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【天使の螺旋階段】
《オープニング》------------------------------------------------------
月刊アトラス編集部の女帝、碇麗香はその秀麗な眉を曇らせて一枚の紙切れを指先でデスクに滑らせた。
白い画用紙に、真っ赤な文字が並んでいる。おそらくは赤いクレヨンで書かれたのだろう文字は、まだ読み書きを覚えたばかりの子どもの字のように不ぞろで読みにくい。
『もうすぐ、天使さまがきます。天使さまはラセン階段から降りてきます。
そして街をきれいにしてくれます。そして汚いものはみんな消える。』
読み方によってはひどく不吉な文章は、稚拙さもあいまって不気味な印象を与える。
「今朝届いた読者投稿の中に混じっていたのよ。住所は中野坂上のアパート、差出人の名前はなし。ただ、この写真が同封されていたわ」
古びた写真が差し出される。映っているのはフランス映画に出てくるような外付けの螺旋階段があるアパートと、その階段の入り口に座って笑っている子ども。幼すぎて男の子のようにも女の子のようにも見える。
「うちに来たってことは、何かのアピールなんでしょうね。……行ってくれるわね?」
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ゆったりとした車の後部座席に身を沈めて、陣内十蔵は小声でぼやいていた。
「麗香って女はどうも苦手だ…。なんだかんだ言って、つい金にもならねェ依頼を受けちまう」
隣に座ったシュライン・エマはちらりと十蔵を眺め、冷静に口をひらく。
「それって、結局、あんたが頼まれると断れないってことじゃないの? あ、隣でタバコはやめてね。車の中なんて狭い場所では禁煙が礼儀よ」
十蔵が取り出しかけたマルボロのパッケージに、一言付け加える。十蔵はふてくされたように無言でマルボロをポケットに押し戻した。
「……おまえたち、あまり現場に着く前に険悪になるなよ。今はチームなわけだしな」
無言で車を走らせていた久我直親が振り返らずに言う。
碇麗香の発令による即席部隊は、連帯感よりはむしろ緊張感を内包しつつ東中野に向かっていた。
アパートは、すぐに見つかった。三人が予想したとおり手紙の住所に偽りはなく、古びた螺旋階段が特徴的なアパートはそこに存在した。騒々しい山の手通りから路地に入り少し車を走らせると、同じ中野なのかと疑うほど古いアパートや家が立ち並ぶ地区に出る。アパートがあるのは、まさにそんな場所だった。
「どうだ、なんかあったか?」
考え込むように頬に手をあて、隣のやはり古びた集合住宅から出てきたエマは、十蔵に声をかけられて顔をあげた。
「10年くらい前までは人が住んでたって」
すでに廃屋と化したアパートを、エマは青い瞳で見上げる。
「このアパートと無関係な人間の所行とは思えんな。過去の住人が調べられればいいのだが……10年とは少し長いな」
車に寄りかかり、直親もやはりアパートを見上げる。午後の日差しの中で、螺旋階段はひどく穏やかな風景に見える。
「おじさんたち、なにしてるの?」
子ども特有の甲高い声が不意に問いかける。はっとして振り返った三人の視線の先に、赤いランドセルを背負った女の子が立っていた。
「あたしんちの前でなにしてるの?」
もう一度、女の子が訊ねた言葉に、違和感を覚えて十蔵は眉を寄せる。
「あたしんちって、ここは……」
「見て!」
エマは思わず声をあげて螺旋階段を指さす。
螺旋階段で小さな子どもが手を振っている。
その背後のベランダには洗濯物が干され、階段の下にはピカピカの補助輪つきの自転車がある。一瞬前までの廃屋は確かな生活感を持った人の住むアパートと化していた。
エマと十蔵は、とっさに状況を一番理解できそうな直親を振り返る。
「結界……あるいはそれに近いものを感じるぞ」
エマと十蔵の視線を受け、直親は低い声で答える。
「何かの中に取り込まれたようだ。アパートに近づいただけでここまで反応があるとはな、さすがに予想外だ」
直親は油断なくあたりに気を配る。アパートの変化に気を取られた一瞬の間に、あのランドセルの少女は消えていた。次はそのような失態は許されない。
「ね、あの子、こっちに来るわ」
手を振っていた小さな子が、ゆっくり螺旋階段を降りてくる。編集部に届いた写真の中と同じ顔をした子どもを、エマはわずかに目を細めて見つめる。
「最初から俺たちを呼んでたのかもしれねえな」
警戒を表情に浮かべないようにしながら、十蔵は子どもに一歩近づいた。
「坊主…いや、お嬢ちゃんか? ここに住んでるのかい?」
「ボク、お嬢ちゃんじゃないよ」
五歳くらいだろうか、外見よりしっかりとした口調で子どもは答えた。
性別不詳と言われることの多々あるエマは、思わずそのやりとりにくすりと笑う。
「ごめんなさいね、ボク。名前は?」
いくぶんいつもよりやわらかい口調で、エマが訊ねる。
その言葉を少し下がったところで聞きながら、直親は周囲に鋭い視線を向ける。何か不穏な気配を感じるのに、具体的な形をつかめない。気を抜くことはできなかった。
「……ね、おじさんたちとお姉さんも、天使が降りてくるのを見に来たんでしょ?」
エマの問いには答えず、子どもは首を傾げて無邪気に笑顔を浮かべた。
「みんなに教えてあげようと思って、ボク、お手紙を書いたんだ。お手紙を読んだから、みんなで来てくれたんだよね」
あまりに無垢な笑みに、逆に十蔵は背筋が冷たくなるものを感じる。
