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調査コードネーム:4番目の影
●紫からの依頼(オープニング)
「花火、綺麗だよね。そう言えばシーの方でもやってるんだよね。なんて言うんだっけ、『こんばんは』とかいう意味のイタリア語のさ」
またしても、突然やってきた仲介依頼人、京師・紫(けいし・ゆかり)は、定位置と決めているらしいソファでお茶を啜りながら、手すきの所員を捕まえていた。
なお、現在、この興信所の主の姿はない。どうやらこの青年、草間がいないのを狙ってやってきているようだ。
「と言うわけで依頼なんだ」
何が『と言うわけ』なのだろう? 所員が疑問符を挟む間もなく、紫は湯呑をテーブルに置き、いつもの唐突さで喋り始めた。
「場所はJR舞浜駅近辺の住宅街。休日の夜8時半から数分の間に、路上で意識を失う人が出ててね」
まぁ、これだけだったら流行りの病とでも片付けられたかもしれない。しかし、続いた紫の言葉に、皆、我が耳を疑った。
「彼らに共通して言えるのは‥‥その事件の後、『影』を失っているんだ」
「影って、あの?」
「そ、足元に出来るアレ。取り敢えず今の所は実害らしい実害は出てないみたいなんだけど‥‥」
やっぱり気味が悪いでしょ?
紫の言葉に一同、肯く。
「それとね、直接関係あるかは分からないけど。事件の起きはじめるちょっと前から、この近辺の子供達の間に『4番目の影踏み』って遊びが流行り出してるんだって」
普通の影踏みの応用版。反射や他の光源の関係で、4番目に出来た影を踏まれた者が鬼になる遊びらしい。
「どう、調べてくれるかな? っと、言い忘れる所だった。今回は現金の報酬もあるよ、影をなくした人達からの依頼だからね」
ただし、自分の影を取られても何の保障もないけど。
サラリととんでもない事を告げ、紫はニッコリ微笑んだ。
●Fireworks
天気が良いと、何故だか心まで弾むものである。
見上げた冬の空は快晴。東京都心に程近い住宅街には、洗濯物と布団の旗がたなびいていた。
「この調子だったら、花火間違いなく上がるね」
興信所の調査員には土曜、日曜は存在しない。
多くのサラリーマンにとって、この上なく待ち遠しい土曜日、シュライン・エマとクリストファー・グリフィスは待ち合わせていた公園で、缶コーヒーを啜っていた。
凍えた指先に、缶の熱が心地よい。
「ショースケジュール、確認して来た?」
一足先に舞浜入りしていたクリストファーにシュラインが尋ねる。女には――こと、朝には――譲れない時間というものがあるのだ。
「うん。ほらこれ見てくれるかな?」
入場時に必ず渡される、パンフレットとその日のショースケジュールタイムテーブル。そこには、本日20:30から花火の上がるショーが催されることが記してあった。
「京師さんの話だと、事件が起こるのは『休日』の夜8時半頃から数分の間。その時間帯に共通しているのは‥‥」
駅を挟んで向こう側。
ここ数年で更なる展開を遂げたテーマパークのシンボルの城に、2人は視線を伸ばす。
「あそこで上がる花火ってワケね」
言葉尻を継いだシュラインに、クリストファーが無言の肯きを返す。
海からの風が、2人の体温を奪うように駆け抜けて行く。
握り締めていた缶の中身も減り、補給される熱も随分と少なくなった。
「じゃ、ちょっと聞き込みに行ってきましょうか」
座っていたベンチから、スッとシュラインが立ちあがり、切れ長の瞳を細める。綺麗にセットされた黒髪が、乱れることなく風に踊った。
「待ち合わせは夕方5時。駅前ね」
「了解」
颯爽とした後ろ姿が遠ざかって行くのを見送りながら、クリストファーは手にしていた缶を近くのゴミ箱めがけて投げる。
「‥‥ナイッシュー」
今日はついている。
シュラインが向かった方向とは反対側へ、クリストファーは歩き出した。
●聞き込み調査、シュライン・エマの場合
「ねぇねぇ、この辺で影踏み遊びが流行ってるって聞いたんだけど。君達はやらないのかな?」
満面の営業スマイルで、シュラインは運動公園で遊ぶ子供達に声をかけた。
