<東京怪談ノベル(シングル)>


もの書く人々


 魔本の製作・販売は、聖獣王によって禁じられている。
 当然と言えば当然か、とレピアは思う。何しろエルファリアが一時期、魔本遊びにのめり込んで、何度も危険な目に遭ったのだ。
(……って、あたしも一緒に遊んでたんだけどね)
 禁じられたものの即売会が、しかし取り締まられる事もなく行われているらしい。
「権力で取り締まる事が出来ぬほど、この世には魔本作家が大量に湧いておるという事じゃよ」
 魔法の羊皮紙に魔法の羽ペンを走らせながら、女賢者は言った。
「禁じられても……否。禁じられるほどに、やめられない止まらない。物書きというのは本当に度し難い輩でのう」
「……あたしたちは、物書きじゃないんだけど」
 800年以上、レピアは生きてきた。古代王国における魔本の全盛期を、見て知っている。
 だからと言って魔本の製作に関して何か知識を持っている、わけではないレピアであったが、エルファリアと共に魔本製作を手伝う事になってしまった。
「いやあ、すまんのう。冗談抜きで原稿落とすところだったんじゃよ」
「いえいえ。賢者様には日頃、お世話になっておりますから」
 にこやかに応えながらエルファリアが、魔法の羊皮紙に様々なものを描き込んでいる。さらさらと、驚くほどに手際良く。
 筆力、画力、魔力。魔本作りには、この3つの力が欠かせぬものであるらしい。
 自分はどうか、とレピアは考えてみる。
 もともとシャーマン見習いであったから、魔力はない事もない。
 他の2つに関しては、壊滅的であると言わざるを得ない。
「レピアは根っからの体育会系じゃからのう」
 外見は幼い少女、中身は500年以上を経た老婆である女賢者が、魔法の羽ペンを走らせながら笑う。
「踊り以外の芸術に関しては、アレなんじゃよなあ。ほれ、こないだの絵は実に傑作じゃったもの」
「失礼な事をおっしゃらないで下さい」
 エルファリアが、レピアを庇ってくれた。
「レピアが、あんなに上手にクラーケンを描いたのに」
「えーとね、エルファリア……あれ、ドラゴンを描いたつもりなんだけど」
「……賢者様、ここの背景は掛け網でよろしくて?」
「ああ、いやベタフラ貼り付けといてくれればいいぞい」
「……まあ、いいんだけどね。はい、お茶」
 今この場でレピアに出来るのは、茶を淹れる事くらいであった。


「はい2列に並んで下さぁーい。ほらそこ、走らない走らない」
「はーしーらーないでくださぁい。並んで並んでー」
「おら走るなっつってんだろがこの糞オタクどもがあああ!」
 係員のリザードマンやトロールが、怒号を発している。
 聖都エルザードの、とある区画の地下。いくらか非合法な催し物が、頻繁に行われる場所であるらしい。
 今は、市場が開かれている。
 売られるのは、大半が書物である。このような場所でしか売れない、違法な書物。
「すなわち魔本よ。年に2回の、魔本即売会……レピアは、あれかの。長生きしとる割に、こうゆう所は初めてのようじゃな」
「……こんな市場が、形成されていたなんてね」
 レピアは、会場を見回した。
 魔本を売る準備をしている者たち。買うために並んでいる、並ばされている者たち。
 売る側も買う側も、その大半が、賢者と呼ばれる人種であるらしい。
「賢者って、もうちょっと希少価値があるもんだと思ってたけど……一山いくらって感じに集まってるねえ」
「なんちゃって賢者が多いからのう昨今は。嘆かわしい事じゃて」
 言いつつ女賢者が、用意された机の上に魔本を並べ積み上げてゆく。エルファリアが執筆を手伝い、どうにか完成した新刊である。
 その1冊を、レピアは手に取った。
「何これ……こんな薄い本、この値段で売るの? 詐欺じゃないの?」
「売れるんじゃよ、この値段で。そういうものなんじゃ、この会場の空気というのはのう」
「確かに、独特の空気が流れているようですね。この即売会という催し物は」
 エルファリアが言った。
 レピアと共に、執筆だけでなく販売の手伝いまでする事になってしまったのだ。
「私、何だかわくわくしてきました。頑張って売り子を務めましょうね、レピア」
「ま、あたしは作る段階じゃ全然役に立ってなかったからねえ。出来るだけの事はするけど」
 レピアは自分の格好を見下ろし、エルファリアの格好を見つめた。
 2人とも、ドレスとエプロンが一緒くたになったようなものを着せられている。頭には、カチューシャを装着させられている。
 フリルが多めの、いわゆるメイド服であった。
「……ここまでやる必要、ある?」
「大有りじゃとも。まあ見とれ、開幕と同時に始まるからの」
 開幕を告げる鐘が、鳴り響いた。
 途端、賢者たちが殺到して来た。
「新刊! 新刊下さい!」
「うおおおお情報通り! 王女様来た、傾国の踊り子キター!」
「降臨! 降臨! 神降臨!」
「新刊10冊下さい! あっいや転売とかしないッスよぉ。そのメイド服見たらぁ、そんくらい買わなきゃって気になっちゃうんスよぉ〜」
 賢者たちの発する不快な熱気に圧され、レピアは悲鳴に近い声を発していた。
「ち、ちょっと! こいつら何で、傾国の踊り子なんて知ってんの!」
「まあ一応、賢者という連中じゃからのう」
 女賢者が、暢気な声を出した。
「この連中にとって傾国の踊り子というのは、伝説の女神にも等しい存在なのじゃよ。一方、エルファリアは普通に民の目に触れて生きとる女神じゃな。伝説の女神と今に生きる女神が、メイド服着て売り子をやると。それとなく前情報を流しておいたんじゃが……いやあ、ここまで食いつくとはのう」


