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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


「永遠の夜の子どもたち」
執筆ライター  :立神勇樹
調査組織名   :ゴーストネットOFF

■オープニング■

 ――もう駄目だ。俺は「Furies」に消される。
 そいつのサイトにある日記はそこで終わっていた。日付は一月前。
 つまりそいつが失踪した前日、最後の日記って訳だ。
 一度逢っただけの男だった。
 怪奇現象やオカルトネタを取り扱うサイトの管理人で、闇の眷属の血を半分だけ引いているためか、密かに除霊や魔性退治なども請け負っている様だった。
 夏の終わりにオフ会で一緒に酒を飲んだ事を思い出した。よく笑う気のいい奴だった。
「"Furies"? 知ってるよ。最近書き込みにも増えてきたんだ。「妖怪」や「幽霊」を消滅させたり、「能力者」から「力」を消去する、ハッカーのグループがいるって」
 精一杯つま先立ちながら、瀬名雫が肩越しに画面をのぞき込んできた。
「でもハッカーがどうやって能力を消去してるのかな? なんだか嘘っぽいけど」
 そういって頭に結んだリボンを直す。
 刹那。
 ふれても居ないのに、画面の中のカーソルが動き、勝手にページをジャンプする。
 雫の悪戯かとおもったが、マウスは手の中にあって微動だにしない。
 INDEXからチャットルームへ。
 そしてキーボードを押しもしてないのに、文字が現れる。

 alekto:あなた達は何の為に「人」を殺すの?
 alekto:どうしてあなた達は「存在」するの?
 alekto:答えなさい。

 答えなさい、答えなさい、答エナサイ……。延々と繰り返される。
 延々と同じ文字が流れていく画面を見ながら、舌打ちをした。
 冷め切ってまずくなったコーヒーを飲み、"Furies"……フューリーズというのが、ギリシア神話の「復讐の三女神」を指すのだという事を思い出していた。
 おそらく、別の「仲間」の誰かが。あるいは自分が狙われている……否、挑戦状をたたきつけられているのを感じながら。

 ――現世は夢、夜の夢こそまこと。[江戸川乱歩]

