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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:3つ眼の猫

●怪異(オープニング)
『ここ歌舞伎町では、連夜にわたり「怪物を見た」という目撃情報が後をたちません。また同界隈で行方不明者が続出していることが、更に人々の不安をかきたてているようです』
 ブラウン管の向こうで、女性レポーターが事のあらましを捲くし立てている。
 ここ数日、毎日にのようにワイドショーを賑わせている話題は、その熱を加速度的に上げていた。
「‥‥カイブツですって」
「なきにしもあらずだろ」
 何せ現代の魔界、新宿だからな。
 ここ草間興信所でも草間が留守なのをよい事に、TVから垂れ流される話題に花が咲いていた。
 と、そこへ来客を告げるベルが鳴る。
「京師さん」
 草間興信所へ金にならない依頼ばかりを仲介で持ってくる京師紫の姿を見止た所員が、会話をしていた同僚にTVを消すよう目で促す。
「あ、良いよ。そのままで。‥‥その話だから」
 TVの見える位置に立ったまま、紫はニコリと小さく笑んだ。
「報道ラインには乗ってないけど、その事件には追加情報があってね。行方不明者の数だけ、精巧な等身大の石像が発見されてるんだ――この意味、分かるよね?」
 紫の瞳に宿った剣呑な光に、己が想像が正解である事を知らされ、居合わせた所員達が息を飲む。
「今回はその件を調査しろ、と?」
 最初に沈黙を破った所員に、紫は静かに首を振った。
「いや、今回の事件は犯人は分かっているんだ‥‥信じるか信じないかは別としてね」
 犯人は『猫』。色は白だけど、現在何色になっているかは不明。そして当然ただの猫じゃない。人の残留思念を実体化出来る能力を保持し、これが『怪物』の正体。更にこの猫には3つ目の眼があって、それが開いている時に視線を合わせた者は石化してしまう。しかも出没時間は深夜。
「この猫を生きたまま捕らえて欲しい。依頼料は一人頭、前金で50万。成功したら更に100万。猫の状態によって成功報酬は減額する」
 要は、猫を無傷で捕らえろと言っているのだ、己が危険を承知の上で。
「頼まれて‥‥くれないかな?」
 そう言う紫の瞳には、悲しげな色が浮かんでいた。

●ネコ集会
 猫が人の間を縫うように歩いていた。
 白い毛並みにオレンジの瞳。人波は夜と比べれば格段に少ないものの、それでも途絶える事のない流れを嘲笑うように軽やかに。
 彼女の名は『白雪珠緒』。
 名が立派に体を現した美しい猫であった。
「さて‥‥と、みんなはそろそろ集まってる頃かしらねぇ?」
 この界隈を仕切るボス猫に声をかけたのが昨日。フフリと笑って尾を軽く振れば、二つ返事で周囲に住まう猫を集める約束をしてくれた。
 否、彼女の存在の底知れなさに頷く他なかったのかもしれないが。けれど経緯はどうでも良いのだ。結果さえ問題なければ。
 狭い路地に建ち並ぶ雑居ビルの谷間を、さらに奥に進み行く。
 齢五百歳を越え、妖の仲間入りを既に果たしている彼女にとってこれから向かう先に待つ猫たちはほんの若輩猫の集まりでしかない。
 けれど、情報はそこに住まうモノ達に聞くのが一番早く的確であることを、彼女は侮ることなく知っていた。
「‥‥同じ化け猫としてはなんとか助けてあげたい気もするんだけれどねぇ」
 人型に化けてアルバイトとして潜り込んだ草間興信所で聞いた不可思議な猫の話。明かに同族の匂いがするが――人に徒を成すのであれば容赦はしない。
 武神一族に諭され魔狩り猫になり幾年月。彼女の固い意志は揺らぐ事はなかった。

