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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コード :ジェリービーンズ症候群
執筆ライター  :立神勇樹
調査組織名   :草間興信所

■オープニング■

 絶叫に近いTVレポーターの声が、また新宿で通り魔が出たと叫び立てている。
 今月に入ってすでに6件目だ。
 あるものは包丁を振り回し、あるものは警官を殺して奪った銃で、無差別的に人を殺しまくる。そして最後に必ず――それが絶対的な命令だと言わんばかりに――犯人は自殺してしまうのだ。
 年齢や性別もバラバラ。新宿の近辺に住んでいる、あるいは会社があるといった程度の共通点しかない。
 ――筈だった。
「ジェリービーンズ? あのいかにも体に悪そうな原色のお菓子か? それがこの事件に何の関係があるんだ?」
 怪訝に思った草間は、タバコに火を付けてから視線を上げた。
 視線の先では警察庁の特殊犯罪調査官である榊千尋が、入れ立てのミルクティーを飲みながら、幸せそうに微笑みを浮かべていた。
「おい、仕事をさぼりにウチにきてるのか、仕事を振りにウチにきてるのか」
 あまりにもしみじみとお茶を楽しむ千尋に、草間が皮肉を投げつけると、彼は肩をすくめて「これは失敬」と言った。
「草間さんの言っているジェリービーンズですよ。司法解剖の結果、今回の通り魔の胃から大量のジェリービーンズが発見されたんです。六人すべて"誰一人例外なく"ね。一度や二度なら偶然ですが。六度も重なればそれは必然です」
 確かに、「ジェリービーンズをおなかいっぱい食べたら、急に人を殺したくなる」なんて話は聞いたことがない。
「うちの法医学・科学捜査班は、ジェリービーンズにはある種の脳内物質を増加させる不明な物質、つまり麻薬のような効果がある「何か」が含まれていると報告してきました。また、私の属する第二種特殊犯罪班のメンバーは、そのジェリービーンズに「なにがしかの魔術的な意図」を感じ取ることができる、と断言しました。まだ調査中なのではっきりとは言えないんですが」
「なるほど」
「ジェリービーンズは全部で七色。「ミツバチ」と呼ばれるグループが出所だと推定されています、が。どうも「潜る」のが上手い奴らみたいで、こちらは苦戦しています」
 さすがの警察も、東京の無法地帯・新宿のアンダーグラウンドにはなかなか踏み込めない様だ。
 千尋はミルクティを名残惜しそうに味わって飲んだ後、見ているこちらが恥ずかしくなるような、善意とか希望とか信頼に満ちた笑顔で言い切った。
「手伝ってくれますよね?」と。


■14:30 ルミネ新宿前■

 女子アナは結構重労働だ。
 特に朝の番組担当ともなれば、早朝五時出勤の夜二十時退社などザラである。
 しかもここ数年の「女子アナウンサータレント化現象」が重労働に拍車をかけている。
 アイドルさながらに過剰なマスコミの注目。
 社内の評判、オンエア中のNGのエピソード。昼に食堂で食べるランチの定番やお気に入りの本まで、一体何処で調べているのか、隙をみせるとありとあらゆるプライベートが週刊誌で暴露されてしまう。
 ちょっとしたことでも評判を落とすから人間関係にも気を遣う。女子アナの評判が落ちる。それは視聴率が下がるのとイコールだ。視聴率が下がれば上司もいい顔をしない。
 女子アナになるには二千倍だとか五千倍だとか言われているが、女子アナを続けるにはさらにそれ以上の努力がいる。
 まれに寒河江美雪のように、生まれつきの人の良さと物腰の柔らかさで、それらの難所を自然にクリアできる者もいるが、残念ながら深雪は「ばれたら致命的」な秘密を抱えてもいるのだ。
 人気女子アナウンサーが実は「雪女」だった。などとばれたら週刊誌トップ記事どころではすまない。
 そしてそんな秘密を持った者にかぎって、特異な……霊的事件の担当を任されてしまいがちなのは、やはり「類は友を呼ぶ」と言うべきなのだろうか、それとも「全ての現象は悪化する」という悲観論が正しいと思うべきなのだろうか。
(シフト変更されたとはいえ、午後のワイドショーレポーターも任されてしまうとは)
 内心冷や汗をかきながら、深雪はカメラに向かって新宿通り魔事件の概要を語り続けていた。
「……では、現場からの中継終わります」
 おきまりのセリフで締めくくり、カメラのアクティブランプが消えると同時にため息をついた。
 ここ数日続いている「新宿通り魔事件」の性で、アナウンサーは軒並み人手不足だ。
 一年に一回、しかもトップ扱いになる事件が一月立たない内に六件も起こっているのだ。情報交換の電話は鳴りっぱなし、視聴者からの問い合わせは朝夜お構いなし。
 特番に次ぐ特番。収まる気配を見せたかと思うと新たな類似事件が新宿で起こる。
 進まない警察の捜査と発表されないいくつもの真実。
 本来なら朝のお天気アナウンサーの深雪がワイドショーに出るなどあり得ないのだが、これだけ事件が多く、そしてとどめに深雪の同期であるワイドショー担当の女子アナが、第5の事件で襲われたとあっては「部署が違います」で突っぱねる訳にも行かない。
 幸い通り魔に襲われた同僚の傷は浅く、二週間で現場復帰出来るらしいから、その間だけの代打なのだが。
 マイクを片手に、ゆるんできた三つ編みを編み直す。
 髪を染めるのに使った薬品のせいか、心なしか指通りが悪い。
 深雪の髪は普段はとても艶やかな……日本人形の様にさらりとした美しい髪である。が、雪女としての力を使うときだけ、先祖帰り……もとい、白銀へと変色してしまうのだ。
 普段は力を使うことなど無いため、染めたりはしないのだが、今日は状況が状況。どこから通り魔があらわれ、自分の力で自分の身を守る羽目になっても良いように上からさらに黒く染めて仕事をしている。
 ワイドショーの担当をはずれるまでに、一体何箱のカラーリング剤と、何本のトリートメントが必要になるのだろう。
 街の平和の為にも、そして髪を痛めない為にも、早く事件を解決してほしいと願うのは、間違っているだろうか?
