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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コード :ジェリービーンズ症候群
執筆ライター  :立神勇樹
調査組織名   :草間興信所

■オープニング■

 絶叫に近いTVレポーターの声が、また新宿で通り魔が出たと叫び立てている。
 今月に入ってすでに6件目だ。
 あるものは包丁を振り回し、あるものは警官を殺して奪った銃で、無差別的に人を殺しまくる。そして最後に必ず――それが絶対的な命令だと言わんばかりに――犯人は自殺してしまうのだ。
 年齢や性別もバラバラ。新宿の近辺に住んでいる、あるいは会社があるといった程度の共通点しかない。
 ――筈だった。
「ジェリービーンズ? あのいかにも体に悪そうな原色のお菓子か? それがこの事件に何の関係があるんだ?」
 怪訝に思った草間は、タバコに火を付けてから視線を上げた。
 視線の先では警察庁の特殊犯罪調査官である榊千尋が、入れ立てのミルクティーを飲みながら、幸せそうに微笑みを浮かべていた。
「おい、仕事をさぼりにウチにきてるのか、仕事を振りにウチにきてるのか」
 あまりにもしみじみとお茶を楽しむ千尋に、草間が皮肉を投げつけると、彼は肩をすくめて「これは失敬」と言った。
「草間さんの言っているジェリービーンズですよ。司法解剖の結果、今回の通り魔の胃から大量のジェリービーンズが発見されたんです。六人すべて"誰一人例外なく"ね。一度や二度なら偶然ですが。六度も重なればそれは必然です」
 確かに、「ジェリービーンズをおなかいっぱい食べたら、急に人を殺したくなる」なんて話は聞いたことがない。
「うちの法医学・科学捜査班は、ジェリービーンズにはある種の脳内物質を増加させる不明な物質、つまり麻薬のような効果がある「何か」が含まれていると報告してきました。また、私の属する第二種特殊犯罪班のメンバーは、そのジェリービーンズに「なにがしかの魔術的な意図」を感じ取ることができる、と断言しました。まだ調査中なのではっきりとは言えないんですが」
「なるほど」
「ジェリービーンズは全部で七色。「ミツバチ」と呼ばれるグループが出所だと推定されています、が。どうも「潜る」のが上手い奴らみたいで、こちらは苦戦しています」
 さすがの警察も、東京の無法地帯・新宿のアンダーグラウンドにはなかなか踏み込めない様だ。
 千尋はミルクティを名残惜しそうに味わって飲んだ後、見ているこちらが恥ずかしくなるような、善意とか希望とか信頼に満ちた笑顔で言い切った。
「手伝ってくれますよね?」と。


■前日/23:00 歌舞伎町■

 その漢方薬局は明治通から歌舞伎町側へ入り込んだ所、アダルトビデオ屋と果物屋に挟まれた路地の奥にある。
 壊れているのか、立て付けが悪いだけなのか、ガタガタとうるさい半間の自動ドアをくぐれば、店内に並べられた得体のしれない木の根や骨が発する漢方独特のにおいが客を出迎える。
「久しぶりじゃな、小文」
 人民服の上に白衣という格好をした老人が、新聞に目を落としたまま顔も上げずにつぶやいた。
 頭髪は全て白く顔に刻まれた皺も深かったが、肌はまだつややかで生気に満ちている。
 一体いつになったらこいつはくたばるのだろうと思いながら、張暁文は同郷の出身であり、自分が生まれる前からこの新宿に情報の根を広げている老人をしばしにらみつけた。
 老人が「暁文」ではなく「小文」と――日本語に訳するなら「小さな暁文ちゃん」だろうか――と彼を呼んだからだ。
「二十四にもなって小文は無いだろう」
 暁文が鼻を鳴らしながら吐き捨てると、老人は眼鏡を押し上げながら暁文の方に体を向けた。
「まったく、ワシにそのような生意気を返すのはお前だけじゃ」
 そいつはどうも、といいつつポケットからタバコを取り出し口にくわえる。と、老人はつい今し方まで自分が読んでいた新聞を暁文の方へ押しやった。
「六件目。池袋西一番街」
 最低限の単語で構成された老人の言葉に、暁文はタバコに火をつける動作を止めて眉間を寄せた。
「……またか。全く物騒な事ばっかされるとこっちが居づらくなるだろうが。お仕置きが必要だな、こりゃ」
 もちろん最近の通り魔騒動の事である。
 いや、通り魔騒動の黒幕と言い換えるべきか。
 警察は「犯行を起こした通り魔の胃から大量のジェリービーンズが発見された」という事実を隠していたものの、東京に……ことに、この新宿に根を下ろした上海流氓のネットワークからは全てを隠し通せない。
「ミツバチ? っていったか? ガキの集団が粋がって人のエリアで妙な薬をばらまきやがって」
 口の端を二ミリだけ引き上げて笑う。しかし、暁文の目は剣呑とした光をたたえていた。
「フム、確かにお灸を据える必要があるな。しかし奴らは一体何を目的に動いておるのか、とんと予測がつかん」
 もし通り魔達が食べたジェリービーンズに麻薬的効果があるとしたら、それを根付かせることが目標だとしたら、ミツバチ達はあまりにも間抜けだ。
 なぜなら、麻薬でもうける為なら「常習者」を増やすのが一番だからだ。
 ついでに言えば、麻薬での「死亡者」が増えればそれだけ客は逃げる。
 麻薬をほしがる奴は、快楽を求めているだけなのであって、死ぬ勇気も度胸もない奴らばかりなのだから。
 死や中毒になる危険性を避けて、快楽だけを求める。
 臆病で虫のいい奴らこそが麻薬売人にとって一番の「上客」なのだ。
 ――だとしたら目的は何だ?
 露骨に顔をしかめる老人を無視して、タバコの煙を天井に向かって吐き出す。
「ただのジェリービーンズを食っただけで吸毒后的快感(ハイになる)って事は無いだろう」
 韻を踏む詩人のようにきれいな発音で、母国語をいり混ぜて吐き捨てると、老人が上海語で返した。
「ミツバチの配るジェリービーンズが七つあることは知っておるか?」
「いや」
 同じく上海語で返す。と、老人は面白くもなさそうに木の棚の引き出しから炒った薬草――炙甘草を取り出し、乳鉢へ放り込み、手遊びのように調合を始めた。
「どうも種類が違うらしい。初めての客には絶対に「赤」を売りつける売人しか近寄らない。「赤」で得られる快感が少なくなった奴には「赤」の売人が「橙」の売人を、「橙」のジェリービーンズが効かない客には「橙」が「黄」の売人を紹介するというシステムらしくてな。最後の「紫」まで……ミツバチの幹部に行き着く頃にはすっかり客は「薬付け」で薬の為なら何でも言うことを聞く人形になりさがるそうじゃ」
「へえ? そいつは用心深いな。中毒の奴じゃないとボスには会えないシステムなのか」
「ワシらのネットワークも「ミツバチ」と接触したが、「赤」と「橙」の売人までしか行きつけん。「橙」のメンバーが出入りする場所は押さえておるが」
 と、調合の手をとめ、探るように暁文を見た。
 暁文は悪戯を仕掛けているのが見つかった子供のように、ひょいと肩をすくめて老人に向かって手をさしのべた。老人は最初からそうするつもりだったかのように、ポケットからマッチを取り出し暁文に投げた。
 マッチには「ハルシオン」と言う名前と住所が印刷されていた。
 おそらく「ミツバチ」のガキが集まるクラブなのだろう。
 なるほど、とつぶやいて、カウンターの隅にあった縁の欠けた茶碗にタバコの吸い殻を押しつけた。
 居所を教えた。ということは、騒ぎを始末してこい、という事なのだろう。
「確かに警察や他の組織に解決されたんじゃ、あんたのメンツは立たないからな」
 からかうように言い捨てると、暁文はガタガタと不平をもらす自動ドアをくぐり抜け夜の街へと歩き出した。

