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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


公園

●序章 〜〜オープニング〜〜
 すでに日の入りから結構な時間が経った。三下ともども、あたりは闇に呑み込まれつつある。
 ボタンを押すと省電力モードが解除され、ケータイの液晶は明るさを取り戻した。日付と時計が表示されるだけのシンプルな待ち受け画面が、薄暗がりに浮かび上がる。
「わ、もうこんな時間。急いで帰らなくっちゃ。怒られちゃう」
 三下はケータイをポケットにねじ込むと歩を早めた。取材を終えて帰社する途中である。予定を大幅に過ぎてしまっていた。編集長に怒鳴られること確実だ。が、今ならまだ鉄拳制裁は避けられるかも知れない。
 はやる気持ちを抑えつけて三下は帰社ルート案をいくつか思い描き、最短のものがどれか検討する。
(公園を突っ切るか)
 三下は選出された案に従って、路地に入っていった。

 周囲は暗く、帰途を急いでいて注意確認まで気が回らなかった。

 だから三下はそれに──公園で数人の不良少年がうらぶれた格好の老人を取り囲んでいるのに、ほんの数メートルに近づくまで気づかなかった。そして気づいたときには、若者のひとりもこちらに気づいていた。三下をにらみつけている。
 少年たちは、チーマーと言うのだろうか、ストリートファッション誌に載っていそうな服をわざと着崩している感じの装束。髪も思い思いに染めてあり、整髪料で逆立てている者もいた。老人はここ数日風呂に入っていないのだろう、ずいぶんと薄汚れている。ホームレスだろうか。
(わわわわ、も、もしかして親父狩りってやつなのでは?!)
 どうしよう。
 きびすを返して逃げ去るべきか。老人を助けるべきか。だが、喧嘩を売って勝てるとも思えない。第一、人数が違う。かといって老人を見殺しにするわけにもいかない。
 どうすることも出来ず固まっていた三下に、チーマー(?)のひとりが声をかけた。
「何だぁ手前ぇ。文句あんのかぁ」
 少年は三下を公園に引きずり込んだ。

 同時刻。アトラス編集部。
「遅いわね……」
 麗香は時計を見ながらつぶやいた。三下の帰社予定時刻は大幅に過ぎている。いったいどこでさぼっているのか。
「まったく、しょうがないわね。これじゃ、いつまで経っても記事が上がらないわ」
 そうつぶやくと麗香は、まだ編集部に残っている部下たちに声をかけた。スケジュールから見て、三下はすぐ近くまで帰って来ているはずだ。
「ちょっと! そこの子たち! 手が空いてるなら三下を探してきてちょうだい!」
 何人かが手を挙げ、編集部を出ていった。


●第一章  〜〜編集部にて〜〜
 月刊アトラス編集部に不似合いな姿があった。青年と言うほど若くはないが、中年と呼ぶには若すぎる。すらりとした背は成人男子の平均より頭ひとつ分ほど高いだろうか。細面に配された鋭い目つきとスッと通った鼻筋。ウェーブのかかった長い黒髪。きれいに揃えられた口ひげとあごひげ。年の割には上質そうなスーツ。まさにジェントルマンといった風貌である。たった一点をのぞいて。
 それは眼。金色の瞳。シックに決められた他の点に比べてそこだけが不自然なまでに自己主張をしており、悪趣味に感じられた。これが金色のコンタクトだというのならセンスのなさを笑われるだけですむ。だが、自前であった。
 彼はアトラスの編集部員ではない。雇われライターでもない。絵本作家だ。名を那神化楽(ながみ・けらく)という。もともとはアトラスのような怪奇雑誌とは何の関係もない。新作の打ち合わせのために白王社を訪れ、帰りがけにアトラス編集部の人捜しをたまたま聞いただけである。そのまま家路についてもよかったはずだが、首を突っ込み、いなくなった三下という編集部員を捜すことにした。
 彼と一緒に捜索に出るのは高校生の少年、鈴宮北斗(すずみや・ほくと)だ。なぜ出版社に高校生がいるのか、化楽は知らない。おそらくアルバイトか何かだろう。ふたりが自己紹介をすませると北斗が人なつこい笑顔を向けてきた。
「よっしゃ、おっちゃん、よろしくな」
「化楽です。おっちゃんはひどいですね。まだ三十四ですよ」
 北斗の非礼を化楽は軽く受け流し、編集部内を見回す。
「どなたか、三下さんの席をお教えくださいませんか」
 近くにいた編集部員が教えてくれた。
 だいたいにして雑誌記者の机というものは大量の資料や書類に埋もれているものだ。三下も例に漏れてはいなかった。化楽はそこへ近づくとペンを一本拾い上げた。くんくんと臭いをかぐ。口ひげがひくひくッと細かく震えた。
「何しとるんや、おっちゃ……化楽さん」
 答えることもせず、化楽はペンの臭いを覚え込んだ。北斗の質問を放ったらかしである。北斗もそれ以上しつこく追求しなかった。
「よし。覚えました。
 お待たせしました。ペンにしみ込んだ三下さんの臭いを覚えていたんですよ。この臭いを頼りに探しましょう」
 化楽の言葉に北斗は怪訝な顔で応じた。
「覚えるって……そんなこと、出来るんか?」
 ああ、またか。
 不審には慣れているので気にはならないし、実際いぶかるのも無理はないと思う。犬ではないのだから普通はそんなこと出来ない。そう普通は。
「出来ますよ私には。なぜか」
 言葉通り化楽は、理由は不明だが、なぜか人より優れた嗅覚、聴覚、視覚などを持っていた。いつそれが身に付いたのかも覚えていない。幼い頃の古い記憶では、自分の五感は平凡だったはずだ。
「そんなことより、人捜しの方が先決のはずでは?」
 さりげなく話題を逸らした。あまり突っ込まれて変な目で見られても困る。
「あ、そうやな。急がな」
 こういうときは他に意識を向けさせるに限る。まだ十数年しか生きていない北斗をコントロールするなんて簡単だ。彼はこちらの思惑通り呆気なく意識を三下に切り替えてしまった。
「さ、行きましょう。暗くなると寒いですしね」
 ふたりは編集部を後にした。