■10:00 月刊アトラス編集部■

 ゴーストネットOFFで「furies」が奇妙な挑戦状を投げかけたのと同時刻。
 偶然の女神の気まぐれか。はたまた、運命の女神の悪戯か。
 同じサイトをのぞいていた寒河江深雪にも、「その異変」は起きた。
「きゃっ」
 と、なんとも女性らしい驚きの声を上げるや否や、小さな指先は迷うことなくパソコンの電源を押していた。
「何? 思わず電源を切っちゃったけど」
 目を瞬かせ、真っ暗になった画面を見る。
 そこには先ほどの不気味な書き込みはすでになく、肩をおおうさらさらとした、雛人形でさえうらやむような良質の黒髪と、雪色の白い肌をもつ女性……つまり深雪が、驚きの表情で映っていた。
 ちなみに深雪がいるのは怪奇現象などをまとめたオカルト雑誌「月刊アトラス」の編集部内。
 朝10時というのに、社内の雰囲気はすがすがしいというより、あわただしく、どの机の上にも赤ペンで修正の入った原稿用紙だの、紙束だの、背表紙がはずれかかっている「妖怪大全」などの奇妙な雑誌が積み上げられてある。
 そうした紙の山に囲まれるようにして、何人かの編集部員がうなりながら、あるいは電話で激をとばしながら仕事をしている。深雪が勤めるテレビ局と雰囲気が似ているのは、同じメディア産業に従事する仕事だからだろう。
「あ、Windows終了しないで切ったらいけないんだっけ」
 今更になってコンピュータ操作の初歩の初歩。お約束中のお約束に思い当たって、深雪は頬を引きつらせた。
(――もしデータが消えていたらどうしよう)
 どうしようもこうしようも無いのだが。
 そもそも朝のお天気レポートアナウンサー、報道局に所属する深雪がアトラス編集部にいるのは訳がある。
 昨今のオカルトブームにのって、深雪が所属するテレビ局も春の特番として「不思議体験ミラクルアンビリーバブー」の3時間スペシャルをやることになったのだ。通常一時間の放送を三倍に拡大するのだから、手勢も取材も三倍。いや、それ以上である。その上春といえば特番の嵐。主要なタレントはなかなか捕まらない。ということで、朝の番組に出る女子アナ好感度ナンバーワンである深雪に白羽の矢が立ってしまい……取材の打ち合わせということで、深雪はアトラスを訪れる羽目になったのだ……が。
 訪れたはいいが、年中残業・常に締め切り、電話はいつも鳴りっぱなしのこの編集部。ひびの入っためがねをかけたトボけた社員が現れたかと思うと「編集長は打ち合わせが長引いてるみたいだから、ここでちょっと時間をつぶしておいてください」、とコーヒーとインターネットのできるパソコンを与えられてすでに一時間。そろそろ退屈してきたなぁ、と思った矢先、いきなりマウスが動き"Alekto"からのメッセージが送られてきたのだ。
(人を殺すのって……ご先祖様はともかく、私は人殺しなんかしたことないし、これからだって!)
 そう思い、桜色のスーツの端を握りしめる。
 薄い桜の花びらのような布地の上に、雪のように……いや、雪そのものの純白の手を置いた。
 白い手、雪のような手、雪そのものの手。
 人がうらやむ、血管さえ透けそうな手こそ、深雪の深く、そして人にはいえない悩みの種だった。
 というのも、その肌の白さは人のものではないからだ。
 寒河江家は先祖に雪女……ゆきめと婚姻したものがいる。それ故に時折、隔世遺伝として雪女の能力を持つ者が生まれるのだ……そう、深雪の様に。
 雪女に生まれた深雪は自らを中心に気温を下げる能力や、吹雪を生み出す力を持っていたが、それと同じように宿命を背負わされている。
 しかしだからといって、人を殺すためにその能力を使ったことはないし、使おうと思ったこともない。
(……でも自分や大切な人たちを守る為にやむを得ず……ってコトはあるかも)
「このパソコン、何で消えてるんだ?」
「は、はいっ!」
 考えにおちいってると、顔のすぐ横、言い換えれば耳のすぐ近くで尋ねられ、深雪はあわてて身を引いた。
「いや、別に取って食いやしねえよ」
 というと声の主は、無造作にまとめた髪を片手で押さえながら肩をすくめた。
 朝一番に手が触れたシャツと黒いストーンウォッシュデニムを着込んできました、と言った流行もこだわりもない格好にだまされそうになるが、意志の強さを表す引き締まった唇と、獲物をねらう猫科の獣のような鋭い野生的な瞳がこの青年……巫灰慈が油断ならない人物だと告げている。
 灰慈がたばこを指にさしはさんだまま、パソコンのスイッチに手を伸ばすと、あわてたように深雪が灰慈の手首を握る。
「何、いきなり。大胆だな」
「いえ、そうじゃなくてですね。あの、その」
 焦って何とか行動を止めようと深雪は口を動かすが、焦れば焦るほど名案はおもいつかない。仕方なく目を閉じて運を天に任せると、唐突に灰慈がさけんだ。
「あっ! データが消えてる!」
「ごめんなさいっ!」
「嘘だよ」
 ゆっくりと目を開けると、先ほどと同じデスクトップ画面と、目を細めて笑っている灰慈の顔が目に入る。
「ひどいです」
「いや、ひどいも何も……いきなり電源落とすからだろ」
 のどを鳴らしながら笑いつつ、灰慈はマウスを操作して、先ほど深雪が見ていた画面にたどり着いて見せる。
「……やっぱり。俺が見たのと同じ画面か」
「同じ、画面」
「ああ、Furiesってハッカー。最近ちょこちょこここの編集部にも電話がかかってくるみたいだ」
 フリーライターであり、毎月「月刊アトラス」に連載している灰慈の耳にも当然Furiesの噂は届いていた。
 曰く、能力者から力を消去する。妖怪を「浄化」ではなく「存在を消し」てしまうハッカー達。
 最初それを聞いたとき、大したガセだと灰慈は思った。
 能力者でもないのに、どうして妖怪を「消し」てしまえるのだ。
 子供の頃から霊にとりつかれやすい、好かれやすい、いわゆる霊媒体質で、自己防衛として自然に自分に憑いた霊を浄化・徐霊する能力を身につけた灰慈だからこそ、霊がどのようにして現れ、そして消えていくのかを知っている。
 だてに浄化屋をやっているわけではない。
 最近幅を利かせてきた、跳ねっ返りのハッカーに、都市伝説に疑似した噂の尾鰭がついただけだと思っていた。
 そう、今朝の怪現象を目にするまでは。そしてサイトの管理人の失踪を知るまでは。
 失踪した管理人が"Furies"に消されたのだとしたら、彼だけ何故『力』のみの消去では無かったのだろうか……?
(深入りするとヤバそうだが……良い記事のネタになりそうだぜ)
 たばこを加え、使い慣れたジッポーで火をつける。
 フリーライターと浄化屋。好きでやっている職業とはいえ、今月はさすがに財政も厳しい。ここいらで一発特集が組めるような記事を引っ張ってこなければ。
「"Furies"……って言えばギリシア神話に登場する『三人の復讐の女神』を指す言葉……。そういえば、チャット画面に表示されていた"Alekto"というハンドルネームは『復讐の三女神』の一人と同じ名前だ」
「復讐の、三女神ですか」
「ああ。女神は『アレクト』『ティシポネ』『メガエラ』という名前でそれぞれ『無慈悲』『血の復讐者』『闘争』を司っていた筈」
 "Alekto"が"Furies"の一員なのだとしたら、後二人は仲間がいると言う事だ……。
 そして"Furies"がその名前の意味をしり、あえて名乗っているのだとすれば、何らかの『復讐』を目的として行動している可能性が高い。
「取り敢えずは、失踪したサイト管理人の失踪するまでの足取りを調べて見るしかねェか」
 ため息と悟らせないように、わざと肺一杯にたばこの煙を吸い込み、吐き出した。
「あの、私も連れて行って貰えますか」
「何故」
 端的に灰慈が吐き捨てたが深雪は怯まず、灰慈の瞳をじっと見つめた。
「私もAlektoに問いかけられたわ。だから、応えてみようかなって」
 何故人を殺すのか、何故存在するのか。どうしてFuliesが妖怪達を消すのか。
 正直に応えたい。
(でも用心はしなくちゃ。間違いなくこのグループの人達は、妖怪の類に良い感情を持っていないから)
 ブラインドから漏れた光が顔にかかる、刹那、見つめる灰慈の瞳が光の加減で紅玉石の様にきらめいてみえた。え? と深雪が思うより早く、灰慈がたばこを灰皿に押しつけて手をふった。
「OKだ。それと、あんた、その茶色いコンタクトが無い方が雪ウサギみたいでかわいいぜ」
 無造作に机の上の皮ジャンを取り上げはおると、灰慈は会議室から出てきたアトラスの編集長・碇麗香に手を振って報告を始めていた。
(「紅の瞳と白雪の髪」という雪女の証を見ぬいたって事は……つまり、そういう能力があるの、よね)
 その方が安全と言えば安全なのだろうが。
 一抹の不安を覚えながら、深雪はディスプレイの中で点滅するAlektoのメッセージを眺め続けていた。


