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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:3つ眼の猫

●怪異(オープニング)
『ここ歌舞伎町では、連夜にわたり「怪物を見た」という目撃情報が後をたちません。また同界隈で行方不明者が続出していることが、更に人々の不安をかきたてているようです』
 ブラウン管の向こうで、女性レポーターが事のあらましを捲くし立てている。
 ここ数日、毎日にのようにワイドショーを賑わせている話題は、その熱を加速度的に上げていた。
「‥‥カイブツですって」
「なきにしもあらずだろ」
 何せ現代の魔界、新宿だからな。
 ここ草間興信所でも草間が留守なのをよい事に、TVから垂れ流される話題に花が咲いていた。
 と、そこへ来客を告げるベルが鳴る。
「京師さん」
 草間興信所へ金にならない依頼ばかりを仲介で持ってくる京師紫の姿を見止た所員が、会話をしていた同僚にTVを消すよう目で促す。
「あ、良いよ。そのままで。‥‥その話だから」
 TVの見える位置に立ったまま、紫はニコリと小さく笑んだ。
「報道ラインには乗ってないけど、その事件には追加情報があってね。行方不明者の数だけ、精巧な等身大の石像が発見されてるんだ――この意味、分かるよね?」
 紫の瞳に宿った剣呑な光に、己が想像が正解である事を知らされ、居合わせた所員達が息を飲む。
「今回はその件を調査しろ、と?」
 最初に沈黙を破った所員に、紫は静かに首を振った。
「いや、今回の事件は犯人は分かっているんだ‥‥信じるか信じないかは別としてね」
 犯人は『猫』。色は白だけど、現在何色になっているかは不明。そして当然ただの猫じゃない。人の残留思念を実体化出来る能力を保持し、これが『怪物』の正体。更にこの猫には3つ目の眼があって、それが開いている時に視線を合わせた者は石化してしまう。しかも出没時間は深夜。
「この猫を生きたまま捕らえて欲しい。依頼料は一人頭、前金で50万。成功したら更に100万。猫の状態によって成功報酬は減額する」
 要は、猫を無傷で捕らえろと言っているのだ、己が危険を承知の上で。
「頼まれて‥‥くれないかな?」
 そう言う紫の瞳には、悲しげな色が浮かんでいた。

●混沌の都市
 夕闇が世界にその気配を漂わせてくる。
 ふと時計に目をやると、まだ十八時前。夜の街に繰り出すにはやや早過ぎる時間だが、言出しっぺとしては声をかけた仲間達に待ちぼうけを食らわせる訳にはいかず少々早めの時間から待ち合わせの場所に立っていた。
「姐さ〜ん!」
 一人、また一人。人込みを掻き分けサイデルの元に集まってくる。連日顔を合わせているものから、今日初めてひっかけた者まで。
 その顔は期待に満ちていた。それはそうだろう。サイデルの奢りでタダ酒が飲めるとあれば、時間に余裕のある連中ならば食い付かない筈はない。
 京師紫が草間興信所に依頼を持ち込んだその日から、サイデルは興信所の仲間や俳優仲間を誘って歌舞伎町に繰り出していた。代金は全てサイデル持ち、いつにない羽振りの良さに最初は訝しみの視線を投げていた面々も、今は我先にと着いてくる。
「姐さん、今日はどの店行きます?」
「おい、んな大通りで人の事『姐さん』なんて呼ぶんじゃないよ」
 場所が場所だけに、本物の「姐さん」に間違われては厄介な事この上ない。付き合いの良い駆けだし俳優の頭を問答無用で小突き倒し、サイデルは眠らない街に目を向けた。
「そうだね、昨日行った店にまた行ってみるとするかい」
 ラッキー、あそこのお姉ちゃんは可愛いコが多かったんだ。
 喜びの声を上げる連れに拳を上げかけて、収める。まぁ、連中の目的はそれで良いのか――と。
 サイデルの行幸の目的は飲む事でも戯れる事でもなかった。
 目指すはただ一つ。
 情報を収集すること。
 訪れた店の店員や、酔っ払い口の軽くなった連中、いつの間にやら馴染みになった者など。取り敢えず繰り返す問。
「そーいや一週間前ぐらいにこの辺で死んじまった奴しらない? 何か動物、そう猫かなんか可愛がってた奴‥‥知り合いが弔ってやりたいが、行きずりで名前とか知らないらしくてさ」