「そりゃまぁ、新参者の白い猫って言ったらあたしよねぇ」
 すっかり陽は落ち、周囲は夜の帳に包まれている。
 眠らない街≪新宿≫。
 人の気の凝るこの界隈での怪異は既に日常茶飯事にも等しい。
 猥雑に入り組んだ路地。特に劇場が密集する近辺は一筋間違えただけで、その入り口を見失ってしまうほどに巨大迷路の様相を呈する。
 建ち並ぶ雑居ビル。時代の波を映し取ったその鏡は、日々その居住まいを異にし再来の者すらをも瞞著する。
 昼間と打って変わり活気付いた街並みをゆるゆると歩きながら、珠緒は本日のネコ集会で得られた情報を反芻していた。
 見なれぬ白猫の情報を聞き出していて、ぶつけられた疑惑の視線。
 ふと思いなおして自分の毛並みを繕えば、己も条件に合致する事に気付いた。別段後ろ暗い所は皆無なので慌てる必要はなかったが、これでは面倒くさいと探し猫の条件枠を広げてみた。
 『新参者でこの集会に参加していない猫はいないか?』
 と。
「あぁ、そういえばいるねそんなのが」
 最初に口火を切ったのは五歳にもならない青二才だったか。祖父の代からここに住み着いている一家とやらで、この近辺で知らぬことはないと長さの揃わない髭を自慢気にヒクヒク踊らせていた。
「白と黒のまだらのヤツなんだけどねぇ。俺の気のせいじゃなけりゃ、ちょっと前までは今にもコロっと逝きそうな人間のジジィに連れられてた、あんたみたいな白いヤツだと思うんだけどサ。
 これが結構男前で連れてたオンナがぎゃーぎゃー五月蝿くて憶えてるのさ。 毛並みが変わっちまってる理由はわかんないけどさ。ありゃ間違いないね」
「やっぱソイツで当たりかしら」
 珠緒の長い年月をかけて蓄積された知識の中でも、急に毛並みが変わるという自然現象はなかった。
 ならば、それを訝しむのが当然だろう。
 生憎と人間の老人が姿を消してから、その猫も姿をくらましてしまったとかで話を付けに行くには至らなかったが、怪異をおいかけていればそう遠くない未来に遭遇する事が出来るだろう。
「それじゃ、今日はそろそろ戻るとしましょう」
 人の足に踏まれないように気を付けながら、うーんと背を伸ばす。時間に束縛される生活を送っているわけではないからあまり気にしないが、今は恐らく人間に言わせれば≪終電間際≫とかいう頃合だろう。
 駅に向かう人の足が慌しい。
 前足で軽く顔を一擦り。自分に目をつけたらしい人間が『かわいーっ』と奇声を上げたが無視してぺろりと首筋の毛繕いをする。
 その瞬間、背筋を走った悪寒に珠緒は素早く身を翻した。
 雑踏の向こう、人間達の叫び。
 巨大な林のように邪魔くさい人間の足を掻き分け疾走する。
「待て!」
 甲高く叫ぶ。
 白と黒のまだら猫。自分が叫んだ瞬間に逃げるように駆け出したのでよくは分からなかったが、額に紫の斑――第三の眼――があったような気がした。
 しかし、それよりもなによりも。
 その猫が発していた陰気のすさまじさに身の毛がよだつ。
「‥‥見失っちゃったわねぇ」
 息を切らすことなく走り続けて数分。深い闇の底に姿を見失ったまだら猫の残り気を僅かに感覚の端に捉えながら、珠緒は今日の追走を断念した。
 まだ時間はある。
 それに使える人手が集まるのを待つのも悪くはない。