●第二章 〜〜 Fight in Park 〜〜
 その日、滝沢百合子(たきざわ・ゆりこ)は剣道の試合であった。結果は勝利。睦月杯優勝者の彼女にとっては当然のことだ。
 試合後に会場の後片付けを手伝っていたため帰宅が遅くなった。既に周囲には暗闇がわだかまり始めている。早く帰った方がいい。百合子は、いつもは通らぬ公園を突っ切ることにした。年頃の少女が暗くなった公園をひとりで通るのは危険であろう。だが、今の百合子は試合の帰り。竹刀を持っている。恐れることはない。
 ふと、怒声が聞こえてきた。行く手、公園の方からだ。
「何だぁ手前ぇ。文句あんのかぁ」
 不穏なものを感じて声の元へと近づいてみると数人の少年がたむろしていた。百合子と同世代くらいだろうか。髪を逆立てている者あり、鼻ピアスをしている者ありと、真っ当とは言いかねる風体。彼らに取り囲まれ、おそらくホームレスであろう老人が怯えた表情でへたり込んでいた。さらに、気の弱そうなサラリーマンが路上から公園内へ引きずり込まれようとしている。
 その刹那、竹刀を取り出し荷物を捨てて駆けだした。
 百合子は彼らのような人種が大嫌いだった。集団でしか行動できなくて、百合子と同様、親の脛をかじって生きているくせに悪びれもしない。あんな奴らの暴力を見過ごせるわけがない。竹刀を持っていてよかった。手加減無しで叩きのめしてやる。
 対手は六人。茶髪、逆立て髪、鼻ピアス、緑服、革ジャン、ノッポ。
「やめなさい!」
 振り向いた奴らのひとり、茶髪に竹刀をたたき込む。
「ぐぎゃ?!」
 茶髪は頭を押さえながらのけぞった。その隙に老人と少年たちの間へ滑り込む。
「やめなさい! あなたたちこんなことして恥ずかしくないの?!」
「なんだぁ?! このアマぁ」
 少年たちの探るような視線が百合子に集まる。すかさず、サラリーマンを押さえ込んでいる鼻ピアスに面を打ち込んだ。茶髪同様うめいてうずくまる。
「んのヤロォ!」
 百合子を敵とようやく気づいた革ジャンが躍りかかってきた。左面で迎撃。
 直撃。
 しかし革ジャンはかまわず突っ込んでくる。百合子は下がって間合いを取り…………取れなかった。後ろには老人がいる。後退不能だ。
「くぅぅ!」
 百合子は剣で革ジャンを払おうとしたが時すでに遅し、懐まで入られている。革ジャンの拳が腹に食い込んだ。まず熱さが、次いで痺れと痛みが波紋のように広がる。痛みで一瞬握力を失った手から竹刀が引き抜かれ捨てられた。
 しまった。唯一の武器を奪(と)ら──
 革ジャンが百合子の足を刈った。重力が消える。背中に強い衝撃。視界が白くなって……気を取り直したときには仰向けに倒されていた。ちょうど胸の上に革ジャンが馬乗りになっている。
 頭を守ろうと腕をかざすもそれをかいくぐって革ジャンの攻撃が顔に届く。拳ではない。平手だ。腕の隙間をぬうように二度三度とヒットする。
「や、やめろ〜」
 サラリーマンが情けない声を出しながら革ジャンに掴みかかった。しかし、無造作に繰り出された革ジャンの拳に股間を打たれ、ぐげ、という滑稽な声を残して悶絶した。ノッポが駆け寄って背広の内をまさぐり財布を抜き取る。
「な、なんてことを!」
 百合子は叫んだ。しゃべりにくい。叫んで初めて自分が鼻血を出していると気づいた。
 革ジャンは百合子の手首をクロスさせると、片手で、彼女の頭の上で押さえ込んだ。かなりの握力。万歳に近い格好で地面に張り付けにされる。
 痛みから回復した茶髪と鼻ピアスが百合子に近づいてきた。「よくもやってくれたなぁ?」 憎しみに燃える瞳。ふたりとも、今にも襲いかかってきそうだ。だが百合子に抵抗するすべはない。「仕返しは後だ」 革ジャンが制した。緑服に叫ぶ。「おいタカ! 車まわして来い。拉致るぞ」「あ、ああ。わかった」
 公園を去る緑服を見送ってからノッポが老人に気づいた。
「あれ? ジジィまだいたのか。帰っていいぞ」
 老人はその場にへたり込んだまま、唇をぶるぶると震わせている。ズボンの端に点々とついた赤くまだ新しい染みは百合子の血だろうか。ノッポの言葉に何の反応も見せず、ひたすら唇だけを震わせている。
「ジジィなんかどうでもいいだろ。それよりこの女だ。よく見りゃベッピンさんだぜ」
 逆立て髪の台詞に茶髪が毒づく。
「しょせん鼻血女じゃねぇかよ」
「違いねぇ」
 ぎゃはははと笑う少年たち。
 憎い──不良たちの非道が。
 悔しい──こんな非道に勝てなくて。
 情けない──勝てない自分が。
 腹立たしい──罵りの言葉が。
 惨めだ──どうすることも出来ない自分が。
 恐ろしい──これからどんな目に遭うのかが。
 さまざまな感情が百合子の胸に浮かび、浮かんでは消えてゆく。それらは心の中で混じり合い、渦をなしていた。吸い込まれ行く先は絶望。無明の闇だ。今の百合子には渦に巻き込まれ、もみくちゃにされることしか出来ない。
(そんなはずないわ)
 胸のどこかで、もうひとりの百合子がささやいた。
(たとえどんな状況でも、何も出来ないなんてはずはないわ。諦めちゃダメよ、百合子。諦観はただの思考停止、逃避に過ぎないわ。剣士はどんな時でも決して逃げたりしない)
 そうだ。私は諦めたりしない。老人もサラリーマンも事態を打開するに足りない。私が何とかしなくては。私がしなくてはいけないのだ。そのためには……まずはこいつを振り落とす!
 百合子は足を踏ん張ると、思い切り体を振り上げた。勢いで革ジャンを振り飛ばそうという魂胆である。肩を起点にした変形ブリッジのような格好になる。しかし革ジャンは体重移動だけでそれをさばいた。ならばと左右に振るが革ジャンも右へ左へと重心を巧みに動かし、難なく乗りこなしてしまう。
 だめだ。てこの原理だ。肩を支点、腰を第一作用点とするなら、革ジャンが乗っている胸は第二作用点。さして移動しない。
 周りの連中がはやしたてた。
「あっれ〜? 可愛い子ちゃん、エッチだな〜。腰を振り振り、おねだりかな〜?」