 しかし、場所は新宿。混沌の都市。
 入り乱れる雑多な情報から、真実に程近い物を分別するのは至難の技であった。唯一、勘をかすめたのは数日前に老齢男性の浮浪者が一人、近くの公園で死んでいるのが発見されたと言う話。
 死因は衰弱死。司法解剖の結果、長期にわたり彼が食事をとっていなかったことが判明したとかどうとか。また身元を証明する物もなく、彼自身が新参者であったらしく知り合いと言える人間もいなかったようで。今は親族が名乗り出るのを待つだけの状態になっているらしい。
「その爺さんが白い猫を抱えている所を見た事がある‥‥と」
 臭うね。これは当たりかもしれない。
 本日の情報収集の結果、老人と猫を繋ぐ接点を見出したサイデルは、酔っ払って足取りのおぼつかない友人達のケツを叩きながら終電間際の駅に向かっていた。
 これはもう少し突き詰めて行けば他の仲間達より先にビンゴするかもしれない。
 そう目論んでいたサイデルは、一つだけ失念していた。
「か‥‥怪物だぁっ!!」
 連れの一人が空を指し、悲鳴を上げる。ふるふると震える指の先を視線で辿れば、中空に身を置く異形の影。
「っち! こっちが出ること忘れてたよ」
 ワイドショーで取りざたされていた怪物騒ぎ。情報収集に専念するあまりその存在を忘却し、対策を怠ったのは明らかに自分のミスだ。
 耳をすまさずとも、怪物話は毎日のように耳を通過していたのに。
「げ‥‥こっちにも‥‥」
 先に姿を現した異形とは対角線上に、いままさに形作ろうとする新たな異形。
 ごった返していた人込みは、既に蜘蛛の子を散らすかのように引き始めている。
「おい! おまえ達、あたし等も走るよ!」
 平素であれば転がるビンの一つでも拾って相手に向かって行ったかもしれない。けれど酔っ払い集団を連れているともなればそうはいかない。
「あ、姐さん待ってくれよぉっ」
 たどたどしい足取りの仲間達を叱咤して走り出す。
 その瞬間、視界をかすめた一つの小さな影――白と黒のまだら模様の猫。額に紫の斑のあるそれ。
「みぎゃあっ!!」
 誘われるように紫の斑に瞳を奪われかけた一瞬、間隙を縫って出現した真っ白な毛並みの猫の甲高い鳴き声にサイデルは我を取り戻した。
「ホラ! 行くよ!!」
 白い猫に追われるように闇に姿を消すまだらの猫。二匹の後を追いたい衝動を必死に堪え、サイデルは駅までの道程を一気に走りぬけた。
 一人、仲間が減っている事に気付かぬまま。

●女の戦い
 場所は新宿、駅前の某有名スタジオ近く。
 仕事帰りのサラリーマンと、本分を全うしているのか甚だ怪しい学生達と、そして肩書きのない者達とが無造作に入り乱れる時間帯。
 流れる人の波は絶えることなくことなく続き、明日と言う現実まで繋がっている。
 そんな中繰り広げられる長身の美女二人の諍論に、何事だろうかと通行人達が興味深げに振り返る。そのうちの幾人かは、恐ろしいまでの気迫を含んだ彼女たちの視線に一蹴され這う這うの体で逃げ出す結果となるのだが。

「あんた、バカなんじゃないの」
 シュライン=エマの辛辣な言葉に、サイデル=ウェルヴァはぐうの音も出せずに剣呑な輝きを宿す眼光を返した。
「だいたい、先行調査って何よ? しかも単独行動? おまけに勝手に貰った前金使い込んで?」
 一片の容赦もない指摘がシュラインの口から迸る。切れ長の目が細められ、そこはかとない迫力が醸し出される。
 だがサイデルも黙ってやりこまれるような玉ではなかった。ダテに悪役請け負い――当然、本人がそれだけを希望している訳ではないのだが――女優業を本職としているのではない。豊かに発育した胸を誇張するように、シュラインを威嚇する。
「っは! 前金なんて調査の為に使うようなもんだろ? それをあたしがあたしの取り分使って何が悪いんだい?」
 首を斜め後に逸らして相手を半眼で見遣る。
「それに先行調査だって必要なもんだろ? みんなでお手々繋いで仲良く調査しましょ、なんて効率が悪いったりゃありゃしないね」
 これでどうだい、と言い捨てフンっと鼻を鳴らす。
