<東京怪談ノベル(シングル)>


踊り子レピア、最大最後の危機


 仲直りというのが、どういうものなのか、レピアにはわからない。
 エルファリアと本気で仲違いなど、した事がないからだ。
 わからないまま、レピアは言った。
「……仲直り、出来たんだね。あんたたち」
「さて……それは、どうかな」
 聖女、と呼ばれている方の女性が言った。
「今はね、お互いに機嫌がそれほど悪くないだけ。少しばかり虫の居所が悪い時なんて、ひどいものさ……私は、この女を八つ裂きにしたくなるし、この女も私の生皮を剥ぎたくて仕方がなくなるだろう。なあ?」
「私は……機嫌なんて良かろうが悪かろうが、貴女を許した事なんてないわよ」
 魔女、と呼ばれている方の女性が、苦笑している。
「お互い一生、許し合えないまま……たまには、こうして顔を合わせるのも悪くないわ。エルファリア王女の前でなら、ね」
 白衣の聖女と、黒衣の魔女。どちらが姉でどちらが妹なのか、聞いた事はあるかも知れないがレピアは忘れてしまった。
 魔女が、あまり健やかではないその笑顔を、レピアに向けた。
「咎人の呪い……解けたのね。おめでとう、と言っておくわ。ちなみに貴女は私を許せるの?」
「……どうだろうね。2人っきりなら、あんたを叩き殺してるかも」
 かつては、この女を心の底から許せなかった。
「だけど今は、エルファリアもいるし……ふふっ、あんたたちと同じだね。それに」
 ちらりと、レピアは視線を動かした。
「許し合えないってのが、どれだけ無様な事か。こいつらを見てれば、嫌ってほどわかっちゃうしね」
 女賢者が2名、仲直りの気配など微塵も感じさせずに口論をしている。
「おぬしの作品はな、どこかで見たようなものばっかりなんじゃよ! 売れ筋のもん片っ端から模倣しおってからに!」
「広く世間に受け入れられているものを取り込むのは、当然の事でしょう。貴女の作品は、単なる独創性の押し売りよ。とても商品とは呼べないわね」
「商業主義を否定はせん。じゃがの、商売が最終目的になったら魔本はお終いなんじゃよォオオオ!」
「はいはい、力説しない。喧嘩もしない」
 拳を握って喚き立てる女賢者の小さな身体を、レピアは猫のように掴み上げた。
「こちとら、あんたらの喧嘩に巻き込まれて大変な目に遭ってるんだから」
「だ、だって悔しいではないか。こやつばっかり、レピアやエルファリアで愉しみおって」
「私は、エルファリア王女では愉しんだけれど……そちらの踊り子さんには手を出していないわよ」
 もう1人の女賢者が、ふっ……と微笑んだ。
「うかつに手を出したら、噛み殺されるわ……貴女、獣なんだもの」
「そうだねえ。あんたの事は、噛み殺して引き裂いて、思いっきりブチまけてやろうかと本気で思ったよ」
 ぎろりと眼光を返しながら、レピアは溜め息をついた。
「今ここにいるのって基本そんな奴ばっかり……まったくエルファリアは、こんな連中集めてお茶会なんて」
「ふふっ。本当に、色々あったわね。この方々とは」
 エルファリアが、本当に嬉しそうにしている。
 別荘の中庭に設けられた、ティーパーティーの席。
 そのテーブル上に侍女たちが手際良く、様々なものを並べてゆく。
 各種紅茶、それに白山羊亭から取り寄せたケーキ、タルト、スコーン、その他諸々である。
「私、また皆様と会えて嬉しいわ……貴女も、来てくれたのね」
「この牝犬ちゃんに無理矢理、引きずり出されて来たのよ」
 エルファリアと旧知の間柄である令嬢が、ちらりとレピアを睨む。
「正式な飼い主は貴女でしょう、エルファリア様。きちんと躾をしていただかないと……私はもう嫌よ、こんなの飼うのは」
「嫌でも何でも、押しかけてって引きずり出す。引きこもりを家の外に出すにはね、これしかないわけよ」
 レピアは言った。
「…………で。何で、あんたまでここにいるのかなあ」
「王女様に呼ばれたから、に決まってんじゃないの。いやあ、さすが白山羊亭のフルーツパイは絶品ね」
 海妖精の女海賊が、がつがつと菓子を食らいながら紅茶を飲んでいる。荒くれ男が、肉を食いながら酒を飲むように。
