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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:幕間狂言
執筆ライター  :水上雪乃
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜5人

------<オープニング>--------------------------------------

 人生は旅に似ている。旅路で誰かと出逢ったり別れたり。時には、一緒に歩んだりもするだろう。
 それこそが人生という旅の醍醐味というものであろう‥‥。
「‥‥詩的な表現でごまかさないでくださいよ」
「うむ」
 稲積秀人に冷たい瞳で見つめられ、草間武彦はばつが悪そうに頭を掻いた。
 つい先日、煮え湯を飲まされた新山綾との関係について尋ねられていたのである。
 といっても、草間自身も綾のことはよく知らない。以前に一度だけ組んで仕事をしたことがある程度だ。
「公的なデータはすべて判っています。私が知りたいのは彼女の能力なのですが」
「実地で見たんなら判るだろ。あいつの武器は催眠術と古代コプト語魔法だ」
「それだけですか?」
「いや。最大の武器は論理思考力だな。俺ですらあの女には及ばん」
 自信家の草間が認めるほどであれば、相当なものなのだろう。
 軽く頷いた稲積のポケットで携帯電話が鳴った。
 二言三言会話を交わし電話を切った彼が、草間をかえりみる。
「女子短大生が殺害されました。生きたまま焼き殺されたのです。今のところ、犯人は不明。どうです? あの女がでてきそうな事件だと思いませんか?」
「‥‥まったくだな。で、何人ほしい?」
「何人でも。人数にかかわらず二億円用意しましょう」
「‥‥本気でやる気だな。稲積警視正」
「負け戦のまま終わるのは性に合いませんからね」
「わかった。何人かピックアップしておく。もし足りないときは言ってくれ。そん時は俺も戦列に加わるから」
「恐縮です」
 シニカルな笑みを浮かべて握手を交わすふたり。
 それは、静かなる宣戦布告であった。


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幕間狂言

  序

 蒼白い月が雪原に冷たい光を投げかけている
 栃木県の中西部。深夜の那須高原。
 寒風のなか、煌々としたカクテルライトが幾人かの人影を照らしていた。
 注意深く観察してみると、人影たちは敵味方に別れていることに気付くだろう。
 怪奇探偵の一団と、新山綾のグループである。
 探偵たちは疲れ果てていた。
 すでに戦闘は、一時間に渡って続いている。
 むろん、疲労も緊張も一方の専有物ではない。
 綾のグループも困憊の極みにあった。綾のコートは所々が破れ、彼女を護るように左右に立つ男たちも、肩で息をついている。
 両陣営の実力は伯仲していたのだ。
 勝利の女神は、祝福の接吻をどちらに与えるか決めかねているようだった。
 とはいえ、戦局自体は探偵たちに若干の分がある。
 数的優位、綿密な下調べ、周到な準備。必勝の条件を備えているのだ。このまま、じりじりと綾を追い詰めてゆくこともできるだろう。
「‥‥もう! こんなことしてる場合じゃないのに‥‥」
 血を滲ませた唇で綾が呟いた。
 その声を圧するように、ヘリコプターの爆音が急接近してくる。
 無礼きわまる闖入者の姿を、月が仄白く映し出していた。

  奥の手と切り札

 探偵たちと綾グループのバニシングポイントが急速に接近している頃、シュライン・エマは、『櫻月堂』を訪れていた。
 安普請の扉をくぐると、意外に整理された店内から、
「いらっしいませ」
 と、丁寧な声がかかった。
 住み込みの店員である。
 顔見知りの彼女に取り次いでもらい、シュラインは目的の人物と対面を果たした。
 この骨董品店の店主、武神一樹である。
 今回の仕事に関していえば、仲間ということになる。
「よくいらっしゃいました」
「ちょっと伺いたいことがあって」
「新山綾とかいう女性の能力について、でしょう?」
 武神の理解はえらく早いが、実際、この件についての最も重大事である。
 シュラインは無言で頷いた。
「残念ながら、俺の方にも手がかりはなしです。心当たりは当たってみましたが」
 残念そうに武神が言う。
「やっぱり」
 落胆した様子もみせず、シュラインが呟く。
「私の方でも少し調べましたけど、やっぱり判りませんでした」
 ふむ、と、骨董屋の主人が腕を組む。
 シュラインはともかくとして、武神のネットワークは深く広い。東京のアンダーグラウンドのほとんどすべてを網羅しているといってもよいほどだ。
 にもかかわらず、敵の正体が掴めないとは。
 不快でもあり不安でもあった。
「妖術や霊力の類ではない、ということかもしれませんね」
「となると、ますます判りません。なにしろ俺は、敵の技をみてませんから」
「さくらさんは何と?」
「判らないそうです。彼女にも」
 どれほど長く生きていても、疑問や不審からは自由ではない、ということだろうか。
 青い目の美女は小さく嘆息した。
 と、そのとき、シュラインの携帯電話が鳴った。
 短く会話を済ませた彼女が、武神に向き直る。
「稲積参事官からの連絡です。今夕五時、那須高原でお待ちしています、とのことでした」
「では、さっそく準備にかかりましょうか」
「はい。お気をつけて」
「大丈夫です。たぶん」
 さりげない自信を態度に込めて、武神が頷いた。
 たしかに、今回のメンバーの中で、切り札的存在の武神である。
 軽く握手を交わし、シュラインは櫻月堂を後にした。

