<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


旅立つ前の、忘れ物 〜 ジュドー・リュヴァイン

 今までの事を、振り返ってみる。

 故郷に在る時のみならず。ここソーンに飛ばされて来てからの事も。頭に浮かんでは消えるあれこれ。武士――もののふ――たる己の魂、愛刀『蒼破』と共に、思うがままに駆け抜けて来た日々。様々な相手と刃を交えて来た。危険を感じた事が無いとは言わない。心がひりつくような闘争の記憶もある。相手が人では無かった事も無いとは言わない。それはここソーンならでは、だったのかもしれない。どちらでもいい。歯応えのある相手であるならば。鍛え抜いたこの腕を存分に奮い、魂を燃やして互いにぶつけ合う闘いが出来るならばそれでいい。

 ここエルザードにも、まだまだ強者は居るだろう。
 …けれど。

 何だか燃え立つものがない。

 この頃、そんな何とも言えないもやもやとした気持ちが、ずっと自分の中にある。
 そろそろ行き慣れた食堂での食事の後。つらつらとそんな事を考えながら、私はエルザードの街中をぶらぶらと歩いている。

 と。

 示し合わせた訳でも無いのに、何となく相方と鉢合わせた。



 相方――エヴァーリーン。

 私の認める強者の一人足る彼女の姿は、全くいつも通りで変わった風が無い。
 鉢合わせたそこで、特に興味も無さげにこちらを見、けれど無視はしないで立ち止まる。
 その顔を見るともなく見ていたら、うん、と思った。
 理屈も何も無く、心が決まる。

「旅に出ようと思う」

 そう、口を衝いて出た。
 …うん。そうするのがきっと、一番しっくりくる。
 挨拶も何も抜きでの、開口一番のその一言。唐突過ぎたかとやや遅れて気付いたが、エヴァーリーンは――エヴァは全然驚きもしないで、はぁ、と軽い溜息。これもまた殆どいつも通りの反応。私が何か言うと、エヴァはこんな風にこれ見よがしに呆れて見せる事がある。今の一言。私は唐突過ぎたかと思ったのだがそれすらもお見通しか。さすがだなぁ。

「だからその前に、闘ろう」

 思いながらも次に出た言葉は、それ。
 心の赴くままにと考えたら、私の中からはその言葉しか出て来なかった。

 エヴァはまた溜息一つ。それもやっぱりいつも通りの反応で。
 場所は、と訊かれて何処でもいいと返したら、だったら私が決めるわ、と。
 当たり前みたいにそう言った。



 エヴァの選んだその場所は、エルザードに程近い渓谷だった。来た事が無いでも無い、緑深い場所。
 ああそうか、と軽く納得する。
 …開けた場所が少ない。木が多い。平らな部分が少なく、足場が悪い。即ち、刀を振るうにはやや不利と言える場所。反面、エヴァの方なら己に有利な地形を選び易いだろう場所。搦め手を旨とするエヴァ。闘う為の場所選びからもう、闘る気満々でいてくれる、と言う事か。
 そう気付いただけで、心の底から喜びが溢れる。

 さぁ、闘ろう。

 思い、腰を落として蒼破の柄に手を掛けた時には、エヴァの方も構えるようにして――得意の鋼糸を、きゅっと口に銜えて引き出す様を見せていて。
 いざ尋常にの号令も何も要らなかった。
 最早互いに阿吽の呼吸。
 背を預け合うのと何も変わらない。
 仕掛けるのもまた、互いで同時。
 打てば響くようなその反応に――これから始まる闘いへの期待に、心が昂ぶる。