「あのお店、ぶん獲っちゃおうかしら。王家の名において……いいわよね? 王女様。あたしら王家認定の私掠海賊なわけだし」
「良いわけがないでしょう。貴女は少し、陸の上で大人しくしていなさい。そのために招いたのだから」
「ね……もう1度、海賊やってみない? 王女様」
 海賊の女船長が、にやりと凶悪に笑った。
「耄碌し果てた聖獣王じゃなくて、うちらがエルザード近海を守る! ……的な演説、またブチかましてよぉ」
「あ、あれは! 貴女がたに洗脳されて、つい心にもない妄言を」
「心にもない。本当かのう」
 幼い少女、に見える女賢者が、傍から口を挟む。
「エルファリアは、わしと一緒に魔本描いてる時も聖獣王の悪口言っとったではないか。権力で魔本を禁ずるのは横暴じゃとか、二十歳過ぎの娘をいつまでも箱入り扱いしとるとか、酔っ払うと同じ話ばかりじゃとかムグムグ」
 女賢者の小さな口に、エルファリアはタルトを突っ込んだ。
 もう1人の女賢者が、聖女と魔女の姉妹に言葉をかける。
「本当に驚いたわ。貴女たちが和解をするなんて、ソーンが滅びても絶対に起こり得ない事だと思っていたから」
「和解をしたように、見えてしまうんだね」
 白衣の聖女が、苦笑した。
「まあ確かに、会話をするようにはなったかな……私はね、君たち2人が羨ましいよ。仲違いをしながらも、ちゃんと会話は出来ているからね」
 小さな方の女賢者が、エルファリアによって半ば無理矢理、紅茶を飲まされている。
 その様を見物しながら白衣の聖女が、いや黒衣の魔女も、微笑んでいる。
「私たちの仲違いはね、まずは沈黙から始まったわ。お互い、一言も口をきかなくなって……離れて暮らしながら、憎み合って」
「原因なんて、もう覚えてはいない。女2人で四六時中、顔を合わせて暮らしていると、理由もなく仲が悪くなってゆく……私はね、そういうものだと思っていたよ。ねえレピア浮桜」
 聖女が突然、話しかけてきた。
「お前とエルファリア王女、みたいなわけにはいかないのが普通なのさ。お前たち2人はどうして、そんなにも愛し合っていられるのかねえ」
「……言葉で言える事じゃないよ」
 お互い、大切に思い合う。何があっても、信じ合う。
 言葉にした瞬間、とてつもなく陳腐でつまらないものになってしまう何かが、自分とエルファリアの絆を強めてくれる。
「ま……あんたたちのおかげ、なのかも知れないけど」
「……何が、かしら?」
 魔女が、問いかけてくる。
 レピアは、ちらりと睨み返した。
「何でもない。あんたもほら、お茶でも飲んでお菓子食べな」
 石に変えられた。獣に変えられた。
 自分もエルファリアも、ここにいる女たちには本当に、様々な目に遭わされた。
 そのおかげで2人の絆が強くなった……などとレピアは、口が裂けても言うつもりはなかった。
「貴女は……信じられないくらい簡単に、人と愛し合えるものね」
 王女の旧友である令嬢が、上品に紅茶を味わいながら言う。
「犬のような図々しさで本当、誰とでも仲良くなって……」
「な……何。何か言いたいわけ?」
 狼狽を、レピアは懸命に隠したつもりだった。
 そんなものは関係なく、あるいはそれを知っての事か、女海賊が声を上げた。
「お茶とお菓子もいいけど、せっかく集まったんだし……後で、みんなで黒山羊亭に繰り出さない?」
 その口にケーキでも押し込んで黙らせなければ、とレピアは思ったが、すでに遅い。
「あら、いいわね。私も久しぶりに、お酒を飲んでみたいわ。ねえレピア」
 エルファリアは、無邪気に喜んでいる。
 他の女たちは、ニヤニヤと面白げに笑っている。
 まずい、とレピアは思った。
 800年以上にも及ぶ、これまでの人生の中で、これほどまずいと思った事はない。
 黒山羊亭にエルファリアを伴って行くのは、実にまずい。
 何故なら黒山羊亭には、彼女がいるからだ。
「……レピア、どうしたの? 変な汗が出ているように見えるのだけど」
「い、いや、何でもないよエルファリア」
 自分もエルファリアも、今まで散々な目に遭ってきた。
 そんなものは問題にならないほどの試練を、自分はこれから受ける事になる、とレピアは思った。