■12:30 消された男の部屋で■
 
「失踪した、というのは嘘だったのか!」
 いったい何日風呂に入っていないのか、冬というのに悪臭を放っている薄汚れた男の襟首をつかんで、灰慈が聞く。
 と、男……サイトの管理人である孝史は死んだ魚よりさらによどんだ目をめんどくさそうに灰慈と深雪に向けた。
 失踪した男のアパートで、あっさり失踪した張本人を見つけ、あきれと人騒がせさにこらえかねつい男を締め上げていた。
「嘘……じゃない」
「じゃあなんだ、俺の目の前にいるあんたは何なんだ!」
 こんなオチでは記事にならない。そう思いながらおびえる深雪にかまうことなく鋭く詰問すると、男が口をふるわせながら意外な一言を漏らした。
「俺にも……よくわからないんだ」
「何?」
「俺は、一体何なんだ? 何者なんだ? 俺は……『存在』しているのか、あんたの目に見えてる俺は本当に俺なのか? 俺の……名前は、存在は」
 熱病に浮かされたようにうめき、涙を浮かべる孝史を見て、灰慈は全身から力が抜けるのを感じた。
「ある日、ゴーストネットOFFでインターネットをしていたら、すぐ横に少女が立っていたんだ。銀色の髪の……蒼い瞳のあの女神が」
 あなた達は何の為に「人」を殺すの?
 どうしてあなた達は「存在」するの?
「俺は最初、イカれたガキが、と思って無視していたさ。だけど、あいつは俺が行く先々に、まるで運命の曲がり角に立つ亡霊みたいに現れて、同じ問いを繰り返すんだ。だから答えたよ「俺は『人』なんて殺したことはない」って。闇の……悪魔の血を引いていたって、人殺しなんかしたことはないって。そしたら」
 いいえ、あなたは殺している。
 あなたはあなたの中の「人」を殺しているわ。
 あなたは人としての「存在」を消して「魔」として生きている。
 魔とは何? 魔とは存在しない存在。人の脳が不可思議な現象を解決するために生み出した幻。
 その幻にとらわれて、あなたは「存在しない力」を使って世界をゆがめている。論理的で物質的であるべき世界を歪め、破壊し異世界への門を開いている。と。
「冗談じゃない。俺は「人」としても生きている。おまえの目の前に「存在」している。そうムキになって答えた瞬間だったよ」
 女神が手をさしのべた。勝手にパソコンが動き始めた。
 データが流れ始める。電子の流れが動き始める。
「あなたがあなたの中の「人」を認めずに殺し、世界を歪め、世界を壊し続けるのなら、あなたに「人」としての「存在理由」は「必要」ない。己の来るべき歪みの世界へ帰れ」
 最終宣告だった。
 データが消えていく。
 何かの悪夢のように。住民登録、銀行の口座、携帯電話の記録。電子で記録されている、あらゆる「孝史」の情報が消されていく。
 存在が消されていく!
 そもそも存在とは何か? 俺が俺であることを一体どうやって証明するんだい? 俺が嘘をついていたら? 周りが俺に嘘をついていたら? そもそも、今見ているこの風景、この感覚すべてがただの夢にすぎなければ? 夢だとしたら誰の夢だ? 俺の夢か? それとも「違う誰か」が「俺になった」夢をみているのか?
 この世界は……本当に存在しているのか? 
 チャットの向こうに人はいるのか? 電話の向こうの声が精巧に出来た機械でないと、誰が証明してくれる?
 世界が俺に嘘をついていないと、俺が世界に嘘をついていないと誰が言える?
「それで、俺が、恐ろしくなって炎をぶつけたら……」
「ぶつけたら?」
「消えた……あいつは、あの女神は何もなかった。あいつには魔法が、能力が効かないのか? それとも、魔法というのはそもそも俺が見ている幻なのか? 今まで生きてきた過去は本当にあったことなのか」
 何も信じられない。能力さえあるかどうか恐ろしくて使えない。
「わからない、わからないよぉ。」
 そういって号泣する男を、灰慈と深雪は愕然とした思いで見ていた。
 