「おばさん‥‥誰?」
ピクリ、シュラインのこめかみが一瞬だけ引き攣る。
今が盛りの26歳の美女を捕まえておいて『おばさん』はないのでは? と思うが、眼前の子供達を見下ろす自分の視線の角度で、彼等との年齢差を思い出す。
どう考えても、小学校低学年――それはそうだ、影踏み遊びをしそうな年齢の子供に声をかけたのだから――である。そんな彼等から見れば、自分は『おばさん』の部類に入るのだろうか。
ひょっとしたら、この子供達の母親の中には、自分とそう変わらない年齢の人もいるのかもしれない。
そう自分に言い聞かせ、シュラインは再び会心の笑みを作る。
「ん、なんだか面白そうな話だなって思ってね。お話聞きたくて来たのよ」
ポケットから名刺を取り出して子供達に配る。この名刺の意味は分からずとも、その行為がTVの中で見る光景だと子供達はすぐに気づき、パッと顔を輝かせた。
子供は大人の真似が大好きなものである。その子供の心理を上手くついたシュラインの戦法は見事に功を奏したようだった。
「おばさんも影踏みしたいの?」
子供の1人が、名刺を大事そうに握り締めたままシュラインを見上げる。
「そうね、一緒に遊んでくれるかしら?」
だめ押しに、驚異の声帯模写技能で電車の音真似をひとつ。子供達の顔が驚きのそれに変わり、次いで尊敬の眼差しに変わる。
「良いよ。おばちゃんも一緒に遊ぼう!」
『おばさん』から『おばちゃん』への呼称変更。どうせなら『お姉さん』に変わらないかしら? そう胸の内で一人ごちながら、シュラインは子供達の輪の中に加わったのであった。
●カウントダウン!
「キーワードは『クロちゃん』ね」
5時に待ち合わせ、テーマパークに隣接するショッピングモールで早めの食事を兼ねた情報交換を終えて、それからまた少し。
とっくの昔に西の空に沈んだ太陽からは、既に光の恩恵を受けられることなどある筈もなく、世界は夜の帳に支配されていた。
「その名前、私の方でも出てきたし」
重要な情報を再確認するように、指を折る。
余談だが、調査中に大学生と思しき青年に『おばさん』よばわりされたシュラインが、彼を肘鉄でノしてしまったことは、激しく内緒である。
「それに僕は、その『クロちゃん』とやらの姿を見た気がするんだ」
この寒空に、浴衣姿の子供。あまりに一瞬のことで『見た』という確信が持てはしないのだが。
「‥‥浴衣‥ね」
夏の花火の時期であれば、華やかで楽しい雰囲気でその言葉を聞けたであろう。しかし、冬に浴衣とは。
その物悲しさを含んだ響きに、シュラインは1800年代にパリで初演された、オペラの中で歌われる『影』の名が題された名曲を胸に思い浮かべた。
「そろそろ、時間ね」
感傷を振り切るように、シュラインが顔を上げる。
時計が指すのは問題の時間『8時半』、数分前。
2人は花火の良く見える、そして付近の街灯から影が多く出来る地点を選んで立っていた。
「‥‥1分前‥」
緊張の面持ちで、クリストファーが携帯の液晶で、時間のカウントダウンを開始する。
「30‥‥5、4、3、2、1っ」
ドーンと、腹の底に響く音と共に花火が上がった。
パラパラと音を立てて、七色の光の欠片が天空から降り注ぐ。
『影、みぃーつけたっ』
不意に――嬉しそうに笑う子供の声。
一瞬、花火に気取られた2人はその声に、我を取り戻す。
「シュライン! そっち!」
叫びにも似た指摘に、シュラインが首を巡らせたその先。いつの間に現れたのか、浴衣姿の子供が1人。邪気のない笑顔でシュラインの影を踏もうと足を上げている。
「間に合えっ!」
踏まれそうな影を掻き消すように、予め準備しておいた強力なライトでシュラインの姿をクリストファーが照らす。
『ひどいー、つまらないー』
踏もうとした影の突然の消失に、浴衣姿の子供がクルリと踵を返し駆け出した。
「昼間見た子だ‥‥っ」
「クリストファー! 追うわよっ」
「分かってる」
夜の闇に溶けた子供の姿の追走劇が幕を上げた。
●影踏み
「むーちゃん、心配してるよね」
何故か先ほどから『圏外』表示になっている携帯のディスプレイを見ながら、寒河江深雪は深々と溜息をついた。
