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調査コードネーム:お嬢ちゃまの怪奇探偵
執筆ライター :水上雪乃
調査組織名 :草間興信所
募集予定人数 :1人〜3人
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「こんにちは☆」
やたら元気の良い声とともに、中学生くらいの少女が草間興信所に飛び込んできた。
「ど、どのようなご用件でしょう?」
無意味なパワーに圧倒されつつ、草間武彦が掠れた声を絞り出す。
人間、歳をとってくると、若さに向かい合うだけでも疲れるものだ。
「ヤダぁ☆ もう忘れちゃったの? あたしよ。あ・た・し☆」
何故か「しな」をつくって言う少女。
草間ががっくりとうなだれた。
べつに再度の自己紹介などしなくても判っている。
しばらく前の依頼で知り合った芳川絵梨佳。忘れたのではない。忘れていたかっただけだ。
「で? 今日は何の用だ? 遊び相手なら他を見繕ってくれよ」
「バカねぇ。仕事の依頼に決まってるじゃん。草間さん、ボケ入ってきたの?」
「‥‥どんな仕事だ‥‥?」
反論する気力すら起きず、草間が先を促した。
どだい女子中学生に口で敵うわけがない。余計なことを言っても泥沼に沈むだけだ。
「高等部の科学室から、夜な夜な薬品がなくなるの。お化けの仕業だって評判なのよ☆ で、このあたしが解決してあげようってわけよ。わかる?」
一万歩ゆずって、この依頼を受けたとしよう。その場合、解決するのは彼ら探偵であって、決して絵梨佳ではない。
今度こそ、なにか言い返してやるつもりで口を開いた草間だったが、結局なにも言わずに口を閉ざした。
目の前に分厚い封筒が差し出されたからである。
絵梨佳の家はオカネモチだ。
ある種の期待に目を輝かせ、封筒を開く。
そして、海よりも深い溜息をついた。
「‥‥漱石の大軍が入っているようにみえるが‥‥」
「当たり前じゃない☆ 中学生のカンパじゃそんなもんよ。でも、四万円は入ってるからね☆」
それでは子供の小遣いである。プロフェッショナルの探偵を雇うには桁が一つ不足している。
「‥‥わかったよ‥‥その辺で暇そうにしてる連中を連れてけ。これで貸し一つだぞ。まったく」
だが、それでも草間はこう答えた。
カンパを集めてきたのでは絵梨佳も後には退けまい。それに、先行投資の意味もある。
「みんな、聞いての通りだ。ま、適当にちゃっちゃと解決してくれ」
「適当じゃダメ〜〜〜!!」
絵梨佳がジタバタと暴れだし、事務所は震度二の地震に見舞われた。
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お嬢ちゃまの怪奇探偵
窓から入る月光が室内を仄白く照らし、五つの薄い影を壁に映しだしている。
深夜の学校。
静まりかえった巨大な建造物は、それだけで人間を圧倒するものだ。
まして、怪奇事件の調査となれば、なおのことである。
もっとも、百戦錬磨の怪奇探偵たちにとってみれば、この程度の不気味さなどは子供だましにすらならない。とりあえず、メンバーのなかで心霊的な恐怖感を刺激されている者は、一人しか存在しなかった。
すなわち、依頼者たる芳川絵梨佳(よしかわ えりか)である。
「ドキドキしない? シュラインさん?」
「‥‥もちろん、ドキドキしてるわ。たぶん絵梨佳ちゃんとは違う意味で‥‥」
疲れたような口調でシュライン・エマが応じ、他の探偵たちが大きく頷いた。
探偵たちの抱く恐怖感は、むろん、心霊に向けられたものではない。
犯罪に向けられた恐怖感である。否、自らが犯罪者となる恐怖感、と表現した方が適切だろう。
なにしろ、この状態で警備員や当直の教師に発見された場合、不法侵入の現行犯である。
「深夜の学校で肝試ししてました♪ てへ☆」
で、許してもらえるのは、未成年者くらいのものであろう。
そして、非常に残念なことに、探偵たちの中に未成年者は含まれていなかった。
