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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:雨と事故とお稲荷さま
執筆ライター  :水上雪乃
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜4人

------<オープニング>--------------------------------------

 歩道に乗り上げ、電柱に激突した自動車が煙を上げている。
 音も立てず降りしきる氷雨が、血とガソリンを洗い流してゆく。
 当事者には気の毒だが、ありふれた光景だ。
 値段の割にコクのないコーヒーをすすりつつ、物憂げな瞳を事故現場に向ける。
 草間武彦である。またの名を怪奇探偵という。
 事故発生から五分、そろそろ警察などが現れても良さそうな時間帯だ。この国の警察は、レスポンスタイムだけは、やたらとはやい。
 と、皮肉げに流れる草間の視線が、一点に固定された。
 回転灯を付けたピンクのポルシェが、現場に停車したのだ。そんな奇天烈な覆面パトカーに乗っている人間など、彼は一人しか知らない。
 無言で立ち上がり、伝票を掴んでレジへと向かう。
「よう。キャリアが現場に現れるなんて、珍しいじゃないか」
 外に出た彼は、黄色い花がプリントされた傘を差す人物に声をかけた。
「草間さんこそ、どこにでも現れますね」
 驚いた様子も見せず、花柄の傘の男が振り返った。
 稲積秀人警視正。草間の悪友である。
 いわゆるキャリア官僚で、とある事件以来の腐れ縁であった。
「で、アンタが出てくるってことは、また、アッチがらみかい?」
「今週に入ってから七件。同様の交通事故が起きています」
「交通事故は、どこででも起きてるだろ」
「でも、当事者たちが揃いも揃って、狐を目撃したと証言する事故は、そんなに多くないと思いますよ」
「狐、ねえ」
 下顎に手を当てた草間が、胡乱げな声を出す。
「じつは、明日にでも電話しようと思ってたんです。引き受けてくれますよね」
「アンタの頼みを断るような度胸は、俺にはないよ」
「助かります」
「四人くらいでいいか? 明日、警視庁に出向かせる」
 そう約束した怪奇探偵は、警察官僚と軽い握手を交わし、その場を歩み去った。
 今回の報酬はどれくらいになるかな、と心算を巡らせながら。


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雨と事故とお稲荷さま
 空調が送り出す緩やかな風が、九人の男女の間を回遊する。
 警視庁ビル。六階に位置する刑事部参事官室。すなわち、稲積秀人の牙城である。
「やれやれ。今回はまた、ずいぶんと数が多いですね」
 苦笑とともに、稲積が感想を吐き出した。
 草間武彦が言っていた人数は四人。実際に派遣されてきた人数は七人であった。これに稲積が用意した公安部の捜査官が加わり、総計八名の大チームである。
 たかだか交通事故の捜査にしては、大がかりすぎるだろう。もっとも、ツアーではないので、チームを幾つかに分ければ良いだけの話であるが。
「とりあえず、今回の報酬です。お納めください」
 額面一四〇〇万円の小切手を、シュライン・エマに手渡す。一人あたま二〇〇万円の計算である。
 恭しく小切手を受け取ったシュラインは、内心で胸を撫で下ろした。人数が増えても報酬は変わりませんよ、などと言われるかと思い、ドキドキしていたのだ。
「まずは、これを見てください」
 ごく簡単な事務手続きが済むと、さっそく稲積が本題に入った。
 彼の声に応じるように、斎木廉が地図を広げる。
 東京二三区の地図に、ところどころ赤丸や書き込みがある。
「発生場所がバラバラだな」
 巫灰滋が、下顎を撫でながら呟いた。
 この地図が発生現場を示していることは説明されるまでもない。
 それにしても、と、草壁さくらが小首を傾げる。
