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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:秘密結社と怪奇探偵
執筆ライター  :水上雪乃
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜4人

------<オープニング>--------------------------------------

 朝日が事務所を柔らかく包む。
 おそらく、徹夜明けでない者にとっては爽やかな夜明けだろう。
 旧式の電話機が、けたたましく鳴り響いている。
 草間武彦は、なぜか黄色く見える太陽に一瞥を与え、騒音製造器に視線を移した。
 口の中で神と悪魔を罵りながら受話器を取る。
「はい。こちら草間興信所‥‥」
 愛想のないこと夥しい。
『おはようございます。草間さん』
 無意味に爽やかな声が、怪奇探偵の鼓膜を刺激した。
「なんだ、稲積か‥‥。勘弁してくれ。こんな時間に電話していいのは、家賃を催促する大家だけだぜ」
『こんな時間って、もう九時ですよ』
 電話回線の向こう側から、苦笑する気配が伝わってきた。
 稲積秀人。ある事件で知己となった警察官僚である。階級は警視、否、もう警視正に出世したのだったか。
 とにかく、それ以来の悪友である。
「徹夜明けだったんだよ‥‥」
『相変わらず忙しそうで、けっこうなことですね』
「貧乏ヒマなしさ。で、今日はどうした?」
『要人警護の依頼です。四人ほどまわしてもらえませんか?』
「けいご〜? そんなのはSPでも使えよ」
『フリーメイソンが絡んでるですよ。特殊能力者が必要なんです』
「‥‥わかった。だが、それなり報酬は覚悟しとけよ」
『一人頭一千万。四千万円ほど既に用意しています』
「相変わらずオカネモチだねぇ。わかった、四人だな。後で警視庁に行かせる」
『期待してますよ』
 笑いを含んだ声が告げ、電話が切れた。
「さて、と。ちっとばかり危険そうな仕事だな」
 呟いた草間が、脳裡の所員名簿をめくる。
 真剣な顔つきを、朝の太陽が浮かび上がらせていた。