●偵探→戦端
「それじゃ、これを皆さんにお渡ししておきますね」
 ようやく全員集合したところで、史郎からそれぞれに二枚の符が手渡された。
「一枚は効果の程は分かりませんが石化を防止するためのものです。もう一枚は先ほど俺がここ一帯に張った結界に皆さんを認識させるためのものです。くれぐれもなくさないように気をつけて」
 退魔を生業とする里見の家に伝わる秘術の一つらしい隔絶の結界。符を持つ者が結果内で如何な行動を行動を取ろうとも他者に干渉されることは一切なくなるのだと言う。
「ふーん。便利なものもあるもんだね」
 クリストファーがミミズが這った後のような文字の書かれた紙切れをマジマジと眺めながら呟いた。彼に陰陽五行説の知識が備わっていたならば、与えられた符がそれに則った物だと分かったことであろう。
「ところで、何か分かった事はあるか?」
 互いの持ちよった情報交換を軽く済ませ、夾が全員の様子を伺う。
 結果内を冷たい冬の風が駆け抜けた。留まる事を知らない人流は、不思議と自然に六人を避けていた。これが結界の効果なのだろう。
「それならサイデルが多少使えそうなのを持ってるわ」
 痛い思いをしながら掴んだ情報だからね。少しなりと調査の役に立ってもらわなきゃ割に合わない。そうシュラインに背を押され、先ほどから沈黙を通して来たサイデルがやや引いた場所から自分の聞き付けた情報を語り出す。
「数日前逝っちまった浮浪者の爺さんが、白い猫を可愛がってたって話さ。なんの偶然かその爺さんが死んじまった時期とここら一帯で怪物騒ぎが起きるようになった時期とがピタリと一致してやがる」
 なんでもその爺さん自体がこの辺では新参者で、これ以上の詳しい話は分からないけどね。
 自嘲めいて付け加えられた言葉を、シュラインがフォローするように繋ぐ。
「まぁ色々あったみたいだけど。サイデルは件の猫を目撃してるみたいでね。なんでも額に紫の斑を持つ白黒まだらの猫に出くわしたらしいわ」
 シュラインの説明に、興信所を訪れた京師の言葉を全員が一斉に思い出す。
「そう言えば‥‥彼は今回助けなくてはならない猫が『現在何色になっているかは不明』とか言ってたな」
 クリストファーがクシャリと髪をかきあげ、そういうことかと呟く。
「それにね、まだあるの。その猫を追いかけて走っていった『白猫』もサイデルは見てる」
 はぁ?
 初耳の情報に、男性陣が驚愕の声を漏らす。
「今回のターゲットは二匹いる――そういうことかな?」
 予想外のことに史郎が鉤型に曲げた指を口元に運び思案に耽る。夾も同様の溜息を吐き出した。
「あ、その白い猫のことは気にしなくても良いと思うわ」
 深刻になりかけた空気を、ボア付きのコートにフワフワとした手触りの良さそうな毛皮で作られた真っ白なワンピースに身を包んだ珠緒の声が遮った。
 彼女が動く度に、ブレスレッドに付けられた金の鈴がチリリンと楽しげに歌う。
「あたしもさ、この辺で昼間情報収拾やってたんだけど。その時に多分サイデルさんが見たって言う白猫は何度か目にしたもの」
 この界隈のボス猫か何かじゃないかしらね?
 コロコロと珠緒が笑う。オレンジ色の瞳が揺れるのを見ていると、他のメンバーは何故だか彼女の言うことに納得していた。
「まぁ、用心するにこしたことはないってことだね」
 史郎の言葉に一同が頷く。
「それじゃ、さっきの手筈通り二チームに分かれて猫探しを開始するとするか。何かあったらすぐに携帯で連絡をするのを忘れないように」
 では散開、と夾がまとめようとした瞬間、サイデルが待ったをかけた。
「悪い、色々ごたごたしててあたしの携帯使い物にならないかもしれない」
 電池の残りがあと少しなんだ、そう言いかけたサイデルの手からクリストファーが携帯をスッと抜き取る。
「え? まだまだ大丈夫みたいだよ」
 電池部分のカバーを開閉を一回。サイデルの手に戻された携帯は充電が満タンの状態に戻っていた。
「あれ?」
 おかしいね? 続けようとした言葉はクリストファーの『良かったらみんなのも見せて』という言葉に掻き消された。