「どうだ? 少しは研究は進んだか?」
「ダメね。さっぱりだわ。経歴、家族関係、交友関係、怪しいところはなし」
 探偵たちが出払った後、草間興信所に居残った草間武彦とシュラインの会話である。
 今さらのようだが、戦地にある仲間たちのために、資料の再検討をおこなっているのだ。
「武彦さんは彼女の魔法、見たことあるんでしょう。どうだった?」
「どうといわれてもなぁ。トリックを使っているようにはみえなかったが」
「そりゃそうでしょうよ」
 どこまでも現実主義の草間に、やや呆れたようにシュラインが言う。
「ただ、あいつは学者だろ。学者に魔法の修行をする時間なんてあるのかな」
「そうなのよね。魔術師として名の知れた存在なら、絶対アングラ情報に引っかかると思うんだけど」
 深々と溜息をつくシュライン。
「お前、耳いいだろ? 綾の呪文とか聞き取らなかったのか?」
「聞いたし憶えたけど、なに言ってるか判らないわよ。昔のエジプト語なんて」
「翻訳家のくせに」
「悪かったわね」
「まあまあ。怒るなって。ところで、俺のライター知らないか? さっきから探してるんだが」
「ちゃんとデスクの上を整理しとかないからでしょ。知らないわよ」
「困ったな。ないとなると余計吸いたくなってきたぞ」
「仕方ないわねえ。私が魔法で点けてあげるわ」
 戯けた口調で言ったシュラインが、先日の綾を真似て、身振り手振りを入れた呪文を唱える。
 すると、信じられないことが起こった。
 草間の煙草の先に、火が点ったのである。
「‥‥うそ‥‥!?」
「そんなバカな‥‥」
 思わず立ち竦む二人の男女。
 何の修行も積んでいないシュラインに魔法が操れるはずはない。
 ということは、これは魔法ではなく科学だ、という証明である。
 つまり、誰が実験しても同じ結果が出る。どこで実験しても同じ結果が出る。いつ実験しても同じ結果が出る。
 そういうことだ。
「やばい! あいつら、魔法のつもりで戦ったらエライことになるぞ!」
「判ってる! 車使うわよ!」
 言うが早いか、キーとコートを掴んで事務所飛び出すシュライン。
「ちょっと待て! 俺も一緒に行く!」
 後方から草間の声がかかる。
 だが、彼女は立ち止まらなかった。
「あなたを危険な場所に連れていける筈、ないじゃない」
 内心の声は言葉にはならず、草間の耳に届くこともなかった。
 感傷を振り切るように、シュラインはアクセルを踏み込む。