「つまり、奴らの存在を消すというのはハッキングで個人のデータをすべて消しやがるってことか」
 コンビニで買った缶コーヒーに口をつけながら、名も知らない公園のベンチでいらだちと共に灰慈が吐き捨てる。
「遺伝子は人知を超えるモノに《プログラム》されたもので、それにヒトゲノムはほぼ解析を終わってるって聞いてて。だから《幽霊》や《妖怪》の遺伝子を研究してプログラム化出来る人達がいるとすれば? そう思って気になっていたんですけれど……ある意味それ以上に怖い事ですよね」
 もし戸籍が消えたら? ある日銀行の口座が消えていたら? 交通機関の定期のデータが消えていて、携帯電話が使えなくて、会社の社員名簿から名前が消えていたら?
 自分の存在が無かった事にされていたら……どうなる?
 親や友達は「知っている」と言ってくれるだろうが、それが嘘だとしたら? 人の言葉が信じられないほど、完膚無きまでに存在を消されていたら?
「今の日本では生まれてから死ぬまで、一度もデータに記録されない人間はいない、と報道局の資料で読んだことがあります」
 つまりそれだけ「存在」を証明する為に電子情報が使用されている、という事だ。
 寒さからではない、別の悪寒に両肩を抱きながら、ぽつりと深雪はつぶやいた。
(私が存在するのは、ご先祖様やお父様とお母様の強い愛の絆によるもの。それが判るから、この『チカラ』を強く拒み切れなかった)
 ……でも逆に『チカラ』がなくなるなら?
(私はフツーの女の子になれる。急いで結婚する必要もなくなるし、何よりお祖母様にご苦労をかける事も!)
 Alektoなら、この『チカラ』を消せる?
 そう考えなくもなかった。しかし、現実は『チカラ』だけではなく『存在』すらも消去しているのだ。
 容赦なく、苛烈に、生きていけないように、すべてをかけて否定……いや、消去しているのだ。
 『存在』という意識を徹底的に奪い、自分が何者か答えられなくなるまでに。
 何故そこまで憎む?
 存在を許せないまでに、すべての存在を否定し消し去るまでに。
 ――何故憎む?
「諦めたくないな」
 まるで紙くずを丸めるかのように、空き缶をつぶして灰慈が低くつぶやいた。
 ゆがんだスチールで手のひらを切ったのか、奇妙に紅い血が、一滴だけ地面に落ちた。
「能力が効かなかったというのも、気になります」
 このまま「人」ならざる人たちが存在を消されるのを黙ってみていたくはない。
「ゴーストネットOFFに行ってみるか……」
 