 3、2、1。
 流氓の暁文がヤクの売人を見つけるのには、三分あれば事足りる。
 奴らは常に落ち着きがない。
 客を、難癖をつけて場所代を取ろうと企むやくざを、取り締まりに目を光らせる警察官を、歌舞伎町の人混みから捜し出し、選り分け、行動し続けているからだ。
 今しがた「ハルシオン」から出てきた四人組の少年は、その条件に完璧に一致していた。
 相手の歩調にあわせてゆっくりと後を追跡する。人混みを泳ぎぬける回遊魚のように。
 そして彼らが路地裏へと入り込んだ一瞬をねらい、暁文は彼らの先を読んでテレポートした。
「あんたら、「橙」のミツバチだろう?」
 ネクタイをゆるめてシャツの第一ボタンを外す。
 四人は顔を見合わせたが答えない。だが、暁文の目は少年達が「突破口」を探して素早くあたりに視線を走らせたのをしっかりと捕らえていた。
「俺にも分けてくれないかな」
 ファーストフードショップへ行けば0円で買える、安っぽくて作り物めいたフレンドリーな笑顔で言い、暁文は少年達の方へ一歩近づく。
「何のこと? じゃまだよオジサン」
 しらを切るつもりなのか、エアテックのコートでまるまると着ぶくれした少年が噛んでいたガムを吐き捨てた。
「安心しな、警察じゃない。あんなのに解決されても俺は納得出来ねぇからな。ちょっとばかり聞きたいんだが、何が目的でアレをバラ撒いてんだ? 客が死んじまったら儲からねぇだろ?」
 笑顔はそのままだが、視線は全てを切り裂くかみそりのように鋭く、不穏な殺気が全身に満ちている。
 明らかに少年達が動揺した。暁文の正体がわからずに戸惑っているのが手に取るようにわかった。
「あんたには関係ないだろ。どけよ」
 と精一杯の虚勢を張る少年にむかって暁文は鼻をならし、小馬鹿にした調子で吐き捨てた。
「臭小鬼 只有死一条路(チョウヅァオクゥィ ズーユゥスーイーティョルー)」
「えっ?」
「このクソガキ、死にさらすつったんだよ!」
 きょとんと目を見開いて立ちつくす少年に向かって怒鳴ると、は体をバネのように弾けさせ、一人目の少年の近くに着地する。そしてその勢いのまま立ち上がり掌底で少年の顎をはり倒す。
 はり倒された少年がよろめいたのを目視するが早いか膝の後ろを蹴りつけた。
 と、少年は完全にバランスを崩し、道の脇に積み上げてあったビールケースの山に頭から倒れ込む。
 間を置かずして、後ろに控えていた着ぶくれの少年に体を向け、正確に鳩尾を殴りつける。
 余裕を持って一呼吸。そして三人目の少年が逃げ出そうと背中を向けた瞬間に、手刀を延髄にたたき込んでやり、最後の一人がナイフを取り出すより早く、手首を掴んでひねりあげ、そのまま膝蹴りをお見舞いしてやる。
 一瞬の出来事だった。
 そもそもあらゆる闇、あらゆる裏社会を知り尽くし、そのルールの中で生き抜いてきた流氓の暁文と、小遣い稼ぎで薬の売人をやっている少年達では勝負にすらなら無い。
 暁文は鳩尾を押さえてうずくまる少年のそばに落ちていた、ビニール袋を拾い上げた。
 中にはオレンジ色のジェリービーンズがたったの5粒。
「こんなんでラリって人を殺しまくるようになる訳か?」
 どう見ても普通の菓子だ。
「おい、おまえらのボスは何処にいるんだ」
「し、知らない」
 心底おびえ涙で潤む瞳で、少年は暁文を見返した。
「知らない?」
「本当に知らないんですっ。俺達「黄」の奴らから……第三階級の奴らから「橙」の薬をおろして貰ってるだけで……本当に何もしらないんですっ!」
 痛い目に遭ってようやく自分の立場に気がついたのか、少年達が危なげに敬語を操りながら、聞きもしないのにべらべらといろんな事をしゃべり始めた。
 麻薬としての快楽を得るためには、かみ砕かずにそのまま飲み込むこと、聞かなくなったら「上」の段階の売人を紹介して貰うこと、「上」の売人に紹介するまえに、身辺を必ず調査すること。最後の第7の段階のジェリービーンズ「紫」は「女王」と呼ばれる少女からしか貰えないという噂の事を、だ。
「本当に、それだけなんです」
「それだけ?」
「あ、あ、あと、出来れば電波系……じゃなかった、オカルトに強い奴や、霊感に強い奴に配れって」
「――霊感ねぇ」
 鼻の頭に皺を寄せて髪をかき混ぜる。
 これは明らかに「そっち」系の事件だ。テレポートの能力を持つとはいえ、魔術だの呪術だのに明るくない自分には圧倒的に情報が足りない。
 魔術的な意図や「女王蜂」などはどうでもいいが、ここ……自分の舞台であるこの新宿で派手に騒ぎ立てられるのは気分が良くない。
「ちっ、これだけ大きな事件になってるなら、草間の所にも話が来ているか」
 暁文をおそれるように何度も振り返り、よろめきながら路地裏から去っていく「ミツバチ」達をにらみながら、暁文は頭を振った。
「やっかいな事になりそうだぜ」


