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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


呼ばれしもの

<序>
「ぶんしんさん、ね」
 依頼人をドアから送り出すと、草間はデスクへ戻って椅子に腰を下ろした。乱雑に書類などが散らかっているデスクの上から煙草のパッケージを目ざとく見つけ出し、手にとって椅子を半回転させ、窓の方へと向きを変える。
 つい先ほど依頼を残して去っていったのは、この事務所から一駅離れた私立小学校のまだ年若い女教師だった。
「2週間ほど前から生徒たちの様子がおかしいんです」
 4年生の担任をしている依頼人――七原理奈(ななはら・りな)は、そう口を開いた。
 それまではよく懐いていた生徒たちが、急に授業が終わるや否や教室から七原を追い出したり、休み時間でも外で遊ぶでもなく静かにカーテンなど締め切った教室に全員がこもっているのだと。
「もうすぐ私の誕生日なんですが、2週間前までは皆で誕生会やろうって言ってくれていたんです」
 なのに、それどころか逆に排除されるようになってしまったらしいのだ。
 そこまで聞いてただの新米教師いじめかと思い依頼を蹴ろうとしたのだが、その時七原が妙な言葉を口にした言葉が草間の興味をわずかに引いた。
 ぶんしんさんのせいだ、と。
 ちょうど2週間前の休み時間に、生徒たちがその「ぶんしんさん」なるものをやっていたのを目撃したというのだ。
「ぶんしんさんは、こっくりさんみたいなものなんです。だから、きっとそのせいで生徒たちはおかしくなったに違いないんです!」
 熱く語る七原を思い出して唇に苦い笑みを浮かべると、草間は煙草を一本取り出した。
「まぁ……あいつの紹介だっていうなら放っておくわけにもいかないしな」
 依頼者が帰り際に口にした古くからの知り合いの名前にまた苦笑を深くすると、草間は煙草をくわえて服のポケットから携帯電話を取り出した。

<大激怒?>
「サイ……っアク!!」
 いきなり待ち合わせ場所に現れるなりそう憤慨しながら叫んだのは、里見史郎の従弟の斎司更耶だった。周囲を歩く者たちが何事かと振り返ったが、構わずに整った顔を思いっきり不機嫌に染めて怒筋が浮きそうな勢いで一気に言葉を紡いだ。
「俺がガキとか嫌いなの判っててわざとこの依頼受けてきたんだろ! 性格悪過ぎ! っつーか性格悪いのはお前の勝手だけど、俺に迷惑かけんのはやめろッ! 迷惑どころか大迷惑だッ! 大体ガキっつーもんはなんだってこう『こっくりさん』とかそういうモンが好きなんだッ?! 危険なこと理解してねえならやんなっつーんだよ! あーもーこれだからガキってヤツわーっ!!」
 ようやく言葉を切ってぜーはーと肩で息をつく従弟を見、史郎は1テンポずらしてからようやくにっこりと笑った。
「気、済んだか?」
「……やっぱりお前って超絶性格悪いよな」
 恨めしげにつぶやく更耶にさらににこりと善人の笑みを浮かべて、史郎はゆっくりと歩き出す。
 平日の街中。人から発されている雑多な気が冷めた空気をかき回している。本来なら今頃は二人とも大学のキャンパス内にいるはずなのだが、そちらはしっかりと代返を任せてある。なんだかんだと文句を言いながらも結局はしっかりついてきている更耶に、史郎は小さく笑った。
「助かるよ、来てくれて」
「……まあ別にいいんだけど。ちょっとグチりたかっただけだし」
 気分を入れ替えるように更耶は茶色の髪をかき上げた。きらりと耳元で銀色のピアスが光る。
「それより、『ぶんしん』ってくらいだから本物の陰とか、裏っていうか…そんな感じなのかもな。好きの裏返しは嫌いだから先生を閉め出してるとか」
 その言葉に頷く史郎をちらりと見やり、更耶が眉宇をひそめた。
「っつーか、考えるのはお前の仕事だろ。ぶった切らなきゃならねえようなのが出てきたらしっかり働いてやるけどー…ガキは俺に近寄らせんなよな。寒気するから」
「可愛いのに」