 下卑た笑いが百合子に降り注ぐ。
 無視して次の作戦に移った。腰を落とし今度は背骨を軸に体をねじる。これで振り落とすのだ。
 しかし、革ジャンが胸に乗って百合子をがっちり押さえ込んでいる。結局、一度もひねることが出来なかった。
(くぅ、なら!)
 百合子は革ジャンの背にひざ蹴りを見舞った。えげつないとは思いつつも背骨を狙う。が、敵は胸元に乗っている。ひざからの距離が遠いため届かせるには腰を浮かさなくてはならず、うまいことあたったりしない。さらに無理な体勢で蹴っているせいだろう、どす、どす……と音は結構するのに手応え(足応え?)はあまりない。効果の方もあるようには思えなかった。
「ぎやっははは。こいつ、これでひざ蹴りしてるつもりだぜ。可愛いパンツが丸見えだぁ」
 相変わらず無視した。せめて腕が自由になればと、蹴ると同時に腕も振るのだが相手の力が強く一向にほどけない。
(だめだ……)
 すべての手を出しきった百合子は徐々に体から力が抜けていくのを感じた。何もする気にならなくなりかける自分を鼓舞して無理矢理ひざ蹴りを続けるが、間隔は少しずつ開くようになっていく。
 おかしい。なぜ勝てないのだろう。弱いからだろうか? いや、自分は睦月杯優勝者だし、今日の試合にも勝った。<裏罠愚出斗>事件のときには久我に実力を認めさせた。決して弱くはないはずだ。
 胸中の渦が勢いを増した。呑まれ行く先は絶望。無明の闇だ。
 エンジン音が近づいてきた。ワンボックスが一台こちらへ向かってくる。
 公園の出入り口はふたつ。百合子が飛び込んだ出入り口と、その反対側にあるもの。自動車は反対側の出入り口に横付けした。
「来たみたいだな」
 革ジャンがつぶやきに百合子の蹴りがついにやんだ。
(だめだ……もう……私は……)
 いきなり、革ジャンが真横に吹っ飛んだ。胸が軽くなる。革ジャンはごろごろとクルマの横まで転がっていった。
「あ?! な?」
 突然のことにその場に居合わせた全員が事態に取り残された。見ればバンダナを巻いた、不良たちと同年代の──ということは百合子とも同年代の──少年がいる。彼が革ジャンに体当たりを食らわせたのだ。(い、いつのまに? どこから?) 疑問が次々浮かぶ。
 バンダナは振り返りざま茶髪の足を蹴った。
「があああああ?!」
 絞められた鶏みたいな悲鳴を上げ茶髪は倒れ込んだ。
「ふん、日本語で悲鳴上げとるようならたいしたことあらへん」
 バンダナは言い放つと、たんッと軽く地面を蹴った。五メートルほど飛び、逆立て髪との間合いを詰める。(え?! あの距離を、まるで溝をまたぐようにあんなに軽々と?!) 百合子が驚いている間に中段蹴りで仕留めた。
 バンダナの実力は目を見張るものがある。あっという間にふたりを倒した。それに比べて自分は。
 無力感にまみれる百合子のわきでノッポが恐慌をきたした。
「うわあああああ! ジュンちゃん! 起きてよジュンちゃん!」
 悲鳴を上げながら革ジャンに駆け寄った。何とか立ち上がろうとしている革ジャンを助け起こす。しかし、ひざ立ちにするのが精一杯だ。
 突然、公園の入り口──百合子の来た方だ──から声がかけられた。
「北斗ちゃん、大丈夫?!」
 バンダナが振り返る。百合子も声の源を見やった。入り口には紳士然とした男がいる。北斗というのがバンダナの名だろうか。
 おらぁぁぁと雄叫びをあげて鼻ピアスが、意識を逸らしたバンダナにタックルをかけた。捕まる、と視線を戻した百合子は思った。おそらくその場の全員がタックルの成功を予想しただろう。しかし、鼻ピアスの手が触れる一瞬前にバンダナはジャンプ一番、四メートルほども飛び上がってかわした。急に標的を失って、鼻ピアスはつんのめるように倒れ込む。
 垂直飛び四メートル。人間の範疇を越えている。
「化け物め……」
 革ジャンがうめいた。そばにいたノッポがそれを聞き、壊れたスピーカーのように喚きたてる。
「化け物だ! 化け物だ!」
 バンダナのまとっている気配が変わった、気がした。それまでは炎のような烈しい怒りを感じさせていたのに、急に冷え、まるで氷のように冷たくなっている。
 自動車の後部座席ドアが開いた。緑服がふたりに手をさしのべる。
「ジュンちゃん、テル! 早く車へ!」
 ノッポが車内へ転がり込もうとして緑服に押し返された。
「馬鹿、ジュンちゃんが先だよ。おまえはリョウを拾ってこい。
 ヨータ! ドテチンは任せた!」
 緑服は革ジャンを引っ張り上げようとしながら、未練がましく車内をのぞむノッポに指示した。そこへバンダナが近づく。
「化け物、来るな、来るなぁ」
 叫んでもバンダナの歩みが止まらぬとわかったノッポは、緑服たちをおいて逃げ出した。大回りに回って、ようやく起きあがった茶髪へとすがりつく。逆立て髪を回収した鼻ピアスも合流する。バンダナは四人を無視し、無理矢理立ち上がって構えをとる革ジャンに接近した。
 蹴った。
 緑服もろとも革ジャンは車内へ吹っ飛んだ。
 バンダナは四人へ向き直る。
「早よ去りぃ。望むなら相手したるが、な」
 四人は転がるようにバンダナの脇を抜け、車内に飛び乗った。革ジャンもろとも失神した緑服の代わりに誰が運転しているのか判らないが、とにもかくにもワンボックスは猛スピードで走り去った。
 完勝である。一分あまりの時間で六人を撤退せしめた。
 それに比べて私は……。
 完敗である。ふたりほど打ち据えたが革ジャンには手もなくひねられた。ぬぐい去れない屈辱感が百合子をさいなむ。いたたまれない。
「助太刀ありがとうございました。失礼します」
 立ち上がって簡単に礼を述べると老人やサラリーマンを彼らに任せ、服に付いた砂や埃もそのまま、荷物を拾いながら早々に立ち去った。
 途上、コーナーミラーに映った自分の姿を見た。さすがに血は止まっているものの、鼻から口にかけてと服の胸のあたりが真っ赤に染まっている。拭き忘れた。
 鼻血まみれの女子高生剣士。我ながらとても間抜けな図に思えた。