  魔術師の誤算

 雪が照らし出す雪原を、黙々と、三つの影が歩んでいる。
 中央は綾。右には野戦服の男、左には黒貂のコートを羽織った瀟洒な男。
「まったく。アンタらの独走のせいで、こっちの存在がヤツらに知られたんだからな。少しは反省しろよ」
 コートの男が苦笑を浮かべながら言う。夜だというのにサングラスをかけている。
「判ってるわよサトル。悪かったと思ってるってば」
 と、綾が応えた。
「まあ、そう責めるな。教え子が酷い目に遭わされて、それでも任務を優先させるような綾だったら、俺もお前も忠誠を誓ったりしないだろ」
 野戦服の男が、窘めるように口を開く。
「俺が怒ってるのは、誘ってくれなかったからだ。綾にとって大事なひとなら、俺にとっても大切なひとなんだからな」
 サトルと呼ばれた男が、照れくさそうに答えた。
「やめてよ三浦さん。忠誠だなんて。同格でしょ、わたしたちは。それに、ここでヤツラの出鼻を挫けば、充分に失地回復できるわ」
 不敵に綾が笑い、二人の男も緊張の面持ちで頷く。
 日本を変える計画など、実行させるわけにはいかないのだ。
 やがて、彼らの前に広壮な別荘が姿を現す。
 情報によれば、この場所が日本転覆の大陰謀の根拠地のはずである。
「待ってなさいよ。しち‥‥」
 何か言いかけた綾の唇が唐突に凍結した。
 三人の前方に、幾人もの人影が姿を現したからである。
 同時に、照明車が強烈なカクテルライトの光で周囲を満たす。
「お待ちしておりましたよ。『新山さんと愉快な仲間』の方々」
 淡々と、稲積が語りかける。
「この間の借り、変えさせてもらうぜ」
 前回、人質に取られてしまった巫が唇を歪めた。
 むろん、他の探偵たちもいる。
 武神、久我、廉、斎、こだま。一人を除いて、綾に煮え湯を飲まされたメンバーだ。
「あ、あなたたち‥‥。どうして‥‥」
 掠れた声を綾が絞り出した。
「どうして? 決まっているだろう。殺人の法が振りかざされるのを黙って見過ごすほど呑気じゃないだけだ」
 久我が冷然と答える。
 その言葉に綾は黙り込み、三浦が舌打ちした。
 これは罠だ。ヤツラにとって都合の悪い人間を一網打尽にするための。
 だが、それを探偵たちに伝えても信じてはもらえまい。第一、一般人に事情を説明することは禁じられている。不用意に話してはパニックが発生するからだ。
「やるか? 綾」
 静かな声で黒いコートの男が確認する。
「‥‥仕方ないわ。でも、絶対に殺しちゃダメ。大怪我させるのもナシよ」
「難しい注文だが、やるしかあるまい。ヤツラがくる前に撤収させないと、皆殺しにされてしまう」
 小声で話す世直し屋の声は、だが、強い風に阻まれ、探偵たちには届かなかった。

