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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:お嬢ちゃまと怪奇探偵
執筆ライター  :水上雪乃
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜4人

------<オープニング>--------------------------------------

「なあ。悪魔祓いなんて、できるヤツいるか?」
 買い換えたばかりのコードレス電話。保留のボタンを何故か嬉しそうに押した草間武彦が事務所内を見まわした。
 幾人かの所員が手を挙げる。
 草間興信所。人呼んで、怪奇探偵の溜まり場。
 尋常ならざる事件を手掛けることで、この事務所は有名なのだ。
 満足げに頷いた草間が、依頼を引き受ける旨、電話の向こう側の人物に告げる。
 珍しいこともあるものだ。
 彼が所員の能力を確認してから仕事を受けることなど滅多のない。
 よほど興味のある依頼なのだろうか。
「依頼人は白金のオカネモチだ。娘が悪魔に取り憑かれたらしい」
 電話を切った草間が、楽しそうに告げる。
 悪魔憑きといえば、エクソシストの得意分野である。
 本来ならば、所長は、この手の依頼を嫌っていた筈だが。
「今回は俺も同行するぞ。悪魔憑きかぁ。やっぱり首が回ったり緑色のゲロ吐いたりするのかなぁ」
 興奮気味に草間が言う。
 どうやら、なにかの映画のファンらしい所長に、所員たちが肩をすくめる。
 ロクでもない仕事になりそうだった。
 お嬢さまを救うだけでなく、怪奇探偵のおもりまでしなくてはならない。
 日本海溝よりも深い溜息をつく所員たち。
 旧式のスチーム暖房の熱気が、嘲るように回遊していた。

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お嬢ちゃまと怪奇探偵
 肌を刺す寒風が、高級住宅街を吹き抜ける。
 東京都港区白金。
 ブルジョワジーに属する人々が多く住む、壮麗な街である。
 ふん、と、中島文彦がつまらなそうに鼻を鳴らした。張暁文という本名を持つ背の高い男にとっては、広壮な邸宅で安穏に生活する人々など、同じ人類とも思えぬのだろう。
 まあ、このあたりの感想は他のメンバーにしても、たいして変わるわけではない。
 ことに草間興信所が誇る三大貧乏人――巫灰滋、杜こだま、草間武彦――などは、立ち並ぶ屋敷を落ち着かなげに見回している。
 所長の草間が貧乏人の代表格に選出されているようでは、興信所の未来に対して深刻な疑義を抱いてしまうというものだが、じつのところ、事務所の経営自体はけっこう順調なのである。ただ、安定経営に関して草間には一グラムの功績もない。全ての功は、経理を担当する優秀な事務員に帰するだろう。
「そろそろ、見えてきても良い頃ね」
 地図を眺めながら歩いていた優秀な事務員、シュライン・エマが口を開いた。探偵たちが乗ってきた自動車は、近所の有料駐車場に預けてある。依頼人宅に駐車スペースがないとも思われなかったのだが、さすがに気恥ずかしかったのだ。一九八〇年代の型のセダンと軽自動車では、いかにも容儀が軽すぎる。
「せやな」
 神妙な顔つきで藤村圭一郎が応える。
 彼はシュラインと一緒に仕事をしたことがあり、彼女の権力が神様のそれに等しいことを学んでいた。要するに、財政を扱う人間に逆らってはいけない、ということである。
「それにしても、大所帯になっちゃいましたねぇ」
 爽やかな笑みを浮かべて斎悠也が言った。
 幾人もの女性を虜にしてきた微笑だ。
 だが、残念ながら女性陣たちはその笑顔に魅了されなかった。
「さ、みんなシャキッとして。着いたわよ」
 シュラインの声に、草間を含めた六人全員が背筋を伸ばす。
 これでは、誰が所長なのか判らなかった。