 公園には北斗と化楽、失神している三下、腰を抜かしている老人の四者が残った。
 北斗はバンダナを外した。人並みはずれた運動能力を持つ北斗は、バンダナを巻いた時のみ力が発言するよう自己暗示をかけているのだ。理由は──
「化け物、か」
 北斗は大きく息を付いた。まあ、いい。よくあることだ。慣れている。少女も逃げるように行ってしまった。きっと「化け物」が不気味だったんだろう。
 三下を探して公園まで来たら不良とおぼしき少年たちが少女を暴行しようとしていた。近くには三下が失神している。少し離れて、ホームレスらしい老人がへたり込んでいた。
 彼女を助けようと参戦したのだが、怖がらせてしまったようだ。
 少年は老人に歩み寄った。三下には化楽が駆け寄っている。
 老人に微笑みかけた。
「じっちゃん、ケガしてへん? 最近の若いもんは見境があらへんからな。気ぃつけた方がええで」
 手をさしのべる。老人はびくりと体を震わせた。眼には怯えをたたえている。まるで化け物にでも遭(あ)ったかのように。
「あ、ありがとうございました! ありがとうございました────ァ!」
 こけつまろびつ滑稽なほどのあわてようで老人は公園から逃げ出した。行き場を失った手を差し出したまま固まることしか出来ない北斗を残して夜闇の中へと消えてしまう。
 北斗は手を引っ込め頭を掻いた。
「ま、よくあるこっちゃ」
 くよくよするのは性に合わない。結局、少女にも老人にも振られたってだけのことである。大したことじゃない。大したことじゃないんだ。それより化楽だ。一応、現時点でコンビを組んでいる化楽はどう思っただろう。別に気味悪がられてもいいが、三下を編集部に連れて帰るまでは上手く付き合っていかないと困る。
 北斗は化楽の方へ振り向いた。微笑んでみせる。引きつった笑顔になっていないだろうか。
「三下さんは気絶しているだけのようです。骨に異常もないようですし、大丈夫でしょう」
 道々に三下のことを教えておいたので、化楽は失神サラリーマンが三下だと気づいていたようだ。ケガの様子を調べてくれている。
 幸いなことに化楽は北斗の怪力を気に止めていない。とても救われた気分だ。
 余裕が出来たせいか、地面に何かが落ちているのに気づいた。一メートルに満たない細長い袋。誰の落とし物だろうか。中身を確認しなくては持ち主を調べることも出来ないので悪いとは思いつつ端を閉じていた紐を解く。
 鞘が出てきた。鞘だけだ、刀はない。
「なんやこりゃ?」
 不良たちが鞘を持ち歩くとも思えないしホームレスが持ってるのも変だ。あの少女だろうか。そういえば竹刀や剣道具を携えていた。剣道をやってるに違いない。ということはこの鞘の持ち主もきっと彼女だろう。鞘だけというのは奇妙だが、彼女が一番違和感を感じさせない。もっとも彼女がどこの誰だか判らないのだから届けようがない。
「あれ? まてよ?」
 本当に誰だか判らないのだろうか? あの少女、どこかで見たことがあったような気がする。どこだったっけ。
 しばし考えたがわからない。
「ま、そのうち判るやろ。この鞘は編集部で預かって貰っとこか。
 化楽さん! 三下さんは起きましたか?」
 化楽が首を横に振る。仕方ない。背負って運ぼう。さて、化楽と自分、どっちが背負うか。
「化楽さん、背負っていけそうでっか?」
「俺はインドア派なので、少々無理かと」
「さよか」
 北斗は再びバンダナを巻いた。