 位置関係が気になったのだ。最も離れている地点で考えると、直線距離で五〇キロ。とてもではないが、狐の行動範囲を超えている。たとえ、この事件を引き起こしているのが妖狐であったとしても、である。
 となれば、土地にまつわる因縁というラインは消えるだろうか。
 やや性急に、探偵たちは考えた。
「被害者の人に共通点はないん?」
 ふと思い立ったように、獅王一葉が質問した。
 稲積が軽く頷き、廉を見遣る。
 無言のまま、銀色の瞳の捜査官が、一冊のファイルを差し出した。
 被害者のリストである。
「よくここまで調べましたね」
 詳細な資料を眺めながら、杜こだまが感心した。日本育ちではない彼女にとっては奇異なことかもしれない。この国では個人のプライベートデータなど存在しないのだ。まして、警察が調べたとなれば、家族構成から性癖まで一目瞭然である。
 久我直親と九夏珪の陰陽師コンビが肩をすくめた。
 被害者たちにも、接点があるようにはあるようには見えなかった。
 学生、サラリーマン、フリーター、研究所員。年齢は最小二三歳から最大三七歳まで。どちら側から検証しても接点など見つかりそうもない。
「生きてる人の話は聞けないかしら?」
 青い瞳に憂いをたたえ、シュラインが問う。
 たしか、七人の被害者のうち、二人ほどはまだ生きているはずだ。
「無理ですね。意識が戻っていませんし、医者の話では二、三日が峠だということです。まあ、来年の明後日あたりが彼らの一周忌でしょうよ」
 毒のある表現を稲積がした。
「アンタらしくない言い方だな。なにか判っている事でもあるのか?」
 面食らったように巫が訊ねる。
 こだまとシュラインも顔を見合わせている。この稲積という男、飄々としてつかみ所がないが、正義感だけは強いはずであった。
 直接には応えず、稲積は廉に視線を向けた。ふたたび無言で頷いた彼女が、デスクのスイッチを押す。
 小さな駆動音とともに参事官室のカーテンが閉まり、灯りが消ええた。
 やがて、壁にスライド写真が映し出される。
 思わず女性陣が目を背け、男性陣が顔をしかめた。
 その映像は、凄惨な輪姦現場だったのだ。
 三人ほどの男が、若い女性を嬲りものにしている。
「これは、先月の中頃にインターネットに流れた画像です」
 稲積が、淡々と説明を始める。
 この映像が流れるのと前後して、一人の女子大生が自殺を図った。もちろん、その女性とは、映像の中の彼女である。自損の理由は明白であろう。こういうものを職業としている人間ならばいざ知らず、普通の大学生にとっては辛すぎる事態だからだ。
「ちょっと待ってくれ」
 軽く手を挙げて、久我が説明を中断させた。
「後味の悪い事件だと思うが、なんの関係があるんだ?」
「映っている男たちに注目してください。この三人は事故の被害者です。科捜研の調査で体格その他が完全に一致しました」
 探偵たちは、黙然と壁を見つめる。
 事故にあった七人のうち、三人が別口の犯罪に関わっている。数学的確率から考えて、偶然の筈はない。
「‥‥復讐‥‥ですかね?」
 うそ寒そうに九夏の唇が言葉を紡ぐ。
「もちろん、その可能性は充分にあります。しかし、本人にそれを成すことは不可能でしょう」
「お亡くなりになっているからですか?」
 稲積の言葉にうっすらと笑って、さくらが疑問の声を発した。
 死んでいるからといって復讐できぬとは限るまい。否、いっそ霊になって己が無念を晴らす、という方が納得できる。
「‥‥彼女は、生きているわ‥‥}
 静かな声で廉が答える。
 この画像の女性、板倉真由(いたくら まゆ)は未だ存命である。手首を切ったものの、死に損なったのだ。しかし、発見が遅れたのと心身のショックで、現在は埼玉の精神病院にて入院加療中である。心を閉ざし身体を患った彼女は、病室に半ば監禁されている。そうでもしないと、また自殺を図るかもしれないのだ。
 回復の見込みは、残念ながら立っていない。
 冷淡ともとれる口調で説明した廉が、ふたたびスイッチを押す。
 画像が消え、明度を取り戻した室内で、探偵たちが溜息をついた。まったく、見ていて心楽しくなる映像ではなかったし、聞いていて心躍るような話でもなかった。
「まずは、現場まわりやな」
