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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:3つ眼の猫

●怪異(オープニング)
『ここ歌舞伎町では、連夜にわたり「怪物を見た」という目撃情報が後をたちません。また同界隈で行方不明者が続出していることが、更に人々の不安をかきたてているようです』
 ブラウン管の向こうで、女性レポーターが事のあらましを捲くし立てている。
 ここ数日、毎日にのようにワイドショーを賑わせている話題は、その熱を加速度的に上げていた。
「‥‥カイブツですって」
「なきにしもあらずだろ」
 何せ現代の魔界、新宿だからな。
 ここ草間興信所でも草間が留守なのをよい事に、TVから垂れ流される話題に花が咲いていた。
 と、そこへ来客を告げるベルが鳴る。
「京師さん」
 草間興信所へ金にならない依頼ばかりを仲介で持ってくる京師紫の姿を見止た所員が、会話をしていた同僚にTVを消すよう目で促す。
「あ、良いよ。そのままで。‥‥その話だから」
 TVの見える位置に立ったまま、紫はニコリと小さく笑んだ。
「報道ラインには乗ってないけど、その事件には追加情報があってね。行方不明者の数だけ、精巧な等身大の石像が発見されてるんだ――この意味、分かるよね?」
 紫の瞳に宿った剣呑な光に、己が想像が正解である事を知らされ、居合わせた所員達が息を飲む。
「今回はその件を調査しろ、と?」
 最初に沈黙を破った所員に、紫は静かに首を振った。
「いや、今回の事件は犯人は分かっているんだ‥‥信じるか信じないかは別としてね」
 犯人は『猫』。色は白だけど、現在何色になっているかは不明。そして当然ただの猫じゃない。人の残留思念を実体化出来る能力を保持し、これが『怪物』の正体。更にこの猫には3つ目の眼があって、それが開いている時に視線を合わせた者は石化してしまう。しかも出没時間は深夜。
「この猫を生きたまま捕らえて欲しい。依頼料は一人頭、前金で50万。成功したら更に100万。猫の状態によって成功報酬は減額する」
 要は、猫を無傷で捕らえろと言っているのだ、己が危険を承知の上で。
「頼まれて‥‥くれないかな?」
 そう言う紫の瞳には、悲しげな色が浮かんでいた。

