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魂吸坂
<序>
「転んだら3年で死ぬ」
紙面に向けていた視線を上げて、草間は机の上にある煙草のパッケージに手を伸ばした。片手だけで煙草を一本取り出すと、短く吐息を漏らしてからフィルターに唇をつけた。
手にあるのは、昔なじみの知り合いからの手紙だった。
久しぶりに連絡をよこしたかと思えば。
「……少しは昔を懐かしめるようなまともな手紙を送ってこれないのか、あの男は」
別に懐古主義というわけではないが、この手紙の内容を見た後ではそんな言葉がこぼれてしまうのも仕方ないことかもしれない。
再び白い紙面に目を落とす。罫線が入ったシンプルな便箋には、神経質そうな文字が青いインクで綴られていた。
京都にある、清水の三年坂。
昔から「転んだら3年で死ぬ」と言われている坂なのだが、ここ数ヶ月の間に転ぶものが続出。その転んだ者は、3年どころか一ヶ月以内に不可解な死を遂げている。
ある者は事故。ある者は自殺。ある者は病死。
死因に共通点はないものの、死した者に共通するのは「三年坂で転んだ」ということ。そして、亡くなった者は皆、小指ほどの小さな瓢箪型のキーホルダーを持っていたという。
遠いところ申し訳ないが、もし手隙なら調べてみてはくれないか、という一文で手紙は締めくくられていた。
「京都、か」
手紙を机の上に置き、手に馴染んだライターで銜えていた煙草に火を点ける。夕暮れが迫っている窓の外へ向けられた眼差しは、頭の中にある知人リストを見つめている。そしてその中から適任者をピックアップすると、緩やかに唇を歪めて笑みを浮かべた。
「また金にならない仕事だな。この借りは大きいぞ、鶴来」
知己の名を呟くと、宙に煙を吐き、窓の外に広がっている赤い空を見やった。
<京都>
よく晴れた日だった。
爽やかな青空が頭上には広がっている。満ちる空気は清浄。満ちる気も清浄。
前日から京都入りしていた抜剣白鬼は、一晩知人の寺に無料で泊めてもらい、まだうっすらと白い霧が残る頃にその寺を出立していた。目的地に着いた頃には霧は晴れ、すがすがしい冷えた空気が周囲に満ちていた。
都会などにいたら嫌でも目を引く僧衣姿も、この京都ではさほど珍しくもないのか、通り過ぎる者たちがいちいち白鬼に視線をくれることもない。
「さて。清水の三年坂、か」
顎のひげに手をやり、歩きながら白鬼はいろいろと思索に耽っていた。
三年坂。今は例の「噂」を恐れたことから「産寧坂」と改められている、距離にして百メートル余りの急勾配な石段で出来ている古道である。大同三年の清水寺創建時に作られたから「三年坂」と名づけられたという。
「坂、というよりも問題は瓢箪のキーホルダーのほうだろうなあ」
ざらざらとした手触りの顎鬚を、半ば無意識のうちに撫でる。
頭には、わずかに引っかかるものがある。
「苦蛇(くだ)の仕業とは考えられないか?」
苦蛇とは、管狐に憑いている黒蟠虫(こくはんちゅう)のことである。人の体内で繁殖し、七五匹になった所で一匹の管狐となって外に出てくるのだ。管狐というのは、竹筒に入れておくから管狐と呼ばれている。いわゆる、狐憑きの一種だ。
瓢箪を竹筒の代わりに用い、苦蛇を被害者に憑かせたとは考えられないか?