 不快感とともに大きく息を吐き出して、一葉が言った。
 男たちの所行は許されないものであるが、だからといって個人的な復讐を容認できるものではない。犯罪を裁くのには法をもってする。その大原則が守られないならば、法治国家の基が立たぬ。
「でも、まだまだ疑問が残るわね」
 白い額に軽く指をあてるシュライン。
 久我と巫が大きく頷く。
 実際、判らないことだらけである。
 事故を引き起こす動機めいたものは判明したが、手段が判らない。
 犯人も不明だ。真由の親族か、親交のあったものの仕業と考えるのが普通であるが、はたして、人の手で交通事故を起こさせうるものだろうか。
 そのとき、サモトラケのニケを象った時計が刻を告げた。
 まるで、開幕のベルのように。

 さて、幾つかのチームに別れた探偵たちは、それぞれの行動を開始した。
 シュライン、巫、こだまの三人は、連れだって調査へと向う。囮捜査を兼ねた現場まわりである。現場百回と警察ではいうが、幾度も現場に足を運ぶ事によって、新事実が発見できるかもしれない。
「正直いって、被害者たちに同情する気持ちはないけど」
 こだまが冷淡に言い放ち、無言のまま、巫とシュラインが頷いた。
 あのような画像を見せられた後で、また、あのような話を聞いた後で被害者たちに同情するのでは、偽善の極致というべきであるう。
 とはいえ、彼らは法の番人(マーシャル)の側に立つ人間である。少なくともこの件に関しては、被害の拡大を防ぎ、犯人を検挙に協力する義務と責任があるのだ。
 個人的な感情を押し殺したとしても。
「とりあえず、現場に着くまでに資料を頭に入れておいて」
 草間興信所の社用車である中古のセダンを運転しながらシュラインが言った。退役寸前の老兵を労るように、優しい手さばきであった。今回の事故が個人的な復讐だとするならば、彼女らが事故を起こす可能性は低いが、事務所にとっての貴重な財産なのだ。廃車などになってもらっては困るのである。
「この場合、俺の能力は役に立ちそうもないな。こだまの風水が頼りだ」
 助手席の巫が後部座席を振り返った。
「土地がらみでないなら、私の力だって当てにできない。過大な期待はしないで」
 面白くもなさそうに、こだまが答える。
 謙遜ではない。
 こだまの風水、巫の除霊能力、シュラインの聴力。それぞれに特化した能力ではあるが、このような事態に際して即効性は薄い。
 地道に資料を検討し、現場を調査するしかないのだ。
「シュライン。ちょっとこれを見て」
 四カ所目の現場に辿り着いたとき、こだまが何か心づいたように仲間を呼んだ。
 漫然と周囲を見まわしていたシュラインが歩み寄ってくる。
「現場と地図を照らし合わせて思ったのだけれど」
 と前置きして、こだまが自説を披露した。
 七件の事故は、全て信号機から一五〇メートル前後の場所で起きている。この距離は偶然の一致だろうか。否、偶然にしては、いささか都合が良すぎる。一五〇メートルといえば、走り出した自動車が高速状態になるあたり距離である。マニュアル車なら、ちょうどハイトップにシフトチェンジする頃だろう。
 たしかに、高速走行中にハンドル操作を誤れば事故の確率はかなり高まる。だが、信号機からの距離が気にかかった。
 あるいは犯人は、信号で停まっているときに何か仕掛けたということだろうか。
「‥‥俺も気付いたぜ」
 考え込んでいる女性たちに、唯一の男性が声をかけた。
「この事故、全部、歩道側に突っ込んでるぞ」
 つまり、対向車線の側にははみ出していない、ということである。もし対向車線側に突入していたら大事故になっていただろうから、事実としては重畳きわまりない。
 しかし、単純に運だけの問題だろうか。
「もう一つ付け加えると、だ。歩道に乗り上げたクセに歩行者に被害がでていない」
 思わず、女性陣が顔を見合わせた。
 あまりにも異常だったからである。通行人も滅多にいない田舎道ならともかく、大都市の東京で考えられる事態ではない。
「どう考えても作為的ね。犯人は被害者以外に累を及ぼすつもりがなかった‥‥」
 シュラインが要約して見せる。
「でも、手段が判らないわね」