■11:00 草間興信所■

「草間さん、この仕事、私がやります」
 ガラスで作った鈴のように繊細で可憐な、しかしよく通る声が草間興信所の中に響いた。
 応接室と事務机を区切るパーティションの向こう側から現れたのは、都内公立高校の制服をきた少女だった。
 艶やかで癖のない髪を結い上げたポニーテールが、少女の歩みごとにゆらゆらと揺れている。
「この事件、私にやらせてください」
 突然の声にあっけに取られている草間に、もう一度少女――氷無月亜衣(ひなづき・あい)は言った。
 普段なら好奇心にあふれている大きな瞳には、真剣な光がやどり、彼女の心の奥底の情熱を具現するかのように、瞳は紅く、どこまでも透き通っていた。
「魔術を悪いことに使うなんて……許せない」
 きっぱりと言い切る。陶器のようにすべらかで白い肌が怒りによって上気している。
 亜衣の祖母は英国人だった。
 ただの英国人ではない。古く遠い時代から精霊の言葉に耳を傾け、世界の音と声を聞く「善き魔女」の一人であった。
 陰惨な魔女狩りを生き残り、「善き技」を連綿と語り継いできた者であった。
 その魔女である祖母に才能を見込まれ、後継者となるべく西洋魔術をたたき込まれたのが孫である少女――亜衣である。
 魔術とは本来、人と精霊たちの仲を取り持つ術である。
 人が暮らしやすいように、精霊を傷つけぬように、母なる大地の優しさを忘れないように、と偉大なる先人達が築いてきた「世界と共存する術」である。
 しかし魔術とは反面強い力も持つ。人を傷つけ、精霊を言霊で縛り付け、大地をえぐり、血の雨で大海を汚す。そんな純然な破壊しかもたらさない「力」も。
 だから人々は魔術をおそれ、「魔女」を狩った。「力」は「力」にすぎないと。「力」は使う人に左右されるのだという事に気づかず、いや、気づいていたが「力」の巨大さゆえにおびえ、そして幾人もの「善き魔女」を狩ったのだ。
 それ以来魔女は、密やかに息を殺すように隠れて生きてきた。「力」もたない人々を恐れさせないために。
 それなのに。
「魔術を悪いことに使うなんて、一般人と共存している魔女たちに対する「裏切り」です」
 強く未来の輝きを信じている年代独特の鋭い決意をみなぎらせながら亜衣がいうと、それに賛同するように、足下にいた黒猫のゼルがのどをならしてみせた。
「私ならそのジェリービーンズをみれば、なにか判るかもしれません」
「いや、俺はかまわないが」
 ちらちらと微笑みながら事の成り行きを見守る千尋に視線をおくりながら、草間は口ごもった。
「お願いします、榊さん。犯人の胃から出てきたジェリービーンズを見せてください」
「いいですよ」
 散歩にでも行くような口振りであっさりと千尋が言い、草間は目を見開いた。
「おい、いいのか?」
 草間は亜衣がまだ未成年であることを気にしているのだ。
 普通の依頼人の事件ならまだしも、相手は警察である。体面を気にするお役所が年端もいかない少女に捜査協力させるなど、マスコミネタになりかねない。頭の固い警察上層部はいい顔をしないだろう。
 もちろん、亜衣の能力について疑いを抱いている訳ではなかった。草間が知る限り、亜衣は若くて好奇心が強い、という点をのぞけば、立派に西洋魔術の……精霊に愛される”善き魔女”であった。
「かまわないでしょう。彼女で心許ないとおっしゃるのなら、私の方が足手まといです。何しろ私は魔術的攻撃方法も防御方法ももたない」
「まったくだぜ」
 と、ドアの開く音に次いで第4の声が茶々をいれた。
 声の主――つまり張暁文は眠そうにあくびをして見せたあと、肩をならしながら草間が座ってるソファーに腰を下ろし笑った。
「身を守る術をもたないあんたより、そっちのお嬢ちゃんの方がよっぽど役にたつだろうぜ」
 言うなり行儀悪く足をテーブルに載せた。
 「お嬢ちゃんじゃないわ」と亜衣が口を開きかけると、亜衣の後ろにいた女性が暁文に雑巾を投げつけられた。
「なんだ、この雑巾」
「来客用テーブルに足を置く人はこれで乗せておいた場所を拭いておく事。どうせなら最初から汚れている武彦さんのデスクにでも乗せればいいのに」
 腰に両手をあてて肩をすくめた。首にかけられた薄い色つき眼鏡が動きにあわせて、ちゃらり、と音をたてる。
「それはあんまりだろうシュライン」
 と草間が唇をとがらせながらいうと、草間興信所の事務員であり、整理整頓司令官であるシュライン・エマは中性的で抑揚が豊かな声でにべもなく言い放った。
「いくら新しい掃除機を買っても、掃除しなければ意味がないのよ。武彦さん」
 シュラインの言葉に、草間はのどの奥でぎゅう、ともぐう、ともつかないうなりをあげた。
 つい先日一人で留守番をしている時、ふらりと現れた販売員の強引なセールスに負けて、ついつい「通常の2.5倍(当社比)で埃が取れる掃除機「すいゾウくん」」を買ってしまったのだ。
 もちろん後日その掃除機が半額で大手電気店に売っていた事、事務所一番の粗大ゴミになっているという事実は言うまでもない。