 無邪気に甘えるように打ち込んでしまったな、と思う。
 ははっ、と思わず笑いが零れる。…互いに仕掛け合ってすぐ。刀が振り回し難い分、まずは蒼破を鞘に納めたままでエヴァの懐に飛び込んだ。初めから刃を抜いて仕掛けるのでは無く、居合いに近い形でそこから抜き打つ――そうしようとしたら、直前でエヴァの姿が残像だけ残すようにして横に揺らいだ。本当にぎりぎりで、私の接近を躱している。殆ど自動的に抜き打っていた蒼破の刃がエヴァの代わりに周囲の木の枝葉を散らす――別に断てない訳では無いが、木の幹にでも深く斬り込んでしまったら必然的にほんの僅か動きが止まる。そうなってしまっては隙になり厄介。だからそうしてしまわないように気を付け、次――と。
 エヴァの姿を捜したところで、ひゅ、と不穏な風を切る音。同時に、鞭のように撓らせられていた複数の枝が私に向かって打ち込まれている――そうである事に気付いたのは、それらの木の枝を反射的に叩き斬ってしまってから。あ、やばい、と思う――今のは、隙を作る為の、時間稼ぎの罠だ。そう察した時には、私の上方に影が差していて。
 そこから鋭く放たれた鋼糸が私の身に一気に絡み付く――そうなるように狙われたのは、直感的にすぐにわかった。だから咄嗟に蒼破を頭上に振るって、その鋼糸を受けていた――私の身の代わりに、蒼破の刀身に鋼糸が絡み付いている。それから影が――エヴァの姿が、猫のように柔らかく着地。同時に、鋼糸がぐいと一気に引き絞られるのがわかった。…力比べか、面白い。受けて立つ。私は蒼破を握る手に力を込める。…力尽くで、振り払う。そう決めて、蒼破と鋼糸で引き合う暫しの膠着を楽しみさえする。
 が、それは長くは続かない。蒼破と鋼糸でぎりぎりと引き合う中、今度はエヴァの脚が横合いから回し蹴り気味に飛んで来た。こちらも鞭のようなしなやかさと鋭さで。虚を衝く形の攻撃。それが来た時には鋼糸の方の力は緩んでいる――力押しの引き合いは即座に諦めてのエヴァからの攻撃。とは言え私も私でエヴァのその蹴撃を咄嗟にガードするのも間に合っている。ち、と舌打ちが聞こえた。かと思うとまた、エヴァの姿は一足飛びに退いている。…次はどう出て来るのだろう。考えるだけでもわくわくする。

 考えるのより、身体が動いた方が先だったかもしれない。退くエヴァをすぐさま追い、裂帛の気合いと主に蒼破の刃を撃ち付ける。退くエヴァと追う私の間で、殆ど間合いは開いていない。そのまま押して、数合撃ち合う――正確に言うと、撃ち込んでいるのは私だけで、エヴァの方はいつの間にか持っていた短剣と、元々着けていた籠手の手甲を駆使して私の剣撃をいなしている形。こちらが刃に籠めた力をまともに受けず、ぎりぎりで受け流してそこに立ち、張り合っている――ここまでやってくれるような相手はなかなか居ない。それも、長物を得物としない相手でとなればもう、エヴァだけと言っても過言じゃない。こうしている時間が、楽しくて堪らない。
 凄く長い間だったとも、ほんの僅かな間だったとも感じる幸せな数合。…何度も蒼破を振るい、気が付いた時にはすぐ切っ先で突ける位置に無防備なエヴァの喉首があった。自分が倒れたエヴァに圧し掛かり、殆ど馬乗りの態勢になっている事にも後から気が付く。ああ、もう終わりか、と思う――何だか残念な気分と、勝った、と思う得意な気分が綯い交ぜになる。

「…私の勝ちだな」
「どうかしらね」

 勝利宣言に返って来たのは、短い嘯き。完全に死に体である筈のエヴァの口端が僅かに吊り上がる――反射的に訝しむ自分が居る。これはただの負け惜しみじゃないと己の感覚が知っている。何が、ある――反射的に当ても無く探す中、視界の隅でエヴァの手が――指先が、くいっ、と何かを弾くような動きを見せた事に気が付いた。

 それだけで、萎えかけていた闘志が、一気にまた、昂ぶった。
 歓喜と驚きと――それと同時に、当たり前だとも思い、私の方でも口元に笑みが浮かぶ。

 ――――――ああ。エヴァがこの程度で終わらせる訳が無い!