  正面の敵 背後の味方

 綾たちがぱっと三方に別れ、それが戦いの幕開けとなった。
 こだまの観るところ、敵の戦力配置は二段構えである。すなわち、男二人が前衛を務め、綾が後方から援護するというものだ。同時に、この女が司令官役を務めていることも自明であろう。
 となれば、やはり頭を潰すのが、もっとも効率がよい。
 そのための布石も、すでに用意してある。
 こだまが傍らの久我に目配せすると、黒い瞳の陰陽師は力強く頷いた。
 サッと右手をかざす。
 雪面が各所で盛り上がり、大きく弾けた。
 姿を現したのは式神たちである。
 前回、式神の姿を形成する前に符を燃やされた経験から、あらかじめ待機させていたのだ。
 意外な伏兵に舌打ちした綾が、仲間たちに指示を送ろうとする。
 だが、彼女の唇が開くより先に、別の指示が戦場に響いた。
「いったん撤退よ!」
 と、綾自身の声で。
 思わず、綾グループの動きが止まる。それは一瞬の事であったが、戦場での一瞬は永遠に等しい。
 この機を逃すまいと、探偵たちの攻撃が激しさを増す。
 無音の咆哮をあげた式神たちが襲いかかり綾に尻餅をつかせた。風のバリアーに阻まれ、致命的な打撃を与えることはできないが、機先を制するという意味では充分である。
 勝利の天秤が、わずかに探偵たちの側に傾いた。
 綾たちの動揺を誘った声。じつは、シュラインの声帯模写である。
 彼女自身はこの場にいないが、綾の声を真似たテープレコーダーを戦場の各所に埋めているのだ。これが、一つ目の布石であった。
 むろん、このトリックは一度しか通用しない。
「二人とも勝手に行動して! わたしも勝手にフォローするから!」
 綾が大声を張り上げたからだ。
 だが、それで充分なのである。
 さしあたり、敵の連携力を削ぐと事ができればよい。声を使って連携が出来なくなれば、余程優れたコンビネーションを持つものでも隙ができる。その隙を、こだまの作戦で広げてゆけば良いのだ。
 ふたたびこだまが久我に視線を送る。
 作戦は第二段階であった。
 玖珂の指示に従って、式神たちが綾をあるポイントに追い込んでゆく。
 このポイントこそが、こだまの張り巡らせた罠、邪気を祓う風水の陣である。
 完全にとはいかぬまでも、綾の魔法を封じ込むことができるはずだ。
 が、風水の力をものともせずに、綾の手から無数の火球が飛ぶ。
「うそ?」
 まったく効果がない!? 
 呆然となったこだまの背後に、さりげなく武神が回り込んだ。
 綾の術を打ち消すためだ。
 だが、彼もまた驚嘆の声をあげることになった。打ち消せなかったのである。
 小さく舌打ちした武神は、こだまを抱えて後方に跳んだ。
 一瞬後、火球が着弾し無数の小爆発を起こし、雪煙をまき散らす。
 いずれにしても目眩まし程度のものだが、直撃すれば火傷くらいはするであろう。
 傾いた秤が、ふたたび均衡を取り戻した。
 雪煙の間から、二人の男が飛び出し、探偵たちの陣営に肉迫する。
 綾の放った火球は、攻撃のためというよりも、味方の行動を隠蔽するためのものだったのだ。
 なかなかやる!
 内心で敵を称賛した巫が、錫杖を振りかざして、野戦服の男に躍り掛かった。
「この前の借り。返させてもらうぜ!」
 精算せねば、寝覚めが悪いというものだろう。
「べつに、返してくれなくても良いんだかな!」
 不敵に応じた野戦服の男が、腰から特殊警棒を引き抜いた。
 錫杖と警棒が非友好的な接吻を交わし、愛の代わりに火花を飛び散らす。
 そのとき、戦いを静観していた斎が動いた。
 このままでは、簡単に決着がつきそうもない。あまりやりたくはないが、一気に勝負を決めるべきであろう。すなわち、綾の力を封じ込む。
 後始末が面倒ではあるが、手をこまねいて観ていることもできない。
 斎と綾との距離は約五〇メートル。彼の脚力をもってすれば一瞬の距離だ。
 軽く身体を前傾させも走り出す。