●黙して語らぬ冷たき瞳
 眠らない街≪新宿≫。
 人の気の凝るこの界隈での怪異は既に日常茶飯事にも等しい。
 こと歌舞伎町近辺ともなれば、その手の職に従事する人間であれば聞き込みで訪れる馴染みの店が一つや二つは余裕で出来そうなほどだ。
 猥雑に入り組んだ路地。特に劇場が密集する近辺は一筋間違えただけで、その入り口を見失ってしまうほどに巨大迷路の様相を呈する。
 建ち並ぶ雑居ビル。時代の波を映し取ったその鏡は、日々その居住まいを異にし再来の者すらをも瞞著する。
 昼と夜の顔が俗世と反転する浮世の領域――否、何よりも人間の本能に忠実な囿。
 人の流れはあるものの、どこか物寂しさを感じさせる日の高い時間とは打って変わり、喧騒が飛び交う雑多な街は様々な言葉と文化と欲望が混ざり合い活気付いた不夜城。
「どう、場所わかった?」
 待ち合わせの時間より、長針が一回りするほど前の時間。約束したのではなしに目的の場所で出くわした紫月夾にクリストファー=グリフィスはネオン光を金の髪に乱反射させながら声をかけた。
 確か彼は先行して『石像』の調査を行っていた筈だ。報道の波に乗る事を押さえられている情報にはクリストファーもお手上げだったのだが、夾は違ったらしい。
 黒のロングコートに同じ色合いのインナーとスラックスという全身黒づくめのいでだちの夾は、どこをどういったツテで渡ったのかは知らないが、クリストファーの姿を見付けると立ち止まりコートのポケットから丁寧に折りたたまれた幾枚かの写真のコピーを手渡した。
「ふーん‥‥これが『石像』ね」
「あぁ、参考物として一箇所に集められていた。確かに放置する訳にはいかないだろうからな」
 あまりにも精巧過ぎる石像たち。衣類の皺、顔を彩る表情、何もかもがリアル過ぎる。
 コピーに目を落し、クリストファーが溜息をつく。
「どー見ても『人』だなぁ、これは――あ、すいません」
 足を止めた自分達に、足を止めない人の流れが不自然な澱みを生み出している。擦れ違いざまにぶつかった肩と、不機嫌さを露にした視線に見つめられクリストファーは場所を移すことを提案した。
 約束の刻限まではまだ時間がある。
 少し離れた場所から視野に納めていれば問題はあるまい。その判断に夾も同意し、定められた場所から20mほど離れた道路を挟んで向かい側の人の流れのない場所に居を移す。
 二人並んでガードレールに体を預ける。
 ふと見上げた空は、腹の底に沈殿した忘れたい何かを突き上げるような自然界ではありえない色に染まっていた。
「で、何か分かった?」
 一時中断されていた会話を再開する。
「これと言ってめぼしいものは。唯一言えるのは全て驚愕の表情で固まっているといことだな」
 既に行方不明者が石像化したと断定した夾の話し方に、クリストファーは世の中いったい何がどうなっているんだかと嘆息しながら耳を傾ける。
 認めざるをえない現実。
 人の常識を遥かに凌駕した現実。
「このことから恐らく被害者達は件の猫を目撃し、その『第三の眼』に駭愕した瞬間に石化したのだと予想される」
「んー、見ちゃったってヤツか」
「そうだ。まったくそんな物騒な猫を無傷で捕まえろとは、京師も中々難しいことを言うものだ」
「あぁ、それは同感」
 あの人のあんな顔は初めて見たから、それはそれで驚いたけど。
 付け加えたクリストファーに、そうなのか? と夾が返す。
「俺の知る限りじゃ、少なくともいつでも笑ってる人だよ。っていうか掴み所がないって言うか飄々としてるって言うか」
「なるほど。厄介な人物なんだな」
 一言でまとめられて、確かにその言葉が最適かとクリストファーが相槌を打つ。
「厄介な相手から厄介な依頼。これは気を引き締めてかからないといけないな‥‥」
 呟いた夾の言葉は、喧騒の中に吸い込まれ消えて行った。

