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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


呼ばれしもの

<序>
「ぶんしんさん、ね」
 依頼人をドアから送り出すと、草間はデスクへ戻って椅子に腰を下ろした。乱雑に書類などが散らかっているデスクの上から煙草のパッケージを目ざとく見つけ出し、手にとって椅子を半回転させ、窓の方へと向きを変える。
 つい先ほど依頼を残して去っていったのは、この事務所から一駅離れた私立小学校のまだ年若い女教師だった。
「2週間ほど前から生徒たちの様子がおかしいんです」
 4年生の担任をしている依頼人――七原理奈(ななはら・りな)は、そう口を開いた。
 それまではよく懐いていた生徒たちが、急に授業が終わるや否や教室から七原を追い出したり、休み時間でも外で遊ぶでもなく静かにカーテンなど締め切った教室に全員がこもっているのだと。
「もうすぐ私の誕生日なんですが、2週間前までは皆で誕生会やろうって言ってくれていたんです」
 なのに、それどころか逆に排除されるようになってしまったらしいのだ。
 そこまで聞いてただの新米教師いじめかと思い依頼を蹴ろうとしたのだが、その時七原が妙な言葉を口にした言葉が草間の興味をわずかに引いた。
 ぶんしんさんのせいだ、と。
 ちょうど2週間前の休み時間に、生徒たちがその「ぶんしんさん」なるものをやっていたのを目撃したというのだ。
「ぶんしんさんは、こっくりさんみたいなものなんです。だから、きっとそのせいで生徒たちはおかしくなったに違いないんです!」
 熱く語る七原を思い出して唇に苦い笑みを浮かべると、草間は煙草を一本取り出した。
「まぁ……あいつの紹介だっていうなら放っておくわけにもいかないしな」
 依頼者が帰り際に口にした古くからの知り合いの名前にまた苦笑を深くすると、草間は煙草をくわえて服のポケットから携帯電話を取り出した。

<考察歩行>
 今日も今日とて、いい天気だ。
 のんびりと空を見上げて、抜剣白鬼はどこか幸せそうに笑み、顎ヒゲを撫でる。
 天気がいいと、コンクリートとアスファルトに占められた世界の道端に申し訳程度に植えられている葉の落ちた木がひどくいとおしく見えたりする。風に揺れるしなやかな枝が、春を待っているかのようで――懸命な生命の息吹を感じられるからだろうか。
「さて。また妙な依頼だなあ」
 のんびりとした感覚からゆっくりと意識の方向を変える。裸の枝を見上げて早く春が来たらいいなと思っていた柔らかい心は、この世ならざるモノと接するときの尖鋭的なものへと切り替わる。
 こっくりさんというのは耳にしたことがある。けれども、ぶんしんさんというのは初耳だった。
「こっくりさんは動物霊を呼ぶものだ。としたら、ぶんしんさんは名前からして人の霊を呼ぶのかな?」
 首を傾げながら歩を進めつつ口許に手を当てる。微苦笑が浮かんだ。
「だとしたら、無知と好奇心と悩みごとってのは恐いもんだね」
 子供らしい無謀さとでも言えばいいのか。この世ではないものと接するための扉の鍵が、そのぶんしんさんというものに秘められているかもしれないのに、それすらも遊びに用いてしまうのだから。
 それにしても、生徒たちは教室に篭って一体何をしているのだろうか。
「先生の誕生日も近いし、何か先生に見せたくないものを用意しているのかもしれないなあ」
 休み時間ごとに先生を追い出し、誕生会の準備をこっそりと進めているのかもしれない。
 が、ふとその脳裏に先日京都で出会った黒いスーツの青年の姿が浮かぶ。
「……彼の紹介だっていうなら、その線も薄いかな」
 彼の纏っていた空気は、ただのお節介焼きというようなものではなかった。自分と同じ、この世ならざるものと接している目をしていた。