 がっくりと肩を落としていると、ポケットの中で携帯電話が震えた。
 液晶の表示を見ると「草間武彦」と出ている。
 カメラマンやアシスタントに目で了解を取って、携帯電話の通話ボタンを押す。
『よ、大丈夫か? 今ワイドショー見たが顔色が悪く見えたぞ。疲れてるのか?』
「カメラの調子が悪かったみたいです? 私はちゃんと元気ですよ?」
 心配をかけないようにと、ついつい必要以上に明るい声で返してしまう。と、草間はあるかなしかの沈黙をたたえたあと、深雪のカラ元気を信じる事にしたのか、それともカラ元気という事に気づいていないのか、全くいつもの調子で話を切りだし始めた。
『さっきレポートしていた事件について、ちょっと頼みたいことがあるんだが……「ミツバチ」と「ジェリービーンズ」って知ってるか?』
「あ、ジャンクフード、実は好きなんですよ☆ M&M’sとか…ジェリービーンズとか」
『うーん。確かにジャンクフードはジャンクフードなんだろうが』
 言葉尻を長い吐息で締めくくる。どうやら怪奇探偵は電話中なのにタバコを吸っているらしい。
 また机を灰だらけにしているんだろうな、事務員のシュラインさんは掃除が大変だろうな、と同情しつつ深雪が次の言葉を待っていると、草間はこれ以上無いと言えるほど、簡潔に事情を説明しだした。
 曰く、通り魔全員の胃から未消化のジェリービーンズが大量に摘出されたこと、ミツバチという組織が「麻薬じみたお菓子」の売人であること、そしてジェリービーンズには「赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」の七色が存在することを。
「確かにジェリービーンズって外側は固いですけど、噛めばゲル状のゼリーが流れてきて薬のカプセルみたいですね」
『薬ねぇ。聞いたところによると「噛まずに飲み込まないと駄目な麻薬」らしい。もしジェリービンズが「カプセルの擬態」だったら寒河江の推理にも一理あるな』
「報道部にお願いして、新宿近辺に自社ビルがある製薬会社の資料を回して貰いましょうか?」
『ああ、頼む。シュラインと中島が今、新宿近辺のお菓子屋を当たってる。もし余裕があったらそっちも手伝って貰えないか?』
「高いですよ?」
 重苦しくなりがちな空気を振り払うように、冗談めかせて言う。
 と、草間は一瞬言葉に詰まった後、「解決したらアリススィートのジェラート。駒子ちゃんもまとめて俺のおごりって所で手を打たないか?」と言って来た。年中貧乏の草間にとっては、それがギリギリの妥協点なのだろう。笑いながら了解して深雪は電話を切った。
 それにしても、おかしい。
 甘い物好きな子供や女性ならまだしも、普通の成人男性が自分でああいうお菓子は買わない筈だ。
 ホワイトデー特集で新宿近辺のお菓子屋さんを数件取材したが、どの店の客もほとんど女性ばかりであった。
「まさか人体実験?」
 一体何の? 麻薬?
 いやそれは違う。麻薬の実験なら被験者が「通り魔」になって「自殺」する副作用があるのは不利だ。麻薬は長く使われることを、依存性が高く、辞めるに辞められない状況が続く方が売り手が儲かるのだから。
 だとしたら一体? 魔術的な意図って何?
 足早に、通り魔に巻き込まれないようにと怯えながら通り過ぎていく人々をぼんやりと眺めながら、深雪は考えを巡らせていた。――犯人の、黒幕の意図が見えない。
 薄いベールが「真実」を覆っているようだ。
 いずれにしても、これ以上の犠牲は増やしたくない。
 そう思いマイクを握りしめた刹那、ワイドショースタッフがかすれた高い声で叫んだ。
「寒河江さん! 向こう側、新宿南口のサザンテラスに通り魔が出たらしい! 一端社にもどるぞ!」
「え、通り魔?!」
「小学生とOLが襲われたみたいで、こっちに向かってきてるって……あっ! さ、寒河江さん!」
 スタッフの悲鳴を背中で聞きながら、深雪は走り出していた。


■15:00 サザンテラス・通り魔■

 赤い血の染みが通り魔の服を汚し続けている。
 垂らした腕に握られた包丁からも、点々と血が滴り続けている。
 心が浮き立つような春の風に苦痛に満ちたうめき声が混じる。
 つい先ほどまでほのかに香っていた花の香りも、いまや血のにおいにうち消され、通り魔の周囲が……このサザンテラスだけが冬に逆戻りしようとしていた。
 通り魔に斬りつけられ、恐怖で泣くことも出来ない小学生をかばいながら高校生が……鈴宮北斗が通り魔をにらんでいた。
 しかしにらまれている通り魔はといえば、まるで北斗が目に入っていないかのように視線を空中に泳がせ、ぶつぶつと同じセリフを繰り返していた。
「ジェリービーンズ。紫のジェリービンズ……くれよ。女王。ミツバチの女王……声が聞こえるんだ……俺の中から。殺せコロセコロセ……ケケケケケケケ」
 粗悪な工業製品のように、ねじが一つ抜け落ちただけでバラバラに崩れ落ちてしまいそうな足取りで歩いていたのが一転した。
 地面を蹴り、乾いた笑い声を上げながら男は走りながら北斗達の方へ向かってきた。
 小学生を抱きかかえたまま北斗はバックステップで男の包丁を交わす。が、かばう物があるためか、動きはいまいち鈍かった。
「ほ、北斗君?!」
 透明で耳に心地よい女性の声が聞こえた。