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秘密結社と怪奇探偵
 霞が関に、一際高圧的なビルがある。
 地下鉄桜田門駅のほぼ真上、警視庁ビルだ。
 その中の一角、刑事部参事官室に、六人の男女が集まっていた。
 一人はこの部屋の主人、稲積秀人警視正である。残りは、彼の依頼に応じて参集した探偵たちであった。むろん、ただの探偵ではない。
「お初にお目にかかります。稲積警視正」
 代表する形で、シュライン・エマが頭をさげた。
「よろしくお願いします皆さん。ところで、人数がひとり多いようですが」
 笑いを含んだ声で稲積が言う。
 後ろで束ねた黒髪。縁なし眼鏡の奥に光る理知的な瞳。年齢は三〇歳前後だろうか。
「多少、手違いがありまして」
 悪びれた風もなく、杜こだまが答えた。
 雨宮薫と不知火響が顔を見合わせる。
 手違いなどではない。危険性の高い仕事だと判断した草間武彦が、依頼より多い人数を派遣したのだ。
「なるほど。手違いであれば仕方ありませんね」
 苦笑した稲積は、こだまの主張には異議を唱えず、スーツの内ポケットから小切手台帳を取り出した。
 さらさらと金額を書き込む。
 覗き込んだ巫灰滋が、軽く口笛を吹いた。
「豪気だねぇ。五千万かぁ」
「ひとり頭一千万円の約束ですからね。それに、草間さんはお金にシビアですし」
 戯けた口調で言う稲積に、
「シビアなんじゃなくて、守銭奴なだけ」
 と、シュラインは内心で思ったが、賢明にも口には出さなかった。
 その彼女に、黒髪の警察官僚が額面五千万円の小切手を手渡す。
 代表、というほどでもないが、草間興信所の事務員でもあるので、適任といえば適任であろう。
「まず、あなた方の身分ですが、内閣調査室のエージェントということになります」
 そう言い置いて、依頼の詳細を説明する稲積。
 五人は、黙って聞き入った。
 警護すべき人間は、サイリード・モリス。フリーメイソンの要人で、おそらくは次のアメリカ大統領になる男である。
 秘密結社フリーメーソンは、幾人もの大統領を輩出した巨大組織だ。その組織力と影響力は全世界に及んでいる。まあ、どこが「秘密」なんだ、という皮肉な見解もあるが、この場合の秘密とは、誰も知らないという意味ではない。知っていても口に出せない、追求できない、という意味なのだ。
 ところが、モリス氏に大統領になられると困る人間もいる。
「そういった連中が暗殺を企てていると?」
 こだまが小首を傾げた。
 海外で不確実な襲撃を行う必要はない。モリス氏がアメリカに始末した方が効率的であろう。
 言語化されない疑問に反応するように、稲積の眼鏡が光った。
「日本で暗殺が行われれば、必ず国際問題に発展します。敵は、一石を投じて二鳥を落とすつもりなのでしょう」
 つまり、日本とアメリカの仲を裂く、ということである。
 それでなくとも国際的に孤立しがちが日本にとっては、死活問題といえるだろう。
「敵の正体は判っているのか?」
 不機嫌そうに巫が問う。
「おそらく七条家。それと、裏にいるのはバチカンでしょう」
 あっさりと稲積が答えた。
 雨宮の眉が、わずかに跳ね上がる。
 七条とは陰陽師の一派である。それとキリスト教の総本山が野合したとすれば、事態は笑って済ませうる範囲を越えよう。
「‥‥東西文化交流というわけね」
 響の軽口すら、精彩を欠いていた。
 稲積が五千万円もの報酬を用意したのも頷ける、というものである。
 キリスト教系の魔術師と陰陽系の呪術師、この両者を相手取っての戦いになるのだ。報酬額としては安すぎる程であろう。
「‥‥うまい話にはトゲかあるってか」
 憮然として巫が呟いた。
 だが、その唇は不敵な半月形を形作っている。男の本能かジャーナリストの魂か、彼の心の根底に潜む魔物が鎌首をもたげているのだ。
「警察のスタッフには、その七条とやらに対抗できる人材はいないのですか?」
 こだまが、穏和な口調で辛辣な質問を口にした。
 これには稲積も肩をすくめるしかない。
 日本警察には怪奇事件捜査チームなどない。彼らは科学捜査が本領であるし、また、それが健全な警察組織というものだろう。警察や役所が神秘主義を奉じるとしたら、この国の将来は薄氷の上でタップダンスを踊るくらい危険だ。
 ただ、敵が物理力を行使してきた場合には、SPたちの活躍が主体となるだろう。
 五人の中には肉体派もいるが、むろん、専門の訓練を受けているSPには敵わない。怪奇探偵の本領は、文字通り超常現象なのだ。
「あなた方には、宿泊先での密着警護を担当してもらいます。路上では襲撃の可能性が低いですから」
 それはそうであろう。バチカンにしても七条家にしても、超常的な力を堂々と使えるわけではない。力は、秘匿し独占してこそ価値があるのだ。一般大衆の目の及ぶところで使用するはずがない。
「とりあえずは、先発してホテルに待機してください。モリス氏の到着は明日の一三時。それまでに、防御戦の準備をしてもらいます。期待してますよ」
 そう言って、稲積は締めくくった。
 怪奇探偵にとって、長い仕事が始まろうとしていた。