 その時、ぐいと僧衣の袖を引っ張られて白鬼は足を止めた。
「変な格好」
 いつのまにか、周りを子供たちに囲まれていた。よく見れば、依頼先の校庭に入っている。考え事をしていたせいで気づかなかったらしい。
 小さく笑いながら、白鬼は袖を掴んでいる子供の頭を大きな手で撫でた。
「珍しいかい」
「おじさん誰?」
「その棒何?」
「坊さんかー?」
 ひょいと傍らにいた子供を一人抱き上げ、軽々と肩車する。
「そう、俺は坊さんだよ」
「わあっ、僕も乗せてー!」
「俺も俺も!」
「あたしもーっ!」
 次々に手を挙げて自分も自分もとせがむ子供たちに、白鬼は穏やかな笑みを浮かべた。最近は冷めた目をした子供が多い。だから、今目の前にいる子供らしい子供たちに少し安堵したのだ。

<合流>
 チャイムが鳴った。
 校庭で子供たちにじゃれつかれていた抜剣白鬼は、軽く二度手を叩いた。
「ほら、授業が始まってしまう。急いで教室へ行かないと!」
 子供たちは元気に返事して「またねーおじちゃん!」と手を振りながら走り去っていく。
 その背中に手を振っていると、がっしりした僧衣姿の白鬼のその背後から声が掛かった。
「あの」
「?」
 振り返ると、そこには切れ長の目が印象的なすらりと背の高い女性が立っていた。
「抜剣さん、ですよね?」
「ん? ああ、キミは草間興信所のシュラインさん、だったかな」
「あれ?」
 そこにまた新たな声が入り込んできた。シュライン・エマと白鬼が声の方へと顔を向ける。秀麗な容貌の青年と、優しい面差しの青年が立っていた。里見史郎と斎司更耶だった。
「ああ、こないだは世話になったねえ」
 白鬼が二人に向けて言うと、史郎が穏やかに微笑んだ。
「いえ、こちらこそ。またよろしくお願いします」
 手短に4人で挨拶を交わすと、校舎へと移動した。

<呼び出し>
 会議室に通された4人は、授業を十分だけ自習にして抜けてきた七原と顔をあわせた。
「生徒のご家族の方たちにはお話、聞かれましたか?」
 シュラインの問いに、七原が盆に乗せた湯のみを机に置きながら頷く。
「はい。でも、生徒たちは私の誕生日会が近いから楽しみなんだって言ってるらしくて。別に妙なところもないって」
「教室から追い出されるのは七原さんだけなんですか?」
「いえ、他の先生方が入ろうとしても、ダメだって怒るんです」
 緩く頭を振って、七原はため息を漏らす。
「授業中とかは普通なんです。元気で、可愛い子たちなんです」
 言って、ふと腕の時計を見る。時間らしい。
 挨拶をして席を立つ七原に、白鬼が一枚の札を手渡した。
「これ、魔除けみたいなものだから持っているといい」
「ありがとうございます」
 深々と丁寧に頭を下げると、七原は小走りに会議室を後にした。その背を見送り、白鬼は湯のみを手の中で小さく揺らしながら宙を見上げた。
「誕生日、ぶんしんさん、先生を追い出す……か」
「やっぱり何かこっそり先生のために用意してんじゃねえか?」
 更耶が頬杖をつきながら口を開く。
「親にまで話すくらいだ。よっぽど好かれてんだろうな、あの先生」
「……ちょっと、ぶんしんさんとやらを試してみようか」
 それまで黙っていた史郎が椅子から立ち上がりながら紡いだ言葉に、更耶が顔を上げた。
「お前、やり方知ってんのか?」
「やり方なら私が知ってるわ」
 ネットで調べてきたのよ、と言いながらシュラインがバッグの中から紙と鉛筆を取り出した。紙の上部右側に「入口」上部左側に「出口」そして上部中央二重丸とそれを挟むように左側に「はい」右側に「いいえ」、その下の空白中央部分にひらがなとアルファベットと0から九までの数字などを書き込んでいく。
 それを見ながら、白鬼が湯飲みを机に置いた。
「こっくりさんにしてもコレにしても一種の降霊術みたいなものだね。修行をしたわけでもない子供たちがやるには危険な遊びだ」
「同感」
 短くつぶやき、更耶がうんざりした顔をする。
