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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:見えざる犬の、その牙に‥‥。
執筆ライター  :立神勇樹
調査組織名   :草間興信所

■オープニング■

 草間は目の前に座る青年に向かって、眉をひそめてみせた。
「警察庁刑事局・広域犯罪捜査共助課‥‥準備室?」
「参事官付き特殊犯罪調査官の榊千尋(さかき・ちひろ)、階級は警視です」
 親近感を感じさせる柔和な顔に、当たり障りのないあいまいな微笑みを浮かべ青年‥‥千尋はそう告げた。(俺と同じ年頃で警視ってことは、こいつはキャリアで稲積のツテをたどって来たって事か)
 草間の協力者であり、理解者でもある警察幹部の顔を思い浮かべ舌打ちをした。
「早速ですが、これを見てください。先日から二件連続で発見された首無し死体の司法解剖の結果と、現場の写真です」
 テーブルに並べ立てられた写真には、上半身を血で染めた首のない男の死体が写っていた。
 食事前であれば、見ることどころか話題に上ることすら遠慮したい類の写真のなかから、首の部分を拡大して撮影された一枚を手に取って、草間は息を飲んだ。
「さすがに気づかれた様ですね。そう、噛み傷‥‥咬傷です。司法解剖を担当した法医学の教授によると、二つの死体は犬に食いちぎられていると見て間違いないそうです。が、困ったことに犬種がわからないのです。被害者の衣服や現場には、犬どころか猫の毛一本存在しなかったんです。また首が飛ぶところを見た女子大生が居るのですが、彼女いわく"誰も何も居ない公園で、男の人がもがきだして、そのうちいきなり首が飛んだ"というんです」
「誰も何もいないのに、か?」
「ええ。被害者は二人とも金融業‥‥業界でも悪名高いサラ金屋で、悪質な取り立てをやっている暴力団の構成員でした」
 天気の話でもするようにさらりと言ってのけた千尋をにらむ、そこまでわかっていて警察が手を出さない理由はただ一つ、犯人が目に見えないもので、証拠が何一つ無く、人間に逮捕出来ない存在だと判断したからだろう。
 伝令としての用事は終わったと言わんばかりに、さっさと帰り支度をする千尋にむかって草間はうなるように告げた。
「あとは民間人にすべてお任せして‥‥いいんだな?」
 草間の最終通知に、千尋は肩をすくめると「報告書と領収書を忘れなければね」と笑って草間興信所を後にした。
 立ち去った青年の真似をして肩をすくめると、気配を殺してついたての向こう側に隠れていた人物に草間は問いかけた。
「と、言うわけだ。来た早々で悪いんだが。どうだい? やってみるかい?」