 さて、七人の探偵たちは依頼主である芳川吾朗(よしかわ ごろう)と対面していた。
 年齢は四〇代半ばだろうか、なかなかに風格のある紳士である。
「お初にお目にかかります。草間興信所所長の草間武彦と申します」
 恭しく名刺を差し出す。
 このような場面では、社交儀礼など幾ら切り売りしたところで痛くも痒くもないのだ。
「ずいぶんと大人数ですね。お一人で来られるのかと思っておりましたが」
「私どもは、その辺のインチキ霊媒師とは違いますので。今回のご依頼につきましても、お嬢さまに取り憑いたモノの存在をハッキリさせるため、様々な分野のエキスパートを用意いたしました」
 詐欺師のように淀みなく、草間が説明した。
 芳川が頼もしそうに頷く。
 その様子を眺めながら、探偵たちは内心で溜息を漏らしていた。
 まさに舌先三寸とはこのことである。
 探偵たちの中で実際に除霊能力を持つものなど、巫と斎の二人だけである。カウンセリングの出来る藤村はともかくとして、こだま、長島、草間の三人は完全に見学組。シュラインは、草間のおもり兼お目付役であった。
 エキスパート、などと称するのは厚かましいというものだろう。
 仲間たちの内心に構うことなく、得々と草間が続けた。
「日本神道、風水、タロット、科学調査、と多岐に渡って優秀なスタッフを揃えております。どうか安んじてお任せあれ」
 自信たっぷりに胸をそらす。見学組のくせに。
「素晴らしい! 期待していますよ!!」
 草間の話術にはまった哀れな依頼主が、感嘆の声をあげた。
 まあ、実際問題として、他にすがるものがないのだから仕方があるまい。
「まずは、お話を伺いましょう」
 つとめて冷静に、こだまが切り出した。
 草間に任せていては、十年経っても仕事に取りかかれない。
「じつは私、仕事で三年ほど家を空けておりました。ロンドンに行っていたのですが、帰ってきたのは先月のことです」
 芳川の話が始まった。
 彼には、今年一四歳になる娘がいる。歳をとってから出来た子供なので、それはそれは可愛がって育てた。名前は絵梨佳(えりか)。この絵梨佳こそが、今回の悪魔憑き少女だ。
 芳川が帰宅する一ヶ月ほど前、絵梨佳付きの使用人から電子メールが届いた。内容は、娘の様子がおかしい、というものだった。奇妙な格好をしたり怪しげな音楽を流したり夜中に冷蔵庫を漁ったり何日も部屋に閉じこもったり、と。
 まるで、悪魔でも取り憑いているようだ、というのである。
 じつのところ、芳川には、心当たりがないでもない。英国にいた頃、エジンバラの骨董市場で見つけた小さなペンダントを娘へのプレゼントとして贈っているのである。今にして思えば、何かいわくのある代物だったかもしれない。
 探偵たちは、なるほど、と頷いた。
 エジンバラのあるスコットランドは、プラハと並んで、ヨーロッパを代表する魔術の都である。呪いの品物(カースアイテム)の一つや二つ、転がっていてもおかしくない。
「で、そのペンダントはどこにあるん?」
 藤村が問い、
「娘が、肌身離さず持っているようです」
 芳川が答えた。
「‥‥ほぼ、決まりだな」
「‥‥ですね」
 巫と斎が、ちらりと視線を交わし合った。
 おそらく、そのペンダントには悪霊なり悪魔なりが封じられていたのだ。それが、何かのきっかけで眠りから醒め、少女に取り憑いたのだろう。
 よくある話ではある。
 何の修行もしていない少女では、簡単に魔に支配されてしまう。本来、そんな品物を売る方もどうかしているのだが、科学万能の世の中、悪霊の存在などは忘れ去られているのだ。
「肝心の、娘さんはどこにいるんだ?」
 長島が訊ねる。せいぜい言葉を選びはしたが、乱暴な口調であった。
「とりあえず、本人にも会ってみませんと」
 慌ててシュラインがフォローする。まだ仕事を始めてもいないのに、依頼人の機嫌を損ねるわけにはいかないのだ。
「部屋におります」
 幸い芳川は探偵たちの微妙な様子に気が付かず、あっさりと答えた。
 こだまと草間が不審顔をした。
「学校は始まっているのでは?」
 口を開いたのはこだまだった。草間は黙ったまま腕を組んでいる。
「学校などに行かせられるわけはありません。どんな問題が起きるか判りませんし」
 もっともな話ではある。
 だが、納得と共感以外のものを、藤村が瞳にたたえていた。
 その視線が一瞬、草間のそれと絡み合い、両者はどちらからともなく頷いた。
 ごく微量の違和感が、ふたりの間の空間を埋める。
「では、案内していただけますか。さっそく調査に取りかかります」
 巫に促され、芳川が席を立った。
 探偵たちを差し招き、広壮な邸宅の廊下を歩む。
 高級そうな階段を昇り、二階の一角で芳川は足を止めた。
「ここですか?」
「はい。娘の部屋です」
「わかりました。ここからは私どもで解決いたします。芳川さまは、別室でお待ちください」
 事務的な口調でシュラインが言った。
 頷いて、後ろにさがる芳川。
 ここからが、怪奇探偵の本領なのだ。

