<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


幸福はこの手の中に

「起きてください。レインさん」
 優しく体を揺り動かされ、レインは小さく唸って身じろぎをする。
「レインさんったら。もう朝ですよ」
 もう一度そう声をかけられながら、レインは体を揺すられる。
 夢心地で気持ちが良いこの感触にまだまどろんでいたい気持ちの方が勝り、意識は薄ぼんやりと起きていても瞼は重くて持ち上がらない。いや、持ち上げたくないと言った方が正しいのだろうか。
 いつまでも目を覚まそうとしないレインを見て、小さく溜息を吐いた。
「もう、お寝坊さんなんですから……仕方がないですね」
 そう囁いた直後、レインの唇に柔らかく暖かい感触が伝わってくる。と、同時に甘く鼻先を擽る良い香りが掠めた。
 レインはその感覚にパッと目を見開くと、すぐ至近距離にローズマリーの少し照れたような笑みがある。
「おはようございます。レインさん」
「……お、おはよう、ございます……マリーさん」
 目覚めのキスをされ、寝床に横になったまま顔面を真っ赤に染め上げるレイン。ローズマリーはクスクスと面白がって笑っていた。そしてそっとレインの上に掛かっていた毛布を剥ぎ取ると、彼の手を取る。
「朝ごはんの仕度が整ってます。今日はレインさんの大好きな物を作ったんですよ」
 引っ張り起こされたレインは、「じゃあ、下で待ってますね」と微笑んで出ていたローズマリーを見送り溜息を吐いた。
 結婚式を終えて数日経つが、相変わらずこの朝の起こし方に慣れない。
 プツプツとボタンを外しながら、何気なく視界の端にある窓に視線を向けた。
 結婚してからすぐに、レインはブランネージュ宅へと引っ越してきた。小ぢんまりとした瀟洒な洋館。住み心地はこの上ないほど快適だ。この洋館は全てブランネージュが綺麗に管理している為とても住みやすかった。
 窓ガラス越しに、住み慣れた我が家を離れたこの場所で着替えている自分の姿を見ていると、不思議な気持ちだった。
「まだ、式が終わってからそんなに時間も経ってないし、仕方がないのかな」
 レインは着替えを済ませると、部屋を出た。
 階段の下からはとてもよい香りが立ち昇ってくる。暖かなスープと焼きたてのパンの香り、紅茶や、採れたての熟れたフルーツの香り……。
 どれも食欲をそそるような良い香りだった。
 ゆっくりと階段を降りた先の部屋に入ると、先に起きていたブランネージュが紅茶を飲んでいる姿がある。
「おはようございます。ブランネージュさん」
 レインがそう声をかけると、ブランネージュは紅茶のカップをテーブルに戻しながらニッコリと微笑みかけてきた。
「おはようございますわ。レインさん」
 ブランネージュの傍に近づくと、レインは彼女からおはようのキスをされる。
 まだ慣れきってないキスに少しだけ翻弄されながら、レインは自分の席についた。
「今日はお休みですね。一日どう過ごされます?」
 レインに紅茶を注ぎながらローズマリーが訊ねると、彼は注がれたばかりの暖かな紅茶を飲みながら少し考えてみる。
 どこかに出かけるのもいいが、今日は一日自宅で過ごすというのも悪くない。
 一口飲んでカップをテーブルに戻すと、レインは2人を見ながら口を開いた。
「今日は自宅で過ごそうと思うんですが、どうですか?」
「あら、そうなんですの?」
 意外そうに目を瞬くブランネージュに、ローズマリーも席に座りながら小首を傾げる。
「そう言う休暇の過ごし方も良いと思います。ゆっくり体を休める事も大事ですから」
「まぁ……、そうね。たまにはゆっくり過ごすのも悪くないわ」
 レインの要望通り、今日一日は自宅でのんびり過ごす事になった。