「汚いものはみんな消える…あれはおまえが書いたのか?」
こくりと十蔵にうなずき、子どもは螺旋階段を見上げた。
「あそこには扉があるんだって」
螺旋階段を小さな手が指さすのに、つられたように三人が見上げた瞬間、なんの前触れも衝撃もなく世界は白い光に包まれた。
目の前に妹がいた。
何もない空間に螺旋階段のアパートだけがぽつんとある。その前で幼いままの妹が、記憶とまったく違わぬ笑顔を浮かべて十蔵を見つめていた。
状況を理解できないまま乾いた唇を開くが、言葉が出ない。
「ね、天使が来たよ。願いを叶えてくれたんだ。一番キレイな物だけ残して、あとの汚い物は消してくれたんだよ」
嬉しそうな子どもの声を背後に聞いて、十蔵はあわてたように振り返る。
「ふざけるな……」
辛うじてかすれた声でうめくように言う。
「あいつは死んだ。俺の妹はとっくに死んでる」
「天使にできないことはないんだよ? だってお姉ちゃんを返してくれたもん」
重蔵は、にこやかに言う子どもの肩を思わず荒っぽくつかんでいた。
「おまえなのか? おまえが、天使が汚いものを全部消すようにって願ってるのか?」
肩をつかまれても怯えたふうもなく、子どもは笑顔で十蔵を見上げる。
「そうだよ。ボクはお姉ちゃんと一緒に仲良く暮らすんだ。おじさんだって、妹と一緒に仲良く暮らせばいいと思うよ」
この子どもは俺の心を読んでいるのか。とっさに浮かんだ考えを即座に否定する。もし本当に読んでいるなら、妹と一緒に暮らせばいいなんて言うはずがない。
「パパはボクやママより好きな女の人がいて、ママはボクやパパより神様が好きなんだ。でもお姉ちゃんだけはボクのこと好きでいてくれたんだよ」
にこにこと笑って続ける子どもの言葉に、最初に声をかけてきたランドセルを背負った少女の面影が浮かぶ。
「……返してくれたってのはどういう意味だ?」
苦渋に満ちた顔で十蔵は訊ねる。一瞬、子どもの顔に悲哀が浮かぶ。
「ダンプに跳ねられたんだ、即死だった」
空間がゆらぐように、子どもの顔に中学生くらいの少年の顔が重なる。
それは真実の姿。心を閉ざして過去の結界に閉じこもった子どもの正体。
「お前は生きてるんだ。死んだ者に頼るんじゃなくて、自分の力で生きて行こうじゃねェか。協力するぜ」
十蔵は子どもの……少年の目を見て力強く言い切った。
「でも、ボクのことを好きな人がいない世界なんて……」
まだ拗ねたように言いかける少年の肩に、十蔵は今度は優しく手を乗せる。
「だから、俺が協力するって言ってるだろ」
意識が光に溶けるように淡くなっていく。遠くで、誰かの歌声を聞いた気がした。
唐突に目を覚ましたことで、自分が意識を失っていたのだとエマは気づいた。ぐったりとした様子で十蔵もまた体を起こす。少し遅れて、直親が首を振って起きあがる。
三人はアパートの庭、螺旋階段のすぐ下に倒れていた。だいぶ時間が経っているらしい、周囲は真っ暗で月が高く昇っている。
「終わったか……」
直親が呟く。
「終わったさ」
答えた十蔵は、そのまま螺旋階段を振り返る。
「……なあ、終わったよな?」
螺旋階段には、学生服姿の少年が呆然とした顔で座り込んでいた。
「お姉ちゃんの歌が聞こえたんだ」
小さく呟いた少年の声は、辛うじて十蔵の耳に届いた。
「おまえに戻ってしっかりやれって言いたかったのさ。天使なんかじゃない、ほんとのおまえの姉ちゃんはな」
言いながら、十蔵はタバコをくわえて火をつける。
この街にはやりきれない事件が多い。天使と名乗る何かは消えても、少年はが立ち向かわなければいけない現実は変わらない。
それでも、深く吸い込んだマルボロはいつもより少しだけうまく感じられた。
【天使の螺旋階段 終】
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【 PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 】
【 陣内・十蔵(じんない・じゅうぞう) / 男 / 42歳 / 私立探偵『陣内探偵事務所』所長 】
【 シュライン・エマ(しゅらいん・えま) / 女 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト 】
【 久我・直親(くが・なおちか) / 男 / 27歳 / 陰陽師 】
【 雨宮・薫(あめみや・かおる) / 男 / 18歳 / 陰陽師。普段は学生(高校生) 】
【 不知火・響(しらぬい・ひびき) / 女 / 28歳 / 臨時教師(保健室勤務) 】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、小椋みほです。
このたびは、依頼を受けていただき、ありがとうございます。内面グルグル世界な雰囲気の天使のお話でした。
実は、この物語にはまったく現れていないもう一側面があります。上にある仮装人格の名前でまったく覚えがない名は、そちらに関わった二人です。ちょっとした試みですが、ポジとネガのようなものと思ってくださればいいかと思います。
偽装人格が全てを知ることができないのも、複数が関わる物語の形のひとつだと思っていただければ嬉しいです。
陣内十蔵さんとは二度目のおつきあいですね、嬉しいです。この事件を解決したいと思う理由などを明確にしてくださって、非常に助かりました。
東京怪談には、まだまだいくつもの物語が秘められています。そのどこかで、またお会いできることを願って失礼します。
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