 しかし、それに対するシュラインの反撃は凄まじかった。
「‥‥あんた、今回の依頼を自分一人で請け負ったとでも思ってるの? 違うでしょ? 私達は≪草間興信所≫として今回の依頼を受けた筈。なら前金だろうが成功報酬だろうが私達が個人で勝手にして良い訳がないじゃない。それに先行調査をするなとは言ってないわ。単独行動による先行調査を指摘したのよ。一組織として事に当たるのなら、事前に報告の一つもあって然りよね。お金使い込んで『これだけ使っちゃいました、ので下さい♪』なんてのが容易にまかり通るのは文房具費用くらいよ」
「‥‥‥‥」
 シュラインの正論に、サイデルが反論の余地を失う。けれど大人しく自分の非を認める訳にはいかない赤い瞳に更なる力が篭る。
「そんなんだから、周囲を巻き込んで被害者まで出すのよ」
 袈裟懸けに一刀。
 まだ生々しい血を流す傷を抉られて、さすがのサイデルも白旗を上げるしかなかった。そう、自分の無計画な先行調査の結果が招いた現実。俳優仲間の一人が姿を消し、翌日に「らしき」石像が見つかったと聞いた瞬間には全身の血が凍り付く思いがした。
「‥‥にしても、みんな遅いわね」
 俯き無言になってしまったサイデルに、流石に言いすぎたかとシュラインが話題を変える。
 待ち合わせの時間からは十五分ほど過ぎている。
 だいたい他のメンバーが遅れて自分達だけにされたから、こんな口論を街中で繰り広げる羽目になったのだ。
 心中で毒づいて、わだかまった全てを捨て去るように短く息を吐き出す。
 しかし、彼女達は気付いていなかった。
 やや離れた所に今回の同行者達が揃っていて、なおかつ自分達の存在に定刻から気付いていた事に。
 そして、二人の凄まじいまでの剣幕に声をかけるべきタイミングを逸していた――という事実に。

●偵探→戦端
「それじゃ、これを皆さんにお渡ししておきますね」
 ようやく全員集合したところで、史郎からそれぞれに二枚の符が手渡された。
「一枚は効果の程は分かりませんが石化を防止するためのものです。もう一枚は先ほど俺がここ一帯に張った結界に皆さんを認識させるためのものです。くれぐれもなくさないように気をつけて」
 退魔を生業とする里見の家に伝わる秘術の一つらしい隔絶の結界。符を持つ者が結果内で如何な行動を行動を取ろうとも他者に干渉されることは一切なくなるのだと言う。
「ふーん。便利なものもあるもんだね」
 クリストファーがミミズが這った後のような文字の書かれた紙切れをマジマジと眺めながら呟いた。彼に陰陽五行説の知識が備わっていたならば、与えられた符がそれに則った物だと分かったことであろう。
「ところで、何か分かった事はあるか?」
 互いの持ちよった情報交換を軽く済ませ、夾が全員の様子を伺う。
 結果内を冷たい冬の風が駆け抜けた。留まる事を知らない人流は、不思議と自然に六人を避けていた。これが結界の効果なのだろう。
「それならサイデルが多少使えそうなのを持ってるわ」
 痛い思いをしながら掴んだ情報だからね。少しなりと調査の役に立ってもらわなきゃ割に合わない。そうシュラインに背を押され、先ほどから沈黙を通して来たサイデルがやや引いた場所から自分の聞き付けた情報を語り出す。
「数日前逝っちまった浮浪者の爺さんが、白い猫を可愛がってたって話さ。なんの偶然かその爺さんが死んじまった時期とここら一帯で怪物騒ぎが起きるようになった時期とがピタリと一致してやがる」
 なんでもその爺さん自体がこの辺では新参者で、これ以上の詳しい話は分からないけどね。
 自嘲めいて付け加えられた言葉を、シュラインがフォローするように繋ぐ。
「まぁ色々あったみたいだけど。サイデルは件の猫を目撃してるみたいでね。なんでも額に紫の斑を持つ白黒まだらの猫に出くわしたらしいわ」
 シュラインの説明に、興信所を訪れた京師の言葉を全員が一斉に思い出す。
「そう言えば‥‥彼は今回助けなくてはならない猫が『現在何色になっているかは不明』とか言ってたな」
 クリストファーがクシャリと髪をかきあげ、そういうことかと呟く。
「それにね、まだあるの。その猫を追いかけて走っていった『白猫』もサイデルは見てる」
 はぁ?