 こだまが腕を組んだ。
 歩道に突っ込んだということは、被害者たちはハンドルを左に切ったということである。そうさせるためには、歩道側から呼び寄せるか反対車線からアクションを起こすか。
「どっちもダメだな」
 こだまの思考に感応したように、巫が首を振った。
「‥‥ハイウェイヒブノシス‥‥」
 突然、シュラインの唇が意味不明の言語を紡ぎだす。
「なにそれ?」
「だんだそれは?」
 仲間二人が不審顔をした。
 軽く頷いて、シュラインが説明を始める。
 ‥‥夜道に一人立っている女性を車に乗せる。そして、ふと振り返ったときには影も形もなくなっていた。
 そのような怪談話をよく耳にする。
 じつは、これがハイウェイヒブノシス現象である。単調な道や疲労しているときなどに起こる、一種の自己催眠なのだ。実際のところ、現在の道路上の怪談は、ほとんどがこれで説明がつく。
 今回の事件の場合、被害者たち全員が右から現れた「なにか」を見たとしたら。
「‥‥なにかって‥‥まさか、狐?」
「だな。これで繋がったな」
 こだまと巫の顔に理解が広がる。
 自動車を発進させたばかりのドライバーに「同じ」幻覚を見せ、事故を引き起こさせる。そのようなことができる能力といえば、一つしかないだろう。
『催眠術!』
 三人の声が唱和した。
 どうやら、解決の糸口は彼らの前に現れたようである。
 ただ、今のところ判明したのは、犯人が用いた第一の手段だけだ。もう一つの手段は明らかになっていない。すなわち、どうやって歩行者を現場から遠ざけたのか、という点である。
「これも催眠術ってんなら楽なんだがなぁ」
 巫が肩をすくめた。
 不正解だということは自分でも解っている。催眠術を不特定多数に同時にかけることなど不可能だからだ。
「組織力のありそうな犯人ね」
 どことなく冷めた口調でこだまが言った。
 故人となった被害者たちよりも、犯人の方がよほど紳士的で配慮深いではないか。そう思ったのかもしれない。だが、実力でルールを破る人間を紳士とは呼ばないのだ。被害者たる男ども罪は罪としても、それを追求し処罰するのは法でなくてはならない。
 夕映えに照らされたこだまの端正な顔が、理性と感情の間で揺れている。
 興味と共感を含んだ瞳で、それを見つめていたシュラインだったが、コートのポケットで振動する携帯電話に気付き視線を逸らした。
 ディスプレイで発信者を確認する。
 稲積だった。
「良かった。こちらからかけようと思ってたんですよ。稲積さん」
『ということは、何か掴まれたんですね』
「はい。犯人が催眠術師であることが判明しました。仮説の段階ですが」
『そちらも、そこまでいきましたか』
「も、ということは、稲積さんの方でも同じ結論が?」
『久我さんのチーム。獅王さんのチーム。そして我々の調査結果。すべてのフラグメントが同一方向を指し示しています』
「その口調から察するに、犯人の目星はついたんですね」
『今夜八時、日比谷公園で接触します。来ますか?』
「もちろん」
『助かります。相手が特殊能力を持っている以上、こちらも能力で対抗したいですから」
 穏やかな信頼を込めて稲積が言い、通話が終了した。
 シュラインが仲間に、手早く事情を説明する。
「まどろっこしいわね。さっさと逮捕すれば良いのに」
 こだまが、もっともな感想を漏らした。
「仕方ないさ。催眠術は現行の法律じゃ取り締まれんからな」
 この場にいない者に代わって巫が釈明をおこなう。
「もっとも、彼としては逮捕したくないって思いもあるのかも」
 そうこだまがフォローしたのは、稲積に共感する部分があったからかもしれない。
 どちらにしても、約束の時間までは三時間ほど余裕がある。
 ごく短い協議の結果、食事を済ませておくことに決定した。
 腹が減っては戦も対決もできはしない。
 健全な判断であったが、向かった先はファミリーレストランであった。
 まあ、貧乏性の一人と実際に貧乏な二人にとっては、妥当なラインであろう。

 夜空を支配する満月が、煌々たる光で地上を照らす。
 約束の時間。稲積を含めた九人のメンバーが、日比谷公園に集まっていた。