「誰よ? オジサンたち」
 絵梨佳の部屋に入った探偵たちは、極めて非友好的な言葉に出迎えられた。
 べつに諸手を挙げて歓迎しろとまでは言わないが、奇妙な反応である。
 悪魔なり悪霊なりに取り憑かれている少女が、こうも明瞭な言葉を発することができるものだろうか。
 当然の疑問であるが、口に出した探偵は存在しなかった。
 なぜなら、全員が絵梨佳に見入っていたからだ。
 あまりにも美しかったから、ではない。否、ひょっとしたら美人なのかもしれないが、それを確認するためには、クレンジングに三〇分ほどかかるだろう。
 顔中に塗りたくった色の濃いファンデーション。真っ白い口紅。とんでもない長さのつけ睫毛。目の回りに散りばめられたラメシール。オレンジ色の全頭ウィッグにハイビスカスの髪飾り。
「‥‥」
「‥‥」
「‥‥」
「‥‥」
「‥‥」
「‥‥」
「‥‥」
 七つの唇が、酸欠の金魚のようにパクパクと開閉する。
 絵梨佳の姿は、悪魔憑きというよりも別の表現の方が正しいだろう。
「パパのダチ? あたしになんか用?」
 唖然と佇む探偵たちに、とても同じ地球人とは思えない少女が声をかけた。
「私たちは、貴女のお父様に頼まれて除霊をしにきたのだけれど‥‥」
 なんとか言語機能を回復させ、こだまが答える。
 さすがに香港出身だけあって妙な人間は見慣れている、といったところだろうか。大陸から渡ってきたという点は、中島にしても一緒ではあるが、彼の方は「お嬢さま」のイメージと現物のギャップに苦しみ茫然自失状態である。
「じょれい? なにそれ? バッカみたいーー☆」
 追い打ちをかけるような事を絵梨佳が言った。室内光に照らされたヘソピアスが、燦然と輝く。
「‥‥いまさら言うまでもないと思うが、この部屋に霊はいないぞ」
「‥‥ついでに、この娘からも、全然、まったく、一切の霊気も感じませんよ」
 極度に疲労した声で、巫と斎が事実を追認した。
 他の探偵たちが一様に頷く。
 要するに、すべては芳川の勘違いだということだ。まあ、三年間家を空けて帰ってきたときに、娘がこうなっていたら、大抵の親は驚くだろう。悪魔憑きと短絡したのにも、多少の同情の余地がある、かもしれない。
「一つだけ確認しておきたいんだけど。あなた、好きこのんでそんな格好しているのね?」
 シュラインが訊ねた。少しだけ、口調が尖っていた。無礼な態度を取り続ける小娘にまで優しく接するほど、彼女は寛大でも無原則でもないのだ。
「‥‥もちろん、好きでやってんのよ。あの馬鹿親父が何言ったか知らないけど」
 絵梨佳は、返答の前に一瞬の沈黙を先立たせた。
「どう思う? 藤村」
「せやな。ちっとばかり危険な状態かもしれんで」
 最年長に属するふたりが、ぼそぼそと話をしている。
 訝しげな表情で、探偵たちが視線を集中させた。霊の存在は、除霊能力を持つふたりによって完全に否定されている。となれば、怪奇探偵の出る幕はない。あとは家庭の問題であって、彼らが口を挟むような事ではないのだ。
 もちろん、草間と藤村は、きちんと説明をするつもりだった。
 全員を集め、草間の私室の五倍はありそうな部屋の中央に車座をつくる。
 当然のような顔で絵梨佳も座った。
 なにか言おうとしたこだまを手で制して、藤村が口を開いた。
「絵梨佳はん。アンタ、ホントはそんなカッコ、いつやめてもええ思とるやろ」
 意外きわまる言葉に、探偵たちが目を見張る。
「! そっ、そんなこと‥‥」
「絵梨佳はん。こっからは深刻な話や。腹割って話そやないか」