 弾くような指先の動き。直後、私を狙って、何処からともなく短剣が飛んでくる。一本じゃない。数えるのも面倒な程の数が四方八方から一時に。…狙いは、これか。思った時には私はもうそちらへの対処に動かざるを得なくなっている――必然的に、エヴァに突き付けていた蒼破の切っ先も引かざるを得なくなる。この身に届く前に打ち払い切れるかと考えた時には、身体の方が動いている――が。襲い来る短剣の数が多過ぎて受け切れず、幾つかが掠っている――いや、これは全てが一気に飛んで来ている訳じゃない。ちょうど、こちらが短剣を打ち払い対処する間を、刀を振るった直後に必然的に出来るごく僅かな間をいちいち衝くような――絶妙な時間差まで付けられている二撃目三撃目があると気付いた。だから、打ち払うにも何となくやり難い――ええい面倒だ。雄叫びを上げつつ蒼破を繰り、全ての短剣を気合いで叩き払う。…結果的に幾つかは掠るどころか刺さったが、まぁ、致命傷には程遠いからよしとする。取り敢えず動くのに支障が出るような傷にもなっていないが――流れる血の方が動く邪魔にならなきゃいいがと頭には置いておく。
 ともかく、何とか対処し切れた時には、すぐ足元に転がっていた筈のエヴァの姿はもう無くなっている――やや離れたところで立ち上がり、こちらを見ている姿を認めた。そこで、大きく広げていたところから胸の前で力強く交差させるようにして腕を振っている――その手許の周辺で何かがきらきらと光を受けているのがわかった。また鋼糸が繰られている。思うのと、一気にこちらの身に複数の線状の圧力が掛かるのが同時だった。…今の短剣の雨もまた、私に隙を作る為の、時間稼ぎの罠だったらしい。悟った時点でもう俄かに動けない――迂闊に動いたら切れる、と実際に動き掛けてわかる。素肌が見えている二の腕の皮膚、そこが線状にぷつりと切れて血の玉が浮かんだ。

「形勢逆転ね」
「…まだまだ」
「降参した方がいいと思うけど」
「そうは行くか」

 これだから、エヴァとの闘いは楽しい。
 持てる心技体をぶつけても受け止めて、それに勝る心技体で応じて来る。仕掛ける度に、逆に上回られる。こちらが有利かと思えば、すぐに形勢逆転――また逆転してやる、とこちらも気持ちが煽られる。もっと力を。早く次の一手をと気が急いて来る。闘れば闘る程、期待通りに――否、期待以上の次が来る。
 そんなエヴァとの闘いは、掛け値無しに楽しい。

「…なら、どうするの」
「こうするさ」

 動かそうとして血の玉が浮かんだ腕を、ほんの少しだけ角度を変えて、更にそのまま動かす。角度を変えた理由は――何となく。その方が「押せる」気がしたから。気のせい程度かもしれないが、「押し合える」なら――力比べに持ち込めたなら何の事は無い。私の動きに眉を顰めるエヴァの貌。エヴァの方でも腕を動かしている――鋼糸で締める力を強めている、のだろう。…が。
 私は事実、過去にこの鋼糸を引き千切った事がある訳で。…繰り出された結果、一番力と勢いが乗る瞬間、その力点に当たれば鋼糸はそれは人体くらい骨ごと軽く断ち切るだろう。だが、それらが揃わない状況ならば、その攻撃の鋭さは必然的に幾分鈍る。…だからこそ力で引き千切る事も出来た訳で――私はまた、そうする事を狙う。
 既にこの身に絡み付いてしまっている今の状況は、こちらが迂闊に動けないのも確かだが、鋼糸の方が投擲の勢いを付けられない状況なのも確か。ならば、今実際に鋼糸を握っている繰り手当人の腕力が今は一番物を言う。それなら、やりようはある。まだまだ、やれる。じりじりと動かす。力が籠り、腕の、足の筋が震える。それは多分、鋼糸で締めているエヴァの方も同じ筈。次に蒼破を振るう為に、振るえる形に、構えを取る形に、少しずつ、動く。
 力比べなら、負けない。

 溜めて溜めて溜めた後。
 闘気を籠めて、動く。力強く大地を蹴り、鋼糸が絡む素肌の皮一枚が切れるのも構わずエヴァへと肉薄する――肉薄出来る。その時には鋼糸は引き千切れたかエヴァの方が手放したか、どちらかまではわからなかったが――とにかく私の勢いを止められはしなかった。動きたいように動けるならばそれでいい。そのまま、撃ち込む。当然、エヴァも黙っては受けない。後退し、逃れながらも新たに鋼糸を繰り出して来る。耳元で不穏な風切り音――私はそれも、蒼破の刃で叩き払う。かと思えばまた短剣や飛礫――指弾が飛んで来もする。躱す。まだまだ行ける。次がある。もっと。

