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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コード :ジェリービーンズ症候群
執筆ライター  :立神勇樹
調査組織名   :草間興信所

■オープニング■

 絶叫に近いTVレポーターの声が、また新宿で通り魔が出たと叫び立てている。
 今月に入ってすでに6件目だ。
 あるものは包丁を振り回し、あるものは警官を殺して奪った銃で、無差別的に人を殺しまくる。そして最後に必ず――それが絶対的な命令だと言わんばかりに――犯人は自殺してしまうのだ。
 年齢や性別もバラバラ。新宿の近辺に住んでいる、あるいは会社があるといった程度の共通点しかない。
 ――筈だった。
「ジェリービーンズ? あのいかにも体に悪そうな原色のお菓子か? それがこの事件に何の関係があるんだ?」
 怪訝に思った草間は、タバコに火を付けてから視線を上げた。
 視線の先では警察庁の特殊犯罪調査官である榊千尋が、入れ立てのミルクティーを飲みながら、幸せそうに微笑みを浮かべていた。
「おい、仕事をさぼりにウチにきてるのか、仕事を振りにウチにきてるのか」
 あまりにもしみじみとお茶を楽しむ千尋に、草間が皮肉を投げつけると、彼は肩をすくめて「これは失敬」と言った。
「草間さんの言っているジェリービーンズですよ。司法解剖の結果、今回の通り魔の胃から大量のジェリービーンズが発見されたんです。六人すべて"誰一人例外なく"ね。一度や二度なら偶然ですが。六度も重なればそれは必然です」
 確かに、「ジェリービーンズをおなかいっぱい食べたら、急に人を殺したくなる」なんて話は聞いたことがない。
「うちの法医学・科学捜査班は、ジェリービーンズにはある種の脳内物質を増加させる不明な物質、つまり麻薬のような効果がある「何か」が含まれていると報告してきました。また、私の属する第二種特殊犯罪班のメンバーは、そのジェリービーンズに「なにがしかの魔術的な意図」を感じ取ることができる、と断言しました。まだ調査中なのではっきりとは言えないんですが」
「なるほど」
「ジェリービーンズは全部で七色。「ミツバチ」と呼ばれるグループが出所だと推定されています、が。どうも「潜る」のが上手い奴らみたいで、こちらは苦戦しています」
 さすがの警察も、東京の無法地帯・新宿のアンダーグラウンドにはなかなか踏み込めない様だ。
 千尋はミルクティを名残惜しそうに味わって飲んだ後、見ているこちらが恥ずかしくなるような、善意とか希望とか信頼に満ちた笑顔で言い切った。
「手伝ってくれますよね?」と。


■11:00 草間興信所■

「草間さん、この仕事、私がやります」
 ガラスで作った鈴のように繊細で可憐な、しかしよく通る声が草間興信所の中に響いた。
 応接室と事務机を区切るパーティションの向こう側から現れたのは、都内公立高校の制服をきた少女だった。
 艶やかで癖のない髪を結い上げたポニーテールが、少女の歩みごとにゆらゆらと揺れている。
「この事件、私にやらせてください」
 突然の声にあっけに取られている草間に、もう一度少女――氷無月亜衣(ひなづき・あい)は言った。
 普段なら好奇心にあふれている大きな瞳には、真剣な光がやどり、彼女の心の奥底の情熱を具現するかのように、瞳は紅く、どこまでも透き通っていた。
「魔術を悪いことに使うなんて……許せない」
 きっぱりと言い切る。陶器のようにすべらかで白い肌が怒りによって上気している。
 亜衣の祖母は英国人だった。
 ただの英国人ではない。古く遠い時代から精霊の言葉に耳を傾け、世界の音と声を聞く「善き魔女」の一人であった。