 シュラインが鉛筆を置いて、窓の方へと移動した。そして一枚だけ窓を開いて戻ってくる。
「これで準備はできた。後は二人で鉛筆を持って右上の端でスタンバイ。ぶんしんさんぶんしんさん、まるまるさん――呼び出したい人の名前を言って――のぶんしんさん、ここの住所を言ってから、おいでください。おいでくださったらこの鉛筆を円の中心まで動かしてください、って言うんだって」
「……誰がやるんだよ、それ」
 更耶が他のメンバーの顔を見渡した。最後に見た史郎がにっこりと微笑を浮かべたのを見て、顔をしかめる。
「俺とお前かよ」
「抜剣さんには何かあったときに助けてもらいたいからね。それに、七原さんに渡した符は多分、遠見のための符。こっちでこれをしてる間に問題の教室の様子探ってもらえるならそれはありがたいし。シュラインさんは女性だから、危険な目にあわせるわけにはいかないだろう?」
「あんまり気ィ進まねえんだけどな」
 嫌々鉛筆を拾い上げる。史郎は念のため、自分の術具でもある笛を袋から出して左手に持つと更耶と机を挟んで向かい合うように椅子に腰を下ろした。
「鉛筆も握り方があるの。終わるまで絶対手を離さないで」
 二人の鉛筆の握り方をシュラインが修正する。
 その間に、白鬼は七原に渡した呪符を介して教室の様子を見ることにした。史郎の言ったとおり、あれは遠見用の符だったのである。
 七原はすでに教室についていた。その場にいる生徒たちの目は生き生きとしていて、何かに憑かれている様子はない。さて、教室の雰囲気は――。
 意識を集中する白鬼の傍らでシュラインの指導どおりに、呼び出す言葉を更耶と史郎が声を合わせて紡ぐ。呼び出す対象は、七原のぶんしんだ。
 しん、と室内が静まる。
 と。
 すす、と鉛筆が動いた。指定の場所に向かって進んで行く。ちらりと更耶が史郎を見た。史郎も目を上げる。
「お前が動かしてんじゃないよな?」
「ああ、俺は動かしてない」
 白鬼が遠見を解いて室内を見渡したが、別に邪気があるようでも霊の姿が見えることもない。ただ、史郎と更耶の鉛筆を持っている手のあたりがぼんやりと白く煙って見える。感じとしては生霊とか、そういったものに近い。
「これがぶんしんさんかな?」
 シュラインの超聴覚の耳にも、ラップ音などは聞こえてこない。害意がないからだろうか。
 鉛筆は、指示どおりに円の中央でぴたりと止まった。
「で、これからどうするんですか?」
 史郎がシュラインの方を見た。シュラインが首を傾げる。
「何か質問すればいいんじゃないかしら」
「なら、まずは七原さんのぶんしんさんなのか聞いてみたらどうだい?」
 白鬼の言葉に、史郎は頷いた。
「あなたは七原理奈さんのぶんしんさんですか?」
 すす、と鉛筆が「はい」と書かれた文字のほうへ動き、また円の中央へ戻ってくる。
「あなたは子供たちに2週間ほど前に呼び出されましたか?」
 問いかけに、けれども鉛筆は答えない。
「では、子供たちが何をしているか知っていますか?」
 いいえ。
「七原さん本人が知らないことはそのぶんしんさんにもわからないということかな」
「おそらくそうね」
 白鬼とシュラインの言葉に、史郎が顔を上げる。
「反応しないのは何故でしょうね」
「おい、なんか動いてるぞ」
 更耶が低く呼びかけた。一同の視線が鉛筆に注がれる。鉛筆はふらふらと、ひらがなの上をなぞっていく。
「『よびだされたのはわたしだけどわたしじゃない』だってさ」
「どういうことかな。呼び出しに応じたのがあなたじゃないということですか?」
 はい。
「じゃあ、呼び出されたのは誰ですか?」
『わからない』
「そう簡単に人の分身なんて呼べるわけがない。今は史郎くんや更耶くんのような力のある者が呼んでいるからちゃんと当人のぶんしんさんを呼べただけで、誰にでも当人を呼べるわけじゃないんだろうね」
 白鬼の言葉に、シュラインがつるりと自分の頬を撫でた。