「だいたい、なんでアポイントとっとかんの?」
ぼそぼそと、探偵の中の最年少者たる獅王一葉が苦情を提示する。
「だってぇ。許可もらえるわけないしー」
唯一の未成年が言い訳がましいことを口にした。
杜こだまと秋津遼が、深い深い溜息をつく。
探偵たちの調査は、始まったばかりであった。
さて、これより数刻前、探偵たちは、事前の下調べに勤しんでいた。
シュライン、こだま、一葉、遼、そして、依頼者たる絵梨佳。
珍しく女性のみの編成である。
このうち、絵梨佳に面識のあるのは、シュラインとこだまである。前回の悪魔憑き騒ぎで顔を合わせているのだ。一葉や遼とは初対面であるが、もともと物怖じしない性格の絵梨佳のこと、紅い髪の関西人にも、赤い瞳のアヤシイお姉さんにも、すぐに馴染んだ。もちろん、同性同士の気安さという要素もあるだろう。
「まずは、どんな薬品がなくなっているのか。それを確認する必要があるわね」
シュラインが提案する。
年齢の上からも職制の上からも、彼女がリーダーシップをとるしかない。柄じゃないと思いつつも、苦笑とともにシュラインは自分の役割を受け入れた。どのみち、誰かがまとめ役を引き受けなくてはならない。強烈な個性のぶつかり合いである怪奇探偵には、生きた接着剤が必要不可欠なのだ。
そして、シュラインが指揮官役であるならば、当然のように参謀役はこだまである。
もっとも、彼女はこの事件を、それほど難しくは考えていない。
発生地点が学校であることを除けば、ありがちな窃盗事件だからだ。むろん、犯人は心霊などではなく人間であろう。
草間武彦の台詞ではないが、幽霊にはものを盗む必然性がない。
「せやな。どんな薬品が盗られたかで、目的もはっきりするんちゃうかな」
薬剤の知識を有する一葉が言った。
大学の薬学部に籍を置いているのは伊達ではない。今回のメンバー中で、最も頼りになる人間である。有する特殊能力も、犯罪捜査に向いている。
「で? 犯人を捕まえたらどうするの? 警察に突き出す?」
戯けたように遼が口を開く。
烏の濡れ羽のような黒い髪と、溶鉱炉の炎のような赤い瞳をもった妖艶な美女だ。年齢は、シュラインとこだまの中間くらいに見える。が、時として年に似合わぬ意見を述べるなど、端倪すべからざる人格の所有者であることを伺わせるのだ。
実際、彼女のことを他のメンバーはよく知らない。
今回はじめてチームを組むから、というだけでなく、本人があまり語りたがらない故だ。
たとえ仲間といえども、個人的な事情を詮索するのは野暮というものである。それをわきまえている三人は、あえて人間関係に隙を作るようなことをしなかった。
「‥‥なんでみんな、人間の仕業だって決めてるのよぅ」
絵梨佳がふくれっ面をする。
彼女にしてみれば、心霊事件であった方が望ましいのだろう。
ただ、探偵たちは充分にスレていて、頭から怪奇現象だと決めてかかったりしない。依頼者には不本意だろうが、実際に起こっている怪奇事件の過半数は人間の仕業なのだ。世に飛び交う噂のうち、ホンモノの心霊が絡んだ話など三パーセントにも満たないのである。
そして探偵たちは、その三パーセントも、その他の事例も嫌というほど見てきている。用心と猜疑心は、いわばパートナーのようなものなだ。
「‥‥お化けの方が面白いのに‥‥」
なおもぐちぐちと言う絵梨佳を、優しくシュラインが窘める。あるいは、意外と母性本能が強いのかもしれない。
「先に近隣の薬局や薬店をまわった方がいいだろう。私たちは目立ちすぎる」
どこまでも冷静に、こだまが意見を述べた。
たしかに、学校に行くのは人が引けてからの方が良い。これは常識なのだが、彼女の言葉にはもう一つの意味がある。
お子さまの絵梨佳は除くとしても、四人の探偵たちはそれぞれに美しい。ボーイッシュから妖艶まで、各種取り揃えられているのだ。そんな連中が高等部の校舎を闊歩するのは、広告塔が町中を練り歩くようなものだ。目立つことこの上ない。
まして、相手は世間慣れしていない高校生である。
