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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:見えざる犬の、その牙に‥‥。
執筆ライター  :立神勇樹
調査組織名   :草間興信所

■オープニング■

 草間は目の前に座る青年に向かって、眉をひそめてみせた。
「警察庁刑事局・広域犯罪捜査共助課‥‥準備室?」
「参事官付き特殊犯罪調査官の榊千尋(さかき・ちひろ)、階級は警視です」
 親近感を感じさせる柔和な顔に、当たり障りのないあいまいな微笑みを浮かべ青年‥‥千尋はそう告げた。
(俺と同じ年頃で警視ってことは、こいつはキャリアで稲積のツテをたどって来たって事か)
 草間の協力者であり、理解者でもある警察幹部の顔を思い浮かべ舌打ちをした。
「早速ですが、これを見てください。先日から二件連続で発見された首無し死体の司法解剖の結果と、現場の写真です」
 テーブルに並べ立てられた写真には、上半身を血で染めた首のない男の死体が写っていた。
 食事前であれば、見ることどころか話題に上ることすら遠慮したい類の写真のなかから、首の部分を拡大して撮影された一枚を手に取って、草間は息を飲んだ。
「さすがに気づかれた様ですね。そう、噛み傷‥‥咬傷です。司法解剖を担当した法医学の教授によると、二つの死体は犬に食いちぎられていると見て間違いないそうです。が、困ったことに犬種がわからないのです。被害者の衣服や現場には、犬どころか猫の毛一本存在しなかったんです。また首が飛ぶところを見た女子大生が居るのですが、彼女いわく"誰も何も居ない公園で、男の人がもがきだして、そのうちいきなり首が飛んだ"というんです」
「誰も何もいないのに、か?」
「ええ。被害者は二人とも金融業‥‥業界でも悪名高いサラ金屋で、悪質な取り立てをやっている暴力団の構成員でした」
 天気の話でもするようにさらりと言ってのけた千尋をにらむ、そこまでわかっていて警察が手を出さない理由はただ一つ、犯人が目に見えないもので、証拠が何一つ無く、人間に逮捕出来ない存在だと判断したからだろう。
 伝令としての用事は終わったと言わんばかりに、さっさと帰り支度をする千尋にむかって草間はうなるように告げた。
「あとは民間人にすべてお任せして‥‥いいんだな?」
 草間の最終通知に、千尋は肩をすくめると「報告書と領収書を忘れなければね」と笑って草間興信所を後にした。
 立ち去った青年の真似をして肩をすくめると、気配を殺してついたての向こう側に隠れていた人物に草間は問いかけた。
「と、言うわけだ。来た早々で悪いんだが。どうだい? やってみるかい?」


■13:30 警視庁総合資料室■

 ――目を閉じれば、世界はいつだって静穏だ。
 どんなに凄惨な殺人現場であろうと、目を閉ざしてしまえば、音が聞こえない廉の世界は、沈黙と暗黒だけに支配される。
 しかしいつまでも心地よく静穏な世界に浸っている訳にはいかない。
 世界では刻々と時間がすすみ、事件はリアルタイムで発生していく。
 そう、日本最大の警察組織である警視庁であるならば、なおのこと。
 それは警視庁公安部の「名も知られない部署」の「特殊捜査官」である斎木廉にとっても同じであった。
 廉はゆっくりとまぶたを開け、硬質的な銀の瞳で机の上にある資料をにらんだ。
 「連続首無し死体」事件の被害者に、借金を取り立てられていた者の中から、犬を飼っていた家庭を抜き出したリスト。それは草間興信所の事務員シュライン・エマが、廉に入手して欲しいと依頼した資料だった。
 二十件程のリストには全て赤いチェックが入っている。
 恐らく捜査一課の刑事達が聞き込みを終えたという事なのだろう。
(しかし、人ならざる力では捜査していない――か)
 自嘲するように口の端で笑うと、真っ直ぐに伸びた絹糸のような黒髪が、音もなく肩からするりと滑り落ちた。
 首無し死体、姿の見えない犬‥‥とすれば、何らかの能力者が見えない犬を、式神のようなものを使って殺人を起こさせている?
