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【地下街のエンジェル様】
《オープニング》------------------------------------------------------
はじまりはよくある噂だった。
「知ってる? 駅の地下街を夜中に歩いてるとね、声が聞こえるんだって……」
コツコツと自分の足音だけが響く静けさの中で、その場にいるはずのない誰かの声がひっそりと囁きかける。そんな、夜遅く人気の絶えて閑散とした地下街を一人で歩く心細さが生んだ、たわいもない怪談のひとつ。すぐに飽きられて忘れられてしまう話……そのはずだった。
「地下鉄にいるのはエンジェルさまなのよ」
誰が最初にそう言ったのか。
「呼び出したエンジェルさまに連れて行かれちゃった子が、もう自分もエンジェルさまなんだってことに気づかないで寂しくて一緒にいてくれる友達を呼んでるの」
エンジェルさまを呼び出すおまじない、少し前に流行った遊びを覚えていた少女たちの中で、噂は次第に広まっていく。
そして、彼女はいなくなった。
「私、エンジェルさまに連れていかれた子を知ってるの」
親友の携帯には残された留守録のメッセージ。
「お願いです、恭子を探してください!」
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陣内十蔵と杜こだまは、エンジェル様があらわれるという深夜近くに新宿駅の地下街を歩いていた。
四十を過ぎた鋭い顔つきの中年男と、物静かな印象の落ち着いた若い女性。端からはアンバランスに見える二人は、草間興信所に持ち込まれた橋爪恭子という名の女子高生の失踪事件の解決という共通の目的を持っている。
十蔵は同じ探偵として草間から助力を求められ、こだまは生まれ育った香港では聞いたこともない事件に興味を持ち、事件の関わる理由こそ違うが今は協力者同士だ。
恭子の失踪に関わる“何か”が現れるなら、噂の発生源である地下街であろうというのが、二人の共通の見解だった。しかし新宿の地下街は、複雑に入り組んだ構造と雑多に混じり合う人と人以外のものの気配で、消えた少女を捜す二人の前に迷宮のように立ちはだかる。まずは“何か”の手がかりを求めて歩いてみるしかなさそうだった。
西口近くの入り口から地下へと降りて、段ボールと毛布で造られた小さな町の横を通り抜ける。疲れ切ったように横たわる住人たちの中にこちらに目を向ける者はなく、まるで透明な壁を隔てて異なった世界がそこにあるようだと、こだまは奇妙な感覚に陥る。
「……東京って不思議ね」
ぽつりと呟いたつもりの言葉は、静まりかえった地下街に乾いた響きで跳ね返る。隣を歩いていた十蔵が、こだまに視線を向けて足取りをゆるめる。
「なにがだ?」
「共同体がちゃんと存在してるのに、その外にいる人間にはとことん無関心なのね。自分の所属する場所以外はまるで別世界みたいだわ」
言ってから、こだまは初対面の人間に何を言っているのだろうと、我ながらあきれたように軽く肩をすくめた。
「私、香港から来てるのよ、留学生としてね。だから、まだ東京の流儀に慣れていないのかもしれないわ」
言い訳するように付け加える。軽々しく他人に内面を語ることは、普段のこだまのスタイルではない。気の流れさえ違う異国の地に、ペースを乱されているのかもしれない。
視線をコンクリートの床に落とした十蔵は、こだまのわずかな表情の変化には気づかず、ただ一言だけ低く返した。
「この街じゃ、女の子一人くらい、簡単に別世界に連れていかれちまうのかもな」
感傷的な響きを含んだ声音に、こだまは意外そうな表情を浮かべる。
「あなたって……」
言葉を紡ぎかけた唇が不意に動きをとめた。何かが視界の隅を通り過ぎたのだ。
こだまの目には、この世のもう一つの理、全ての存在が持つ気の流れが見える。生まれ持った才と、風を読み気を操る風水を学んだ経験が、彼女の瞳に真実を映す。
「動いてるわ。誰かいる、とても悲しそうな誰かが……すぐそばにいる」
鋭さを増した表情で、十蔵は素早く周囲を見渡す。いつのまにか、二人のいる地下街の一角からは不自然なほどに人の気配が絶えていた。
十蔵の視線が一人の少女の姿をとらえる。
「恭子か!?」
とっさに誰何の声をあげるが、すぐに別人だと気づく。そこにいたのは、あきらかに“どこにでもいる女子高生”ではなかった。
「ええと、おじさんたちも恭子ちゃんを探してるの?」
笑顔を浮かべた少女、王優月下は淡い緑色をした髪を揺らして首を傾げる。小柄で華奢な身体は、はかない印象と同時に不思議な存在感を持っていた。
「あなたは恭子さんの友達?」
不審な思いをおさえ、こだまは慎重に口を開く。
「ううん、まだ友達じゃないよ。でも、おいらも恭子ちゃんを探してるんだよ」
首を振って月下は警戒する様子も見せず、十蔵とこだまに近づく。何より信頼するセロム、守護霊である白虎が彼らは味方だと告げるのだから、月下に迷う理由はない。
「協力しようよ。その方が、きっと恭子ちゃんも見つかると思うな」
十蔵とこだまは逡巡するような視線を交わす。
「……まあ、帰れって言って帰るタイプには見えねえな。ただしヤバそうな雰囲気になったら、俺の後ろでもなんでもしっかり隠れろよ」