 彼らの視線は、薄闇の中に巍然と立つ人影に集中している。
 フェイクファーのコート。肩下までの茶色い髪。黒のタイトミニに膝丈のロングブーツ。黒曜石のような切れ長の瞳が、月明かりを浴びて冷たく輝いていた。
「東都大学客員教授の新山綾(にいやま あや)さんですね」
 稲積が掠れた声を絞り出した。
 黒衣の女性の放つ奇妙な迫力に威圧されているのだ。
「そうよ。できたら、最年少の、と形容詞をつけて欲しかったけどね」
 笑いを含んだ声が、淫魔の囁きのように九人の鼓膜を揺らす。
「単刀直入に伺います。今回の連続事故は、貴女が仕組んだことですか?」
 一同を代表する形で久我が問いかけた。
 素っ気ないほど簡単に綾が頷く。
「それにしても、さすが『武彦と愉快な仲間たち』ね。たった一日で、わたしまで辿り着くなんて。稲積家のボンボンだけならラクだったんだけど」
 紅い唇が笑みの形に歪み、探偵たちの背中を氷塊が滑り落ちた。
 知られている。
 草間興信所のことも、稲積警視正のことも。
 この綾という女、どれほどの情報網をもっているのか。
 と、そのとき、息を呑む一同の制するように、さくらが前に進み出た。
「一つだけお答えください。どうして、狐をつかったのですか?」
 それは、さくらがどうしても訊いておかねばならない事だった。何故に狐と人との間に隙をつくろうとするのか。返答如何によっては只では済まさぬ。
「べつに、なんでも良かったんだけどね。河童でも竜でもヒキガエルでも」
 人を喰ったような答えである。
 激したさくらが、さっと右手を振った。
 端で見ている探偵たちに留める暇はなかった。綾が炎に包まれる姿を幻視する。
 だが、その光景は現実のものにはならなかった。
 綾の掌の上、三センチメートルの空間に小さな小さな火の玉が浮かんでいる。
「面白い技を使うわね。さくらちゃん。でも、鬼火だろうと狐火だろうと原理は一緒よ。火が燃えるためには絶対に酸素がいるの。で、今わたしの掌の上には酸素が少ししかないわ」
 探偵たちは戦慄した。
 この綾という女は、空気を操れるのだ。
「こんなことも出来るわよ」
 艶やかな声とともに、さくらの目前に巨大な炎が出現した。
 一瞬のことではあるが、驚いて跳びさがる金髪の美女。
「では、これならどうだ」
 綾に負けぬほど冷たい口調で言った廉が、音太刀を振るう。かまいたちのように敵を切り裂く風の刃だ。
 見えない凶刃が綾に迫る。
「同じよ。音太刀は風の刃だけど、風にだって摩擦の力は働くわ。今、音太刀は大気の壁に邪魔されて動けない。摩擦係数を極端に上げてるから。で、廉ちゃんと音太刀の間の摩擦係数を下げると、こうなるわ」
 詠うような呟きと同時に、廉の躰を衝撃波が襲った。一メートルほど吹き飛ばされ、地面に膝をつく。
 廉は唇を噛みしめた。綾が手加減していることを悟ったからである。もしも敵が本気だったら、彼女は自分の技で切り刻まれていただろう。
 あまりの事態に、シュライン、こだま、一葉は硬直してしまっている。
 肉弾戦ならばともかく、特殊能力のぶつかり合いで仲間が圧倒されるの、を初めて目の当たりにしたのだ。だが、彼女らにはどうすることも出来なかった。三人の能力は戦闘向きのものではない。下手に手を出せば足手まといになるだけだ。
「いくぞ!」
「はい!」
 久我と九夏の師弟コンビが動く。
 ぱっと左右に別れた二人は、二方向からの攻撃を試みた。
 あるいは、二人同時に仕掛ければ、活路が見出せるかもしれない。陰陽師たちの手から数枚の符が飛ぶ。
 飛ぶ筈であった。
「さすがに、式神は厄介だからね。封じさせてもらうわよ」
 二人の手から離れた瞬間、符は炎の塊となって地上に落ち、同時に久我と九夏は腹に強烈な衝撃を受ける。
 つい先程、廉が受けたものと同じで種類のものである。
 堪らず膝をつく二人。
 とんでもない強敵だった。
 この女にとってみれば、催眠術など児戯にも等しいのだろう。今のところ、綾の方から攻撃は仕掛けていないが、もしも本気で攻撃を仕掛けてきたなら、全滅も有り得るかもしれぬ。
 八人の心理を黒い絶望が蚕食する。
 八人?