「どう思う? あの稲積って男」
 響が雨宮に問う。どことなく悪戯っぽい口調であった。
 帝国ホテル。赤坂の一角にある高級ホテルである。おそらくは、今回の攻防戦の舞台となる場所だ。
「くわせものだな。七条の名を知っていた事といい底が知れない」
 雨宮が、にべもなく言い放った。
「武彦さんは、信用できるって言ってたわよ」
「‥‥武さん自身の信頼度に問題があるからなぁ」
 シュラインと巫が、口々に言う。
「ところで薫、七条ってどういう連中?」
 風水羅針盤を操っていたこだまが、ふいに顔を上げて訊ねた。
「暗殺屋さ」
 吐き捨てるように雨宮が唇を歪める。
「お金で雇われてるってこと?」
 響が不審顔をする。金で動く連中ならば、逆買収することも出来るのではないか。そう思ったのだ。なにしろ、稲積はオカネモチである。報酬として支払った5千万など、コーヒー代にも満たない感覚だろう。
「ヤツらは金じゃ動かない。日本を呪術国家に戻そうっていう時代錯誤のオカルティスト集団だからな」
 毒のこもった雨宮の言葉に、他の四人は顔を見合わせた。
 オカルティストというなら、彼らもまたオカルティストなのだ。むろん、雨宮だって例外ではない。呆れたような視線が、黒髪の陰陽師に集中する。
「と、とにかく陰陽の技が相手なら俺の方が上だ。そのあたりは安心していい。問題はバチカン魔導師の方だが‥‥」
 八つの瞳に見つめられた雨宮が、やや強引に話題を変えた。
 もっとも、たしかに作戦を立てねばならないことではあるのだが。
 キリスト教系の秘密結社であるフリーメーソンに、同じくキリスト教の総本山である法王庁が仕掛ける。これは、なかなかに奇妙な事態に見える。だが、歴史上は幾らでもある話だ。というよりも、キリスト教ほどの巨大な宗教が、一枚岩である方がおかしい。
 どちらにしても、キリスト教系の魔導師の件は気にかかる。
「キリスト教と魔導師。あまり結びつかないわね。私には」
 こだまが首を振った。
「たぶん黒魔術系だと思うけど、アレもたくさん流派があるから‥‥」
 唯一の西洋人、シュラインも自信なさげに応える。
 実際、正体の判らない敵と戦うことほど恐ろしいことはない。手の内が判らなくては、防御作戦の立案すらできないのだ。
「ま、とにかく、交代時間とか組分けとかは、念入りに決めとこうぜ」
 務めて現実的に、巫が提案する。
 室内警護だから部屋は全員同室でよいが、まったく眠らないわけにはいかない。二交代制で望むのが効率的であろう。問題は、誰と誰が組むかだが。
「私が薫クンと組んで先行するわ」
 ごく簡単に響が決定した。
 勝手に決めるな、と言おうとした雨宮が、開きかけた口を閉ざす。
 考えてみれば、これ以外の組分けは存在しない。除霊能力を持つ雨宮と巫が同一の組に入っては意味がないし、個人戦闘力に劣るシュラインとこだまが二人チームに入るのは危険すぎる。となれば、響・雨宮組と巫・シュライン・こだま組に分けるしかない。それに、探知能力の高い二人が後発すれば、一番キツイ時間帯も万全の備えができるだろう。
「意外に最良の策かもな」
 素直でない表現で雨宮が誉め、嫣然と響が微笑んだ。
 それ以外の三人は、やれやれと肩をすくめる。
 雨宮は、まんまと響の術中に落ちたようである。べつに雨宮がシュラインとこだまと組んだって悪いことはない。巫と雨宮はコンバートがきくのだ。
 哀れな子羊のため、こだま、シュライン、巫の三人は、心の中で合掌した。