ぶっきらぼうだが気遣いが見え隠れする十蔵の言葉に、月下は嬉しそうにうなずく。
不意に、こだまが厳しい顔つきで注意をうながすように片手をあげた。
「また、さっきの気配がするわ。私たちのことを探ってるみたい」
「それって、恭子ちゃんのお友達じゃないかなあ」
あたりを見回しながら月下は眉をしかめる。
「二年前に、恭子ちゃんの友達だった子が、地下街で自殺しようとしたらしいんだ。病院に運ばれたけど、結局助からなかったって……」
先をうながすような十蔵とこだまの視線に、月下は沈痛な表情で言葉を続けた。
「それじゃ、まさか、エンジェル様をしてる声ってのは……っ!」
十蔵は言いかけた言葉を飲み込み、はっと顔をあげる。
『エンジェルさま、エンジェルさま、どうかいらっしゃってください』
囁くような少女の声が地下街に響いた。
気配がうずまき、人の形をつくるのがこだまの目にはしっかりと見える。悲しみと寂しさに縁取られた闇色の輪郭が、目の前の壁にもたれるようにして立っている。
「いるわ、そこ!」
こだまが指さした先を十蔵と月下の視線が追う。その瞬間、突風が三人を襲った。立っていることさえ難しいくらいの強い風が壁へと三人を引き寄せ、少女の声がまた響く。
『エンジェルさま、エンジェルさま、どうかいらっしゃってください』
耳を覆いたくなるほど昏い声が、重い鎖のようにまとわりつく。
「ガキがこんな声を出すなよ。まだ世の中に絶望するような年じゃなかったはずだろ」
唇を歪めて十蔵は壁へと右手を伸ばした。強い念が遺された場所に触れれば、死の瞬間の心を読むことができる。その能力こそ、草間が十蔵に手助けを求めた理由だった。
壁に手を触れて目を閉じて、この場所に刻まれた死の瞬間を探る。
学校、廊下、笑う友達、黒板に書かれた死ねという文字、ゴミ箱に捨てられた上履き。フラッシュバッグのように、いくつもの情景が十蔵の脳裏をよぎる。
教室で文字を書いた紙に五円玉を乗せて、エンジェル様を呼び出す少女たちの姿が見える。何度も何度もエンジェルさまに呼びかけている。
『仲間にいれてもらえたの。嬉しかった。ずっと誰もあたしと話してくれなったから』
少女の声が脳裏に直接響く。
何度呼びかけても五円玉が動き出す気配はなく、少女たちはしらけた顔で指を放す。
『来てくれなかったのは、あたしのせいだって。また、仲間外れになっちゃった』
白い手首。振り上げたカッター。周囲であがる悲鳴。縦に切り裂かれた薄いピンク色の断面。マンガのように吹き上げほとばしる鮮血の赤。深い傷口と、それよりもっと深い絶望。十蔵の意識には、全てが自分の身に起こったことのように焼き付けられる。
『でも、ちゃんとエンジェル様が来てくれたら、今度こそ友達になってくれるよね』
「そんな奴らは、友達じゃねえよ」
やりきれない思いに、十蔵はうめくように低い声を漏らした。その言葉に呼応するように、風がわずかにゆるみ、少女の意識が自分に向いているのを十蔵は確信する。
「友達なら俺がなってやる。俺がおまえがいたことを覚えててやる」
風の中心に少女の存在を感じて、十蔵は抱きしめるように手を伸ばす。
「だから、こんな場所にいつまでもいるな。もう一度、生まれてこい」
見えるはずのない少女の涙を見たような気がした瞬間、風は不意に凪いだ。
背後で、こだまと月下が何か叫んでいる。気づけば、こだまの腕の中に、写真で見た恭子が倒れ込んでいる。少女の呪縛がゆるんだ瞬間を見計らって救い出したのだろう。
『ありがとう』
少女の声がかすかに聞こえた。
「……アイツには、何もしてやれなかったからな」
力を行使した代償としての苦痛に半ば崩れ落ちかけながら、十蔵は指先にかすかに残った暖かな感触にそう呟いた。
【地下街のエンジェルさま 終】
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 】
◎陣内 十蔵(じんない・じゅうぞう) /男 / 42歳 / 私立探偵 『陣内探偵事務所』所長
杜 こだま(もり・こだま) / 女 / 21歳 / 風水師 香港からの留学生
王優 月下(おうゆう・げっか) /女 / 16歳 / 学生 風見ヶ原学園高等部二年生
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■ ライター通信 ■
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はじめまして、小椋みほです。
このたびは、依頼を受けていただき、ありがとうございました。
三人が関わった物語ということで、情報はパズルのピースのように入り組んで、各自へと渡されています。消えた少女と、死んだ少女、どちらにより深く関わるかは、プレイングを読んで決めさせていただきました。
もし機会があって他の参加者の方の文章を読むことがあれば、別な側面を見ることも、全貌に近づくことも有るかと思います。
偽装人格が全てを知ることができないのも、複数が参加する物語の楽しみのひとつだと思っていただければ幸いです。
東京怪談には、まだまだいくつもの物語が秘められています。その物語の中で、またいつかお会いできることを願って、失礼します。
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