<東京怪談ノベル(シングル)>


a little little magic


■EP0■

「惚れ薬の香…だって?」
 そう聞き返すとカウンター席に座っていた年若の娘は両手を握り合わせ半ば陶酔した面もちで「はい」と元気よく応えた。ブロンドの長い髪を束ねる赤いリボンとそばかすが印象的な娘だ。
「出来ませんか?」
 尋ねる娘にエル・クロークは困ったように視線をさまよわせ店内をぐるりと一周巡らせてから娘に戻す。
「出来なくは…ないけど…」
 相手が自分を好きになる、そう思いこませる調香はそう難しくはないだろう、言うなれば催眠術の延長のようなものだからだ。
 ただ。
 何とも歯切れの悪いクロークの物言いに娘は立ち上がると、カウンターの向こう側にいるクロークに詰め寄るように身を乗り出して言った。
「ないけどなんですかっ!?」
 クロークは気圧されたように両手の平を彼女に向ける。
「えぇっと…」
 どこから説明したものか続く言葉を探しながら娘を見た。彼女の大きな蒼い瞳に既視感のようなものを覚えて、ふとクロークの頬が緩む。それはいつも彼が纏っている人当たりのよい微笑ではなく。
「えぇっと?」
 娘がきょとんとクロークを見返した。
「いや、何か懐かしいなと思ったんだ」
「懐かしい?」
 娘の疑問符にクロークはゆっくり頷いた。昔。どれくらい昔かもう覚えていないくらい遠い昔だ。
 やっぱり惚れ薬が欲しいと言ってきた少女がいた。娘よりもう少し濃いブロンドの髪を赤いリボンでポニーテールにしてそばかすをつけ蒼い目を大きく開いて笑う少女だったっけ。



■EP1■

「惚れ薬ですって?」
 彼女が驚いたように聞き返すと少女は「はい!」と縋るような目をして続けた。
「出来ますか?」
 不安げな少女の目が彼女の顔を覗き込んでいる。
 彼女はしばし「うーん」と間を空けてから「しょうがないわね」と笑った。「やった!」と小さく呟く少女に、彼女は「ただし」と付け加える。
「すぐには無理よ。材料が揃わないもの。薬草を採ってくるの頼んでもいいかしら?」
 尋ねた彼女に少女は当たり前とばかりに「もちろんです!」と頷いた。
「なら、地図と採ってきて欲しい薬草の絵を用意しておくから、明日、また来て頂戴」
「わかりました」
 そうして少女はポニーテールにした髪を揺らしながら浮かれたような足取りで帰って行った。


 ◇


 村の外れにある森の中で魔女殿は穏やかな暮らしに身を投じていた。
 この世界には数多の魔女がいる。その力や性格に応じて、彼女らは好んで戦いに身を投じたり、魔物の討伐に向かったりしていた。その一方で、村人の小さな願いを薬を使って叶える事を生業にしている者もあった。
 魔女殿もその中の1人だ。彼女は自然との調和を何よりも重んじ、強大な魔力を持ちながら、それを表だって使うことを嫌った。小さな怪我を治したり、病気の症状を和らげたり。日照りが続けば癒しの雨を、雨が続けば雲の切れ間を、ほんの少し作るぐらいだ。
 彼女は奇跡を起こしたがらない。何故なら彼女は魔法が万能ではない事を誰よりもよく知っていたからだ。人がそれに奢り溺れ終わりのない欲望に執着しないよう、彼女は必要以上の魔法を使わなかった。
 自然に身を委ね、極力自然に逆らわないこと、それが彼女だったのだ。たおやかで芯が強く信念を曲げる事のない女性だった。
 クロークを見つけクロークに“エル”という愛称をつけてくれたクロークの持ち主である。
「どうして痛みをとらないの?」
 病床に伏せる彼女にクロークは聞いてみた事がある。彼女の魔力なら痛みをとることも病気を治すことも、死を遠ざける事も容易に違いない。だけどその時にはもう彼女は自らの天命を受け入れていた。
 彼女はこう応えた。
「痛みは生きている証で生きたいという証だからよ」
 たとえばだ。肘を反対に曲げようとすれば痛いと感じる。痛みを感じなければ肘は簡単に折れてしまうだろう。生きるために痛みを感じる事は必要な事なのだ。痛みの強さは死への距離を表しているだろうか。それを彼女は噛みしめていたのだ。それが生きるという事だと。生きたいと願う気持ちに寄り添わせて。

 ――だとするなら、あなたを思って軋む歯車たちも、生きたいという証なのだろうか?