調査になるはずがないのだ。美しいことは良いことだが、これは、探偵の資質としてはどうなのだろう。
「でもまあ、注目を浴びたついでに、可愛いオトコノコを二、三人お持ち帰りしちゃうってのも‥‥」
なにやら、非常に教育的見地からするとマズいことを言おうとした遼だったが、最後まで言い切ることができなかった。
横合いから一葉にどつかれたからである。
「アホなとこ言いなさんな。未成年もおるねんで」
カラカラと一葉が笑う。
当事者以外の三人は、やや唖然としていた。
関西人というイキモノは、ボケに対して必ず突っ込みを入れる習性があるのだろうか。
あるいは、遺伝的記憶として刷り込まれているのかもしれない。
いや、そんなことはあるはずもないだろうが。
「‥‥空振りだったわね」
さして残念そうでもなく、こだまが呟いた。
絵梨佳の通う学校周辺の薬局と薬店を調査した結果、とくに不審な点は発見できなかったのである。
仕事の速い一葉などは、実験器具なども取り扱っている問屋まで足を伸ばしたが、結局のところ、めぼしい情報を掴むことはできなかった。
「やっぱり、現場に行ってみるしかないわね」
えらく上機嫌に遼が結論を下し、熱心にこだまも頷く。
じつはこのふたり、日本の学校に興味があるのだ。その意味では、どこまでが仕事なのか知れたものではない。
「遊びに行くのとちゃうんやで。気ぃ引き締め」
一葉が腰に手を当てて憤慨した。
たしかに、絵梨佳の持参した報酬額は微々たるものである。
「私たちの取り分は六掛けの二万四千円。それを四人で分けると一人あたま六千円よ。いまどき、郵便局のバイトだって、もうちょっとくれると思うな」
遼が奇妙な比較を持ち出す。笑っているので、べつに絵梨佳を非難しているのであるまい。
シュラインは黙ったまま首を振った。
まあ、遼の言い分はともかくとしても、報酬が安いことは事実である。
しかし、この依頼には先行投資の意味もあるのだ。絵梨佳に恩を売ることで、その父親の芳川吾朗(よしかわ ごろう)の憶えをめでたくする。芳川財閥を顧客として囲い込めるならば、一時的な赤字など顧慮するに足りない。
これが興信所の所長たる草間武彦の考えであり、シュラインも納得している。とはいうものの、現実に対応する探偵の負担が軽減されるわけではない。彼女自身の思惑はおいて、探偵たちの労働意欲を啓発しなくてはならなかった。
「たしかに報酬は安いけど、一日で済ませばそれほど赤字の決算でもないわ。頑張りましょ」
「せやね」
「私は報酬に不服はない」
シュラインの説得に、一葉とこだまは簡単に頷いてみせた。
もともと一葉は金に執着する性格ではなかったし、苦学生のこだまにとっては、六千円でも貴重な収入である。
「あう! 私だけ悪人!?」
遼が胸を押さえ、傷付いた振りをしてみせる。この程度で砕けるようなヤワな心は持っていないのだ。
「ごめんね遼さん。代わりに、これ、あげるから」
だが、気を遣った絵梨佳が、自らの首に掛かったペンダントを外そうとする。
「ち、ちょっと待ってよ絵梨佳ちゃん。冗談だってば」
やや慌てて、少女を押しとどめる。
いくらなんでも、中学生から金品を巻き上げるわけにはいかない。それに、報酬の増額ならば全員が貰わねば不公平だ。そう考えるあたりが、遼の性格の微妙な部分である。奇妙に実直で融通の利かないところがあるのだ。
「でも、少し困ったわね。学校だって夜になればカギを閉めるでしょ」
さりげなくシュラインが話題を変えた。
気まずくなりかけた空気が霧散する。
「そうよね。まさか、窓割って侵入ってわけにはいかないし」
遼はシュラインの配慮に感謝しながら、さっそく話題に参加した。
「当たり前や。すぐに警備員が飛んでくるで」
「合いカギが作れればいいけど、そんな時間はないし」
一葉とこだまも参加して現実的な話し合いが始まる。
ひとたび侵入してしまえば、警備員などに遭遇する可能性は低い。人間レーダーのシュラインもいることだ。だが、やはり侵入時と撤退時はリスクが大きい。