■13:00 草間興信所■

「首なし死体‥‥ああ、あれか」
 ついたての影からあらわれた張暁文(チャン・シャオウェン)は、首を回しながらちらりと草間を見て肩をすくめた。
 大陸系の彫りが深い顔の眉間に、しわが刻まれている。
 不法滞在、銃刀法違反、その他モロモロ‥‥警察のご厄介になる理由に事欠かないこの青年は、榊警視が来たと同時に、有無を言わさずついたての影に押し込まれたのだ。
 あの榊千尋とかいう警察官が暁文を捕まえにきたのでは無い、という事がわかり草間興信所一同でほっとしたものの、暁文は出るタイミングを完全に失い、草間も草間で紹介するタイミングを失ったまま、ずっとついたての裏で息を潜めさせられていたのだ。不機嫌になるのも無理はない。
「自業自得じゃねえのか。
「仕事」を上手くやらねえ方が悪い」
 鋭くつり上がった瞳に、侮蔑の色を混ぜながら暁文は肩をすくめた。
「そう言えばそうなんだけどな。ともかく依頼を受けたんだから、そうもいってられないだろう?」
 痛烈な暁文の言葉に、草間は苦笑しながら天井を見上げて頬をかいた。
「姿が見えないだけの生物だとすれば近くにいけば心臓の音なり聞こえそうだけど‥‥そもそも生物かすらわからないのよねぇ‥‥」
 来客用のカップをテーブルから下げながら、草間興信所でバイトをしているシュライン・エマが男性にしては柔和すぎ、女性にしてはやや凛としている、中性的な横顔を曇らせてつぶやいた。
「死んだ男性は二人とも公園で亡くなったのかしら?」
 トレイを片手に背筋を伸ばす。事務員にしておくにはもったいない程、彼女は姿勢が良い。
「上野公園だろ? 組の幹部だかなんだかが東大病院に入院していてそれを見舞った帰りだったらしいぜ。もう一人は歌舞伎町のコマ劇場裏だったかな。そっちは目撃者は居なかったみたいだが、場所が場所だ。悲鳴を聞いた野次馬が駆けつけたら首が裏道に転がっていたって話だぜ」
 応接用のソファーに座り、テーブルの上に足を投げ出しながら鼻をならした。
 確かに新宿の真ん中なら人通りも多かっただろう。
 姿を見られずに首を食いちぎって逃げ去るなど、まっとうな野犬には出来ない相談だ。
「いつもながら「裏歌舞伎町」のニュースは速いんだな」
「仕事柄だよ。恨まれる心当たりってのはありまくりか、あいつら」
「ちょっとまって、歌舞伎町の方はともかく、上野公園の方も? 目に見えないって証言は彼女の言葉だけで嘘って可能性はないかしら?」
 何にでも疑いを持って見るのは嫌な感じだけど、と続けながら、シュラインは器用にトレイを片手にしたままテーブルの上の資料に手を伸ばした。
「音や離れた処に野次馬に加わらなかった人とかが居なかったかとか。このサラ金屋両方から金を借りてる人なんかは警察も調べていると思うし‥‥それなら斎木刑事に連絡すれば、リストはもらえそうだから、リストから犬を飼ってる人物をピックアップして‥‥」
「そっちの方はあんたにまかせるよ。俺は別の方向から探りをいれてくる。次に狙われるのは大元の暴力団だろうしな」
 いうなり、シュラインの返答を聞かずに暁文は勢いよくソファーから立ち上がった。
「あんた。リストに何人いると思ってるの? 私に一人でやらせるつもり?」
「俺は集団行動は苦手なんでね。特に刑事が関わるんならよけいゴメンだ」
 ちらりと肩越しに振り返り、口の端を皮肉下にゆがめて手を振ると、暁文は草間興信所を悠然とした足取りで出ていった。
「まあ、彼は彼なりに動いた方が良いと判断してるんだよ。だから」
「わかってます」
 怒っているわけでも、ふてくされているわけでも無い。さばさばした口調でいうと、シュラインはにっこりと笑ってトレイを草間に差し出した。
「一人では大変そうだからすぐでかけます。後かたづけと掃除、よろしくお願いします。所長」
 これではどちらが探偵でどちらが事務員だかわからない。そう思いながら草間は長いため息をついた。