もし苦蛇なら、同じ狐系統の茶吉尼天の真言が効くかもしれない。それでも駄目なら、茶吉尼天を懲らしめた大黒天の真言でもいい。
そこまで考えて、白鬼は大きくため息をもらして緩く頭を振った。胸に掛けられた木製の数珠がわずかに乾いた音を立てる。
「とはいえ、被害者に共通点がないとすれば苦蛇を使って殺す理由がないよなぁ。もしくは、相手は誰でもいいっていう無差別殺人的なものなら話は別だけどなぁ」
僧衣を纏った大男がぶつぶつと思案深げになにやらつぶやきながら歩いているのには、さすがに通り過ぎる人の何人かが振り返った。けれども、お経でも唱えていると思ったのか、すぐにありがたそうにぺこりと小さくお辞儀しては歩き去っていく。
「まあ、他にも仲間が2名ほど送り込まれているようだし、どこかで合流するまでは俺は俺で好きに動かせてもらうとするかな」
何が出るかは、まだ判らない。けれど、恐怖などといったものはその顔には浮かんでいない。その頬を軽く自分で叩いて、浮かびそうになる笑みをかみ殺す。
「駄目だな、人死が出ているのに楽しいなんて思っては」
同じ僧仲間たちに僧失格と言われそうだ。
けれども湧き上がってやまないわくわくと子供じみた心境に苦笑を浮かべながら、白鬼は僧衣の合わせから一枚の紙を取り出した。昨夜、知人の寺で草間から受け取ったあらかたの被害者リストである。元々の依頼主の手紙に添付されていたものだ。
「じゃ、近いところから順につぶしていくとするかね」
どこか眠そうにも見える眼差しでリストから今いるところにもっとも近い住所を拾い上げ、がさりと荒っぽく紙を僧衣の合わせに押し込んだ。
<瓢箪の輪・1>
「これです」
白鬼は2件目の被害者の家に訪れていた。
問題の『瓢箪』とのご対面は、すでに1件目で果たしている。その瓢箪は被害者の遺族から受け取り、今は呪符に包んで懐に収まっていた。
インターホン越しの対応の後に現れた中学生くらいの少女の掌に乗っているのは、小指サイズの瓢箪のキーホルダーだった。やはり、1件目で受け取ったのと同じものである。
亡くなったのは、この少女の祖父だという。
「ちょっと失礼」
指先が瓢箪に触れたとたん、痺れるような痛みが走る。触れたのは、邪な気だ。わずかに眉を寄せて、つまみ上げる。
「…………」
やはり、1件目のものとまったく同じだ。この、宿している「気」の質も何もかも。
神妙な顔で瓢箪を眺めている白鬼に、孫娘が怪訝そうにたずねた。
「あの、その瓢箪、なんかおかしなものなんでしょうか?」
微妙な訛りの混ざった言葉に、白鬼が視線を返した。
「これ、どこで買ったのかね?」
「ええと……産寧坂行くまでにあった露店です。銀のアクセサリーやら売ってた中に、一緒にそれも置いてあって。私、銀アクセ好きやからつい立ち止まって眺めてしもうて。そこでおじいちゃんが、私の選んだ指輪とその瓢箪買うたんです」
「安寧坂にある瓢箪屋とは違うところで買ったんだね?」
「ええ。はよから用心して持っとるに越したことないからゆうて、おじいちゃん、その露店で買うたんです。間違いないです」
露店商、か。
まだ手からびりびりと伝わってくる、気。それは苦蛇とは違う。むしろ、もっと生々しい――人間の「憎悪」という感情に似た気を帯びている。
「お譲ちゃん、この瓢箪買った露店の場所、詳しく教えてもらえるかな」
<瓢箪の輪・2>
少女から聞いた露店は、三年坂から離れた人通りの少ない場所にあった。
左右の耳にそれぞれ3つピアスをした金髪の男がいる。暇そうに商品を並べた机の向こうで大あくびをかましていた。
大股で近づくと、ぼんやりと明後日の方向を見て呆けた顔をしていた男が白鬼の方を向く。
「いらっしゃー……あ?」
机の向かいに立ったのが手に錫杖を持った僧侶だと見ると、男は唇の端を吊り上げるようにしてシニカルな笑みを浮かべた。
「最近の坊さんはアクセサリーに興味あるんか?」
白鬼は、答えずにちらりと並んでいる商品に視線を落とした。自分の恋人に買っていったら喜びそうな細やかな細工を施した指輪やらチョーカーやらがある。
そして。
その机の端にごっちゃりと山のように置かれている、見覚えのある瓢箪のキーホルダー。
白鬼の視線に気づいたのか、男が椅子から腰を上げた。
「なんや坊さん、用があんのは俺の作ったモンやのうて、この瓢箪かいな」
