<東京怪談ノベル(シングル)>
賞金首
それは突然だった。
空には大きな満月が浮かび、黒い雲がかなりの速さで流れていく。辺りは湿った空気に包まれ、そして吹く風は異様に生暖かい。
常人ならば不気味がって外へ出る事はしないだろう。実際、街を歩く人の姿は全くと言っていいほどなかった。
いつもならば開いているはずの酒場もなぜか今日はやっておらず、入り口は固く閉ざされている。
街灯もまばらな街中を、靴音を響かせながら歩く一人の男性がいた。
夜の闇に紛れるかのように、身に纏う物もまた黒くその背に生えた大きな翼は、闇の色よりも黒い漆黒の翼。
彼の名は、ブラッキィと言う。
ブラッキィは真っ直ぐに夜の闇が包む街中を歩いていると、ふいにどこからか狼の遠吠えが聞こえてきた。
「……」
何気なく足を止め、遠吠えの聞こえた方へと顔を上げた瞬間、ザザザザ……ッと背後で何かが蠢く音が聞こえてくる。
その音は徐々にブラッキィに近づき、彼が背後を振り返るのと同時に目の前で白銀の一閃が走った。
「!」
寸でのところでかわしたブラッキィの髪の毛の先が、僅かに空中に散る。そして自分を襲った人物の姿を捉えた。
男は手にした剣を再び振り翳し、ブラッキィを再び切り付ける。
ヒュッと空を掠める音が響き渡り、相手が剣を振り下ろした瞬間に柄を握る手首を思い切り叩きつけ、武器を手放させる。
「うっ……!」
男は小さく呻き、叩きつけられた反動で手を離した武器はカラカラと音を立てて地面の上に弧を描きながら滑って行った。
痛む手首を押さえながらその場に膝を着いた男に、ブラッキィは冷めた眼差しで睨むように見下ろす。
「……何の真似だ」
不機嫌そうに訊ねると、しゃがみこんでいた男はきゅっと下唇を噛み締めながらブラッキィを振り仰いだ。
「……あんたを殺せば、賞金が手に入るんだ!」
「賞金?」
ピクリと眉を動かして訝しげに彼を睨みつけると、男はビクッと体を震わせた。
「し、知らないのか? 自分の首に賞金がかけられてるって……。街中あんなに張り紙が出てるのに」
「……知らねぇ。そもそも俺が賞金をかけられる覚えはねぇな」
ぶっきらぼうに答えると、男は眉根を寄せながら視線を下げた。
「冗談だろ……」
「そう言うお前は何なんだ? 賞金稼ぎか?」
「……そうだ」
そこまで言うと、男は持っていた張り紙をブラッキィの前に差し出し、疑いの目で見上げてくる。
「これはあんただろ?」
「……」
ブラッキィは張り紙に書かれている絵を見て、不機嫌そうに顔を顰めた。
張り紙に描かれているのは間違いなく自分。いや、自分そっくりの誰かだった。
一体誰がこんな物を……?
考えても出てくるはずのない答えに、ブラッキィは小さく舌打をする。
「これは俺じゃねぇ」
「じゃあこいつは誰なんだ? あんたにそっくりじゃないか。毎夜、自分の意にそぐわない奴を“静粛”だと言って殺害しているシリアルキラーじゃないのか?」
「俺がどうしてそんな事をしなけりゃならねぇんだ? そんなん知らねぇよ」
ブラッキィは苛立った様子で張り紙をグシャリと握り潰すと、男の方へと投げ返した。
「どこのどいつだか知らねぇが、俺が直々にこの賞金首とケリをつけてやる」
ブラッキィは吐き捨てるようにそう言うと、くるりと踵を返してその場を離れた。
自分を陥れようとしている賞金首を捜すべく、ブラッキィは民家の屋根の上に立っていた。
10cmほどの黒曜石で作られた梟の形をした彫像を取り出すと、それを無造作に宙へと投げやる。するとそれは梟そのものに具現化し、閉じていた翼を広げて空へと舞い上がった。
暗い夜の闇の中を、音もたてず滑るように飛び去るスコープバードは、地上にいるはずの賞金首の行方を探していた。
屋根の上にいるブラッキィは梟と意識を同調するべく瞳を閉じて、梟の視線で地上を見下ろしていた。
人影の無い街中。誰か一人でもいるのならすぐにでも見つかりそうなものだが、それらしき人物は見当たらない。
なかなか見つからない事に半ば苛立ちを隠しきれなくなり始めた頃、通路の裏路地の暗闇に蠢く物を発見する。スコープバードをその近くの民家に止まらせ、蠢くものを見つめると自分にそっくりな人物が暗闇から姿を現した。
「……いた」
ブラッキィはすぐに翼を広げ、空へと飛び上がる。
「!」
裏路地まで飛んでくると賞金首はギョッとしたように目を見開くが、その次の瞬間には鋭い眼光でブラッキィを睨みつけてきた。
ふわりと彼の前にブラッキィが降り立つと、賞金首はすぐさま剣を抜き去り襲い掛かってくる。
相手の持つ武器のリーチを考え、ブラッキィもまた同様に剣を抜くと振り下ろされた剣をそれで受け止める。
「……っち」
力はほぼ互角。
ギリギリと刃こぼれするかのような音をたて、重なった剣が鳴く。
圧され気味だったブラッキィは力いっぱい相手の剣を押し返すと、ジャッ! と暗闇に火花が散る。そして押し返された賞金首は後方へ飛び退いた。
「どんな理由があるのか知らねぇが、勝手に人の顔で遊んでんじゃねぇっ!」
ブラッキィは若干息の上がったまま、自らのメインウェポンでもある大きな鉈を手に持ち替え賞金首に襲い掛かる。
闇の中に耳障りな金属の音と火花が幾度となく響き渡った。
互いの力はあまりに似すぎていて決着がなかなかつかない。賞金首もブラッキィも、共に息が上がっていた。
そろそろ決着を付けたい。
そう思い、ブラッキィは手にした鉈をきつく握り締める。
こちらから切りかかろうとするよりも一瞬早く、賞金首が再び切りかかってくる。
ブラッキィは相手の武器が自分に降り注ぐ刹那まで引き寄せ、ふっと彼の視界から消え去った。
「!」
賞金首が驚いたように顔を上げるが早いか、ブラッキィは彼の背後に回りこみ手にしていた鉈を大きく振り下ろす。
ゆっくりとと膝から地面に足を着けた賞金首は、ぐらりと体を揺らめかせ前のめりに倒れこみ、地面の上に血の海を作り出す。
ようやく着いた決着に、返り血を浴びたブラッキィは肩で大きく息をついた。
賞金首が倒れ、ブラッキィを最初に襲った人物からの疑いは晴れ、謝罪をされた。
立ち去っていく彼の姿を見つめながらブラッキィはふと思う。
「……自分も一歩道を誤れば、同じ事をしていたかもしれない」
と、静かに内省するのだった。
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