■14:00 ゴーストネットOFF −止まらない女神−■

「ふむ、私にはキミの食的嗜好は理解できないね」
 ファーストフードショップの袋を渡しながら、秋津遼はサングラスの奥の瞳を細めて悠也に言った。
 と、言われた本人は中からチーズバーガーを取り出しながら肩をすくめた。
「俺だってあなたの食的嗜好は理解できませんよ」
 吸血鬼じゃないから、という一言はあえて言わずに、立ったままハンバーガーにかじりつく。行儀の悪い食べ方だが、不思議と洗練されて見えるのは、彼の美麗な外見がなせる技だろう。
 ついでに言えば、悠也の後ろでは璃音と雫がまずそうにさめたポテトを口に運んでいる。
「これなら片手で食事できるから、いざという時に困らないでしょう」
「なるほど、落としても食費220円なら痛くはないね」
 どうやら五世紀以上生きてきた吸血鬼の美姫は、金にうるさいようだ。
 苦笑混じりに悠也が何か言おうとすると、間をおかずに再びゴーストネットの扉が開いた。
「おい、雫、白い髪に蒼い瞳をした少女を見なかったか。Furiesとかいう奴なんだが」
 と言いながら現れたのは巫灰慈である。ワンテンポおくれて、灰慈の後ろから控えめに顔を出して会釈してみせたのは寒河江深雪だ。
 突然の出来事に雫と悠也と璃音が、きょとん、としていると、またまた扉が開き、今度は制服姿の少年が飛び込んできた。
「Alecto、ここに居るんだろう?! 復讐だか何だか知らないけど殺しは良くないぜ!」
 と息を切らせながらノートパソコン片手に不敵な笑いを浮かべたのは九夏珪。
「どういうこと?」
「つまりAlectoのメッセージを見た人がここに集まってきちゃったってことね」
 訳がわからない、と言った面もちで瞬きを繰り返す雫に、璃音が全員の言葉を代弁し状況を説明する。
「何てこった。おまえらもかよ」
 灰慈は乱雑に己の黒髪をかき混ぜながら天井を見た。彼の呆れも仕方ないだろう。過去に奇妙な事件で一緒に仕事したことのある顔が、しかも同じ「Alekto」というキーワードを持って合流してしまったのだから。
 そしてそのだめ押しとばかりに、今度は扉を突き破るかのように乱暴に開けながら一人の青年が入ってきた。
 青年は勢いのまま二、三歩よろめき、緩やかな癖のかかった髪と肩を揺らし、荒々しく息をつきながら、ゴーストネットOFFの中を見渡した。
「こ、ここに、白い髪の……蒼い瞳をした少女が……Alektoって、子が来ませんでしたか?」
 茶色く汚れているハンカチを力一杯握りしめ、まるでその子が居なければ死んでしまう、と言った勢いで青年内場邦彦がいうと、全員が奇妙な、それでいてかすかに緊張したおももちでお互いの顔を見合わせた。
「これは偶然なのでしょうか?」
 手を口元にあて、困ったように深雪が言った刹那。
「偶然じゃないさ」
 今までとは別の低い声が、困惑にみちたゴーストネットOFFの中に響く。
 と、一斉に八人、計十六の瞳が扉の方を向く。
 そこには、黒いタートルのセーターにデニム。腕には暖かそうなダッフルコートとフリースのマフラーを持った青年が、苦笑を浮かべて立っていた。
「アキちゃん」
「よ、雫ちゃん」
 青年はそういうが早いか、後ろで束ねていた髪のゴムをほどき、整った顔立ちをひょうきんに見せている丸めがねを人差し指で押し上げて見せた。
「なんだなんだ? こいつら全員がAlektoに惑わされたって訳か?」
 アキ、と言われた青年は盛んに瞬きを繰り返しながら、雫の頭を軽く叩いて全員の顔を見渡した。
「キミにこいつら呼ばわりされる筋合いは無いよ」
 黒いシャツに包まれた豊かな胸を、挑発的に反らしながら遼がいうと、悠也がまったくです、と同意してみせた。
「こいつは失敬。おれは雫にFuriesについて講義するように呼ばれたんだが。名前はただのアキだ。アキと呼びたくなければ好き勝手適当に呼んでくれればいい。今のところハッキングジャパンのフリーライターで、ハッカーの追っかけをやってる。本業は大学院生だがね」
 ひょい、とたばこを取り出してくわえると、アキは肩に掛かる髪を振り払い「で?」と言ってライターを捜し始めた。
「みなさん何をどこまで知ってらっしゃるのかね? 教えていただきたいね」
 雫に目配せを送る。と、雫はゴーストネットOFFの表に出ていきすぐに戻ってきた。
 どうやら事情を知らない客にじゃまされないよう「閉店中」の看板を出してきたようだ。
「さて、どこから説明するか」
 全員を見渡した後、灰慈は手近にあった椅子を引き寄せて前後逆に腰掛けると、タバコに火を灯してから背もたれの上で手を組んだ。
 それから、ぽつり、ぽつりと誰からともなく事件に関わることになった突端を語り始めた。
 悠也と璃音、そして遼に珪。この四人のきっかけにはそう大差はなかった。
 ただし、悠也と璃音は己が身を守るために、珪はAlektoの復讐を止めたいが為に、そして遼は好奇心が故に、という理由の違いはあったが、いずれもAlektoの名前に導かれるように偶然に偶然がかさなりゴーストネットOFFへと終着した。
 月刊アトラスでAlektoの書き込みに遭遇した灰慈と深雪は、失踪した管理人の足取りを調べたのだ、と述べた。
 失踪した管理人は「失踪」してはおらず、また「殺され」てもいなかった。
 ただ、Alektoは苛烈にして容赦ないハッキングにより、あらゆる「存在証明」たる電子情報――つまり戸籍や携帯電話の記録、学校の卒業記録などを消去し、詭弁をもちいて相手の「存在」または能力の「存在」に不信を抱かせ、攪乱させ、「己を見失わせる」ことで様々な人々の「能力」を奪い去っていたのだという事実を。
 最後に邦彦が出会った白い髪と蒼い眼の少女の事を語り始めた時、アキは舌打ちをした。
「駄目だな」
 ライターを捜すのを諦めたのか、椅子に腰掛けたままの灰慈に顔をよせてタバコの先から火をもらうと、深く煙を吸い込んで、ため息のように長く長く吐き出した。
「駄目だな。もう、手遅れだ。あんたらにアレクトは止められない」
「どういう事でしょうか」
 おずおずと、しかし一歩も引かない、といった意志の強さを瞳に浮かべながら深雪が聞くと、アキはわざとらしく視線を逸らした。
「じゃ聞くけど、あんたらこれからどうするつもりだい?
「自作のプロテクトプログラムをインストールしておき、逆侵入して相応の仕返しをさせていただきます」