●偵探→戦端
「それじゃ、これを皆さんにお渡ししておきますね」
 ようやく全員集合したところで、史郎からそれぞれに二枚の符が手渡された。
「一枚は効果の程は分かりませんが石化を防止するためのものです。もう一枚は先ほど俺がここ一帯に張った結界に皆さんを認識させるためのものです。くれぐれもなくさないように気をつけて」
 退魔を生業とする里見の家に伝わる秘術の一つらしい隔絶の結界。符を持つ者が結果内で如何な行動を行動を取ろうとも他者に干渉されることは一切なくなるのだと言う。
「ふーん。便利なものもあるもんだね」
 クリストファーがミミズが這った後のような文字の書かれた紙切れをマジマジと眺めながら呟いた。彼に陰陽五行説の知識が備わっていたならば、与えられた符がそれに則った物だと分かったことであろう。
「ところで、何か分かった事はあるか?」
 互いの持ちよった情報交換を軽く済ませ、夾が全員の様子を伺う。
 結果内を冷たい冬の風が駆け抜けた。留まる事を知らない人流は、不思議と自然に六人を避けていた。これが結界の効果なのだろう。
「それならサイデルが多少使えそうなのを持ってるわ」
 痛い思いをしながら掴んだ情報だからね。少しなりと調査の役に立ってもらわなきゃ割に合わない。そうシュラインに背を押され、先ほどから沈黙を通して来たサイデルがやや引いた場所から自分の聞き付けた情報を語り出す。
「数日前逝っちまった浮浪者の爺さんが、白い猫を可愛がってたって話さ。なんの偶然かその爺さんが死んじまった時期とここら一帯で怪物騒ぎが起きるようになった時期とがピタリと一致してやがる」
 なんでもその爺さん自体がこの辺では新参者で、これ以上の詳しい話は分からないけどね。
 自嘲めいて付け加えられた言葉を、シュラインがフォローするように繋ぐ。
「まぁ色々あったみたいだけど。サイデルは件の猫を目撃してるみたいでね。なんでも額に紫の斑を持つ白黒まだらの猫に出くわしたらしいわ」
 シュラインの説明に、興信所を訪れた京師の言葉を全員が一斉に思い出す。
「そう言えば‥‥彼は今回助けなくてはならない猫が『現在何色になっているかは不明』とか言ってたな」
 クリストファーがクシャリと髪をかきあげ、そういうことかと呟く。
「それにね、まだあるの。その猫を追いかけて走っていった『白猫』もサイデルは見てる」
 はぁ?
 初耳の情報に、男性陣が驚愕の声を漏らす。
「今回のターゲットは二匹いる――そういうことかな?」
 予想外のことに史郎が鉤型に曲げた指を口元に運び思案に耽る。夾も同様の溜息を吐き出した。
「あ、その白い猫のことは気にしなくても良いと思うわ」
 深刻になりかけた空気を、ボア付きのコートにフワフワとした手触りの良さそうな毛皮で作られた真っ白なワンピースに身を包んだ珠緒の声が遮った。
 彼女が動く度に、ブレスレッドに付けられた金の鈴がチリリンと楽しげに歌う。
「あたしもさ、この辺で昼間情報収拾やってたんだけど。その時に多分サイデルさんが見たって言う白猫は何度か目にしたもの」
 この界隈のボス猫か何かじゃないかしらね?
 コロコロと珠緒が笑う。オレンジ色の瞳が揺れるのを見ていると、他のメンバーは何故だか彼女の言うことに納得していた。
「まぁ、用心するにこしたことはないってことだね」
 史郎の言葉に一同が頷く。
「それじゃ、さっきの手筈通り二チームに分かれて猫探しを開始するとするか。何かあったらすぐに携帯で連絡をするのを忘れないように」
 では散開、と夾がまとめようとした瞬間、サイデルが待ったをかけた。
「悪い、色々ごたごたしててあたしの携帯使い物にならないかもしれない」
 電池の残りがあと少しなんだ、そう言いかけたサイデルの手からクリストファーが携帯をスッと抜き取る。
「え? まだまだ大丈夫みたいだよ」
 電池部分のカバーを開閉を一回。サイデルの手に戻された携帯は充電が満タンの状態に戻っていた。
「あれ?」
 おかしいね? 続けようとした言葉はクリストファーの『良かったらみんなのも見せて』という言葉に掻き消された。

「聞こえるか?」
 夾の問い掛けに「黙って」とシュラインが釘を刺す。
 二チームに別れて、今までに石像が見つかった近辺や先日サイデルが襲われた近辺などの調査を開始すること一時間弱。
 シュラインの卓抜した聴覚に頼りながら目的の猫を探す夾とクリストファーの姿は、歌舞伎町の中心から離れた入り組んだ路地裏にあった。
 瞳を閉じて耳をすます。雑多な音を避けて目的の小さな音だけを探して目を瞑って歩くシュラインを庇うように男二人が両側を固めて移動する。史郎の結界の効果のおかげで他人に奇異の目で見られる事も邪魔される事もなかったが、あちこちに転がる障害物にシュラインが足を取られそうになるのを夾の鋼糸が無音で切り裂き事無きを得ている。中には不自然な転がり方をする空き缶などもあったのだが、それはそれで誰かが何かをしているのだろうと、夾は見て見ぬフリを決め込んだ。
「なんだか‥‥こっちから変な足音がする気がするんだけど‥‥」
 不意に目を瞑ったままのシュラインが一点を指す。
「――足音?」
 そこには何も存在せず、ただ深淵の闇が口を開けるのみであった。しかし、それを猫の能力避けになるかもと持参していたデジタルビデオカメラでクリストファーが覗いた瞬間、何の無く見える空間に何かが在る事を知ることになる。
「夾! これ」
 レンズの向きは固定したままで、クリストファーがビューを夾に見せる。
 シュラインの指差す先、映るのはノイズの嵐。
「確か心霊現象の前触れなどには電子機器にノイズを現れると聞いた事があるな‥‥」
 シュラインに暫しそのまま動かないでくれ、そう告げると夾がゆっくりと見えないノイズに向かって一歩を踏み出す。
「俺達は間違いなく目的の猫に近づいているということか」
 刹那、異形の影が忽然と夾の眼前に出現した。
「醜悪な」
 ダラリと垂れた二本の腕、虚空を写し取ったような澱んだ瞳。奇形の翼を背から生やした異形は、元のナリが人間である事を知らしめるに充分だった。
「これがヒトの残留思念が実体化したものだと言うのか」
 ならばその残留思念はいかに醜い物であったのか。ほんの少しの動揺もなく、そして寸分の迷いもなく夾の鋼糸が斬刈する。
「夾、そっちにも!」
 デジタルビデオカメラでノイズを見る目を得たクリストファーが新たな一点を指す。その言葉に夾は迷わず鋼糸を走らせた。
 実体化にすら間に合わなかった残骸が、ゴロリと路面に転がる。足元まで転がって来たそれにクリストファーの手が触れると、影は音もなく霧散した。
「シュライン! 他のメンバーに連絡しろ。猫はこの近くにいる!!」
 残留思念が実体化する事が猫が近くにいる証拠。
 言われなくとも、と眼前で繰り広げられる斬劇をその瞳に写しながら、シュラインはサイデルの番号をプッシュした。