そのうちの一つを摘み上げる。そして白鬼の方へと差し出した。
「400円やで。消費税はまけといたるよ」
「いや、買い物に来たわけじゃないんだ」
錫杖を持つのとは逆の手で差し出された手を押し戻すと、白鬼はその手で顎鬚を撫でた。
「その瓢箪、キミが作ったものじゃないのかい?」
「俺は銀細工師や。なんで瓢箪まで作らなあかんねん」
「じゃあ、なんでキミの店に置いてあるんだい?」
「売ってくれ、ゆうて頼まれたからや」
短い金髪に手を突っ込んでどかりと椅子に腰を下ろすと、手にあった瓢箪のキーホルダーを軽く投げて山へと戻す。
「置いとくだけでええ。たとえ売れんかっても置いてくれた日には5千円払う、ゆうて言うからしゃーなしに置いたってるんや」
気だるそうに言うと、ふぁ、とまた短いあくびを漏らす。
売れなくても5千円払う、とはずいぶん金の払いのいいことだ。
「キミはその瓢箪売りの名前とか家とか、知ってるのかい?」
「知っとるよ。いっつも店出すときには瓢箪とりに行くさかい」
「その家、教えてもらえないかな?」
白鬼の言葉に、男がにやりと笑みを浮かべた。
「タダでは教えられへんなぁ。世の中ギブアンドテイクやで、坊さん」
したたかな男の言葉に、白鬼は苦笑いした。
「どうすればいい?」
「せやな。ほんまは商品買うてもらいたいとこやけど、興味ない坊さんに買うてもろても嬉しないし」
どうやら、自分の作る物に対してかなりのプライドを持っているらしい。なんとなくその態度に好感を覚えた白鬼は、僧衣の袖口から一枚の符を取り出した。
「なら、坊さんらしく祈祷でもしようか」
「お、いいねえ! 商売繁盛、頼むわ!」
まるでショーでも見物するかのように手を叩いて喜ぶ男に、白鬼はさらに苦笑を深くする。
錫杖を机に持たせかけると、目を伏せて両手の親指、人差し指、中指を絡めあわせ、薬指と小指を立てて印を結ぶ。
「オン・マカキャラヤ・ソワカ」
――まさか、苦蛇退治に使うかもしれないと思っていた大黒天の真言をこんなところで唱えることになるとは思ってもいなかった。
<瓢箪師>
入り組んだ路地に、その家はあった。
二人の青年――斎司更耶と里見史郎が、表情を険しくして錆が浮いた鉄柵状の門扉の前に立っていた。そして門柱の「寺崎」という石の表札の下にあるインターホンに史郎が手を伸ばしたときだった。
「もしかしてキミたち」
突然入り込んできた声に史郎が手を止めて顔を上げた。僧衣姿に錫杖を手にした大男が歩いてくる。
抜剣白鬼だった。
「草間興信所から依頼を受けた俺以外の二人、ってキミたちのことかい?」
「ああ、それじゃあなたがもう一人の方ですか」
手早くお互いの自己紹介を済ませると、更耶が顎で家の方をしめした。
「のんびり話してる場合じゃないだろ。行くのか、行かないのか」
「行くに決まってるさ。これ以上人死を出すわけにはいかない」
言いながら、白鬼が懐から呪符に包まれた瓢箪を取り出す。それを見て、史郎が眉宇をひそめた。
「穢れた気が残っていますね。けれど、本体はもうすでに抜け出た感じが」
「……って、本体ならそこにいるだろうが!」
言うなり、更耶が軽く両足を開いてスタンスをとり、右腕を自分の前に構えた。うっすらとその腕に蒼く煌く銀色のオーラが発しはじめる。鋭く飛ばされた更耶の言葉に白鬼と史郎が家の方へと視線を向けると、いつのまにか開かれた引き戸の玄関から中年がらみの男が一人、のっそりと出てきていた。
「誰や、人の家の前でごちゃごちゃ騒いどるんは」
ひどいクマが出来た目元は、まるで眼窩か落ち窪んでいるかのようだ。伸び放題の無精ヒゲ。ばさばさの髪。庭木で薄暗くなっている玄関口に立っていると、まるで彼自体がこの世ならざるもののように見える。
手にした笛を確かめるように握ると、史郎は静かに口を開いた。
「寺崎さん、ですね」
「俺に何の用や。今忙しいから帰ってくれんか」
「そういうわけにはいかないなぁ」
白鬼が、呪符を解いて小さな瓢箪を寺崎に向かって見せた。
「これ、見覚えあるはずだけど?」
びくりと、寺崎の表情が一瞬こわばった。上目遣いに白鬼、史郎、更耶を順に見やる。動揺と警戒が混在した顔で、手の中にある何かを強く握り締めた。
「何や、お前ら。何しに来た」
その背後に、ゆらりと揺れる黒い影。
短く舌打ちすると、更耶は目を眇めた。
