<東京怪談ノベル(シングル)>


魔宮の戦い


 一見すると、姉妹である。
 同じような賢者の衣装に身を包んだ、2人の少女。1人は年頃で、1人は幼い。
 そんな2名が白山羊亭でテーブルを挟み、いささか険悪な空気を醸し出している。
「……楽しませてもらったわよ、貴女の新刊」
 年頃の少女が一口、紅茶を啜ってから言った。
「微妙な綱渡りをしているわね。人からお金をもらう商品と、身勝手な自慰行為との間で」
「何を評論家みたいな事言っとるんじゃ。同人魔本じゃぞ? 商品としての利益なんぞ求めておらんわい」
 幼い少女が紅茶を飲み干し、空のティーカップをだんっとテーブルに置きながら言う。
「わしは自腹で好きなもの書いとるだけじゃ。ついて来れる者だけ、ついて来れば良い」
「それでは何も広がって行かないわ。私はね、魔本というものを復活させたいの。同人市場だけが活気付いても意味はないでしょう? やはり世間一般の人たちに認められなければ」
「……聖獣王が、魔本の流通を禁じておるのじゃぞ」
「解かせて見せるわ。エルファリア王女を、動かしてね」
「余計な事するでない。最初から一般受けを狙って、どうするんじゃ」
 幼い女賢者が、持論を展開した。
「平均点しか狙わんような輩に、ものを書く資格はないわい」
「貴女も物書きを名乗るなら、不特定多数の読み手を意識しなさい。最大公約数こそが、力なのよ」
「おぬしのその考え方、わし昔っから大ッ嫌いなんじゃよなあ」
「私もね、玉砕しか狙おうとしない貴女の姿勢は許せないの。なまじ売れているだけに、始末が悪いわね」
 2人の女賢者が、睨み合った。
「……ここは1つ、勝負といこうかのう。レピアとエルファリアを」
「そうね……より美しく描いた方が勝ち、という事で」


 いつもの踊り衣装と比べて、露出が減っているのか増えているのかは、よくわからない。
 とにかくレピアは、甲冑を着せられていた、いや、甲冑と呼ぶにはあまりにも頼りない。
 鋼の胸当ては、豊満で力強い胸の膨らみによって、今にも内側から弾き飛ばされてしまいそうだ。
 腹部は無防備で、うっすら綺麗に浮かんだ腹筋と、格好良く引き締まった脇腹が、完全に露出している。
 むっちりと形良い尻周りには、スカート状の腰鎧が巻き付いており、そこから左右の太股が、活力を詰め込んで膨らみ引き締まりながら伸び現れている。両脚の動きは妨げない。踊るのに支障はなさそうだ、とレピアは感じた。
「で……あたしがこんな格好しなきゃいけない、その理由は?」
「あらゆる物事はの、まず形から入るものなんじゃよ」
 幼い少女、の外見を有する賢者の老婆が、そんな事を言っている。
「次の魔本を書く前に、己の画力を鍛え直さねばと思うてのう。わし、おぬしを描きたいんじゃよ。魔女の地下迷宮で大活躍する女戦士、とゆう設定でのう」
 ここは、この女賢者が住処とする地下迷宮である。
 だが彼女の言う『魔女の地下迷宮』は今、レピアの眼前の卓上に広がっていた。
「これ……って、もしかして魔法の箱庭?」
 レピアは身を乗り出し、卓上の迷宮に見入った。
「うっわ懐かしい! 実物を見るのなんて、もう何百年ぶりだよ」
「ふふふ。魔本が流行り出す前はのう、こっちも相当のめり込んでおったんじゃよ。わし」
 魔法の箱庭。
 基本的には魔本と同じである。箱庭の中に、入り込む事が出来る。
 明媚で無害な自然風景。兵士の人形が配置された戦場。巨大な怪物が住まう、山中や迷宮……様々な魔法の箱庭があり、中に入った者は、それに応じた経験をする。自然の中で心を癒す事も出来るし、戦場や迷宮内で戦う事にもなる。人形の兵士も、作り物の怪物も、魔法の箱庭に入った瞬間、本物に変わるのだ。
 そこで殺されても、本当に死ぬ事はない。魔法の箱庭の外で、目を覚ますだけだ。
 元々は王侯貴族の子息子女に、幻想的な擬似体験や武芸の修練をさせるためのものであった。
 やがては、用途が同じで安上がりな魔本に取って代わられる事となる。
「魔本が禁止されたから、もしかしたらまた流行り出すかも知れないって話……聞いてはいたけど」
「残念ながら、そう簡単にはいかんじゃろうな。魔法の箱庭を造るには、魔本とは比べものにならんほどの技術と魔力が必要なんじゃ。とゆうわけでレピアよ、何百年ぶりかの魔法の箱庭、堪能してみんか?」
「みる! やってみる!」
 この女賢者が何か企んでいるかも知れない、という懸念は無論ある。
 だが懐かしさと好奇心に、レピアは抗う事が出来なかった。