■15:30 千駄木路上■

 草間の連絡により、斎悠也(いつき・ゆうや)と抜剣白鬼(ぬぼこ・びゃっき)という二人の援軍と合流したシュラインは、早速予定通り、女子大生に話を聞く事にした。
 目撃者の女性は、事件があった上野公園近くにある洋食店「正精軒」のウエイトレスで、比較的簡単に探し出す事が出来た。
 ――が。
「だから、本当に何も見えなかったんだってばぁ。ほら、マフラーがからみつかれたみたいなぁ? 感じぃ? それでぇ。もがいているなぁ。と思ったらいきなり首がぁ飛んだんだってば」
 キンキンとしたヒステリックな声にエマが辟易していると、まあまあ、と言った調子で抜剣がエマの肩を押さえた。
「もー、チョォビビったって感じ? 血塗れスプラッタの撮影? 警察もしつこくてぇ」
 日本語が完全に崩壊した女子大生の言葉を聞いていたが、その内容は警察が最初に提示した情報と変わってはいなかった。
 要約すれば「何も見えない処で首がかっ飛んだ」と言うだけの事を、どうしてこの女子大生は三十分もかけて、しかもギャル語で喋るのだろう。
 翻訳家であり、幽霊作家という、平素から「てにおは」の整った文章を心がけているエマにとって女子大生の言葉は、英語よりドイツ語より難解で理解できなかった。
「怖い眼にあったんだ、ごめんね、そういう話を聞いて」
 数多の女性をたらし込んできた、柔らかく華やかな笑みを浮かべ、悠也が女子大生の手をとった。
「でも本当に何も見なかった? 誰にも言わないし、怒らないから教えてくれないかな」
 ね、と小首を傾げながら、魅惑的な金色の瞳で女子大生の視線をからめとる。
 途端に女子大生は惚けたように言葉を失い、悠也だけをぼんやりと眺め始める。
(ホストモード全開ね)
(まあ、あれが斎君の最大の武器と言えば、武器だよね)
 呆れと驚嘆を絶妙のバランスでブレンドした、奇妙な表情でシュラインと抜剣は悠也を見ていた。しかし当の本人は意に介する事なく、ささやくような声で、女子大生に語りかける。なるほど、悪魔の魅惑的なささやきとはこういうものを言うのだわ。とシュラインは心底納得した。
「駄目だね、あの子本当に何も見ていないよ」
「じゃあ、嘘じゃないのね」
「ますます狗神の可能性が高くなってきましたな」
「やっぱり、この二十件の「飼い犬」リストを当たらなきゃいけないようね」
 千駄木路上で女子大生の聞き込みの結果を話しながら、三人は歩いていた。
「あ、それはエマさんと抜剣さんに任せます」
 にっこりと、悠也の素性をしらなければ、確実にだまされそうなかわいい笑顔で言われたが、幾度も悠也と事件を共にしてきたシュラインに通じる筈もない。
「あんた、逃げるつもり? 探偵は地道な作業が一番大切なのよ?」
「に、逃げるも何も‥‥バイトの時間なんです。休むにしても一度はバイト先に顔を出さないと、女の子がうるさいんです」
「人気者ね」
 凍てついたシュラインの声に、男性二人の動きが止まる。が、結局シュラインは長いため息をついて凍結を解いた。
「しょうがないわね。行ってらっしゃい。あとで現場も見てみたいから、18:00に現場集合で良いかしら?」
 はいはい、と二度返事を繰り返しながら、西日暮里駅へ向かう悠也を見送り、抜剣の方を振り向くと、いつも人の良い笑顔を絶やさない彼が、苦虫をかみつぶしたような顔をして、リストを見ていた。
「どうしたの?」
「いや、この家、チェックが入ったあと、線をひいて消してあるんだよね」
 抜剣の指先を追うと、「塚原正三 大東区千駄木3ー××」の上に黒いラインが真っ直ぐにひかれていた。
「千駄木なら、ここから近いわね‥‥現場の上野公園にも、近いわ」
 シュラインは息をのみながら、ラインの下に印刷されてある名前をじっと見つめていた。