 どこがだよ、とうんざりした様子で低く返す。あの煩くて落ち着きのない奴等を可愛いと呼べる史郎の神経が更耶には理解できなかった。
「ま、もしかしたらガキどもはそのぶんしんさんとやらに『大好きな先生』の好きなものとかでも聞いてたのかもな。誕生日近いんだろ? その先生」
「ああ、確かにそれはありえることだね。やっぱり子供の考えは更耶のほうが理解しやすいのかな」
「何気に俺のことバカにしてるかガキ扱いしてないか?」
「それは更耶の被害妄想だよ。それにしても今回は更耶の意見、とても役に立ちそうだね」
「……やっぱりお前は間違いなくヤな奴だ」
「今の言葉、よーく覚えておくよ」

<合流>
 チャイムが鳴った。
 校庭で子供たちにじゃれつかれていた抜剣白鬼は、軽く二度手を叩いた。
「ほら、授業が始まってしまう。急いで教室へ行かないと!」
 子供たちは元気に返事して「またねーおじちゃん!」と手を振りながら走り去っていく。
 その背中に手を振っていると、がっしりした僧衣姿の白鬼のその背後から声が掛かった。
「あの」
「?」
 振り返ると、そこには切れ長の目が印象的なすらりと背の高い女性が立っていた。
「抜剣さん、ですよね?」
「ん? ああ、キミは草間興信所のシュラインさん、だったかね」
「あれ?」
 そこにまた新たな声が入り込んできた。シュライン・エマと白鬼が声の方へと顔を向ける。秀麗な容貌の青年と、優しい面差しの青年が立っていた。里見史郎と斎司更耶だった。
「ああ、こないだは世話になったねえ」
 白鬼が二人に向けて言うと、史郎が穏やかに微笑んだ。
「いえ、こちらこそ。またよろしくお願いします」
 手短に4人で挨拶を交わすと、校舎へと移動した。

<呼び出し>
 会議室に通された4人は、授業を十分だけ自習にして抜けてきた七原と顔をあわせた。
「生徒のご家族の方たちにはお話、聞かれましたか?」
 シュラインの問いに、七原が盆に乗せた湯のみを机に置きながら頷く。
「はい。でも、生徒たちは私の誕生日会が近いから楽しみなんだって言ってるらしくて。別に妙なところもないって」
「教室から追い出されるのは七原さんだけなんですか?」
「いえ、他の先生方が入ろうとしても、ダメだって怒るんです」
 緩く頭を振って、七原はため息を漏らす。
「授業中とかは普通なんです。元気で、可愛い子たちなんです」
 言って、ふと腕の時計を見る。時間らしい。
 挨拶をして席を立つ七原に、白鬼が一枚の札を手渡した。
「これ、魔除けみたいなものだから持っているといい」
「ありがとうございます」
 深々と丁寧に頭を下げると、七原は小走りに会議室を後にした。その背を見送り、白鬼は湯のみを手の中で小さく揺らしながら宙を見上げた。
「誕生日、ぶんしんさん、先生を追い出す……か」
「やっぱり何かこっそり先生のために用意してんじゃねえか?」
 更耶が頬杖をつきながら口を開く。
「親にまで話すくらいだ。よっぽど好かれてんだろうな、あの先生」
「……ちょっと、ぶんしんさんとやらを試してみようか」
 それまで黙っていた史郎が椅子から立ち上がりながら紡いだ言葉に、更耶が顔を上げた。
「お前、やり方知ってんのか?」
「やり方なら私が知ってるわ」
 ネットで調べてきたのよ、と言いながらシュラインがバッグの中から紙と鉛筆を取り出した。紙の上部右側に「入口」上部左側に「出口」そして上部中央二重丸とそれを挟むように左側に「はい」右側に「いいえ」、その下の空白中央部分にひらがなとアルファベットと0から九までの数字などを書き込んでいく。
 それを見ながら、白鬼が湯飲みを机に置いた。
「こっくりさんにしてもコレにしても一種の降霊術みたいなものだね。修行をしたわけでもない子供たちがやるには危険な遊びだ」
「同感」
 短くつぶやき、更耶がうんざりした顔をする。
 シュラインが鉛筆を置いて、窓の方へと移動した。そして一枚だけ窓を開いて戻ってくる。
「これで準備はできた。後は二人で鉛筆を持って右上の端でスタンバイ。ぶんしんさんぶんしんさん、まるまるさん――呼び出したい人の名前を言って――のぶんしんさん、ここの住所を言ってから、おいでください。おいでくださったらこの鉛筆を円の中心まで動かしてください、って言うんだって」
