<東京怪談ノベル(シングル)>
時に香りは闇を導く
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路地裏にあるこの店は、レトロアンティークな調度で統一された雰囲気のある店だ。年月を重ね、使い込まれた木製の棚に並ぶのは、香水にお香、香油に香炉やポプリに紅茶葉、紅茶葉を入れたお菓子に他にも……――驚くほど多種多様の品物が陳列されているが、それらに共通するのは『香り』に関わる品物だということ。
カランコロン……。
この店の店主、エル・クロークは恐らくドアベルがなるより早く、扉が開かれたことによる空気の流れの変化によって来客を察知していた。空気が動けば、香りも動くものだから。
「へぇ、いい感じの店じゃん」
無臭に感じても実は『香り』は存在する。クロークは扉を閉めて入り口で店内をぐるりと見渡した若い男に、柔らかい表情で声をかける。
「いらっしゃい、今日は何を――……ああ、あなたは初めての方だね」
「普段は通らない道を通ったら、偶然ここを見つけたんだ。しかし女の好きそうなものが沢山だな!」
その男性は20代半ばを過ぎたくらいだろうか。着ているものはどれも上質で、靴もきちんと磨かれている。整髪に使っているだろう香料の香りが強く感じられ、その香りに複数の香りがまとわりついた匂いがした。
香りに関するものを扱うこの店には自然と女性客のほうが多い。男性はひとりよりも女性の同伴で訪れることが多かった。それがこの男は尻込みもせず、堂々と店の扉を開けた。クロークは店内を見て回っている男性に赤い瞳を向けて静かにその様子を観察する。
「ふーん、定番の香水にポプリ、はー、菓子もあるのか」
「何か探してるのかい?」
クロークがカウンターの前から静かに問うと、男はそこまで寄ってきてカウンターにより掛かるように肘をついた。
「女へのプレゼントさ。へそを曲げさせちゃってね……今まであげたことのない、ちょっと変わったものを探してたんだ」
「気に入ったものはあったかい?」
「そうだな、定番は香水だな。香油も珍しがるかもしれん。菓子もつければもっと良いかなと思ったんだが……」
男はそこで言葉を切った。何か困ったことでもあるのだろうか。
「今まで幾つか香水をプレゼントしたことがあるんだ。それと違った香りがほしい。できれば香水と香油は同じ香りで」
「今まで彼女に送った香水の名前を覚えているかい?」
「それがなぁー……」
男は「はぁぁぁぁぁ」と深くため息を付いた。どうやら求められるままに幾つか香水をプレゼントした事はあるが、香りの名前など意識したことはないらしい。
「『この香水私のじゃない! どこで浮気してきたの!』なんて詰め寄られちまってなぁ……。移り香なんてよくあることだろ?」
「それじゃあなたの憶えている限りで構わないから、どこのどんな香水をプレゼントしたのか教えてくれるかい? どうしても思い出せなければ、あなたの記憶に残る香りに聞こう。よく使われている香りをいくつか試してみればいい」
クロークの言葉に男は嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「助かる! 恩に着る!」
「その言葉は無事にプレゼントが決まってからもらうことにするよ」
両手を合わせて拝むようにする男の姿に、クロークは笑いかけてみせた。
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男性からの心もとない情報を元に、クロークは彼の記憶にある香りを引き寄せていった。恋人に贈ったのならば、記憶にも強く残っているはず。香りをつけた女性と近くにいる時間も長いのだから。
香りは体臭と混ざり、新たな香りを作り出す。それを考慮の上で幾つかの香料を男にかがせて、クロークは候補を絞り上げた。
「今まであげたことのない香り、が希望だったね?」
「ああ」
「では、これなんかどうだろう?」
クロークが取り出したのは彼のオリジナルプレンド。プラックペッパーやオレンジ、ジャスミンやイランイランを使った、どこかスパイシーで、でも軽い甘さの香水。バニラの香りがほんのり後を引く。
「……ああ、なんだかすごく贅沢というか……ゴージャスなイメージだ。いいね、気に入った」
「ではこの香水と香油、あと紅茶のお菓子でセットにしてギフト用にすれば良いね? 香水瓶は希望のものがあればそれを使うこともできるけど?」
「なるべくゴージャスな見た目のやつが良いな。菓子は焼き菓子で」
「わかったよ。包装するからそこの椅子にかけて待っ――」
クロークの言葉を遮るように、男が両手を差し出した。片手を開いて、もう片手はピースの形にして。
「――それを7セット頼む。助かるよ。同じものを贈っときゃあ、他の女といる時もばれないだろ?」
「……すべて用意するのには、少し時間がかかるよ?」
どうやらこの男性には、『特別に親しい女性』が少なくとも7名はいるらしかった。
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その日は雨足が強く、もう今日は店を閉めようと思った頃だった。夜も更けてきた。店の外に出している看板を『CLOSE』にしようと扉を開けた時、傘もささずにこちらへ向かって走ってくる姿があった。
「あなたは」
クロークの店の軒先で足を止めて肩で息をするのは、確か1ヶ月ほど前に来た男性。香水と香油、焼き菓子のセットを7つ注文したあの男性だ。
「助けて、くれ……」
「とりあえず中に入って。そのままじゃ風邪をひくよ」
男性の表情は先日と違って硬い。困惑しているような、ひどく恐ろしい物を見たような、鬼気迫ったような――内面の動揺が顔に現れていた。
