<東京怪談ノベル(シングル)>


灼熱の喜びを

 ウインダーのグレンは肩と、少し翼の角度を落として、エルザードの街を歩いていた。
 手には赤いマントを持っている。
 紅焔衣と呼ばれる深紅の布地で作られた、炎を思わせる華美なデザインのマントはグレンの守護聖獣、フェニックスの聖獣装具である。
 その紅焔衣は真ん中から裂け、グレンが歩く度になびいていた。
「こんなことなら、もっとちゃんと考えて行動しておくんだった……」
 覇気のない声で、ぽつりと呟いた。
 普段のグレンならば、口調はとても元気がいいのだが、今回ばかりはそうではなかった。
「グレン、ちょっと」
 呼ばれた声がして振り向くと、天使の広場の噴水に腰かけたカレンが、ハープの調律をしながら話しかけてきた。
「雪が溶けて春になり、灼熱の夏になるまでのこの時期は、とても良くないことが起きやすいものです。どうして少しは計画のある行動をしなかったのですか?」
 カレンの言葉に、グレンは返す言葉が思いつかなかった。
 目線を落とすと、紅焔衣が風になびいていた。
「フェニックスに、少しでも、近付きたくて……」
 グレンは肩をすぼめ、弱弱しく言った。
「ならば、紅焔衣を直すのが先だろう。聖獣装具がこの状態では、フェニックスはグレンの元へ来たくとも来られないでしょう」
 にこりと微笑んだカレンは、ある方向を指差した。
 それはアルマ通り。
「ルディアは手先が器用です。最近は衣服作りに励んでいるとか」
 それを聞いたグレンの表情はパッと明るくなった。
「うん! ありがとう!」
 ぺこりとお辞儀をすると、グレンは紅焔衣をぎゅっと握りしめ、白山羊亭に向かって走り出した。


■□■


「いらっしゃいませ!」
 グレンがアルマ通りにある白山羊亭内に入ると、ルディアの明るく大きな声が響いてきた。
「あ、あの」
 グレンはさっそくルディアに声をかけようとしていた。しかし、エルザード祭りの影響か、普段よりも客数が多く、ルディアは目が回るような忙しさの中、あっちへ飲み物を持っていっては、こっちで飲み食いが終わった後の席の後片付けをしていた。
「ごめんなさい」
 グレンは、白山羊亭から出ていた。
 白山羊亭の傍にある大きな木が風になびいて、木の葉を揺らし、さらさらと音を立てていた。
 その木にもたれかかったグレンは、ぼーっと空を眺めていた。
 白い雲がとても速く流れていた。
 明日は雨なのだろうか―――。
「グレンさん! ごめんなさい、忙しくて。でもどうしたの? 元気出してください」
 気がつくと、目の前にルディアがいた。
 とても心配した表情でグレンの前に立っていた。
「る、ルディアぁ」
 ルディアの姿を見たグレンは目をうるうるさせて泣いた。
 涙がぽろぽろと零れ落ち、涙が止まらなかった。
「裁縫が、得意って聞いて……僕、これ…破い、ちゃったから」
 泣きながらも伝えると、ルディアは微笑み『大丈夫ですよ』と優しく言った。
 その言葉を聞いて、グレンはさらに泣いた。