 初耳の情報に、男性陣が驚愕の声を漏らす。
「今回のターゲットは二匹いる――そういうことかな?」
 予想外のことに史郎が鉤型に曲げた指を口元に運び思案に耽る。夾も同様の溜息を吐き出した。
「あ、その白い猫のことは気にしなくても良いと思うわ」
 深刻になりかけた空気を、ボア付きのコートにフワフワとした手触りの良さそうな毛皮で作られた真っ白なワンピースに身を包んだ珠緒の声が遮った。
 彼女が動く度に、ブレスレッドに付けられた金の鈴がチリリンと楽しげに歌う。
「あたしもさ、この辺で昼間情報収拾やってたんだけど。その時に多分サイデルさんが見たって言う白猫は何度か目にしたもの」
 この界隈のボス猫か何かじゃないかしらね?
 コロコロと珠緒が笑う。オレンジ色の瞳が揺れるのを見ていると、他のメンバーは何故だか彼女の言うことに納得していた。
「まぁ、用心するにこしたことはないってことだね」
 史郎の言葉に一同が頷く。
「それじゃ、さっきの手筈通り二チームに分かれて猫探しを開始するとするか。何かあったらすぐに携帯で連絡をするのを忘れないように」
 では散開、と夾がまとめようとした瞬間、サイデルが待ったをかけた。
「悪い、色々ごたごたしててあたしの携帯使い物にならないかもしれない」
 電池の残りがあと少しなんだ、そう言いかけたサイデルの手からクリストファーが携帯をスッと抜き取る。
「え? まだまだ大丈夫みたいだよ」
 電池部分のカバーを開閉を一回。サイデルの手に戻された携帯は充電が満タンの状態に戻っていた。
「あれ?」
 おかしいね? 続けようとした言葉はクリストファーの『良かったらみんなのも見せて』という言葉に掻き消された。

「間違いないわ、こっちよ」
 まるで陽の光の下を歩くように、珠緒がすいすいと障害物を避け複雑に入り組んだ路地裏を踊るように進んで行く。その後に史郎とサイデルが続いた。
 二チームに別れて、今までに石像が見つかった近辺や先日サイデルが襲われた近辺などの調査を開始すること一時間弱。
 近辺に詳しいという珠緒の案内に導かれながら目的の姿を探す三人の姿は歌舞伎町の中心からやや離れたところにあった。
「まったく、貴女は猫みたいな人だね」
「そーおぉ? よく言われるにゃ」
 クスクスと笑う史郎の言葉に、婉然とした笑みを珠緒が返しながらギクリと背を震わせた。驚いたあまりに語尾が猫語になってしまった事にすら気付かなかったほど。
「それにしても、本当に歩き難い場所だね」
 穏やかな空気の二人に水を差すようにサイデルが言い捨て、足元に転がっていた空き缶を靴先で蹴飛ばした。
 カランカランと渇いた音を立て、それは深淵の闇の中に吸い込まれていく。
「それにしてもおかしなもんだよ」
 大通りから外れているとは言え、人の気配が皆無な筈はない。けれどその中の誰一人としてこの奇妙な三人連れに興味を示すものはいなかった。
「ここは元々他人に無頓着な街だからね」
 こういう場所ばかりであれば世も末なのだろうが、仕事中はありがたいことだと柔らかく返す史郎に、そうじゃなくってアンタの結界とやらのことを言ってるんだよ、と突き放すようにサイデルが言う。
 一応、誉め言葉と取っておこうかな。
 首をやや傾げながら史郎が笑みを深くする。
 その様を見、サイデルはッチと舌を鳴らした。
 全く、常識でまかり通らない事が多過ぎる。いったい世界はいつのまにこんな風になっちまったんだろう。
 行き所のない怒りを、近くの電信柱にヤツ当たる。
「静かに!」
 突然、珠緒が足を止め一点を見据えた。
「‥‥見付けたわ」
 息を殺した視線の先、静かに佇むまだら模様の猫の姿。獲物を捕らえる姿勢で珠緒が身を低く屈め、史郎が笛を唇に当てる。
 その瞬間、けたたましい携帯の着信音が鳴り響いた。
「なんだよ! こんな時に!!」
 ポケットに押し込んであった携帯を取り出すとサイデルが回線をつなぐ。
「あぁっ? こっちも今見付けたトコだよっ」
「やばい、気付かれたわ。あたし先に行くから追いかけてきてね」