 ◇


「惚れ薬なんて本当に作るの?」
 クロークが不審げに尋ねたら今にもスキップを踏み出しそうなほど楽しげな彼女が当たり前のような顔をして応えた。
「もちろんよ!」
「それって不自然じゃない?」
 彼女は自然に逆らうことを嫌っている。
「どうかしら?」
 彼女はとぼけたように首を傾げてみせた。
「そもそも惚れ薬なんて一瞬だよね? 薬が切れたら終わりだよ」
「そうね。でも、彼女はほんの一時彼に自分を好いて貰いたいわけじゃないでしょ?」
「そうだよ」
「だから、解けない魔法をかけるの」
「……それって自然に反しないの?」
 彼女の言っている意味がさっぱりわからない。奇跡を起こしたがらない彼女が珍しく、誰かの意志をねじ曲げるような事を楽しげにやろうとしている事がクロークには信じられなかったし理解も出来なかった。
「それは…明日のお楽しみよ。私はこれから準備があるから…」
 そう言って彼女は懐中時計の蓋を閉じた。たとえるなら強制的に眠りにつかされた。だから、そこからのクロークの記憶は真っ暗になってただ時を数えていただけだ。



■EP2■

 目を覚ますと、というべきか彼女が懐中時計の蓋を開いたのは、というべきか、とにもかくにも朝になっていた。彼女の家の前には昨日の少女が立っている。
 彼女は昨日話していた通り少女に地図と薬草の絵を手渡した。それから、薬草採りは女の子1人じゃ危険だからと言って1人の男を呼び寄せた。クロークも知っている。隣村で八百屋をしている青年だ。でも、何故彼が呼ばれたのかはわからない。
 彼女は青年に必要となるからと言って斧とロープを手渡した。
 2人が森へと入っていくのをクロークはぼんやり見送った。
「2人の後をついていってもいいわよ」
 と彼女が促す。ついていけばわかる、とそんな口振りだ。
「もう、魔法は始まっているから」
 やっぱり意味がわからない。
 肩を竦めつつクロークは言われた通りに2人の後を少し離れて2人に気付かれないようについていった。
 2人は程なくして深い谷に着いた。谷を渡るのに吊り橋がある。
(こんな吊り橋…あったっけ?)
 クロークは首を傾げながら2人が渡るのを見守った。
 最初は吊り橋のロープを握りながら進んでいた少女の手がいつの間にか青年の服の裾を握っている。橋の半ばにさしかかった頃、強い風が吹いて、気付けば2人は手を握り合っていた。
 2人が渡りきるのを待ってからクロークは後を追うように吊り橋を渡った。時計の精である彼にとって、風による橋の揺れも高所による恐怖もわからなくて、どうして2人が手を握り合ったのか皆目検討もつかないまま足下を流れる川を見下ろしながら吊り橋を渡りきった。
 しばらく行くと、次に2人は野犬に出くわした。低く唸る野犬に少女を護るようにして青年が斧を振り回し追い払う。
 逃げていく野犬に緊張で青ざめていた2人の顔が互いにホッと安堵したように緩んだ。2人の頬が赤くなるのを、血流が戻ったからだろうくらいに思いながらクロークは木の上で2人を眺めていた。
 やがて、見下ろす高い崖の途中に目的の薬草を見つける。
 青年が採りに行こうとすると少女が止めた。自分が必要としているのだから自分が採りに行くと。
 少女は腰にロープを巻く。青年は彼女の命綱となるそのロープの端を木に結わい付けロープをしっかりと握りしめた。
 少女が崖をゆっくりと降りていく。中程に咲いている薬草を採った。青年がロープで彼女を引き上げる。
 満面の笑顔で「ありがとう」と薬草を掲げる少女に青年も優しい笑みを返していた。2人で大いに喜んで2人は満足げに来た道を引き返していった。
(あの薬草は確か…)
 ついていったけれどクロークは彼女の言った意味がさっぱりわからないまま2人の後を追うように帰った。

 ――魔法はもう始まっている?