「‥‥なんで判ったのよ‥‥?」
 占い師の眼光に威迫され、直接的でない表現で少女は認めた。
 ふたたひ驚く探偵たち。
 誇るでもなく、藤村は淡々と説明を始めた。
 前述の通り、彼の職業は占い師である。そして、占いの顧客というものは、女子高生がかなりの数を占めるのだ。したがって、彼は今時のギャルというものをよく知っている。その彼の知識が、絵梨佳は本物のギャルではないと告げたのだ。
 理由は幾つかある。化粧法や髪型などが若干の流行遅れであることも、その一つだった。極度に流行に敏感なギャルにとってみれば、この若干という部分が致命的なのである。それに、絵梨佳の部屋にギャル系の小物が少ないことも気にかかった。普通、嗜好のもので部屋は満たされる筈だ。まして、彼女には金銭的な制約はほとんどないのだから。
「なるほどな。じゃあ、絵梨佳ちゃんはどうしてそんな格好をしてる?」
 納得したように下顎に手を当てた巫が、改めて訊ねた。
「なんとなく、かな。この格好してたら学校行かなくてすむし」
「学校、嫌いなの?」
 こだまが重ねて問い、絵梨佳が肩をすくめる。
 どうやら、反抗期というものらしい。探偵たちは納得したが口には出さなかった。
「で? いったい何が危険なんだよ?」
 乱暴な口調で中島が言った。
 悪魔祓いが見られるかと思って参加し、お嬢さまにも期待していたのだ。このような形で裏切られては、口調だって乱暴になる。
「そこが肝心なところだ」
 そう前置きして説明を始めたのは草間であった。
 危険とは父親たる芳川のことである。
 草間や藤村の見るところ、彼は自分の見たいものしか見えず、聞きたいことしか聞こえないタイプの人間のようだ。
「他罰型、ですね」
 斎が、芳川の言動を思い出しながら幾度も頷いた。
 普通は、娘が変貌したからといって悪魔憑きを疑ったりしない。だが、芳川は使用人からの報告を頭から信じ込んでしまった。しかも、自分の購入したペンダントが、と、理由付けまでおこなっている。
 これは、他罰傾向の最たるものだ。
 本来、成人にすら達していない娘の教育については、誰よりもまず親である芳川に責任があろう。使用人の報告やペンダントなど関係ない。彼自身が娘と対話し、互いの理解を求めるべきだ。にもかかわらず、彼はその責務を怠り、悪魔の仕業という安直で都合の良い結論にしがみついた。
 それは何故か。
 芳川にとって、娘の教育に失敗したと認めることは、なによりも屈辱なのだろう。
 おそらく彼は自分に言い続けたに違いない。娘が変わった悪魔のせいだ。自分には責任がない。ペンダントを贈ったのだって、知らなかったからなんだ。と。
「‥‥それは、たしかに厄介ね」
 シュラインが腕を組む。
 たしかに、厄介な事態である。
 そのような特異な性格の芳川ならば、娘に悪魔など憑いていないと報告したところで、信じるはずがない。だからといって、居もしない悪魔を祓えるわけもない。
 探偵たちは考え込んだ。
 このまま引き下がったのでは、怪奇探偵の名がすたる。それに、芳川の性格がエスカレートしていけば、絵梨佳の身が危険である。中世以降に存在した魔女狩りの再現にならぬとも限らない。
 何とかして、絵梨佳のファッションを常識的なものに戻し、なおかつ、芳川の性格を改善方向に向ける。それを終えてこそ、依頼の完了というべきだろう。
「あ。こんなのはどうかな?」
 良案を思いついたのか、こだまが掌を打ち合わせた。
 知る人ぞ知る悪戯の女王に、絵梨佳を含む七人が額を寄せる。