液晶の画面で輝く時間は、8時半をほんの少し過ぎている。
「何も、起こらないわね」
先ほどから上がり出した、花火を見上げてそう呟く。
むーちゃんも、先輩も。この花火を見ながら意識を失った筈なのに。
無駄足だったのか、そう思うとなんだか悔しくて、せめて花火が終わるまではここに留まろうと、アスファルトの大地を強く踏みしめる。
顔を見られないように、とグルグル巻きにしたマフラーから一瞬だけ顔を覗かせて、夜の冷たい空気を惜しみなく肺一杯に吸い込む。
その瞬間だった、此方へ駆けて来る足音が花火の音に混ざったのは。
『影、みぃーつけたっ』
存在を感じさせず、耳に忍び込んだ子供の声。
「そこの君! 危ない!!」
続く、青年の怒号のような声。
突然襲われた緊張に、深雪が体を固めた瞬間、フワリと彼女の体が宙に踊った。
違う、自分の能力ではない。
眩暈のような軽いパニックを引き起こしながら、それでも深雪は何が起こったのか付近に目を配る。
すると、すぐ近くに浴衣姿の子供の姿があった。
そしてそれを追うように駆けて来る、男女2人連れの姿が50mほど向こう。
『影、影、影。影みぃーつけた』
地面から足が離れてしまった分、遠くなった深雪の影を、浴衣姿の子供が嬉しそうに踏もうと、数歩先まで足を一気に伸ばす。
「ダメ!」
何かは分からなかった。
けれど、直感で踏まれてはいけないと、分かった。それは彼女の中に流れる血が教えてくれた事なのかもしれない。
幸運にも、駆けて来る人影まではまだ距離がある。
深雪は一気にマフラーを振り捨て、宙に浮いた不自然な姿勢のまま、今にも自分の影を踏もうとしている子供に向かって極寒の息を吹き付けた。
青い冷気に染まった死を呼ぶ吐息が、子供の足元にまとわりつき、行動を妨げる。
その時、深雪の携帯がメールの着信を告げるメロディを奏で出した。
メールなんて確認している場合ではないっ!
そう焦りながらも、どうしてだか確認しなくてはいけない衝動にかられて、握り締めたままだった携帯を操作する。
『影踏みの、花火で出来た≪影≫を踏め』
短い、室田充からのメッセージ。
眼下には、身動きの取れなくなり恨みがましい目で此方を見上げる子供の姿。そしてすぐそこまで追い付いて来た二人連れ。
そのうちの1人が、自分の影を消すべくライトを照射しようとしているのが見えた。
いけない、それでは花火で出来るこの子の影まで消してしまう。
「ダメです! この子の影を踏んでください! 花火の光で出来る影を!!」
宙に浮いたまま、叫ぶ。
追い付いた人影が深雪の言葉に素早く反応する。
ライトを掲げていた青年が、足を止めそれを仕舞い、女性の方が走る速度はそのままに、浴衣姿の子供の影を――上がる花火で出来た影を迷いなく踏み付けた。
『あーーあ、踏まれちゃった。踏まれちゃったから、バイバイ』
子供の姿が、靄が晴れるように揺らぎ、凍らされた足元から消えて行く。
その日、最後の花火が、良く晴れた空を彩った瞬間、子供の姿は完全に3人の目の前から消失していた。
●鍋パーティをしよう
その日、草間興信所では鍋パーティが開かれていた。
ぐつぐつと煮立つ鍋を大勢の人間で囲んで、冬の寒さをしのぐ。
やっぱり冬は鍋だよねぇ。
大ぶりの見るからに高そうな蟹を2杯、そして諸々の材料を興信所に持ち込んだ紫の言葉に、珍しく居合わせた草間も、同意の頷きを返した。
「事件の解決、お疲れ様でした」
せっせと鍋の中身を取り分けるシュラインと、なぜだかその手伝いをさせられていたクリストファーに、紫が手には小皿を持ったまま歩み寄った。
「えぇ、まぁね」
「でも‥‥なんだかナゾのままの事件だったかな」
曖昧なシュラインの答えに、クリストファーが率直な感想を付け加える。
「そうね。結局あの『クロちゃん』が何だったのか分からず終いだったし。なんで『クロちゃん』があの子の影を踏むのを躊躇っていたのか分からないし、そもそもどうして花火で出来た影がキーだったかも謎のままだし」
あの子、とは事件で遭遇した、影を踏まれそうになっていた女性のことである。詳しい話でも‥‥との2人の誘いを強引に振り切り、やはり闇の中へ消えた彼女。