 止める間もなく、珠緒が華麗に駆け出す。
 遅れを取るまいと、即座に駆け出そうとした史郎の眼前に不意にユラリと影が出現した。
「コイツだ!」
 通話を切ったサイデルが忽然と出現した異形の影を指差し怒号を上げる。
 ダラリと垂れた二本の腕、虚空を写し取ったような澱んだ瞳。奇形の翼を背から生やした異形は、元のナリが人間である事を知らしめるに充分だった。
「コイツがあたし達を襲ったんだ」
 即座に事の起こりを理解した史郎が、その場に直立した姿勢で笛を奏で始めた。凛とした響きが絡み付く糸となり、異形の動きを封じる。
「くそうっ! てめぇらが現れるから!!」
 サイデルが近くに落ちていた空き瓶で影に渾身の力で殴りかかる。史郎の力で抵抗の余地がなかった異形は、その一撃にボロリと崩れ落ちた。
 しかし新たな影がゆるゆると二人の眼前で再び実体化しようとしている。駆け出した珠緒の背は既に見えない。
「邪魔するんじゃないよっ」
 二度目の攻撃にかかろうとしたサイデルを、史郎の優しい、しかし有無を言わさぬ声が留めた。
「ダメですよ。そんなに怒りを露にしたら。貴女の今溢した想いが新たな影を生む」
 醜悪な、残忍な残留思念ほどより凶悪に。
 人の心に巣食う鬼の姿を前に、史郎はゆったりとサイデルを諭す。それにハっとしたようにサイデルが立ち止まる。
「大事なのは心の持ち方です。それに俺は攻撃はあまり得意じゃないんでサイデルさんが片付けてくれちゃうと物凄く助かります」
 凄絶な微笑。そして強い力をこめた笛の音が夜の新宿に響き渡った。既に姿を得た異形と、いままさに実体化しようとする影と。それらの全てが清廉な音に自由を奪われ、崩れ去る瞬間を待つだけの人形と成り果てた。

●三つ眼の猫、そして。
 そこは三方をビルで囲まれた空間だった。
 逃げる隙間のない空気が澱んで凝る。その濃密過ぎる気配に感覚能力の発達した史郎は軽い眩暈を憶えた。
「大丈夫か?」
 合流した夾に脇を支えられ、体勢を整える。
「っチっ!」
 バリっと空を裂く音が弾け、クリストファーの持っていた石化防止の符が火塵に舞った。彼の手にしていたデジタルカメラからも鼻につく何かが焦げる臭いが漂っている。
「‥‥やっぱダメか」
 視線を合わせないように気をつけて、うず高く積み上げられた木箱の上で対峙する二匹の猫の様子を伺った。
「何したのよ?」
「猫の第三の眼の力。電子の眼を通せば無効になるかなって思ったんだけど――甘かったみたいだ」
 使い物にならなくなったデジタルカメラを見ながら問うたシュラインに、クリストファーが口惜しそうに答える。
「あの時の猫達だ」
 サイデルがまだらの猫と、それと真っ向から対峙する白い猫を指差す。その瞬間、サイデルの符が燃え落ちる。
「無闇に姿を追うな!」
 夾の叱咤に、慌てて全員が視線を外す。
「どっちが目的の猫かしら?」
「間違いなくまだらの方だね。額に紫色した眼があったのを見たよ」
 声を潜ませ、誰に聞くでなくシュラインが呟きにサイデルが答えた。
 そうだ、まだらの猫で間違いない。あの時も額に紫の斑を見た気がした。
「だが‥‥怪物は出ないな」
「多分、もう一匹の猫のせいじゃないかな。はっきりとしたことは言えないけど、そういう気配がする」
 殺気立つまだらの猫を押し留めようとする白い猫の気配。時々あがる白い猫の声が、まるで我をなくした者を宥めすかす響きを帯びて聞こえる。
「ところで、白雪さんは?」
 周囲を見渡し、先に駆け込んだ筈の彼女の姿がないことに史郎が疑問の声を上げた。が、誰もここに到着してから珠緒の姿を見た者はいなかった。
「おおかた一本道間違えて迷ってんだろ! それに今はそれどころじゃないよ」
 シュラインの手にしていた符が発破音とともに灰燼と化す。
「だから見るなと言っているだろう!」
 強く瞳を伏せた夾が僅かに語気を強める。
「ごめんなさい。でも試したい事があって」
 シュラインがコートのポケットに手を忍ばせる。指先に触れる冷たい温度。
