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【窓の向こう】
《オープニング》------------------------------------------------------
「ねえねえねえ!」
大きな目をきらきら輝かせて、瀬名雫が身を乗り出した。全身から期待のオーラがあふれているのは、何か気になる噂を見つけたに違いない。
「さっき書き込みがあって、青梅街道沿いの廃病院の窓から誰かが覗いてたって!」
雫はびしっと人差し指を立てて、「よくある噂」という言葉を遮る。
「ここんとこ、しょっちゅう見たって人の書き込みがあってね、これでもう六人目なの。なんか本物っぽくなーい?」
自信たっぷりに言うと、雫はくるっと身を翻してパソコンの前に行くと、おいでおいでと手招きする。モニターには「しずくのホームページ」が開かれている。
教えられたとおりBBSの書き込みを見ると……。
『廃病院の幽霊を目撃! 絶対に誰か廃病院の四階の窓からこっちを見てました!
一瞬だったけど、目があっちゃって呼ばれてる気がしちゃいました(^^;)』
にっこりと可愛らしい笑顔を浮かべて、雫が上目遣いに見上げる。
「呼んでるんだったら、こっちから行ってあげないとネ☆」
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「……幽霊かぁ。見えるんだよね、割と」
うっかり呟いたのが、伍代吉馬の運のつきだった。
キラリと目を光らせた雫が、吉馬の方へとぐっと身を乗り出してくる。
「見えるってホント? ねえねえ、どんなの見えるの?」
「どんなのって言われても……。その、まあ、霊的なものが割と見えるんですよ」
答えながら、吉馬は眼鏡を押し上げる。生まれつき見えるという以外、彼の能力は説明しようがない。そこに存在するものをそのまま見ることができる、そういうことだ。
「吉馬くんもさ、もちろん一緒に病院行ってくれるよね?」
強く言われると頷かずにはいられない、そんな吉馬の人の良さは折り紙付きだ。
「まあ、雫さんだけでも心配だしね」
ため息と一緒に呟いて、吉馬は病院に持っていく物のリストを頭に思い浮かべる。
デジカメは必ず持っていくけど、懐中電灯も必要だよね。あと、他には……。
少しずつ楽しみになってくる自分に、吉馬はいつもの笑顔を取り戻していた。
「ごっめーん。明日、追試になっちゃった」
雫はてへっと笑って両手を合わせた。
彼女の前に立っていた三人、室田充と御堂まどかと伍代吉馬は、ほっとしたような拍子抜けしたような表情で視線を交わした。
それじゃ、解散か……。そう、誰もが思いかけた瞬間。
「おみやげ待ってるから、スッゴイのよろしくね」
語尾にハートマークでもつきそうな甘い声で、雫は天使の微笑みを浮かべた。
「……はいはい。それじゃ、デジカメのデータ、楽しみにしててください」
半分あきれたように、吉馬は持参のデジカメを軽く持ち上げた。
安堵の表情から一転した困り顔で眼鏡を軽く押し上げながらまどかはぼやく。
「行かないって選択肢は、最初から与えてくれないんだよな」
「雫さんて、そういう人ですよね」
苦笑しつつ、充は二人をうながして乗ってきた紺色の軽自動車へ歩き出した。
車から降りた瞬間、まどかは押し寄せてくる悪意にきつく眉を寄せた。廃病院からは威圧感のようなものを感じて、思わず視線をうつむける。
「……来なきゃよかったかもな」
小さく呟く。ここに残った強い感情は、マイナスのものばかりのようだ。自分まで飲み込まれないように、首を振って意志をしっかりと保つ。
だが、こんなにも悪意の強い場所が、なぜ最近まで噂にならなかったのだろう。もし幽霊がいるとしたら、もっと早く話題に上ってよさそうな雰囲気だった。
ふと、悪意の向こうに何か別なものを感じる。
「なんだ、今の?」
後悔と寂しさの入り交じったような弱々しい感情を、かすかに、しかし確かにまどかは感じ取っていた。
怖くない幽霊もいるのかもしれないな……。