「間違いないわ、こっちよ」
 まるで陽の光の下を歩くように、珠緒がすいすいと障害物を避け複雑に入り組んだ路地裏を踊るように進んで行く。その後に史郎とサイデルが続いた。
 二チームに別れて、今までに石像が見つかった近辺や先日サイデルが襲われた近辺などの調査を開始すること一時間弱。
 近辺に詳しいという珠緒の案内に導かれながら目的の姿を探す三人の姿は歌舞伎町の中心からやや離れたところにあった。
「まったく、貴女は猫みたいな人だね」
「そーおぉ? よく言われるにゃ」
 クスクスと笑う史郎の言葉に、婉然とした笑みを珠緒が返しながらギクリと背を震わせた。驚いたあまりに語尾が猫語になってしまった事にすら気付かなかったほど。
「それにしても、本当に歩き難い場所だね」
 穏やかな空気の二人に水を差すようにサイデルが言い捨て、足元に転がっていた空き缶を靴先で蹴飛ばした。
 カランカランと渇いた音を立て、それは深淵の闇の中に吸い込まれていく。
「それにしてもおかしなもんだよ」
 大通りから外れているとは言え、人の気配が皆無な筈はない。けれどその中の誰一人としてこの奇妙な三人連れに興味を示すものはいなかった。
「ここは元々他人に無頓着な街だからね」
 こういう場所ばかりであれば世も末なのだろうが、仕事中はありがたいことだと柔らかく返す史郎に、そうじゃなくってアンタの結界とやらのことを言ってるんだよ、と突き放すようにサイデルが言う。
 一応、誉め言葉と取っておこうかな。
 首をやや傾げながら史郎が笑みを深くする。
 その様を見、サイデルはッチと舌を鳴らした。
 全く、常識でまかり通らない事が多過ぎる。いったい世界はいつのまにこんな風になっちまったんだろう。
 行き所のない怒りを、近くの電信柱にヤツ当たる。
「静かに!」
 突然、珠緒が足を止め一点を見据えた。
「‥‥見付けたわ」
 息を殺した視線の先、静かに佇むまだら模様の猫の姿。獲物を捕らえる姿勢で珠緒が身を低く屈め、史郎が笛を唇に当てる。
 その瞬間、けたたましい携帯の着信音が鳴り響いた。
「なんだよ! こんな時に!!」
 ポケットに押し込んであった携帯を取り出すとサイデルが回線をつなぐ。
「あぁっ? こっちも今見付けたトコだよっ」
「やばい、気付かれたわ。あたし先に行くから追いかけてきてね」
 止める間もなく、珠緒が華麗に駆け出す。
 遅れを取るまいと、即座に駆け出そうとした史郎の眼前に不意にユラリと影が出現した。
「コイツだ!」
 通話を切ったサイデルが忽然と出現した異形の影を指差し怒号を上げる。
 ダラリと垂れた二本の腕、虚空を写し取ったような澱んだ瞳。奇形の翼を背から生やした異形は、元のナリが人間である事を知らしめるに充分だった。
「コイツがあたし達を襲ったんだ」
 即座に事の起こりを理解した史郎が、その場に直立した姿勢で笛を奏で始めた。凛とした響きが絡み付く糸となり、異形の動きを封じる。
「くそうっ! てめぇらが現れるから!!」
 サイデルが近くに落ちていた空き瓶で影に渾身の力で殴りかかる。史郎の力で抵抗の余地がなかった異形は、その一撃にボロリと崩れ落ちた。
 しかし新たな影がゆるゆると二人の眼前で再び実体化しようとしている。駆け出した珠緒の背は既に見えない。
「邪魔するんじゃないよっ」
 二度目の攻撃にかかろうとしたサイデルを、史郎の優しい、しかし有無を言わさぬ声が留めた。
「ダメですよ。そんなに怒りを露にしたら。貴女の今溢した想いが新たな影を生む」
 醜悪な、残忍な残留思念ほどより凶悪に。
 人の心に巣食う鬼の姿を前に、史郎はゆったりとサイデルを諭す。それにハっとしたようにサイデルが立ち止まる。
「大事なのは心の持ち方です。それに俺は攻撃はあまり得意じゃないんでサイデルさんが片付けてくれちゃうと物凄く助かります」
 凄絶な微笑。そして強い力をこめた笛の音が夜の新宿に響き渡った。既に姿を得た異形と、いままさに実体化しようとする影と。それらの全てが清廉な音に自由を奪われ、崩れ去る瞬間を待つだけの人形と成り果てた。