●三つ眼の猫、そして。
 そこは三方をビルで囲まれた空間だった。
 逃げる隙間のない空気が澱んで凝る。その濃密過ぎる気配に感覚能力の発達した史郎は軽い眩暈を憶えた。
「大丈夫か?」
 合流した夾に脇を支えられ、体勢を整える。
「っチっ!」
 バリっと空を裂く音が弾け、クリストファーの持っていた石化防止の符が火塵に舞った。彼の手にしていたデジタルカメラからも鼻につく何かが焦げる臭いが漂っている。
「‥‥やっぱダメか」
 視線を合わせないように気をつけて、うず高く積み上げられた木箱の上で対峙する二匹の猫の様子を伺った。
「何したのよ?」
「猫の第三の眼の力。電子の眼を通せば無効になるかなって思ったんだけど――甘かったみたいだ」
 使い物にならなくなったデジタルカメラを見ながら問うたシュラインに、クリストファーが口惜しそうに答える。
「あの時の猫達だ」
 サイデルがまだらの猫と、それと真っ向から対峙する白い猫を指差す。その瞬間、サイデルの符が燃え落ちる。
「無闇に姿を追うな!」
 夾の叱咤に、慌てて全員が視線を外す。
「どっちが目的の猫かしら?」
「間違いなくまだらの方だね。額に紫色した眼があったのを見たよ」
 声を潜ませ、誰に聞くでなくシュラインが呟きにサイデルが答えた。
 そうだ、まだらの猫で間違いない。あの時も額に紫の斑を見た気がした。
「だが‥‥怪物は出ないな」
「多分、もう一匹の猫のせいじゃないかな。はっきりとしたことは言えないけど、そういう気配がする」
 殺気立つまだらの猫を押し留めようとする白い猫の気配。時々あがる白い猫の声が、まるで我をなくした者を宥めすかす響きを帯びて聞こえる。
「ところで、白雪さんは?」
 周囲を見渡し、先に駆け込んだ筈の彼女の姿がないことに史郎が疑問の声を上げた。が、誰もここに到着してから珠緒の姿を見た者はいなかった。
「おおかた一本道間違えて迷ってんだろ! それに今はそれどころじゃないよ」
 シュラインの手にしていた符が発破音とともに灰燼と化す。
「だから見るなと言っているだろう!」
 強く瞳を伏せた夾が僅かに語気を強める。
「ごめんなさい。でも試したい事があって」
 シュラインがコートのポケットに手を忍ばせる。指先に触れる冷たい温度。
「誰かあの猫の逃げ場をなくすことは出来る?」
 その人の見たいものを見せてくれると言う不思議なガラス玉。お守り代わりにずっと持ち歩いていたが、ひょっとするとコレであの猫を救う事が出来るかもしれない。
 が、使おうとして逃げられては意味がない。猫達のいる場所まで投げなくてはならないのだから、それだけで交されてしまう可能性が高い。ならば、少しでも猫達の行動範囲を狭めなくては。
「――策があるのか?」
「えぇ。ちょっと信じられないことかも知れないけれど」
 夾の問いにシュラインが力強い頷きを返す。ならば、と夾が真っ直ぐ猫達に向き合った。
「おい! あんた!」
 クリストファーが注意の声を上げた。しかし彼の不安に反し夾が石化することはなかった。
「鋼糸を使って猫達を覆う網を作る。準備が出来たら合図する」
 舞うように夾の腕が宙を薙ぐ。鍛えられた彼の腕ならば、視界を閉じ気配のみで鋼糸を操る事など造作もないことであった。
 重い沈黙が立ち込める。誰の手にもジンワリと汗が滲んだ。
 永遠にも似た時間、息を飲んで見守る四人の前で不意にピタリと夾が動きを止めた。
「準備は出来た」
 短い言葉。しかし誰もが待ち望んだもの。その合図に、シュラインは意を決しガラス玉を握った手をコートの中から引出した。そして祈る想いでそれを猫に向かわせようとした瞬間、不意の乱入者の足音を聞きとがめ振り返った。
「京師さん、いるんでしょ?」
 馴染みのある足音。迷わず闇の中に身を潜めていた人物に声をかけた。
「あれ‥‥見つかっちゃった?」
 夾と大差ない、全身黒づくめの青年が一人。猫の発する圧倒的な力に支配された場に姿を現した。それはシュラインの知覚した通り京師紫、今回の事件の依頼人だった。
「見つかったも何も‥‥」
 言い募ろうとしたシュラインを、紫が右手で制す。その表情は酷く緊張したもので、紫と幾度かの面識のあるものは、彼の余裕のなさに言葉を失う。
「シュラインさん‥‥ありがとう。あの猫の為に力を使おうとしてくれたね」
 でもまだだ。
 今はまだ『使える』時じゃない。
「えっと‥‥申し訳ないんだけど。あの猫の心を落ち着けるような歌か何かをリクエストしても良いかな?」
「‥‥えぇ、分かったわ」
 紫の言わんとする事を即座に理解し、シュラインは軽く喉を整えるとその美声を惜しみなく披露した。
「そういうことなら」
 シュラインの歌い始めたのが「7つのスペイン民謡」の第5番の子守唄である事を理解した史郎が、願う気持ちを乗せて彼女の歌に笛を合わせた。
 どうか、どうか。
 怯えないで。
 気持ちを落ち着けて。