「それなら大丈夫。あたしマスターキー持ってるから」
その言葉で、探偵たちの視線が絵梨佳に集中する。
彼女は制服のスカートに手を突っ込み、やや大きめのカギを取りだした。
「でかした絵梨佳ちゃん。でも、どうやって手に入れたん?」
称揚しつつも、当然の疑問を一葉が投げかける。
普通、マスターキーなど一般生徒の手に入るものではない。この万能アイテムを持つものといえば、校長や教頭の他、幾人もいないだろう。
「教頭先生にもらったんだよ。脱ぎたてパンツあげたら、喜んでコピーを作ってくれたんだ☆」
「‥‥」
「‥‥」
「‥‥」
「‥‥あげるのは、パンツまでで止めておいた方が良い。絵梨佳」
かろうじて声を絞り出せたのは、こだまだけだった。
まったく、日本の教育現場はどうなっているのだろう。
一葉が頭を振った。
そういえば、教頭や学年主任に出世した直後に犯罪を犯すケースが多いようだ。こつこつと頑張ってきたのが、気が緩むのだろう。
気持ちは判らなくもないが、同情の余地はない。彼らは普通の職業人ではないのだ。
生まれてくるときに性別は選べないが、職業を選択する自由はあろう。自ら望んで教師になったからには、教育に人生を捧げるべきだ。それができないなら退職すれば良い。犯罪者が、何の教育を語るというのか。
彼女の慨嘆はもっともである。変態教師の仕置きまでは今回の仕事に含まれない。
「と、とりあえず、夜になるのを待って侵入しましょ」
若干の動揺を言葉の端に現出させながら、シュラインが結論を口にした。
そして、月明かりが照らす教室。
滞りなく侵入を果たした彼女たちは、理科準備室に直行せず、適当な教室にたむろしていた。
作戦会議、というわけではない。それならば侵入前に済ませている。
彼女たちの行動を阻んでいるのは、巡回する警備員の足音である。
「‥‥参ったわね。足音が反響して位置を掴めないわ」
せめて見取り図でもあれば、と、シュラインが溜息をつく。
「まったくだ」
と、こだまも頷いた。
もともと、この二人の力は突発事よりも、周到な下準備の上で十全に活かされるのだ。深慮遠謀型という言い方もできる。
「やっぱり、私が様子を見てくる」
そう言ったのは、臨機応変型に属する遼である。
夜の闇こそが彼女の本領だ。それに、その卓抜した身体能力は、メンバーのなかで最も斥候むきであろう。
「ちょい待ち。武ちんから、ええモン預かってきてるで」
そっそく廊下に出ようとする遼を押しとどめ、一葉が背中のデイバッグから取りだしたのは、二台の携帯電話だった。それぞれの機体にインカムがセッティングされている。
「携帯電話(これ)なら、無線に拾われることないやろ?」
警備員ならば無線くらいは携帯しているだろう。ならば、こちらとしても不用意に無線を使用することはできない。その点、携帯電話ならば傍受の危険性は低い。ついでにインカムは両手が自由になるという利点もある。
「じゃあ、回線は開きっぱなしでね。逐一連絡入れるから」
軽く言い置いて、遼が教室を出てゆく。
なぜか渋い顔で、シュラインが見送った。
あるいは電話代を心配したのかもしれないが口には出さなかった。彼女は、どこぞのしみったれ探偵よりも、五七倍ほどは上品なのである。
「時間が惜しい。安全が確認され次第、私たちも動こう」
と、こだまが方針を打ち出し、探偵たちはそれぞれの行動を開始した。
この場合、最も隠密行動に向いていないのは絵梨佳である。彼女をフォローするのは、こだまと一葉の役割だ。斥候に走っている遼と、聴覚による索敵を行っているシュラインには、さすがにそこまでの余裕はない。
進軍は、ほぼ問題なく進んだ。
途中、絵梨佳が転びそうになったり一葉がそれに巻き込まれそうになったりもしたが、大問題に発展することもなく、理科準備室の扉の前に到着する。
絵梨佳から預かったカギで扉はあっさりと開いた。
「さて、と。こっからは、うちの出番やな」
呟いた一葉が薬品棚に歩み寄る。