「……誰がやるんだよ、それ」
 更耶が他のメンバーの顔を見渡した。最後に見た史郎がにっこりと微笑を浮かべたのを見て、顔をしかめる。
「俺とお前かよ」
「抜剣さんには何かあったときに助けてもらいたいからね。それに、七原さんに渡した符は多分、遠見のための符。こっちでこれをしてる間に問題の教室の様子探ってもらえるならそれはありがたいし。シュラインさんは女性だから、危険な目にあわせるわけにはいかないだろう?」
「あんまり気ィ進まねえんだけどな」
 嫌々鉛筆を拾い上げる。史郎は念のため、自分の術具でもある笛を袋から出して左手に持つと更耶と机を挟んで向かい合うように椅子に腰を下ろした。
「鉛筆も握り方があるの。終わるまで絶対手を離さないで」
 二人の鉛筆の握り方をシュラインが修正する。
 その間に、白鬼は七原に渡した呪符を介して教室の様子を見ることにした。史郎の言ったとおり、あれは遠見用の符だったのである。
 七原はすでに教室についていた。その場にいる生徒たちの目は生き生きとしていて、何かに憑かれている様子はない。さて、教室の雰囲気は――。
 意識を集中する白鬼の傍らでシュラインの指導どおりに、呼び出す言葉を更耶と史郎が声を合わせて紡ぐ。呼び出す対象は、七原のぶんしんだ。
 しん、と室内が静まる。
 と。
 すす、と鉛筆が動いた。指定の場所に向かって進んで行く。ちらりと更耶が史郎を見た。史郎も目を上げる。
「お前が動かしてんじゃないよな?」
「ああ、俺は動かしてない」
 白鬼が遠見を解いて室内を見渡したが、別に邪気があるようでも霊の姿が見えることもない。ただ、史郎と更耶の鉛筆を持っている手のあたりがぼんやりと白く煙って見える。感じとしては生霊とか、そういったものに近い。
「これがぶんしんさんかな?」
 シュラインの超聴覚の耳にも、ラップ音などは聞こえてこない。害意がないからだろうか。
 鉛筆は、指示どおりに円の中央でぴたりと止まった。
「で、これからどうするんですか?」
 史郎がシュラインの方を見た。シュラインが首を傾げる。
「何か質問すればいいんじゃないかしら」
「なら、まずは七原さんのぶんしんさんなのか聞いてみたらどうだい?」
 白鬼の言葉に、史郎は頷いた。
「あなたは七原理奈さんのぶんしんさんですか?」
 すす、と鉛筆が「はい」と書かれた文字のほうへ動き、また円の中央へ戻ってくる。
「あなたは子供たちに2週間ほど前に呼び出されましたか?」
 問いかけに、けれども鉛筆は答えない。
「では、子供たちが何をしているか知っていますか?」
 いいえ。
「七原さん本人が知らないことはそのぶんしんさんにもわからないということかな」
「おそらくそうね」
 白鬼とシュラインの言葉に、史郎が顔を上げる。
「反応しないのは何故でしょうね」
「おい、なんか動いてるぞ」
 更耶が低く呼びかけた。一同の視線が鉛筆に注がれる。鉛筆はふらふらと、ひらがなの上をなぞっていく。
「『よびだされたのはわたしだけどわたしじゃない』だってさ」
「どういうことかな。呼び出しに応じたのがあなたじゃないということですか?」
 はい。
「じゃあ、呼び出されたのは誰ですか?」
『わからない』
「そう簡単に人の分身なんて呼べるわけがない。今は史郎くんや更耶くんのような力のある者が呼んでいるからちゃんと当人のぶんしんさんを呼べただけで、誰にでも当人を呼べるわけじゃないんだろうね」
 白鬼の言葉に、シュラインがつるりと自分の頬を撫でた。
「とすると、生徒たちに応じたのはその辺にいた弱い雑霊とか?」
「可能性はありますね」
 史郎が答える。その間に、更耶が問いかけた。
「なあ、あんたのクラスの次の授業って何だよ?」
『たいいく』
「だってさ。決まりだな。こいつを帰らせる時はどうすればいいんだ?」
「決まりって?」
 シュラインが眉宇をひそめる。更耶が空いた手で目にかかる前髪をかき上げた。