 そして翌日、モリス氏の登場である。
 警護官たちに守られてホテルに入ってきた彼は、なかなかのナイスミドルだった。
 この日、帝国ホテルは外務省に借り切られ、ロビーにいる人間は関係者のみである。
 モリス氏は、自信と実績をさりげなく態度に表し、親しげに五人と握手する。なかでも、こだまの手を、なかなか放そうとはしなかった。
 東洋的な美貌の彼女をお気に召したらしい。あるいは、ただ単に若い娘ごのみなのかもしれないが。
 無下に振りほどくわけにもいかず、困惑の表情を浮かべるこだまを、SPのひとりが救った。
「モリス閣下。ファンレターが届いております」
 SPの手には見た目にもラブリーな封筒が握られている。
 女子中学生か女子高生あたりが出したものだろう。
「ファンレターですか。読んでみてください」
 気軽にモリス氏が応じる。
「待ってください。念のため、ちゃんと調べてからの方が‥‥」
 慎重に、シュラインが提案する。
 この場合、幾ら慎重になってもなりすぎということはない。炭疽菌でも入っていたら、目も当てられないのだ。
「大丈夫です。先程、エックス線を通しました。中身は、正真正銘ただの紙です」
「はやく読んでください」
 待ちきれない、といった感じでモリス氏が急かす。
 どうやら、ただのロリコン親父らしい。
 巫と響が肩をすくめる。
 その様子を視界の端に捉えながら雨宮は黙然と佇んでいた。神経細胞を小さな棘が刺す。
 なにかがおかしい。
 無事に到着したモリス氏。ファンからの励ましの手紙。宿泊場所は非公開ではないから、手紙が届いても不思議ではないが‥‥。
 瞬間、雨宮の脳裡に雷光が閃いた。
 これは罠だ!
「だめだ! その封筒を開けるな!!」
 咄嗟に叫ぶ雨宮。
 だが、半瞬だけ遅かった。
 SPは、既に封を切っていたのである。
 仲間の大声に反応し、瞬時に探偵たちが行動に移った。
 響、シュライン、こだまの三人がモリス氏の周囲を固め、巫が封筒を持ったSPを蹴り飛ばす。
 懲罰ではない。封筒になにか仕掛けがあったとすれば、モリス氏と封筒の距離を離さなくてはならないのだ。SPの苦情は、後ほどゆっくり承るとしよう。
 だが、蹴り飛ばされたSPには、苦情を申し立てる余裕はなさそうだった。
 彼の手のなかで、紙が、まるで生物のように躍動している。あまりの事態に息を呑む人々の前で、封筒が宙に躍った。幾枚もの紙片に分かれ、変色し、ねじれ、形を変える。そして、四体の怪物が誕生した。一体の大きさは熊のそれを上回り、姿は地上世界に存在するはずのない生物に似ている。
 大きく裂けた口。赤銅色の躰。頭から生えた角。
 すなわち、――鬼。
 警察の猛者たるSPたちも、呆然と立ち竦むのみである。これを怯懦と呼ぶのは酷であろう。普通に生きている人々が鬼を目撃する機会など、滅多にあるものではない。硬直してしまうのは、当然かつ自然のことだ。
 だが、むろん、鬼たちには人間どもの動揺に付き合う義務はなかった。
 獣のような雄叫びをあげ、モリス氏に迫る。
 鬼に引き裂かれたモリス氏の最後を、SPたちは幻視した。しかし、その光景は幻のままで終わる。
 重い音を立てて、鬼どもがはじけ飛んだ。
「残念だったな。式鬼ども」
 冷然と雨宮が言い放った。鬼を弾いたのは、彼のつくった防御結界であった。
 式鬼の解放を止められない、と、判断した彼が、一足早く結界を張り巡らせたのである。
 結界にはじかれた式鬼は、三体に数を減じていた。
 一体は、ボロボロの紙切れと化している。
「今度はこちらから行くぞ! 急急如律令(速やかに我が意に従え)!!」
 叫びと共に雨宮の掌から舞った三枚の紙が、獅子、虎、狼の獣へと姿を変え、式鬼にぶつかっていった。
 牙が、爪が、鬼どもを引き裂く。
 式鬼も、やられいてるばかりではない。大きな拳で獣を殴りつけ、太い腕で締め上げる。
 まるで、特殊撮影映画を見ているような非現実感だった。
「気をつけて! 北から敵意が近づいてくる! 数は三つ!!」
 緊張の面持ちで、こだまが注意を喚起した。
 どうやら敵は、ここで一挙に勝負をかけるようだ。はたして、どちらの陣営が、より大きな計算ミスをしただろう。こんなロビーでは護衛たちは戦い辛い。だが同時に、数の上では有利になるのだ。SPたちも数多くいるし、なによりも探偵たちが全員機能している。
「了解! 第一班は迎撃に向かって!」
 左手の鞭で空を切り裂き、響が指示を飛ばす。
 女王様のように格好良かった。が、格好が良ければ良い、というものでもあるまい。彼女は、べつに前線指揮官ではないのだ。職制の上からいっても、SPたちに指示を出すのは烏滸がましいというものだろう。もっとも、このような非現実的な事態のなかで、まともに行動できるSPなどいない。彼女が指揮を執るしかないのだ。
「西からも来るわ! この気は‥‥気をつけて! 魔導師よ!」
「俺に任せとけ!」
 こだまの、ふたたびの警告に巫が応えた。雨宮が式鬼にかかりきりの今、魔導に対抗できる者は彼しかいない。
 その巫の前に、黒装束の二人組が現れた。
 キリスト教系の魔導師だ。
 敵意に満ちた視線が交錯し火花を散らす。
 魔導師たちの口から、意味不明の言語が流れ出した。呪文であろうが、巫にその意味は理解できない。迫り来る焦燥感のなかで、彼が飛びかかろうしたとき、シュラインの声が鼓膜を打った。
「ロシア語! 灰滋! 悪霊(キジーナ)魔術よ!」
「悪霊か! シュライン、サンキュ! 正体さえ判ればこっちのものだ」
 手早く謝意を示した巫が、勢いよく柏手を打った。
「この地に身命の置き所無き御霊よ。黄泉路へと疾く帰られんことを、かしこみかしこみ申す!」
 朗々たる祝詞が紡ぎ出される。
 魔導師たちの周囲に立ちこめてした霊気が一瞬にして消滅した。
 除霊や浄化は、巫の真骨頂である。
 狼狽する魔導師どもにSPが群がり、床に引きずり倒す。こと肉弾戦に関していえば、彼らほど頼りになる味方はいないだろう。
 襲撃者たちは、あちらこちらで分散され、各個撃破されてゆく。
 戦況は有利に展開しているだが、シュラインの顔は緊張に強張っていた。敵の行動が、どうにもおかしい。まるで、逐次投入のように兵力を増やしている。戦略の基本にもとる戦い方である。
 それでは、敵は兵略というものを知らぬ愚者揃いなのだろうか。
 然らず。
 解答とともに、シュラインは耳を澄ませた。彼女の最大の武器は、その聴覚である。
 現状、押し寄せる敵については、こだまの探知能力に委ねておいて大過ない。
 黒髪の風水師とは異なる形で、シュラインの能力は活かされるべきであろう。
 聴覚を通じて、彼女の脳裡に、ホテルの透視図が映し出される。
 戦いの喧噪。その音に紛れて聞こえる、時を刻む針の音。場所は‥‥ロビーの真上。そんなところに客室はないはずだ。廊下においてある時計の音だろうか。
 不審な顔で天井を見上げたシュラインの青い瞳に、大きなシャンデリアが映る。
 細工も立派で、さぞ名のある職人が丹精したものなのだろう。だが、彼女はシャンデリアの細工などには興味がなかった。彼女が興味を持ったのは別のことである。つまり、真上から天井をぶち抜いた場合、支えを失ったシャンデリアは、重力の法則に従って落ちてくる、ということだ。
 危険な予測が黒い染みとなって、彼女の精神を蚕食する。
「みんな! シャンデリアの下から放れて! 早く!!」
 声まで蒼白にして、シュラインが叫んだ。

