<東京怪談ノベル(シングル)>


 別離の先にある答え


 それまで長い間避けていた地を訪うと決めた。不思議と導かれるように彼は、幾多もある墓碑の中からそれを見つけることができた。それは彼女への想いからか、彼女が彼を欲する想いからか――どちらにしても意地悪だなとエル・クロークは思う。
 持参した花束を捧げ、刻まれた墓碑銘を軽くなぞる。けれどもそこに刻まれた名で彼女を呼んだことはなかった。クロークはいつも彼女のことを『魔女殿』と呼んでいたから。
 立ち上がり、墓碑を見下ろす。ここに来るまでにどれだけの時を要してしまったのだろう。彼女が『別れを告げに来た』今、ようやく彼は動くことができた。
 もう彼女はいない――そんなこととっくにわかっているつもりだった。けれども本当はそれを受け入れられていなかった、そんな自分を認めたくなかった……様々な想いがここに来るまでクロークを襲った。けれども。
 ふっ、とやさしい微笑みを浮かべた彼は、それまでの彼とは何か違っていた。


「さようなら、魔女殿。どうか、安らかに」


 それだけ告げてクロークは墓碑に背を向ける。一度も振り返らず、元来た道を歩んでいく。
 これまでのクロークは、彼女の喪失を理解している様に装いつつも、心の何処かでそれを認めたくないとタダをこねているようであった。けれども今は――それまで頑として認めなかった喪失を受け止めていた。
 別れを告げた彼。それはようやく踏み出した大事な一歩。
 けれども彼の心の裡は、決して晴れ晴れとはしていなかった。



 ぽっかりと、心に穴が空いたような思いだった。ただそれは、今までに感じたものとは種類が違う。
 彼女に恋人ができた時――それでもクロークは彼女のそばにいることができた。
 彼女が命を終えた時――それでもクロークは彼女を想い続けることができた。
 けれども、今は。
 彼女への想い、彼女の存在の残滓のようなもので生きてきた彼は、自分の『これから』が見えないでいた。
 何にのために生き、どうやって永劫とも思える時を持て余さずに過ごせというのか。今のクロークにはその展望がなかった。
「――ふぅ……」
 無意識のうちに小さくため息をついていた。展望はない。だが一つだけ、やると決めていることがあった。

 引っ越し――である。

 香りに関わる物全般を扱うクロークの店、内装はレトロアンティークで喫茶スペースがあり、裏には倉庫を兼ねた『仕事場』のあるそれを引っ越すつもりだった。
 だが『引っ越し』自体は瞬く間に終わる。建物に宿る魔力を開放するだけなのだ。それはこの店の特殊さゆえのこと。ソーンの世界の路地裏に繋がっているのは店の入口と窓だけであり、店舗自体は異空間に存在しているからだ。
(さて、次はどこに行こう)
 クローク自身にも引越し先にアテがあるわけではない。けれどもこの店舗の存在上、どの世界、どの時間軸にも『引っ越せる』のだ。
(アテはない。行きたいところも……特にないね)
 考えてみても答えは同じ。別に、どこでもいいのだ。彼女はもう、とうの昔にいない。彼女の残滓をかき集めてしまわない場所ならば、どこでも良かった。
(僕はいったい、これから何のために――)
 魔女殿という標を、長い間クロークを支えてきた柱を失った――否、決別した今、希望も欲望も、絞り出そうとしても出てきそうになかった。だから。
(――、――)
 半ばやけになったのかもしれない。自暴自棄になったのかもしれない。どこでもいい――そう思ってしまったのは確かだ。

 ――パァンッ……!

 力のある者なら感じ取れただろう。店舗に宿る魔力が開放される音が。そして指針なく、異空間を彷徨う姿を。
「……、……」
 クロークは何も言葉を紡がない。何も、思わない。本当に、本当に適当に次の場所を決めたつもりだった。



 どこかの路地裏に、店の出入り口と窓が繋がった。扉を開けて一歩外に出てみれば、無機質な世界が広がっていた。
 コンクリートの建物が密集し、少し離れた通りからはたくさんの何かが猛スピードで行き交う音、そして電子音が聞こえる。
 路地裏に店を繋いだというのに人の流れはそこそこ多い。そして何より、空気が濁っていてまずかった。濁っているのは排気と、この街に住む無数の人間の思いのせいのように感じた。
 店舗前に立つクロークの姿を、裏路地を行く人々は誰も気に留めない。皆、足早に過ぎ去っていく。生き急いでいるようだ。
 けれどもクロークの姿が見咎められないのは、この店の特性のようなものである。
 実はこの店は、誰にでも訪れられるものではない。必要な人にだけ店の姿が見え、そして門扉は開かれるのだ。必要がなくなれば、同じ場所を探したとしても、決して店にたどり着くことはできない。例外があるとすれば、店主であるクロークの気まぐれが発動した時だけ。