 迷宮の中を、エルファリアは彷徨っていた。
 何故こんな所にいるのか、思い出す事が出来ない。
 人間としての記憶が、思考能力が、失われかけていた。
 代わりに、エルファリアの中で、獰猛に頭をもたげてきたものがある。
「ぐるっ……ぐぁるるるるる……」
 獣性であった。
 可憐な唇がめくれ上がり、獣の呻きと共に牙が現れる。
 この地下迷宮を彷徨い始めてから、どれほど時が経ったのかも思い出せない。
 その間、エルファリアは獣と化していた。迷宮に住まうオークやゴブリンを食い殺して飢えをしのいだ。
 死臭と獣臭さをまといながら彷徨い歩くエルファリアに、語りかける者がいる。
「良い感じに仕上がってきたわね……ふふっ。私、貴女を獣にしてみたかったのよ」
 声の主が何者であるのかも、エルファリアは思い出せない。
 ただ、何となく記憶のようなものが残ってはいる。自分は確か、この何者かに、誘われたのではなかったか。
 貴女を描かせて欲しい。そんな事を、言われたような気がする。
「また以前のように、貴女から名前を奪って手元に置いてみようか……とも思ったのだけど。私ね、汚れ放題の獣に変わったエルファリア王女を、どうしても描いてみたかったのよ」
 何者かが、溜め息をついたようだ。
「駄目ね、私も彼女の事を悪くは言えないわ。自分の趣味に走るあまり、不特定多数の読み手を全く意識出来ていない。そうでしょう? 獣に変わってお風呂にも入れない、自分の下の世話も出来なくなった悪臭まみれのお姫様なんて……一体どこに需要があると言うの? 喜ぶのは私くらいよ」


 頭の中で音楽が流れ始める。それに合わせて、レピアは舞った。
 防御効果の疑わしい、下着のような甲冑をまとう肢体が、軽やかにしなやかに躍動する。
 左右2本の剣が、いくつもの弧を描いた。
 宙を舞うメデューサの生首が、2つ、3つ。石化の眼光を輝かせようとしながら、ことごとく叩き斬られてゆく。
「仕掛けが甘い……こちとら石化の罠なんて、嫌になるくらい慣れっこだってのよ」
 ふわりと剣舞を止めながら、レピアは嘲笑った。
 石段を踏んだ瞬間、四方からメデューサの生首が飛び出して来る罠。
 レピアにとっては、発動と同時に対処出来る程度のものだ。
「まあ剣舞は久しぶりだからね。試してみる、いい機会……って、あれ? あたし何で、こんな事してるんだっけ」
「忘れてもらっては困るのう」
 声をかけられた。
 優美な人影が1つ、いつの間にかそこに立っている。
「わしに、おぬしを描かせてくれる約束じゃったろう」
「そうだっけ? ……って言うか、あんた誰……」
 誰何しかけて、レピアは目を見張った。
 そこにいたのが、エルファリアだったからだ。
「エルファリア……あれ? 何で、こんな所に……」
「じゃから、おぬしを描くためよ」
 エルファリアが微笑んだ。黄金色の瞳が、妖しく輝いた。
 その眼光を浴びた瞬間、レピアの全てが硬直した。身体も、心も。
「エル……ファリア……」
 呆然と名を呟きながら、レピアは石像と化していた。
「ふむう……もう少し、汚れが欲しいところじゃなあ」
 地下迷宮の主である魔女が、綺麗な顎に片手を当てる。
 その姿はエルファリア、ではなく小さな女賢者であった。
「汚らしく苔むしておると、なお良いのう。半世紀ばかり、時間を進めてみようかの……大丈夫、ここを出れば何もかも元に戻るから安心じゃて」


「で……元に戻ったのはいいんだけど」
 エルザード城、城壁の上から濠の方を見下ろしながら、レピアは微笑んだ。
「あたしたちが元に戻って、あんたたちが無事でいられると思ってたわけ?」
「だっ駄目なのじゃ、人の話は聞かなければ駄目なのじゃ」
 2人の女賢者が、一緒くたに縛り上げられ、城壁から吊り下げられている。
 濠で飼われている水竜が鎌首をもたげて牙を剥き、今にも食い付きそうである。少なくとも外見は若く瑞々しい、2人分の人肉にだ。
「こないだ言ったばかりじゃろが! わしらの身体はの、いけない添加物をたんまり使って若返っとる。生き物の餌には向かんのじゃあああ!」
「あ、貴女と一緒にしないで欲しいわね。私の身体は、きちんと手間暇かかった無理のない方法で、若さを保っているのよ」
「なら、おぬし1人だけ食われておれ!」
 じたばたと暴れながら、女賢者が泣き喚く。
 レピアの近くでエルファリアが、おろおろと言った。
「ねえレピア……もう、許してあげましょう」
「ほら、エルファリアもそう申しておる事じゃし……な? 堪忍じゃよレピア」
「あんたら物書きって連中、どうやら生半可な事じゃ心を入れ替えないみたいだからねえ」
 ちらり、とレピアは視線を動かした。女賢者2人から没収したものが、置いてある。
 画架と画布。レピアとエルファリアが描かれている。
 画力は甲乙つけがたい、とレピアは思った。