<東京怪談ノベル(シングル)>


生きる力


 以前、私を拉致してくれたアセシナート公国の摂政殿を、思い出してみる。
 歩き方が、どこか妙だった。義足かも知れない、と私は思ったものだ。
 聞くところによると義足どころか、生身の部分の方が少ないという人物であるようだ。
 万物万事を「本来あるべき状態」に保つ水操師の使命に忠実たらんとするのであれば、私は彼を否定しなければならないのだろうか。
 足の不自由な人に「義足を使ってはいけない」と言うのが、水操師の使命であるのか。
 病人を、あるがままの状態に放置しておくのが、水操師の仕事なのか。
 例えば野生の獣であれば、動けぬほどの怪我をしたり病気に罹ったりしたら、そのまま死ぬしかない。それが自然すなわち「ありのままの状態」であるからだ。
 ここが人々の暮らす場所・聖都エルザードではなく、人里離れた密林かサバンナであったなら、このような男は死んで土に還るしかないのだ。
「放っておいて、もらいてえな」
 辛うじて聞き取れる声を発しながら、その男は咳き込んだ。微かに、血飛沫が散った。
 まだ老人と呼べる年齢ではない。中年、いや初老か。
 中途半端に残った頭髪は白黒まだらで、身体は痩せていながら弛んでいる。弛んだ皮膚は青白く、血色がほぼ失われている。
 死にかけた肉体が、暗い牢獄の粗末な寝台に横たわり、雑巾のような毛布を被せられているのだ。
 死刑を宣告されながら、病身のため執行されず、10年近くを生きながらえている男。
 身体は死にかけているが両眼はギラギラと得体の知れぬ力を宿し、鉄格子の向こう側から私セレスティアを睨みつけている。
「俺ぁ見ての通りの様だ、もう長くねえ。このまま死んじまった方が、世間の奴らぁ喜ぶだろうよ」
「それは、どうかな」
 私は、思うところを正直に述べた。
「世間の人々は確かに、君を早く死刑にしろ殺してしまえと大騒ぎをしているよ。ちょっとしたお祭りだ。このまま君が死んでしまったら皆、さぞかし寂しい思いをするだろうねえ」
「……消えろ、クソ女」
 男が、毒突いた。
「女の声なんざ聞いていたくねえ。俺ぁな、女って生き物が大ッ嫌えなんだ」
「だから、あんなに殺したのかい?」
 私は訊いてみた。
「君が殺したのは……まだ女とも呼びにくいような、年端もいかない少女たちばかりだ。大人の女性に相手してもらえなかったから、子供をはけ口にするしかなかったんだろう?」
「天国へいかしてやったのよ。おめえのようなクソ女になっちまう前になあ」
 この男は、最初の裁判で同様の台詞を吐き、被害者の遺族に殺されそうになっている。
 その後は身を守るための檻に入れられたまま2度、3度と裁判を受け、4度目の裁判で死刑判決が下った。
 執行されずに10年近くが経過して、今に至る。
 その10年間、もちろん私はソーンにいたわけではないから、全ては資料で調べ上げた事である。
 病のせいで、死刑を執行してもらえない男。
 治癒魔法を学び始めた私にとっては、格好の実験材料であった。
「君の病気を、治したい」
 私は言った。
「ああ、もちろん身体の病気をね。心の病の方は、恐らく神様でも治せないだろうから」
「よくわかってんじゃねえか。そうよ、俺を救える奴なんざぁこの世にゃいねえ」
 男が、また喀血をした。
「だから放っといてくれと言っている。俺はこのまま死んで腐って、クソみてえな世の中におさらばするのよ」
「なるほどね。死ぬ覚悟は出来ている、と」
 何よりも重要なのは、患者本人の生きようとする意志。
 医療漫画の、お約束である。
 ただソーンでは、回復・治癒系の魔法に関して、それと同じ事が言えるらしい。
 高位の僧侶・司祭や白魔術師といった、強力な治癒魔法の使い手たちが、この男を治そうとして、ことごとく失敗してきた。
 この男自身に、もはや生き延びようという意思がないからだ。治療を拒む心が強過ぎて、治癒魔法を全く受け付けない身体になってしまっているのだ。
 当然だ、と私は思う。病気が治れば、待ってましたとばかりに死刑が執行される身なのだから。
 私セレスティアの、水操師としての力をもってしても、この男を救う事は出来ない。
 彼は、病んで弱りきって自然死を遂げようとしている。今の状態こそが「本来あるべき」自然な有様なのだ。
 この男の肉体から病を取り除くには、治癒魔法による不自然な医療が必要なのである。
 そのためには彼に、まず治癒魔法を受け入れてもらわなければならない。治療を拒む心を、捨ててもらわなければならない。治りたい、という意思を持ってもらわなければならない。
 治った瞬間、死刑にされてしまう男にだ。
 私は言った。
「お前たちの子供……8人分、合わせて俺1人分の価値しかない命だ」
「……あ? 何だそりゃ」
「私が元いた国で、君と同じような事をしでかした男が吐いた言葉さ。法廷で、遺族に向かってね」
「ほう……そいつは、なかなか……」
 男の両眼が、ギラリと輝いた。
 話に乗ってきた、と私は思った。
「人を殺すのは、息をするのと同じだ……なんて台詞を吐いた男もいる。言っただけじゃなく実際300人以上を殺してもいる」
「300人、そいつは多過ぎるな。俺が殺したのは20人だが、どのガキも目一杯、可愛がって愉しんでやったぜ。息をするようになんて殺せねえよ。やっぱ1人1人、愛情を込めてやらねえと」
「その調子だ。君も何か名言を遺してみてはどうかな」
 殺人鬼の名言。
 かつて私が、シナリオ作りの合間などに、よく検索していた言葉である。
「誰もひどい目になんて遭っちゃいない、お楽しみが悲劇に変わっただけなのさ……なんてのもある」
「けっ。気取ってやがるな、そいつ」
「詐欺はしんどい、殺すのが一番面倒がなくていい」
「何を当たり前の事、したり顔でほざいてんだ! そいつはあああ!」
 血の咳をしながらも、男は激昂した。
 血色が、いくらかは良くなっているように見える。
「どいつもこいつも格好付け過ぎで話にならねえ! 人殺しまでやらかしといてよぉ、腐れ吟遊詩人みてえな事しか言えねえのか!」
「そう思うなら、手本を示して欲しいな。殺人鬼としての矜持と含蓄を感じさせる名言……死刑台の上から見物人に向かって、ぶちまけてごらんよ」
 言いながら、私は片手をかざした。
 男の体内で活発化しつつある生命力の流れが、五指と掌に伝わって来る。
 これを感じられるようになるまで、地味で面白味のない修業が必要ではあった。
 水操師ではない、いくらか不自然な事をしてでも人の肉体を癒す治療魔法者として、私は初歩を踏み出したところである。
 未熟な治癒魔法の、実験台になってくれる人間が、私には必要だったのだ。
 万が一、治癒に失敗して病状が悪化したとしても問題にはならない。そんな人間が。
「そのためにも、まずは……死刑台に上って大声を出す元気を、取り戻してもらわないとね」