「とすると、生徒たちに応じたのはその辺にいた弱い雑霊とか?」
「可能性はありますね」
 史郎が答える。その間に、更耶が問いかけた。
「なあ、あんたのクラスの次の授業って何だよ?」
『たいいく』
「だってさ。決まりだな。こいつを帰らせる時はどうすればいいんだ?」
「決まりって?」
 シュラインが眉宇をひそめる。更耶が空いた手で目にかかる前髪をかき上げた。
「次の授業は体育。ガキどもも体育なんだったら移動しなきゃなんねえし、嫌でも教室空けるだろ。だったらその隙に中に何があるか直接確かめてみればいい」
「賛成だね。ちょっと呪符から妙な気を感じたから、見てみたほうがいい」
 白鬼がじゃらりと首にかけた木数珠を鳴らして椅子から立ち上がる。
 シュラインが史郎と更耶にぶんしんさんを送り返すための言葉を教えると、二人はそれに従い、鉛筆が「出口」にたどり着くと、同時に鉛筆から手を放した。からりと乾いた音を立て、鉛筆は机の上に転がった。

<教室>
 授業終了のチャイムが鳴ってから、4人は七原の教室へと移動した。体操服に着替えた子供たちが4人をちらちらと見ては走り去っていく。その子供たちを穏やかな笑みを浮かべて見ている史郎・白鬼・シュラインの様子に、更耶は自分の身体を抱きしめるように腕を回して身を震わせた。
「ガキが可愛いなんて信じらんねえな、あああ寒い寒い」
「更耶くんは子供嫌いなのかしら?」
「可愛いのになあ」
「更耶自身がまだ子供だから、同類である彼らの存在を可愛いとは思えないんじゃないかな」
「ああ、なるほど」
 史郎の言葉に同時にぽん、と手を打った白鬼とシュラインに、更耶がムッとした顔をして史郎の頭を軽く横から拳で小突く。
「誰がガキだ、コラ」
「ああ、ここが七原先生の教室だ」
「あからさまに話逸らしてんじゃねえよ」
「こっちが本題だよ、更耶」
 四年二組。白鬼がさっき遠見をした時に見たのがここだった。閉められているドアを静かにシュラインが開ける。と、中から女の子が一人出てきた。突然現れた、小学校の中にいるにはいささか奇妙な組み合わせの四人に怪訝そうな顔をしながら、けれども少女は何も言わずに廊下へと走り去っていく。
 残っていたのはあの子だけだったらしく、教室はがらんとしていた。それぞれの机の上には子供の制服が綺麗にたたんで置いてある。
 すたすたと、白鬼は錫杖を手に教室の後ろのほうにある小さなロッカーへと向かった。三人もその後に続く。
「確か、この辺りだったなあ。なんだかこう、重い感じが……ここかな」
 生徒たちの名前が記されているロッカーに、一つだけ名前が書かれていない扉があった。手を伸ばし、扉を開く。
 中には、人の形をした紙が4枚入っていた。そこには、鉛筆で複雑な文様が描かれている。
「これは……」
 紙を取り出した白鬼の手の上に史郎の厳しい眼差しが落ちる。
 ふと、シュラインが何者かの足音を耳にして振り返った。
「呪詛用の人形(ひとがた)ですね」
 不意に割り込んだ第三者の静かな声に、驚いて三人も振り返った。白鬼が教室の入り口に立っている黒いスーツを纏った者を見て目を瞠る。
「鶴来さんじゃないか」
「鶴来?」
 聞き覚えのある名前に他の三人がようやく記憶の中からその名前を引っ張りあげる。七原に草間興信所に行くように勧めた人物、そして草間の旧知の人物。史郎と更耶にとっては三年坂の依頼の時にも聞いた名前だった。
 鶴来那王(つるぎ・なお)はちらりと肩越しに廊下の方へと視線を投げた。シュラインもその耳に、ぱたぱたとこちらへ駆けて来る幾つもの足音を捕らえている。そしてその足音の主たちが、鶴来の脇から教室の中へ駆け込んで来た。おそらく、最後に出て行った女の子に自分たちのことを聞いて慌ててやってきたのだろう。
「先生のプレゼントに触るなっ!」
 少年一人が勢いよく紙人形を手にしている白鬼に飛びかかろうとしたところを、更耶がシャツの襟首を掴んで引き止める。史郎が眉宇をひそめて鶴来の方を見た。