「誰かあの猫の逃げ場をなくすことは出来る?」
 その人の見たいものを見せてくれると言う不思議なガラス玉。お守り代わりにずっと持ち歩いていたが、ひょっとするとコレであの猫を救う事が出来るかもしれない。
 が、使おうとして逃げられては意味がない。猫達のいる場所まで投げなくてはならないのだから、それだけで交されてしまう可能性が高い。ならば、少しでも猫達の行動範囲を狭めなくては。
「――策があるのか?」
「えぇ。ちょっと信じられないことかも知れないけれど」
 夾の問いにシュラインが力強い頷きを返す。ならば、と夾が真っ直ぐ猫達に向き合った。
「おい! あんた!」
 クリストファーが注意の声を上げた。しかし彼の不安に反し夾が石化することはなかった。
「鋼糸を使って猫達を覆う網を作る。準備が出来たら合図する」
 舞うように夾の腕が宙を薙ぐ。鍛えられた彼の腕ならば、視界を閉じ気配のみで鋼糸を操る事など造作もないことであった。
 重い沈黙が立ち込める。誰の手にもジンワリと汗が滲んだ。
 永遠にも似た時間、息を飲んで見守る四人の前で不意にピタリと夾が動きを止めた。
「準備は出来た」
 短い言葉。しかし誰もが待ち望んだもの。その合図に、シュラインは意を決しガラス玉を握った手をコートの中から引出した。そして祈る想いでそれを猫に向かわせようとした瞬間、不意の乱入者の足音を聞きとがめ振り返った。
「京師さん、いるんでしょ?」
 馴染みのある足音。迷わず闇の中に身を潜めていた人物に声をかけた。
「あれ‥‥見つかっちゃった?」
 夾と大差ない、全身黒づくめの青年が一人。猫の発する圧倒的な力に支配された場に姿を現した。それはシュラインの知覚した通り京師紫、今回の事件の依頼人だった。
「見つかったも何も‥‥」
 言い募ろうとしたシュラインを、紫が右手で制す。その表情は酷く緊張したもので、紫と幾度かの面識のあるものは、彼の余裕のなさに言葉を失う。
「シュラインさん‥‥ありがとう。あの猫の為に力を使おうとしてくれたね」
 でもまだだ。
 今はまだ『使える』時じゃない。
「えっと‥‥申し訳ないんだけど。あの猫の心を落ち着けるような歌か何かをリクエストしても良いかな?」
「‥‥えぇ、分かったわ」
 紫の言わんとする事を即座に理解し、シュラインは軽く喉を整えるとその美声を惜しみなく披露した。
「そういうことなら」
 シュラインの歌い始めたのが「7つのスペイン民謡」の第5番の子守唄である事を理解した史郎が、願う気持ちを乗せて彼女の歌に笛を合わせた。
 どうか、どうか。
 怯えないで。
 気持ちを落ち着けて。

『ほら、誰も貴方を傷付けようとは思っていないわ。みんな貴方を助けたいのよ』
 まだらの猫と向かい合った白い猫――珠緒の真実の姿――は、視線を合わせないように注意深く語りかけ続けた。
 瞳を見れば、その相手を魅了する事が出来る珠緒の能力も、相手を見ては石化されてしまうとあっては、その効を発する事が出来ない。
『何があったの? 話くらいは聞いてあげるわ』
 人に害を与える存在は敵である。それは分かっているが、どうしても向かい合う相手から伝わる波動に深い悲しみが混ざっている気がして、そう問いかけずにはいられなかった。
『‥‥‥死‥』
 それまで一言も発する事がなかった猫が、小さく鳴いた。
 珠緒は意を決して最大の切り札でもある魅了眼を伏せ、まだらの猫に歩み寄った。
『誰が‥‥死んだの?』
『‥‥人』
『それは、貴方の大切な人?』
 珠緒の慈愛に満ちた問訊にまだらの猫が、ハッキリと語り始めた。
 吐露される胸の内。
『大切‥‥だった。でもいなくなってしまった。だから‥‥彼と過ごした跡を辿りたくて街に行った』
 けれど。
 けれどそこに凝る人の念はあまりにも濃くて。
 気を狂わせんばかりの醜悪な残留思念が、彼に逢おうとする邪魔をした。
 強い――強過ぎる人の狂気が、自分をも無間地獄の顎へ誘った。
『‥‥でも、それは人の一部分でしょう?』
 耳をすまして?
