<東京怪談ノベル(シングル)>


2人で踊る


 レピアは、自分の踊りを褒めてくれた。
 お世辞だったのだ、と王女は思う。
 今こうしてレピアの肉体を使っていると、本当によくわかる。
 自分の踊りなど、レピア・浮桜の足元にも及ばないと。
 魔王を倒す「破邪の舞い」は、このレピアの肉体でなければ修得する事が出来なかった。
「ぐっ……や、敗れるのか……私は……」
 倒れ伏した魔王が、呻いている。
「私の、腕の中で……可愛らしく泣き喚いていた小娘に……ふふっ、ここまで見事に……してやられるとは……」
「魔王よ、私は貴方の封印を解きました。こうして確実に倒し、とどめを刺すために」
 魔王が封印されている間、地水火風の四大精霊に力を借りて「破邪の舞い」を修得した。
 それで、しかし確実に魔王を倒せるという保証はない。封印を解くのは、あまりにも危険な賭けだった。
「もう封印などという手ぬるい事はしません。今から、貴方の命を奪います。ただ殺しただけでは怨念が残り、それが後の世の災いとなるでしょう。ですから魔王よ、貴方の魂を消滅させます」
「好きに、するがいい……」
 微笑む魔王に向かって、王女は片手を掲げた。
 優美な繊手の動きに合わせ、四精霊が魔王を取り囲んだ。
「では始めるとしようか……良いのだな? 姫よ」
「魔王の魂を消滅させる手段……他には、ありません」
 王女は応えた。
「魔王は、私になるのです。そして、この身体は……いつか、レピアに返さなければ」


「……と、ゆう伝説がな。残ってはおるそうじゃ」
 幼い少女、の外見を有する年老いた女賢者が、一通り語り終えてから腕組みをした。
「わしが好かん、あやつからの情報じゃ。まったく、わしが腰を低くして頼んでやったと言うのに、こんな不確かな話を持って来おって。これだから商業主義者はいかんのじゃ。広く浅くゆく事ばかり考えて、1つの仕事を深く突き詰めようとせん」
 あの、もう1人の女賢者の事であろう。
「おぬしは有名人じゃからのうレピアよ。傾国の踊り子の伝説など、そこらじゅうにあるぞい」
「だろうね。あたしが身に覚えないお話、いくらでも出回ってるみたいだけど」
 レピアは目を閉じた。
 面影が、脳裏に蘇る。
 精霊の国の王女。踊り子レピア・浮桜と、瓜二つの姫君。
 似ているのは外見だけではなかった。
 踊りに関しても、ほぼ互角……いや、あの王女の方が上であったかも知れない。
 だからこそ今もまだ、この身体を違和感なく使っていられる。レピアが思う通りに、この身体は踊ってくれる。
「……そのお話は、本当だと思う。あの姫様なら、そのくらいの無茶はやるよ」
 踊り衣装から溢れ出しそうな胸の膨らみを、左右の細腕で抱え込むように、レピアは己の身体を抱き締めた。
 元々は、己の身体ではなかった。
 この身体の本来の持ち主とは、あれから全く会っていない。
 レピアが他の国で長期間、石にされたり凍らされたりしている間に、あの王女は天寿を全うした。
 今ここにいる、もう1人の王女と出会ったのは、それから何百年も後である。
「つまり……このような事ですのね」
 エルファリアが、女賢者の話を整理した。
「精霊の国の姫君が、四精霊の力を借りて、魔王の肉体を……御自身の新たな肉体に作り変え、そこへ御自身の魂を移植なさった。王女として生きる事で、年月をかけて魔王の魂を消滅させる。そのために」
 エルファリアが半ば無理矢理レピアを伴い、女賢者の住処である地下迷宮を訪れたところである。
「レピアの言う通り、確かに無茶な話じゃのう」
 女賢者が言った。
「で問題は、じゃ。その伝説が真実であった場合……それまで姫君が使っておった、レピアの元々の肉体は、どうなってしもうたのか。エルファリアが知りたいのは、その事じゃろ?」
「私がその姫君であったとしても、レピアに借りた肉体を返さなければと思うでしょう。手を打ちます。魂なきレピアの肉体が、年月を経ても朽ちぬように」
「いいんだよエルファリア。あたしの元の身体なんて、もう」
 言いかけたレピアを、エルファリアがじっと見つめる。
「魂のない肉体を長い年月、保存しておく手段……私には、石化くらいしか思いつかないわ。もう1人の貴女がね、ソーンのどこかで石像に変わったまま、野晒しで苔にまみれて放置されているかも知れないのよ? かわいそうだわ」
「……かわいそう、かなぁ」
「わしは興味あるのう」
 女賢者が、乗り気になった。
「レピアの本来の肉体が、どこかに残されておる。それは仮説としては充分に有りじゃと思う。で、じゃ。その仮説が当たっておればレピアよ、おぬし身体が1つ余る事になるのう……くれ。わしに、おくれ」