「これがプレゼント? 一体どういうことなんですか?」
 鶴来は、無言でスーツのポケットから掌くらいのサイズの小さな弓を取り出した。そして教室の天井の上隅に向けて矢を射るように弓を構える。
「鳴弦!」
 鶴来がその弓を一つ弾くと、ピィンと鋭く空を切るような音がシュラインの聴覚を捉えた。思わず痛そうに顔をしかめて片耳を覆ったところに、子供たちの悲鳴がかぶさる。驚いて顔を上げると、鶴来が弓を向けていた方向に、大きな血みどろの顔が三つ、浮かび上がっていた。強い霊気を放っているそれは、三つの顔の他にもこまごまとした霊気が混ざっている。
「なるほど、これが『先生のぶんしんさん』の正体というわけですか。生徒たちの呼び出しに応じたのは、やはりこの周辺にいた雑多な霊たちだった、と」
 史郎の言葉に、更耶が唇に強気な笑みを浮かべた。構える右腕がゆらりと淡い蒼銀のオーラを放ち出す。それは異界の者たちを斬り祓う能力を持つ、更耶の武器・手刀。
「だったら、遠慮なくやっちまっていいんだよなあっ!?」
「子供たちを頼むよ。さっさと化け物退治して安心させてやらないとなあ」
 どこかのんびりと呪詛人形を手渡しながらシュラインに言い置くと、白鬼は飛び掛る更耶の援護にと呪符を投げ打ち、すばやく九字を切る。
「臨兵闘者皆陣裂在前!」
「たあああっ!」
 気合を込めた声を放ち、噛み付こうとしているのか大口を開いて壮絶な表情で飛来する顔を腕で斬りつける。腕の動きにあわせて蒼い軌跡が走った。甲高い悲鳴のようなものを上げる顔に、白鬼が投げた呪符が張り付く。
 気から察するに、隠れるのは上手いがさほど強くもないその霊たちのことは更耶と白鬼に任せ、史郎はゆっくりと唇に笛を当てた。優しく息を吹き込む。泣いている女の子をなだめていたシュラインがふと史郎を振り返った。
 彼女には、史郎が奏でるその旋律がまるで優しい歌声のように聞こえたのだ。子守唄にも近いそれは、人を安堵させる力を持つ音色。
「もう大丈夫よ。ほら、綺麗な歌が聞こえるでしょう?」
 女の子が手の甲で涙を拭きながらシュラインを見上げる。
「歌……うん、聞こえる」
「ね? もう怖くないでしょう?」
 優しく微笑むシュラインの後ろでは、更耶と白鬼が仕上げに入っていた。
 白鬼が懐からいつも所持している五鈷杵を中央にいる、この集合体の中心と思える霊の眉間に向けて投げつける。狙いに見事命中すると、霊が顔を歪めて苦悶の表情を浮かべた。ゆらりと霊の輪郭がぼやける。
「逃がすかよっ!」
 リノリウムの床を鋭く蹴り、更耶が跳躍した。白鬼の五鈷杵が刺さった霊を、縦一直線に斬り伏せた。ぐらりと固まっていた霊が解ける。はっと更耶と白鬼が顔を上げた。中心霊を討てば消えると思っていたのに、消えることなく箍が緩んだかのようにばらけていく。
「ちっ」
 鋭く舌打ちして更耶が仕切り直そうとしたところ、そのばらばらと崩れて広がりかけていた霊をふわりと白い光が包み込んだ。そのまま、何かに引っ張られるように教室の前方へと光と共に移動する。その先には鶴来が、小指ほどの大きさの小さな瓢箪を手に立っていた。霊は光ごと瓢箪の中へと吸い取られていく。
 きゅっ、とすべての霊と光を吸い込むと、鶴来は瓢箪の蓋を閉めた。途端、シュラインの手にあった紙人形が熱くない青白い炎を立ててあっという間に燃え尽きた。それを見て、史郎の笛の音で穏やかに心を落ち着けていた生徒たちが我に返ったようにわめきだした。史郎が笛を唇から離す。
「あれは先生が欲しがっていたものじゃないよ」
 子供たちに言い聞かせるように優しく言うが、子供たちは頭を振る。
「あれがあれば先生のお願いが叶うって、先生のぶんしんさんが言ったんだ!」
「ぶんしんさんが作ってくれたんだ! あれにずっと休み時間ごとに皆でお祈りしたら、願いをかなえてくれる魔法の人形になるって!」
「あれは人の願いを叶えるようなものじゃない。人を呪って、不幸にするためのものなんだよ」
