<東京怪談ノベル(シングル)>


傾国の踊り子エルファリア


「いやあ、今回は大助かりじゃったよ」
 幼い少女が、やけに年寄りじみた挙措でお茶をすする。
 150回を超える若返りを実行した結果、こうして幼女となった女賢者。
 彼女の住処である地下迷宮に、エルファリアはいた。以前この女賢者に借りていた古文書を、返しに来たところである。
 そのついでに、茶を振舞われている。
「すまなんだのう。一国の王女に、魔本作りの手伝いなどさせてしもうて」
「魔本作りよりも、即売会よりも、その後の方が大変でしたけれどね」
 いくらか疲れたように、エルファリアは微笑んで見せた。
 女賢者は茶をすすりながら、聞こえぬふりをした。
「何か、お礼をせねばならんのう」
「いえ、そんな……賢者様には、お世話になっておりますし」
「そう言わんと。何ぞわしに、おねだりしてみてはくれんか」
 女賢者の方が、おねだりをするような口調で言った。
「わし、もっともっとエルファリアの役に立ちたいんじゃよ。どうじゃ? レピアめがまた難儀な事やらかしてはおらぬか? わしが何でも解決するから安心せい」
「どちらかと申しますと、私の方が……厄介な事態を引き起こして、レピアに迷惑をかけてばかりですから」
 エルファリアは俯いた。
 レピアに関する私的な願望が、ないわけではない。
「このような事……本当は、許されないのでしょうけど……」
「おお何じゃ言うてみい。どんな不道徳なお願いでも、叶えて進ぜるぞよ」
「……レピアの……過去を……」
 この女賢者は以前、夢の中で、レピアの過去を見せてくれた事があった。
「見せては、いただけませんか? 賢者様の御力で」
「……辛い思いをするぞ」
 女賢者が、いささか難しい顔をした。
「そなた、あやつの事は何であろうと、己が事のように受け止めてしまうからのう」


 頭の中で、音楽が流れている。
 その音楽を、この女性も聴いている。エルファリアは、それを確信していた。
 踊る者、それを観賞する者。両者が、1つの音楽を共有しているのだ。頭の中でしか奏でられていない音楽を。
「素晴らしい……とても素晴らしいわ、踊り子エルファリア」
 女性が、涙を流しながら手を叩いてくれた。
 とある王国の、王妃である。
 その私室にエルファリアは招かれ、請われるままに舞いを披露していた。
 青い薄衣を巻きつけただけの優美な肢体を、エルファリアは恭しく跪かせた。
「お目汚しで、ございました……」
「何を言うの。私は貴女に、お詫びをしなければならないわ」
 上質の布で涙を拭いながら、王妃は言った。
「殿方を、身体で悦ばせるだけの存在……私ったらね、貴女がた踊り子という人たちを、そんなふうに見ていたのよ」
「殿方だけではなく女性の方々にも、お子様たちにも、喜んでいただける舞いを……目指しております。修行中の身ではございますが」
「ふふっ。貴女の舞いは、子供たちには刺激が強過ぎるわね」
 屈託無く、王妃は微笑んだ。
 この王妃が、自分の命を狙っている。そんな噂を、エルファリアは耳にしていた。
 国王が、踊り子エルファリアの舞いに夢中であるからだ。
 確かに国王は、エルファリアの踊りを高く評価してくれている。だがそれ以上に、エルファリアの肉体そのものを、高過ぎるほど高く評価してくれている。己のものに、しようとしている。
 国家の財力を惜しみなく使って、エルファリアに様々な贈り物を押し付けてくる。
 この国をそろそろ出て行かなければ、とエルファリアは思っていたところだ。
 国王は現在、隣国との戦に出向いている。自ら軍を率いての親征である。
 留守を預かる王妃が、こうしてエルファリアに親切にしてくれる。
 男のような肉欲も支配欲も抜きにして、踊りというものを純粋に評価してくれる。
 この国を出るならば国王不在の今しかない、と思いつつもエルファリアは、王妃に引き留められるまま踊り続けているのだ。
「私、踊りや芸術に関しては全くの素人だけど……貴女の踊りは、大好きよ」
 言いつつ王妃が、召使いを呼ぶ事なく自ら酒杯を2つ用意して酒を注いだ。
 その片方を、エルファリアに差し出してくる。
「長らく踊らせて、ごめんなさいね。喉が渇いたでしょう?」
「み……身に余る光栄を……」
 エルファリアは跪いて酒杯を受け取り、恭しく唇を触れて傾けた。
 毒が入っているかも知れない。そんな事は、どうでも良かった。この王妃に毒殺されるのなら、構わない。
 思いながらエルファリアは、酒杯の中身を飲み干した。
 毒など入っていない事を証明するかのように王妃もまた酒杯を傾け、その中身を体内に流し込んでいる。
 一息ついて、王妃は言った。
「……陛下がね、亡くなられたそうよ」
 何を言われたのか、エルファリアは理解出来なかった。
「ついさっき、極秘の伝令が届いたわ。戦場で、無茶な全軍突撃を敢行して……陛下は討ち死に、我が軍は大敗。この国も、おしまいね」
「王妃様……」
 エルファリアは駆け寄った。
 王妃の細い身体が、揺らいでいる。大して強い酒でもなかったが、酔いが回ったのか。
 倒れかけた王妃を抱き支えながら、エルファリアは思った。違う、と。
 王妃は、酒に酔ったわけではない。酔いではない何かが、彼女の身体を蝕んでいる。
「ねえエルファリア……陛下が何故、こんな無茶な戦をなさったのか。貴女には、わかるかしら?」
 微笑みながら、王妃は血を吐いた。
 吐血の飛沫が、エルファリアの白い肌を、青い踊り衣装を、点々と汚す。
「どんな高価な贈り物をしても、決してなびこうとしない貴女に……陛下はね、国を1つ贈ろうと……貴女のために、国を奪おうと……」
「王妃様……ど、毒を……」
 毒は、入っていたのだ。
 エルファリアの、ではなく王妃の酒杯に。
「貴女を……毒殺しようと、思った事……何度も、あるわ」
 王妃のたおやかな五指が、エルファリアの細腕を掴む。
 凄まじい力だった。
「だけど私、貴女の踊りは大好きだったから……嫉妬に狂って、貴女を殺すような女に……なりたく、なかったから……」
「王妃様……! だっ誰か、お医者様を!」
「聞きなさいエルファリア。私はね、魔女の家系に生まれたの。だからと言って魔法が使えるわけではないけれど……呪いを、かける事は出来るわ。たった1つだけ……術者の命を代償とする、呪いの秘法……」
 血に汚れた唇を、王妃はにっこりと歪めた。
「私は、貴女が憎い。貴女が許せない……だけど、貴女の踊りは大好き。だから永遠に踊り続けなさい……この、咎人の呪いで」