『ほら、誰も貴方を傷付けようとは思っていないわ。みんな貴方を助けたいのよ』
 まだらの猫と向かい合った白い猫――珠緒の真実の姿――は、視線を合わせないように注意深く語りかけ続けた。
 瞳を見れば、その相手を魅了する事が出来る珠緒の能力も、相手を見ては石化されてしまうとあっては、その効を発する事が出来ない。
『何があったの? 話くらいは聞いてあげるわ』
 人に害を与える存在は敵である。それは分かっているが、どうしても向かい合う相手から伝わる波動に深い悲しみが混ざっている気がして、そう問いかけずにはいられなかった。
『‥‥‥死‥』
 それまで一言も発する事がなかった猫が、小さく鳴いた。
 珠緒は意を決して最大の切り札でもある魅了眼を伏せ、まだらの猫に歩み寄った。
『誰が‥‥死んだの?』
『‥‥人』
『それは、貴方の大切な人?』
 珠緒の慈愛に満ちた問訊にまだらの猫が、ハッキリと語り始めた。
 吐露される胸の内。
『大切‥‥だった。でもいなくなってしまった。だから‥‥彼と過ごした跡を辿りたくて街に行った』
 けれど。
 けれどそこに凝る人の念はあまりにも濃くて。
 気を狂わせんばかりの醜悪な残留思念が、彼に逢おうとする邪魔をした。
 強い――強過ぎる人の狂気が、自分をも無間地獄の顎へ誘った。
『‥‥でも、それは人の一部分でしょう?』
 耳をすまして?
 貴方を慰める歌が、音が聞こえるでしょう?
 触れ合うほどに近寄った珠緒が、ゆっくりと瞳を開く。
 閉じかけた紫の第三の眼を正面から捕らえた。
『‥‥お帰りなさい。貴方は愛されているのだから』