 道士の正装で身を固めたこだまが、屋敷の中を練り歩く。
 竜脈を探っているのだ。
 と、見守っている芳川に、草間が説明する。
 やがて、こだまは広大な庭の一点を指さした。
「あそこで除霊をおこないます。芳川さま、危険ですから少し離れたところからご覧になってください」
 緊張した口調でシュラインが言い、仲間たちに絵梨佳を運ぶように指示した。
 藤村、巫、中島、斎の四人が、慎重な手つきで少女を庭に寝かせる。
 キレイに化粧を落とした顔は、生あるものとは思えぬほど白い。
 思わず芳川が小さな悲鳴をあげた。
「大丈夫。眠っているだけです。それじゃあ、始めてくれ」
 泰然と、草間が号令をかける。
『この娘の中に巣くいし邪悪なる御霊よ。畏み畏み申す』
 朗々たる祝詞が、巫と斎の唇から紡ぎ出される。
 芝生に寝そべった絵梨佳の躰が、ビクンビクンと痙攣した。
 息を呑んで見つめる芳川の目前で、中空二メートルほどの高さに巨大な物体が出現しつつある。
「悪魔の本体です‥‥」
 真剣な面持ちで草間が解説した。
 やがて完全に姿を現した悪魔は、まるで氷塊のようであった。
 午後の陽射しに照らされた表面が、キラキラと輝く。
「まずい! 絵梨佳ちゃんを押しつぶすつもりだ!! 頼んだぞ! 中島!!」
 えらく説明的な指示を下す草間。
「おう! まかせとけ!」
 不敵な笑みを浮かべた中島の姿が一瞬にして消失し、次の一瞬には、氷塊の至近距離に出現していた。
 人間とは思えぬ跳躍力であった。
「破!!」
 裂帛の気合いとともに、悪魔の本体を蹴り飛ばす。直径一メートルはあろうかというそれは、軽々と宙を飛んで庭の一角に落下した。
 シュラインが悪魔に駆け寄る。
 と、彼女の体がビクンと震え、膝がくずれる。
「草間さん!?」
「大丈夫。口寄せが始まるだけです」
 驚く芳川に、自信たっぷりの答えを与える。
『口惜しや‥‥。人間どもにしてやられるとは』
 シュラインの口から、男とも女ともつかぬ声が流れ出した。まるで、磨りガラスを釘で引っかくような声だ。
『だが、憶えておけ、芳川よ。我はけっして滅びぬ。汝ら親子の間にふたたび隙うまれし時、必ずや再臨しようぞ‥‥』
 不快な声と内容に、芳川の顔が蒼白になった。
「世迷い言を!!」
 走り込んだ巫が、大きく振りかぶった錫杖で氷塊を打つ。
 クリスタルグラスが割れるような音を立て、氷が砕け散った。
 そしてその跡には、小さなペンダントが落ちている。
 歩み寄ってきたこだまが、しなやかな指で銀の鎖を摘みあげた。
「‥‥ううん‥‥」
 と、そのとき、絵梨佳が目を覚ました。
 まるで、悪魔が退治されるのを待っていたかのように。
「絵梨佳!!」
 名前を叫んだ芳川が、娘の身体を抱き起こした。
「‥‥お父さん‥‥あたし‥‥どうしてたの?」
「どうしてたって、それは‥‥」
 何か言いかける芳川の肩に、そっと手が置かれた。
 振り返った彼の目前に立っていたのは斎であった。
「娘さんは、なにも憶えていませんよ。そういうものなのです‥‥」
「‥‥そうですか‥‥」
「問いつめない方が良いでしょう。それに、あの悪魔の言っていた事を忘れないでください。人の心の黄昏に忍び込んでくる魔物がいるのです。これからは、娘さんと正面から向き合い、心の声に耳を傾け、隙を作らぬように心がけてください」
「はい‥‥はい‥‥必ず‥‥」
 喉を詰まらせて芳川が応える。
「お父さん? どうしたの? あたし、なにか悪いことしちゃったの?」
 悲しそうな顔で父の手を握る絵梨佳。
 その頬を、一筋の涙が伝った。