■17:00 千駄木・塚原正三宅前■

「犬? 犬ねぇ。先々週までは見かけたけど。今は見かけないわ。事故? 事故にあったなら噂になってるわよ。多分借金で犬を養えなくなったから、どこかに預けたんじゃないかって、近所の奥さんと話していたんだけど」
 自転車にスーパーの袋を山積みにした中年女が口元に手を当てながら、聞きもしないのに、つらつらと塚原家の事情を話し始めた。
 どうやら近所でも格別噂好きの主婦を捕まえてしまったようだ。
 止めどなく続く主婦の言葉を聞きながら、シュラインと抜剣は、聞き込みの最初にこの主婦に当たったのが、果たして幸運だったのか、それとも不幸だったのかを決めかねていた。
「何でもこの不況でしょ? 会社が倒産しちゃってねぇ。でもあそこのご主人、人がいいでしょ? だから社員に給料と退職金ぐらいは。ってサラ金からお金を借りたらしいのよ。それがいわゆる町金? ヤクザが経営してる処だったらしくて、利子も取り立てもひどかったわよ。ご主人は取り立てが始まって一年した後に自殺されてね。多分保険金で埋め合わせるつもりだったのね。でも、利子が膨れ上がってそれどころじゃなくてね。娘さんも水商売に入れられちゃって、体をこわして亡くなったそうだけど、あれって、覚醒剤中毒だったのよねぇ?」
「は、はぁ」
「それで、それから塚原さんの家には誰も住んで無いのですか?」
 完全に主婦の剣幕に押されている抜剣に変わって、シュラインが冷静に根気よく話題を変えようとした。
「あらやぁだぁ。奥さんの幸恵さんが一人ですんでいるわよ。まあ家を売ろうにもとっくにバブルはじけていて、家を売ったらよけい借金が増えるみたいだし。だから仕方なくあそこに住んでいるみたい。犬も家族も居なくなって、一人でかわいそうだとは思うんだけどぉ、ねえ? あそこの奥さん前々から思いこみが強くて。最近は良く玉太神社に行くのを見かけるらしいけど、神頼みなのかしらね? かわいそうだけど、ああまで気を詰められると見ているこっちも気持ち悪いわ」
 放っておけば永遠に噂を続けそうな主婦にむかって、抜剣はあわてて手をふった。そして間髪入れず、シュラインが「ありがとうございました。失礼します」と頭を下げ、背中を向けて退散した。
「犬、飼っていないみたいね。期待はずれかしら?」
「うーん。どうかな? そうとも言えないかも知れないよ」
 短く借り上げた後頭部を手のひらで二度たたいて、抜剣は空を見上げた。
 それはどういう事かしら、と聞きかけてシュラインは口を閉ざした。
 塚原家の前に一人の女性が立って、シュライン達を睨んでいたからだ。
 痩せこけた頬、元は仕立てが良かったのだろうが、すっかりよれて古びたブラウス。
 まとめ上げた髪から、数本のほつれ毛が顔にかかっていて、幽鬼のように眼光だけが鋭かった。
 先ほどの主婦の話を総合すれば、恐らく、残された妻の幸恵なのだろう。
「あの‥‥実は私たち草間興信所の者ですけれど」
 相手を刺激しないように、細心の注意を払いながらシュラインが言い、玄関の方に歩み寄った瞬間、金切り声で帰って! と叫ばれ塩を巻かれた。
「帰って! 帰って! 帰って! 帰らなきゃ呪うわよ!!」
「まってください、私たちは犬が居るかどうかを調査しているだけで、借金を取り、きゃっ」
 顔に当てるように塩を投げつけられ、シュラインが思わず身をかばうと、その鼻先で玄関が閉められ中から鍵をかけられた。
 いつまで立っても開きそうもない扉の前で、シュラインは服や髪の毛についた塩を払っていた。
 彼女の取り乱す様を静かに見ていた抜剣が、珍しく眉をひどくしかめた表情でシュラインの袖口をひっぱった。
「さっきの女性から、すごい「念」を感じた」
「ええ、私も怪しいとおもったわ」
 なぜ、と聞いた抜剣に、シュラインは宛然と微笑んだ。
「あの家、犬を飼ってないて行っていたけど、庭にはたくさん犬のおもちゃが転がっているのが見えたわ。事故で死んだり、他の家に預けたら、想い出が辛いからって、片づけるのが普通じゃないかしら?」
 伊達に奇妙な事件が持ち込まれる草間興信所で事務を続けているわけではない。
 塩を投げつけられながらも、見るべき処はちゃんと鋭く見ていた様だ。
「神社に日参していると言うのも気になるね。
「狗神の法」を行っているのかも知れないよ」
 むう、とうなる抜剣を見た後、シュラインは顔をしかめてもう一度塚原家を見た。
 手入れされていない庭には、使われていない犬のおもちゃが、冬風にさらされ転がっていた。