ここに来る前に見かけた事故現場。そこにかすかに残っていたのと同じ気を、その黒い影は纏っている。その気の上にフィルターをかぶせるように禍々しい気を帯び、ゆうるりと寺崎の周りを包んでいる。
まるで、懐いているかのように。
おそらくあの事故現場の地縛から、父親の念に引かれるようにして引き剥がされてしまったのだろう。
史郎も、その影が何であるかわかっているようだった。その顔には、いつものような穏やかな色はない。どこまでも冷めた、突き放すような眼差しで寺崎を見据える。
「娘さんをそんな状態にしてまで、あなたは何をしたいんだ」
手の中にある瓢箪にかすかに残っている穢れた気と、その黒い影が同じ気を放っていることを感じた白鬼が、錫杖を軽く振った。しゃらんと澄んだ音色が響く。
「そこにいるのが娘さんだと言うのなら、早く浄化させるべきだ。これ以上穢れを負うと、手に負えなくなる」
「史郎」
更耶が戦闘態勢を整えて、身構える。いつでもその退魔の力を宿した手刀で娘の霊を攻撃できる。呼びかけに、史郎がわずかに手を上げて制するような身振りをした。
「あなたには感じられるんでしょう? そこにいる娘さんのことが」
寺崎は目を見開いて口許を歪めて笑みを作った。
「わかるに決まっとる。美弥は俺とずっと一緒におりたい言うとるんや」
ぐらりと影が答えるように揺れる。それを見、寺崎は血走った目に狂気の光を宿して手の中にある瓢箪を一同に見せた。
「美弥がこんなんになったのは、瓢箪のせいや。瓢箪が、転んだ美弥を助けてくれんかったせいや。せやから俺は、瓢箪が助けてくれるやなんて信じとる奴らに、それが嘘や言うことを思い知らせてやるんや!」
「だからといってあなたが人の命を奪うようなことをしていいとは言えないだろう!」
鋭く言い放った史郎の声に、寺崎はわずかに驚いたような顔をした。けれども、すぐに低く笑い出す。
「そうか、死んだんか。これで瓢箪が救ってくれるやなんていうのがただの迷信やとみんな信じるやろ! 俺はこんな阿呆みたいな迷信信じんほうがええて、みんなに教えてやっとるんや!」
「この上もなく大きなお世話だね、そいつは」
あっさりと答えた白鬼に、寺崎が目を剥いた。白鬼は顎を撫でながら片目を細めた。
「信じる信じないは人の自由だ。キミがやっていることは、ただの押し付けにすぎない。なのにその親切の押し売りで、人を殺してしまった。殺した分だけその娘さんが罪に穢されると、なぜわからない?」
娘は、悪霊というよりは――寺崎の使い魔になっているといったほうが近い。寺崎が「死ね」と思うから、使い魔である娘はそれを実行しようと動く。
おそらく、寺崎が作った瓢箪を手にした者を転ばせていたのもこの娘だろう。ただ死ぬということが重要なのではなく『瓢箪を持っている状態で、三年坂で転んで三年以内に死を迎える』ということが重要なのだから。
寺崎は、ちらりと影の――娘の方を見た。ゆらりと娘が揺れる。それに、こくりと頷いた。
「美弥は俺とおりたい言うとる。……美弥が死んで、その母親も家を出て行ってもうて……もう俺には美弥しかおらんのや!」
「だったら」
低く、更耶が言葉を紡いだ。手に纏ったオーラが強度を増す。
「親のあんたがそんな考えだっていうなら、無理矢理にでもこの子をあるべきところへ返すしかないな」
その言葉に反応するように、影が更耶へと襲い掛かった!
「……っ」
すぐさまそれに反応するように史郎と白鬼が同時に呪符を取り出し、影に向かって投げた。呪符が触れた瞬間、一瞬怯んだように見えた隙に、更耶が拳を振り上げる。光が強まる。一気に腕を振り下ろし、刀で袈裟懸けするように影を切りつけたが、手ごたえが鈍い。
身をかわし、史郎の方へ跳躍する。ひらりと更耶が傍らに舞い降りたのを確認すると、史郎は手にした袋から笛を取り出した。唇をそっと当て、柔らかく息を吹き込む。
奏でられるのは、包み込むような優しい音色。紡がれるのは、霊的攻撃を防ぐ結界。
きらきらと笛から奏でられる音が、まるで光の粒子を放っているかのように史郎と更耶の周囲を包む。結界陣を敷くと、史郎は笛を放した。
一方、白鬼の方は右手に刀印を結ぶと宙に横、縦、横、縦、の順で9つの線を描く。
「臨兵闘者皆陣裂在前!」
流れるように九字を切り、最後に描いたマス目に向けて切りつけるように刀印を腕を振り下ろす。
見えない風が走るように、九字が影へと飛ぶ!