 陰惨な魔女狩りを生き残り、「善き技」を連綿と語り継いできた者であった。
 その魔女である祖母に才能を見込まれ、後継者となるべく西洋魔術をたたき込まれたのが孫である少女――亜衣である。
 魔術とは本来、人と精霊たちの仲を取り持つ術である。
 人が暮らしやすいように、精霊を傷つけぬように、母なる大地の優しさを忘れないように、と偉大なる先人達が築いてきた「世界と共存する術」である。
 しかし魔術とは反面強い力も持つ。人を傷つけ、精霊を言霊で縛り付け、大地をえぐり、血の雨で大海を汚す。そんな純然な破壊しかもたらさない「力」も。
 だから人々は魔術をおそれ、「魔女」を狩った。「力」は「力」にすぎないと。「力」は使う人に左右されるのだという事に気づかず、いや、気づいていたが「力」の巨大さゆえにおびえ、そして幾人もの「善き魔女」を狩ったのだ。
 それ以来魔女は、密やかに息を殺すように隠れて生きてきた。「力」もたない人々を恐れさせないために。
 それなのに。
「魔術を悪いことに使うなんて、一般人と共存している魔女たちに対する「裏切り」です」
 強く未来の輝きを信じている年代独特の鋭い決意をみなぎらせながら亜衣がいうと、それに賛同するように、足下にいた黒猫のゼルがのどをならしてみせた。
「私ならそのジェリービーンズをみれば、なにか判るかもしれません」
「いや、俺はかまわないが」
 ちらちらと微笑みながら事の成り行きを見守る千尋に視線をおくりながら、草間は口ごもった。
「お願いします、榊さん。犯人の胃から出てきたジェリービーンズを見せてください」
「いいですよ」
 散歩にでも行くような口振りであっさりと千尋が言い、草間は目を見開いた。
「おい、いいのか?」
 草間は亜衣がまだ未成年であることを気にしているのだ。
 普通の依頼人の事件ならまだしも、相手は警察である。体面を気にするお役所が年端もいかない少女に捜査協力させるなど、マスコミネタになりかねない。頭の固い警察上層部はいい顔をしないだろう。
 もちろん、亜衣の能力について疑いを抱いている訳ではなかった。草間が知る限り、亜衣は若くて好奇心が強い、という点をのぞけば、立派に西洋魔術の……精霊に愛される”善き魔女”であった。
「かまわないでしょう。彼女で心許ないとおっしゃるのなら、私の方が足手まといです。何しろ私は魔術的攻撃方法も防御方法ももたない」
「まったくだぜ」
 と、ドアの開く音に次いで第4の声が茶々をいれた。
 声の主――つまり張暁文は眠そうにあくびをして見せたあと、肩をならしながら草間が座ってるソファーに腰を下ろし笑った。
「身を守る術をもたないあんたより、そっちのお嬢ちゃんの方がよっぽど役にたつだろうぜ」
 言うなり行儀悪く足をテーブルに載せた。
 「お嬢ちゃんじゃないわ」と亜衣が口を開きかけると、亜衣の後ろにいた女性が暁文に雑巾を投げつけられた。
「なんだ、この雑巾」
「来客用テーブルに足を置く人はこれで乗せておいた場所を拭いておく事。どうせなら最初から汚れている武彦さんのデスクにでも乗せればいいのに」
 腰に両手をあてて肩をすくめた。首にかけられた薄い色つき眼鏡が動きにあわせて、ちゃらり、と音をたてる。
「それはあんまりだろうシュライン」
 と草間が唇をとがらせながらいうと、草間興信所の事務員であり、整理整頓司令官であるシュライン・エマは中性的で抑揚が豊かな声でにべもなく言い放った。
「いくら新しい掃除機を買っても、掃除しなければ意味がないのよ。武彦さん」
 シュラインの言葉に、草間はのどの奥でぎゅう、ともぐう、ともつかないうなりをあげた。
 つい先日一人で留守番をしている時、ふらりと現れた販売員の強引なセールスに負けて、ついつい「通常の2.5倍(当社比)で埃が取れる掃除機「すいゾウくん」」を買ってしまったのだ。