■18:00 上野公園 ―― 襲撃 ■

「ん? ああ、あんたも手下一人で済めば恩の字だろう? 金? 金は明日直接取りに行く。高すぎる? じゃあ話はナシだな。全員そろってバケモノに首喰われて死んじまえよ」
 歩きながら会話するにしては、あまりにも不似合いで危険な会話を繰り返す暁文を余所に、悠也は事件の現場に足を踏み入れた。
 と、そこには長い漆黒の髪を風に踊らせている女と、芽の出ない大学の助教授と言った感じの、焦げ茶の頭の男が立っていた。斎木廉(さいき・れん) と榊千尋(さかき・ちひろ)の警察コンビだ。
「あ、斎木さん。お久しぶりですね」
 すっかりとあたりが暗くなり水銀灯が灯り始めた公園で、闇夜の王さながらに金の瞳を輝かせ、悠也が言った。
「誰、こいつ」
 数歩遅れて現場にたどり着いた暁文が、はなはだ失礼な口調で尋ねたが、廉に「警視庁の刑事よ」
と冷たく言われて鼻白む。
「全員集合したのね。都合が良いわ」
「歩いてきたから、遅れるかと思った」
 鼻白んだ暁文の後ろから、僧侶風の大柄な男と知的な秘書と言った感じの女性が続いて現れた。抜剣白鬼とシュライン・エマ。
「全員集合、という訳ですね」
 にこにこと、遠足に来た小学生のように千尋が楽しそうに笑う。
「えーと、草間興信所に依頼に来た、刑事さんですね?」
「はい。榊千尋です。正確には捜査官では無くてただの調査官です。みなさんの足を引っ張らなければいいのですが」
 照れたように髪をなでながら、千尋は悠也に向かって手を差し伸べる。気軽にその手を取った瞬間、悠也はかすかに顔をしかめた。
「どうかされました?」
「っ‥‥いや、静電気、です」
 歯切れ悪く言いながら、悠也が手を振る。
「冬場は空気が乾燥してるから、良くあるよね」
 納得、と言った調子で抜剣が笑う。悠也はまだしびれているらしく、手首を持って手を振っていた。
「処で榊さんって、同じ名前の所員が居るけど親戚?」
「いえ、そんな事は無いと思いますよ。私には両親も親戚もいませんし」
 あまりにも脳天気に言われ、謝ったらいいのか、そうなの、と受け流せばいいのかシュラインが思案していると、廉が腰に両手をあてて息をついた。
「榊警視、和んでいる場合では無いと思われますが」
「あー、うん。そうだね。じゃ、今日のまとめ聞いてもよろしいですか?」
 冷たい廉の声が全く堪えないてないのか、春の陽光のようにのどかに言う千尋にうながされ、各人が報告を開始した。
 全員がそれぞれに調べてたどり着いた結論は「狗神」だった。
 悪質なサラ金に捕まり、家庭が崩壊し、家人が次々に自殺や病死した塚原家。
 塚原家から急に消えた犬。そして神社に日参する母親。
 その母親・幸恵が、その「狗神」の使い手であり、作り手だろうという事。それらを手際よくシュラインが説明し終わると、怪訝な顔で暁文(刑事である千尋と廉が居るため、みんなは中島文彦と呼んでいたが)が首をひねった。
「その狗神って言うのは、何だ?」
「日本の呪術の一つですよ。神社の敷地内に犬を首だけだして生き埋めにするんです。そして犬が飢えて凶暴になり、目が血走ってきた処で、首をはねて、呪術の「基」とし、その魂魄を「鬼」または「式」として使役し、呪う相手を襲わせる。そうでしたよね?」
 日本古来から伝わる神道の術者らしく、よどむ事無く言い切ると、悠也は抜剣を見上げて目配せしてみせた。
「特に飼い犬、長くかわいがってきた犬であればある程、強い「呪」になるみたいだね。愛する者に裏切られた犬の「念」と愛する犬を殺す術者の「念」が相乗すると言われているよ」
「愛する者に裏切られた念と、愛する者を裏切り殺す程の憎しみ、か」
 だから「歴眼」で引きずられたのか、と廉が現場から目を反らすと、暁文が鼻をならした。
「なんだ、じゃあその母親に念を解かせればいいんじゃねえか」
「それは無理だね。一度放たれた「狗神の呪」は呪われた相手が死ぬか、呪った自分が死なないと解呪されないんだ」
 抜剣が言いにくそうに語尾をにごし、数珠を指先で転がした。
「じゃ、現れた処をつぶした方が手っ取り早い」
「どうやって「狗神」を呼ぶのよ」
 あくびをしながら悠然と構える暁文に、シュラインが冷静に突っ込む、と暁文はちらりと横目で見たあと、歌舞伎町で悠也にしたようにシュラインの耳に口を近づけて、ぼそぼそと「手段」を語った。
「つまり、サラ金の元締めである戸馬組の幹部を脅して次のターゲットと思われる人物をおびき寄せるって事ね」
 なぜか呆れながら、シュラインは肩を落として頭を振った。
 恐らく暁文が情報を入手した経緯が、呆れざるを得ないものだったからだろう。
「19:00に呼び出してやったんだ。一時間あれば心の準備もできるだろ?」
「結界も準備済みです。あとはこの最後の結界符を置けば完成」
 嫌も応も無くしたたかに準備をすすめた、新宿歌舞伎町人気者チーム二人は、双子のように、同種のからかいを含ませた瞳でシュラインを見ている。
「そう上手く行くかしら?」
 シュラインがつぶやいた刹那、全員に緊張が走った。
 風が止んでいた。
 芸術院会館の方から、一人の男が現れた。
 恐らく暁文が呼び出した「次の狗神」のターゲットなのだろう。