 貴方を慰める歌が、音が聞こえるでしょう?
 触れ合うほどに近寄った珠緒が、ゆっくりと瞳を開く。
 閉じかけた紫の第三の眼を正面から捕らえた。
『‥‥お帰りなさい。貴方は愛されているのだから』

「今っ!」
 紫がシュラインに向かって叫ぶ。
 了と小さく頷くと、シュラインは今度こそ七色に輝くガラス玉をまだらの猫に向かって投げ付けた。
 その玉は猫に触れた途端、白色光の奔流を発し周囲を真昼のごとき明るさに染め上げた。誰もが我が目を疑いながら、輝きの中心を凝視する。
「何だよ‥‥あれ‥‥」
 光渦の中で展開される景光にクリストファーが息を飲む。
 まだらの猫から黒い影が引き剥がされる。まるで染みを抜かれるように、影が光の中に消えるごとに猫のまだら部分が少なくなって行く。
「‥‥だめだ。まだ、足りない」
 紫が苦しげに呻いた。集束しつつある光、しかしまだらの猫の影は完全には消え去ってはいなかった。
「っち、仕方ないね!」
 サイデルが、まだらの猫に何かを投じた。それはシュラインと同じ、けれど淡い青い輝きを発するガラス玉だった。
 煌くガラス玉は、猫達を包む光に触れると弾け飛び、蒼銀の輝きとなり収まりつつあった純白の光を守護するように瞬いた。
『さぁ、お帰り。おまえの望む所へ』

 全ての光華が夜の闇に舞い散った後。
 まだらの猫と対峙していたオレンジ色の瞳の猫の姿は既になく、夾が細心の注意で編んでいた鋼糸の網には、まるでそれに抱かれるように穢れのない真白き猫が一匹眠っていた。
 ゆっくりとその網にクリストファーが歩み寄り、折りたたみ式の猫用のケージにその猫を移しかえる。
 そして静かに紫の前に差し出した。
「ご覧の通り、猫は無傷だよ」
「‥‥ありがとう」
 破顔した紫の瞳にうっすらと浮かぶ水滴は全員が見なかった事にすることにした。
 ――依頼、完了。

 数日後、彼等の元へ行方不明者達が無事にそれぞれの場所に帰還したと言う報が届けられた。

●仕切り直し
「まったく、歌舞伎町はしばらくゴメンだね」
 新宿南口、甲州街道沿いの居酒屋でサイデルは杯に並々と注がれた黄金色の液体を一気にあおった。
「あはは。でもここもそんなに大差ないけどねー」
 席を並べて笑う紫の笑い声に、サイデルは固く握った拳をお見舞いした。
「いったいなぁ。サイデルさんお疲れのご様子だから労い兼ねておごったげようというスポンサーを容赦無く殴らないで欲しいな」
「誰がスポンサーだい」
 先日の事件から数日。本業の終わった深夜、アポ無しで突然やってきた紫に誘われるままサイデルは飲みに来ていた。
 卒業シーズンの近いこの頃はどこも騒がしい学生で溢れかえっている物なのだが、いったいどういう計らいなのか、紫に案内された店は格式ばった雰囲気とは無縁でありながら、人のプライバシーが充分に保たれるほどの静かさを湛えていた。
「‥‥あの猫は元気かい?」
 暫しの返杯合戦の末、サイデルがポツリと紫に問うた。
「えぇ、おかげさまで。みんなが無傷で捕まえてくれたおかげですっかり元気だよ」
「そうかい。それは良かった」
 フッとサイデルの頬が緩む。その様に紫は深く笑んだ。
「‥‥優しいんですね」
 自分の友人を一度は傷つけられたのに。
 暗に含んだ紫の言葉に、サイデルは否定するでなく、そして肯定するでなくハハハと声を上げて笑った。
「まぁ、解決さえすりゃ何だって良いのさ」
 人の世なんてそんなもんだろ?