●三つ眼の猫、そして。
 そこは三方をビルで囲まれた空間だった。
 逃げる隙間のない空気が澱んで凝る。その濃密過ぎる気配に感覚能力の発達した史郎は軽い眩暈を憶えた。
「大丈夫か?」
 合流した夾に脇を支えられ、体勢を整える。
「っチっ!」
 バリっと空を裂く音が弾け、クリストファーの持っていた石化防止の符が火塵に舞った。彼の手にしていたデジタルカメラからも鼻につく何かが焦げる臭いが漂っている。
「‥‥やっぱダメか」
 視線を合わせないように気をつけて、うず高く積み上げられた木箱の上で対峙する二匹の猫の様子を伺った。
「何したのよ?」
「猫の第三の眼の力。電子の眼を通せば無効になるかなって思ったんだけど――甘かったみたいだ」
 使い物にならなくなったデジタルカメラを見ながら問うたシュラインに、クリストファーが口惜しそうに答える。
「あの時の猫達だ」
 サイデルがまだらの猫と、それと真っ向から対峙する白い猫を指差す。その瞬間、サイデルの符が燃え落ちる。
「無闇に姿を追うな!」
 夾の叱咤に、慌てて全員が視線を外す。
「どっちが目的の猫かしら?」
「間違いなくまだらの方だね。額に紫色した眼があったのを見たよ」
 声を潜ませ、誰に聞くでなくシュラインが呟きにサイデルが答えた。
 そうだ、まだらの猫で間違いない。あの時も額に紫の斑を見た気がした。
「だが‥‥怪物は出ないな」
「多分、もう一匹の猫のせいじゃないかな。はっきりとしたことは言えないけど、そういう気配がする」
 殺気立つまだらの猫を押し留めようとする白い猫の気配。時々あがる白い猫の声が、まるで我をなくした者を宥めすかす響きを帯びて聞こえる。
「ところで、白雪さんは?」
 周囲を見渡し、先に駆け込んだ筈の彼女の姿がないことに史郎が疑問の声を上げた。が、誰もここに到着してから珠緒の姿を見た者はいなかった。
「おおかた一本道間違えて迷ってんだろ! それに今はそれどころじゃないよ」
 シュラインの手にしていた符が発破音とともに灰燼と化す。
「だから見るなと言っているだろう!」
 強く瞳を伏せた夾が僅かに語気を強める。
「ごめんなさい。でも試したい事があって」
 シュラインがコートのポケットに手を忍ばせる。指先に触れる冷たい温度。
「誰かあの猫の逃げ場をなくすことは出来る?」
 その人の見たいものを見せてくれると言う不思議なガラス玉。お守り代わりにずっと持ち歩いていたが、ひょっとするとコレであの猫を救う事が出来るかもしれない。
 が、使おうとして逃げられては意味がない。猫達のいる場所まで投げなくてはならないのだから、それだけで交されてしまう可能性が高い。ならば、少しでも猫達の行動範囲を狭めなくては。
「――策があるのか?」
「えぇ。ちょっと信じられないことかも知れないけれど」
 夾の問いにシュラインが力強い頷きを返す。ならば、と夾が真っ直ぐ猫達に向き合った。
「おい! あんた!」
 クリストファーが注意の声を上げた。しかし彼の不安に反し夾が石化することはなかった。
「鋼糸を使って猫達を覆う網を作る。準備が出来たら合図する」
 舞うように夾の腕が宙を薙ぐ。鍛えられた彼の腕ならば、視界を閉じ気配のみで鋼糸を操る事など造作もないことであった。
 重い沈黙が立ち込める。誰の手にもジンワリと汗が滲んだ。
 永遠にも似た時間、息を飲んで見守る四人の前で不意にピタリと夾が動きを止めた。
「準備は出来た」
 短い言葉。しかし誰もが待ち望んだもの。その合図に、シュラインは意を決しガラス玉を握った手をコートの中から引出した。そして祈る想いでそれを猫に向かわせようとした瞬間、不意の乱入者の足音を聞きとがめ振り返った。
「京師さん、いるんでしょ?」
 馴染みのある足音。迷わず闇の中に身を潜めていた人物に声をかけた。
「あれ‥‥見つかっちゃった?」
 夾と大差ない、全身黒づくめの青年が一人。猫の発する圧倒的な力に支配された場に姿を現した。それはシュラインの知覚した通り京師紫、今回の事件の依頼人だった。
「見つかったも何も‥‥」
 言い募ろうとしたシュラインを、紫が右手で制す。その表情は酷く緊張したもので、紫と幾度かの面識のあるものは、彼の余裕のなさに言葉を失う。
「シュラインさん‥‥ありがとう。あの猫の為に力を使おうとしてくれたね」
 でもまだだ。
 今はまだ『使える』時じゃない。
「えっと‥‥申し訳ないんだけど。あの猫の心を落ち着けるような歌か何かをリクエストしても良いかな?」
「‥‥えぇ、分かったわ」
 紫の言わんとする事を即座に理解し、シュラインは軽く喉を整えるとその美声を惜しみなく披露した。
「そういうことなら」
 シュラインの歌い始めたのが「7つのスペイン民謡」の第5番の子守唄である事を理解した史郎が、願う気持ちを乗せて彼女の歌に笛を合わせた。
 どうか、どうか。
 怯えないで。
 気持ちを落ち着けて。