□■□


 グレンはアルマ通りの人混みの中、走っていた。
 首には紅焔衣を大切に巻き、手には大事そうに硬貨を握りしめていた。
 その硬貨を見ると、胸が詰まる思いがした。
 あの後ルディアに紅焔衣を見せると、聖獣装具を直すためには特殊な道具が必要だという。
 魔法石で作られた針に、一番鳥が鳴く頃に採取した蚕の生糸。その糸を染めるための染料も必要らしい。
 グレンは自分の財布をひっくり返して全部出した。
―――足りない。あきらかに少ない。
 そのときルディアはしばらく白山羊亭で働くことを提案してくれ、その分の賃金だとして硬貨を渡してくれたのだった。
 ルディアに迷惑をかけた気がして、グレンはとても申し訳ない気持ちでいっぱいになった。しかし他に方法が思いつかなかったので、ルディアの案で動くしかなかった。
「――というわけで、シェリル、このお店に置いてないかな」
 不思議な商品を扱うシェリルの店で、グレンは事情と必要な物をシェリルに伝えた。シェリルは商品の仕入れ伝票を見ながら、『うーん』と言い、顎に手を当てて考えていた。
「染料はあるんだけどね、針と糸はえーっと……一か月前に仕入れてるけど、最近売った気がするんだよねえ。誰だったかなあ」
 シェリルはグレンのために染料を用意しながらも考えていた。
「あっ! 思い出した。ペティよ! ほら、エルファリア様の別荘にいる。そうそう、それとこの染料はそんなに高くないから、そんな高価な硬貨はいらないよ」
 そう言うとシェリルはグレンが思っていたよりも、うんと安い金額を提示した。それはグレンが元々財布に持っていた金額とほぼ同額で、ルディアから貰った硬貨を使わずに済むことができた。
「針と糸の件はペティに相談するといいさ」
「ありがとう! シェリル!」
 グレンは元気いっぱいにお礼を言った。
 シェリルは手を振り、グレンの姿が見えなくなるまで見送った。姿が完全に見えなくなったのを確認すると、ふぅとため息をついた。
「あんな小さな子から、大金なんて取れないよ」
 ぐっと腕を伸ばしてから、シェリルは仕事に戻っていった。


■□■


 海辺の傍にあるエルファリアの別荘に辿り着くと、王女付きメイドのペティが玄関を箒で掃除していた。
 グレンの姿に気がつくと、丁寧にお辞儀をした。
「ねえ! ペティ!」
 グレンから事情を聞いたペティはニコニコと笑い、グレンを中央ロビーに案内した。
「キャビィさん、エルファリア様は今、どちらでしょう?」
「え? うーんっと、図書室じゃないかな」
 盗賊の商売道具であるナイフを手入れしながらキャビィは答えた。
「グレンさん、この椅子に座ってください。針と糸はエルファリア様が持っていますので。今、エルファリア様を呼んでまいりますね」
「ありがとう!」
 中央ロビーにあるテーブルに案内されたグレンは素直に椅子に座った。
 テーブルには白い花が小さな花瓶に入れられていたが、グレンにはどんな花なのかわからなかった。
「ペティー、お茶入れてよー。せっかくのお客さんだし、お菓子も食べようよ! ねえ、グレンともさ、もっと仲良くなりたいから。いいでしょー」
 グレンの隣に座ったキャビィはペティに訴えた。
「私はエルファリア様を呼んでくるんですから、ちょっと待っててください」
「じゃあ、早く、は・や・くー」
「あらあら、いらっしゃい。どうぞ、お茶とお菓子を用意しますね。一緒にお茶にしましょう。ね、ペティ」
 嬉しそうにエルファリアが言った。
 その手には赤い繕い物。
 グレンが不思議に思いつつ、首元に手をやると――無い。首に巻いていたはずの紅焔衣がなかった。持っていたはずの染料もなかった。
「ふふふ、糸を今、染めているので染め終わったら縫いましょうね」
「えっ? えっと、ええ?! その糸ってエルファリアのものじゃないの?」
 驚いているグレンの前に、温かい紅茶が運ばれてきた。
 その横にチョコと桜の花が添えられたクッキーが2枚。
 運んできたペティは嬉しそうに笑っていた。
「大丈夫ですよ。さあ、お茶にしましょう。グレンさん」
 エルファリアは紅茶を一口飲むと、話し始めた。
「キャビィは盗賊ですから。グレンさんに気付かれずに、グレンさんの情報を収集することも、私にグレンさんの持ち物を渡すこともできるんですよ」
 それを聞いて、グレンは不思議に思った。
「どうして、そういうことをしたんだ?」
「フェニックスからの導き、とでも言いましょうか。この聖獣装具を直すためです。さあ、食べ終わったら、一緒に直していきましょうね、グレンさん」
 エルファリアの優しい笑顔を向けられ、グレンはなんだかよくわからないけれども、頷くのだった。