 もちろん後日その掃除機が半額で大手電気店に売っていた事、事務所一番の粗大ゴミになっているという事実は言うまでもない。
「そうですねぇ。足をのせたらテーブルさんがかわいそうですし」
 がっくりと落ち込んだ草間に、さらに脱力をさそう千尋の間延びした言葉が投げつけられる。
「テーブルさん……おまえ幾つだよ」
「二十六歳ですがそれがなにか?」
 草間の嫌みが聞いていないのか、千尋はほえほえと小春日和の笑顔で返す。
 騒ぎの原因となった暁文は腹を抱えて笑い死に寸前である。
「ああ、こんな時間だ。じゃ、私とえーと」
「氷無月です」
「氷無月さんは一緒に警察庁へ行きます。また午後に連絡をいれますので、調査よろしく」
 柔らかそうな焦げ茶の髪をかき上げて千尋が立ち上がった。草間はまだ脱力の底から回復できていないのか、力なさげに手をふる。と、何かを思い出したように手をたたき千尋がコートから一通の封筒をとりだした。
「ああそうだ、草間さんに頼まれていたものもってきました。二人でいいんですよね?」
「あっ、馬鹿」
 それまでの落ち込みが嘘のように顔をあげ、ひったくるようにして封筒を取り上げ、よれたジーンズのバックポケットにつっこんだ。
「……その封筒は何? 武彦さん」
「いや、何でもない。前回の事件の、その――資料だ」
 人差し指で頬を書きながら、草間武彦は天井をみた。
 こういう仕草をするときは何かを誤魔化そうとしている。長年のつきあいから草間の癖は大概見抜いていたが、シュラインはあえて何も言わない事にした。聞いてもどうせ言わない事をこれまた長年のつきあいで判っているからだ。
「それより、えーと、櫻月堂の方はどうなったんだ」
 草間はシュラインが懇意にしている骨董屋の名前を出した。骨董屋と言っても草間の仕事を手伝う位だ。ただの骨董屋ではない。アングラ情報にも通じている筈なのだ、が。
「愛用のスーパーカブに跨って出かけたみたい。さくらさんが言っていたわ」
 住み込みで櫻月堂を手伝っている女性――さくらの、申し訳なさげな声と言葉を脳裏で要約してシュラインは草間に告げた。
「ついでにサイトの方も」
 服の端程度でもひっかかれば、と胡散臭いサイトに「美味しいジェリービーンズ求む」と書き込みしたのだが、今のところは反応なかった。
「そっか、寒河江に連絡しておくかな。あいつ報道部だし何かわかるかもしれないな」
 吐息で前髪を払いながら草間がいうと、面白がるような目で二人を見ていた暁文がポケットからビニールパックを取り出した。袋の中にはオレンジ色のジェリービーンズが五つ。
「これの事か?」
 驚いたように草間が飛び起きると、暁文が草間の胸もとに向かってビニールパックを放り投げた。
「どうやってこいつを手に入れたんだ? 買ったのか?」
「誰がガキのお菓子に金払うって言うんだよ。――勝手に暴れられるとこっちの仕事もやりにくいんだよ。迷惑ついでにお灸据えてやろうとおもったら「そっち系」らしくてな。どうせあんたの所にも話が来てるだろうとおもって、顔出したワケだ」
 両手を頭の後ろで組むと、暁文はソファーに背中を預けた。
 「そっち系」――つまり魔術や呪術系統だから、現品は入手したもののそこから先が判らない、という状況なのだろう。
「種類は全部で七色。ええと? 赤・橙・黄・緑・青・藍・紫ってな。虹色なわけだ」
 早口言葉のごとくよどみなく言い切ると、草間の胸ポケットからタバコを拝借して吸い始めた。
「ミツバチのやつら、用心深いのか臆病なのか、赤の売人は橙の売人としか連絡が取れない。橙は赤と黄色、自分の下っ端と上役だな。で、そういう段階を踏んでどんどん強い麻薬効果のある「ジェリービーンズ」漬けにしていってるそうだ。「紫」は通称「女王」からしか貰えないんだと。だが、女王に会う頃はすっかり「ジェリービーンズ」なしには生きられない中毒患者になっちまってるって寸法だ」