 経過はどうであれ、終わり良ければ全て良し――だ。
 そう告げると、幾度目かの一気のグラスあけを余裕でこなし、サイデルがバンバンと紫の背を叩いた。
「‥‥っていうか、ホントに痛いんだけど」
 猛攻が終わった後、紫が己が背を擦りながら恨めしさ全開の瞳をサイデルに向ける。その様が余程おかしかったのか彼女はまさに腹を抱え出した。
「‥‥ひどいなぁ、もう」
 不意に紫が立ち上がる。さすがにやり過ぎたかとサイデルが笑いを押さえ紫を見上げたが、その瞳が宿した優しい光に一瞬だけ緊張した肩の力が抜けた。
「なんだい、もうお帰りかい?」
「家で猫達が待ってるから。ここの払いは店主に話つけてあるんでサイデルさんは気が済むまで飲んで良いから」
 誘っておきながら先に帰る無礼も兼ねてね。
 紫の言葉に、「それじゃ店の酒がなくなるまで飲まなきゃね」とサイデルがわざとらしく唇を舐めた。
 まったく、夜はまだまだこれからだってのに。イイ女ひとり置いてく男がどこにいるかね。
 そう嘯いたサイデルに紫はもう一度だけ『ごめんね』と詫びると、小さな包みをサイデルに手渡した。
「例によって例の如く僕からのプレゼント。今回は貴女の伝えたい音を伝えたい時に伝えてくれるモノだよ」
 それじゃ、またね。
 バイバイと軽く手を振って、紫の姿が店内から消える。
「ふーーん。ガラスの鈴‥‥ねぇ」
 無造作に開けられた包みの中から転がり出したのは小指の爪サイズの小さなガラスの鈴。
 これまた少女趣味なものだねぇ。
 そう一人ごちながら、サイデルは黄金色に染まったグラス越しにその鈴を眺め遣る。
「ま、くれるってもんは貰っとくかね」
 頂点の部分を持って小さく振ると、チリリと猫の鈴のような音がする。
 それがどうしてだか可笑しくて。フフと小さく声を出すと、シュラインはこの日最後の杯に豪快に飲み干した。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【 0202 / 里見・史郎(さとみ・しろう) / 男 / 21 / 大学生 】
【 0053 / 紫月・夾(しづき・きょう) / 男 / 24 / 大学生 】
【 0086 / シュライン・エマ(しゅらいん・えま) / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト 】
【 0024 / サイデル・ウェルヴァ(さいでる・うぇるう゛ぁ) / 女 / 24 / 女優 】
【 0047 / クリストファー・グリフィス(くりすとふぁー・ぐりふぃす) / 男 / 19 / 大学生 】
【 0234 / 白雪・珠緒(しらゆき・たまお) / 女 / 523 / フリーアルバイター。時々野良(化け)猫 】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。またの紫からの依頼を受けて頂きありがとうございました、の観空です。
 今回は「軽く(?)戦闘メインの話にでもしてみようかなぁ〜」なんて思っていたのですが、皆さまのおかげで思いもよらない深い所まで話が書けてしまいました。

 サイデルさん‥‥今回は微妙に悪役で申し訳ありません。プレイングを拝見した時に「これだっ」と思ったのですが、もしご気分を害されましたら‥‥すいませんです。でも「女の戦い」は楽しく書かせて頂いてしまいましたことをここに暴露しておきます。

 ご意見・ご指摘・ご感想などございましたら、クリエーターズルームもしくはテラコンよりガガンと送ってやって下さいませ。今後の参考、糧にさせて頂きたいと思います。不思議アイテムのネタも大募集中です(笑)。
 ではでは、この度はご参加頂きましてありがとうございました。もしお気に召して頂けましたのならば、また別の依頼でご一緒出来る事を祈っております。巷ではタチの悪いインフルエンザが流行しているとの事。くれぐれも体調など崩されませんようお気を付け下さい。