 たしか、探偵たちは九人ではなかったか?
 このとき、女王然とした綾の表情に、初めて不審の色が浮かんだ。
 その様子を、肉食獣の微笑で見つめているものがいる。
 巫であった。
 彼は、仲間たちが攻撃を仕掛けている間に綾の後方へ回り込み、繁みの中に身を隠していたのだ。残念なことだが、巫の特殊能力はこの場では役に立たない。しかし、別のものならば役立つだろう。すなわち、肉体である。
 いかに超常の力を操る女でも、接近戦に持ち込めば男の方が遙かに有利だ。見たところ綾の体格は完全に格闘向きではない。身長も高くないし、体重となると彼の半分くらいしかないだろう。
 組み付いてさえしまえば何とかなる。
 繁みの中でチャンスを伺う巫。
 だが、チャンスは永遠に訪れなかった。
 後頭部に、金属が触れる。
 銃口であることは振り向くまでもなく判った。精悍な顔を冷や汗が伝う。
 綾にも仲間がいたのだ。
 当然といえば当然であろう。失念していた探偵たちの失敗である。
「惜しかったな。そのまま立ち上がって前へ進め」
 後方から声が聞こえる。豊かなバリトンであった。
「まったくだ。上手くいくと思ったんだがなぁ」
 巫が憎まれ口を叩く。
 実際、出来ることといえばそのくらいである。普通の人間は、拳銃を突きつけられただけでも怖じ気づいてしまうものだ。それに比すれば、巫の態度は堂々としたものである。
「すまねえ。みんな」
 やがて、綾の前に引き出された巫が、仲間たちに詫びた。
 心ならずも、これでは足手まといである。
「さて、とりあえずは、わたしの勝ちみたいね」
 巫に一瞥を与え、綾がふたたび探偵たちと正対した。
「わたしがどういう要求をするか、秀人クンになら判るわよね」
 戯けるように言う。
「くっ! ‥‥皆さん。武装を解除してください」
 嘲弄された稲積は、唇を噛みしめながら言った。
 人質を取られてしまった以上、そうするより他ない。
 黙然と頷いた探偵たちが、それぞれの武器に手を伸ばす。
「ぶぶ〜 外れ☆ わたし、そんなこと要求しないわよ」
『??』
 意外極まる言葉を綾が発し、探偵たちは手を止めた。
「まったく、好戦的な人たちなんだから。イヤになっちゃう。わたしが、今日ここに出向いてきたのは戦うためじゃないの。交渉のためよ」
「交渉やて?」
 最も早く言語機能を回復させた一葉が訊ねる。
「そう。このあたりで手打ちにしない?」
「手打ちですって? いまさら何のつもりよ?」
 押し殺した声でこだまが言う。
「わたしは、この件から手を引く。そのかわり、あなた達も追わないで欲しいんだけど、ダメ?」
「犯罪を見過ごせ言うんか?」
 一葉が静かな声を出した。蓄積された怒りと恐怖が、直線的な感情の発露をかえって妨げたのだ。
「見過ごしたのはあなた達、いえ、あなたでしょ。秀人くん」
 冷然たる声が、稲積に投げかけられた。
「あの男どもが何をしたか、もうみんな知ってるわよね。残念ながら、真由ちゃんに関しては法も警察も無力だったわ。だから、わたしが罰を与えたの」
 たしかに、板倉真由を救うことは警察にはできなかった。
 強姦は申告罪であり、本人の訴えなくして起訴する事はできない。
 だが、それでも、
「あなたには裁く権利があると言うの? なに様のつもり?」
 怒りに震える声とともに、こだまが綾を指さす。
 彼女は、事故の被害者たちに同情していない。それどころか、毒牙にかかった真由に深刻な憐憫を感じている。だが、だからこそ綾の態度に腹が立った。真由の人生を狂わせる権利は男どもにはなかった。同様に、男どもの命を奪う権利は綾にはないのだ。結局、やっていることは同じではないか。
「なに様っていわれてもねぇ。そうだ☆ 世直し屋ってのはどうかな?」
