<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


やめるときも、すこやかなるときも

 月は無い。星明りが幽かに照らすステンドグラスからは青い影が落ちていた。
 その星明かりの下、廃棄され、手の入らなくなって久しいのであろう小さな礼拝堂を、ウィンプルで髪を覆った女性が一人の女性の手を引いて歩いている。
「アリサ」
 声は円く、知らず誰もが耳を傾けたくなるような甘やかさ。呼ばれた黒髪の女性は面を上げた。焦点は甘く、緩やかに女に見入っている。
(あら…?)
 誰だったろうか、という疑念が一瞬だけ首をもたげ、すぐに霧散した。アリサと呼ばれた女性は手を引かれるまま、廃墟となった礼拝堂を進んでいく。割れたステンドグラスのひとかけを踏んだ拍子にかたりと澄んだ音が鳴る。
「アリサ、こちらへ」
 誘う声には何かを考え続けることを困難にするような甘さが潜んでいた。このひとは――と途切れがちな思考の中、アリサの脳裏にここ数日の出来事が切れ切れに蘇った。
 このひとは。そう。最近教会に通っていた旅の修道女様で――私の悩みを聞いてくれて――でも私はどうしてこの通りすがりの人にあんなことまで相談してしまったんだろう――思考は散らばり、纏まらない。アリサはふ、と足を止めた。

 数日前から彼女が義両親と切り盛りしている教会に現れるようになった女性は、旅の修道女だと名乗った。何故だか人を安心させる雰囲気を感じて気が緩んでか、アリサは気づけば、彼女にしばらく胸に痞えていた悩みを打ち明けてしまっていたのだ。
 アリサには恋人がいる。恋人同士という関係になる前から知己があり、それなりに知っていると思っていた男性だった。だが。
「…私、あのひとのことを何も知らないんだと気が付いてしまったんです」
 生まれも。育ちも。もしかすると、本当は表向きの職業とは違う顔を持っているのかもしれない、という、アリサの気が付いてしまった事実も。尋ねることさえ出来ないまま時間ばかりが過ぎてしまっていた。最近はアリサのぎくしゃくとした態度に想う所あってか、彼の方もそれとなくアリサを避けているようにも思える。
「どうしたらいいのか…」
 項垂れるアリサに、穏やかな笑みを浮かべてその人は言ったのだ。
「ええ、そうですね――アリサ。彼の事を知りたいですか」
 甘い声は奇妙に頭に沁みて、アリサは知らず頷いていた。その後のことは不思議と思い出せない。
 ――ただ深夜、この場所へ来なければ、と、そんな気持ちに駆られて教会をひっそりと抜け出したのだった。



「そう、そうですアリサ。こちらへ――私の手を取って」
 手を伸ばす修道女にふらりと一歩、アリサが近付く。一歩、また一歩。修道女の口元に笑みが浮かび、その手を取ろうとしたその瞬間だ。夜の静寂を引き裂いて、修道女の真横に何かが突き刺さった。夜の闇にぱちりと弾けた雷に、修道女の周り、廃礼拝堂の長椅子の影から次々と立ち上がる影があった。いずれも黒いローブを目深に被り、手に手に短刀や杖を持つ姿は、間違っても友好的な集団には見えない。
 一方礼拝堂の入り口で雷光を放った人物は、その集団には目もくれず、通路の中央を歩く女性へ叫んだ。
「アリサさん!」
 青年だ。常は穏やかそうな表情は今は険しく眉を立て、その手元には既に新しい雷の光が宿っている。黒ローブの集団の中から投げナイフが飛んだが、それは全て、彼の構えた剣によって払い落とされた。
 他方、名を呼ばれたはずのアリサは無反応だ。妙に無表情に、修道女と彼の姿をぼんやりと眺め立ち尽くしている。
「アリサ、早くこちらへ。いいのですか? 彼は貴女を信用していない――愛していると囁いた口で嘘をついていたのですよ。戸惑うことはありません。私達と行きましょう」
 柔らかな声にだけ、アリサは明確に反応した。振り返り、改めて修道女に手を伸ばそうとする。だが三度、その場の空気が揺らぐ。入り口の青年へ殺到しようとしていた黒ローブの影が幾つも同時に倒れ伏したのだ。青年の背後からは数名、薄闇に紛れるような宵色のマントを羽織った影が幾つも現れていた。
「こらアレクセイ、先走るな」
「すみません、ですが」
「まーまー、先走るなったって、可愛い彼女のピンチだもん。先走るわよ男の子なんだし」
 目深に被ったローブで一人ひとりの姿は判然としないが、声だけは男女問わず入り混じっている。そのうちの一人が、アレクセイの肩を叩いてそのまま振り返りざま、襲い掛かってきたナイフを持つローブ姿を迎撃し、
「おら、先に行きな!」
「一度言ってみたかったんだ。『ここは俺に任せて先に行け!』」
「先にと言っても目の前ですよ」
 アレクセイと呼ばれた青年は酷く生真面目に先輩格らしい人物の軽口にそう返し、駆けだす。一直線にアリサに駆け寄り、その手を握って彼女の動きを拘束した。
「アリサさん!」
 再度耳元で強く叫ぶが、アリサの視線はまだ、修道女へ向けられたままだ。対峙するアレクセイの背後から、鋭い魔力の気配が飛んだ。翼が羽ばたくような音と共に、彼らの目の前でウィンプルを被っていた修道女の姿が歪む。
 次いで星明かりの下に露わになったのは、さっきまでそこにいた修道女とは全く違う女性の姿だった。妖艶と言える立ち姿に、剣劇の合間を縫ってアレクセイの背後から同僚たちの声が飛んでくる。
「げぇ…ブラックローズじゃねぇかお前…性質の悪いのが出てきたな…!」
「とはいえここで捕縛できればお手柄だぞーアレクセイ! カノジョ助けるついでだぶん殴ってやれ!」
 要注意危険人物として、彼らが常日頃警戒している人物のリストのトップの方に名前が載っている人物の姿だったのだ。警告に、アレクセイは隙なく武器に手をかけたまま、もう片方の手はアリサの手首を掴んだ状態で女を睨みやる。
 ブラックローズ、と呼ばれた、名には似合わぬ白い肌と銀髪の女は笑みを浮かべたまま、腕を振るう。細いレイピアが瞬時にその手の中に現れた。それと同時だ。その唇から何か呟くだけの間があった、それだけで。

