<東京怪談ノベル(シングル)>


背徳の罪は氷の中に


「ダラダラとまあ……よく続くわねえ、あたしたちも」
 エスメラルダが言った。レピアは、聞こえないふりをした。
 夜毎の踊りが終わると、こうしてエスメラルダを求めてしまう。
 彼女も、それに応じてくれる。まるで、じゃれつく犬をあやすようにだ。
 事が終わると、2人でこうしてベッドの中で罪悪感に苛まれる事となる。
「あたし……ねえ、思うんだけど」
 エスメラルダが、たおやかな両腕を絡めてくる。レピアは、聞こえないふりをしていられなくなった。
「王女様には、とっくにバレちゃってるんじゃない? 何か、とんでもない復讐を考えておられるような気がするのよね」
「そ、そんな事ない……と、思いたいけど」
「あたし、そのうち捕まって処刑されちゃうかも……ふふっ。そんな、わかりやすい事をなさる御方でもないかしらね」
 レピアは断言出来る。あの王女が、エスメラルダに危害を加える事など絶対にあり得ないと。
 だが、何やらもっと恐ろしい事になりそうな気はする。エスメラルダとレピアの関係を、本当に知られているのならばだ。
「ねえレピア。貴女ずっと前、酔っ払って変なお話してたわよね? 自分は実は800年以上も生きている呪われた踊り子だ、とか何とか」
「ああ……ひどい酔っ払い方だったね」
 今はもう、呪われた踊り子ではない。咎人の呪いは解けたのだ。
「それが本当だとしたら……レピアったら、大昔から同じ事してるんじゃない? あたしや王女様が生まれる、ずっと昔から、いろんな女と」
 いくらか物憂げにエスメラルダは細腕を伸ばし、ベッド脇の小物台に置いてあったものを手に取った。
 1冊の、古びた書物。
「ガルガンドの館で見つけたの。本なんて、借りてまで読む方じゃないけど……その挿絵を見ちゃったら、ねえ?」
 レピアは受け取り、ぱらぱらとめくってみた。
 書かれているのは、古代語の文章である。エスメラルダでは読めないだろう。これを読めるのは、専門の学者だけだ。
 どうやら幻想小説の類であろうという事は、挿絵を見れば判断がつく。
 レピアが、描かれていた。
 様々な場面でレピアが、何人かの女性と睦み合っている。
「レピアの、ご先祖様のお話かも知れないわね」
「いや……ご先祖様、って言うか……」
 咎人の呪いが、解けた。
 それと共に、封印されていた様々な記憶が蘇ってきている。
 それらの中には、こうして物語として記されているものもある。
「これ……あたしだよ」


 優美な肢体に、青い薄手のドレスをまとわりつかせている。
 涼やかな気品を漂わせた、美しい娘である。
 だが、氷竜は一目で見抜いた。
「お前……王女ではないね」
「…………」
 王女、に化けた何者かは応えない。青い瞳で、氷竜の白い巨体をじっと見上げるだけだ。
 とある王国の、最北端の地方。氷竜が支配する、極寒の領域である。
 王国は氷竜の力に抗いきれず、極寒の領域は徐々に南方へと拡がりつつあった。
 緑なす豊かな王国が、今や氷雪の白さに埋め尽くされかけている。緑の実らぬ、死の白色に。
 国王としては、生贄を差し出して氷竜に許しを請うしかなくなってしまったのだ。
 そして今日。氷竜の住まう洞窟に、生贄が送り込まれて来たところである。
「私はね、生贄として王女をよこせと言ったんだ。だけど、お前は王女ではない……姿形は確かにそっくりだ。けれど私はお前から、王女にはない強靭な生命力を感じ取ってしまう」
 脅して聞き出す必要もない。見ればわかる。
 この娘は、自分と瓜二つの王女を救うために身代わりとなったのだ。国王の命令によって、ではなく己の意思で。
 命令で動く者、としては有り得ない強さが、その青い瞳には漲っている。
「偽物で騙されてくれる、などと思われているとはね。私も舐められたものだ。この王国を即座に、雪と氷と霜だけの美しき死の世界に変えてやりたいところだが……お前、身代わりとは言え私のもとに来たのなら、私のために何かしてごらんよ」
 氷竜は牙を剥き、微笑んで見せた。
「それで私を愉しませてくれたら……この国を凍り付かせるのは、ひとまず思いとどまってあげるよ」
「…………」
 偽の王女が、ゆらりと細腕を掲げた。
 その瞬間、音楽が聞こえた。
 奏でている者など誰もいない。だが確かに今、氷竜の頭の中に、音楽が流れたのだ。
 笛の音に似た、静かで悲哀に満ちた調べ。
 偽王女が、ふわりと細身を翻す。形良く伸びた脚が、しなやかに跳ね上がる。
「……なるほど、踊り子か」
 音楽を奏でている者などいない。だが、音楽が聞こえてしまう。
 存在しない音楽を感じさせる舞を、偽王女は披露していた。
 自分の身体がいつの間にか縮んでいる事に、氷竜は気付いた。
 白い竜の巨体が、ほっそりとした人間の女の姿に変わっている。雪のような純白のローブに細身を包んだ美女。
 人間という種族に何かしらの興味を抱いた時、意識せず、この姿に変わってしまうのだ。
 踊り続ける偽王女の肢体を、絡め取るように捕えながら、氷竜は問いかけた。
「お前……名は?」
「……レピア・浮桜」
 王女に化けた踊り子が、ようやく言葉を発した。
「ではレピアよ、これからも私を愉しませろ。悦ばせろ」
 踊り子の優美な細身に白いローブをまとわりつかせながら、氷竜は命じた。
「私がお前に興味を失った時……その時がすなわち、この国が凍り付いて滅びる時だ。心して、私に尽くすんだよ」