クロークは男を招き入れ、看板を『CLOSE』にした。男を喫茶スペースの椅子に座らせ、店の奥から持ってきたバスタオルを手渡す。のろのろとではあるが男が自分でバスタオルを使い始めたことを確認して、クロークは紅茶を入れ始めた。雨に濡れたのだから冷えているだろう。湯気の立ったカップを男の前において、クロークはその向かいに座った。
「一体どうしたんだい? 助けて欲しいって言ってたけど」
寒さからだろうか、震えていた男の動きが一瞬だけ止まった。その間も手の震えだけは止まらなかったことに、クロークは気がついている。
「……香りには心を落ち着かせる作用があるやつもあるんだろ?」
「もちろん、あるよ。香りを使ったセラピーがあるくらいだからね」
クロークは静かに告げ、男の瞳を覗こうと試みる。
「香りのこと、勉強したんだね」
「……ひとり、そういうのが好きな女がいて、聞きもしないのに勝手に喋ってたのを思い出しただけだ」
そこからしばらく、場は沈黙に包まれた。外で跳ねる雨粒の音が、嫌に大きく聞こえる。
「……恐怖を無くしたい」
どのくらい経った頃だろうか、男が重い口を開いた。考えに考えた末に、漸く絞り出したような言葉。ここに来るまでに考えたはずなのに、すぐに出てこなかった言葉をようやく絞り出したようだった。
「やるって決めたはずなのに、どうしても最後に小さな恐怖が邪魔をするんだ。その恐怖を無くしたい、なくさないとだめなんだ! 俺の明るい未来のために!!」
勢い良く男が立ち上がった拍子にテーブルが揺れた。カップの中の紅茶が少しこぼれ落ちた。クロークはそれを静かに布巾で拭き取り、そして揺らぐ男の瞳をじっと見つめる。
「それがあなたの望みなら、叶える手伝いをしよう」
クロークの口が、三日月のような弧を描いて笑みをかたちどった。
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クロークが男を連れて行ったのは、店の奥にある特別な部屋。普段は閉めきっており、商品を陽に当てないための倉庫として使っている。そこには様々な種類の香水瓶の収まる棚とランプ、そしてリクライニングチェアが一つ。
「座って」
導かれて、男は椅子に体重を預けた。小さく、椅子が軋む音が響く。
「全身の力を抜いて、目を閉じて、僕の言葉に耳を傾けるだけでいい。そう、深呼吸して……」
クロークの言葉に男が素直に応じる。その間にクロークは、選びとった香を焚き始める。
「聞かせて。あなたは何に対する恐怖を取り除きたいんだい?」
「……子どもができたから、結婚してくれと言われた。堕ろして欲しいと何度頼んでも金を積んでもあの女は首を縦に振らない」
広がっていくのは、甘い甘いミルクのような香り。
「俺は上司の娘との結婚が内々に決まってるんだ。出世して幸せな未来を掴むんだ。7人の女は、それまでの遊びのつもり……ちゃんと遊びの関係だと割り切ってる奴もいた」
「でも、彼女は違ったんだね?」
「ああ。結婚してくれないなら殺してやる――全部会社にぶちまけるって俺を脅してきた。もちろんそんなことされたら、俺の信用も未来も無くなってしまう」
砂糖由来ではない甘い甘い香りは、まるで母の腕に抱かれているよう。記憶をくすぐるのは母乳と、母親の匂い。
「だから、殺される前に殺すんだ。この手を震えさせる恐怖を、取り除いて――」
最初は荒かった男の言葉が、興奮がだんだんとおさまっていく。母親の香りは高ぶる彼の心を落ち着かせたのだろう。
「そう。じゃあもう一度、深呼吸をして。意識が遠のく感覚に、逆らわないで――」
ゆっくりと、クロークは数を数えていく。10から1つずつ、逆にカウントして、そして――。
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「行くのかい?」
「ああ。今なら、殺れる気がする」
店の扉を開け、クロークは男に一本の傘を差し出した。
「また濡れてしまうからね。返すのは『次』でいいよ」
「ああ、恩に着る」
茶色の傘を開き、男は雨の中、まっすぐと目的地に向かって歩んでいく。
あの傘は、きっと返ってこないだろう。クロークはその予感が八割方当たるだろうと思っている。
母親の香り。腕に抱かれた記憶で恐怖を安堵へと変えた男は、母親になろうとしている女を殺しに行くのだ。
男の願いを叶えれば、きっと誰かが不幸になる。クロークとてそれはわかっている。けれども彼は、善悪よりも顧客の満足度を優先するのだ。たとえそれが、闇色の願いでも。
恐怖を無くしたい、それが彼の望みだったから。だからクロークは、その望みを叶えた。
これから彼がどんな道を征くのかはわからない。
(皮肉な香りを選んでしまったかな?)
そう思いはしたものの、クロークは顧客の満足以上のことに関心はなかった。
【了】
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
【3570/エル・クローク/無性性/18歳(実年齢183歳)/異界職】
■ ライター通信 ■
この度はご依頼ありがとうございました。お届けが遅くなりまして申し訳ありません。
初めてかかせて頂くので、とても緊張いたしました。
同じお題でかかれたお話がいくつかあるとのことでしたが、すべてを読むのは無理でしたので、いくつか読ませていただいたうえで執筆させていただきました。話の運びがかぶっていないことを祈りつつ。
個人的なことですが、以前、香りを扱うNPCを何度も扱っていたため、クローク様のご職業にはとても興味と親近感を覚えました。
とても楽しくかかせていただきました。
少しでもお気に召すものとして仕上がっていることを願いつつ。
この度は書かせていただき、ありがとうございましたっ
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