 ――あたり一帯が、吹き飛んだ。




 我に返ったアリサがまず最初に見たのは、アレクセイの姿だった。座り込んだアリサを覆うように、抱きしめるようにしている。どうしたのだろうかと不思議に思いながらアリサはその背に手を回し――生暖かな感触に、ひといきに意識が覚醒した。
「アレクセイさん!」
「ああ、アリサさん…無事で、良かった」
 その言葉に力が無い。それも当然だ。アリサはアレクセイの背に改めて手を回し、大きな硝子の破片が突き刺さっていることに気が付いていた。
 何があったのか、この時点で彼女はまるで理解していなかったが。
 ひとつ分かったことはあった。この人は、自分を守ったのだ。
 気が付けば辺りには瓦礫が散乱している。ついでに黒いローブの影が幾つも倒れ、ちらほらと膝をついている、いずこかの騎士団にでも所属していることが知れる統一されたマント姿の騎士たち。
「おいアレクセイ、動けるか」
 その中の、恐らくは代表格だろう。騎士の一人に慣れた様子で呼ばれ、アレクセイは顔を顰めながらも応じた。
「うごけます」
「嘘つくな。怪我見えてんぞ。…しかしまぁ、要保護対象は守った訳か。上等だ」
 当たり前ですよ、と、アレクセイが口の中で小さく呟いたのが傍にいたアリサにだけは分かった。そこへ。
 甘い声が、落ちて来る。
「…存外に、頑丈ね」
 殺す積りだったのに。
 目線を上げれば、そこに居たのは銀髪の女だった。何より真っ先にアリサの眼に入ったのは彼女の尖った耳――種族特徴を示すそれで、だが、同族だからとて気安く接して良い相手ではないことも即座に知れる。そもそも、どう見てもこの惨状を引き起こした主犯が彼女であろうことは推測に容易い。
「あなたは――」
「貴女は名前を知る必要も、状況を理解する必要もないわ。ただの贄だもの」
 肩を竦めて女は告げ、レイピアを再度構える。騎士達がじわりと緊張に身を強張らせたことが分かった。そのレイピアの周りに強烈な、瘴気とでも呼びたくなるような魔力が渦巻いていることが、アリサにさえはっきりと分かった。アレクセイもまた気付いているのだろう、体はアリサへ向けたまま、だがその身体が強い緊張で強張っている。彼は一度息を整えてから、背後の女性を肩越しに睨みやった。険しい視線は、アリサのあまり見たことのない表情だが――数日前の一件で、彼がそういう顔を見せることもあることを、今やアリサは知っていた。
 険しい顔と声で、アレクセイは告げる。
「仲間ごと一撃で吹き飛ばすなんて、正気の沙汰じゃありませんね」
「仲間? あれはただの駒よ」
 馬鹿げたことを聞いた、という風にブラックローズが応じる。レイピアがぴたりとアレクセイに向けられ、その瞬間に僅かに躊躇を見せた。
「…やっぱり。アリサさんを利用しようとしていたのなら、アリサさんを殺す訳にはいかないですからね」
 流血の為か、星明かりの為か、僅かに蒼ざめた顔でアレクセイは小さく呟き、ゆらりと立ち上がる。背中に刺さった破片はそのままだ。点々と落ちる血を無視して、ブラックローズへ歩み寄っていく。怪訝そうに、あるいは不愉快そうに、彼女は顔を顰めた。
「アレクセイさ――」
 破れかぶれとも見える彼の行動に、慌ててアリサは彼の背に手を伸ばしたが、振り返った彼の視線に口を噤む。
 僕を信じてくれませんか。
 ――そう、言われたような気がしたのだ。
(信じる――)
 数日の、胸に抱えた不安が過る。彼を信じることが、自分に出来るだろうか。今まで知らない一面を隠していた彼のことを。
 だがアリサの自問は一瞬だった。彼女は手を引き、胸元で拳を握る。こちらへ視線を投げているアレクセイに一度、頷いた。
 信じます。