薬学部に通う紅い髪の大学生には、当然のように薬品の知識がある。棚を見るだけでも、ある程度は紛失している薬品を絞り込むことができるだろう。それで駄目なときは、こんどこそ特殊能力の出番である。
「どう? なにか判った?」
意外に真剣な顔で棚を見渡している一葉に、こだまが声をかけた。
「高校の理科室の割には、ええ道具揃えてはるわ。でも、盗んでまで欲しいものはない思うな」
そう前置きして、一葉が説明を始めた。
準備室には硫酸や塩酸などの劇薬もあるが、どうやらそれらは無くなっていない。危険物を片づけてあるガラス戸の付いた棚には荒らされた形跡はないし、そもそも劇薬が紛失すれば学校側だって騒ぐだろう。
「無くなった薬品は判った?」
性急に絵梨佳が口をはさむ。
たしかにのんびりしている場合ではない。一葉はもう一度視線を棚に送り、おもむろに言葉を紡いだ。
「あそこ見てみい。一個だけ新しいのがあるで」
こだまが、指示された瓶を手に取り、ラベルを読み上げる。
「‥‥消毒用アルコール‥‥」
「そういうことや」
「そんなもの盗んでどうするのよ?」
聞き役に徹していた遼が、もっともな疑問を提示した。
消毒用のアルコールなど何の使い道があるわけでもない。文字通り、消毒と殺菌くらいにしか使いようがないのだ。
「むかし、うちの大学でこんなことがあったで」
直接には答えず、一葉は話を続けた。端正な顔に苦笑が刻まれている。
かつて、一葉の通う大学でも薬品が紛失する事件が起こった。無くなったのは、やはり消毒用アルコール。むろん、心霊現象などではなく、れっきとした盗難事件である。犯人は研究棟につめている学生だった。その学生は貧乏に耐えかねて薬品を盗んだのだ。
「ということは、消毒用アルコールって高く売れるとか? 一葉さん」
「ちゃうちゃう、絵梨佳ちゃん。そいつが消毒用アルコールをパクったんは、売るためやのうて飲むためや」
『はぁ!?』
驚愕の女声合唱が室内を満たし、探偵たちと依頼人は慌てて口を閉ざした。
「飲むのか? 消毒用アルコールを?」
立ち直りの速さは、やはりこだまが一番である。
「せや。エチルアルコールやから一応飲めるで。味までは判らんけどな。まあ、アル中のうえにビンボってことになったら、こんなもんにまで手ぇだすんかもなぁ」
「‥‥だからって‥‥」
扉の側で、シュラインが口ごもる。
もしかしたら、この場にいない誰かに思いを馳せたのかもしれない。
「‥‥そんなことになったら、ちょっと嫌だな‥‥」
ちょっとどころの騒ぎではないのだが、そこはそれ、惚れた弱みとかいう名言もあることだ。
一方、こだまも無言だった。
貧乏ということでは、彼女にとっても他人事ではない。むろん、彼女自身はそこまで困窮していないが。
「へぇ。飲めるんだ、これ。ちょっと試してみようかな」
「あ、あたしも飲んでみたい☆」
興味津々のものもいる。
「やめとき、遼。純度一〇〇パーセントやで。なんかで割らんかったら飲めへんよ。それに、絵梨佳ちゃんは未成年やろ」
一葉が窘めた。もっとも、彼女は別にモラリストではない。ただ、この状況で酔っ払いが二匹もでた場合、作戦行動自体が破綻するのだ。
「‥‥誰か来るわ。たぶん警備員ね。まっすぐ近づいてくる」
そのとき、シュラインが小さな声で警告を発した。
探偵たちの間に緊張が走る。
先程の声を察知されたのだろうか。
「‥‥そうじゃない‥‥」
自答するようにこだまが呟く。
「そうね。私たちに気づいているとしても、脇目も振らずってのがおかしいわね」
寄ってきたシュラインが説明する。
彼女のような超聴覚を持つものでもない限り、一瞬の音だけで場所を特定できるものではない。にもかかわらず、直接ここを目指しているのは‥‥。
「犯人、やね」
「どうする? 私たちで拘束する?」
「現行犯なら私たちにも逮捕権がある」
「オッケー。じゃあ、みんな隠れて。犯人が薬瓶を手に取ったところを押さえるわよ」
一葉、遼、こだま、シュラインの順で次々と発言がなされる。
少しだけ羨ましそうに、それを絵梨佳が眺めていた。