 毎朝聞いてる、聞き慣れている、お天気アナウンサーの声――「鏡の中に帰りたい」と嘆く少女の事件を一緒に解決し、北斗と同じ秘密を共有した女性……寒河江美雪の声だった。
 彼女はマイクを握りしめたまま北斗の方に駆け寄った。おそらく報道番組か何かで現地レポートしていた処を、通り魔事件に巻き込まれたのだろう。
「何やってんねん! あぶないやろ!」
 自分のことを完全に棚に上げて北斗が叫ぶ。
「ほ、北斗君こそ!」
 一拍遅れて深雪がつっこんだ瞬間、北斗にかばわれていた小学生がしゃっくりのような声を上げた。
 驚きが収まり、代わりに恐怖がこみ上げてきたのだろう。
 しかしこの状況で泣かれると面倒だ。ヘタしたら三人とも通り魔の餌食になりかねない。
「しゃあない! 深雪さんこの子頼むわ」
 引きつけを起こしたようにしゃくり上げる小学生を深雪の方へおしやる。ちらりと見たが、斬りつけられた肩の傷はさほど深くはない。しかし、最初に斬りつけられたOLはすぐにでも救急車を呼ばなければ出血多量で死んでしまうことは想像するまでもなく確かだ。
 深雪が小学生を抱きかかえたのを確認して、北斗は地面を蹴った。
 瞬間、宇宙飛行士が月でジャンプするより高く、まるで北斗の背中に不可視の翼が生えているといわんばかりに軽々と体が空中に浮き上がった。
 北斗のもつ能力……人より異常に飛び抜けた運動神経がなせる技だった。
 通り魔の頭を飛び越し、背面に着地すると同時に、背中に思い切り体当たりする。と、通り魔の男は何が起こったのか判らない、と言った表情で振り返ったまま、北斗と一緒に地面に倒れ込んだ。
 そして男が状況を理解するより早く、北斗が男の背中に馬乗りになり、両腕を捕らえて背中に押さえつけた。
「なんでや! 何で襲った! 何で傷つけた! こないなことしたら……人が死んでまうやろ!」
 少年の痛烈な叫び声が、人気のないサザンテラスに響く。
 声に込められた感情、強い語気で、少年が……北斗が人の死に敏感なのだと理解できた。
 しかし通り魔はまるで声が聞こえていないのか、紫、ジェリービーンズ、女王、と言葉を繰り返していた。
 が、やがて体を痙攣させると限界まで開いた口から、大量の胃液と色とりどりのジェリービーンズを吐き出した。
 胃液に濡れたジェリービーンズは、ぬらぬらと光っており、まるで毒虫のようだった。
 鼻を突く酸っぱいにおいに眉をよせ、顔を逸らした北斗の視界の端でジェリービンズが動くのが見えた。
 それは離れていた深雪にもはっきりと見えた。
 色とりどりのジェリービンズが、通り魔の苦悶に逢わせるように跳ね踊っているのだ。
 あまりの出来事に言葉を失っていると、男の体が大きく痙攣して固くこわばった。
「なんや、苦しいんか?! 大丈夫か?!」
 北斗が体を揺すった瞬間、通り魔の体が弓なりに反り返り、バウンドした。
 そして動きを止めた。
「ちょっ、まちいや、おい」
「動かないで!」
 深雪のものでない、冷たく硬質的な声が北斗の動きを制した。
 振り向くと長い髪の女がプラチナの瞳で通り魔と北斗を見ていた。
 女の後ろにはどう見ても場違いなぼんやりした青年と、ポニーテールの少女が立っている。
 あからさまにこの状況に釣り合わない三人組に、どういう反応をして良いか北斗と深雪がまよっていると、不意にぼんやりした青年が北斗に駆け寄って肩を叩いた。
「逃げてください」
「え?」
「被害者は私たち警察が責任を持って助けます。だから、あなた方は一端この場を離れてください」
「何でや!」
「どうしてですか?」
 深雪と北斗が異口同音に問うと、青年は困ったようにほほえんだ。
「あなた達がここにいるとまずいのよ」
 言葉は突き放すような言い方だが、口調は意外なまでに穏やかで落ち着いていた。
 その顔を見て、深雪は何度か瞬きした。
 たしか草間興信所で何度か顔を合わせた事がある。ゆっくり話した事は無かったが……たしか。
「斎木廉、さん」
 記憶の棚から名前を引き出して唇に乗せると、名前を言い当てられた女性は苦笑した。
「そう、草間さんから事情は聞いている? だったら都合がいいわ」
「早く逃げなさい。彼は末期だ、もう助からない。捜査一課が来る前に君たちは消えた方がいいんです、身柄を拘束されたら動きにくいでしょう」
 さあ、と急き立てるように北斗の肩を叩きながら青年、榊千尋が言うが、北斗はその手を払った。
「何で簡単に諦めてしまうんや?! まだ息してるやろ!」
 見捨てたくない、命が消えるのを何もせずに見ていたくない、と北斗の瞳が語っていた。
 深雪も、廉も、榊も何も言えなかった。
 何者をも恐れない、傷つくことさえいとわない北斗の言葉に。
「諦めてる訳じゃないわ! でも、今ここでみんな捕まっていたらもっとたくさんの命がなくなるかもしれない。私はこれ以上魔術をつかって罪がない人が殺されるのは嫌なの」
 少女が、亜衣が顔をあげてしっかりと北斗を見ながら答えた。
「さあ、口論している暇なんてないわよ」
 廉がせかすように言う、と、深雪が立ち上がり北斗の手を取った。
「行きましょう北斗君。今ここで私たちに出来ることはないわ」
「せやけど」
 いいかけて、北斗は口をつぐんだ。
 深雪の瞳の中に青い炎を見たからだ。
 氷のように透き通って冷たい水晶の中に確かに宿る炎を。