 たぶん、きっと、伝わっただろう。アレクセイは僅かに口元を緩め、また険しい表情へ切り替えるとブラックローズへ再度向き直った。魔力の渦は、もはやあたりに物理的な風を巻き起こす程になっている。距離をあけているアリサの肌にも圧を感じるほどだ。
「…貴方、正気?」
 僅かに不愉快そうにアレクセイを見遣ったブラックローズではあったが、すぐに興味を失ったらしい。彼女はレイピアを振り上げ、そして振り下ろそうとする――その瞬間。
 アレクセイが懐から何かを放った。雷を纏った、銀色のナイフ。それが吸い込まれるように一直線にブラックローズへと向かう。レイピアを振り下ろした瞬間の魔力が、どういう仕掛けかそのナイフへと向かい、アレクセイとブラックローズの中間あたりで破裂した。強烈な衝撃が辺りを襲い、思わずアリサも自分の頭を庇うようにする。
 一方アレクセイは、その衝撃の中を駆けていた。事前にかけていた風の魔術で衝撃を相殺し、唐突な衝撃に動きを止めたブラックローズに肉薄し、投げたナイフとは別の剣を振りぬく。ブラックローズが咄嗟に構えたレイピアはその剣を受け止めきれず、高い音を立てて折れた。切っ先が床に落ちて刺さる。
 しばらく、誰もが沈黙していた。
 やがて、先に動いたのはブラックローズの方だった。くるりと振り返り、折れたレイピアを投げ捨てる。恐らく何がしかのアーティファクトであろうそのレイピアはまるで長い年月を経たかのように、ぼろりと塵になって崩れた。
「興が醒めたわ」
 ほんの僅か眉を寄せているのだけが彼女の感情の反映であった。次いで彼女は外套をばさりと大きく翻す――それが翻った時には、既に姿はなかった。
「…念のため周辺を警戒。アレクセイは要保護対象の傍に居ろ、っつーか治療してもらえ」
 リーダー格の指示に、騎士達は音もたてず薄闇に溶けるようにして消えていく。そういう鍛錬を積んでいるのだろう。そこに先程まで居た、ということをまるで感じさせない退場だった。
 そして――と、アリサは自分の前で膝をついて頽れた青年に駆け寄りながら、
(アレクセイさんも、きっと)
 同じ鍛錬を積んだ、彼らの仲間なのであろう。ここまでの顛末を見ていて、それが理解できないほどに彼女は愚鈍ではなかった。尤も、なぜ自分が今この場所に居るのか、そのことについてはとんと思い出せず、把握も出来ていなかったのだが。
「大丈夫ですか?」
 致命傷ではないが傷は大きく、出血量も多い。すぐ治療を始めなければ危険だと判断し、アリサは彼の背に手をかけた。刺さった破片に手をかけたところで、肩に手を置かれる。多く血を失っているためだろう、朦朧とした様子ではあったが、その瞳にはまだしっかりと光が宿っている。
「駄目ですよ。喋らないでください」
 アレクセイの唇に、アリサは自らの人差し指を当てて警告したが、彼はそのアリサの手首を掴んで、低く呟いた。
「何があっても」
 アレクセイさん、と叱ろうとしたアリサの言葉は、その言葉に封殺された。
「何があっても、僕が一生守りますから」
 一生。
 彼の。
 自分の。
 瞬間脳裏に真っ先に浮かんだのは、彼の「一生」が彼女の半分ほどしかない、という厳然たる事実だった。だが、それを彼とて気づいていないわけではないだろう。それでも彼は「一生」と。そう言ったのだ。
 アリサは言葉を失い、一瞬だけ治療の手を止めてしまったことに我に返って、慌てて治療へ意識を戻した。次の瞬間には、アレクセイはがくりと意識を手放してしまったから、真意を問い質すこともできない。
 嗚呼――どんな顔をして、目覚めた彼に会えばいいのだろう。
 途方に暮れるような、しかし照れくさいような、嬉しいような、様々な感情を治療に込めながら、アリサは黙々と手を動かし続けた。