 轟音。振動。宙を舞う硝子の破片。
 頭上には、出来たばかりの穴が、まるで天界への扉のように口を開けている。
 そして、床の上には、かつてはシャンデリアだったものと、それに押しつぶされた、かつては人間だったものが、血と塵埃にまみれて重なり合っていた。
 即席の地獄に、階上からひとりの男が降り立った。数メートルの距離を落下して、顔色ひとつ変えない。驚くべき身体能力であった。
 無造作に晒された顔が、笑いの形に歪む。
 と、そのとき、濛々と立ちこめる塵埃の中から声が響いた。
「楽しそうだな。七条の猟犬」
 驚きに目を見開いた男が、懐中に右手を伸ばす。おそらくは、武器なり式神なりを取り出そうとしたのだろう。だが、彼の行為は完結を見ることなく終了した。音もなく飛来したカードが深々と右腕に突き刺さっている。
 隠者が描かれたタロットカード。
「おイタは終わりよ。ぼうや」
 鋭利な刃のついたカードを投じた人物。響が、永久凍土の笑みを浮かべて言った。
 靄が薄れ、男の視界が明瞭さを増す。
 響、巫、シュライン、こだま、雨宮、そして、モリス氏。男が葬ろうとした人間と五人の探偵は、傷を負いながらも屹立する花崗岩のように、膝下に床を踏みしめている。
 失敗したのだ。
 改めて見渡すと、地上に立っているものに、男と同じ陣営に属するものはいない。
「策破れたり、ね。どう? 降伏してみない?」
 SPの落とした拳銃を拾って男に向けながら、こだまが提案した。
 彼女の技量では撃っても命中するはずがないが、男の周囲を取り囲んでいるSPたちも銃を構えている。ここは、虚仮威しで充分な場面なのだ。
 実際、孤軍となり右腕を負傷した男には、降伏以外の道は残されていない。抵抗すれば射殺されるだけだし、逃亡しようとしても、やはり射殺されるだけだろう。
 勝敗は決した。
 男は、そろそろと両手を挙げた。
 銃を手にしたSPたちが群がってゆく。
「やれやれ。どうにか片づいたようですね」
 いつの間に現れたのか、六人の背後に立った稲積が、安堵の吐息を吐いた。
 やや慌てたように振り向く探偵たち。
 どうも、と、軽く目礼し、良く通る声で続ける。
「こちらに敵の目が集中してくれたので、『本物』のモリス氏は無事に出国できましたよ。本当に皆さんのおかげです」
 その言葉に、探偵たちは色めき立ったりしなかった。
 稲積が偽りを口にしていることに、すぐ気づいたからである。このモリス氏が影武者だとするならば、大金を投じて護衛を雇うはずはない。大量のSPが投入されることもないだろう。
 では、なぜ彼がこんな事を口にしたかというと、目的はただ一点、敵の目をくらますためである。とりあえず、この場の敵勢力は壊滅させた。だが、それが敵の全兵力とは限らない。戦果を確認するため、戦闘に参加せずにいた者がいる可能性は大いにある。その者の報告如何によっては、二度三度と襲撃が繰り返されるだろう。
 さすがに、それは勘弁願いたいところだ。
 こちらの陣営も損害を被っている。戦力をたて直す時間が欲しい。
 口先で敵の方針に変更を加えられるならば、やっておいても損はないだろう。
「策士ですな。稲積さん」
 揶揄するように巫が言い、若い警視正は悪戯小僧のような笑みを浮かべた。
 他の四人は、黙然と見守っている。
 救急車のサイレンが、接近していた。