 毅然とした調子で悠也が言うと、アキは道化めいた仕草で肩をすくめた。
「仕返し? 逆探知して? パソコンを壊すのか? それでアレクトは止まるのか? 止まらないな。パソコンを壊されたごときで止まる「復讐」なら、最初からやらないだろう」
「復讐だか何だか知らないけど、人殺しはよくないぜ」
「人殺し? アレクトが? データや能力を消去することを殺しとは言わない。たとえそれで相手が死のうとアレクトが直接手を下したわけじゃない」
「だけど誰かが止めなきゃ復讐がループするだけだろう!」
 あざけるようなアキの言葉に珪がいらだちながら立ち上がる。しかし、アキは軽く鼻をならして「どうやって?」と聞いた。
「ふむ。確かにどうやって、だ。アレクトが何故復讐をしているのか私はしらない。キミ達はしってるの?」
「あっ」
 璃音が飄々とした遼の言葉に、声をもらした。
 確かにだれも「アレクトが一体何のために復讐をしているのか」を知らない。
 理由がわからないのに、説得なんて出来るわけがない。
「悪いことは言わない、もうFuriesに関わるのはよせ。Furiesはただのハッカーじゃない。Furiesの頭の中には不条理で説明が付かないどろどろとした怨嗟と復讐だけがつまってるんだ。人ならざる存在に対する、あるいは人ならざる存在を許す世の中に対しての恨みが、な。今ならまだ間に合う。「存在」を消されて自分が何者かわからなくなる前に、ケツまくって逃げちまえよ。いや、もう無理かもな。七つも偶然が重なることはない。偶然でない出来事は必然だ」
「そう。必然よ」
 薄いガラス細工が壊れるような少女の声が、アキのため息をうち消した。
「答を聞きに来たわ」
 傲然とあごをあげながら、一人の少女がゴーストネットに入ってきた。
 最も高温なる白い炎の髪、永久に溶けない氷と同じ蒼とも白ともつかない瞳。
 生気を感じさせない薄紫の唇からは、今にも死の吐息が漏れてきそうだ。
「なるほど、確かに女神だ。ただし……死の世界のね」
 全員が緊張を高める中、遼は少女の傲然とした瞳の中に自分と同じ「永い時」を見いだし感嘆の声でつぶやいた。
「答を聞きに来たわ」
 遼の言葉を無視しきって、少女、アレクトは再び同じ言葉を繰り返す。
 一歩一歩店内に……みんなに近づいてきているのに、不思議と足音や気配が感じられない。
「おいおい、お前さんだけ一方的に聞くのは不公平だろう。こちらの御仁だって聞きたいことはあるだろうさ」
 タバコを灰皿に押しつけもみ消しながらアキが、アレクトをちゃかすように叫んだ。
「……」
「そうよ、私だってあなたに聞きたいことあるわよ」
 それまで黙っていた璃音が、アレクトをにらみつけた。
「聞きたいこと」
「そうよ。私は何故人を殺すか、とか存在するか、とかそんなのはどうでもいい。知りたいのはただ一つ。あなたが今まで消した「人でない存在」の中に「黒狼」が居たか、それが知りたいだけよ。悪いけど私は貴方のなぞなぞに付き合う気はないわ」
「知らない。「殺す」のは私ではないわ。ティシポネかメガエラの仕事。私は「歪み」を生む存在を「消す」だけ」
「ではあなたは黒狼を知らない――?」
「あなたが人間の亜種であり、交配によって種を増やすのであるならば、生物学上あなたの行動範囲の中に少なくとも十五人の同族が存在するわ。物理的な歪みを矯正するのはティシポネとメガエラの担当。私ではない」
 音もなく、アレクトが一歩近づいた。
(あの子、影がない――)
 アレクトの足下を何気なく見た悠也が気づき、息をのんだ。
 悠也がアレクトの存在のおかしさに気づいたのと同時に、店内にあったパソコンの一つが爆発した。
「寒河江!」
「きゃっ!」
 飛び散る火花と、弾丸のようにはじけ飛ぶ金属からかばおうと、灰慈が深雪に覆い被さり、そのまま店内の床に二人して転がった。
「そんな、どうして……パソコンが弾けたの?」
「簡単さ、この店内のパソコンすべてが、とっくにアレクトの支配下にあるからさ。内部にあるハードディスクを限界まで回転加熱させて、電源ユニットをショートさせたんだ!」
 信じられない、と言った面もちの邦彦に、アキが吐き捨てるように言う。
 ぞくり、と全員が動きを止めた。
 これでは地雷原にいるようなものだ。
 よりによってここはインターネットカフェだ。まだ爆発していないパソコンは十台以上ある。それに、もし、パソコンだけじゃなく、このゴーストネットOFFのすべてが……電源系統の制御プログラムや、暖房のプログラムまでアレクトにハッキングされていたら?
「なあ、なんだか暑くないか?」
 珪がのどを押さえながら言う。確かに天井から吹き出してくる風が尋常でなくあつい。
 いや、暖房だけじゃない、すべてのパソコンが悪意を持って加熱し始めている。
 汗が噴き出したかと思うより早く、玉となって床へと落ちる。まるで真夏の様だ。
「暑い、何とかしろ」
「暑いよぉ〜」
 遼と雫が異口同音に不満をぶちまける。
 頭の奥がくらくらする。このままでは脱水症状だ。
 冷ややかな目で全員を見下すアレクトーを横目でとらえながら、深雪は無理矢理力を振り絞り床から起きあがった。
(何とかしなきゃ!)
 打ち身の痛みをこらえながら、深雪は両手を床にあてた。ただの板張りフロアなのに、まるで鉄板のように熱し始めている。
(私の中のチカラよ。私の中の雪女よ、どうかそのチカラを今ここに解放させて!)
 念じるが早いか、黒かった髪から色素がぬけ白く変色していく。
 茶色のカラーコンタクトの奥から、深紅の雪女の力の波動が光となってあふれ出す。
 瞬間、深雪を中心に空気がゆっくりと冷却され始める。
「しばらくは、これで持ちます!」
 叫ぶが早いか、珪が額の汗を吹き払い、手のひらに念を集中し始める。
「手荒い真似は苦手だけど、緊急事態だ。許してくれよっ!」
 はっ、と裂帛の声とともに、手のひらをまっすぐにつきだした。
 気功ににた、「気」の弾丸だった。
 霊や人間なら、その空気圧で吹き飛ばすことが出来る……筈だった。
 しかしアレクトはまるで涼風をうけるように瞳をとじただけだった。
「な、何?!」
「陰陽師でも坊やだと、その程度のものなのか。ははっ。甘いよ」
 そういうと、遼が笑いながら大きく跳躍して、アレクトの背後へと回り込んだ。
「駄目です! 秋津さん!」
 ほとんど悲鳴のような声で悠也が制止した。
 しかし時はすでに遅く、遼の三日月型にゆがんだ唇から、鋭い犬歯が……吸血鬼の象徴たる牙があらわれる。