「東京、というんだね」

 店を出たその足で、クロークは辺りを歩いて回った。そしてこの世界の情報を仕入れる。無機質な建物の多い街だが、クロークの店は浮くことなく溶けこむことができそうだ。似たような雰囲気の喫茶店を、見つけた。恐らく一定数、レトロアンティークなものを好む層はいるようだ。
「……、……」
 クロークの気さえ変われば、違う世界や場所、違う時間軸で店を開くことも出来る。けれどもクロークは、無機質な建物の間に見える濁った空を眺めて微笑を浮かべた。この街が、今の自分にはふさわしいのかもしれないと思ったからだ。
 様々な思いの行き交う薄汚れた街、ここならばお客に事欠くことはないだろう。忙しくしていれば、ぽっかり空いた穴を意識せずにすむかもしれない。
(僕の生きる意味は、何なのだろうね)
 店の前に戻ってきたクロークは、ドアノブに手をかけてまた、息をついた。すぐには答えが見つからないだろうこともわかっていた。すぐに見つかるものならば、今こうして思い悩んだりはしないだろうから。
「早速、店を開けようか」
 誰にともなく呟き、この店を必要とする者を導くための力を込めようとしてその時――。


「あの……すいません」
「……」
「あの、ここ、香りを扱っているお店、ですよね?」


 最初は自分が声をかけられているとは思わなかった。けれども続いた言葉で自分が話しかけられているのだと、理解せずにはいられなかった。
 ゆっくりと振り返ると、そこには店の看板を白い指先で示した長い金の髪の少女が、緑の瞳でクロークを見つめて立っていた。