「次の授業は体育。ガキどもも体育なんだったら移動しなきゃなんねえし、嫌でも教室空けるだろ。だったらその隙に中に何があるか直接確かめてみればいい」
「賛成だね。ちょっと呪符から妙な気を感じたから、見てみたほうがいい」
 白鬼がじゃらりと首にかけた木数珠を鳴らして椅子から立ち上がる。
 シュラインが史郎と更耶にぶんしんさんを送り返すための言葉を教えると、二人はそれに従い、鉛筆が「出口」にたどり着くと、同時に鉛筆から手を放した。からりと乾いた音を立て、鉛筆は机の上に転がった。

<教室>
 授業終了のチャイムが鳴ってから、4人は七原の教室へと移動した。体操服に着替えた子供たちが4人をちらちらと見ては走り去っていく。その子供たちを穏やかな笑みを浮かべて見ている史郎・白鬼・シュラインの様子に、更耶は自分の身体を抱きしめるように腕を回して身を震わせた。
「ガキが可愛いなんて信じらんねえな、あああ寒い寒い」
「更耶くんは子供嫌いなのかしら?」
「可愛いのになあ」
「更耶自身がまだ子供だから、同類である彼らの存在を可愛いとは思えないんじゃないかな」
「ああ、なるほど」
 史郎の言葉に同時にぽん、と手を打った白鬼とシュラインに、更耶がムッとした顔をして史郎の頭を軽く横から拳で小突く。
「誰がガキだ、コラ」
「ああ、ここが七原先生の教室だ」
「あからさまに話逸らしてんじゃねえよ」
「こっちが本題だよ、更耶」
 四年二組。白鬼がさっき遠見をした時に見たのがここだった。閉められているドアを静かにシュラインが開ける。と、中から女の子が一人出てきた。突然現れた、小学校の中にいるにはいささか奇妙な組み合わせの四人に怪訝そうな顔をしながら、けれども少女は何も言わずに廊下へと走り去っていく。
 残っていたのはあの子だけだったらしく、教室はがらんとしていた。それぞれの机の上には子供の制服が綺麗にたたんで置いてある。
 すたすたと、白鬼は錫杖を手に教室の後ろのほうにある小さなロッカーへと向かった。三人もその後に続く。
「確か、この辺りだったなあ。なんだかこう、重い感じが……ここかな」
 生徒たちの名前が記されているロッカーに、一つだけ名前が書かれていない扉があった。手を伸ばし、扉を開く。
 中には、人の形をした紙が4枚入っていた。そこには、鉛筆で複雑な文様が描かれている。
「これは……」
 紙を取り出した白鬼の手の上に史郎の厳しい眼差しが落ちる。
 ふと、シュラインが何者かの足音を耳にして振り返った。
「呪詛用の人形(ひとがた)ですね」
 不意に割り込んだ第三者の静かな声に、驚いて三人も振り返った。白鬼が教室の入り口に立っている黒いスーツを纏った者を見て目を瞠る。
「鶴来さんじゃないか」
「鶴来?」
 聞き覚えのある名前に他の三人がようやく記憶の中からその名前を引っ張りあげる。七原に草間興信所に行くように勧めた人物、そして草間の旧知の人物。史郎と更耶にとっては三年坂の依頼の時にも聞いた名前だった。
 鶴来那王(つるぎ・なお)はちらりと肩越しに廊下の方へと視線を投げた。シュラインもその耳に、ぱたぱたとこちらへ駆けて来る幾つもの足音を捕らえている。そしてその足音の主たちが、鶴来の脇から教室の中へ駆け込んで来た。おそらく、最後に出て行った女の子に自分たちのことを聞いて慌ててやってきたのだろう。
「先生のプレゼントに触るなっ!」
 少年一人が勢いよく紙人形を手にしている白鬼に飛びかかろうとしたところを、更耶がシャツの襟首を掴んで引き止める。史郎が眉宇をひそめて鶴来の方を見た。
「これがプレゼント? 一体どういうことなんですか?」
 鶴来は、無言でスーツのポケットから掌くらいのサイズの小さな弓を取り出した。そして教室の天井の上隅に向けて矢を射るように弓を構える。
「鳴弦!」
 鶴来がその弓を一つ弾くと、ピィンと鋭く空を切るような音がシュラインの聴覚を捉えた。思わず痛そうに顔をしかめて片耳を覆ったところに、子供たちの悲鳴がかぶさる。驚いて顔を上げると、鶴来が弓を向けていた方向に、大きな血みどろの顔が三つ、浮かび上がっていた。強い霊気を放っているそれは、三つの顔の他にもこまごまとした霊気が混ざっている。