 白鬼が五鈷杵を拾って懐にしまいながら言う。
「キミたちはさっきのお化けにだまされていただけなんだ。あんなのの言うこと信じちゃいけない。キミたちの呼び出しに応じたのは、先生なんかじゃなかったんだよ」
「嘘だ!」
 シュラインと史郎は困ったように顔を見合わせた。返せ返せと大声でわめき出す子供たちに、白鬼がなんとか言い聞かせようと口を開こうとした。が、それより先に傍らから刺々しい声が放り込まれた。
「ったく、これだからガキは参るよな」
 更耶だった。生徒たちが一斉に更耶を睨む。構わず、更耶は前髪をかき上げて白けた顔をしてそっぽを向いていた。そのまま、横顔で語る。
「聞きたいことがあれば先生に直接聞けよ。こっそり用意したかった気持ちもわからねえでもねえけど、それでお前らの大事な先生が苦しんでたら意味ねえだろうが」
 ちらりと更耶が視線を動かす。廊下には、七原が立っていた。授業開始のチャイムが鳴ったのに運動場に出てこない生徒たちを心配して見に来たらしい。おろおろとした顔で、七原は生徒たちを見ている。
「先生はな、願い叶えるとかそんなご大層なモンじゃなくても、お前らが心を込めてくれたもんならなんだって嬉しいんだよ。そんなことくらい判れよ、バカ。お前らの大好きな先生なんだろうが」
 その言葉の真偽を確認するように一斉に更耶の視線を追って七原の方を振り返った生徒たちに、七原は、目に涙を浮かべながらこの上もなく優しい笑みを浮かべて言葉もなく、ただひとつ大きく頷いた。
 それだけで十分生徒たちに気持ちは伝わったらしく、それ以上生徒たちは紙人形を返せとは言わなかった。

<仲介人>
「さて、どうしてキミがここにいたのか聞かせてもらおうか?」
 とりあえず七原からの依頼に一件落着を見た四人は、鶴来と共に校門前にいた。白鬼からの質問に、鶴来は目を伏せて小さく笑う。
「ここの校長と祖母が古くからの知り合いなので、たまに祖母に代わり様子を伺いにくるんです。校長から七原さんの生徒たちのことを聞き、彼女に草間のことを紹介したのが俺だということはすでにご存知だとは思いますが」
「今回居合わせたのはたまたま、ということですか?」
 史郎が問うと、鶴来はゆるりと頭を振る。
「今日ここに貴方がたが来るということは七原さんから聞いていました。だから偶然ではない」
「あんたの力があったら、あんな霊くらいすぐにぶっ飛ばせたんじゃねえのかよ?」
 手で弓を弾く仕草をしながら、更耶が史郎の傍らから口を挟んだ。
「あんたには見えてたんだろ? あの霊の姿」
「俺の力は微弱なものには効くけれど、少しでも力をつけたものには効かない。巧妙に隠れているものの姿を暴くことはできても、それ以上の手出しはできない。だから『倒せる者』を得るために、七原さんを草間の元へ向かわせました」
「瓢箪に吸い取られたものはどうなるんだい?」
 顎ひげを撫でながら、白鬼がたずねた。投げ続けられる問いに、けれども鶴来は嫌な顔もせずに淡々と答える。
「特殊な封じを施した瓢箪です。それに、貴方がたに大半の気を散らされた後です。残された力だけで出てくることはかないません」
「問題はないんだね?」
「ありません」
「結局」
 シュラインが、頬にかかる髪を手で払いのけて口を開いた。
「あの霊はなんだったの? どうして子供たちに呪詛用の札なんか持たせたりしたの?」
「おそらく、あの霊は多少は呪術を学んだものだったんだろうね。けれどそれほどの霊力を持っていたわけでもない。それが霊体になり、自我を見失ってただの邪霊になり果て、子供たち相手に悪戯をした、といったところかな」
「どこの誰が名づけたか知らねえけど、一体どこが『ぶんしん』だっつーんだよな。ガキどももこれで懲りたらいいんだけどさ」
 白鬼の言葉に、更耶が冷めた顔でそう付け足した。

<終>
「そうだ」
 立ち去りかけた足を止めて、白鬼は鶴来を振り返った。