●第三章 〜〜放課後〜〜
 放課後、百合子は教室をあとにしつつ今日の行動を思案していた。あれから数日。気力が湧かず何をするにも億劫だったのがようやく回復し始めていた。

「ゴーストネットにでも顔を出そうかな」
 ぼそりと呟く。本当は剣の稽古をするべきなのだろうが、剣を握れば嫌でも公園での件を思い出してしまう。とてもあの敗北と正面切って向き合うほど心の整理は付いていなかった。
 公園、という単語から、あのバンダナ少年を連想した。あの顔、何か引っかかるものがある。以前どこかで会ったことがあるような気がするのだ。本当に初対面だったのだろうか。もし初対面ではなかったとしたら、どこで会ったのだろうか。
 そんなことをつらつらと考えながら校門へ向かう途中、武道場のわきを通った。声がかけられる。
「あれ、百合子じゃん。今、帰り?」
 見ると剣道部のクラスメイトだ。道場の外へ椅子を持ち出して腰掛けている。道衣に着替えてはいるものの防具はつけていない。手には小刀とバラした竹刀。稽古前の手入れをしていたのだろう。
 人なつこい笑顔を向けてくる。仏頂面でいるのも悪いので百合子も微笑み返した。きちんと笑えているか自信は無かった。
「あなたは部活?」
「見ての通り。百合子もさぁ、剣道部じゃなくてもいいから何か部活やったら? 『若人よ、勉学にいそしめ、スポーツに打ち込め』だよ」
 クラスメイトの忠告に百合子は苦笑いをして見せた。
 ふと、ある案が頭に浮かんだ。彼女に物差しになって貰おう。
「ねえ。竹刀、貸してくれない?」
「え? うーん、持ち出しはちょっとなぁ」
「今、この場でちょっと借りるだけよ」
 彼女はしばし勘案したのち、まあいいか、と言って道場の中へ入った。すぐに竹刀を手に出てくる。時間の短さからみて、手入れ中だったものを組み立てたわけではあるまい。
 百合子に手渡した。
 百合子はそれを受け取ると左手に持った。提刀(さげとう)から帯刀、抜刀して蹲踞(そんきょ)。剣士なら試合、練習、形(かた)に関わらず、刀およびその代わりたる木刀や竹刀を抜くときにはこの様式で抜く。正式な動作だ。
「ねえ、あなたも構えて」
 彼女は突然の頼みにびっくりしたが、再び道場に戻って竹刀を取ってきた。提刀、帯刀、抜刀、蹲踞。互いの剣先が軽く交わる。一刀一足の間合い。ふたりはスゥっと立ち上がった。これも試合や形を始める正式な動作。
 百合子は相手を窺った。
 隙だらけだ。
 百合子は構えを解いた。「ありがとう。もういいわ」 蹲踞して納刀、礼。竹刀を返した。向こうも構えを解いて蹲踞、納刀、礼。竹刀を受け取った。
 構えただけでも判るほど自分と他者には実力の開きがある。私は決して弱くない。
「部活、頑張ってね」
 クラスメイトに別れを告げて、百合子はインターネットカフェに向かった。

 百合子が去ってのち、武道場から別の剣道部員が出てきた。後輩である。近づいてきて質問した。
「先輩、さっきの方、誰ですか。どっかで見た気がするんですけど」
「ああ、あの子は滝沢百合子。睦月杯保持者よ」
「あ、そうか、それで見たことあったのか。あれ? でもそんなすごい人がどうして剣道部に入ってないんです? どこかの道場にでも通っているんですか?」
 当然の疑問を口にする後輩。先輩は肩をすくめた。
「さぁ、何で入らないのかな。入学当初はよく誘ったんだけど、全然入る気が無いみたい。聞いた話じゃ昔は道場へ通っていたらしいんだけどね。今はやめたんじゃなかったのかな。なんでも聞いた話じゃ、両親が離婚してそのときやめたってさ。今は親と離れて一人暮らしだって。彼女のこと、あんまり気にしない方がいいわよ。変な噂もあるし」
「変な噂?」
 怪訝な顔の後輩に先輩は、少々逡巡したが結局、「又聞きだし、単なる噂で裏が取れてないからあんまりぎゃあぎゃあ言うのも何なんだけど」と前置きしてから教えた。
 曰く、インターネットにハマって怪しげな人たちと交流があるらしい。
 曰く、その怪しげな人たちと夜中に、廃病院や廃屋に忍び込んでたむろしているらしい。
 曰く、夜の倉庫街をうろついているらしい。
 曰く、ストーカー行為を行っているらしい。
「滅茶苦茶じゃないですか! すさみきってますよ、その生活!」
 後輩が叫んだ。大きな声出さないでよ、と先輩がたしなめる。
「あくまで噂だからね」
「でも……そんな不良少女には見えなかったんですけど」
 百合子は長い黒髪を三つに編んだ、清純なタイプ。先輩が言うような無茶をするようにはとても思えない。
「だからさぁ、あくまで噂なんだってば。私だって、全部が全部本当だなんて思っちゃないわよ。でも、火のないところに煙は立たず。どっちにしろ、そう思われるだけの何かがあるんでしょう。だから、かえって入部してくれてないほうがいいのかもよ。
 さ、そんなことより練習しましょ」
 彼女はそう言うと後輩に竹刀を二本とも渡し、自分は椅子を持って道場へと戻った。