 ――悔しいのは、同じなのだ。
 ならば、今自分に出来ることをやるしかない。
 そして、近づいてくるパトカーのサイレンに追い立てられるように、深雪と北斗はサザンテラスを後にしたのだった。
 

■16:00 新宿アルタ前■

 通り魔事件が頻発している為か、新宿アルタ前も異常に人通りが少なかった。
 雨の日でもここまで人が少なくなることはないだろう。
 そんな光景を眺めながら、張暁文は通りに面したケーキ店の中でうめくようにつぶやいた。
「甘い」
 生クリームやフルーツ、焼きたてのスポンジの匂いばかりを立て続けに嗅いでいれば、どんな甘党だってうんざりするに決まっている。
 ショウケースに並んだベリーパイやシュークリームを見てため息をつく。
 ジェリービーンズの調査を初めてすでに4時間。
 その間に判ったことといえば、ジェリービーンズがゼラチン、またはコーンスターチを使って作られることと、「ミツバチ」らしき影などどこにも見あたらなかった、という事だ。
「甘い。口の中が甘い。胸焼けもする。死にそうだ」
 不平たらたらに暁文が繰り返してると、シュラインは腰に両手をあててあきれた口調で切り返した。
「甘い甘いっていいながら、最初の店でアップルパイとチョコレートケーキとシュークリームをがっついてたのは誰よ」
「あれは昼飯がわりだよ。そういうあんただって春イチゴのタルト食ってただろう」
「私は三個も食べてないわ」
 この際一個も二個もそう変わらないのだが、暁文はすでにつっこむ気力を失っていた。
 超一流の銃裁きをもち極道とも対等に渡り合う闇の住人が、女とお菓子屋巡りなど不似合いなことこの上ない。
 そう思ってはいるものの、暁文にはシュラインに逆らい、痛烈な皮肉の砲撃をあびる勇気はなかった。
「あー。めんどくさい。何だって俺がこんな事を」
 都合十八店めのケーキ屋から逃げながらぼやく、と、隣に立っていたシュラインがあら、と驚きの声を上げた。
 声につられて顔を上げると、道の向こうに息を切らせながらガードレールに寄りかかっている人物が見えた。
 一人は長い髪を三つ編みにして、何故かマイクを持っている女――多分お天気レポーターの寒河江美雪。
 もう一人はバンダナを巻いた茶パツの高校生。
 どうみてもちぐはぐな組み合わせだ。
 通り魔事件で人が途絶えた新宿だけに、二人の姿は周囲から浮き出て見えた。
「寒河江さんと北斗君だわ」
 抜群の記憶力をもつシュラインが、素早く二人を識別して名前をつぶやいた。
「シュライン、さん」
「シュラインのねーちゃんやないか……なんだっ、て、ここに」
 荒い息の合間に二人同時に言う。
「私は「通り魔事件」を追ってお菓子屋さんを調査してるんだけど」
 道端の自動販売機でスポーツ飲料を買って、息も絶え絶えの二人に渡す。
 深雪と北斗は砂漠で水を得た旅人のように、スポーツ飲料を一息にのどに流し込み、またまた二人同時にため息をついた。
「そういえば、草間さんから携帯電話で連絡受けてました……私もシュラインさんを手伝うようにって、それで、レポートが終わったら合流しようと思っていたんですけど」
 ポケットから取り出したハンカチで汗を拭い、前髪をかき上げながら深雪が言う。と、北斗がその先を続けた。
「さっき新宿サザンテラスで第7の通り魔事件が起きて、それに巻き込まれたんや」
「なんだと?!」
「何ですって?!」
 シュラインと暁文が顔を見合わせ、ついで北斗を見た。
「何とか取り押さえたけど……通り魔の奴、取り押さえた瞬間にジェリービーンズ吐き出し始めて……、で、吐き出した後、急に痙攣しだして」
 ぽつり、ぽつりと言いにくそうに言ったあと北斗は言葉を切ってうつむいた。
 額からバンダナを外し、手に握りしめている。
 細かく震える拳と、うつむいた少年の顔がこわばっている事から、続きは理解できた。
 ――おそらく通り魔は死んだのだ。
「まずいな、こりゃ」
 暁文が唇をひきしめ、靴の踵でアスファルトを蹴りつけた。
 事件が起きる感覚が短くなっている。早く何とかしなければ新宿全体が通り魔の巣窟になるだろう。
 いや、新宿だけじゃない。東京全体が、だ。
「ちょっとまって、その時の様子を詳しく話してもらえないかしら?」
「話も何も……、包丁持った男がブツブツ言いながら斬りかかってきたんや。ジェリービンズがどうの、紫がどうの、女王とミツバチがどうのって」
「それで暴れ出して、その、警察の……斎木さん達があらわれて、私たちがいると面倒な事になるから逃げてくれって」
「なるほどね」
 確かに、取り押さえた犯人が急死したとあっては、警察は「取り押さえた人間」を疑わざるを得ないだろう。
 事件の犯人でないにしても、過剰防衛だのなんだのと、難癖をつけられて身柄を拘束されかねない。
「それにしても、情報がずいぶん錯綜してるわね」
 細くきれいな人差し指でこめかみを押さえていたシュラインは、その人差し指をまっすぐに立て、まるで視線の向こうに架空の生徒がいる、と言わんばかりの調子で今までに入手した事実をまとめ始めた。
 一つ、ジェリービーンズは「ミツバチ」が配っている。種類は全部で「赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」の七色。