「一体……貴女は、どんな魔法を使ったの」
 エルファリア王女が、驚き呆れてくれている。
「あれほど治療を拒んでいた人を、あそこまで回復させてしまうなんて」
「病は気から、という言葉がソーンにもあるのかどうかは知りませんが……まあ、要はその気にさせる事です。営業テクニックの1つ、なのでしょうかね」
 言ってから、私は紅茶を啜った。
「身体を治したい、という気にさえさせてしまえば、後はまあ難しくはありませんでした。人体が持っている、毒や病気への抵抗力……それを高めるのは、水操師の『あるべき状態を保つ』魔法と、根は同じようなものですし。元々、生命力の強い人でしたから」
 生命力の弱い人間に、人殺しなど出来るわけがないのだ。
「本当に……嫌というくらい、生命力の強さを見せつけてくれましたよ」
 死刑は、つつがなく執行された。
 死刑台に上って大声を出す元気を、あの男は取り戻したのだ。
 名言を遺す、どころではなかった。
 何人もの首斬り役人に取り押さえられながら、あの男は元気に泣き喚き、命乞いをした。
 治癒魔法を受け付けないほどに死を望んでいた男が、健康を取り戻した瞬間、生への未練と執着をも取り戻してしまったのだ。
 つまり、私のせいである。
 処刑に立ち会った私に向かって、あの男は、それは元気に罵詈雑言を吐いていたものだ。
 思い出すと喉が渇くので、私は紅茶を飲み干した。
 本当は黒山羊亭で、剣魚のクサヤ焼きか何かで一杯やりたいところである。
「……貴女には辛い役目を押し付けてしまったわね、セレスティア」
 エルファリア王女が言った。
「自分の助けた人が、すぐに死刑になってしまうなんて……」
「いいんですよエルファリア様。私、人助けをしたわけじゃないですから。あの男を、実験台にしただけです」
 涙を流せば、どんな悪党でも改心する、などと言われている王女である。
 無論そんなわけはない。現に彼女の涙をもってしても、あの男を救う事は出来なかった。
 あの男は改心も反省もする事なく、ひたすら怒り狂い泣き喚きながら見苦しく死んでいった。
 あれだけの事をしておきながら安易に反省してしまうよりも、むしろ潔いと言えない事もない。
「それに私、無意味な事をしたとは思っていません。自分の命は惜しまない、だから他人の命を粗末に扱ってもいい……そんな男にね、少なくとも自分の命の大切さだけは思い知らせる事が出来たんですから」
 言いつつ私は、あの男の死に様を思い返していた。
 爽快なまでに見苦しい、命乞いであった。ある意味、名言の域に達していたかも知れない。