「警察の資料にも大体同じ事が書いてあるわ。ただ、全部の色までは判ってないみたいだけど。それにしても――ミツバチの女王か。一体どんな女王蜂なのやら」
 シュラインの言葉にもっともだと言いたげにうなづくと、暁文は長く細くタバコの煙を吐き出した。
 草間は窓から入り込んでくる光に照らすようにして、ビニールの中のジェリービーンズをにらんでいた。
 どこからどうみても、お菓子のジェリービーンズと変わりない。
「何かが含まれているにしても、お菓子の材料がないと作れないわね。製菓関係を調べてみるのも一つの手ね。原材料とか」
「なるほど、確かに材料が無ければ作れないな。よし、そっちから当たって貰うか」
「げー。俺に菓子屋巡りさせるつもりかよ」
 眉を寄せ口を引きつらせながら、暁文が文句を言うが早いかシュラインが毅然と言い捨てた。
「あんた、通り魔がうろうろしてる街に私一人でいけって言うんじゃないでしょうね?」
 前回の狗神事件の時は煙に巻かれてしまったが、二度目を許すほどシュラインは甘くない。
「もちろん、ついてきてくれるわね?」
 にっこりと、それはもうイエス・キリストを抱く聖母のようにシュラインはほほえんで見せた。
 微笑みの向こうに、修羅も真っ青の「無言の圧力」を背負っていたのは――言うまでもない。


■15:00 警察庁・G2■

 捜査員達が作業する部屋の隣、ほんの六畳程度の広さしかない応接室。
 そこに三人の人影があった。
 一人は言うまでもない、この事件を担当してる警察の調査官である榊千尋。
 榊に招かれるように現れたのは、黒豹のように無駄のない体と機敏な動作、そして月に照らされた水面のように輝く切れ長の瞳をもつ女性――公安部から応援として捜査に参加することになった斎木廉。
 人形のように長いまつげをもつ紅の瞳に隠しきれない好奇心をたたえ、会議室のガラス窓越しに捜査員たちの働きを見つめている女子高校生は氷無月亜衣。
 正確を期すならば、ソファーに座っていた亜衣のそばでのどをならす黒猫――亜衣の使い魔であるゼルをいれ、三人と一匹なのだろうが。
「こちら、氷無月亜衣さん。草間さんから紹介していただきました。西洋魔術の方面を担当していただきます」
「よろしくお願いします!」
 勢いよく立ち上がって頭を下げる。ポニーテールが俊敏な獣のように亜衣の動きにあわせてはねた。
「斎木廉。警視庁の刑事よ、よろしく」
 少女の明るさにやや気圧されながら、廉が言うと、少女は廉の手をとってもう一度「よろしくお願いしますね、廉さん」と言った。
 まっすぐで光とか希望に満ちあふれた少女に、どういった微笑みを返して良いか廉が迷っていると、榊が鼻の奥でくすっ、と笑った。そして二人にソファーに座るよう促すと、脇に抱えていた資料をテーブルに並べ始めた。
「取りあえずこれが被害者の胃から摘出されてジェリービーンズです。消化が激しくて原型をとどめていたのはわずかにこの――五色だけですが」
 そういって理科の実験で使うガラス容器、シャーレに入った五つのジェリービーンズを指で指した。
 シャーレの中にあるジェリービーンズは赤・橙・黄・緑・青。窓から漏れる光を受け、まるでプラスティックの飾りのようにてらてらと光っていた。
 千尋はポケットから外科医が手術につかうラテックスグローブを取り出してはめると、シャーレの中からジェリービーンズを一粒ずつつまみだし、白い紙の上に並べて見せた。
「判りますか?」
 抑揚を押さえた静かな声に促され、亜衣が手のひらをジェリービーンズの上にかざし、深呼吸をしてみせる。