 しかし全員が緊張したのは、彼が現れたからでは無い。
 彼とは反対側、不忍池の方面から、冷たく、暗く幽やかな気配がするすると、近づいてきているのを感じたからだ。
「何だ、てめぇら。俺が極東会系戸馬組の若頭としっていて、こんな茶番を仕組んでい‥‥何?」
 パンチパーマに金無垢のチェーンネックレスをつけた男が、全てを言い終わらない内に、事は起きた。
 一陣の風と冷気が男に向かって真っ直ぐに突き進む。
「音太刀!」
 叫び、廉が手刀で空を切った。
 途端に全てを切り裂く真空の刃が生まれ、男に飛びかかろうとしていた「何か」を押し凪いだ。
 見えない「何か」が植え込まれた雑木をなぎ倒し、あたり一面に砂埃が立った。
 一瞬のためらいも無く、悠也が結界符を地面に張り、流麗によどみなく禊祓詞を口から紡ぎ出す。
「高天原に神留ります 神漏岐神漏美之命以ちて 皇御祖神伊邪那岐之命 諸々禍事罪穢を我が内に留め給へと畏み畏みも白す!」
 唱え終わった瞬間、公園の至る所から蒼い光が現れ、流れ星のように悠也の周りに集い、それらの光はやがて薄い膜となり、関係者達をつつむ霊的な磁場‥‥ドームへと変化する。
「これで外界に影響無く戦えます。この中に入れるのは俺が許可した人間か、その狗神の主だけですから、ついでに‥‥」
 壮絶なまでに美しい金の目を細めながら悠也が微笑んだ。
「因々々至道神勅急々如塞道塞結塞縛不通不起縛々々律令!」
 唱えるが早いか、二枚目の符「縛魔符」をなぎ倒された雑木に向かって投げつける。
 刹那。
 符は空中で光り輝く白鳥へと変わり、両翼を伸ばして見えない「何か」を包み込む。
 ギャン、と高い犬の鳴き声がしたと同時に、白鳥の姿が薄れ、代わりに蒼い鬼火をまとわりつかせた秋田犬が現れた。
 ――いや、ただの秋田犬では無い。
 その大きさはライオンと同じであり、口からのぞく牙は、全てが吸血鬼のように湾曲し、三日月さながらに研ぎ澄まされていた。
 悠也の捕縛符が効いているのか、狗神はうなりながら雑木林から起きあがり、飢えの証である涎を牙の間から滴らせながら一同をにらんだ。
「今よ、捕縛符が効いている内に!」
 言うなり、廉が腕を振り上げ、再び音太刀を狗神に叩きつけようとした瞬間。
「いけません!」
「駄目だよ!」
 千尋と抜剣がほぼ同時に叫んだ。
 意外な声に、廉が動きを止めた。
 その隙を狙い狗神が廉に向かって突進し始める。
「斎木さん、危ないっ」
 エマが叫んだと同時に暁文が地面をけり、廉を抱えこみつつ時の狭間に身を投げる。そして瞬時に、狗神の射程距離から離れた地点にテレポートで着地した。
「は、間一髪だな」
 危機的状況を楽しんでいるかのような台詞だったが、暁文の目は隠す事の無い苛立ちにあふれていた。
「何が駄目だって言うんだよ、あんたら!」
「「狗神の法」で呪詛返し‥‥つまり狗神本体を殺したら、呪詛をかけた人間も死んでしまう」
 喉を押した苦しげな声で、抜剣がうなった。
「だから何なんだ?! この狗神を操っている奴はもう二人も殺してるんだぜ? 術が返されて死んだってしょうがないだろ! このままでは」
 暁文はそこで言葉を止めたが、言わなくても全員にわかっていた。
 術者の命を救うならば、狗神を殺す事はできない。つまり――このままでは全員が殺されてしまう。
「ですが我々の目的は犯人を逮捕する事であって、殺す事では無いのです」
「くそったれの甘ちゃん刑事がっ! 状況がわかってるのか!」
 臆す事の無い千尋の言葉に暁文が唾をはいた、確かに彼の言葉は甘すぎる。しかし。
「どんな悪人でも、憎しみを抱く人間であっても、死なずに済むなら死なない方がいい!」
「その通りだよ、何とか封じるよう努力してみるしかないねっ!」
 千尋の叫びを追うように抜剣が僧侶らしい同意を返し、錫杖で地面を突いた。
 金属のふれあう澄んだ音が、結界内の空気を張りつめさせる。
 錫杖を支えたまま、指先に呪符を挟み、電光石火のすばやい動作で抜剣は九字を打った。
「臨兵闘者皆陣裂在前!」
 九字を切った勢いのまま、呪符を狗神に投げつける。
 呪符は狗神に張り付く寸前に細かく避け、光の網となり、狗神を絡め捕らえた。
 しかし、よほど「念」が「呪い」が強いのか、悠也と抜剣の呪符を喰らってもなお、狗神は立ち上がり、自分を封じようとする人物をにらみ付け、飛びかかる隙を伺っていた。
 ――どうすればいい? 全員の頭でその問いが繰り返されていた。
 いつまで呪縛が持つのかわからない。
 呪縛を続ける抜剣と悠也の額から、汗が幾筋もしたたり落ちていた。
 震える二人の指先や、荒々しい息が、限界が近いと伝えていた。
「斎木さん、あの狗神を「歴眼」して私にその記憶を送れますか?!」
 それまで闘いの成り行きを見守るだけだったシュラインが、唐突に叫んだ。
 廉はあっけに取られたように、シュラインの蒼い眼を見つめていたが、すぐに意図を察知したのか、銀色の瞳をシュラインから離して狗神に合わせ始める。
 廉の瞳が恒星のように、白く冷たく輝き始める。
 シュラインは廉の手を強く握りしめ、流れ込んでくる狗神の過去を、そこに眠る想い出のままに唇をひらき、喉を震わせた。