「今っ!」
 紫がシュラインに向かって叫ぶ。
 了と小さく頷くと、シュラインは今度こそ七色に輝くガラス玉をまだらの猫に向かって投げ付けた。
 その玉は猫に触れた途端、白色光の奔流を発し周囲を真昼のごとき明るさに染め上げた。誰もが我が目を疑いながら、輝きの中心を凝視する。
「何だよ‥‥あれ‥‥」
 光渦の中で展開される景光にクリストファーが息を飲む。
 まだらの猫から黒い影が引き剥がされる。まるで染みを抜かれるように、影が光の中に消えるごとに猫のまだら部分が少なくなって行く。
「‥‥だめだ。まだ、足りない」
 紫が苦しげに呻いた。集束しつつある光、しかしまだらの猫の影は完全には消え去ってはいなかった。
「っち、仕方ないね!」
 サイデルが、まだらの猫に何かを投じた。それはシュラインと同じ、けれど淡い青い輝きを発するガラス玉だった。
 煌くガラス玉は、猫達を包む光に触れると弾け飛び、蒼銀の輝きとなり収まりつつあった純白の光を守護するように瞬いた。
『さぁ、お帰り。おまえの望む所へ』

 全ての光華が夜の闇に舞い散った後。
 まだらの猫と対峙していたオレンジ色の瞳の猫の姿は既になく、夾が細心の注意で編んでいた鋼糸の網には、まるでそれに抱かれるように穢れのない真白き猫が一匹眠っていた。
 ゆっくりとその網にクリストファーが歩み寄り、折りたたみ式の猫用のケージにその猫を移しかえる。
 そして静かに紫の前に差し出した。
「ご覧の通り、猫は無傷だよ」
「‥‥ありがとう」
 破顔した紫の瞳にうっすらと浮かぶ水滴は全員が見なかった事にすることにした。
 ――依頼、完了。