 とたんに室内に緊張が走り、空気の流れが一瞬止まった。
 ――空中に小さな光がともる。
 応接室の隅に置いてある観葉植物の葉が風も無いのに揺れ、蛍のように薄緑の光が放射される。
 光はゆっくりと集束しながら亜衣の周りに集い始める。
 会議室の隅に飾ってある花瓶の水が揺れ、小さな水球が空中に飛び出す。水球は無重力状態に置かれているかのように湾曲したり、収縮しながら緑の光と同じように亜衣のそばへと寄ってくる。
 精霊や魔術的な「力」がない廉や千尋にも、それが亜衣の呼び寄せた。否、亜衣の呼びかけに喜んで答えて現れた小さな精霊達だとすぐに理解できた。
 植物の精霊と水の精霊が亜衣を中心に輪舞を踊る。最初はゆったりと、そして徐々に早く。
 そして緑の光と水が一つの帯となって亜衣の体をつつみ、弾けた瞬間、ジェリービーンズがかたかたと揺れ始め、中から光を放ち出す。まるで胎動のように強く、弱く、禍々しく。
 ビキッ、と言う音がしてシャーレにひびが入る。とたんに、亜衣が立ちくらみを起こしたようにソファーに沈み込んだ。
「大罪――」
「え?」
「多分、このジェリービーンズには神に対する「七つの大罪」の「力」が少しずつ封じてあると、思います」
 傲慢、嫉妬、暴食、色欲、怠惰、貪欲、憤怒。
 神を裏切った堕天使達が犯した罪、全ての悪魔に押された堕落の刻印であり象徴。
 それが封じられている、というのだ。
「それだけじゃないわね」
 表情を変えず、ずっと亜衣の手元を、いや、ジェリービーンズを見つめていた廉の瞳が白炎に燃える月のように輝き始める。
 廉は目を細めるとゆっくりと紅い唇を動かした。
「声、そう、声だわ。自分以外の何者かの声――それが急き立てているわ。「罪」に向かって。そして次の「罪」を……いいえ、新たな力を求めてるわ。憤怒より貪欲を、貪欲より怠惰の封じられたジェリービーンズを集めるように、宿主を命じている何者かの「意志」を感じる。そして新たなジェリービーンズを得る度に「意志」は強く凝り固まっていくわ。それに、そう、鼓動を感じるわ。通り魔の者でない別の「生命」……自分の中にいる自分以外の生命。それが声となって「罪」を命じ続ける。朝も夜も無く」
 物に宿った最後の情景、人にあらざる者の正体を見抜く、偽りを許さない瞳の力――歴眼。
 その歴眼が「ジェリービーンズ」に込められた「悪意」を暴き始める。
 休まることなく、延々と「罪」を「悪」を起こせと「何か」が叫んでいるのが廉に伝わってきた。
 人の物ではない声、人より冷徹で負の感情に凝り固まった存在。
 機械的な虫の羽音の様な声がささやく、殺せ、奪え、肉体を我が手に、と。
 耐えること無い呪詛が、ジェリービーンズの虜となった哀れな人間をさいなみ続ける。
「おそらく、このジェリービーンズ七つを全て食べたら「意志」が「肉体」をもって生まれ出てくると思うわ」
 白く細い指を目の上にかざし、廉は「歴眼」を止めた。
「妖魔――かも」
 ぽつりと亜衣が漏らした。
「妖魔? 悪魔ではなく?」
「七つの大罪に力を封じて、人間を養分にして「魔」の力をもつ妖魔を生み出そうと誰かが企んでいるのかもしれない」
 ソファーに座ったままうつむき、膝を握りしめている。
「人間を養分にして生まれてきた「妖魔」は、黒い魔女の「最高の使い魔」になるんです。養分の「人間」が魔力をもっていれば持っているほど、強い「妖魔」が生まれる筈です」
 膝を握りしめる小さな指が、ふるふると震えていた。
 長い髪に隠されて顔は半ば隠されていたが、噛みしめている唇の赤さが少女の怒りを表していた。
「しかし、そうなるとどうして「養分」になる筈の人間が通り魔になって、「妖魔」は生まれなかったのかな?」