●第四章  〜〜再会〜〜
 ゴーストネットOFFは平日だと言うこともあり、空席が目立っている。北斗はいつものようにコーラを満たしたコップを手に、適当な席を物色した。
 瀬名雫がいた。何か書き物をしているのか、熱心にキーボードを叩いている。ちょっとした茶目っ気から北斗は、悟られないようにすりすりと近づいた。
 真後ろに立っても雫はまるで気づかない。北斗の胸にむくむくとイタズラ心が頭をもたげる。
「し、ず、く、ちゃんっ!」
 いきなり声をかけると同時に汗をかいたコップを頬に押しつけた。
「ぅわぁあ?! つ、つめたっ?!」
 雫はびくりと飛び上がった。驚いて当然だろう。
 その様子が可愛らしく北斗は知らず知らず笑みをこぼした。
「なんだ北斗くんか。あーびっくりした」
 大きく息をつきながら頬についた水滴を手で拭う。
「あはははは、ゴメンゴメン。こんにちは雫ちゃん。ところでどうしたの。熱心に書き込んでたみたいだけど何か面白いカキコでも載ってるの?」
 そう言って北斗はモニターを覗き込んだ。「ゴーストネット」ではなかった。ワープロソフトが起動している。
「あはは。実はさぁ、ゴーストネットで面白いカキコ読んじゃってさ。
 このあいだ公園で人外がチーマーを襲ってたんだってさ。人外っても見た目は人間そっくりなんだ。でも、空を飛んだりできるんだよ。それで数人いたチーマーを一瞬でボコにしてたんだって。私さ、これって絶対、改造人間だと思うんだよね。悪の秘密組織に改造されちゃった人が逃げ出したんだよ。
 そんなこと考えてたら改造人間が出てくる話を書きたくなっちゃって今書いてるところ。悪の秘密結社から逃げ出した改造人間がみんなのために戦うんだけど、異能力をうとまれて迫害されんの。なんだか七十年代の特撮によくあったパターンだね。きししし……し?!」
 雫の、イタズラっ子のような笑いは、蒼ざめた北斗の顔によって中断された。
「だ、大丈夫、北斗くん。なんか、顔色悪いよ?」
 心配そうに訪ねてくる雫。自分が顔面蒼白の原因とは露ほども思っていない。
「え、あ、ああ。大丈夫だよ、うん、大丈夫」
 北斗はむりやり微笑んで見せた。
 うん、大丈夫や。べつに雫ちゃんかて悪気があって言ってるわけやない。たまたまや。
 気を取り直して北斗はコーラに口を付けた。飲もうとしてコーラが波打っていることに気づく。どうやら手が震えているらしい。「なんや、意外と情けない奴やなぁ、俺も」 思わずひとりごち、苦笑してしまった。
 苦笑も笑い。笑ったおかげで余裕が出てきた。もう平気だ。
 平気だ。
 まだ心配そうな表情の雫に、ほな、と言い残してどこか席に着こうとした。そのときである。扉が開いて少女がひとり入ってきた。白くすべらかな肌。艶やかな黒髪はゆるい三つ編み。名うての進学校の制服。あのときの少女だ。間違いない。
 向こうもこちらに気づいたらしい。驚いた表情を浮かべている。
 疑問がようやく解けた。なるほど、ここか。ここで会ったことがあったのか。彼女も自分もゴーストネットOFFの常連だったのだ。


●第五章 〜〜ブランコ〜〜
 公園である。先日の公園である。
 結局百合子はあのあとネットサーフィンもせずに店を出た。少年も一緒である。道々、歩きながら自己紹介を済ませた。少年は北斗というそうだ。特に意識して歩いたわけではないが、この公園にたどり着いてしまった。無意識のなせる業(わざ)であろう。
 公園は人もなく静まりかえっていた。普通、こういったところは子供の遊び場になっているものだが。
 よく考えれば、あんな不良少年たちが現れるようなところに寄りつく人も多くはあるまい。ときおり、どこからか自動車の走るエンジン音が聞こえる。それがかえって静寂を際だたせていた。あの夜は周囲に目を配る余裕など無かったが、明るいうちに来てみると存外広くはない。片隅に古ぼけたブランコや滑り台がちまりと固まっている。乱闘があったのは向こう側の出入り口の近くか。
 百合子は乱闘現場のわきを抜けブランコに腰掛けた。キィキィと軋む。子供用なので座席の位置が低く座りにくい。ひざの曲がり具合が、椅子に腰掛けるのと体育座りをするのの丁度真ん中くらいだ。
 ブランコは二台ある。北斗も隣のブランコに座った。彼は百合子より背が高い。ひざは、真ん中より体育座り寄りだ。
 北斗が話しかけてきた。
「なあ、あのあと大丈夫やった? 血ぃ出してたようやけど」
 ──鼻血まみれの女子高生剣士。我ながらとても間抜けな図に思えた。
「ええ、おかげさまで大したことなかったわ」
「そうか、そらよかった」
 北斗が屈託無く笑った。間が持たないのか、ひざを曲げ伸ばししてブランコを揺すっている。キィキィという軋音が言葉の合間に挟まる。
 百合子もブランコを揺すった。やはり軋む。何しろ子供用である。軋みが体重オーバーをつげる警告音のようだ。
「そっちはどう? サラリーマンのおじさんやお爺さん、平気だった? あの日は、先に行っちゃってゴメン」
「あ、いや、そんな気にせんといて。じぃさんの方は元気に走って帰っていったし、三下さん、って、あのサラリーマン三下さん云うんやけど、彼も失神しとっただけや。大事ない。ま、財布がないって叫んどッたようやけど、もともとあんまり入ってなかったようやしな。体のこと考えれば、数千円のお金だけですんでよかったわ」
「そう……」
 静寂がふたりの間に流れた。
 午後の太陽がまだ暖かさを保っている。もう春が近いのだろう。一ヶ月前ならこの時間はもう夕暮れ時だったはずだ。
「あ、そうそう。思い出したわ。百合子、落とし物してかんかった? 鞘が落ちてたんや。こう細長い袋に入ったわ。ほら百合子、帰るとき竹刀やら何やら持っとったやん。剣道やっとるんやろ?」
「鞘? というより、呼び捨て?」
「ああ、ごめん。気に障った?」
 本気で狼狽しているような、その実おどけているような、妙ちきりんな口調で北斗は答えた。脱力させられる。「いいわよ、別に」 百合子はひとつ溜め息をついた。「私は鞘なんか持ち歩いてないわよ、いくら剣道やってるからって」「さよか」
 再び静寂。キィキィと軋音だけが耳朶と戯れる。
 路地を一、二本ほど隔てて自動車のエンジン音がした。遠くから近づいてきて交差点を横切る時ちらりとだけ百合子たちに姿を見せた。ワンボックスだ。そのまま直進して去っていく。
 奴らのクルマもワンボックスだったっけ。
「ねえ、あの不良たち、どうしたのかな」
 奴らは走り去ったあとどこへ消えたのだろう。今も悪事を働いているのだろうか、それとも心を入れ替えたのか。
「どうしたんやろな。ああいう小悪党はいっぱいおるから行方なんてさっぱりわからんし。
でもまあ、あんまり改心せぇへんのとちゃうの?」
 百合子は嘆息した。奴ら、と言うより革ジャンには完敗してしまった。行方が分からないのだから再戦のしようもない。ある意味勝ち逃げ。これでは百合子は負けっぱなしだ。その革ジャンも北斗に完敗している。
 不意に閃いた。
 ──それでは北斗に勝てばあの敗北はチャラではないのか?
 この考えは百合子にとって非常に魅力的なものだった。負けを取り返しさえすれば、今この胸を満たしている憂さを払拭できるのだ。そしてそれは、革ジャンを探し出して再戦するより可能性が大きい。すぐに実現可能だ。北斗と戦ってみるに如くはない。とはいえ、いきなり決闘を申し込んだら北斗から馬鹿にされるのではないだろうか。
(恐れるな、百合子。剣士は恐れたりしない)
 剣士は意を決するとブランコから立ち上がった。北斗に向き直る。
「ねぇ、鈴宮さん。話があるんだけど」