「なるほど、これが『先生のぶんしんさん』の正体というわけですか。生徒たちの呼び出しに応じたのは、やはりこの周辺にいた雑多な霊たちだった、と」
 史郎の言葉に、更耶が唇に強気な笑みを浮かべた。構える右腕がゆらりと淡い蒼銀のオーラを放ち出す。それは異界の者たちを斬り祓う能力を持つ、更耶の武器・手刀。
「だったら、遠慮なくやっちまっていいんだよなあっ!?」
「子供たちを頼むよ。さっさと化け物退治して安心させてやらないとなあ」
 どこかのんびりと呪詛人形を手渡しながらシュラインに言い置くと、白鬼は飛び掛る更耶の援護にと呪符を投げ打ち、すばやく九字を切る。
「臨兵闘者皆陣裂在前!」
「たあああっ!」
 気合を込めた声を放ち、噛み付こうとしているのか大口を開いて壮絶な表情で飛来する顔を腕で斬りつける。腕の動きにあわせて蒼い軌跡が走った。甲高い悲鳴のようなものを上げる顔に、白鬼が投げた呪符が張り付く。
 気から察するに、隠れるのは上手いがさほど強くもないその霊たちのことは更耶と白鬼に任せ、史郎はゆっくりと唇に笛を当てた。優しく息を吹き込む。泣いている女の子をなだめていたシュラインがふと史郎を振り返った。
 彼女には、史郎が奏でるその旋律がまるで優しい歌声のように聞こえたのだ。子守唄にも近いそれは、人を安堵させる力を持つ音色。
「もう大丈夫よ。ほら、綺麗な歌が聞こえるでしょう?」
 女の子が手の甲で涙を拭きながらシュラインを見上げる。
「歌……うん、聞こえる」
「ね? もう怖くないでしょう?」
 優しく微笑むシュラインの後ろでは、更耶と白鬼が仕上げに入っていた。
 白鬼が懐からいつも所持している五鈷杵を中央にいる、この集合体の中心と思える霊の眉間に向けて投げつける。狙いに見事命中すると、霊が顔を歪めて苦悶の表情を浮かべた。ゆらりと霊の輪郭がぼやける。
「逃がすかよっ!」
 リノリウムの床を鋭く蹴り、更耶が跳躍した。白鬼の五鈷杵が刺さった霊を、縦一直線に斬り伏せた。ぐらりと固まっていた霊が解ける。はっと更耶と白鬼が顔を上げた。中心霊を討てば消えると思っていたのに、消えることなく箍が緩んだかのようにばらけていく。
「ちっ」
 鋭く舌打ちして更耶が仕切り直そうとしたところ、そのばらばらと崩れて広がりかけていた霊をふわりと白い光が包み込んだ。そのまま、何かに引っ張られるように教室の前方へと光と共に移動する。その先には鶴来が、小指ほどの大きさの小さな瓢箪を手に立っていた。霊は光ごと瓢箪の中へと吸い取られていく。
 きゅっ、とすべての霊と光を吸い込むと、鶴来は瓢箪の蓋を閉めた。途端、シュラインの手にあった紙人形が熱くない青白い炎を立ててあっという間に燃え尽きた。それを見て、史郎の笛の音で穏やかに心を落ち着けていた生徒たちが我に返ったようにわめきだした。史郎が笛を唇から離す。
「あれは先生が欲しがっていたものじゃないよ」
 子供たちに言い聞かせるように優しく言うが、子供たちは頭を振る。
「あれがあれば先生のお願いが叶うって、先生のぶんしんさんが言ったんだ!」
「ぶんしんさんが作ってくれたんだ! あれにずっと休み時間ごとに皆でお祈りしたら、願いをかなえてくれる魔法の人形になるって!」
「あれは人の願いを叶えるようなものじゃない。人を呪って、不幸にするためのものなんだよ」
 白鬼が五鈷杵を拾って懐にしまいながら言う。
「キミたちはさっきのお化けにだまされていただけなんだ。あんなのの言うこと信じちゃいけない。キミたちの呼び出しに応じたのは、先生なんかじゃなかったんだよ」
「嘘だ!」
 シュラインと史郎は困ったように顔を見合わせた。返せ返せと大声でわめき出す子供たちに、白鬼がなんとか言い聞かせようと口を開こうとした。が、それより先に傍らから刺々しい声が放り込まれた。
「ったく、これだからガキは参るよな」
 更耶だった。生徒たちが一斉に更耶を睨む。構わず、更耶は前髪をかき上げて白けた顔をしてそっぽを向いていた。そのまま、横顔で語る。