『ほら、誰も貴方を傷付けようとは思っていないわ。みんな貴方を助けたいのよ』
 まだらの猫と向かい合った白い猫――珠緒の真実の姿――は、視線を合わせないように注意深く語りかけ続けた。
 瞳を見れば、その相手を魅了する事が出来る珠緒の能力も、相手を見ては石化されてしまうとあっては、その効を発する事が出来ない。
『何があったの? 話くらいは聞いてあげるわ』
 人に害を与える存在は敵である。それは分かっているが、どうしても向かい合う相手から伝わる波動に深い悲しみが混ざっている気がして、そう問いかけずにはいられなかった。
『‥‥‥死‥』
 それまで一言も発する事がなかった猫が、小さく鳴いた。
 珠緒は意を決して最大の切り札でもある魅了眼を伏せ、まだらの猫に歩み寄った。
『誰が‥‥死んだの?』
『‥‥人』
『それは、貴方の大切な人?』
 珠緒の慈愛に満ちた問訊にまだらの猫が、ハッキリと語り始めた。
 吐露される胸の内。
『大切‥‥だった。でもいなくなってしまった。だから‥‥彼と過ごした跡を辿りたくて街に行った』
 けれど。
 けれどそこに凝る人の念はあまりにも濃くて。
 気を狂わせんばかりの醜悪な残留思念が、彼に逢おうとする邪魔をした。
 強い――強過ぎる人の狂気が、自分をも無間地獄の顎へ誘った。
『‥‥でも、それは人の一部分でしょう?』
 耳をすまして?
 貴方を慰める歌が、音が聞こえるでしょう?
 触れ合うほどに近寄った珠緒が、ゆっくりと瞳を開く。
 閉じかけた紫の第三の眼を正面から捕らえた。
『‥‥お帰りなさい。貴方は愛されているのだから』

「今っ!」
 紫がシュラインに向かって叫ぶ。
 了と小さく頷くと、シュラインは今度こそ七色に輝くガラス玉をまだらの猫に向かって投げ付けた。
 その玉は猫に触れた途端、白色光の奔流を発し周囲を真昼のごとき明るさに染め上げた。誰もが我が目を疑いながら、輝きの中心を凝視する。
「何だよ‥‥あれ‥‥」
 光渦の中で展開される景光にクリストファーが息を飲む。
 まだらの猫から黒い影が引き剥がされる。まるで染みを抜かれるように、影が光の中に消えるごとに猫のまだら部分が少なくなって行く。
「‥‥だめだ。まだ、足りない」
 紫が苦しげに呻いた。集束しつつある光、しかしまだらの猫の影は完全には消え去ってはいなかった。
「っち、仕方ないね!」
 サイデルが、まだらの猫に何かを投じた。それはシュラインと同じ、けれど淡い青い輝きを発するガラス玉だった。
 煌くガラス玉は、猫達を包む光に触れると弾け飛び、蒼銀の輝きとなり収まりつつあった純白の光を守護するように瞬いた。
『さぁ、お帰り。おまえの望む所へ』