 瞑目し、微動だにしないアレクトを背後から抱きしめ、病的に白い首筋に、月のように磨きたてられた遼の牙が突き刺さり……しかし、何も起こらないまま、遼は驚いたように眼を見開き、アレクトから牙を外して突き飛ばした。
 よろめいたアレクトは、不満げに鼻の頭にしわをよせながら振り返り遼をにらんだ。にらまれた遼の方は、もっと不愉快だ、というふうに顔をしかめていた。
「冗談じゃない。そいつは『虚無』だ」
『虚無?!』
 異口同音に全員が遼の言葉を吐き捨てる。
「ああそうさ。間違いない。五世紀生きてきて何人か見たことがある。そいつは夢渡りの虚無さ」
 まずいものを口にした、と ぺっ、とまずそうに唾を吐き捨てて、不愉快な表情のままヒールで床をけりつける遼の言葉に、悠也が納得した、とばかりにうなづいた。
「聞いたことがあります。夢にも現にも存在し、存在しない、意識の狭間に居る人間なのでしょう。ならば本体は別の場所にこそ存在する筈です」
「幽体離脱か」
 だったら俺が戻せるかもしれない、と言う灰慈に悠也は頭をふった。
「ちがいます、彼女にとっては俺達の現実そのもの夢。夢そのものが現実。己の意識だけじゃなくて世界のすべてが、白昼夢のように酷くもろく縛りのない空間なんです」
「そうよ。私は夢にも現にも存在する存在。そして何処にも存在しない存在」
 ほほえんでいるのか、泣いているのかわからない、ひどく曖昧な表情でアレクトがつぶやいた。
「私の誕生日に、家族が悪魔に殺されたわ。弟も、母も、父も。みんな。なのに、どうして私は生きてるのかしら。どうして悪魔は私を殺さなかったのかしら? 何故私は存在しているの。どうして一人だけ「存在」しなければならないの? 「存在」するって何?」
 つい、と足音もたてずにアレクトはさらに一歩近づいてくる。
 入り口近くにあったパソコンが、大きな音を立てて爆発した。
「弟は手足をちぎられて、私は両足も両腕も粉々に砕かれたわ。悪魔が、黒い羽根の悪魔がみんなを殺したのに、みんな言うのよ「そんなのは幻だ」って「悪魔なんかいない」って。だとしたら弟は幻に手足を引きちぎられたの? 私の両足を砕いたのは何? 悪魔が幻だとしたら、みんなが殺されたのも幻なの? ベッドから動けずに病院で眠ってる私はだれ? 誰かが私になっている夢を見ているの? 私が誰かになっている夢を見ているの? どうしたらこの夢は覚めるの?」
 ――何が本当で何が嘘?
「どうして悪魔や妖怪は人を殺すの? 人は人を殺すの? 私は悪魔や妖怪を殺したことも、人を殺したことも無いわ。弟だって、母だって、父だってみんなよ! なのに、どうして殺されなければならなかったの! 何もしていないのにすべてを奪われるなんて不公平だわ! 歪んでるわ! そんな歪んだ世界の倫理も、道徳も存在も全て否定してやるわ! 幻のくせに全てを奪っていく「歪んだ存在」もよ! その為には何だってしてやるわ! メガエラがくれたこの夢渡りのプログラムで世界を書き換えてやるのよ! 歪みの存在を全て消して、こんな世界のすべてを否定してやるのよ!」
 少女の口から、断罪の鞭が振り下ろされる。
 一つ、また一つとパソコンが爆発していく。連動するように天井の電球が破裂し、バチバチと電流が火花を散らす。
 休むことなく、止まることなく。
 ――何が本当で何が嘘?
 そんなの、誰にもわからない。
 胸の奥の小さな棘が痛んだ。
 子供の頃、戯れに思った。
 実は今見ている風景が全て夢で、本当の自分は別の人間。
 目の前で笑っている友達も、さえずっている小鳥も……全て眼がさめるまでの幻。
 そんなたわいない想像。
(だけどアレクトにとってみれば、もはや「現実」と「想像」と「夢」の区別が無くなったんだ)
 あまりにも悲しすぎたから、現実を受け止めても、受け止めなくてもつらいことに変わりないから。
 ――だから狭間に、虚無の世界に一人で、うずくまって泣いている。
 邦彦は断罪の言葉をはき続けるアレクトの向こうに、家族を捜して泣きじゃくる幼子の姿を見た。
「「存在」意義は僕だって探してるけれど、まだ見つかってないんだ。ごめんね、答えられない。けれど時々思う。その方がいいのかもしれないね。だってそれがとんでもなく酷い内容だったら、僕、耐えられないよ」
 ごめん。
 のどの奥が引きつれ、止めようとしても嗚咽が出る。
 手探りで肩掛け鞄を探る。「何か」が取り出せる筈の鞄を。
 するとかさり、と乾いた紙箱の感触がした。
 感触を頼りに「それ」をつかみ引き出す。「それ」はきれいなリボンと包装紙で包まれた箱だった。
 リボンに挟まれた小さなカードには「Happy BirthDay」。
 しかし箱にも、カードにも赤黒い不吉な刻印……誰かの血がべっとりとついていた。
 ふるえる指で邦彦がリボンをほどき中をあけると、蒼い、アレクトの瞳と同じ色のくまのぬいぐるみが出てきた。
 テディ・ベア。幸せの熊。
 箱は血にまみれていたのに。どうしてかぬいぐるみには一つも汚れはなかった。
「ごめん、今の僕には……これが精一杯みたいだ」
 そういって、アレクトに差し出した。
「どうして?」
 ――どうして、貴方が泣くの? そうアレクトがつぶやいているように見えた。
「最初の質問の時に、思ったんだ。復讐の三女神は神として祀られることで復讐を収めたんだっけ。って。でもそれは無理だからせめて「人」としての誠意を「人」の貴女に見せたい。そう思ったんだ。――だって、君は答を探してるけど、あまりにもつらすぎて、苦しすぎて自分でも止められなくなっているだろうから」
 憎しみを。
 そして世界を呪うことを。
「わからないわ」
 わからない。
 もう一度同じ言葉をつぶやいた刹那。
 全てが嘘で、夢で幻だったと言わんばかりに、アレクトの姿が消えた。
 朝霧が日の光で浄化されて消えるように。
 虹がいつの間にか空に溶けてしまうように。
「夢の狭間に逃げたな」
 体についたガラスやプラスティックの破片をはらいながら、秋津遼は不敵な微笑みでつぶやいた。
「驚いたな、アレクトに出会って消されない奴がいるなんて。自分を見失なわない奴らがいるなんて」
 割れためがねの破片で切ったのか、頬を流れる血を拭いながらアキが肩をすくめた。
 そして賞賛と呆れを絶妙の割合でブレンドした口調で、つぶやいた。
「あんたら大したもんだよ」――と。
 
