<東京怪談ノベル(シングル)>


精霊の王国


 ベッドの中でエルファリアが、レピアの身体に細腕を絡めてくる。
「ねえレピア……おかしな事を、訊いてもいい?」
 囁きが、耳元をくすぐる。
「私、貴女の事もっと知りたい自分を止められない……図々しい女に、なってゆく……」
「エルファリアにだったら、何だって教えてあげるよ。ふふっ……教えてあげる、なぁんて大層な隠し事はしてないつもりだけど」
 レピアは、嘘つきな自分を止められなかった。この上なく大層な隠し事が1つだけある。
 黒山羊亭の、女主人との関係。
 それを今ここでエルファリアに追及されたら、しらを切り通す事が出来るだろうか。
「何と言ったらいいのか、よくわからないのだけど……」
 エルファリアは、戸惑っているようだ。
「レピアの魂と身体が、上手く繋がっていないような気がするの……いえ、しっかり繋がってはいるのだけど。最初から繋がっていたわけではない、と言うか……例えにくい違和感のようなものが……気を悪くするような質問だったら、ごめんなさい……」
「……その事ね」
 レピアは思わず、安堵してしまった。
「レピア……?」
「あ、いや何でもないから。あはははは……そうだね、やっぱりエルファリアにはわかっちゃうよね。この身体、確かに元々あたしのものじゃなかったんだ」
 エルファリアを抱き締めたまま、レピアはベッドの天蓋を見つめた。
 ここではない遠い場所を、じっと見つめた。今や記憶の、思い出の中にしかない、ある王国を。
「ちょっと昔話をしようか……昔々ある所に、お姫様がおりました。そのお姫様にそっくりな、踊り子もおりました。2人はね、とっても仲良しだったのです」


 見ているだけで、頭の中に音楽が流れる。そんな踊りだった。
 レピアは思う。他人から見た自分は、どうなのか。こんなふうに踊る事が、出来ているのか。
 しなやかに舞い上がる細腕も、躍動する太股も、柔らかく捻転する胴の曲線も、そしてその笑顔も、レピア・浮桜と瓜二つ……否、自分よりずっと美しいのではないかとレピアは思う。
 すぐにばれる、とも思う。
 こんなふうに衣服を交換したところで、本物の王女は、やはり本物の気品を芳香の如く漂わせている。それは、娼婦のような踊り衣装で、ごまかせるものではない。
 一方の自分は、高価なドレスを身にまとっているだけの、ただの女だ。
 踊り子レピア……に化けた王女が、ふわりと舞いを止めた。
「ふふっ……お目汚しで、ございました」
「姫様……いえそんな、とっても素敵です!」
 レピアは思わず手を叩いた。いや、今は自分が王女なのだ。
 王女が、流れ者の踊り子に舞いを披露させ、それを鑑賞している。端から見れば、そんな形だ。
「他の人の踊りを見て、こんなに感動したの久し振りです……あたし、踊りはやっぱり自分が一番だって、自惚れてましたから」
「我が王家に伝わる、精霊の舞いよ。王女は代々、これを小さい時から強制的に修得させられるの。はっきり言って嫌だったけど……貴女にそんなに褒めてもらえるなら、やっておいて良かったわ」
 レピアが貸した踊り衣装をひらひらとさせながら、王女は微笑んだ。
「私も、こんな刺激的な服が似合う踊り子になれるかしら」
「駄目ですよ。姫様は踊り子になれても、あたしは姫様にはなれません」
 動きにくいドレスに拘束されたまま、レピアは言った。
「こんな綺麗なドレス、あたしには似合いません。こんなの着てるの今日1日が限界です……ばれますよ、すぐに」
「そんな事ないわ。お父様だって大臣の方々だって、全然気付いていないもの」
「……王妃様は、気付いていらっしゃる気配ですけど」
「ああ……そうかも知れないわね。お母様は鋭いから」
 王女が、悪戯っぽく苦笑した。
「殿方は駄目よね。女の外見しか見ていないから、すぐ騙されちゃう。いつまで騙されていて下さるのか、私もうちょっと試してみたいわ」
「勘弁して下さいよ。あたし、王妃様の視線がすっごく恐いんです」
 言いつつレピアは、とっさに王女を背後に庇い、身構えた。
 邪悪な気配が、生暖かい微風の如く、肌に触れてきたからだ。
 視界の隅で、炎が燃えた。水が噴出し、土が隆起した。風が渦巻いた。
「精霊様……!」
 レピアの背中に身を寄せながら、王女が呻く。
 精霊を祀る王国の守護者とも言うべき存在が、そこに出現していた。地水火風、4つの精霊。
 この上なく聖なるもの、であるはずの彼らが、しかし今はこの上なく邪悪な気配を漲らせ、王女とレピアを取り囲んでいるのだ。
 邪悪なる何かに、支配されている。臣従し、操られている。レピアはそう思った。
「さすがは精霊の国の姫君、よくぞ気付いた。その通り……この精霊たちは、今や私の支配下にある」
 何者かが、レピアの思いを読みながら、傲然とそこに姿を現していた。
 豪奢な装いをした、若く美しい男、に見える。
「魔王……」
 踊り子レピア、の姿をした王女が、息を飲みながら声を発した。
 魔王。この王国の地下深くに封印されていた、邪悪にして強大なる存在。
 その魔王が、しかしレピアの思いを読みながらも、レピアを見抜いてはいない。
 王女の装いをした踊り子を、本物の王女だと思い込んでいる。
 利用するべきだ、と思いながらレピアは言った。
「封印を……破ったのですか、魔王……!」
「9割方、といったところだ。残る1割の封印が、私の力に忌々しい制限をもたらしている。だからこうして精霊どもの力を借りねばならん」
 魔王が、レピアに向かって片手を掲げる。
「我が力を縛る、最後の封印……それを解く鍵は姫君よ、そなたの魂の中にある」
 レピアを王女と思い込んだまま、魔王は力を放った。
 掲げられた掌から、魔力の波動が迸り、レピアの全身を包み込んで炎のように揺らめく。
「まずは姫よ、そなたの美しい肉体を分かつ。さすれば魂も分かたれ……魂の中に隠されし、封印の鍵が現れる」
 魔王の言葉が、レピアにはもう聞こえない。
「案ずるな、痛みはない。痛みを感じぬ身体にして進ぜるゆえ」
 王女のドレスをまとったまま、レピアは石像と化していた。