覚悟を決めて、まどかは顔を上げた。
空き缶や吸い殻、投げ捨てられた数々のゴミを踏みわけ、荒れ果てた病院の中へと三人は潜り込んだ。
青梅街道に面した廃墟は、いまだ残る暴走族のかっこうの根城となっていたらしく、侵入を阻むために打ち付けられた扉や窓は、すでに壊された後だった。
「楽に入れたのはよかったけど、暴走族とはち合わせたらイヤですね」
吉馬は、デジカメのファインダー越しにぐるりとあたりを見回した。
「幽霊か暴走族か、どっちが雫さんは納得してくれるかなぁ」
呟いて、眼鏡の奥で目を細める。
「どっちにしたって危ないでしょう」
周囲の雰囲気になんとなく声をひそめながら、充は病院についてから黙ったままのまどかを振り返った。
「顔色がよくないけど大丈夫?」
まだ高校生だというまどかに、気分はすっかり保護者だ。
「大丈夫、たいしたことない」
何かを振り払うように首を振るまどかの顔色は蒼白に近い。
「悪意に満ちてるな……」
つい呟いたまどかの言葉に、吉馬と充が不思議そうな顔をする。もう一度、なんでもないと首を振って、まどかは見えてきた上に続く階段を不吉な思いで見上げた。
「目撃されたのって、四階の窓よね……ですよね」
ついドラァグクイーンとしての本来の口調になりかけたのをあわてて言い直しながら、充もつられるように階段を見上げる。
「ま、行ってみるしかないでしょ。納得させるお土産を持って帰らないと、雫さんは一人でも来ちゃいかねないですしね」
闇へと続く階段をデジカメにおさめると、吉馬はさりげなく二人を庇うように先頭に立つ。彼が階段へと踏み出した瞬間、何かがぶつかるような音が階上から鈍く響いた。
顔を見合わせると、三人は階段に向かって走り出す。
「上だ!」
四階まで駆け上がった彼らを待ち受けていたのは、現実かと疑うような光景だった。
夾の操る鋼糸は無数の手を、物質化した瞬間に切り刻む。しかし、闇から生じる腕の数は際限なく思えた。
「くそっ。これじゃ切りがないな」
舌打ちをしながらも糸を操る黒衣の青年の姿を、階下から駆け上がってきた三人は呆然と眺めていた。
濃く塗り込めたような漆黒の闇から、青白い手が無数に伸びてくる。その風景は悪夢さながらで、押し寄せる悪意にまどかは思わず口元を押さえて低くうめいた。
「危ないわ。早くこっちに来て」
茉莉菜の声に、充は我に返って隣にいる二人の腕をつかんで茉莉菜のいる扉の影へと逃げ込む。
「な、な、なんなのよこれっ!?」
驚きのあまりオネェ口調を隠すのも忘れていた。
「廃病院の幽霊って噂が大当たりだったってことですよ。こっちを襲うために実体化したのがあの姿のようですね」
平静を保とうとする茉莉菜の口調にも、わずかに動揺が混じる。
「実体化のおかげで、俺の糸も効いてるわけだ」
軽くステップを踏んで間合いを計りながら、夾は皮肉な笑みを浮かべて言う。
「こんなの逃げるしかないですよ!」
吉馬が悲鳴に近い声をあげる。幽霊を見ることができるとはいえ、こんな悪趣味な映画のような状況は初めてだ。デジカメのシャッターを切る余裕もない。
「待って! 奥に子どもがいる! 助けてくれって言ってる!」
まどかが、不意に叫んだ。
「子ども?」
充と吉馬が、異口同音に訊き返す。
「いるんだ。俺にはわかるんだよ、助けてくれって思ってるのがわかるんだよ!」
まどかの言葉に、茉莉菜もまた闇の奥へ意識を集中する。他人の意志を読み自分の意志を伝えるテレパシーを有した茉莉菜にも、闇の奥に浮かぶ少年の姿が見えた。
「どこだ、その子どもってのは?」
絶え間ない攻防戦にかすかに焦燥の色を浮かべ、夾が叫んだ。
「奥です。あなたのまっすぐ前!」
言葉と共に、茉莉菜は自分に見えたイメージを夾の脳裏へと投射した。
刹那、夾の瞳が紅く光る。能力、あるいは知識を持つ者にはわかったかもしれない、それは夾の赤い瞳に秘められた邪眼の能力が発動した徴だった。
瞬きひとつほどのわずかな時間が経過し、唐突に病院内に沈黙が訪れた。無数の腕は跡形もなく消え、今までのことが悪夢だったかのように暗い建物は静まりかえっている。