「そうですねぇ。足をのせたらテーブルさんがかわいそうですし」
 がっくりと落ち込んだ草間に、さらに脱力をさそう千尋の間延びした言葉が投げつけられる。
「テーブルさん……おまえ幾つだよ」
「二十六歳ですがそれがなにか?」
 草間の嫌みが聞いていないのか、千尋はほえほえと小春日和の笑顔で返す。
 騒ぎの原因となった暁文は腹を抱えて笑い死に寸前である。
「ああ、こんな時間だ。じゃ、私とえーと」
「氷無月です」
「氷無月さんは一緒に警察庁へ行きます。また午後に連絡をいれますので、調査よろしく」
 柔らかそうな焦げ茶の髪をかき上げて千尋が立ち上がった。草間はまだ脱力の底から回復できていないのか、力なさげに手をふる。と、何かを思い出したように手をたたき千尋がコートから一通の封筒をとりだした。
「ああそうだ、草間さんに頼まれていたものもってきました。二人でいいんですよね?」
「あっ、馬鹿」
 それまでの落ち込みが嘘のように顔をあげ、ひったくるようにして封筒を取り上げ、よれたジーンズのバックポケットにつっこんだ。
「……その封筒は何? 武彦さん」
「いや、何でもない。前回の事件の、その――資料だ」
 人差し指で頬を書きながら、草間武彦は天井をみた。
 こういう仕草をするときは何かを誤魔化そうとしている。長年のつきあいから草間の癖は大概見抜いていたが、シュラインはあえて何も言わない事にした。聞いてもどうせ言わない事をこれまた長年のつきあいで判っているからだ。
「それより、えーと、櫻月堂の方はどうなったんだ」
 草間はシュラインが懇意にしている骨董屋の名前を出した。骨董屋と言っても草間の仕事を手伝う位だ。ただの骨董屋ではない。アングラ情報にも通じている筈なのだ、が。
「愛用のスーパーカブに跨って出かけたみたい。さくらさんが言っていたわ」
 住み込みで櫻月堂を手伝っている女性――さくらの、申し訳なさげな声と言葉を脳裏で要約してシュラインは草間に告げた。
「ついでにサイトの方も」
 服の端程度でもひっかかれば、と胡散臭いサイトに「美味しいジェリービーンズ求む」と書き込みしたのだが、今のところは反応なかった。
「そっか、寒河江に連絡しておくかな。あいつ報道部だし何かわかるかもしれないな」
 吐息で前髪を払いながら草間がいうと、面白がるような目で二人を見ていた暁文がポケットからビニールパックを取り出した。袋の中にはオレンジ色のジェリービーンズが五つ。
「これの事か?」
 驚いたように草間が飛び起きると、暁文が草間の胸もとに向かってビニールパックを放り投げた。
「どうやってこいつを手に入れたんだ? 買ったのか?」
「誰がガキのお菓子に金払うって言うんだよ。――勝手に暴れられるとこっちの仕事もやりにくいんだよ。迷惑ついでにお灸据えてやろうとおもったら「そっち系」らしくてな。どうせあんたの所にも話が来てるだろうとおもって、顔出したワケだ」
 両手を頭の後ろで組むと、暁文はソファーに背中を預けた。
 「そっち系」――つまり魔術や呪術系統だから、現品は入手したもののそこから先が判らない、という状況なのだろう。
「種類は全部で七色。ええと? 赤・橙・黄・緑・青・藍・紫ってな。虹色なわけだ」
 早口言葉のごとくよどみなく言い切ると、草間の胸ポケットからタバコを拝借して吸い始めた。
「ミツバチのやつら、用心深いのか臆病なのか、赤の売人は橙の売人としか連絡が取れない。橙は赤と黄色、自分の下っ端と上役だな。で、そういう段階を踏んでどんどん強い麻薬効果のある「ジェリービーンズ」漬けにしていってるそうだ。「紫」は通称「女王」からしか貰えないんだと。だが、女王に会う頃はすっかり「ジェリービーンズ」なしには生きられない中毒患者になっちまってるって寸法だ」
「警察の資料にも大体同じ事が書いてあるわ。ただ、全部の色までは判ってないみたいだけど。それにしても――ミツバチの女王か。一体どんな女王蜂なのやら」
 シュラインの言葉にもっともだと言いたげにうなづくと、暁文は長く細くタバコの煙を吐き出した。
 草間は窓から入り込んでくる光に照らすようにして、ビニールの中のジェリービーンズをにらんでいた。
 どこからどうみても、お菓子のジェリービーンズと変わりない。
「何かが含まれているにしても、お菓子の材料がないと作れないわね。製菓関係を調べてみるのも一つの手ね。原材料とか」
「なるほど、確かに材料が無ければ作れないな。よし、そっちから当たって貰うか」
「げー。俺に菓子屋巡りさせるつもりかよ」
 眉を寄せ口を引きつらせながら、暁文が文句を言うが早いかシュラインが毅然と言い捨てた。
「あんた、通り魔がうろうろしてる街に私一人でいけって言うんじゃないでしょうね?」
 前回の狗神事件の時は煙に巻かれてしまったが、二度目を許すほどシュラインは甘くない。
「もちろん、ついてきてくれるわね?」
 にっこりと、それはもうイエス・キリストを抱く聖母のようにシュラインはほほえんで見せた。
 微笑みの向こうに、修羅も真っ青の「無言の圧力」を背負っていたのは――言うまでもない。