 と、その横に、突如として黒い影が並んだ。視認できたのは、彼の動体視力ゆえのことである。普通の人間ならば、誰にやられたかも判らずに転倒させられていたことだろう。
 雪の上で一転した斎は、さしたるダメージも受けずに立ち上がった。
 不敵な微笑を浮かべ、右手の指先からは血が滴っている。
 彼の血ではない。投げ飛ばされる一瞬に、敵の顔面に手刀を叩き込んでいたのだ。
 互いに、とんでもない技量である。
 コートの男の額から、ごく微量の血が流れ、サングラスが割れ落ちた。
 そして、斎が驚愕の表情を浮かべる。
 彼の金色の瞳が、コートの男の金色の瞳を映し出していた。
 金色の瞳は証である。
「‥‥同族だな。初めて見たぜ」
「‥‥俺もですよ」
「一手所望!」
「望むところです!!」
 黒いコートを羽織った二人の男が雪原を駆ける。
 白と黒のコントラストが、禍々しい美しさを現出せしめていた。
 乱戦になった。
 稲積の傍らに立つ廉は、憂愁の光を瞳にこめて戦場を眺めている。
 状況は芳しくない。
 綾と対峙する武神、久我、こだまの三人は、強固に陣を守りつつも決定的な打撃を与えられずにいる。
 巫は野戦服の男と、斎は黒いコートの男と、それぞれ激烈な戦闘状態だ。
 なんとか援護したいところだが、廉の任務は稲積の護衛である。彼が倒れた場合、こちらの戦線も崩壊するのだ。この点は、綾が倒れた場合の敵陣営とかわらない。
 総大将を失っては戦いにならないのである。
 それに、彼女の武器である風太刀は、前回防がれている。否、それどころか自らの技で反撃されているのだ。下手に攻撃を仕掛ければ、味方に損害が生じてしまう。それこそが、参戦を躊躇う最大の理由だった。
 だが、参事官の身はこの命に替えてもお護りする。
 静かで固い決意を胸に秘め、上司に視線を送る廉。その上司は、携帯電話でなにか話している。知らぬ間に着信があったらしい。
 重要な用件であることは、稲積の表情から見て明らかだった。
「シュラインさんからの連絡です。どうやら新山さんの技の正体が知れたようですよ」
 やがて電話を切った警察官僚が、にやりと笑って言った。
「彼女の力は物理的なものです。魔力でも霊力でも、まして超能力でもありません」
 怪訝そうな顔の部下に、稲積が説明を始める
 綾は大学の教員である。ということは研究者であるということだ。文字通り、彼女は研究によってあの力を得たのである。
 炎が燃え、風か吹く。これらは自然科学的な事だ。それを彼女はコプト語とジェスチャーで操作しているにすぎない。
 たとえば、火をおこし風に乗せて飛ばす、というような方法で。
 これでは風水の破邪が通じないのも無理はない。
 炎や風に、正も邪もないからだ。
「なるほどな。つまり、なまじ霊力で対抗しようとするから混乱する、というわけか」
「正解です。雨宮くん」
 いつの間にか本営に現れた陰陽師に、驚いた顔も見せず稲積は応えた。
 雨宮が苦笑を浮かべる。
 彼は味方を援護するために伏兵していたが、戦局が混乱してしまっては援護の行いようもない。仕方なしに本営に戻ってきたのだ。
「要するに、炎の魔法には放水で、風の魔法には巨大扇風機で、それぞれ対応できます。まあ、どちらもここにはありませんが」
「いや。風はともかくとして、水になら心当たりがある。俺の方で何とかできるだろう」
 具体的な問題点をあげた稲積に雨宮が軽く言い放つ。
 考えてみれば、先刻の炎も規模が小さかったし、雪面で霧散してしまっている。
 天候に左右される、ということなのだ。
「火に対するには水、か。二千年前と何ら変わらない」
 シニカルな笑みを浮かべた陰陽師は、自信に満ちた足取りで本営を後にした。
「廉くん。無線の用意を。理由はわかりますね?」
「はい。敵の注意を雨宮から逸らすのですね」
「ご名答」
 穏やかな信頼を込めて部下を称揚した稲積は、彼女の手から無線機を受け取り、戦っている仲間たちに指示を伝えた。