 全ての光華が夜の闇に舞い散った後。
 まだらの猫と対峙していたオレンジ色の瞳の猫の姿は既になく、夾が細心の注意で編んでいた鋼糸の網には、まるでそれに抱かれるように穢れのない真白き猫が一匹眠っていた。
 ゆっくりとその網にクリストファーが歩み寄り、折りたたみ式の猫用のケージにその猫を移しかえる。
 そして静かに紫の前に差し出した。
「ご覧の通り、猫は無傷だよ」
「‥‥ありがとう」
 破顔した紫の瞳にうっすらと浮かぶ水滴は全員が見なかった事にすることにした。
 ――依頼、完了。

 数日後、彼等の元へ行方不明者達が無事にそれぞれの場所に帰還したと言う報が届けられた。

●ナイショ話をしよう
 雪のように白い猫が軽やかな足取りで歩いている。
 この夜、最後の電車が駅を発って少しばかりの刻が経過した街には、タクシーを拾おうと長蛇の列に並ぶ者、諦めて新たな店を探す者、最初から一夜を明かすつもりで盛り上がり最高潮の者など多種多様な人間達でまだまだ賑わっていた。
 そんな人ごみを潜り抜け、猫は都心の真ん中に突如姿を現す緑濃い場所を目指していた。
 ぴたぴたぴた。
 肉球が冷たいアスファルトの大地を優しく撫でる。
「こんばんは。白い綺麗なお嬢さん」
 目的地を直前に、いざフェンスの網をスイとすり抜けようとした瞬間、唐突にかけられた人間の声に猫は――珠緒はピタリと足を止めた。
 先程から着いてくる気配は感じていたのだが、まさか猫の姿をした自分に声をかけてくる酔狂な人間もいるまいと放っておいたのだが。今の呼掛けは間違いなく自分に宛てたもの。
 不信に思う気がないわけではないが、好奇心に負けてクルリと身をよじる。
「良かった。無視されたらどうしようかと思っちゃった」
 僕にはそのフェンスは越えられないからね。
 おおよそ緊迫感というものから程遠いのんびりした笑顔で珠緒に声をかけてきた人間は、確か京師紫とか言う名だったか。先日草間興信所に依頼を持って来た時に少しだけ見た覚えがある。
 そう言えば、あの猫と向かい合ってた時に人間達の仲間に加わっていたような気もする。その証拠に、彼の腕の中にはこの上なく大事そうに抱えられた白い猫。目を灼く烈光に身の危険を感じてあの場所から退去したのだが、最後に見えたまだらの猫は自分と同じ「元の」真っ白な毛並みに戻っていたようだった。
『何か用?』
 呼ばれたので、取り敢えずニャーンと返事をしてみる。この姿で言葉が通じるとは思わなかったが、この相手にならなんだかそれでも平気な気がした。
「今日はありがとう」
『‥‥なんのことかしら?』
 視線を合わせるようにアスファルトにしゃがみ込んだ相手にほんの少しの警戒を込めて珠緒は低く鳴いた。すると紫はクスクス笑いながら抱えていたケージを横に置き、珠緒を膝の上に抱き上げた。
『何を‥‥』
 するのよ!
 と言いかけて止める。
 珠緒の人間とは比較にならない鋭い直感は、彼に悪意がないことを知っていた。
「あのね、これは僕から君へのプレゼント。邪魔だったら外しちゃっても構わないから」
 瞳と同じ色のオレンジのリボンが珠緒の首に結ばれた。そこには小さなガラス製の鈴。ぷるぷると首を振れば、軽やかな音が弾んだ。
「君が伝えたい音を伝えたい時に伝えたい人に伝えてくれる鈴だよ。僕がそばにいる時しか使えないけど――って、君にはあまり必要のないものかもしれないけどね」
 抱えあげられて、額と額を触れ合わされる。髭が紫の前髪にあたってくすぐったい。
 そして極々至近距離で見て、珠緒は青年の瞳の色がよくよく見ると紫色をしている事に気が付いた。
「‥‥ナイショだよ」
 ふふふ、と口元を綻ばせて。
 何だかとても楽しそうに紫が笑うので、珠緒もつられてニャンと鳴いた。
「じゃ、また機会があったら」
 珠緒をそっと元の位置に返して、紫は眠る猫を起こさないように静かにケージを抱えあげ立ち上がった。
「あ、そうだ」
 忘れる所だった、と紫が再び珠緒の前にかがみ込む。
「新宿南口の駅前近くにある青い建物のケーキ屋さん。暇があったら裏口で三回鳴いてみて。極上の生クリームをご馳走出来ると思うから」
 ちょっと行灯の油は用意できなくてさ、ごめんね。
 それだけ告げると背中越しに二回手を振って紫は元来た道を歩き始めた。
 彼の背中が都会の闇の向こうに消えるまでじっと見送って。それから珠緒は目の前のフェンスの隙間を通り抜けた。
 色々とおかしな人間もいるものねぇ
 長い時間を生きて来たが、まだまだ出会うべきものは多いようだ。