(何人か、特殊捜査官が動き始めているのかもしれない)
 「名も知られない部署」の「特殊捜査官」達。
 廉もその一員であったが、同僚の顔などしらない。
 そもそも、社会的に公にならない凶悪犯罪の抹消や、法で裁きようのない犯人を事故と見せかけて抹殺する。――極秘かつ非公式の部隊なのだ。
 すべての司令は密室で個々に下され、誰が捜査官なのか誰もしらない。
 警察が暗殺や事件の抹消を行っているなど、公にはできないのだから。
 暗い迷宮のように入り組んだ、警察組織の暗部を思い、廉は頭をふった。
 誰が何の為に動いているかを知るより先に、今はシュラインに資料をファックスするのが先決だ。この事件はいろんな意味で自分も気になっている。
 それに非公式とはいえ、警察から草間興信所に依頼が行ったというのだ。
 情報は持ちうる限り提供されねばならない。ただ、警視庁で最も「特殊捜査」に理解を示している男、穂積からの依頼ではないというのが気に掛かったが。
 資料を手にして立ち上がった瞬間、廉は驚きに息をのんだ。
「はじめまして‥‥斎木、廉警部補?」
 清潔そうな白いシャツに紺色の三つ揃いのスーツ。綺麗に櫛が入った焦げ茶色の髪と大きな栗色の瞳。そんな少年のような顔に、純心そのものの笑顔を浮かべ一人の男が目の前に立っていた。胸元にはNPA。――警察庁の職員であることを示すバッチ。
 警察庁といえば日本の各都道府県にある警察を、統括、指揮、指導する司令塔である。建物の規模や人数こそ少ないものの、そこに集められるのは全てが国家一種公務員試験を通過したキャリア‥‥いわゆる警察官僚であった。そんなキャリアがなぜ私を? と廉が自問自答していると、男はまるで場違いな、のんびりとしたスピードで唇をうごかした。
「やはり警視庁の資料室は広くて、新しくていいですね。図書館みたいで居心地がいい。ウチのボロ資料室とは大違いですね」
 いうなり男は胸元から名詞を取り出して、机の上に置いた。
「警察庁広域犯罪捜査共助課準備室、参事官付き第二種特殊犯罪調査官、榊‥‥千尋?」
「警視庁公安部の「名も無き部署」よりは規模として小さいのですが、特殊な捜査を総合的に調査し、専門捜査官を派遣する部署です。ただ、まだ準備室で、正式に課として認められるかどうかは、これからの調査と実績に掛かっている訳ですが」
 外国人じみた動作で千尋は両手をあげ、「おてあげ」のポーズでおどけて見せた。
「首無し死体の件はすでにご存じですね。あなたはどう考察されてますか?」
 人当たりの良さそうな微笑みだが、視線は真っ直ぐに廉のもっている資料に注がれていた。
 廉は体を包む黒タートルの裾を握りしめ、血のように赤い唇をなめた。――戦闘前の猫科の肉食獣のように。
「何らかの能力者が見えない犬、式神を駆使して殺人を起こさせていると考えます。被害者の共通点などから恨みを持つ人物を洗い出せば、犯人にたどり着く確率は高いと思います」
「なるほど、それで借金苦の飼い犬リストですか」
「捜査一課が捜査していても、人ならざる力は人ならざる目にしか見ることはできません」
 表情を微動だに変えず廉は千尋をにらんだ。千尋もまた、廉の銀色に光る瞳をじっと見ていた。
 無言の対峙が続いたあと、不意に千尋が鼻の奥でくすり、と笑った。
「草間興信所に行ったら、全てを民間人に任せるのか、となじられちゃいまして。まあ、草間さんが言うことにも一理あるなという訳で‥‥公安のあの方にお願いして、一時的にあなたを借り受ける許可を頂きました。協力などというまどろっこしい言葉は使いません。最初の質問です‥‥あなたなら、この事件の「解」を得るためにどこにいきますか?」
 決められた台詞を言うように、滑らかに動く千尋の唇を読唇術で見透かしてみせると、廉は形の良い唇に酷薄な三日月の笑みを浮かべた。