 一つ、「紫」のジェリービーンズは「女王」と呼ばれる「ミツバチ」のリーダーからしか貰えない。
 一つ、ジェリービンズを食べたものはある日突然通り魔になって自殺、もしくは胃の中のジェリービンズを吐き出して死亡する。なお、通り魔は「ジェリービーンズ、紫、女王、自分の中から声が聞こえる」といううわごとを繰り返していた。
「最後に、ジェリービーンズには何らかの魔術的意図が感じられる。と」
 簡潔にまとめ終え、シュラインが腕を組むと、北斗が飲み終えたスポーツ飲料の缶を握りつぶして吐き捨てた。
「俺には魔術的意図なんて、これっぽっちもわからへん。でも、これ以上人が死ぬのはみとうないんや」
 まっすぐな北斗の言葉に暁文は肩をすくめた。陰惨な闇の世界を生き抜いてきた彼にしてみれば、北斗の言葉は「若い」とか「甘い」の一言で切り捨てられるモノなのだろう。
 最もあえてそれを口にするほど、無粋ではなかったが。
「私は……ジェリービーンズの中に麻薬が入ってるのかと思って、報道部に製薬会社の方を調べて貰っていたんですけど……未だに連絡はありません」
 静かな、しかししっかりとした意志を感じさせる口調で深雪がいう。
「俺もその線は考えた。だが、麻薬ってのは「常習者」が増えなければこれっぽっちも儲からない」
 客を薬なしに生きられない体にしたあとで、徐々に薬の値をつり上げ、じっくりとマージンを稼ぐのが麻薬売買の常套手段だからだ。
「女王と自分の中の声、か……引っかかるわ」
 シュラインが目を細めた。かすかに覗く蒼い瞳には鋭い知性の炎が灯っていた。
「気持ち悪い想像だわ」
 話す気がないのかと思えるほど長い沈黙の後でシュラインが吐き捨てた。
「あ、私も……判った気がします」
 深雪が口に手をあてて、シュラインを見た。
 その顔には奇妙な表情が……そう、たとえば自分の部屋でゴキブリだとかムカデだとかを発見した時の、困ったような、怖がるような、怒るような……そういった感情がない交ぜになった表情が浮かんでいた。
「なんだ、その気持ち悪い想像って」
 暁文が先をせかすように言うと、シュラインが長く重いため息をついた。
「産卵、よ」
「産卵?!」
「そう。昆虫の蜜蜂と同じよ。働き蜂……つまり「ミツバチ」が「女王」の産卵の為に「エサ」を探す。そして卵……この場合はジェリービンズね。を体内に宿させる。卵は十分な養分を「エサ」から取って孵化する」
「せやけど、通り魔の説明がつかへん。エサになってただけなら何で通り魔になるんや」
「それは、孵化するのに十分な栄養が足りなかったのか……それか、「生まれ出てくる何か」の魔力に人間が耐えられなかったのか、ではないでしょうか?」
 深雪が冷静にシュラインの言葉を補足する。
「そうか、そういや「ミツバチ」のガキどもが「出来ればオカルトに強い奴や、霊感に強い奴に配れ」と命令されたって言っていたな」
 ならば「養分」は――人間の「魔力」とか「妖力」とか呼ばれるモノなのだろう。
「ゴスロリや」
 北斗が意味不明の言葉をつぶやいた。
「ゴスロリや、あのサザンテラスにおったゴスロリ女が通り魔見て言うとったわ! 「また失敗した」て」
 黒いレースで全身を飾り、頭にメッキの王冠を乗せていた少女の姿を思い出す。
 猫の様につり上がった目で通り魔を見ながら、女王然にドーベルマンを控えさせながら。
「あいつが「女王蜂」にちがいないで」
 少年の確信的な言葉を受け、シュラインは武彦さんと榊警視に電話しなければ、とハンドバッグから携帯電話を取り出し通話ボタンを押したまま動きを止めた。
 ガードレールに座っている少年が、ただならぬ殺気をまといながら一点を見つめていたからだ。
 視線の先を追う、と、そこは待ち合わせの定番スポットになっている「スタジオアルタ」のビジョンがあった。
 しかし北斗が見ていたのは次々に映像が移り変わる巨大ビジョンなどではなかった。
 ビジョンの真下、ちょうど広場から道路一本はさんだ向こう側に一人の少女が立っていた。その、少女を見つめていたのだ。
 葬式に行くような黒一色の服装。
 ただし喪服というには装飾過多で、リボンやレースなどがついており、ご丁寧に頭には銀色の冠……ティアラが乗っかっている。
「みつけたわ。あなた達みたいに「力」もつモノを探していたのよ」
 周囲の音が消えて、少女の声だけがきこえてきた。
「あなた方なら、十分「妖蜂(ようほう)」の宿主になれるわ」
 唇をなめながら一歩一歩と近づいてくる。
 車の動きが止まり、人の動きすらも止まった。
 おそらく少女が結界を張り、現実と次元を切り離したのだろう。
 ――新たな犠牲者を狩るために。


■16:30 女王蜂■

 人が消えた。
 車の流れも止まり、時計の針も止まっている。
 それはアルタ前全体が結界に包まれた証であった。
 結界を作った主は、黒いフリルのドレスの裾を風に揺らしながら、ゆっくりとシュライン達の方へと近づいてくる。
「みつけたわ。あなた達みたいに「力」もつモノを探していたのよ。あなた方なら、十分「妖蜂(ようほう)」の宿主になれるわ」
 血のように赤い唇を小さな舌がぺろりとなめながら、少女はくるくると巻かれている己の金髪を指先で弄ぶ。
「本当に、美味しそうな「力」だわ」