■EP3■

 彼女は家の前で2人の帰りを待っていた。
 少女が差し出す薬草を受け取りそっと頭上に掲げると、まばゆい光を纏ってそれは、彼女の手の中の小さな小瓶の中へと吸い込まれる。
「さあ、出来たわ」
 彼女はそう言って少女に小瓶を差し出した。
「一体、何の薬なんだい?」
 青年が問う。
「え? あ…えっと…」
 言い淀む少女の代わりに彼女が応えた。
「これは幸せになる薬。だから、幸せにしたい人に贈ればいいわ」
 そう言って彼女は小瓶を少女の手に持たせる。
「そうか」
 青年は笑って頷いた。笑っているけれど、なんだか寂しそうに見えなくもない。
 少女は小瓶の中の液体と青年を交互に見やっている。もじもじ、と。それから意を決したようにそれを青年に差し出した。
「も、貰って下さい!」
「え? 俺? でも、それは君が…」
「いいんです。たくさん、助けてもらったから」
 早口に半ば押しつけるようにして少女は小瓶を青年に手渡した。
「……」
 困惑げに青年は手の中の小瓶を見つめて、助けを求めるような顔をして彼女を見た。
「幸せになって欲しい、ではなくて、あなたが幸せにしたいと思う人に贈ればいいのよ」
 彼女がそんな風に言った。
「俺が…幸せに…したい人…」
 彼はその言葉を口の中で小さく反芻している。
「な…なら俺は、これを君に貰って欲しいな…なんて…」
 視線をあちこち忙しなく泳がせながら彼が小瓶を少女に差し出した。
「え…?」
 少女が驚いたように彼を見上げる。
「あ…えっと…その…すごく頑張ってたし…その…ハハハ…」
 照れ笑いを浮かべ耳まで赤くして彼は頬を掻く。相変わらず目は泳いだままだ。羞恥が頂点に達し耐えられなくなったのか冗談に済まそうと息をついだ時。
「嬉しい!!」
 少女が彼に飛び込んだ。
「!?」
 それを驚いたように抱き留めて、彼は代わりに小瓶を手のひらから滑り落とす。地面で跳ねて小瓶は割れた。
「あ…」
 慌てる彼に、だけど少女は首を振る。
「もう、いいの…必要ないから…」
 それから彼を見上げてこう言った。
「だって幸せにしてくれるんでしょう?」
「え? あ…うん。俺でよければ」


 ◇


 2人が何度も礼を言って去り、クロークと彼女が残った。
「……あの薬草、ただの栄養ドリンクぐらいにしかならないよね?」
 クロークの言。
「ええ」
 魔女殿はあっさり肯定した。
「惚れ薬って…」
 しかも、それを2人はどちらも飲まなかった。
「だから2人が薬草を採ってきた時点で2人は魔法にかかってるのよ」
「……」
 確かに結果的にはそうなった。彼は彼女に惚れたのだ。だけどクロークにはよくわからなかった。ただ2人で頑張ってミッションをクリアしただけである。それがどんな効力をもっているのか。クロークが“吊り橋効果”なるものを知るのはこれより随分後のことである。
 とにもかくにも。
 彼女はクロークが“眠っている”間に、少女の思い人を調べ、その人となりを確認し、彼に約束をとりつけ、吊り橋と野犬と薬草を用意したのだ。
 そして魔力を使わず誰の心をねじ曲げる事もなく彼女は解けない魔法を2人にかけた。




■EP4■

「それで、出来るの?」
 思い出に浸っていたクロークの顔を不安げな娘の顔が覗き込んでいた。
「…うーん、しょうがないなあ…」
 深いため息を1つ吐いてクロークは諦めたように笑った。
「やったあ!」
 娘が両手を挙げる。
「その代わり、準備もいるし材料も足りないからね。材料採ってくるの手伝ってくれる?」
「もちろんであります!」
 娘は元気よく請け負った。

 昔を思い出したら、自分も使ってみたくなった。
 うまくいくかはわからないけれど、魔力を使わない、本当は誰にでも起こせる、解ける事のない小さな奇跡、小さな小さな魔法。
 呪文はこうだ。

 ――幸あれ、と。



■END■