「上野‥‥上野公園へ。私なら被害者がみた最後の景色を、過去の光景を見ることができます」
 そう、歴眼をもつ私ならば、この事件の「過去」を見定めることができる。
 確信と共に千尋を真っ直ぐに見返すと、彼は廉の言葉を肯定するように、しっかりと無言のままうなずいた。

■17:40 上野公園 ―― 歴眼■

 肌を責めさいなむ氷の針のように冷たい風が吹き荒れている。
 2月はじめの公園は、18:00前だと言うのに、暗い闇におおわれようとしていた。
 首無し事件があった為か、人通りはいつもより極端に少なく、普段なら恋人達や少年達が集う「ラジオたいそうひろば」にも人影はなく、ただ噴水の音だけが寂しげにあたりに響いていた。
「事件が起こったのは不忍池側、上野の森美術館と池に挟まれている道の近くです」
 グレイのコートの襟を寄せながら、じっと道の向こう側で揺れる「警視庁-KEEP OUT」の黄色いテープを見ていた廉に、千尋が口を動かして見せた。
「見なくても、わかるわ」
 階級が上の人間に対する言葉ではないな、と思いながらも、廉はそうつぶやかずにいられなかった。
 空を舞う首、噴水のように一度だけ高く、毒々しく空をそめて吹き上げる鮮血。
 高い高い、女性の叫び声。
 まだ「歴眼」で見ているわけではないのに、事件の残滓が廉の脳裏に流れ込み、明滅し、少しずつヴィジョンを作り出す。
 コートをはためかせな、ローヒールで石畳を蹴るようにして道を進んでいく。
 案内の必要などない。立っているだけで強く伝わる「過去の惨劇」が廉を招き寄せている。
 飛び散る鮮血に、立ちすくむ恐怖――これは目撃者の「過去の意識」。
 急激に苦しくなる喉、一瞬の焼け付くような痛み、コードを引きちぎるような音と共にちぎれていく、己の血管。痛いより、怖いより、苦しいより、それは不気味で、自分の身に起こっている事とは思えない。
 くるりと回る景色、スモッグで汚れてかすむ月、ギラギラと輝く高層ビルの光。そして放映後のテレビのような一面の砂嵐。
 ブラックアウト。――これは被害者。
(違う、もう一つあるべきだわ)
 首を切り取った者の意識を求めて、廉の瞳は現場を凝視しつづける。
 暗い銀色の瞳は、今やプラチナのように燦然と輝いていた。
 ‥‥かすかなうなり声が、廉の頭の奥で響いた。
 声はやがて映像を紡ぐ。
 視点が低いのは、犬だからだろうか。桜がさく上野公園を不忍池を走っている。左で動くスラックスの足は「おとうさん」の足で、右で動く小さくて細い足は「おねえちゃん」の足だ。走り抜けた向こうには「おかあさん」が待っている。
 走って、走り抜けた途端に映像は変わる。葬式。おとうさんの葬式。
「借金を返す為に保険金を自分にかけて自殺した」と人間が言っている。わからない。おねえちゃんが大きくて乱暴な男に連れ去られていく、泣くおかあさん。一生懸命に吠え、かみつき、けれど蹴り飛ばされて玄関に叩きつけられる。痛み。泣きながら僕を抱えるおかあさん。
 なのに何故? 何故僕を神社にうめたの? 体の下は土の中で頭だけが出ている。
「おかあさん」は毎日くるのに、餌はくれない。どうして? 怖い、痛い、寒い、おなかが減った。どうしてみんないなくなったのかな? ――ドウシテ「おかあさん」ハ餌デハナク、刃物ヲモッテ、ソシテ僕ノ首ヲ跳ネタノ? 暗い闇、恨み、飢え、憎しみ。あいつらを殺してやろう。
「おかあさん」を悲しませた。
「おかあさん」に僕の首を跳ねさせた‥‥。
 あいつらを殺せと「おかあさん」が言ってるから。だから‥‥。

「斎木さん!」
 鋭い語気で呼ばれ、廉は「過去の世界」から呼び戻された。
 粗々しく口から吐き出される息は白く、冬だと言うのに、額から一筋の汗が土に落ちた。