 そういってポケットから、懐中時計ほどの紅玉がはめ込まれたペンダントを取り出した。
 紅玉はそれ自身が息吹いているかのように、強く、弱く明滅していた。
 と、ひときわ強く赤い光が紅玉から放たれた瞬間、どこからともなくモーター音に似た音が近づいてきた。
「きゃっ」
「うわっ」
「デカっ!」
 深雪と北斗と暁文が同時に叫び、あわてて自分たちが立っていた場所から飛び退いた。
 黒い影が三人がいた場所を通過していく。
 影は透明で巨大な羽根を間断なく動かしながら、空中に静止した。
 ――それは蜂だった。
 ただし、バスケットボールを二つくっつけた大きさの、つまり異様に図体のでかい蜂だった。
 蜂はぐるぐると旋回しながら、少女の周りに集う。
 数は全部で5匹。
「どう? かわいいでしょう? でもこれだけじゃ足りないわ。もっと仲間が必要なの」
 少女は唇の端をかすかに持ち上げる。太陽の光を受けて少女の頭を飾る冠と妖蜂の羽根がきらりと光った。
「ゴスロリ女!」
「失礼ね、女王様とおよび」
 北斗の言葉に顔をしかめながら、少女は告げ、宝珠を北斗につきだした。
 それがなにかの合図だったように、蜂達が一斉に北斗に襲いかかる!
 あぶない、と深雪が叫ぶより、北斗が逃げるより速く、蜂は針を北斗に向かってつきだした。
「音太刀!」
 凛とした声が響き、空気の対流が変化する。
 と、針を突き刺そうとしていた妖蜂の羽根が風によって切り裂かれ、空中に四散した。
 その隙を狙って北斗はバンダナを頭に巻き付け、力一杯後ろへ跳躍した。
 蜂達の針が空しく空気をかすめる。
「シュラインさん!」
 男にしてはやや高めの声がした。
 声の方に視線を向けると、事件の依頼人である榊警視がトレンチコートの裾をはためかせながら駆け寄ってきた。
「携帯電話が無言のまま切れて――それで、斎木さんと氷無月さんにあなた達を探してもらったんです」
 彼の後ろでは、すんでのところでかまいたちを放ち北斗の身をまもった女刑事――斎木廉が視線を少女に固定したまましっかりと頷いて見せた。
 ちっ、とゴスロリ少女が舌打ちした瞬間、上から大きな影が降りてくる。
 影はゴスロリ少女の真上を通過してシュラインのそばに着地し、いままで自分が乗っていたほうきをくるりと回して見せた。
 その動きに合わせて長い髪を束ねたポニーテールがしなやかな鞭の様に空を打つ。
 「善き魔女」の後継者である氷無月亜衣だ。
「何で殺さなあかんのや! なんでこないな事したんや」
 北斗が叫ぶとゴスロリ少女は鼻をならし黒いブーツのかかとで地面を蹴った。
「決まってるじゃない、私の手下が……強い使い魔が欲しかったからよ」
 だからジェリービンズを「妖蜂」の魔術をかけたジェリービンズを配り、人間の体内に「妖蜂」のカケラを宿らせた。
「――女王蜂の使い魔を作る為に「ミツバチ」を働かせ卵を配った。という訳ですか」
 腹の底から絞り出すような声でつぶやき、榊は歯を食いしばった。
 ジェリービーンズを全て食べた人間、つまり「妖蜂」のカケラは宿った人間の魔力を「エサ」にし、宿主の精神と肉体を犯す。そして……生まれ出るのだ。宿主の内臓を、その体を食い破って!
「この子達がいれば、この宝珠があれば私は何でも出来るわ。魔女というだけで私を足蹴にした馬鹿な奴らを後悔させてやる。何の力も持たない奴らを支配する事ができるのよ!」
 フフフ、と外見からは想像出来ないほど妖艶な表情で少女は笑う。
「許せない」
 魔女というだけで迫害された少女の言い分は判る。しかし、魔術は復讐の為の力ではない。
「魔術を使い、罪なき人々を殺めるあなたたちの所行、許すわけにはいかないわ。『烈光の魔女』の名において断罪します!」
 言うと、亜衣は手にしていたほうきをてばなし、空中に腕をさしのべた。
「空の精霊エアリアルよ、遠き善き魔女との約束を思い出して。そしてどうか私に力を貸して」
 亜衣の声の余韻が消えない内に、空の一転が今まで以上に蒼く染まっていく。
 やがて空の一部分が剥落したかのように、蒼い光のヴェールが亜衣を包み込み、ゆらゆらと揺れながら細身の女性の姿を取った。
「妖蜂の動きを封じて!」
 言うなり、エアリアルが再び蒼い光となり妖蜂達へと向かっていく。
 そして蜂の前でひときわ大きく輝き、光の中に妖蜂達を取り込む。
 とたんに蜂達の羽根の動きが遅くなり、二匹ほど地面へと墜落する。
「やるわね」
 ゴスロリ少女は冷たく言い捨てると、宝珠に息を吹きかけた。
 妖蜂の羽根が再び力を取り戻し、寒河江美雪へ向かって襲いかかる。
「まかせて!」
 短く宣言して深雪は白い手を蜂に向かってつきだした。
「はぁっ!」
 息を吐き出す。と、深雪の手から痛烈な吹雪が放たれ妖蜂を撃ち一瞬にして凍りつかせる。
「くっ!」
 状況が不利になったのか、少女は一歩後ずさって、宝珠を強く握りしめる。と、どこからともなく再び妖蜂が集いはじめた。
 一匹や二匹ではない。
 蜂の巣をつついたように、十匹、二十匹とあらわれ、全員を襲い始める。
「きりがないわ!」
 八匹目の妖蜂を音太刀で蜂をまっぷたつに切断しながら廉が叫んだ。同時に後方に控えていたシュラインが唇をかむ。
「あの宝珠を何とかできれば……」
「ふん、俺がいるって事を忘れてないか?」