●第六章 〜〜ソクラテスの弁明〜〜
「それで立会人として私が連れてこられたというわけですか」
 化楽はそう言うと、ふたりの高校生の顔を交互に見た。一人は北斗。もう一人は先日公園で助けた少女だ。北斗に聞いたところ百合子というらしい。
 今日も打ち合わせで白王社に行った。帰りがけ、三下のケガの様子が気になってアトラス編集部によってみると、再び北斗に会った。彼は三下を編集部から連れ出そうとしていて、三下は「もうすぐ〆切が〜〜」と半泣きで嫌がっていた。事情を聞くと、北斗はこれから先日の少女と決闘をしなくてはならないらしい。ケンシノホコリなのだそうだ。犬歯の埃──いったい何のことやら。決闘の原因を聞いても乾杯がどうとか、ちっとも要領を得ない。要点を整理するとか5W1Hとか学校で習わなかったのだろうか。いったいこの国の国語教育はどうなっている。だいたい、鞘の件は聞いたのだろうか。
 ともかく、北斗と少女が決闘することだけは確からしい。その立会人として三下を連れて行こうというのだ。三下は、〆切に追われているので行きたくないらしかった。結局、化楽が三下の代わりに連れてこられたというわけである。
 決闘場である先日の公園に着くまでに何度か説明を繰り返して貰い、それを化楽が自分で要約し、やっと何がどうなっているのか理解できた。決闘で勝って完敗の雪辱を果たし、剣士の誇りを取り戻そうというわけである。
 見れば竹刀を手にした百合子は張りつめた表情。静かな戦意を漲らせている。
「では、始めますよ」
 化楽の言葉にうなずく両者。それを確認し、一拍、間をおく。
 なんだか、こっちまで緊張してきた。
「ファイっ!」
 化楽は開始を宣言した。