「大丈夫ですか? お邪魔してはいけないと思ったのですが、ずいぶん「引きずられて」いるように見えましたから」
 心配そうに下からのぞき込んでくる千尋の手を、肩からゆっくりと引き剥がして廉は頭を振った。
 あれだけのもの、あれだけの思念を引きずり、過去を残せるような式神はいない。式神はあくまでも術者の意志を次ぐ形代なのだから。
 だとすれば、可能性は自ずと一つしか見つからない。
「狗神‥‥この事件の被害者を襲ったのは、狗神、いえ、狗神を操っている人間です」
 陰鬱な想いを無表情の仮面で隠しながら、廉は髪の毛をかき揚げ、真っ直ぐに血の跡が残る現場を見たのだった。

■18:00 上野公園 ―― 襲撃 ■

「ん? ああ、あんたも手下一人で済めば恩の字だろう? 金? 金は明日直接取りに行く。高すぎる? じゃあ話はナシだな。全員そろってバケモノに首喰われて死んじまえよ」
 歩きながら会話するにしては、あまりにも不似合いで危険な会話を繰り返す張暁文(チャン・シャオウェン)を余所に、斎悠也(いつき・ゆうや)は事件の現場に足を踏み入れた。
 と、そこには長い漆黒の髪を風に踊らせている女と、芽の出ない大学の助教授と言った感じの、焦げ茶の頭の男が立っていた。斎木廉と榊千尋の警察コンビだ。
「あ、斎木さん。お久しぶりですね」
 すっかりとあたりが暗くなり水銀灯が灯り始めた公園で、闇夜の王さながらに金の瞳を輝かせ、悠也が言った。
「誰、こいつ」
 数歩遅れて現場にたどり着いた暁文が、はなはだ失礼な口調で尋ねたが、廉に「警視庁の刑事よ」と冷たく言われて鼻白む。
「全員集合したのね。都合が良いわ」
「歩いてきたから、遅れるかと思った」
 鼻白んだ暁文の後ろから、僧侶風の大柄な男と知的な秘書と言った感じの女性が続いて現れた。抜剣白鬼とシュライン・エマ。
「全員集合、という訳ですね」
 にこにこと、遠足に来た小学生のように千尋が楽しそうに笑う。
「えーと、草間興信所に依頼に来た、刑事さんですね?」
「はい。榊千尋です。正確には捜査官では無くてただの調査官です。みなさんの足を引っ張らなければいいのですが」
 照れたように髪をなでながら、千尋は悠也に向かって手を差し伸べる。気軽にその手を取った瞬間、悠也はかすかに顔をしかめた。
「どうかされました?」
「っ‥‥いや、静電気、です」
 歯切れ悪く言いながら、悠也が手を振る。
「冬場は空気が乾燥してるから、良くあるよね」
 納得、と言った調子で抜剣が笑う。悠也はまだしびれているらしく、手首を持って手を振っていた。
「処で榊さんって、同じ名前の所員が居るけど親戚?」
「いえ、そんな事は無いと思いますよ。私には両親も親戚もいませんし」
 あまりにも脳天気に言われ、謝ったらいいのか、そうなの、と受け流せばいいのかシュラインが思案していると、廉が腰に両手をあてて息をついた。
「榊警視、和んでいる場合では無いと思われますが」
「あー、うん。そうだね。じゃ、今日のまとめ聞いてもよろしいですか?」
 冷たい廉の声が全く堪えないてないのか、春の陽光のようにのどかに言う千尋にうながされ、各人が報告を開始した。
 全員がそれぞれに調べてたどり着いた結論は「狗神」だった。
 悪質なサラ金に捕まり、家庭が崩壊し、家人が次々に自殺や病死した塚原家。
 塚原家から急に消えた犬。そして神社に日参する母親。
 その母親・幸恵が、その「狗神」の使い手であり、作り手だろうという事。それらを手際よくシュラインが説明し終わると、怪訝な顔で暁文(刑事である千尋と廉が居るため、みんなは中島文彦と呼んでいたが)が首をひねった。
「その狗神って言うのは、何だ?」
「日本の呪術の一つですよ。神社の敷地内に犬を首だけだして生き埋めにするんです。そして犬が飢えて凶暴になり、目が血走ってきた処で、首をはねて、呪術の「基」とし、その魂魄を「鬼」または「式」として使役し、呪う相手を襲わせる。そうでしたよね?」