■16:00 新宿アルタ前■

 通り魔事件が頻発している為か、新宿アルタ前も異常に人通りが少なかった。
 雨の日でもここまで人が少なくなることはないだろう。
 そんな光景を眺めながら、張暁文は通りに面したケーキ店の中でうめくようにつぶやいた。
「甘い」
 生クリームやフルーツ、焼きたてのスポンジの匂いばかりを立て続けに嗅いでいれば、どんな甘党だってうんざりするに決まっている。
 ショウケースに並んだベリーパイやシュークリームを見てため息をつく。
 ジェリービーンズの調査を初めてすでに4時間。
 その間に判ったことといえば、ジェリービーンズがゼラチン、またはコーンスターチを使って作られることと、「ミツバチ」らしき影などどこにも見あたらなかった、という事だ。
「甘い。口の中が甘い。胸焼けもする。死にそうだ」
 不平たらたらに暁文が繰り返してると、シュラインは腰に両手をあててあきれた口調で切り返した。
「甘い甘いっていいながら、最初の店でアップルパイとチョコレートケーキとシュークリームをがっついてたのは誰よ」
「あれは昼飯がわりだよ。そういうあんただって春イチゴのタルト食ってただろう」
「私は三個も食べてないわ」
 この際一個も二個もそう変わらないのだが、暁文はすでにつっこむ気力を失っていた。
 超一流の銃裁きをもち極道とも対等に渡り合う闇の住人が、女とお菓子屋巡りなど不似合いなことこの上ない。
 そう思ってはいるものの、暁文にはシュラインに逆らい、痛烈な皮肉の砲撃をあびる勇気はなかった。
「あー。めんどくさい。何だって俺がこんな事を」
 都合十八店めのケーキ屋から逃げながらぼやく、と、隣に立っていたシュラインがあら、と驚きの声を上げた。
 声につられて顔を上げると、道の向こうに息を切らせながらガードレールに寄りかかっている人物が見えた。
 一人は長い髪を三つ編みにして、何故かマイクを持っている女――多分お天気レポーターの寒河江美雪。
 もう一人はバンダナを巻いた茶パツの高校生。
 どうみてもちぐはぐな組み合わせだ。
 通り魔事件で人が途絶えた新宿だけに、二人の姿は周囲から浮き出て見えた。
「寒河江さんと北斗君だわ」
 抜群の記憶力をもつシュラインが、素早く二人を識別して名前をつぶやいた。
「シュライン、さん」
「シュラインのねーちゃんやないか……なんだっ、て、ここに」
 荒い息の合間に二人同時に言う。
「私は「通り魔事件」を追ってお菓子屋さんを調査してるんだけど」
 道端の自動販売機でスポーツ飲料を買って、息も絶え絶えの二人に渡す。
 深雪と北斗は砂漠で水を得た旅人のように、スポーツ飲料を一息にのどに流し込み、またまた二人同時にため息をついた。
「そういえば、草間さんから携帯電話で連絡受けてました……私もシュラインさんを手伝うようにって、それで、レポートが終わったら合流しようと思っていたんですけど」
 ポケットから取り出したハンカチで汗を拭い、前髪をかき上げながら深雪が言う。と、北斗がその先を続けた。
「さっき新宿サザンテラスで第7の通り魔事件が起きて、それに巻き込まれたんや」
「なんだと?!」
「何ですって?!」
 シュラインと暁文が顔を見合わせ、ついで北斗を見た。
「何とか取り押さえたけど……通り魔の奴、取り押さえた瞬間にジェリービーンズ吐き出し始めて……、で、吐き出した後、急に痙攣しだして」
 ぽつり、ぽつりと言いにくそうに言ったあと北斗は言葉を切ってうつむいた。
 額からバンダナを外し、手に握りしめている。
 細かく震える拳と、うつむいた少年の顔がこわばっている事から、続きは理解できた。
 ――おそらく通り魔は死んだのだ。
「まずいな、こりゃ」
 暁文が唇をひきしめ、靴の踵でアスファルトを蹴りつけた。
 事件が起きる感覚が短くなっている。早く何とかしなければ新宿全体が通り魔の巣窟になるだろう。
 いや、新宿だけじゃない。東京全体が、だ。
「ちょっとまって、その時の様子を詳しく話してもらえないかしら?」
「話も何も……、包丁持った男がブツブツ言いながら斬りかかってきたんや。ジェリービンズがどうの、紫がどうの、女王とミツバチがどうのって」
「それで暴れ出して、その、警察の……斎木さん達があらわれて、私たちがいると面倒な事になるから逃げてくれって」
「なるほどね」
 確かに、取り押さえた犯人が急死したとあっては、警察は「取り押さえた人間」を疑わざるを得ないだろう。
 事件の犯人でないにしても、過剰防衛だのなんだのと、難癖をつけられて身柄を拘束されかねない。
「それにしても、情報がずいぶん錯綜してるわね」
 細くきれいな人差し指でこめかみを押さえていたシュラインは、その人差し指をまっすぐに立て、まるで視線の向こうに架空の生徒がいる、と言わんばかりの調子で今までに入手した事実をまとめ始めた。