「今度はなに? ほ、ほんとに、なんなのよぉ……?」
充はへたりこみそうになっているまどかを支えながら、状況のあまりに急激な変化に周囲を見渡す。
気がつけば、元の闇に戻った廊下の奥に、かすかに開いた扉が風に揺れていた。
最初に動いたのは吉馬だった。異様すぎる状況に開き直ったかのように、扉に向かって歩いていく。
「今さら、ノックする必要はないですよね」
呟くと思い切って扉のノブをつかんで開け放つ。
そこは、カーテンのない窓から青白い月光が差し込む小さな病室だった。ひとつしかないベッドの横に、ほの白く輪郭が縁取られた少年がパジャマ姿で立っている。
冬なのに夏用の薄いパジャマに、頼りなく華奢な体。今にも泣きそうな顔で、少年は伍人を見つめていた。
『……寂しかったんだ』
変声期前の子ども特有の高い声が、細く頼りなげに響く。
『一人でいるの、嫌になったんだ。だから友達を呼びたかっただけなんだ。でも、殺したいなんて思ってなかったんだよ、友達になってほしかっただけなんだ……』
今にも泣き出しそうな少年は、この場にいる伍人の誰の目にもはっきりと見えていた。それだけ、想いが強すぎたのかもしれない。
「ここはあなたの居る場所ではないですよ。無理な形で存在していれば、願いも歪んでしまいます」
静かに茉莉菜が口を開く。
「今、貴方が自分自身でいられるうちに還りなさい」
少年は無言で月の浮かぶ窓の向こうを眺め、小さくうなずく。
振り返ってもう一度だけ物言いたげに伍人を見つめ、少年は月の光に溶けるように消えた。
「……消えた」
辛うじて立っていたまどかが、肩を貸す充にもたれたまま呟いた。
「死んでしまった人の寂しさなんて、誰も癒せないものなのかしら」
悲しそうに、充は呟く。
少年の物だったのだろうか、ベッドの枕元に置かれた古びたラジオから不意に女性パーソナリティの声が流れ出す。
「寂しがってばかりの人はとても寂しいけれど、寂しがることを知らない人もとても寂しい。人間って、どうしたら寂しい気持ちを埋められるんでしょうね? それでは次の一曲です、聴いてくさい。All you need is love……」
【窓の向こう 終】
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【 PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 】
【 伍代・吉馬(ごだい・きつま) / 男 / 21歳 / 私立大学の文学部国文科の三年生 】
【 御堂・まどか(みどう・まどか) / 男 / 15歳 / 高校生 】
【 エルトゥール・茉莉菜(えるとぅーる・まりな) / 女 / 占い師 】
【 紫月・夾(しづき・きょう) / 男 / 24歳 / 医学部法医学科六年生(裏では暗殺業) 】
【 室田・充(むろた・みつる) / 男 / 29歳 / 某商社の営業部所属のサラリーマン 】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、小椋みほです。
このたびは、依頼を受けていただき、ありがとうございます。実は派手な展開だった、廃病院のお話でした。
なお、物語は、関わった伍人それぞれに重なり合いつつ微妙に異なった側面を見せています。もし機会があって他の参加者の方の文章を読むことがあれば、別な側面を見ることも、全貌に近づくことも有るかと思います。
偽装人格が全てを知ることができないのも、複数が関わる物語の形のひとつだと思っていただければ嬉しいです。
伍代吉馬さんは、今回、ちょっと予測が外れてしまいました。せっかく様々な状況に対応できる設定ですし、もう少し柔軟なプレイングですと、より活躍の幅が広がるかと思います。
東京怪談には、まだまだいくつもの物語が秘められています。そのどこかで、またお会いできることを願って失礼します。
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