 日本古来から伝わる神道の術者らしく、よどむ事無く言い切ると、悠也は抜剣を見上げて目配せしてみせた。
「特に飼い犬、長くかわいがってきた犬であればある程、強い「呪」になるみたいだね。愛する者に裏切られた犬の「念」と愛する犬を殺す術者の「念」が相乗すると言われているよ」
「愛する者に裏切られた念と、愛する者を裏切り殺す程の憎しみ、か」
 だから「歴眼」で引きずられたのか、と廉が現場から目を反らすと、暁文が鼻をならした。
「なんだ、じゃあその母親に念を解かせればいいんじゃねえか」
「それは無理だね。一度放たれた「狗神の呪」は呪われた相手が死ぬか、呪った自分が死なないと解呪されないんだ」
 抜剣が言いにくそうに語尾をにごし、数珠を指先で転がした。
「じゃ、現れた処をつぶした方が手っ取り早い」
「どうやって「狗神」を呼ぶのよ」
 あくびをしながら悠然と構える暁文に、シュラインが冷静に突っ込む、と暁文はちらりと横目で見たあと、歌舞伎町で悠也にしたようにシュラインの耳に口を近づけて、ぼそぼそと「手段」を語った。
「つまり、サラ金の元締めである戸馬組の幹部を脅して次のターゲットと思われる人物をおびき寄せるって事ね」
 なぜか呆れながら、シュラインは肩を落として頭を振った。
 恐らく暁文が情報を入手した経緯が、呆れざるを得ないものだったからだろう。
「19:00に呼び出してやったんだ。一時間あれば心の準備もできるだろ?」
「結界も準備済みです。あとはこの最後の結界符を置けば完成」
 嫌も応も無くしたたかに準備をすすめた、新宿歌舞伎町人気者チーム二人は、からかいの笑みを含ませた瞳でシュラインを見ている。
「そう上手く行くかしら?」
 シュラインがつぶやいた刹那、全員に緊張が走った。
 風が止んでいた。
 芸術院会館の方から、一人の男が現れた。
 恐らく暁文が呼び出した「次の狗神」のターゲットなのだろう。
 しかし全員が緊張したのは、彼が現れたからでは無い。
 彼とは反対側、不忍池の方面から、冷たく、暗く幽やかな気配がするすると、近づいてきているのを感じたからだ。
「何だ、てめぇら。俺が極東会系戸馬組の若頭としっていて、こんな茶番を仕組んでい‥‥何?」
 パンチパーマに金無垢のチェーンネックレスをつけた男が、全てを言い終わらない内に、事は起きた。
 一陣の風と冷気が男に向かって真っ直ぐに突き進む。
「音太刀!」
 叫び、廉が手刀で空を切った。
 途端に全てを切り裂く真空の刃が生まれ、男に飛びかかろうとしていた「何か」を押し凪いだ。
 見えない「何か」が植え込まれた雑木をなぎ倒し、あたり一面に砂埃が立った。
 一瞬のためらいも無く、悠也が結界符を地面に張り、流麗によどみなく禊祓詞を口から紡ぎ出す。
「高天原に神留ります 神漏岐神漏美之命以ちて 皇御祖神伊邪那岐之命 諸々禍事罪穢を我が内に留め給へと畏み畏みも白す!」
 唱え終わった瞬間、公園の至る所から蒼い光が現れ、流れ星のように悠也の周りに集い、それらの光はやがて薄い膜となり、関係者達をつつむ霊的な磁場‥‥ドームへと変化する。
「これで外界に影響無く戦えます。この中に入れるのは俺が許可した人間か、その狗神の主だけですから、ついでに‥‥」
 壮絶なまでに美しい金の目を細めながら悠也が微笑んだ。
「因々々至道神勅急々如塞道塞結塞縛不通不起縛々々律令!」
 唱えるが早いか、二枚目の符「縛魔符」をなぎ倒された雑木に向かって投げつける。
 刹那。
 符は空中で光り輝く白鳥へと変わり、両翼を伸ばして見えない「何か」を包み込む。
 ギャン、と高い犬の鳴き声がしたと同時に、白鳥の姿が薄れ、代わりに蒼い鬼火をまとわりつかせた秋田犬が現れた。
 ――いや、ただの秋田犬では無い。