 一つ、ジェリービーンズは「ミツバチ」が配っている。種類は全部で「赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」の七色。
 一つ、「紫」のジェリービーンズは「女王」と呼ばれる「ミツバチ」のリーダーからしか貰えない。
 一つ、ジェリービンズを食べたものはある日突然通り魔になって自殺、もしくは胃の中のジェリービンズを吐き出して死亡する。なお、通り魔は「ジェリービーンズ、紫、女王、自分の中から声が聞こえる」といううわごとを繰り返していた。
「最後に、ジェリービーンズには何らかの魔術的意図が感じられる。と」
 簡潔にまとめ終え、シュラインが腕を組むと、北斗が飲み終えたスポーツ飲料の缶を握りつぶして吐き捨てた。
「俺には魔術的意図なんて、これっぽっちもわからへん。でも、これ以上人が死ぬのはみとうないんや」
 まっすぐな北斗の言葉に暁文は肩をすくめた。陰惨な闇の世界を生き抜いてきた彼にしてみれば、北斗の言葉は「若い」とか「甘い」の一言で切り捨てられるモノなのだろう。
 最もあえてそれを口にするほど、無粋ではなかったが。
「私は……ジェリービーンズの中に麻薬が入ってるのかと思って、報道部に製薬会社の方を調べて貰っていたんですけど……未だに連絡はありません」
 静かな、しかししっかりとした意志を感じさせる口調で深雪がいう。
「俺もその線は考えた。だが、麻薬ってのは「常習者」が増えなければこれっぽっちも儲からない」
 客を薬なしに生きられない体にしたあとで、徐々に薬の値をつり上げ、じっくりとマージンを稼ぐのが麻薬売買の常套手段だからだ。
「女王と自分の中の声、か……引っかかるわ」
 シュラインが目を細めた。かすかに覗く蒼い瞳には鋭い知性の炎が灯っていた。
「気持ち悪い想像だわ」
 話す気がないのかと思えるほど長い沈黙の後でシュラインが吐き捨てた。
「あ、私も……判った気がします」
 深雪が口に手をあてて、シュラインを見た。
 その顔には奇妙な表情が……そう、たとえば自分の部屋でゴキブリだとかムカデだとかを発見した時の、困ったような、怖がるような、怒るような……そういった感情がない交ぜになった表情が浮かんでいた。
「なんだ、その気持ち悪い想像って」
 暁文が先をせかすように言うと、シュラインが長く重いため息をついた。
「産卵、よ」
「産卵?!」
「そう。昆虫の蜜蜂と同じよ。働き蜂……つまり「ミツバチ」が「女王」の産卵の為に「エサ」を探す。そして卵……この場合はジェリービンズね。を体内に宿させる。卵は十分な養分を「エサ」から取って孵化する」
「せやけど、通り魔の説明がつかへん。エサになってただけなら何で通り魔になるんや」
「それは、孵化するのに十分な栄養が足りなかったのか……それか、「生まれ出てくる何か」の魔力に人間が耐えられなかったのか、ではないでしょうか?」
 深雪が冷静にシュラインの言葉を補足する。
「そうか、そういや「ミツバチ」のガキどもが「出来ればオカルトに強い奴や、霊感に強い奴に配れ」と命令されたって言っていたな」
 ならば「養分」は――人間の「魔力」とか「妖力」とか呼ばれるモノなのだろう。
「ゴスロリや」
 北斗が意味不明の言葉をつぶやいた。
「ゴスロリや、あのサザンテラスにおったゴスロリ女が通り魔見て言うとったわ! 「また失敗した」て」
 黒いレースで全身を飾り、頭にメッキの王冠を乗せていた少女の姿を思い出す。
 猫の様につり上がった目で通り魔を見ながら、女王然にドーベルマンを控えさせながら。
「あいつが「女王蜂」にちがいないで」
 少年の確信的な言葉を受け、シュラインは武彦さんと榊警視に電話しなければ、とハンドバッグから携帯電話を取り出し通話ボタンを押したまま動きを止めた。
 ガードレールに座っている少年が、ただならぬ殺気をまといながら一点を見つめていたからだ。
 視線の先を追う、と、そこは待ち合わせの定番スポットになっている「スタジオアルタ」のビジョンがあった。
 しかし北斗が見ていたのは次々に映像が移り変わる巨大ビジョンなどではなかった。
 ビジョンの真下、ちょうど広場から道路一本はさんだ向こう側に一人の少女が立っていた。その、少女を見つめていたのだ。
 葬式に行くような黒一色の服装。
 ただし喪服というには装飾過多で、リボンやレースなどがついており、ご丁寧に頭には銀色の冠……ティアラが乗っかっている。
「みつけたわ。あなた達みたいに「力」もつモノを探していたのよ」
 周囲の音が消えて、少女の声だけがきこえてきた。
「あなた方なら、十分「妖蜂(ようほう)」の宿主になれるわ」
 唇をなめながら一歩一歩と近づいてくる。
 車の動きが止まり、人の動きすらも止まった。
 おそらく少女が結界を張り、現実と次元を切り離したのだろう。
 ――新たな犠牲者を狩るために。