その間に史郎と更耶の方へ走り、白鬼は影の方へと視線を戻す。
九字を受けても、気がわずかにそがれただけで大元には傷がついていない。またすぐに向かってくるところ、呪符を用いて結界を成す。見えないバリアに弾かれたように、影がゆらりと仰け反るように後退した。
「さて、どうしたものかな」
「のんきだな、あんた」
「抜剣さん、霊縛はできますか」
「霊縛? ああ、なるほど。とりあえず動きを封じるんだね」
にっと不敵に笑うと、白鬼はゆらりゆらりと結界の周りを漂っている影に向かい、霊縛法を仕掛けに入った。先に必要とされる九字切りは、先ほど走らせたもので代用することにする。両手の指を掌の方で組み合わせ、内縛印を結ぶ。
「ノウマクサンマンダ・バサラダンセン・ダマカラシャダソワタヤ……」
精神集中と共に、順次正しく流れるように印を結び、それぞれに対応した真言を唱える。
その集中の邪魔をさせないように、更耶と史郎がフォローに回る。ねっとりとした黒い影を手刀で切り裂くが、すぐさま切り裂かれたところから修復されて元に戻る。
寺崎はというと、家の玄関前で彼らの戦いを薄笑いを浮かべて見ていた。娘が負けるわけはないと、確信しきっている顔だ。
「胸が悪いな、自分の力でもないくせに……!」
吐き捨てるように言うと、更耶は再びオーラを纏った手を振るう。走る清い光の軌跡。
それに加勢するように、史郎が呪符を投げた。
が、不意に影がその呪符を気を立ち上らせて鋭く弾いた。
「っ!」
弾かれた呪符が、史郎の頬を掠める。
「史郎!」
一瞬心配したように史郎へと向けられた眼差しは、そのまま鋭く影へと向けられる。
「子供だからと思って手加減してやってれば調子にのりやがって……!」
更耶の手が、耳につけられた銀のピアスへと伸びる。それは、更耶に宿る強大な力を封じている、枷。
けれど、それを史郎の声が止めた。
「更耶! 外したらだめだ!」
「なんで……っ!」
振り返って言いかけたところ、ふと影の動きが不自然に止まったことに気づき、顔を上げる。
「お待たせ」
にっと強気な笑みを浮かべ、白鬼が胸にかけた数珠を触りながら霊縛完了を告げた。縛られた影が、あがくようにゆらゆらと動くが、白鬼の術はそう簡単に解けそうはない。
史郎が白鬼に向けて頷く。そして、ゆっくりと再び笛を唇に寄せた。
流れるのは、先ほどとは別の旋律。物悲しく、切ない音色。胸の奥深くにまで染み入るようなそれは、相手の心を揺さぶるメロディー。
更耶が、ピアスに伸ばした手を下ろす。
――もう、結果は見えていた。
静かに顔を上げ、寺崎のほうを見る。
「このままこの子を力でねじ伏せて切り裂いて、消滅させることもできる。あんたはそれでいいのか!」
本当なら、史郎にわずかばかりでも痛みを与えたこの霊を、問答無用で切り捨ててやりたくはあった。けれども、目を伏せて静かに旋律を奏でている史郎が、なんとなくそれを望んでいないような気がしたのだ。
手に宿した光には、今、白鬼の霊縛法と史郎の精神的攻撃により弱りかけている娘の霊を昇華させることができる力が宿っている。
美しい蒼銀色のオーラを放っているその腕を見てから、白鬼もまた、寺崎へと顔を向けた。
「親ならば娘が安らかに眠れるように祈るべきじゃないかい? それを、自分の欲望のためだけに振り回し、あまつさえ闇に貶めていいのかい? それで娘さんは喜ぶと思っているのかい? 泣いている娘さんの声が聞こえないとはいわせない!」
史郎の笛の音の力で、纏っていた黒い闇は払い落とされ、そこには幼い少女の姿が浮かんでいた。わあわあと両手で顔を覆いながら、大声で泣いていた。
「娘さんだって、キミが悪いことをするのをよしとは思っていないはずだよ。それに、彼女を極楽へ見送ってやれるのは、父親であるキミ以外にはいないんだからね」
がくりと、寺崎はその場に膝から崩れ落ちるとそのまま、大声を上げて号泣した。
その様に三人は顔を見合わせ、ようやくふっと肩の力を抜いた。
きっと、もうこの父親は間違えたりはしないだろう。娘への愛情の形を。
霊縛から解かれた娘は、三人にまるで礼を述べるかのようにあどけなく小さく微笑んで、ふわりと空気の中へ溶け込むように消えていった。
<終・B>