遠くから駆け付けた2人には、彼女がその特殊な能力で、『クロちゃん』の行動を封じていたとは知る由もなかった。
「花火で出来た影――って言うのには、なんとなく『瞬間』に込められた魂でも宿るのかな、なんて僕は推理したんだけどね」
『4』も同じ。
死を呼ぶ数字とされることもあるくらいだから、そういった感じかな。
「‥‥でも、どれも確証を得られることじゃないけど」
そう閉めたクリストファーと、なんだか納得が行かないわ、と眉を寄せるシュラインに、紫は朗らかに笑む。
「いいじゃない。あれ以来事件は起きてないんだし、被害者に影は戻ったみたいだし。それに全部が分かってしまえる世の中なんて、きっと味気ないよ」
その笑顔に、胸の奥にわだかまる思いを完全に拭い去ることは出来なかったが、まぁ、それもありか――そんな風に2人にも思えた。
何もかもが分かってしまう、謎のない世界。
それはそれでつまらないかもしれない。
「あ、そーだ。草間さーん、今回の依頼料」
手にしていた小皿をテーブルの上に置き、コート掛けにかけてあった自分のコートを取り寄せ、紫が草間に駆け寄った。
内ポケットの中から現れた茶封筒。
「ん、珍しいな」
その重量感に、草間が紫の顔をしげしげと眺める。
「やだなー。たまには僕も真っ当な依頼を持ってきますって」
にこにこにこ。
穏やかな笑みを絶やさぬまま、紫が一歩後ずさった。
「ほー」
草間が封筒の中身を確認しようとした瞬間、クルリと紫は踵を返す。
「‥‥おい」
低い草間の声。決して荒げられた物ではないが、明かな怒気を孕んだその声に、鍋を楽しむ所員達がピタリと凍り付く。
「なんで全部、二千円札なんだ?」
「あはは。鍋の材料買っちゃったら少なくなっちゃって」
「そう言う問題じゃないだろ」
否、そう言う問題でもあるのだが。
「うーん‥そうかなぁ? でも草間さんも喜んでたから良いじゃない。あ、そうだ! シュラインさんにクリス君!! こないだあげたガラス玉、確認してみてね。多分、色が変わってると思うから」
何色になってるかは、僕は知らないけど。
心底楽しげな笑声を残し、普段通りの唐突さで紫は草間興信所から姿を消した。
それから数日。草間の機嫌が目に見えて悪かったのは――言うまでもない。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 】
室田・充(むろた・みつる) / 29 / 男 / サラリーマン
寒河江・深雪(さがえ・みゆき)/ 22 / 女 / アナウンサー(お天気レポート担当)
クリストファー・グリフィス / 19 / 男 / 大学生
シュライン・エマ / 26 / 女 / 翻訳家その他
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■ ライター通信 ■
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こんにちは。2度目まして、な観空ハツキです。またの紫からの依頼を受けて頂き、まことにありがとうございました(感謝感激雨霰です)。
鍋です、鍋。そういう訳で報酬は鍋パーティになってしまいましたが、如何だったでしょうか? シュラインさん。やっぱりこの季節は鍋が一番ですよね。ちなみに、具メインの蟹は、室田さん宅から紫が強奪して来たものです。
それとお名前の件、ありがとうございました。危うく間違う所でしたので、とても助かりました。
なお、今回の依頼の結果により、前回紫からお送りしましたガラス玉は色が変わりました。今後、もしご利用になられる事がありますようでしたら、見たいもの、そしてその時のガラス玉の色をご指定下さい。色は‥‥その人の心を顕すモノです。それによって見えるものが、どのように見えるかが変わりますので‥‥
それでは、今回はこの辺にて。
今回の依頼、お気に召して頂けましたら、また別の依頼でご一緒出来ることを祈っております。
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