 不思議でならない、と言った様子で千尋がつぶやくと、廉がひどく長くため息をついた。
「耐えられなかったのでしょう――「妖魔」の力に。胎動のように奏でられる悪のささやきに」
 人間は純然な善ではない。それと同じように純然な悪でもない。
 通り魔となった人間達。彼らは最初こそ「悪」のささやきを快く感じていたが、「悪」のささやきが強くなる度に苦しんでいったのだろう。己の中の「善意」を「罪の意識」を完全に消し去ることが出来ず。
 そして狂って世界を破壊しようとする。世界が壊れれば「声」は聞こえなくなるから。
 だけど世界を破壊しようと人間を殺しても殺しても、声は聞こえなくならない。
 だから最後に――己を殺し「声」から逃れるのだ。
 最後まで「悪意」の声を耐えきるなど、並の人間や並の術者ではとうてい無理だ。
 だから「ミツバチ」は薬をばらまきながら「妖魔」の「宿主」を探し続けているのだ。
「つまり通り魔になったのは「失敗作」というわけですか……悪質ですね」
「絶対に、許せない。魔術を使い罪なき人々を殺すなんて――使い魔を、ただ強い使い魔を求める為だけに多くの人間を実験台にするなんてっ」
 低い、低いだけに怒りがこもっているのが判る、重苦しい声で亜衣が吐き捨てた。
 自然と共存し、人々の守り手、精霊と人の橋渡しをしてきた「善き魔女」の彼女にとっては、今回の事件の犯人は許されざる裏切り者なのだろう。
 少女の強い断罪の声に、廉と千尋が何も言えず戸惑っていると、不意に応接室の扉が開いて一人の刑事が入ってきた。
「すみません、榊調査官! 新宿サザンテラスで7件目の事件が発生しました! 捜査一課から至急対応してくれと連絡入ってます」
 瞬間、律動的な動きで廉と千尋が立ち上がった。訓練された軍用犬のように鋭い目線が両者の間で交わされる。
 珍しく表情をこわばらせ、千尋は一息に吐き捨てた。
「現場に出ましょう。このままここで考えていてもらちがあきません」と。


 ■15:30 サザンテラス・事件後■

 パトカーの赤い回転灯が休む間なく明滅する。
 警察関係者と野次馬を分ける、黄色い「KEEP OUT」テープが、風にあおられ耳障りな音をたてている。
 鑑識や捜査一課の人間も集まり始め、現場には先ほどとは別の緊張に満たされようとしていた。
 被害者を乗せた救急車が急き立てられるように現場から離れていく。
 いずれも軽傷だったものの、「特異な事件」に巻き込まれた心の傷はそう簡単には治らないだろう。
 そんなことをぼんやり考えながら、斎木廉は足下に横たわる男をみた。
 被害者の血と、己の吐き出した胃液で汚れた男。 
 瞳孔はとうの昔に開ききっており、その男の体に命は無いのだということを告げていた。
 通り魔事件の通報で現場に駆けつけた廉や亜衣がみたのは、少年――草間興信所の依頼で同じ事件を追っている鈴宮北斗が犯人を押さえつけているシーンと、そのあと、犯人が胃液とともにジェリービーンズを吐き出し絶命したシーンであった。
 しかし、とうの北斗は現場にいない。
 犯人が死んでしまった以上、無傷の一般人が現場にいるのは好ましくない。
 そう判断した榊が北斗達を現場から遠ざけさせたのだ。
 第一発見者にして事件の概要を知る者を現場から逃がすなど、捜査妨害と言われても仕方なく、失敗した場合は処罰が下るだろうにと、廉は顔をしかめて注意したが、榊は、事件の概要などは被害者に聞かなくても廉の「歴眼」で知ることができますから、といつものようにとらえどころのない微笑みで答えるだけだった。
「やだっ」
 廉の隣に立っていた亜衣が、小さな声を上げた。
「どうしたの?」
「いま、ジェリービーンズが動いたっ」
 え、と目線を移すと、胃液と血液が混じった水たまりのなかで、ジェリービーンズが明滅しながらうごめいた。