更耶と史郎と別れた白鬼は、暮れなずむ街並みの中にいた。
ちらりと、目の前にある急勾配を見る。連なった石段の上には、まだちらほらと観光客らしき者の姿がある。
その一角に、黒い気の吹き溜まりのようなものがあった。もやもやと煙るように立ち上っているそれのそばを通りがかった者が、ふらりと足を取られるようにしてバランスを崩した。が、何とか転ばずに苦笑いしながら何事もなかったかのように歩いていく。
それは、人の念が凝り固まったもの。
悪意などではなく、むしろ「興味本位」な念。
三年坂で転ぶと、3年以内に死を迎える。
そういう言い伝えを信じたり興味を持ったりしている者たちの意識を糧として存在しているもの。
「……祓ったほうがいいかな」
つぶやいた時だった。
背後に人の気配を感じ、白鬼は振り返った。斜め後方に、建物に背を預けるようにして立っている黒いスーツ姿の二十代半ばくらいの青年がいた。その唇が小さく動く。
「手出し無用です」
「……あれが見えるのかね?」
「あれがなくなったところで、結局はまた人々の心のうちから生み出されてくる。蜥蜴の尻尾切りです」
「だからといって放っておくのはどうかと思うが。あの念の塊なら、人を殺しかねない」
「大丈夫です」
あっさりと言い切ると、青年は優美に微笑んだ。
「それを防ぐために、あるんですから。この瓢箪が」
言うと、ふわりとその瓢箪を白鬼に向かって放り投げた。計ったかのように手の中に落ちてきたその瓢箪を見やった白鬼に、青年が建物から身を起こしながら言った。
「さすがは草間の知り合い。見事な手腕、感服しました」
「ということは、キミがこの依頼の」
「依頼主、鶴来那王(つるぎ・なお)です。またお目にかかることがあるかもしれませんね」
それだけ言い残すと、青年は踵を返して歩き去っていった。
その背をしばし眺め、やがて白鬼は顎鬚を手で撫でた。
「……さてと。それじゃ俺も帰ろうかな」
清く柔らかい波動を宿す瓢箪を懐に収めると、頭の中で八橋か京人形か七味かと、愛しい恋人への土産物をあれこれ思案しながら白鬼はゆったりとした足取りで街並みへと消えていった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 】
【抜剣・白鬼(ぬぼこ・びゃっき) / 男 / 30 / 僧侶(退魔僧)】
【斎司・更耶(ときつかさ・さらや)/ 男 / 20 / 大学生 】
【里見・史郎(さとみ・しろう) / 男 / 21 / 大学生 】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、はじめまして。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。
そして、抜剣さん。
私の記念すべき初・ご指名さまでしたーっ☆ ありがとうございますっ。
内容は、見ていただけたらお解りのとおり、とにかく長いです(笑)。4人まで募集していたところ、3人で切ってちょうどいいくらいだったようで。
プレイングはあまり突っ込んでいただけていませんでしたが、「苦蛇」等、面白い案があったので触れてみたりしました。直接本筋とは関係はなかったんですけどね。
最後の説得部分では、僧侶の方がいてくださったので無事に収まりました。やはり、僧侶の説得というのは重みがあるので。でなければ、問答無用にぶった切りという方向へ流れていたでしょう。戦闘のあたりでは、防御系の意識が強かったため、得意の少林拳などが生かしきれませんでした。
最後のお土産もばっちり☆ 何を買って帰られたからご想像にお任せいたします。
そして、言うまでもないでしょうが「鶴来那王」はNPCです。これからも私からの依頼ではちょこちょこと顔を出すと思いますので、またどこかでお会いすることがあるかもしれません。
もしよろしければ、感想などをクリエイターズルームからいただけると嬉しいです。明日への糧とさせていただきますので。
それでは、今回はシナリオお買い上げありがとうございました。また再会できることを祈りつつ、失礼します。
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