 その大きさはライオンと同じであり、口からのぞく牙は、全てが吸血鬼のように湾曲し、三日月さながらに研ぎ澄まされていた。
 悠也の捕縛符が効いているのか、狗神はうなりながら雑木林から起きあがり、飢えの証である涎を牙の間から滴らせながら一同をにらんだ。
「今よ、捕縛符が効いている内に!」
 言うなり、廉が腕を振り上げ、再び音太刀を狗神に叩きつけようとした瞬間。
「いけません!」
「駄目だよ!」
 千尋と抜剣がほぼ同時に叫んだ。
 意外な声に、廉が動きを止めた。
 その隙を狙い狗神が廉に向かって突進し始める。
「斎木さん、危ないっ」
 エマが叫んだと同時に暁文が地面をけり、廉を抱えこみつつ時の狭間に身を投げる。そして瞬時に、狗神の射程距離から離れた地点にテレポートで着地した。
「は、間一髪だな」
 危機的状況を楽しんでいるかのような台詞だったが、暁文の目は隠す事の無い苛立ちにあふれていた。
「何が駄目だって言うんだよ、あんたら!」
「「狗神の法」で呪詛返し‥‥つまり狗神本体を殺したら、呪詛をかけた人間も死んでしまう」
 喉を押した苦しげな声で、抜剣がうなった。
「だから何なんだ?! この狗神を操っている奴はもう二人も殺してるんだぜ? 術が返されて死んだってしょうがないだろ! このままでは」
 暁文はそこで言葉を止めたが、言わなくても全員にわかっていた。
 術者の命を救うならば、狗神を殺す事はできない。つまり――このままでは全員が殺されてしまう。
「ですが我々の目的は犯人を逮捕する事であって、殺す事では無いのです」
「くそったれの甘ちゃん刑事がっ! 状況がわかってるのか!」
 臆す事の無い千尋の言葉に暁文が唾をはいた、確かに彼の言葉は甘すぎる。しかし。
「どんな悪人でも、憎しみを抱く人間であっても、死なずに済むなら死なない方がいい!」
「その通りだよ、何とか封じるよう努力してみるしかないねっ!」
 千尋の叫びを追うように抜剣が僧侶らしい同意を返し、錫杖で地面を突いた。
 金属のふれあう澄んだ音が、結界内の空気を張りつめさせる。
 錫杖を支えたまま、指先に呪符を挟み、電光石火のすばやい動作で抜剣は九字を打った。
「臨兵闘者皆陣裂在前!」
 九字を切った勢いのまま、呪符を狗神に投げつける。
 呪符は狗神に張り付く寸前に細かく避け、光の網となり、狗神を絡め捕らえた。
 しかし、よほど「念」が「呪い」が強いのか、悠也と抜剣の呪符を喰らってもなお、狗神は立ち上がり、自分を封じようとする人物をにらみ付け、飛びかかる隙を伺っていた。
 ――どうすればいい? 全員の頭でその問いが繰り返されていた。
 いつまで呪縛が持つのかわからない。
 呪縛を続ける抜剣と悠也の額から、汗が幾筋もしたたり落ちていた。
 震える二人の指先や、荒々しい息が、限界が近いと伝えていた。
「斎木さん、あの狗神を「歴眼」して私にその記憶を送れますか?!」
 それまで闘いの成り行きを見守るだけだったシュラインが、唐突に叫んだ。
 廉はあっけに取られたように、シュラインの蒼い眼を見つめていたが、すぐに意図を察知したのか、銀色の瞳をシュラインから離して狗神に合わせ始める。
 廉の瞳が恒星のように、白く冷たく輝き始める。
 シュラインは廉の手を強く握りしめ、流れ込んでくる狗神の過去を、そこに眠る想い出のままに唇をひらき、喉を震わせた。
 オオォ‥‥‥‥ン。
 静かな結界の中に、犬の遠吠えが響く。
 切なく、苦しげで、悲しみに満ちた遠吠え。
 愛する者を失い、愛する者に苦しめられ、そして殺された叫び、それでも、忠誠を尽くし、身を魔道に落としてなお、主の呪いを果たそうとする、最後の叫び。
 シュラインの完璧な聴力とヴォイスコントロールによって模写された、狗神の‥‥狗神がまだ、家族にかわいがられていたただの「犬」であった頃の叫びがこだまする。