  エピローグ

 冷たい風が吹き、暖簾をはためかせる。
 赤々と燃える灯火に半身を浮かび上がらせ、シュラインは、黙々と口に杯を運んでいた。野ざらしの屋台で日本酒を喰らう白人女性。
 なかなかにシュールな光景である。
「ご苦労さん」
 ふいに、男の声が鼓膜を揺らし、シュラインは、ゆっくりと顔を上げた。
 青い瞳に、黒い髪の男が映る。
 草間であった。
「ホントにご苦労な仕事だったわ。もう、危ない橋を渡るのはこりごりよ」
 苦笑を浮かべたシュラインが応える。
「ぼやくなぼやくな。今回は特別ボーナスを支給してやるから」
「遠慮しとくわ。事務所の壁の修繕費にでも回してちょうだい‥‥」
「どうした? ご機嫌ななめじゃないか」
「何人死んだかと思ってね‥‥」
「一二人。公式記録では崩落事故による死者だ」
「‥‥事故ねぇ」
「ま、公式記録ってのはそんなもんだ。いまさら驚くには値しないさ」
「そうだけど‥‥」
「それより、カラオケにでも行かないか? 久しぶりにシュラインの美声を披露してくれよ」
 唐突に話題を変えた草間に、シュラインは少し戸惑った。
 だが、
「いいわよ」
 と言って、すぐに立ち上がる。
 奇妙なカップルを、無言で屋台の店主が眺めていた。
「子供が夢を育むには広い場所が必要だ。だが、大人には、鍵のかかる部屋がひとつあれば充分さ。あ、領収書もらえる?」
 草間は意味があるのかないのか判らないような事を言って、店主に一万円札を渡した。
「‥‥どこに連れて行くつもりよ‥‥」
 はっきりと苦笑を浮かべるシュライン。
 都会の明るい夜が、背の高い男女を映し出していた。

                      おわり


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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  【 PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 】
シュライン・エマ /女  / 26 / 翻訳家

杜・こだま    /女  / 21 / 風水師
(もり・こだま)
雨宮・薫     /男  / 18 / 陰陽師
(あまみや・かおる)
不知火・響    /女  / 28 / 臨時教師
(しらぬい・ひびき)
巫・灰慈     /男  / 26 / フリーライター
(かんなぎ・はいじ)