 変化は劇的だった。
 綾の放った火の玉は、すべて空中で撃墜される。
 というよりも、悠然と宙を舞う符に、火球が吸い寄せられたといった方が正しい。
 そして、時ならぬ雨が彼女の周囲に降り注いだ。
 久我と雨宮の符法である。
 これでは、火の魔法は発動できまい。
「‥‥気付いたわね。さすがは稲積くん。いえ、怪奇探偵諸君、というべきかしら」
 冷然と綾は呟いたが、その表情には焦りの色が浮かんでいる。
 少なくとも、これで武器の一つは封じられたのだ。
 短期決戦で打開を図るという彼女の目論見は、ますます困難の度を深めている。
 勝利の天秤は、ふたたび探偵たちに傾いた。
 しかも、今度は容易に戻せそうもない。
 歯がみする綾の左右に、護り手のように男たちが戻ってくる。
 再度の正対である。
 探偵たちと綾たちの距離は六メートル弱。
 互いに、次の手を決めかねているようだった。
「魔法は科学か‥‥。俺の技が効かない道理だ‥‥」
 言葉にすることなく武神が呟く。
 彼の卓絶した能力をもってしても、自然現象や物理法則をねじ曲げることはできない。
 魔法を科学で解き明かした綾も綾だが、その弱点と限界を見抜いた味方も味方である。やはり、一番恐ろしいのは人間、ということになるのだろうか。
 端正な顔に苦笑が刻まれる。
 だが、本当に彼が人間の恐ろしさを実感するのは、これからだった。
「‥‥もう! こんなことしてる場合じゃないのに‥‥」
 武神の耳は、綾の声とヘリコプターの爆音を、同時に捉えていた。
「なんだ? あれは?」
 久我が、やや呆然として上空を見上げた。
 普通のヘリコプターよりも幾分細長く鋭角的なフォルム。
 攻撃ヘリと呼ばれる軍事兵器である。
 アパッチとかいうヤツじゃないのか?
 ジャーナリストの巫がそう思ったが、とても口に出す気分にはなれなかった。
 何故なら、彼らの視線の先で攻撃ヘリのミサイル発射口が開きつつあったからだ。
「うそだろ‥‥」
 期せずして、雨宮と黒コートの男の声が一致する。
 この闖入者が何者かは判らない。だが、ひとつだけ判った事がある。それは、この場にいるものすべてを鏖殺するつもりだ、ということだ。
 凍り付いたような一瞬に、綾の声が朗々と響き渡った。
「みんな、その場所に伏せて! 探偵たちも!! 大技使うわよ!!!」
 敵将の言葉に従うのを潔しとしなかった探偵も多かったが、とりあえず従うより他に道はない。
 走って逃げられるほど、ミサイルの速度は遅くないだろう。
 ここは、一か八か綾の自信に賭けてみるしかない!
 探偵たちが身を伏せると当時に、強烈な旋風が吹き荒れる。
 竜巻と呼ばれる自然の猛威だ。
 暴風は渦となって、上空へと立ち上ってゆく。
「風の壁に触れちゃダメ。吸い上げられるわよ」
 必死の形相で竜巻を操りながら、綾は注意を喚起した。
 台風と同じことだ。中心は無風だが、周囲には凄まじい上昇気流が発生している。
 と、轟音が一人を除いた全員の耳に届いた。
 ヘリがミサイルを発射したのだ。
 だがそれは、風の壁に激突し、押しつぶされ、消滅した。
 探偵たちの周囲に、パラパラと破片が落ちてくる。
 渦の内部ではそんなものだった。だが、外部にいるもの、すなわちヘリにとっては堪ったものではない。
 至近で竜巻などに発生されては、バランスが保てない。そして、ひとたびバランスが崩れるとヘリは脆いのだ。
 半ば渦に呑まれるようにして、木立の向こう側へと消えていった。
 そして、巨大な音と光が周囲を包む。
 半身をオレンジ色の光に輝かせつつ、綾は風を解放した。
 解放された風は、あたかも竜が天に昇るように去ってゆく。
 ほっと息をついて、彼女はその場に崩れおちた。