 幾度シュラインの声が「遠い想い出」を奏でた時だろう。
 全員が希望とも絶望ともつかない不安に襲われ始めた頃、雑木林をかき分け、一人の中年女性が現れた。
 痩せこけた頬に、乱れてこぼれ落ちた髪、走ってきた途中で無くしたのか、靴はもげ、足の裏には小石が食い込んでいた。
 彼女が狗神の主であり、呪いを作り出した者‥‥塚原幸恵であると、誰もが知覚した。
 幽鬼のように頼りない足取りで狗神の前に来ると、彼女はがっくりと膝を落とし、手が燐光に焼かれるのにも構わず、狗神を抱いた。
「ごめんなさい‥‥呪っても、誰も帰ってこないとわかっていたのに」
 彼女の言葉が静かに空中にかき消えたと同時に、狗神がゆっくりと縮み始めライオンのような体から邪気がぬけ、ゆっくりとただの「犬」の魂魄へと戻っていく。
 そして「狗神」であったモノは、最後に流れ落ちる飼い主の涙をなめて、完全にこの世界から消失した。
 全員が驚きのままにシュラインを見た。
 クールな彼女にしては珍しく、照れた表情でシュラインは微笑んでいた。
 全員が驚きに囚われている中、暁文が呆れたように肩をすくめ、腰をぬかしたまま金魚のように口をぱくぱくさせるヤクザの肩をたたき、低い、地獄の底から這い出るような声で囁いた。
「高い授業料だったな」と。
 それが、戦闘終了の合図であった。


■22:00 警察庁・広域犯罪捜査共助課準備室■

 資料が山のように積み上げられた部屋の一室で、廉と千尋はもそもそとまずいことこの上ないコンビニ弁当を口に運んでいた。
 事件が解決してから3時間、事情説明や供述調書などの書類作成にかかりっきりだったのだ。
 刑事とは言え、公務員‥‥つまりお役人であることには変わりない。
「すみませんね、ウチは狭い上にボロいんです。警視庁さんより貧乏だしね」
 この人に機嫌が悪い時など無いのでは無かろうか? と、疑問を抱きながら、つねに微笑みを絶やさない千尋を見やり、廉は箸を置いた。
 場所は警察庁3Fの広域犯罪共助課準備室、である。
 まだ24時になっていないと言うのに、だれも人が居らず、10メートル四方の部屋はがらんとしている。
 立て替えたばかりの警視庁と違い、戦前の建物をそのまま使っているから、天井にはむき出しのパイプが、壁の漆喰にはヒビが入っている。
 もっとも、この警察庁に所属する人間の大半は、二年単位で全国を転々とするのだから、仮宿の警察庁がボロでも気にならないのだろう。
「これだけはウチの参事官の趣味で、良い豆を使ってるんですよ」
 そう言うと、コーヒーが入ったカップを廉の目の前においた。
 煎れたての豊かで深い香りがする。
「ここは‥‥広域犯罪共助捜査課準備室はいつもこうなのですか?」
 廉の質問に、ああ、と答えて千尋はコーヒーカップの縁を指先ではじいた。
「全体で四十人ちょっとしか居ないからね。参事官の下にそれぞれの専門調査官が五人、その下に技官と捜査官が六、七人かな? でもほとんどみんな本庁にはいないね、チーム毎に全国を飛び回って、専門的で特殊な事件の調査と解決に当たってる」
 私もね、と言って千尋は肩をすくめ、指を折り始めた。
「広域組織型犯罪班、ハッカーなんかの情報犯罪班、異常殺人担当のプロファイラー班。法医学・科学捜査班そして――第二種特殊犯罪班」
 握りしめた拳に、一度だけ力がこもり、微笑みの奥の瞳に鋭い殺気に疑似した光が、微笑みの奥に隠された本性が、一瞬だけ浮かんでそしてすぐに消えた。
「なーんて、ウチはあくまでも何でも屋調査班だから、あんまり捜査とか逮捕とか始末とかしないんだけどね。タテマエ上」
 コーヒーカップを片手に、机の隅に腰をかけ、千尋は再び微笑みの仮面をかぶったまま足を組んでゆらりとゆらした。
「では、広域犯罪共助捜査‥‥」
