその力に、何度も遭遇してきた。
 もしかしたら、これからも遭遇する事もあるかもしれないが、対処ができないわけではない。
「いつも迷惑をかけてすまない」
 ふっと、肩をすくめるように笑って告げたコールに、
「いや、実に刺激的だよ」
 と、笑って返した。
 一同がホールでほっと息をついていると、勢い良く扉が開かれ、意識と視線が一気にそちらへ集中する。
「「あれ? 何かあった?」」
 双子のハーモニーが入り口から響く。
「何も?」
 誤魔化すつもりはないが、“今”はもう何も起きてはいない。
「あら、どうしたの?」
 入り口で止まってしまった双子をせっついて、中に入ってきたのは―――
「あら、兄さんじゃない」
 この世界に、兄弟たちを探しに来た、コールの妹であり、双子やライムの姉である女性。
「カナリー?」
「嘘! ルミ兄様!!」
 コールとルミナスではあからさまな程の態度の違いに、コールはどうしたものかと、近くにいるオセロットに目配せする。だが、視線を向けられても、オセロットには何もする事はできない。
「……兄弟、会えて、良かった、ね」
 千獣は、どこかほっとしたような笑顔を浮かべているカナリーに声をかける。
「ええ、本当に」
 ありがとう。と、カナリーは千獣の顔に手を当てると、軽くその頬にキスをする。
 久方ぶりに揃った兄弟たちの姿を見つめ、ルツーセは思い出したようにはっとしてアレスディアに視線を移す。
「ねぇ、アレスディアさん。あのこと覚えてる?」
「うむ。勿論だ」
 兄弟が揃ったら、パーティでもしようって言ったこと。
 もう少し落ち着いたら、盛大にパーティをしよう。けれど今は、この時を静かに過ごしたかった。






















fin.









☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2872】
キング=オセロット(23歳・女性)
コマンドー

【2919】
アレスディア・ヴォルフリート(18歳・女性)
ルーンアームナイト

【3087】
千獣――センジュ(17歳・女性)
異界職【獣使い】

【2470】
サクリファイス(22歳・女性)
狂騎士


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 黒蛋白石の追復曲にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 ぶっちゃけ兄弟一人足りないんですけど、まぁ問題ありません。
 明確に捕まえるような行動をしていたのが千獣様だけだったので、何度かお怪我を負わせてしまってすいません。そのおかげでコールはやりやすくなりました。ありがとうございました!
 それではまた、千獣様に出会えることを祈って……