 山と積まれていた魔本が、午前中に消えて失せた。
「完売……ですね。おめでとうございます賢者様」
 エルファリアが、いくらか疲れたように微笑んだ。
 女賢者が、売上金を数えながら若干、難しい顔をしている。
「ううむ。おぬしらが売り子をしてくれたのなら、もう少し値段高くしても良かったかのう……いやいや。同人魔本で儲けを出そうなどと考えるものではあるまいて」
「儲けてる人も、いるみたいだけど」
 少し離れた所で行列を成す賢者たちを、レピアはちらりと見やった。
 最後尾が見えない。見たところ全員、開幕から並んでいる。
「うっぐ……あ、あやつじゃよ。あやつ」
 行列の発生源に、女賢者がギロリと視線を向ける。
 もう1人の女賢者が、5人もの売り子を従えて、にこやかに魔本を売りさばいていた。
 かつてエルファリアから名前を奪った女賢者。レピアが、1度は命を狙った相手である。
 さっさと午前中完売を達成してしまった、こちらの女賢者を、売上においても頒布量においても圧倒している。
「わっわしがのう、あんな地下迷宮でひっそり暮らしておると言うのにじゃ。あやつと来た日には、エルザード王宮みたいな同人御殿を何軒もおっ建ててやがってのう。あ、あんなのがおるから皆、変な夢見て同人魔本で人生台無しにしたりするんじゃ!」
「あんたみたいに?」
 ぎりぎりとハンカチを噛んで悔しがる小さな女賢者の頭を、レピアは撫でてやった。
 そうしながら、かつて本気で命を狙った相手を、じっと見据える。
 先方が、こちらに気付いたようだ。接客をしながら、にこりと微笑みかけてくる。
 彼女の既刊を、こちらの女賢者が持っていたので、レピアは1度遊んでみた事がある。
 当たり障りのない、どうという事もない、よく言えば万人受けする内容であった。
 そんなものがしかし、開場前から人が並ぶほど売れているらしい。
「……あんたの作品と、どう違うのか。ちょっと確かめてみようか」
 こちらの新刊を1冊、レピアは手に取った。
 エルファリアが献本された、と言うか押し付けられたものである。
「あっちと比べて売れてない理由……あたしなりに、調べてあげるよ」


 エルファリアが、崩壊してゆく。
 否、エルファリアではない。レピアがたった今、魔王の手から救い出したばかりの王女である。
 エルファリアと瓜二つの、その美しい姿が、ぐにゃぐにゃと歪み崩れながら膨張し、巨大なスライムの如く襲いかかって来る。そして叫ぶ。
「同人魔本で万人受けを狙ったら駄目なんじゃよぉおおおおおお」
 一緒に来てしまった本物のエルファリアの手を引きながら、レピアは走った。ひたすら逃げた。
 魔王の城が、崩壊を始めている。
 同じく崩壊した王女が、落下する瓦礫を蹴散らし、追い迫って来る。無数の触手を、レピアとエルファリアに向かって激しくうねらせながら。
「商業作品と違うんじゃから! もっと己の趣味を、本能を、解き放つんじゃよこんなふうにぃいいいいいい」
「黙れ馬鹿! 自分の趣味丸出しのものなんて売れるわけないだろ!」
 逃げ惑うレピアとエルファリアに、もはや王女か女賢者かわからぬ怪物が津波のように迫る。
「売れる事考え始めたら、物書きはおしまいなんじゃよ。自分の中のもの全部、紙の上にさらけ出してのう、ついて来れる者だけついて来い、それが作家の道! あぁんでもやっぱ売れるようになりたいんじゃよおおおおおお」
 無数の触手が、激しく嫌らしく迫り来る。
 エルファリアを抱き上げ、跳躍しながら、レピアは叫んだ。
「ああもう、本当に最ッ低の生き物だよ物書きってのは!」