 オオォ‥‥‥‥ン。

 静かな結界の中に、犬の遠吠えが響く。
 切なく、苦しげで、悲しみに満ちた遠吠え。
 愛する者を失い、愛する者に苦しめられ、そして殺された叫び、それでも、忠誠を尽くし、身を魔道に落としてなお、主の呪いを果たそうとする、最後の叫び。
 シュラインの完璧な聴力とヴォイスコントロールによって模写された、狗神の‥‥狗神がまだ、家族にかわいがられていたただの「犬」であった頃の叫びがこだまする。
 幾度シュラインの声が「遠い想い出」を奏でた時だろう。
 全員が希望とも絶望ともつかない不安に襲われ始めた頃、雑木林をかき分け、一人の中年女性が現れた。
 痩せこけた頬に、乱れてこぼれ落ちた髪、走ってきた途中で無くしたのか、靴はもげ、足の裏には小石が食い込んでいた。
 彼女が狗神の主であり、呪いを作り出した者‥‥塚原幸恵であると、誰もが知覚した。
 幽鬼のように頼りない足取りで狗神の前に来ると、彼女はがっくりと膝を落とし、手が燐光に焼かれるのにも構わず、狗神を抱いた。
「ごめんなさい‥‥呪っても、誰も帰ってこないとわかっていたのに」
 彼女の言葉が静かに空中にかき消えたと同時に、狗神がゆっくりと縮み始めライオンのような体から邪気がぬけ、ゆっくりとただの「犬」の魂魄へと戻っていく。
 そして「狗神」であったモノは、最後に流れ落ちる飼い主の涙をなめて、完全にこの世界から消失した。
 全員が驚きのままにシュラインを見た。
 クールな彼女にしては珍しく、照れた表情でシュラインは微笑んでいた。
 全員が驚きに囚われている中、暁文が呆れたように肩をすくめ、腰をぬかしたまま金魚のように口をぱくぱくさせるヤクザの肩をたたき、低い、地獄の底から這い出るような声で囁いた。
「高い授業料だったな」と。
 それが、戦闘終了の合図であった。