 レピアは、氷竜の奴隷となった。
 と言っても、酷使されていたわけではない。
 人間の世界においてもそうだが奴隷とは、主人にとっては大切な財産なのだ。
 物として、レピアは氷竜に愛された。大いに愛玩された。
 昼間は、レピアは氷竜に尽くした。身の回りの世話をしつつ、命ぜられれば踊りを披露した。
 夜は、ある意味においては氷竜の方がレピアに尽くしてくれた。
 人間の美女となった氷竜の、愛撫が、口づけが、レピアを幾度も快楽の絶頂へと導いた。
 ある時。レピアは絶頂に至ったまま、氷の中に閉じ込められた。
「そろそろ飽きてきた。お前をしばらく冷凍保存しておく事にする……100年くらい経って、久しぶりにお前を可愛がってやろうって気になれたら、まあ解凍してあげるよ」
 冷たく嘲笑いながら、氷竜は告げた。
「それまで……ふふふ、氷の中で何度も何度も達し続けるがいいさ」


 100年も待つ必要はなかった。
 50年目で、レピアは氷の中から解放された。
「大丈夫? ……ではなさそうだけど、生きているようね。ほら、しっかりして」
 優しい言葉と抱擁の中で、自分の冷えきった身体が少しずつ体温を取り戻してゆくのを、レピアは感じた。
 棺のように自分を閉じ込めていた氷が、消え失せている。
 砕かれたのではなく、溶けたのでもない。融解という段階を経ずに、消滅したのだ。
 氷を発生させた魔力の根源……すなわち氷竜が、この世から消えた事を意味する現象であった。
 レピアを膝の上で抱き起こしてくれているのは、1人の女性だ。
 しなやかな身体つきが、甲冑の上からでも見て取れる、恐らくは騎士階級の女性。
 凛々しくも優しげな美貌が、にっこりと微笑んでいる。
「もう心配ないわよ。自慢するわけではないけれど、氷竜はあたしが倒したから……って、ちょっとちょっと」
 レピアは、恩人である女騎士に抱きついていた。抱きつきながら身を起こし、押し倒していた。
 美しい女性は、抱いて愛でるもの。押し倒すもの。
 半世紀間、絶頂のまま時を止められていたレピアの肉体は、もはやそのようにしか動かなかった。


「思い出した! 思い出したよ、エスメラルダ」
 レピアは跳ね起き、エスメラルダを抱きすくめてベッドに押し付けた。
「あの時、あたしを助けてくれたのエスメラルダだったよね!」
「そ、そんなわけないでしょう。ちょっと、駄目だったら」
 あの時と同じだ。
 エスメラルダと瓜二つの女騎士も、あの時、押し倒されて戸惑いながら、結局はレピアを受け入れてくれたものだ。
「ねえレピア……貴女、問題を先送りにしてるでしょ?」
 身体の下からエスメラルダが、ゆっくりと細腕を回してくる。苦笑しながらだ。
「まあ、ね……こんなふうに流されちゃう、あたしもあたし。2人して王女様に、死刑にされる? それも、いいかもね」