 取り敢えず、一眠りしたら極上の生クリームを頂きに行こうかしら? 明日は変な事件、起きなきゃ良いんだけど。

 そんなとりとめのない事を考えながら、珠緒もまた都会の闇の中に姿を消した。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【 0202 / 里見・史郎(さとみ・しろう) / 男 / 21 / 大学生 】
【 0053 / 紫月・夾(しづき・きょう) / 男 / 24 / 大学生 】
【 0086 / シュライン・エマ(しゅらいん・えま) / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト 】
【 0024 / サイデル・ウェルヴァ(さいでる・うぇるう゛ぁ) / 女 / 24 / 女優 】
【 0047 / クリストファー・グリフィス(くりすとふぁー・ぐりふぃす) / 男 / 19 / 大学生 】
【 0234 / 白雪・珠緒(しらゆき・たまお) / 女 / 523 / フリーアルバイター。時々野良(化け)猫 】


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■         ライター通信          ■
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 初めまして。今回は京師紫からの依頼を受けて頂きありがとうございました。
 今回は「軽く(?)戦闘メインの話にでもしてみようかなぁ〜」なんて思っていたのですが、皆さまのおかげで思いもよらない深い所まで話が書けてしまいました。

 白雪さん‥‥なんだかものすごく人生の大先輩ですね。書きながら人バージョンが良いのか、猫バージョンが良いのか迷いながら今回のような結果にさせて頂きましたが如何でしょうか? なお人バージョン時の外見(お洒落)はバストアップ絵を思い切り参考にさせて頂きました。
 自ら猫を題材にした話を書いておきながら、白雪さんを描写しようとして、自分が今まで猫を飼った事がないことを思い出しました(‥‥)。挙動不審になっていたら申し訳ありません。

 さて、作中に出て参りましたナゾのアイテムですが、紫も申しております通り、紫の登場する依頼でのみ有効となっております。機会がありましたらご活用頂けますと幸いです。

 ご意見・ご指摘・ご感想などございましたら、クリエーターズルームもしくはテラコンよりガガンと送ってやって下さいませ。今後の参考、糧にさせて頂きたいと思います。不思議アイテムのネタも大募集中です(笑)。
 ではでは、この度はご参加頂きましてありがとうございました。もしお気に召して頂けましたのならば、また別の依頼でご一緒出来る事を祈っております。巷ではタチの悪いインフルエンザが流行しているとの事。くれぐれも体調など崩されませんようお気を付け下さい。