 咎人の呪い。それは、咎人である限り決して解ける事はない。
 咎人とは、許されざる罪を犯した者。許されない限り、咎人の呪いが解ける事はない。
 他の誰が、たとえあの王妃が許してくれたとしても、エルファリア自身が許さない限りは。
 己自身を許せぬ。そんな思いを抱えたまま、しかしそれを自覚する事なく、エルファリアは咎人の呪いを解く手段を探し求めた。
 昼間は石像となり、夜間のみ生身に戻る。そんな状態のまま永遠に生き続ける。それが、咎人の呪いだ。
 石化している間は意識がない。だから夜になって、気がつくと見知らぬ山中にいた事もある。生身に戻ったエルファリアの周りで、大勢の男たちが死んでいた。
 石像となったエルファリアを略奪した山賊団が、独り占めを図って殺し合ったのだ。
 石像のエルファリアは至高の美術品であり、生身のエルファリアは極上の踊り子であった。
 昼も夜も、時の権力者たちはエルファリアを求め続けた。
 ある時。エルファリアは魔女たちによる嫉妬を受け、夜になっても石化が解けぬ身となった。
 年月を経て汚れ苔むした石像を、やがて1人の王女が、古美術商の店頭で見かける事となる。


「見ての通りの汚れ物でね。買い手がつかないんでさあ」
 ドワーフの古美術商人が、そんな事を言っている。
「苔がね、いくら洗い落としてもすぐ生えてきやがるんですよ。おかしな臭いも取れねえし、こりゃ呪われた石像じゃねえかと」
「呪いの、石像……」
 王女レピアは、その苔むした女人像に見入った。
 美しい踊り子が、悶え苦しみながら石化したかのようである。その全身に不潔な苔のドレスが貼り付いて、まるで踊り子の身体から生気を吸い取っているかのようだ。
「本当に呪われ品だとしたら、うっかり捨てたり壊したりしたら祟りがあるかも知れねえし」
「あたしが買うよ」
 レピアは言った。
「この子は、助けを求めている……そんな気がする」


 石像を、別荘に持ち帰った。否、連れ帰った。
 苔を、汚れを、悪臭を、魔法の泉で洗い流す。
「馬鹿な事したね、エルファリア……」
 囁きながらレピアは、石像に唇を触れた。
「あたしの苦しみを、共有したい……なんて思っちゃったわけ?」
「レピア……」
 生身に戻ったエルファリアが、ゆっくりと細腕を絡めてくる。
「私、思い上がっていた……貴女の苦しみを、少しでも肩代わり……なんて」
 泣き震えるエルファリアを、レピアはただ抱き締めた。