 たいした演技派だ、と、斎は内心で舌を巻いていた。
 その思いが伝播したように、探偵たちが苦笑した。
 もっとも、演技派なのは絵梨佳だけではない。この大芝居に参加した人間すべてが演技派である。
 こだまの風水。巫と斎の祝詞。藤村の氷結。長島の瞬間移動。シュラインの声帯模写。これらすべてが、芳川を改心させるための小道具であった。もちろん、草間の解説も、である。
 とりあえず、芝居はラストシーンを迎え、父と娘の抱擁で幕を下ろす。
 むろん、これで万事が解決、というほど人生は甘美なものではない。芳川親娘は、不断の努力で相互理解を深めていかねばならないのだ。それが、お互いのためである。
 そして、探偵の仕事はここで終わりである。
 彼らの本分は事件の解決であり、その後の人生は依頼には含まれないのだ。
 うららかな午後の陽射しが、七人の影を少しだけ長く芝生に映し出していた。
 小春日和りが心地よかった。

  エピローグ

「なんか、妙な事件だったわね」
 シュラインがもっともな感想を述べ、
「まったくだ」
 と、草間が頷いた。
 事務所への帰り道、中古のセダンの中である。
 本当に奇妙な事件であった。
 まあ、まったく血が流れなかったし報酬も良かったのだから、文句を言う筋合いのことではないが。
「実際、どのくらいの儲けになったんだ?」
「私も知りたい」
 後部座席の巫とこだまが身を乗り出す。
「かなり良かったわよ。芳川氏からの感謝増額もあったし」
 ハンドルを握っているシュラインが上機嫌に応えた。
「よし! 解決祝いにパァッといくか」
 助手席の草間が景気の良いことを言ったが、
「だめよ」
 という永久凍土のようなシュラインの声に衝突して沈没してしまった。
「そうだよな。武さんは何の役にも立たなかったし」
「私もそう思う。草間は役立たずだ」
 後ろのふたりが、笑いながら酷いことを言う。
 もちろん、本気で責めているわけではないのだ。所長と事務員の掛け合い漫才を楽しんでいるのである。
「でも、いらなくなった電話機くれたら、考え直してもいいわ」
 しぼんでいる草間に艶やかな流し目を送ってシュラインが言った。
 当惑の表情を浮かべる三人。
 公道を疾走する老兵の中に、穏やかな空気が流れていた。


                   終わり

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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  【 PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 】
シュライン・エマ /女  / 26 / 翻訳家 草間興信所事務員
(しゅらいん・えま)
巫・灰慈     /男  / 26 / フリーライター 浄化屋
(かんなぎ・はいじ)
斎・悠也     /男  / 21 / 大学生 ホスト
(いつき・ゆうや)
藤村・圭一郎   /男  / 27 / 占い師
(ふじむら・けいいちろう)
杜・こだま    /女  / 21 / 風水師
(もり・こだま)
張・暁文     /男  / 24 / サラリーマン(自称)
(ちゃん・しゃおうぇん)

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■         ライター通信          ■
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毎度ご注文ありがとうございます。
水上雪乃です。
今回は、ちょっとだけ家庭教育をテーマにしてみました。
どうです?
推理は当たりましたか?

それでは、またお会いできることを楽しみにしております。