「聞きたいことがあれば先生に直接聞けよ。こっそり用意したかった気持ちもわからねえでもねえけど、それでお前らの大事な先生が苦しんでたら意味ねえだろうが」
 ちらりと更耶が視線を動かす。廊下には、七原が立っていた。授業開始のチャイムが鳴ったのに運動場に出てこない生徒たちを心配して見に来たらしい。おろおろとした顔で、七原は生徒たちを見ている。
「先生はな、願い叶えるとかそんなご大層なモンじゃなくても、お前らが心を込めてくれたもんならなんだって嬉しいんだよ。そんなことくらい判れよ、バカ。お前らの大好きな先生なんだろうが」
 その言葉の真偽を確認するように一斉に更耶の視線を追って七原の方を振り返った生徒たちに、七原は、目に涙を浮かべながらこの上もなく優しい笑みを浮かべて言葉もなく、ただひとつ大きく頷いた。
 それだけで十分生徒たちに気持ちは伝わったらしく、それ以上生徒たちは紙人形を返せとは言わなかった。

<仲介人>
「さて、どうしてキミがここにいたのか聞かせてもらおうか?」
 とりあえず七原からの依頼に一件落着を見た四人は、鶴来と共に校門前にいた。白鬼からの質問に、鶴来は目を伏せて小さく笑う。
「ここの校長と祖母が古くからの知り合いなので、たまに祖母に代わり様子を伺いにくるんです。校長から七原さんの生徒たちのことを聞き、彼女に草間のことを紹介したのが俺だということはすでにご存知だとは思いますが」
「今回居合わせたのはたまたま、ということですか?」
 史郎が問うと、鶴来はゆるりと頭を振る。
「今日ここに貴方がたが来るということは七原さんから聞いていました。だから偶然ではない」
「あんたの力があったら、あんな霊くらいすぐにぶっ飛ばせたんじゃねえのかよ?」
 手で弓を弾く仕草をしながら、更耶が史郎の傍らから口を挟んだ。
「あんたには見えてたんだろ? あの霊の姿」
「俺の力は微弱なものには効くけれど、少しでも力をつけたものには効かない。巧妙に隠れているものの姿を暴くことはできても、それ以上の手出しはできない。だから『倒せる者』を得るために、七原さんを草間の元へ向かわせました」
「瓢箪に吸い取られたものはどうなるんだい?」
 顎ひげを撫でながら、白鬼がたずねた。投げ続けられる問いに、けれども鶴来は嫌な顔もせずに淡々と答える。
「特殊な封じを施した瓢箪です。それに、貴方がたに大半の気を散らされた後です。残された力だけで出てくることはかないません」
「問題はないんだね?」
「ありません」
「結局」
 シュラインが、頬にかかる髪を手で払いのけて口を開いた。
「あの霊はなんだったの? どうして子供たちに呪詛用の札なんか持たせたりしたの?」
「おそらく、あの霊は多少は呪術を学んだものだったんだろうね。けれどそれほどの霊力を持っていたわけでもない。それが霊体になり、自我を見失ってただの邪霊になり果て、子供たち相手に悪戯をした、といったところかな」
「どこの誰が名づけたか知らねえけど、一体どこが『ぶんしん』だっつーんだよな。ガキどももこれで懲りたらいいんだけどさ」
 白鬼の言葉に、更耶が冷めた顔でそう付け足した。

<終>
「今回は本当に更耶の意見が役に立ったね」
「あ?」
 帰り道。
 紡がれた言葉に不機嫌そうに更耶が隣に顔を向けた。史郎が小さく笑う。
「結局、嫌いだって言いながらも一番子供たちに通じる言葉を放っていたのは更耶だったし」
「それと好き嫌いは別だ。……それに、なんとなくムカついたんだよ、他力本願なガキどもの姿ってのが」
 ぶっきらぼうに紡がれる言葉。けれどもそこに悪意はない。
「まったく……バカだよな、ガキってのは。言いたいこととか聞きたいこととかあるなら直接本人に言えばいいのにさ」
 唇が、小さく笑みの形に歪む。
「どうしようもねえよな」
 本当は、聞きたくても言いたくても口にできない言葉というものがある、ということくらい更耶自身にもわかっていた。だからこそ、笑みが浮かんだのだ。嘲りでもなく、苦笑いでもなく、ただ心底から浮かんだ自然な笑みだった。
 自分もやはり、史郎が言ったとおりにまだ子供なのかもしれない。強く一人で立って生きているつもりでも、きっと、自分は――…