 数日後、彼等の元へ行方不明者達が無事にそれぞれの場所に帰還したと言う報が届けられた。

●存在の理由
「で、この猫は一体なんなんだ?」
 事件が一応の解決を見、それぞれがそれぞれに帰途に着こうと言う時。
 夾は今は純白の毛並みに戻った猫を籠ごと大切そうに抱きかかえる紫の背に声をかけた。
「‥‥って言うか。聞くよねぇ、やっぱり。そうだよねぇ‥‥不思議だよねぇ」
 どさくさに紛れて有耶無耶にして逃げようと思ってたのに。
 そうイタズラを見つかった子供のように舌を出して、至極真っ当な疑問を口にした夾に紫は微妙に引き攣った笑みを返した。
「当然だろう。残留思念を実体化させることが出来る挙句に、第三の目があってしかもそれで人を石化することが出来るなんて――常識の範疇を超え過ぎている」
 多少の不思議であれば偶然で片付ける事も出来たかもしれないが。それで終わらせるには、今回の猫の件は常軌を逸していた。
「‥‥仕方ないなぁ」
 ほんの少し人波が途切れる場所、今夜最初にクリストファーと話をしたのと同じ場所で紫がガードレールに体重を預け、夾においでおいでと手招きをする。
 全身黒づくめの男が二人――しかも一人はその腕に猫を抱いている――並ぶ絵は酷く不自然で、かつ滑稽でもあったが、他人に無頓着なこの街は二人の存在をあるがままに抱きとめた。
「答える前に一つ質問」
 不意に夾の眼前に紫が人差し指をズイっとつきつけた。
「‥‥なんだ?」
 その手を軽く払い落とし、夾は静かに紫を見つめ返した。ネオン光に赤い瞳がその色合いを増して輝く。
「紫月くんは、自分のその『瞳』の存在理由って知ってる? どうしてそんな瞳なのか意味を知ってる?」
 『邪眼』
 見る者に麻痺や幻覚、場合によっては死を与える恐るべき能力を秘めたその瞳。その存在その物を問われた事より、能力を行使する場所を目撃されたわけではないのに、その『事実』を指摘された事に夾の赤い双眸が見開かれる。
 しかし、その驚愕もほんの束の間の事。一瞬で平素を取り戻した夾はやや眼光を強めた瞳で紫の事を見返した。
「‥‥どういうことだ?」
「どういうことだも、こういうことだも――そのまんま。僕が知ってるのはこの猫が『戒』という名で、僕の飼ってる猫と兄弟で、元は知り合いの人が飼ってたんだけど、その人が死んじゃって僕が引き取ることになったってコト」
 それに付随する特殊な能力も、知ってはいたけれど『ある物は在る』ってそれだけ。
「‥‥不思議に思う事がないわけじゃない。疑問を抱かない事がないわけじゃない。でもそれを言い出したら、自分自身が今ここに存在することにさえ理と答を求めたくなるからね――君は‥‥違う?」
 問うて問われて。
 紫の言葉の心の中で反芻し、その意味を噛み締める。
「‥‥要は京師、あんたも分からないって事か?」
 辿り着いた結論。つきつけたら、紫が柳眉を寄せた。
「あイターー。容赦ないねぇ」
 こりゃもうお手上げだぁ〜と、器用に左手で籠を抱えたまま自由になった右手でバシバシと夾の背を紫が叩く。
「そんな容赦ない紫月くんにはコレをあげよう」
 ホイっと投げられて、条件反射で受けとめる。
「伝えたい音を伝えたい人に伝えたい時に伝えてくれる鈴。まぁ、その秘めたる力が発揮されるのは僕がいる時だけどね。‥‥存在の理由は問わないで? 企業秘密だからさ」
 夾の掌に転がり込んだのは、小指の爪大のガラス製の鈴だった。つまみの部分を持って軽く振ると、チリンと猫に付ける鈴のような音がした。
「それじゃ、僕は帰るから。理由、それでも聞きたかったら‥‥またいつか」
「あぁ、それじゃ」
 取り敢えず、今は良い。
 鈴の奏でる音を聞くうちになぜだかそう思えて、夾は深夜の雑踏に消える紫の背を無言で見送った。
 そう、今は。
 今はこれで良い。
 良くないと思えば、それはその時。すべての答えを用意して問えば良いのだから。
「さて、と。俺も帰るかな」
 どれだけの時間をそうやって過ごしていたのか。
 ふと、耳をすますと雑踏に涼やかな笛の音。
 心の奥に染み入ってくるそれに心を預け、瞳を閉じる。
「‥‥また今日も慌しい一日になるかもしれないな」
 学生としての本分と、生業にしている暗殺業と。
 脳裏を駆け巡るさまざまなことに、仮の蓋をして。夾は力強い足取りで人波の中へと分け入った。
 『日常』という存在理由が酷く曖昧な日々に帰るために。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【 0202 / 里見・史郎(さとみ・しろう) / 男 / 21 / 大学生 】
【 0053 / 紫月・夾(しづき・きょう) / 男 / 24 / 大学生 】
【 0086 / シュライン・エマ(しゅらいん・えま) / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト 】
【 0024 / サイデル・ウェルヴァ(さいでる・うぇるう゛ぁ) / 女 / 24 / 女優 】
【 0047 / クリストファー・グリフィス(くりすとふぁー・ぐりふぃす) / 男 / 19 / 大学生 】
【 0234 / 白雪・珠緒(しらゆき・たまお) / 女 / 523 / フリーアルバイター。時々野良(化け)猫 】


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■         ライター通信          ■
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 初めまして。今回は京師紫からの依頼を受けて頂きありがとうございました。
 今回は「軽く(?)戦闘メインの話にでもしてみようかなぁ〜」なんて思っていたのですが、皆さまのおかげで思いもよらない深い所まで話が書けてしまいました。

 紫月さん、今回はご参加本当にありがとうございました。紫月さんと里見さんがいて下さったので速やかに猫の所までたどり着く事が出来ました。紫に成り代わり御礼申し上げます。
 本当は戦闘シーンとか、もっと気合を入れてしっかり書きたかったのですが、力が及ばず終いとなってしまい、申し訳ありませんでした。

 さて、作中に出て参りましたナゾのアイテムですが、紫も申しております通り、紫の登場する依頼でのみ有効となっております。機会がありましたらご活用頂けますと幸いです。

 ご意見・ご指摘・ご感想などございましたら、クリエーターズルームもしくはテラコンよりガガンと送ってやって下さいませ。今後の参考、糧にさせて頂きたいと思います。不思議アイテムのネタも大募集中です(笑)。
 ではでは、この度はご参加頂きましてありがとうございました。もしお気に召して頂けましたのならば、また別の依頼でご一緒出来る事を祈っております。巷ではタチの悪いインフルエンザが流行しているとの事。くれぐれも体調など崩されませんようお気を付け下さい。