 それまで事態の成り行きを見続けていた暁文が口を三日月の形に歪め笑い、ぱちん、と指をならした。
 とたんにシュラインのそばから暁文の姿が消え、ゴスロリ少女の後ろに現れる。
「遊びはここまでだお嬢ちゃん」
 いうなり羽交い締めにする。
「何をっ」
 必死になって少女がもがくが、大の男と少女では基礎体力が違いすぎる。
「いただき!」
 北斗が叫んで、その人を越えた「力」によって一気に少女のそばにかけより手から宝珠をもぎ取り、亜衣に向かって投げつける。
 亜衣は受け取った宝珠を天に掲げた。
「やめて! それを壊さないで!」
 喉を裂きかねないほど高く大きな声で少女が叫ぶ。しかし亜衣は声にかまおうとはしなかった。
「精霊達よ! 私に封印の力をかして」
 亜衣が一息に言う。と、風がうねり木々を揺らす。木々から落ちた葉がくるくると舞いながら宝珠を取り囲む。
 天空から一条の光が亜衣の手にさしこむ。
 パリンとガラスが弾けるような音がして、宝珠から赤い光が放たれる。
 光は瞬く間にあたりを強く照らし、光に照らされた妖蜂たちが次々に地面に墜落し、日に当たったヴァンパイアよりあっけなく灰燼に帰す。
「あ、ああ」
 がっくり、と暁文の腕から滑り落ち、少女が膝をつく。
「そんな、嘘よ、だって私……私、それがないと、駄目なの」
「どんな理由があっても命を奪ったらあかんのや。他人がそないなことしてたとしても、せめて自分だけはやったらあかん。そう思うとかなあかんのや」
 全くな北斗の意見に、深雪も頷く。
 暁文ははっ、と息を吐いた。口に出してないが「甘い」と言いたげなのが表情にありありと表れていた。もっとも、シュラインににらまれ、すぐにそっぽを向いたのだが。
「そして、どんなことがあっても、罪は罪よ」
 あえて感情を感じさせない、抑揚を抑えた声でいうと、廉は手錠を取り出し少女の小さな手首にはめた。
 亜衣には少女の気持ちが痛いほどわかった。
 もし自分も祖母がいなければ、草間興信所で出会った仲間がいなければ、少女のように「力」があるということで迫害されていたのなら、同じ事をしていたかもしれない、と感じたからだ。
 「魔女狩り」は無くなっても「力」持つものに対する偏見や怯えは、まだ根強くこの世界に残っているのだ。
 否、力持つ者に対する怯えが、「魔女狩り」を引き起こしたのだ。
「あの、ね」
 少女にちかより、亜衣はスカートが汚れるのにもかまわず地面に膝をついた。
「それでも、もし、あなたが魔術を悪いことに使わないって、これから、誰も傷つけたりしないって約束してくれるなら、私たち、友達になれるとおもう」
 少女が猜疑心に満ちた目を亜衣にそそぐ。
 と、今度は深雪が少女にほほえみかけて頭を優しくなでた。
「私も亜衣ちゃんと同じかな」
 せや、と北斗がまじめくさった顔でうなづいてみせた。
 長い沈黙の後で、少女がおずおずと三人の顔をうかがい、そして小さく唇をうごかした。
 ――私も、友達が欲しい――と。


■21:00 春の始まり事件の終わり■

「あかん、これ以上食えへんわ!」
 背伸びをし、満足の笑みをたたえながら北斗が言った。
 それはそうでしょうとも、と思いながら深雪は微笑を漏らす。
 事件解決のお礼ということで、榊警視が夕食(しかも何故か石狩鍋だ)をおごってくれたのだ。
 適度な運動の後、しかも食べ盛りの十代、だめ押しに「始めての石狩鍋」なのだ。北斗の食べっぷりの見事さは説明するまでもない。デザートのゆずシャーベットもきっちり胃袋にいれて、すっかり満足しているようだ。
 仕事があるから、と榊と斎木の警察コンビは現場に戻り、道すがらに顔なじみのおねーさん(どう見てもホステスだった)に捕まりオトナの世界へ流れていった暁文をのぞくと、残ったのは深雪と北斗と亜衣の三人だった。
 お腹も満足したし、これから適当にカラオケかゲームセンターにでも行ってお開き、という流れになるのだろう。
「どないしたん? 元気ないな」
 突然北斗に語りかけられ、深雪は驚いた。疲れているが深雪は十分に元気だ。
 ということは、と想い振り返ると、黒猫のゼルを抱きしめながら亜衣が困ったような表情で北斗を見つめていた。
「うん。ちょっと……今日の子、何だかかわいそうだなって。ああなってたのは私かもしれないなって考えてたら、ね」
 言いにくそうに言葉を切りながらぽつぽつと話す。
 相手が同じ「魔女」だっただけに、もしかしたら、どこかで道を間違えていたらと亜衣は考えずにいられなかった。
 自分はたまたま理解者にめぐまれ、能力者を差別しない人たちのいる場所に行き着き、そして草間興信所のように「仲間」が集う場所を探し当てられた。だけど、もし、と考えずにはいられなかった。
 元気ない主のほほをゼルが小さな舌で何度もなめる。しかし亜衣はほほえまない。
 深雪にも亜衣の気持ちは分かる。
 「能力」を持つが故に苦労しているのだ。髪をそめてコンタクトレンズを入れて、誰にもばれないように。
 外見だけではない。
 雪女の血を引いているからか体温は常に三十五度以下だし、夏はどこにいてもだるくて体調が悪い。
 三十歳を過ぎると老化が止まってしまうため、人生の伴侶さがしすら簡単ではない。
 それだけでも十分不利な境遇なのに、「能力者」だと差別されていじめられたら?