やがて、各所に身を潜めた探偵たちの前で、理科準備室の扉が静かに開いた。
エピローグ
穏やかな陽射しが大地に降り注いでいる。
事件解決の翌日。
絵梨佳は、ふたたび草間興信所を訪れていた。一応は依頼人であるから、報告書を受領に来たのだ。
「お父さんに怒られなかった? 絵梨佳ちゃん?」
シュラインが訊ねる。
犯人は捕らえたものの、彼女たちも不法侵入である。功績があったため罪には問われなかったが、肉親の心配は別問題であろう。
「それは大丈夫☆ 怪奇探偵のみんなと一緒だったからって言ったら、お父さんは安心したみたい。信頼バッチリじゃん♪」
明るく笑って答えた絵梨佳がさらに続ける。
「ところで、犯人ってどういう人だったの?」
「そう言うと思って、私たちで追跡調査をしておいた。そこに転がっているのは尊い犠牲だ」
こだまが送った視線の先では、遼と一葉がデスクに突っ伏している。
徹夜作業で精根尽き果てたのだ。
「いまは寝かせておいてあげてね。絵梨佳ちゃん。で、犯人なんだけど、アルバイト警備員の大学生だったわ」
嫣然と微笑みながら、シュラインが言い、
「動機は、一葉の推理通りだ」
と、こだまが続けた。
結局、アルコール依存の大学生が、夜な夜な薬品を盗み飲んでいたのである。警備員の立場を利用した犯罪であるから、相応の処分を受けることになるだろう。窃盗に背任。とくに後者は、警備会社の信用を著しく損なうものだ。最悪の場合、会社から犯人に対して損害賠償請求が行われることになる。自業自得ではあるが。
「なるほどねぇ。悪いことはできないものよねぇ」
絵梨佳が偉そうに腕を組む。
シュラインとこだまは、顔を見合わせて苦笑した。
まったく、子供の相手は必要以上に疲れるものだ。依頼人が帰ったあとは、軽く食事をして、シャワーを浴びて、それから、手足を伸ばして眠ろう。
だが、二人のささやかすぎる野望は、一瞬にしてついえ去った。
「決めた! あたし、ここでバイトする☆」
という一言で。
『ええぇぇ〜〜!?』
事務員と風水師が思わず大声をあげ、遼と一葉が驚いて跳ね起きる。
「なになに!? どうしたん?」
「‥‥いったい何事よぅ。私、昼間はダメなんだって‥‥」
事務所内が喧噪に包まれる。
と、そのとき、入り口から異様な音が響いた。
十個の瞳が同一方向にむけられる。
視線の集中砲火を浴びながら立ち竦んでいたのは草間だった。
頬を冷や汗が伝い、足下にはパチンコの景品とおぼしき紙袋が落ちている。
おそらくは、絵梨佳の発言を聞いていたのだろう。
紙袋からこぼれた『サバの味噌煮』の缶詰が、床の上をころころと転がった。
まるで、運命の流転のように。
終わり
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 】
0258/ 秋津・遼 /女 /567 / 何でも屋
(あきつ・りょう)
0086/ シュライン・エマ /女 / 26 / 草間興信所事務員
(しゅらいん・えま)
0030/ 杜・こだま /女 / 21 / 風水師
(もり・こだま)
0115/ 獅王・一葉 /女 / 20 / 大学生
(しおう・かずは)
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■ ライター通信 ■
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こんにちは。水上雪乃です。
『お嬢ちゃまの怪奇探偵』納品です。
私事により、かなり遅くなってしまいました。
申し訳ありません。
また、新作の約束も、いきなり破ってしまいました。
こちらもお詫びいたします。
まだちょっと、お話が書ける状態じゃないですが、
近日中に新作にかかります。
逝ってしまった弟のためにも。
それでは、また、お目にかかれることを祈って。
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