 少しの間、クロークは硬直した。まだ店は『開店』していなかったはずなのに、この少女はクロークと店を捉えていたから。
「ああ、そうだよ。どうぞ。あなたが最初のお客さんだ」
 だがすぐにいつもの微笑をたたえ、彼女を招き入れる。
「わぁ……内装もとても素敵です。それに、こんなにたくさん、あるなんて」
 金の髪に白い花の髪留めをつけた少女は、店の中をぐるりと見回して、感嘆の声を上げた。クロークとしては予想外であったが、彼女がお客であることには変わりない。今まで幾多もしてきたように対応する。
「何か探しものがあるのかな? それならば手伝うよ」
 ただ色々見てから決めたい客には下手に口を出さない。けれども長年の勘からして、彼女はなにか欲しい物があってこの店を訪れたのだとクロークは思う。でなければ、彼女が店を見つけられたことの説明がつかない。
「あの、喉に良いハーブティーやティーハニーがあれば買い求めたくて……あと、もし、滋養に良い物があれば……」
 戸惑ったような少女の言葉を聞いて、クロークは意外な思いを抱いた。この少女のように10代後半くらいの少女ならば、自らを飾る香りや甘いお菓子に興味をもつのではと思っていたからだ。実際に、今までのクロークの記憶内の統計では、彼女と同じ年頃の少女たちはやはりそういうものを求めていた。
「そうだね……フェンネル、タイム、マーシュマロウ……喉に良いとされるハーブはいくつかあるし、置いてあるよ。でも個人の体質にも左右されるからね、いきなり大容量のものを買って合わなければ損だし、少量ずつ何種類かためしてみるといいかもしれないね」
「あの、こちらでは少量ずつ売って頂けますか?」
「もちろん。カモミールやエルダーフラワーなんかもいいかもしれないね。ちょっと待ってて貰えれば、少量ずつのセットを作るよ?」
 クロークの申し出にお願いします、と嬉しそうに微笑んで告げた彼女を喫茶スペースの椅子に座らせて、サービスのカモミールティを提供する。彼女がそれを飲んでいる間に小さな密閉容器に茶葉を移し、ラベルを貼る。
「あとは滋養強壮に効くハーブでいいのかな?」
「あ、はい。私……歌うお仕事をさせていただいているのですが、時々原因不明の体調不良に襲われて迷惑をかけてしまうので、少しでも身体を強くしたくて」
 テーブルの上できゅ、と彼女は拳を握りしめた。彼女に背を向けて作業をしているクロークは、彼女の声から自分を責めている様子を感じ取ることができた。おそらくは迷惑をかけてしまうことを申し訳ないと思っているのだろう。
「ハーブは薬効が症状によっていろいろ細かく分かれていてね、残念ながら何にでも効くというのは難しいけれど」
「そうですか……」
「僕のオリジナルのブレンドで良ければ、試してみるかい? 数日もらうけど」
「いいのですか!?」
 がたん、彼女はテーブルに手をついて勢い良く立ち上がった。その後、勢いに任せて立ち上がった自分を恥じるようにそっと椅子に座り直した。
「喉に効くハーブティの方は小分けができたよ。数回分ずつ入っているから、試してみて。効きが良ければ次からそれだけにすればいいし、どれもいまいちならば、僕がオリジナルブレンドを作るよ」
「そこまでしていただけるのですか……?」
「ここはそういう店だからね」
 そう、必要とする客に『必要とするモノ』を授ける、ここはそういう店。
「ありがとうございます……!」
 代金と引換に品物の入った紙袋を渡すと、彼女はそれをギュッと抱きしめて、嬉しそうに笑った。まだ買い求めたハーブが効くとわかったわけでもないのに。その無防備さと無垢な感じが今のクロークには特別眩しかった。
 数日後に滋養強壮に効くハーブを受け取りに来ると約束して、彼女は店を出た。出入り口まで見送りに出たクロークに、振り返りながら何度も会釈をして彼女は去っていく。
(ハーブのままだと摂取の仕方が難しいか……ならばハーブティに加工するか、いや、ハーブティは喉のほうで飲んでいるから、お菓子のほうがいいかな?)
 扉を閉めてひとりきりの空間に戻った時、ふとクロークは我に返った。そして気がついた。彼女向けのオリジナルブレンドを作るのにワクワクし、楽しみにしている自分に。
「仕方がないな……」
 いつの間にか、自分は自分で思っていたよりこの仕事が好きになっていたようだ。客の要望に応えるのをこんなに楽しく思うほどに。
(ああ――)
 先程まで彼女が座っていた椅子に腰を掛け、背もたれに凭れる。
(なんだ、そういうことか)
 人と深く関わらないように一線を引き、飄々と過ごしてきたつもりだった。
 喪失を恐れ、二度とその悲しみに直面したくないという思いから、人との関わりは最小限にしてきたつもりだった。
 よるべを失い、心にぽっかりと穴が空いたはずだった。
 なのにどうしてだろう、客として訪れたあの少女の話を聞き、そして彼女のために動いている時、クロークは一定の満足感を得ていたのだ。
 作業のようにこなしていた仕事、客の満足を優先して、善悪の区別なく引き受けてきた裏の仕事。どれも淡々とこなしてきたはずだった。けれども。
 『人間』になりかけていると言われたクロークには、これまで蓄積されたすべてのヒトとの『関わり』が浸透しているのだ。
 魔女殿に別れを告げることができた時、それが大きな変化であることはわかっていた。けれども今、初めて、変化したのはそれだけではないと感じている。
(答えは見つからないけれども……)
 自分の生きる意味は何なのか、その答えはまだ見つからないけれど、自身に変化が訪れていることは確実で。
 それはクロークにとって大変複雑な思いを抱かせるものであったが。


「もう少し、生きても面白いかもしれないね――僕の力を必要とする人がいるならば」


 その想いを紡ぎ出せたのならきっと、いつか答えを見つける日が来るだろう。





       【了】






■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■

【3570/エル・クローク様/無性性/18歳(実年齢183歳)/異界職】



■         ライター通信          ■

 この度はまたのご依頼ありがとうございました。
 お届けまで大変おまたせして申し訳ありませんでした。
 少しでもお気に召すものとして仕上がっていることを願いつつ。

 最後の引っ越しのお話を書かせていただき、大変光栄です。
 いろいろと悩んだ結果、行き先は現代の東京となりました。
 私がクローク様のお店に行ってみたいなぁと思うから、というのも少しはありますが、理由はそれだけではなく。
 皆までは語りませんが、行間に込めた思いを感じ取っていただければ嬉しいです。

 短い間では有りましたが、クローク様のお話を書かせていただき、とても幸せでした。
 ありがとうございました。