「さっきキミが使ったあの瓢箪。前に京都で俺にくれたのと同じものだね?」
「ええ、そうですが」
「俺の瓢箪も、ああいう使い方ができるんだろうか?」
「いえ。あの瓢箪はちょっと違うんです」
 優美に笑み、鶴来はポケットから自分の瓢箪を取り出した。
「貴方に渡したものは、これと違って『封じるため』のものではありません」
「じゃあどんな効果があるんだい?」
「貴方が異界の存在と対峙している時、それが俺に判る、というそれだけのことです」
「は?」
 間の抜けた問い返しに、鶴来が微苦笑を浮かべる。
「特別何かの役に立つというわけではなく、俺の瓢箪と呼び合うように出来ているんです。その瓢箪が異界の物がいることを俺の瓢箪に知らせて、俺の瓢箪がそれを吸う、というシステムなんです」
「じゃあ、今日キミがここにいたのは」
「ええ、実のところ、瓢箪のお陰でもあります」
 苦く笑うと、鶴来は瓢箪を目の高さに持ち上げた。
「ある程度吸わせてやらないと、飢えて必要のないものまで吸おうとするんです。だから、こういう仕事に携わることが多いであろう貴方に対の方を渡したんです。利用するような真似をしたことに対して気分を害されたなら謝ります」
「まあ、別にそれくらいならかまわないけどね」
 頭をがりがりとかくと、白鬼は人好きのする笑顔を浮かべた。
「誰でも飢えるのはツラいことだからね。人も動物も、その瓢箪もしかり、かな」
「そう言っていただけると助かります。……俺の力が必要な時には瓢箪に念じてください。あまりお役には立てないとは思いますが、手助けに向かわせてもらいますので」
「その時はまたよろしく頼むよ」
 ぽん、と軽く青年の肩を叩き、白鬼は数時間前に歩いてきた方向へと歩き出した。ひらりと背を向けたまま、鶴来に手を振って。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/        PC名        / 性別 / 年齢 / 職業】
【0065  / 抜剣・白鬼(ぬぼこ・びゃっき)   / 男 / 30 / 僧侶(退魔僧)】
【0226  / 斎司・更耶(ときつかさ・さらや)  / 男 / 20 / 大学生】
【0202  / 里見・史郎(さとみ・しろう)    / 男 / 21 / 大学生】
【0086  / シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/ 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。
 白鬼さん、こうして再会することが出来てとても嬉しく思います。前回終了後にはメール、どうもありがとうございましたっ。とても励みになりました。
 そして、今回もまた長い仕立てになっております。少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?
 プレイングは、もう見事に生徒たちの心理見抜かれてて「うおうっ」と唸ってしまいました(笑)。子供たち相手に聞き込みもできるかなと思ったんですが、どうも懐かれまくってそれどころじゃなかったようです(笑)。大らかな性格の白鬼さんなので、きっと子供ウケもいいだろうと思うんですがいかがでしょう?
 今回は前回ほどこちらの好き勝手に術炸裂はさせませんでしたが、前回使えなかった五鈷杵をようやく使うことが出来て密かに喜んでおります(笑)。
 そして、前回ラストで受け取られた瓢箪について、今回のラストで触れています。言うまでもないですが、瓢箪効果は逢咲のシナリオでしか通用しませんのでご注意を☆ 気が向かれましたら那王を呼びつけてやってください(笑)。
 またよろしければ感想等いただけると嬉しいです。
 それでは、また会えることを祈りつつ。
 今回はシナリオお買い上げ、本当にありがとうございました。