■翌週>>15:00 東京拘置所■

 ――ありがとう。私の娘も里芋の煮っ転がしが得意だったのよ。
 ――大事に食べるわね。
 ――今度ここから出たら、私もこういう料理を作りながらゆっくりと生きる事にするわ。

 "ありがとう" 

 シュラインがつくった差し入れの総菜を受け取りながら、牢の中で幸恵は確かにそう言った。
 何とも形容しがたい感情を、胸の奥に抱いたままシュラインは東京拘置所を後にした。
 人を呪うという感情から解き放たれた戸塚幸恵は、少し顔色がよくなり、信じられないほど穏やかな表情をしていた。
 これから裁判がはじまり、裁かれると言うのに、幸せそうな顔をしていた。
「正直、今回の事件は勉強になったな」
 隣で大きく伸びをしながら、退魔僧・抜剣白鬼が笑った。
「なぜ?」
「術者じゃなくても、ちゃんと呪いを解く事ができるんだな、と関心したんだけど、おかしいかな?」
「おかしいとか、おかしくないかとかわからないわ」
 少女の透明感と少年の潔さを持つ顔を空に向け、シュラインは大きく息を吸い込んだ。
「呪われるのも人、呪いをかけられるのも人、呪いを解くのも人」
「そして人という字は支え合って作られている?」
 わざと必要以上にクールに、シュラインは抜剣の言葉を言い当てた。
 抜剣は一瞬だけ苦笑して、そして大きなあくびをして見せた。
「そういう考えが正しいかどうかは人それぞれ、生き方それぞれなんだけれどね」
 自分がどう思ってるかどうか、あえて言わずに、抜剣は首をならし、肩を叩いた。
 そんな抜剣を見て、シュラインは考えるのをやめた。
 自分の答えは自分の中にあるのだ。
「さて、考えるより先に、今回の事件の報告書と、請求書の精算をして、榊警視に叩きつけてやらなきゃ! 依頼料ケチった癖にこんな危ない眼にあったんだもの、水増ししてもいいわよね?」
「次の新しい依頼も来ているだろうしね」
 やれやれ、と言った体で抜剣は錫杖を鳴らした。
 道すがらに咲いていた梅の花が、錫杖の音にあわせるようにしゃらりとほころび揺れていた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0188 / 斎木・廉(サイキ・レン) / 女 / 24 / 刑事 】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 /草間興信所事務員&翻訳家&幽霊作家】
【0213 / 張・暁文(チャン・シャオウェン) / 男 / 24 / サラリーマン(自称)】
【0164 / 斎・悠也(いつき・ゆうや)/ 男 / 21 / 大学生・バイトでホスト】
【0065 / 抜剣・白鬼(ぬぼこ・びゃっき) / 男 / 30 / 僧侶(退魔僧)】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、新ライターの立神勇樹(たつかみ・いさぎ)です。
 普段はネットの片隅で、刑事さんとか法医学者さんとかのミステリーを書いて生息しております。
 今回、初! のOMC「東京怪談」を書かせていただいたのですが、いかがでしたでしょうか? 初めてなので、あれも、これも描写をしたいな、と思っていたら、とても長くなってしまい、反省しきりです。少しでも読み応えのあるモノになっていると、良いのですが。
 さて、今回の事件は「エピローグを除いて時系列順に9シーン」。
 それぞれ「原稿用紙で30枚のパラレル構成」になっております。
「なぜこのキャラが、こういう情報をもってこれたのかな?」と思われた方は、他の方の調査ファイルを見てみると、違う角度から事件が見えてくるかもしれません。
 もしこの調査ファイルを呼んで「この能力はこういう演出がいい」とか「こういう過去があるって設定、今度やってみたいな」と思われた方は、クリエイターズルームから、メールで教えてくださると嬉しいです。
 あなたと私で、ここではない、別の世界をじっくり冒険できたらいいな、と思ってます。

 こんにちは、シュライン・エマさん。今回はお申し込みありがとうございました。
 プレイングが調査系でしたので、戦闘シーンではあまり目立たないかな? と、心配になり、思い切ってあのような演出にしてみました。お気に召していただけたでしょうか(汗)
 処で。帰昔線にて草間所長を「武彦」と読んでいましたが。恋愛関係があるのでしょうか? ライターとしてではなく、個人的に激しく気になっております。(笑)

 では、再び不可思議な事件でお会いできることを祈りつつ。