 賑やかな朝食を終えて、3人は居間に集まる。レインは日頃から愛読している本を手にソファに座っていると、耳掻きを手にしたローズマリーが隣に腰を下ろした。
「レインさん、どうぞ」
 自分の膝に頭を預けるように誘うと、レインは赤くなりながら言われるままに横になる。
 柔らかな膝の感触と甘い香りに胸を擽られ、丁寧な手つきで耳掻きをされていると落ち着いて本を読むどころの話ではない。
 本を開く事も無く胸に抱いたまま、恥ずかしさに目を閉じたままローズマリーのされるがままになっていると、ブランネージュがレインを挟んで反対側に腰を下ろしてきた。
「いいわね。マリーは耳掻き上手だもの。気持ちが良いでしょう? レインさん」
「あ……はい、そうですね……」
「耳掻きが終わったら、わたくしの作ったお菓子を食べてくださいませんこと?」
「お菓子……?」
 閉じていた目を開き視線だけをブランネージュに送ると、彼女の腕の中には小さなバスケットが抱えられ、中にはとてもおいしそうなナッツのクッキーが入っていた。
「美味しそうですね」
「美味しいんですのよ」
 ニッコリと微笑むブランネージュに、レインも小さく微笑み返した。
 やがて耳掻きが終わり、起き上がったレインは約束どおりブランネージュの作ったと言うクッキーを食べるべく、彼女に向き直った。すると彼女はいたずらっぽく微笑むと籠の中から一つ摘み上げ、それを自分の口にパクッと加えてしまう。
「ん」
「え……」
 思いがけないその行動にレインが戸惑いの色を見せると、ブランネージュは口にくわえたままのクッキーをズイッと突き出してくる。
 これはつまり……このまま反対側から食べろと、そう言っているのだ。
 その意図を悟ったレインは顔から火が出そうな想いだった。しかし、目を閉じたまま食べるのを待っているブランネージュの事を想うと拒否など出来るはずはない。
 レインはぎゅっと目を瞑り、意を決してクッキーに齧り付いた。
 サクサクとした食感にとろけるような甘さが口の中一杯に広がる。ブランネージュの作ったクッキーは本当に美味しかった。
「美味しい……」
 レインがもぐもぐと遠慮がちに食べていると、薄っすら目を見開いたブランネージュは物足りないと言う、少しばかり不服そうな顔を浮かべた。そして彼女自らも、驚いたように目を瞬いているレインを余所にクッキーを齧り出した。
 ドンドン距離を縮めてくるブランネージュは、やがてクッキーごとレインの唇に自らの唇を押し当てる。
「んーっ!?」
 驚いて思わず体を引きそうになったレインに、ブランネージュは圧し掛かるようにしながらキスをした。そしてむくりと起き上がるとニッコリと笑ってみせる。
「クッキー、美味しかったですの?」
 すっかりブランネージュのペースにやられたレインは、真っ赤になりながらぎこちなく頷き返した。
「……は、はい。美味しかった、デス……」
 呟くようにそう答えると、ブランネージュは満足そうに微笑んだ。
 ソファに押し倒されるような形になってしまったレイン。結婚をしたのだから当然“そういう経験”もしてはいるのだが慣れるまでに時間はかかりそうだった。
 何とか肘を付いて体を起こそうとすると、今度はローズマリーがナフキンを手に駆け寄ってくる。
「レインさん、お顔にクッキーの屑が……」
「え、あ、ありがとうございま……」
 そう言いながら彼女を振り返ろうとすると、ローズマリーは至近距離で顔を拭いているついでにレインにキスをした。
 完全に不意打ちだった。
「あ……。ごめんなさい。つい……」
 そんな事を言いながら照れたように笑うローズマリーに、レインは完全に硬直してしまう。
 休日でも、彼女達に対する思いは果てしなくノンストップであり、彼女達から自分に対する想いもノンストップだ。
 心から大好きな人と結ばれた事は、この上ない幸せだと言えるだろう。
 これから先も、3人の愛情はきっと薄れることなくこのまま続いていくような気がする……。レインはそう思った。そう思うと、なぜだかふっと嬉しくなって無意識に口の端が引きあがる。
「お嬢様、クッキーとても美味しかったですよ」
「あら、レインさんにキスして味見したのね。良かったわ、美味しく出来て」
 目の前で顔を突き合わせ微笑み合う2人の仲も、壊れるどころかとても良い関係を築けているようだった。
 レインはこんな光景の中に自分がいられる事が、本当に心から幸せだと思える。
 結婚式で誓い合ったように、3人はこの命が燃え尽きるその瞬間まで、このまま仲睦まじく寄り添っていよう。
 この思いは、レインだけでなくブランネージュとローズマリーの中にも強く根付いていた。