 ――あの少女のようにならなかったと誰が言えるのだろうか?
「普通に生まれていたら、こんな事にならなかったのかな。「普通」じゃないから「能力者」は差別されるのかな、って想ってたら、自分も「普通」じゃないからいつかはいじめられたりするのかな、って」
 おびえを隠すように、胸の黒猫を抱きしめる。
 相当きつく抱きしめられて、息苦しいだろうに、ゼルは何も言わずすべらかな毛に包まれた顔を必死に亜衣のほほにすりよせていた。
「せやけど、「普通」ってなんや?」
 人の流れに逆らって北斗は亜衣の正面に立つ。
「「普通」てなんや? 人と同じ事か? そら違うやろ。人間は大なり小なり他と違うんや。やったらみんな「普通」やない。見た目にしろ性格にしろ違うやろ。能力があったら「普通」と違ういうんはおかしいんやないか?」
 ポケットの中のバンダナを指先でいじくりながら北斗が口をとがらせた。
「じゃあ、北斗君は「普通」って何だと想う?」
 亜衣の肩を抱きながら、亜衣の代わりに深雪が尋ねる。と、少年はネオンに照らされ金茶色に染まった髪をかき上げて何でもない事のように言った。
「「普通」っていうのは難しいことやない。「人を傷つけない」ことや。人を傷つけたり殺したりするのは「普通」やない。それは判るやろ」
 亜衣が眼を見開いた。暗く沈んでいた紅の瞳が明るく輝き始めていた。
「人と違うとか、違わないやないで。「普通」っちゅうんは「人を傷つけない」こと。「人が傷ついていたら助けてあげる」事や。どんな姿していても、どんな力もっていても「普通」でいればみんな仲良くできるやろ」
「――そうね」
 底抜けに前向きで明るい少年の言葉に、亜衣の顔に微笑みが戻ってくる。
 少女の胸から黒猫が飛び降り、うれしそうに北斗や深雪、そして亜衣の足下に交互に体をすりよせる。
「ああぁ。考えてばかりであんまりご飯食べなくて損しちゃったな。せっかく榊さんのおごりだったのに」
「じゃあ、私のおごりでジェラート食べに行く? 近くに美味しい店があるのよ」
 深雪が亜衣と北斗の肩を叩いて、ウィンクして見せた。
 と、年上の、しかもみんながあこがれるお天気アナウンサーの深雪にウィンクされたからか、北斗の顔が赤くそまり、それを隠すように北斗はあわてて口を開いて反論した。
「ジェラートって、さっきゆずシャーベットたべたやないか! ジェラートとシャーベットどう違うんや!」
「あら、違うわよ。それにデザートとアイスクリームは別腹だもん。わぁ。嬉しいっ! 私アイスクリームも大好きだけど、ジェラートも好きなんですっ」
「じゃ二人で行っちゃおうか? 北斗君はいらないみたいだもんね」
 女同士顔を寄せ合い、からかうように北斗をみて笑いを漏らす。
「誰が行かんゆーてんねん。行くで! 行かせてもらいますでお姫様がた。どこまでもついてったるで」
 半分やけになりながら叫ぶ北斗をみて、ついに女性陣はお腹を抱えて笑い出した。
 そんな三人をみて冬の輝き星シリウスが困ったように瞬いた。
 冬の最後を告げる風が空の一番高いところを吹き抜けていった。
 きっと桜が咲く日も、遠くない。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0188 斎木・廉(サイキ・レン) 女 24 刑事 】
【0086 シュライン・エマ 女 26 草間興信所事務員&翻訳家&幽霊作家】
【0213 張・暁文(チャン・シャオウェン) 男 24 サラリーマン(自称)】
【0174 寒河江・深雪(さがえ・みゆき)女 22 アナウンサー 】
【0368 氷無月・亜衣(ひなづき・あい) 女 17  魔女(高校生)】
【0262 鈴宮・北斗 (すずみや・ほくと) 男 18 高校生 )】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは! 春なのに〜肩こりですか? の立神勇樹(たつかみ・いさぎ)です。
 さて、今回の事件は「エピローグを除いて時系列順に9シーン」。
 それぞれ「原稿用紙で30枚〜37枚のパラレル構成」になっております。
「なぜこのキャラが、こういう情報をもってこれたのかな?」と思われた方は、他の方の調査ファイルを見てみると、違う角度から事件の本当の姿が見えてくるかもしれません。
 もしこの調査ファイルを呼んで「この能力はこういう演出がいい」とか「こういう過去があるって設定、今度やってみたいな」と思われた方は、テラコンから、メールで教えてくださると嬉しいです。
 あなたと私で、ここではない、別の世界をじっくり冒険できたらいいな、と思ってます。

 こんにちは寒河江深雪さん。
 今回は「やさしいお姉さん」っぽくなりましたが如何でしたでしょうか?
 が、反面あまり特殊能力を生かす場面が無くて、申し訳ない限りです。

 では、再び不可思議な事件でお会いできることを祈りつつ。