「…本っ当に馬鹿力ね」
「今更だ――ッ」

 言い切る言葉を気合いに変えて、また、撃ち掛かる。今度こそ、獲る――と。
 思ったところで、エヴァの身体が唐突に上空に伸び上がった。跳躍した気はしなかった。ただいきなり引っ張られるようにして上に行った。何だ? と思い見上げる――鋼糸を括り付け木からぶら下がっているようだと気付いた――同刻、確り構えて踏み締めていた筈の己の足元が、不意に頼りなくなった。かと思うと、がくんと身が傾ぐ。力が入らない、と言うより、入れても応分に返って来ない――気が付けば足場が崩れ始めていた。エヴァを追い移動した先。今考えてみれば、高所の崖になっていた。誘い込まれたのかもしれない、と今更気が付く。その間にも己の身は足場が崩れるままに落ち掛けている。こうなれば気合いでどうこう出来るものでもない――それでも崩れていく岩を蹴りせめて方向を変え、崖の、まだ崩れていない部分にしがみつこうとする――が、あとほんの僅か届かない。無理か、と思う。そのまま落ちるのを覚悟する――。

 と。

 崖にしがみつこうとしていたその手が、手首からがくんと上に引っ張られた気がした。何だ? と思い目を瞬かせて上を見る――崖の上に、エヴァが居た。私の腕に、鋼糸を巻き付けて落ちるのを止めている。

「…。…エヴァ?」
「…重いのよ、早く上って来なさい」
「…」

 いつも通りの冷たい声で。
 不本意そうな態度で、でも行動の方では当たり前みたいに、私を助けに来る見慣れた姿。
 それを見た時点で、俄かに悟る。

 ああ、最後の真剣勝負は…私の負けだったか。



 その後のある日、朝早く。
 旅立つ日時を告げていた訳でも無いのに、また、ばったり相方と鉢合わせた。
 それも、私だけではなく、エヴァの方でも旅支度を整えて。

 お互いのそんな姿に気付いた時点で、エヴァは何やら軽く顔を顰めている。

「本当に最後まで腐れ縁みたいね」
「なんだ。エヴァも旅に出るのか」
「…ねぇジュドー。その質問何? 今の私の支度が見えていないって事は無いわよね? 見てわかる当たり前の事を訊かれて丁寧に答えてあげる程私がお人好しだと思ってる?」
「…いや、だから」

 言わんとしている事はわからなくも無いが、そこまで言わなくてもいいじゃないか、と少し凹む。
 自分が旅に出るから、今旅支度をしているエヴァも旅に出るのかな、と思った事を口に出しただけなのに。
 はぁ、とまたエヴァは溜息を吐いている。
 本当にいつも通りだな、と思う。

「…まぁいいわ。あなたの馬鹿に付き合わされるのもこれっきりだと思うと、お馬鹿な発言も少し名残惜しいかもしれないものね」
「そうなのか」

 名残惜しいって。
 自慢じゃないが、このエヴァにそんなゆるい言われ方をされた事は無い。
 本気で意外に思ったら、エヴァはまた、いつもの溜息。

「冗談よ。決まってるでしょう」
「…だろうな」

 思わず肩を竦めてしまう。
 エヴァからのその返され方もまた、いつも通りで。
 それこそ名残惜しさも何も感じられない所作で、エヴァはあっさりと歩き出す。私に向かって――私の横をすれ違おうとして。
 すぐ、横で。
 もう一度、立ち止まる。

「じゃ、私はこっちに行くから」
「ああ。…また何処かで縁があったら、な」
「無いといいけど」
「最後までそんな憎まれ口か」
「性分なのよ」
「…私はまた、エヴァと闘いたい」

 いつか何処かで、機会があれば。

「…。…そうね、結局、有耶無耶で終わったようなものだものね」
「次は勝つ」
「それはこっちの科白」

 鋭い視線が私に刺さる。
 それもまた、心地好い。
 私の方でもエヴァを見返す。
 自然と、笑みが浮かんだ。
 それを見て、エヴァの方は何処か不貞腐れたような貌になる。
 どうしたのかと思い、何となく目を瞬かせた。
 と、エヴァは私とすれ違う形のそのまま――何も言わずに私の後方へ、そちらの道へと歩き出す。
 その背中を振り返り、私は声を掛けた。

「じゃあな」

 今度こそ、別れの挨拶。
 聞こえたようで、応えるようにしてエヴァは軽く片手を上げ――すぐ下ろす。…それだけで、足は止めない。特に言葉も返って来ない。
 まぁ確かに、私たちの間に「らしい」別れの言葉は不要か。
 思い、エヴァの背中に頷く。それから――私もまた向き直り、歩き出す事をした。

 当然、彼女が向かうのとは別の道に向かって。
 前を見て、まだ見ぬ強者に会う為に。
 足の向くまま気の向くまま。

 二度と振り返る事は、しなかった。

【了】