「言いにくいなら、G2で良いですよ」
「ジーツー?」
「グローバルゲート、GGの略です。境界を越えた専門捜査、そんな感じですね。準備室と言うようにまだまだ調査準備段階なのですが、数年をかけてゆっくりと警視庁や各都道府県警にも、あなたのような捜査官が増えていくと思います」
 それが良いことか悪いことか、私にはわかりかねますが。と言って千尋はコーヒーで唇を湿らせて言葉をつづけた。
「ただ、――もしかしたら再び、あなたのお力を借りなければならなくなるかもしれません」
 その時はよろしくお願いします。と、見ているこちらがはずかしくなる様な鮮やかな笑みで言われ、廉は「はい」とも「いいえ」とも言えずに、口をつぐんだままこめかみを押さえた。
 東京の夜には、まだまだ事件があふれていた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0188 / 斎木・廉(サイキ・レン) / 女 / 24 / 刑事 】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 /草間興信所事務員&翻訳家&幽霊作家】
【0213 / 張・暁文(チャン・シャオウェン) / 男 / 24 / サラリーマン(自称)】
【0164 / 斎・悠也(いつき・ゆうや)/ 男 / 21 / 大学生・バイトでホスト】
【0065 / 抜剣・白鬼(ぬぼこ・びゃっき) / 男 / 30 / 僧侶(退魔僧)】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、新ライターの立神勇樹(たつかみ・いさぎ)です。
 普段はネットの片隅で、刑事さんとか法医学者さんとかのミステリーを書いて生息しております。
 今回、初! のOMC「東京怪談」を書かせていただいたのですが、いかがでしたでしょうか? 初めてなので、あれも、これも描写をしたいな、と思っていたら、とても長くなってしまい、反省しきりです。少しでも読み応えのあるモノになっていると、良いのですが。
 さて、今回の事件は「エピローグを除いて時系列順に9シーン」。
 それぞれ「原稿用紙で30枚のパラレル構成」になっております。
「なぜこのキャラが、こういう情報をもってこれたのかな?」と思われた方は、他の方の調査ファイルを見てみると、違う角度から事件が見えてくるかもしれません。
 もしこの調査ファイルを呼んで「この能力はこういう演出がいい」とか「こういう過去があるって設定、今度やってみたいな」と思われた方は、クリエイターズルームから、メールで教えてくださると嬉しいです。
 あなたと私で、ここではない、別の世界をじっくり冒険できたらいいな、と思ってます。

 こんにちは、斎木廉さん。今回は参加してくださりありがとうございました。
 あなたが立神シナリオ初参加・一番乗りでした。(ありがたや〜)
 さて、 斎木刑事の立場についてですが、他のライターさんのシナリオを読み、いろいろと考慮した結果「知ってる人は知っている(特殊捜査の)部署」だが「知らない人が見たらただの公安刑事」という設定で行かせて頂きました。
(これなら他のライターさんシナリオとバランスが取れるかな、と) 榊警視の立場や仕事内容については文中通り「基本的には事件調査オンリー」です。戦闘には参加しない様です。能力者かどうかも不明です。
 部署が準備中で人手が足りてないご様子なので、今後も草間興信所にちょこちょこ現れると思います。
 もし今後立神のシナリオに参加してくださる機会があり、榊警視が関わっている様でしたら、G2について、彼についてなどなと尋ねてみると、(教えられる範囲内で)教えてくれる事でしょう。

 では、再び不可思議な事件でお会いできることを祈りつつ。