 懐かしい場所が、廃墟と化している。
 精霊の王国だけではない。レピアには、そういう場所が多過ぎる。
 かつて過ごした場所の、ほとんどが今や地上から消え失せた。
 かつて共に笑い、共に泣き、愛し合い憎み合った人々の、ほとんどが今やこの世にはいない。
 森に埋もれかけた石の廃墟を、レピアは見回した。
 間違いない。石の灰色が、植物の暗緑色にほとんど塗り潰されているが、ここはかつてレピアが過ごした精霊の国の王宮だ。
(姫様……)
 心の中で呼びかけてみる。無論、返事はない。
「おかしいのう……この廃墟なら、わし何回も来た事あるんじゃが」
 女賢者が不思議がっている。地面を見つめながらだ。
「……こんな階段、初めて見るぞい」
 地面ではない。王宮の、石畳だ。
 森の草木に埋もれた石畳が、一部を抜き取られた感じに開いている。地下への大穴が、生じている。
 覗き込むと、そこには女賢者の言う通り、下りの階段があった。地の底へと通じる、石の階段。
「王女の帰還に、反応したというわけかの……まあ、中身はレピアなんじゃが」
「あたしを……待ってた? って事……」
 松明に火を灯し、階段を降りて行く。
 しばらく下った所で、レピアは足を止めた。
 そこに、自分がいた。
 自身の目で確認した事はないが、これまで自分は幾度も、こんな様を晒していたのだろう。
 それは、苔むした石の女人像だった。
 傾国の踊り子が、汚らしい苔のドレスをまといながら石化し、佇んでいた。


 女賢者の住処である地下迷宮。
 石像は、とりあえず彼女の使役するゴーレムたちが運んでくれた。
「うむ……綺麗になったのう」
 女賢者とレピアが、2人がかりで石像を洗浄し終えたところである。石化した「傾国の踊り子」を。
 綺麗になった女人像を、レピアはじっと見つめた。
 目の前に、自分がいる。おかしな感覚だった。
 精霊の国の王女と、初めて出会った時も、こんなふうに感じたものだ。
「懐かしいじゃろレピアよ。おぬしの、本来の身体じゃぞ」
「懐かしい……って言うのかな、これ」
「今のその身体に愛着があるのも、わかるがのう。人間、2つの肉体を持つ事は出来んのじゃ……魂は、あるべき処へ」
 女賢者が呟き、念じる。
 今のレピアからは、何か違和感のようなものを感じてしまう。エルファリアは、そう言っていた。
 それはきっと、こんな感覚なのだろう、と思えるものをレピアは今、感じていた。
 魂が、違う身体へと移されて行く。
 借りものとは言え数百年も馴染んできた肉体から、その数百年間、石像となっていた身体へと。
「……気分はどうじゃ?」
 女賢者が、興味深げに問いかけてくる。
 レピアは、尻餅をついていた。
「これが、あたしの……元々の、身体……」
 実感が湧かぬまま、目の前にあるものを見上げる。
 石像だった。美麗な、女人像。つい今までレピアが、己の肉体として使っていたもの。
 精霊の国の、王女の肉体。それが今、石化している。役割を終えたかのように。
「……やはり駄目かのう」
 女賢者が、ぽつりと言った。
「この王女も、ついでに生き返ったりせんかなーとか思ったんじゃが。天寿を全うした者の魂は、やはり戻らんのう」
「そうだよ。あの姫様はもう、いないんだ」
 先程まで自分の肉体であった石像を見つめながら、レピアは言った。
「いなくなった人は、もう……帰って来ないんだ」
「じゃ、わしがもらっても良かろ? 傾国の踊り子の、使用済み肉体! 超々レア物じゃよ」
「……一体、何に使うつもりよ」
「そ、そんな恥ずかしい事! 女の子に言わせたら駄目じゃよー」
 乙女のように恥じらう女賢者に、レピアはにっこりと微笑みかけた。
「おかしな事に使ったら、今度は……お濠に吊るす、くらいじゃ済まないからね?」


 身体が、勝手に動いてしまう。
 頭の中では、勇壮な戦いの楽曲しか流れない。
「こ、これが……破邪の舞い……」
 荒ぶるものを抑え込むので、レピアは精一杯だった。
 本来レピアのものであるはずの肉体が、レピアの知らぬ舞踏を覚えてしまっている。
「本当に一生懸命……この踊り、練習したんですね。姫様……」
「精霊の国の姫君は……貴女にとって、本当に大切な人だったのねレピア。思いが、その踊りに込められているわ」
 エルファリアが、いくらか悲しげに微笑んだ。
「長い年月を生きてきたレピアに、大切な人は……数えきれないほど、いるのでしょうね」
「今は、エルファリアだけだよ」
 破邪の舞いに合わせて、レピアはエルファリアの手を取った。
 今は、この身体が覚えているだけの「破邪の舞い」。これを本当の意味で己のものにした時、自分は踊り子として新たな境地に達するだろう。レピアは、そう確信していた。
「咎人の呪いも解けたし、これからはエルファリアと一緒に……ふふっ、年取って。普通に、おばあちゃんになって」
「2人で、ね……」
 踊りながらレピアとエルファリアは、ベッドへと倒れ込んでいった。