■16:30 女王蜂■

 人が消えた。
 車の流れも止まり、時計の針も止まっている。
 それはアルタ前全体が結界に包まれた証であった。
 結界を作った主は、黒いフリルのドレスの裾を風に揺らしながら、ゆっくりとシュライン達の方へと近づいてくる。
「みつけたわ。あなた達みたいに「力」もつモノを探していたのよ。あなた方なら、十分「妖蜂(ようほう)」の宿主になれるわ」
 血のように赤い唇を小さな舌がぺろりとなめながら、少女はくるくると巻かれている己の金髪を指先で弄ぶ。
「本当に、美味しそうな「力」だわ」
 そういってポケットから、懐中時計ほどの紅玉がはめ込まれたペンダントを取り出した。
 紅玉はそれ自身が息吹いているかのように、強く、弱く明滅していた。
 と、ひときわ強く赤い光が紅玉から放たれた瞬間、どこからともなくモーター音に似た音が近づいてきた。
「きゃっ」
「うわっ」
「デカっ!」
 深雪と北斗と暁文が同時に叫び、あわてて自分たちが立っていた場所から飛び退いた。
 黒い影が三人がいた場所を通過していく。
 影は透明で巨大な羽根を間断なく動かしながら、空中に静止した。
 ――それは蜂だった。
 ただし、バスケットボールを二つくっつけた大きさの、つまり異様に図体のでかい蜂だった。
 蜂はぐるぐると旋回しながら、少女の周りに集う。
 数は全部で5匹。
「どう? かわいいでしょう? でもこれだけじゃ足りないわ。もっと仲間が必要なの」
 少女は唇の端をかすかに持ち上げる。太陽の光を受けて少女の頭を飾る冠と妖蜂の羽根がきらりと光った。
「ゴスロリ女!」
「失礼ね、女王様とおよび」
 北斗の言葉に顔をしかめながら、少女は告げ、宝珠を北斗につきだした。
 それがなにかの合図だったように、蜂達が一斉に北斗に襲いかかる!
 あぶない、と深雪が叫ぶより、北斗が逃げるより速く、蜂は針を北斗に向かってつきだした。
「音太刀!」
 凛とした声が響き、空気の対流が変化する。
 と、針を突き刺そうとしていた妖蜂の羽根が風によって切り裂かれ、空中に四散した。
 その隙を狙って北斗はバンダナを頭に巻き付け、力一杯後ろへ跳躍した。
 蜂達の針が空しく空気をかすめる。
「シュラインさん!」
 男にしてはやや高めの声がした。
 声の方に視線を向けると、事件の依頼人である榊警視がトレンチコートの裾をはためかせながら駆け寄ってきた。
「携帯電話が無言のまま切れて――それで、斎木さんと氷無月さんにあなた達を探してもらったんです」
 彼の後ろでは、すんでのところでかまいたちを放ち北斗の身をまもった女刑事――斎木廉が視線を少女に固定したまましっかりと頷いて見せた。
 ちっ、とゴスロリ少女が舌打ちした瞬間、上から大きな影が降りてくる。
 影はゴスロリ少女の真上を通過してシュラインのそばに着地し、いままで自分が乗っていたほうきをくるりと回して見せた。
 その動きに合わせて長い髪を束ねたポニーテールがしなやかな鞭の様に空を打つ。
 「善き魔女」の後継者である氷無月亜衣だ。
「何で殺さなあかんのや! なんでこないな事したんや」
 北斗が叫ぶとゴスロリ少女は鼻をならし黒いブーツのかかとで地面を蹴った。
「決まってるじゃない、私の手下が……強い使い魔が欲しかったからよ」
 だからジェリービンズを「妖蜂」の魔術をかけたジェリービンズを配り、人間の体内に「妖蜂」のカケラを宿らせた。
「――女王蜂の使い魔を作る為に「ミツバチ」を働かせ卵を配った。という訳ですか」
 腹の底から絞り出すような声でつぶやき、榊は歯を食いしばった。
 ジェリービーンズを全て食べた人間、つまり「妖蜂」のカケラは宿った人間の魔力を「エサ」にし、宿主の精神と肉体を犯す。そして……生まれ出るのだ。宿主の内臓を、その体を食い破って!
「この子達がいれば、この宝珠があれば私は何でも出来るわ。魔女というだけで私を足蹴にした馬鹿な奴らを後悔させてやる。何の力も持たない奴らを支配する事ができるのよ!」
 フフフ、と外見からは想像出来ないほど妖艶な表情で少女は笑う。
「許せない」
 魔女というだけで迫害された少女の言い分は判る。しかし、魔術は復讐の為の力ではない。
「魔術を使い、罪なき人々を殺めるあなたたちの所行、許すわけにはいかないわ。『烈光の魔女』の名において断罪します!」
 言うと、亜衣は手にしていたほうきをてばなし、空中に腕をさしのべた。
「空の精霊エアリアルよ、遠き善き魔女との約束を思い出して。そしてどうか私に力を貸して」
 亜衣の声の余韻が消えない内に、空の一転が今まで以上に蒼く染まっていく。
 やがて空の一部分が剥落したかのように、蒼い光のヴェールが亜衣を包み込み、ゆらゆらと揺れながら細身の女性の姿を取った。
「妖蜂の動きを封じて!」
 言うなり、エアリアルが再び蒼い光となり妖蜂達へと向かっていく。
 そして蜂の前でひときわ大きく輝き、光の中に妖蜂達を取り込む。
 とたんに蜂達の羽根の動きが遅くなり、二匹ほど地面へと墜落する。
「やるわね」
 ゴスロリ少女は冷たく言い捨てると、宝珠に息を吹きかけた。
 妖蜂の羽根が再び力を取り戻し、寒河江美雪へ向かって襲いかかる。
「まかせて!」
 短く宣言して深雪は白い手を蜂に向かってつきだした。
「はぁっ!」
 息を吐き出す。と、深雪の手から痛烈な吹雪が放たれ妖蜂を撃ち一瞬にして凍りつかせる。
「くっ!」
 状況が不利になったのか、少女は一歩後ずさって、宝珠を強く握りしめる。と、どこからともなく再び妖蜂が集いはじめた。
 一匹や二匹ではない。
 蜂の巣をつついたように、十匹、二十匹とあらわれ、全員を襲い始める。
「きりがないわ!」
 八匹目の妖蜂を音太刀で蜂をまっぷたつに切断しながら廉が叫んだ。同時に後方に控えていたシュラインが唇をかむ。
「あの宝珠を何とかできれば……」
「ふん、俺がいるって事を忘れてないか?」
 それまで事態の成り行きを見続けていた暁文が口を三日月の形に歪め笑い、ぱちん、と指をならした。
 とたんにシュラインのそばから暁文の姿が消え、ゴスロリ少女の後ろに現れる。
「遊びはここまでだお嬢ちゃん」
 いうなり羽交い締めにする。
「何をっ」
 必死になって少女がもがくが、大の男と少女では基礎体力が違いすぎる。
「いただき!」
 北斗が叫んで、その人を越えた「力」によって一気に少女のそばにかけより手から宝珠をもぎ取り、亜衣に向かって投げつける。
 亜衣は受け取った宝珠を天に掲げた。
「やめて! それを壊さないで!」
 喉を裂きかねないほど高く大きな声で少女が叫ぶ。しかし亜衣は声にかまおうとはしなかった。
「精霊達よ! 私に封印の力をかして」
 亜衣が一息に言う。と、風がうねり木々を揺らす。木々から落ちた葉がくるくると舞いながら宝珠を取り囲む。
 天空から一条の光が亜衣の手にさしこむ。
 パリンとガラスが弾けるような音がして、宝珠から赤い光が放たれる。
 光は瞬く間にあたりを強く照らし、光に照らされた妖蜂たちが次々に地面に墜落し、日に当たったヴァンパイアよりあっけなく灰燼に帰す。
「あ、ああ」
 がっくり、と暁文の腕から滑り落ち、少女が膝をつく。
「そんな、嘘よ、だって私……私、それがないと、駄目なの」
「どんな理由があっても命を奪ったらあかんのや。他人がそないなことしてたとしても、せめて自分だけはやったらあかん。そう思うとかなあかんのや」
 全くな北斗の意見に、深雪も頷く。
 暁文ははっ、と息を吐いた。口に出してないが「甘い」と言いたげなのが表情にありありと表れていた。もっとも、シュラインににらまれ、すぐにそっぽを向いたのだが。
「そして、どんなことがあっても、罪は罪よ」
 あえて感情を感じさせない、抑揚を抑えた声でいうと、廉は手錠を取り出し少女の小さな手首にはめた。
 亜衣には少女の気持ちが痛いほどわかった。
 もし自分も祖母がいなければ、草間興信所で出会った仲間がいなければ、少女のように「力」があるということで迫害されていたのなら、同じ事をしていたかもしれない、と感じたからだ。
 「魔女狩り」は無くなっても「力」持つものに対する偏見や怯えは、まだ根強くこの世界に残っているのだ。
 否、力持つ者に対する怯えが、「魔女狩り」を引き起こしたのだ。
「あの、ね」
 少女にちかより、亜衣はスカートが汚れるのにもかまわず地面に膝をついた。
「それでも、もし、あなたが魔術を悪いことに使わないって、これから、誰も傷つけたりしないって約束してくれるなら、私たち、友達になれるとおもう」
 少女が猜疑心に満ちた目を亜衣にそそぐ。
 と、今度は深雪が少女にほほえみかけて頭を優しくなでた。
「私も亜衣ちゃんと同じかな」
 せや、と北斗がまじめくさった顔でうなづいてみせた。
 長い沈黙の後で、少女がおずおずと三人の顔をうかがい、そして小さく唇をうごかした。
 ――私も、友達が欲しい――と。