 化楽の声と同時に、北斗は一応構えた。
 前方おそらく二メートルくらいのところで百合子が竹刀を構えている。立会人を呼びに行っている間に近くでスポーツショップを探し出して買ってきたのだそうだ。お金持ちだ。うらやましい。額に汗が浮かんでいるのは北斗が帰ってくるまでずっと素振りをしていたからだという。素振りを繰り返すことで竹刀が一本一本持っている癖を把握したかったのだ、と彼女は言っていた。竹刀なんかどれでもみんな同じだと思うのだが、そうでもないのだろうか。剣道には暗いのでよくわからない。
 構えは、名前は何というのか知らないが、体の中心で前を向けて構えるやつだ。剣の先っぽはこっちを向いていて、まったくぶれない。北斗が右に回れば右に、左に回れば左に、張りつめられた糸でつながってでもいるかのようにぴったりと追いかけてくる。
 隙がない、と言っていいのかどうか実は北斗には分からない。格闘技の経験なんてないし、喧嘩の時だって構えだの隙だのを気にしたこともない。北斗の化け物もしくは改造人間クラスの瞬発力で蹴り込めば、構えていようがブロックしようが関係ない。一撃でKOできる。本気でやれば粉砕骨折だろう。驕っているわけではないが空手の日本チャンピオン程度なら病院送りに出来ると思う。だからこそ、ただ無造作に蹴るだけで勝利できるからこそ、隙を見抜く能力は常人を下回っていた。
 バンダナは巻いていない。力を解禁していないので今はただの高校生だ。
 当たり前である。女の子相手に本気で殴りかかるわけには行かない。バンダナ無しでも、「北斗と立ち合いたい」という百合子の願いに応えたことに変わりはない、はずだ。
 百合子は北斗の圧倒的瞬発力を警戒してか、なかなか動こうとしない。北斗も一応ファイティングポーズっぽいものを取ってはいるが、テレビの格闘技中継の見様見真似なのでハッキリ言ってこれこそ隙だらけだと自分でも思う。それでも攻めてこないのだから百合子は相当慎重になっている。北斗は竹刀が邪魔で攻撃できない。左右に動けば百合子は右足を支点に体を回転させ、常に正面を北斗に向けている。北斗が下がればその分だけ前に出る。 では北斗が前に出てみたら?
 北斗は一歩踏み出した。百合子は……下がらない。さすがに下がらない。もう一歩踏み出してみる。
 百合子が動いた。
 痛いっ!
 「お面ぁ!」というかけ声とともに百合子が脇を駆け抜けていくのと、足を出した拍子に打たれたと気づくのとがほぼ同時だった。一瞬の出来事である。わかっていたのにやられた。バンダナ無しでは、やはりこんなもんか。北斗は振り返った。「いやー、俺の負……」 竹刀が飛んでいた。こっちに向かってきている。「うあ?!」 あわててそれを叩き落とした隙に百合子が抱きついてきた。バランスを崩して、重なり合ったまま倒れ込む。
 柔らかい。
 腹から胸から、百合子の体が北斗の体と密着している。たわわというにはほど遠いがそれなりに実った両胸の感触におもわず赤面する。照れくさい。
「北斗さん! 本気でやって!」
 しどろもどろする北斗にかまわず百合子が叫んだ。恐ろしく真剣な目で睨め付けてくる。あまりの気迫に照れなど霧消した。
「本気ならこんなタックルくらいかわせるはずです」
 …………タックルのつもりだったんだ。単に抱きついてきただけかと思った。
 百合子は立ち上がると、めくれ上がっていたスカートの裾をなおした。はじき飛ばされた竹刀を拾いに北斗から離れる。
 少し安易に考えすぎていたかも知れない。これは彼女のプライドを賭けた雪辱戦なのだ。全力で相手をするのがスジであった。
 北斗はバンダナを取り出すと額に巻き付けた。青い布地が彼に似合っている。軽やかに立ち上がった。百合子は既に竹刀を手に、戦闘準備を完了している。
「お待たせ。ほな、第二ラウンドや」
 百合子が再び、第一ラウンドと同じ構えを取った。あの竹刀が邪魔だ。あれにぶつからないようにするにはどうしたらいいのだろう。飛び越えるのが一番だろうか。そうなると跳び蹴りのようなジャンプ系になるが、なにがいい? ドロップキック? フライングクロスチョップ? それだと威力が強すぎる。いくら全力とは言え彼女を病院送りにするのは気が引ける。
(なら、あれしかない)
 北斗は地面を蹴った。軽く跳んだだけだがそれでも悠々と竹刀を飛び越え……百合子の顔が北斗の尻に食い込んだ。それも一瞬、百合子は吹っ飛んでいく。竹刀が手から放れ、別方向へと放物線を描いていった。地に落ちる。百合子本人も竹刀も、滞空時間と同じくらい地面を転がってから止まった。
 ヒップアタック。それが北斗の選択した攻撃方法だった。これなら威力が高すぎることはない。
 百合子が立ち上がろうとしている。が、ひざが笑って言うことを聞かない。いくら尻からとは言え北斗の全身がぶつかってきたのだ。強過ぎはしないとはいえそれなりのダメージはあろう。何とか立ち上がろうと四苦八苦していた百合子だが、ついに諦めたのか大の字に倒れ込んでしまった。
 両手で顔を覆う。
「勝負あり。北斗」
 化楽が北斗の勝利を宣言した。心配げに百合子に近づいていく。北斗もそれに倣(なら)った。
 そばへ寄ると、百合子は泣いていた。嗚咽が聞こえてくる。
「ただ一撃で動けなくなってしまうなんて。あの不良でさえ立ち上がって構えたというのに」
 そうして百合子は再び啜り泣いた。涙が止めどなく溢れてくる。
「私は……弱い。こんなにも弱かった」
 語気はその言葉どおり弱々しく絶望に満ちていた。
 やりすぎたかも知れない。KOした北斗本人の胸に悔恨の念がわき起こる。
「おめでとう、百合子ちゃん」
 化楽がそう言いながら手をさしのべた。百合子も北斗もいきなりの祝福にびっくりする。
 おめでとう? どこがおめでたいんだ? 彼女は砂と屈辱と絶望にまみれているじゃないか。化楽の頭がおめでたいとしか思えない。
「自分が無知だと知ることこそ、真の知への第一歩。百合子ちゃんは今、自分が弱いと知った。だからきっとこれから本当に強くなれますよ」
 その言葉に胸を突かれた。百合子も同様なようだ。目から鱗が落ちた、という表情をしている。口に手を当て、瞳を左右に動かす。化楽の台詞を自分なりに咀嚼しているのだろう。やがて胸に落ちたのか
「そうか、そうなんだ。私は弱い。だから強くなれるんだ!」
 泣き顔から一転、晴れ晴れとした笑顔。その笑顔に北斗の心からも悔恨の情が消える。とても救われた気分だ。
 百合子は差し出された化楽の手を取ると、力強く立ち上がった。

『公園』了

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0057/滝沢百合子(たきざわ・ゆりこ)/女/17/高校生】
【0262/鈴宮北斗(すずみや・ほくと)/男/18/高校生】
【0374/那神化楽(ながみ・けらく)/男/34/絵本作家】

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■         ライター通信          ■
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 このたびは、当作品をお買いあげいただきありがとうございます。
時間が掛かってしまいましたが、ようやく『公園』をお届けいたします。今回は、百合子さん、北斗くん、化楽さん、三人とも同一の文章です。長くなり過ぎちゃって(四百字詰めで約六十五枚相当)三人分書けませんでした。
 百合子さん。今回は負けちゃいましたが、挫けないでくださいね。
 ご縁があったら、またお会いしましょう。では、今夜はこのへんで。