 そばで支えてくれる存在がなくなったら、生きてはいけないから。大袈裟でもなんでもなく、それはきっと真実というもの。
 ちらりと更耶が視線を史郎に向ける。史郎も、穏やかな目を更耶に向けていた。
「何?」
「……いや、別に」
 ふと目を逸らす。そしてまた普通に視線を合わせた。
「そういやさ、なんかお前とああやって手ェ合わせたのって久しぶりだよな」
「手? ああ、ぶんしんさんの時か」
「ガキの頃はよく手ェつないで遊んでたよな。いつからだっけ、あんまりつながなくなったのって」
「いつからだろう。ごく自然にそうなっていったんじゃないかな」
「覚えてないってことはあんまり重要なことじゃなかったのかもな」
「そうかもしれない。手をつながなくなっても、更耶はこうしていつでも俺の隣にいるわけだし」
 穏やかに笑う史郎を見、更耶もまた小さく笑った。
「でももうガキがいるところの依頼は勘弁してくれよな」
「さあ、どうかな」
「……またガキ関連の依頼受ける気かよ?」
「子供がいないところばかりで何かが起こるとは限らないから」
「勘弁してくれよ」
「だったら」
 悪戯っぽく笑い、史郎がすっと更耶の手を掴んだ。もたらされるそのぬくもりに、更耶が目を瞠る。
「ずっとこうして手、つないでいようか。そしたら嫌でもついて来るだろ?」
「ちょ…っ、おい、恥ずかしいから放せって!」
「誰も見てないって」
「俺が恥ずかしいんだよッ!」
 人通りの少ない空間に、更耶の声が響く。くすくすと小さく笑いながら、史郎は更耶の手を引きながら歩を進める。
 通り過ぎる風はまだ冷たい。けれど、わずかに朱に染まった頬にその冷たさには心地いい。
「……手なんか掴まなくても、ちゃんと俺はついていくってのに」
「何か言ったか?」
 史郎が振り返る。それになんでもねえよと拗ねた口調で答えてから、更耶は小さく笑った。
「腹減った。何か食って帰ろうぜ」
 その言葉に、史郎は頷いて答える。
 乾いた冬の空の下、何年かぶりの互いの手のぬくもりを感じながら、二人は新たなる目的地に向けて歩き出した。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/        PC名        / 性別 / 年齢 / 職業】
【0065  / 抜剣・白鬼(ぬぼこ・びゃっき)   / 男 / 30 / 僧侶(退魔僧)】
【0226  / 斎司・更耶(ときつかさ・さらや)  / 男 / 20 / 大学生】
【0202  / 里見・史郎(さとみ・しろう)    / 男 / 21 / 大学生】
【0086  / シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/ 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。
 そして史郎さん。2度目のご参加どうもありがとうございますーっ。再会できてとても嬉しいですっ。前回終了後にはメール、どうもありがとうございましたっ。とても励みになりました。
 そして、また今回も長い仕立てになっておりますが、内容的には少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?
 内容的には、斎司さんとずっと一緒に行動、ということでしたので今回は斎司さんとすべて同じ内容になっています。
 プレイングは、ぶんしんさんの実行という項目があったのは史郎さんだけでした。さすがに優しげに見えて実は恐ろ…いや、肝がすわった史郎さんです!(笑)
 そして、なにより今回特筆すべきはもう…いえ、ここで語るべきことではないかもしれませんね…ふふふ(笑)。「受けて立ちます」という言葉は伊達じゃないとわかっていただけたのではないかと思います(笑)。今回かなりあからさまになってますが、どうでしょう?
 またよろしければ、感想等いただけると嬉しいです。
 それでは、また会えることを祈りつつ。
 今回はシナリオお買い上げ、本当にありがとうございました。