■エピローグ −チカラはチカラにすぎない−■

「でも私、少しだけこのチカラが無くなったらいいなっ、て思ったんです」
 月刊アトラスへの帰り道で寒河江深雪がうつむいたまま、ぽつりと漏らした。
「普通の女の子になれるならお祖母様に気苦労をかけなくて済むんだっ、て」
 雑踏に消えそうなくらい小さな声で深雪がつぶやくのを聞いて、灰慈はくわえていたタバコを口から外した。「たぶん私はこれからも、人を殺すためにこのチカラを使う何てことは無いとおもいます……けど」
 もし、身を守るためにやむを得なかったら?
 いつか自分がなにかに絶望して、アレクトのように世界を滅ぼしたくなったら?
 ――人を殺してしまうのだろうか?
 灰慈は苦笑して、深雪のあたまに手を置いて笑った。
「チカラはチカラにすぎないさ。あったってなかったって俺の性格や本質が変わる訳じゃない。どう使うかは本人次第だ。だってあるもんは仕方ないだろ? 今日みたいにみんなを守る為に使えることもあるんだ。そうそう悲観することはないさ」
 ま、記事にはなりそうもないし、書けないから、今回の事件は関わり損なんだけどな。と灰慈は両手を頭の後ろで組んで、のびをした。
「笑えよ」
「え?」
「明日からそんな情けない顔で番組でるつもりか? 寒河江の笑顔が見たくて、寒河江の天気予報を聞いて、一日をがんばるぞ! って思ってる奴らに悪いだろ。存在とか殺すとか復讐とか。そんなんどうでもいいさ。笑えるときに笑ったヤツの勝ちだろ。笑わせることができたヤツの勝ちだろう」
「……」
 灰慈が自分を励まそうとしてくれているのが、痛いほどわかった。
(アレクトも、あの子もいつかは笑えるのだろうか?)
 そんなことを考えながら、雑踏の向こうの夕日を見た。
 たとえ今日が夢だとしても、すべてが誰かの夢だとしても。
 ――笑っている方がいい。
 だから深雪は灰慈と同じように顔を上げて、笑うことにしたのだった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0264/風見 璃音(かざみ・りおん)/女/150/フリーター】
【0258/秋津・遼(あきつ・りょう)/女/567/何でも屋 】
【0264/内場・邦彦(うちば・くにひこ)/男/20/大学生】
【0164/斎・悠也(いつき・ゆうや)/男/21/大学生・バイトでホスト 】
【0143/巫・灰慈/男/26/フリータイター兼『浄化屋』】
【0183/九夏・珪(くが・けい)/男/18/高校生(陰陽師)】
【0174/寒河江・深雪(さがえ・みゆき)/女/22/アナウンサー(お天気レポート担当)】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、アレルギーの薬を取りに行って、何故かインフルエンザを頂戴してきた立神勇樹(たつかみ・いさぎ)です。今年のヤツは全身にコブラツイストかけられているような関節痛が特徴のにくいヤツです。
 長々とお待たせしてしまって申し訳ありません。

 さて、今回の事件は「エピローグを除いて時系列割で7シーン」。
 それぞれ「原稿用紙で30〜40枚のパラレル構成」になっております。
「なぜこのキャラが、こういう情報をもってこれたのかな?」と思われた方は、他の方の調査ファイルを見てみると、違う角度から事件が見えてくるかもしれません。枚数の差が大きいのはPC行動範囲の差です。
今回は長い割に、精神論っぽくなってしまって申し訳ない限りです。
 次回の「ティシポネ」は物理担当(笑)ですので、アクティブな追跡話になる予定です。
 同じシリーズですので、気が向いたときにご覧になっていただければ幸いです。

 なお今回の依頼はプレイングの内容があまりにも「おしい」ためかろうじて「及第点?」な内容です。
 もうすこし別方面から調査してみると、違った展開になったかもしれません。

 もしこの調査ファイルを呼んで「この能力はこういう演出がいい」とか「こういう過去があるって設定、今度やってみたいな」と思われた方は、クリエイターズルームから、メールで教えてくださると嬉しいです。(テラコンからのファンメールは返信機能が付いてないのでこちらからは返信できないのです(涙))
 あなたと私で、ここではない、別の世界をじっくり冒険できたらいいな、と思ってます。
巫灰慈様
 今回は参加ありがとうございました。
 事前にいろいろとアドバイス助かりました。
 他の方のプレイング等で戦闘という戦闘は発生せず、あまり特殊能力の出番がなくて申し訳ありません。
 OMCイラストの方、新Verも旧Verも拝見させていただきました。やー、カッコイイですね。両方ともタバコすってるので、PC唯一のスモーカーになってます(笑)
 プレイング的にはほぼ正解でした。アレクトについて調査すると名言されていら大的中! だったのですが。 おしかったです。
 では、再び不可思議な事件でお会いできることを祈りつつ。