■18:00 アルタ前 その後の人々■

「甘い、甘すぎるっ」
 事件を調査する警察官たちから離れた場所でタバコの煙と共に暁文が吐き捨てた。
「ケーキ三個も食べたあんたが言う台詞じゃないわ」
 シュラインが横目で暁文をちらりとみやり、言い返した。
 もちろん、暁文はそういう事ではなく、事件を引き起こした少女に対するみんなの態度を甘い、と指摘しているのを知っていて、わざとシュラインは的はずれな答を返したのだ。
「あのなぁ」
「ケーキ、三個も食べたんですか」
 やり返そうと暁文が口を開くより早く、近くで部下に指示を下していた榊が振り返り、恨みがましい顔でつぶやいた。
「まさかそれも請求に回すつもりじゃないですよね?」
 言うことがせせこましいが、警察庁で一、二を争う貧乏部署の榊としては気になる所なのだろう。
「うるせぇなぁ。どうせ市民の税金だろ」
 暁文が面倒臭そうに言うと榊は「いえ、都民の税金を使ってるのは警視庁で、ウチは国民の税金です」ときまじめに訂正してみせた。
「どっちでも同じだろう。あー、疲れた。働きすぎた。こりゃ草間にメシでもおごってもわんと割にあわねーぞ」
「だ、駄目です。代わりに私がおごります。石狩鍋の美味しい所しってますから」
 何をそんなにあわてふためいているのか、榊が暁文の腕にすがる。
「だぁっ、さわんじゃねぇ。ボウフラのみたいにへらへら微笑みを湧かせやがって。男にくっつかれるなんて気持ち悪いだろうが。大体何で草間におごらせちゃ駄目な……」
 いいかけて、ふと言葉を止めた。
 そういえば、事件の始まりの時に榊は草間に何か封筒を渡していたではないか。
「そういや、あんた草間に封筒をわたしていたな。あれは」
 榊に視線をあわせると、彼は壊れた首振り人形のように、何度も頷いて小さな、かろうじて暁文が聞き取れる声であるイタリア料理店の名前をささやいた。
「ふーん。へー、ほー、あの草間の旦那がねぇ。へえ?」
 とびっきりの悪戯を思いついた子供とおなじ好奇心にあふれる瞳で、シュラインと榊を交互に見ながら笑いを漏らす。
「何? 不気味よ」
 ケーキの食べ過ぎなんじゃないの? というシュラインのつっこみに笑い声を返してみせる。
 と、折り悪く草間が現場に姿を現した。
 多忙な探偵が事件が解決した現場にわざわざ現れるなど珍しい。
「ほうほう、これは草間の旦那。元気か? いや、元気ならいいんだ」
 はっはっはぁ、とわざとらしい笑い声を上げながら、草間の肩を力一杯三度叩いた。
 そして強引に榊の腕をとると、何度も草間とシュラインの方を振り返りながら人混みへと消えていった。
「……どうかしたのか、あいつ?」
「さあ? 春は何とかが多いらしいから」
 肩をすくめ、シュラインは草間を見た。
「めずらしいわね、武彦さんが解決した事件の現場に現れるなんて」
「いや、榊に呼び出された。シュラインから無言電話があって切れたって」
 それで別の事件の現場を片づけ、すぐにここにあらわれたのだ、と言った。
 そういえばゴスロリ少女との戦いの前に、榊警視に電話をかけてそのまま戦闘になってあわてて切っちゃったんだっけ、と背伸びをした。
「榊、榊警視ねぇ。名前の響きで神木思い出しちゃうわね。曇りの日が続くと体調が悪いとか。ふふ、そんなことないか。それにしても変な人ね」
 暁文に半分引きずられるようにして、他のメンバーの所へ連れて行かれる榊をみてほほえむ。
 あの分ではこの事件に関わった全てのメンバーに石狩鍋をおごる羽目になるだろう。
「いや、その。榊から貰ったんだけどな」
 そういってジーンズのポケットから皺だらけになった封筒を取り出した。
「どこかの料理やの招待券らしい。二人分しかないし、この間バレンタインでチョコレートもらったしな」
 一応のついで、の様なぶっきらぼうな言い方をしているが、目が妙に真剣だ。
(しかも貰った、ですって?)
 いや、違う。榊はこれを草間に渡すとき「頼まれていた」とはっきり言っていたではないか。
(本当にもう、しょうがないんだから)
 胸の奥底から沸き上がってくる笑いをこらえながら、シュラインは上目遣いに草間を見た。
「そうね、お腹も減ってるし。今日は武彦さんと一緒にタダメシ食べるのも悪くないか。――でもね」
「でも?」
 困惑した表情で、草間はシュラインをみてから眼鏡を指で押し上げた。
 真剣に話を聞く前の癖だ。
 シュラインはきっちり一分半草間の反応を観察した後で、続きの言葉を唇にのせた。
「また掃除機を押し売りされた、なんてのはナシよ?」――と。
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0188 斎木・廉(サイキ・レン) 女 24 刑事 】
【0086 シュライン・エマ 女 26 草間興信所事務員&翻訳家&幽霊作家】
【0213 張・暁文(チャン・シャオウェン) 男 24 サラリーマン(自称)】
【0174 寒河江・深雪(さがえ・みゆき)女 22 アナウンサー 】
【0368 氷無月・亜衣(ひなづき・あい) 女 17  魔女(高校生)】
【0262 鈴宮・北斗 (すずみや・ほくと) 男 18 高校生 )】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは! 春なのに〜肩こりですか? の立神勇樹(たつかみ・いさぎ)です。
 さて、今回の事件は「エピローグを除いて時系列順に9シーン」。
 それぞれ「原稿用紙で30枚〜37枚のパラレル構成」になっております。
「なぜこのキャラが、こういう情報をもってこれたのかな?」と思われた方は、他の方の調査ファイルを見てみると、違う角度から事件の本当の姿が見えてくるかもしれません。
 もしこの調査ファイルを呼んで「この能力はこういう演出がいい」とか「こういう過去があるって設定、今度やってみたいな」と思われた方は、テラコンから、メールで教えてくださると嬉しいです。
 あなたと私で、ここではない、別の世界をじっくり冒険できたらいいな、と思ってます。

 こんにちは張暁文さん。
 2度目の参加ありがとうございました。
 えーと。突っ込まれる前に自分で突っ込んでおきます。(汗)
 「上海語違っ!」(汗・中国語です)
 とりあえず「中国の人」っぽさというか流氓ぽさを出そうと努力してみたりしましたが。
 如何でしたでしょうか?

 では、再び不可思議な事件でお会いできることを祈りつつ。