 あからさまにふざけた口調で言い放つ綾に、探偵たちが色めき立った。
 公園内に一触即発の空気が流れる。
 その空気を制するように、
「‥‥判りました。貴女の提案を受け入れましょう」
 と、稲積が言った。
「参事官!?」
 人一倍正義感の強い廉が、信じられないものを見るような目で稲積を見つめる。
 他の七人も、それぞれ驚愕の精霊に支配された表情であった。
「仕方が、ありません。催眠術は法に抵触しませんから。それに‥‥」
「それに?」
「もし断れば、貴女はここで私たち全員を始末するつもりでしょう?」
「どうかしら?」
 謎めいた微笑を浮かべた綾が、すっと後ろにさがった。
 同時に、巫を人質にしていた男が、彼を前方に突き飛ばす。
 よろめいた巫を、やや慌てて九夏とさくらが受けとめた。
 探偵たちの注意が一瞬それた簡に、綾と男は闇の中へ消えていった。
 立ち尽くす探偵たちの耳に、黒い瞳の催眠術師の声が届く。
 風の音と木々のざわめきによってかき消され、その内容を理解したものはいなかった。
 ただ一人の例外を除いて。
 小さな悲鳴をあげたシュラインが、両手で自らの躰を抱き、その場にうずくまった。
 彼女の卓絶した聴覚は捉えていたのだ。
「あなたには聞こえるわよね、シュラインちゃん。武彦に、次は本気よって、伝えておいて」
 という綾の言葉を。
 無言のまま、夜空を見上げる探偵たち。
 強さを風が彼らの髪や頬をなぶってゆく。
 と、そのとき、誰かの携帯電話がメロディーを奏ではじめた。
 だが、その音は、誰の耳にも終幕のベルには聞こえなかったのである。
 そんな彼らを、心配そうに月が見守っていた。


                    おわり

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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  【 PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 】

草壁・さくら   /女  /999 / 骨董屋『櫻月堂』店員
(くさかべ・さくら)
斎木・廉     /女  / 24 / 刑事
(さいき・れん)
獅王・一葉    /女  / 20 / 大学生
(しおう・かずは)
巫・灰慈     /男  / 26 / フリーライター
(かんなぎ・はいじ)
杜・こだま    /女  / 21 / 風水師
(もり・こだま)
久我・直親    /男  / 27 / 陰陽師
(くが・なおちか)
シュライン・エマ /女  / 26 / 翻訳家 草間興信所事務員
(しゅらいん・えま)
九夏・珪     /男  / 18 / 高校生陰陽師
(くが・けい)


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■         ライター通信          ■
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こんにちは。水上雪乃です。
毎度のご注文、ありがとうございます。
今回は、少し長めの構成になっています。
さて、お客さまの推理は当たりましたか?
楽しんでいただけたら幸いです。

ついに、最大のライバルが登場しました。
稲積シリーズの展開は、いよいよ風雲急を告げています。
狡猾で強大な敵に、草間も稲積も分が悪いようです。
お客さまの力で、助けてあげてくださいね☆

稲積と草間の出会いには、クリエイターズルームで短編小説を公開しています。
新山綾との関係については、近日中に公開予定です。
ちょっとCMでした♪

それでは、またお目にかかりましょう。