  始まりの終わり

 倒れている綾の周りに、仲間と探偵たちが駆け寄ってくる。
 仲間は気遣いから、探偵たちは不審の念からの行動だった。
「どうして私たち助けの?」
 代表する形で、こだまが問う。
「‥‥仕方ないじゃない‥‥一般人巻き込むわけにはいかないもの」
 それが、綾の返答だった。
 集中力が途切れたためか、その顔には疲労の影が濃い。
 その言葉に、ふと、こだまが心づく。
「あなた。私たちと戦うために来たんじゃないのね?」
「‥‥最初から言ってるでしょ。アンタたちと争う気はないって‥‥」
「じゃあ、誰と戦ってるの?」
「‥‥それは‥‥」
 口ごもる綾を圧するように、壮年の男の声が雪原に響き渡った。
「それはむろん、我々とだ。道化師ども」
 油断だったろうか。否、そう呼ぶのはあまりにも酷であろう。
 強敵との戦い。ヘリの襲撃。まさか、もう一幕あるとは、神ならぬ身の上に判るわけもない。想像の限度を越えているのだ。
 とはいえ、探偵たちが危機に陥った事は間違いない。
 周囲は、四〇人からの黒装束に囲まれている。
 幾人かの探偵には、その服装に見覚えがあった。
「‥‥七条の一党か‥‥」
 雨宮が、暗澹たる声を絞り出す。
「おうよ。天宮の小倅。先刻の攻撃で死んでおれば苦しまずに済んだものを。生き残ったが不運なことよ。楽に死ねると思うなよ」
 黒装束の男が哄笑した。
 あながち、虚仮威しではない。黒装束の数は四〇人以上。対する味方は、綾のグループを合しても十人足らず。しかも全員が疲労している。
 四倍以上の数の陰陽師を相手取った戦いである。
 とてもではないが、勝算の立てようがないのだ。
「俺たちが時を稼ぐ」
「綾を連れて逃げてくれ」
 そう言って、野戦服の男と黒コートの男が、一歩前に進み出た。
「違うな。陰陽の技を悪徳に利用するヤツを叩くのは」
「俺たちの仕事だ」
 二人を押しのけるように、久我と雨宮が前に出る。
 それを見て、ふたたび黒装束が嘲笑した。
「覚悟は出来たようだな。では、可愛がってやるとしよう。特に女どもは念入りにな」
 下劣な言いように腹を立てたのか、廉が屹っと黒装束を睨み返した。
「覚悟するのはあなた達よ」
「笑わせるわ小娘が。その人数で、その有り様で、我等に抗するつもりか」
「べつに笑わせてあげるつもりはないわ。あなた達を逮捕するのは私たちじゃないもの」
 冷淡に言い放った彼女が右手を挙げる。
 同時に、今までより遙かに強い光が雪原を満たした。
 驚倒する黒装束たちに畳み掛けるように、稲積が笑みを浮かべる。
「本当は、新山さんたちを逃がさないように麓に待機させておいた兵力ですがね。SPと機動隊、合わせて千名います。四十人で千人に勝てますか?」
「ど、どうやって‥‥!?」
「呼び寄せた方法ですか? アナクロニスト貴方達には判らないでしょうけど、無線っていう文明の利器があるんですよ」
 思い切り人を喰った答えである。
 黒装束が訊いているのは、どういうタイミングで呼び寄せたのかということであるが、馬鹿正直に教えてやる必要などない。
 廉や稲積の策士としての凄味は、綾のグループの人数を考慮に入れずに大兵力を用意するところだ。相手が三人ならばこちらは五人、などというセコイ計算はしないのである。それが、今回の結果をもたらしたのだ。
「だ、だが、所詮は警察官。我々と互角に戦えるか?」
 黒装束は最後の希望に縋ろうとした。
 しかし、急接近する二台のスノーモービルから響く声が、男の希望を打ち砕いた。
「普通の警官ならね。でも」
「その中に魔法使いが」
「二人も混じっているとしたら」
「どうかしら?」
 後部座席にしがみついた男女。
 シュラインと九夏が交互に言葉を紡ぐ。
 まさに、時の氏神のような登場であった。
 やれやれと、久我が首を振る。
 彼の視界の中で、シュラインと九夏が奇妙な手振りをした。
 まるで、綾が魔法を使用するときのような。
 次の瞬間、黒装束たちの周囲に暴風が吹き荒れ、火球が降り注ぐ。
 逃げまどう黒装束と、唖然とする探偵たち。
「‥‥なるほど。システムさえ理解すれば誰にでも使える、ということですか」
 誰に言うともなく、斎が呟いた。
「‥‥正解よ」
 その言葉に力無く綾が笑う。
 抱きかかえるようにして彼女を立たせた巫が、優しく語りかけた。
「全部、話してくれるな」
「仕方ないわね‥‥こんな風にされたら断れないじゃない」
 気怠そうに身体を巫の腕に委ねた綾が、小さな声で呟いた。
 何か言いたそうな瞳でそれを見つめていたこだまだったが、結局なにも言わずに視線を逸らせた。
 彼女の視線の先では、シュラインと九夏に綾グループや久我、雨宮なども加わり、本格的に黒装束たちを追い散らしはじめていた。
 煌々と輝く月が、人間たちの繰り広げる幕間狂言を静かに見つめている。
 まるで、知識と理論を兼ね備えた上質の観客のように。

                        おわり

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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  【 PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 】
武神・一樹    /男  / 30 / 骨董屋『櫻月堂』店長
(たけがみ・かずき)
シュライン・エマ /女  / 26 / 翻訳家 草間興信所事務員
(しゅらいん・えま)
斎・悠也     /男  / 21 / 大学生 ホスト
(いつき・ゆうや)
杜・こだま    /女  / 21 / 風水師
(もり・こだま)
斎木・廉     /女  / 24 / 刑事
(さいき・れん)
久我・直親    /男  / 27 / 陰陽師
(くが・なおちか)
巫・灰慈     /男  / 26 / フリーライター
(かんなぎ・はいじ)
九夏・珪     /男  / 18 / 高校生 陰陽師
(くが・けい)
雨宮・薫     /男  / 18 / 高校生 陰陽師
(あまみや・かおる)


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■         ライター通信          ■
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毎度ご注文ありがとうございます。
今回もまた、すこし長めのお話です。
推理の要素の少ないバトルシナリオでしたが、楽しんでいただけたら幸いです。
ついに、本当の敵が登場しました。
ひょっとして、判ってましたか?
秘密結社と怪奇探偵に登場した彼らです。
なお、資料調査を選択したキャラクターには、余録として「古代コプト語魔法」のプレゼントです。
もしお邪魔でしたら、忘れてください。
次回の稲積シリーズでは、綾の立場と敵の正体が語られます。
請うご期待☆