□■□


 糸が紅く染めあがると、グレンは水でしっかり洗浄した。それを乾かすために、グレンは濡れた糸を持って空高く舞い上がった。高速走行している内に、糸はすぐに乾くことができた。しかし、グレンの服は糸から出た水でびしょびしょに濡れてしまった。
 ペティに着替えを用意してもらい、着替えている内に、エルファリアはグレンから預かった糸を整えていた。
「着替え終わったよ、エルファリア」
「じゃあ、一緒に紅焔衣を縫っていきましょうか」
 そう言われたグレンは、とても驚いた。
「僕、裁縫なんてやったことないよ?!」
「大丈夫です。ゆっくりでいいんですよ」
 エルファリアに微笑みかけられ、グレンは断ることができなかった。
 エルファリアの隣に座り、針と糸を持った。
 まず最初に針に糸を通すところから躓いたが、エルファリアが優しく手解きし、針に糸を通すことができた。
 それから、ゆっくり一針一針、紅焔衣の破れたところを縫っていった。
「そうです、そうです。とても上手ですよ、グレンさん」
 グレンは口をもごもごさせたが、何も答えることができず、頬をうっすら赤く染めた。
 ペティとキャビィが見守る中、グレンとエルファリアの裁縫は続いた。


□■□


 夕日が陰り、陽が落ちかけた頃、グレンは翼を広げ、天を舞っていた。
 地上にいる三人の人影に大きく手を振り、何度も言った感謝の言葉を大声で叫んだ。
 赤黒い夕日にグレンの白い翼と、首元に巻きつけた紅焔衣。
 もう紅焔衣に破れた個所など存在しない。
 この紅焔衣がこうやって再び首に巻かれるまでには様々な人々の手を借りることとなり、たくさん周りの人に迷惑をかけてしまった。そのことについては、とても申し訳ない気持ちになる。
 しかし、たくさんの周りの人々の温かい親切に触れることができ、その時々の出来事を思い出すと、とても心が温かくなった。
 後日、改めてみんなにお礼を言いに行きたいし、ルディアにはお金を返さなければならないと思う。でも少しはお店を手伝おうと思うし、次はみんなの役に立てるようなことをしたかった。
「えっ? あ、あれ?」
 辺りが一瞬暗くなった。
 いきなり暗くなったので驚き、辺りをキョロキョロと見回した。
 グレンの頭上に何かがいる。
「あっ!」
 雲間から、赤くて大きな翼や胴体、そして嘴が見えた。
 丸くて大きな目がグレンを見詰めており、目が合っていた。
 ガルガンドの館の本やシェリルの店のタペストリーで見た、あの姿だった。
「フェニックス……」
 悠々と大空に赤く大きな翼を広げ、堂々とした風格のある姿で飛んでいた。
 グレンは前に進むことを忘れ、宙に浮いたまま、フェニックスの姿に魅入っていた。
「すごい……」
 感動のあまり、体が震えそうだった。
 実際に会うことができたら、何をしようか考えたこともあったが、グレンの体はその場に留まって、フェニックスを見ることしかできなかった。
 フェニックスはグレンの目からは見えなくなりそうな位置まで来ると、甲高い声で鳴いた。
 その声にビクつき、体を動かした時、紅焔衣に何か付いているのに気がついた。
 手にとって見ると、それは大きな赤い羽根だった。
 フェニックスの羽根だった。
「綺麗だなあ」
 夕日の薄暗い中でも、フェニックスの羽根は灼熱の太陽のように輝いていた。
「そうだ!」
 今日あった出来事や、この羽根のことを兄たちに自慢しよう。
 お礼を言いに行くのは明日にしよう。
 グレンはエルザードの街に向かって、元気よく羽ばたいていった。