 石像と化した王女は、打ち砕かれて7つの石塊となった。
 頭部、胸部、下腹部、それに両腕と両脚である。
 頭部は魔王が持ち去り、他は全て4精霊に預けられた。
 魔王の下僕となった、地水火風の精霊たち。
 彼らを魔王の支配より解き放つには、結局のところ戦うしかないのだ。
 だからレピアは、戦い続けた。
 本当は、レピアではない。
 精霊の国の王女ともあろう者が、レピアを身代わりとして生きながらえた。
 ならば、生き恥を晒しながら戦い続けるしかないのだ。
 火の精霊も、水の精霊と風の精霊も、踊り子レピアとして戦う王女に敗れて心を取り戻し、石像の胸と下腹部と両脚を返してくれた。
「残るは……地の精霊様、貴方だけ」
「…………」
 石で出来た左右の細腕を抱えたまま、地の精霊は何も言わない。
 構わず、王女は語りかけた。
「私たち精霊の国の民は、貴方たちの力を利用するばかりで、敬う心を失っていました……魔王の誘いに乗ってしまった貴方たちを、責める資格はありません」
 もはや言葉しかないのだ。力は、これまでの戦いで使い果たした。
「許して下さい、などとは言えません……ただ、お願いです。レピアだけは……どうか、助けて下さい」
「……ならば罰を受けるのだ、姫よ」
 地の精霊が、ようやく言葉を発した。
「身を捨てる覚悟を、示して見せよ……魔王に、その身を捧げる事によって」
 言葉と共に放たれた眼光が、王女を石像に変えていた。


 王女は、魔王の寝室で石化を解かれた。
 そして、魔王に支配された。肉体も心も魂も支配する、もっとも効果的な手段でだ。
 結果、王女の魂の中にあった封印の鍵は奪われ、魔王は完全なる復活を遂げた。
 だがそれは、王女が魔王を支配した瞬間でもあった。
「最後の最後で、魔王は……完全に油断をしたわ。だから、こうして封印する事が出来た」
 崩壊した魔王の城。その破損した石畳に、巨大な光の魔法陣が描かれている。
 完全な力を取り戻しながら魔王は、この魔法陣の中に封印されたのだ。
「だが、これは完璧な封印ではない」
 精霊たちが言った。
「この封印では、恐らく10年も保たずに破られる」
「その10年の間に、何らかの対策を講ずるしかありません」
 俯き加減に答える王女を、レピアはじっと見つめた。
 この王女は、大切なものを失ってまで魔王から石像の頭部を奪い返し、自分をこうして元に戻してくれたのだ。
(なのに……あたしには、何にも出来ないの……?)
「この封印を完璧なものにする……そのために必要なものを姫よ、そなたはすでに失っておる。魔王に、捧げてしまった」
 地の精霊が、沈痛な声を発した。
「身を捨てる覚悟を、よくぞ示してくれたな……我らも、出来る限り力を貸そう」
「あたしの身体」
 何か考える事もなく、レピアは言った。
「……衣装だけじゃなく身体そのものを、姫さまと交換する事って出来る?」
「それは、我ら4精霊の力をもってすれば不可能ではないが」
「あたし踊り子なんてやってるけど、男と……最後の一線、越えた事ないから。この封印を完璧にするために必要なもの、あたしまだ持ってるから」
「何を言うのレピア!」
「いいんですよ姫様。どうせ、いつかは捨てるものですし」
 レピアは微笑んだ。
「……捧げたい、なぁんて思える男もいませんし」