 亜衣があわてて両手で体をかき抱き、怯えた表情でもう一度ジェリービーンズをにらんだ。
「魔力を――感じるわ。ジェリービンズが魔力を吸い取って一つになって生まれようとしているの」
 言葉に促されて廉がジェリービンズを見る。
 と、蜂の影が見えた。
 巨大でナイフのような針を持つ、妖の蜂が。
 はじかれたように廉は榊を探す。と、先ほどまで他の刑事達に指示を与えていた彼は、携帯電話を片手にこわばった表情で廉の方を見ていた。
「斎木さん――シュラインさんから着信がありました。ですが無言のまま切れました」
 その一言で事態を理解した。
 シュライン達が黒幕に遭遇してしまったのだ、と。


■16:30 女王蜂■

 人が消えた。
 車の流れも止まり、時計の針も止まっている。
 それはアルタ前全体が結界に包まれた証であった。
 結界を作った主は、黒いフリルのドレスの裾を風に揺らしながら、ゆっくりとシュライン達の方へと近づいてくる。
「みつけたわ。あなた達みたいに「力」もつモノを探していたのよ。あなた方なら、十分「妖蜂(ようほう)」の宿主になれるわ」
 血のように赤い唇を小さな舌がぺろりとなめながら、少女はくるくると巻かれている己の金髪を指先で弄ぶ。
「本当に、美味しそうな「力」だわ」
 そういってポケットから、懐中時計ほどの紅玉がはめ込まれたペンダントを取り出した。
 紅玉はそれ自身が息吹いているかのように、強く、弱く明滅していた。
 と、ひときわ強く赤い光が紅玉から放たれた瞬間、どこからともなくモーター音に似た音が近づいてきた。
「きゃっ」
「うわっ」
「デカっ!」
 深雪と北斗と暁文が同時に叫び、あわてて自分たちが立っていた場所から飛び退いた。
 黒い影が三人がいた場所を通過していく。
 影は透明で巨大な羽根を間断なく動かしながら、空中に静止した。
 ――それは蜂だった。
 ただし、バスケットボールを二つくっつけた大きさの、つまり異様に図体のでかい蜂だった。
 蜂はぐるぐると旋回しながら、少女の周りに集う。
 数は全部で5匹。
「どう? かわいいでしょう? でもこれだけじゃ足りないわ。もっと仲間が必要なの」
 少女は唇の端をかすかに持ち上げる。太陽の光を受けて少女の頭を飾る冠と妖蜂の羽根がきらりと光った。
「ゴスロリ女!」
「失礼ね、女王様とおよび」
 北斗の言葉に顔をしかめながら、少女は告げ、宝珠を北斗につきだした。
 それがなにかの合図だったように、蜂達が一斉に北斗に襲いかかる!
 あぶない、と深雪が叫ぶより、北斗が逃げるより速く、蜂は針を北斗に向かってつきだした。
「音太刀!」
 凛とした声が響き、空気の対流が変化する。
 と、針を突き刺そうとしていた妖蜂の羽根が風によって切り裂かれ、空中に四散した。
 その隙を狙って北斗はバンダナを頭に巻き付け、力一杯後ろへ跳躍した。
 蜂達の針が空しく空気をかすめる。
「シュラインさん!」
 男にしてはやや高めの声がした。
 声の方に視線を向けると、事件の依頼人である榊警視がトレンチコートの裾をはためかせながら駆け寄ってきた。
「携帯電話が無言のまま切れて――それで、斎木さんと氷無月さんにあなた達を探してもらったんです」
 彼の後ろでは、すんでのところでかまいたちを放ち北斗の身をまもった女刑事――斎木廉が視線を少女に固定したまましっかりと頷いて見せた。
 ちっ、とゴスロリ少女が舌打ちした瞬間、上から大きな影が降りてくる。
 影はゴスロリ少女の真上を通過してシュラインのそばに着地し、いままで自分が乗っていたほうきをくるりと回して見せた。
 その動きに合わせて長い髪を束ねたポニーテールがしなやかな鞭の様に空を打つ。
 「善き魔女」の後継者である氷無月亜衣だ。
「何で殺さなあかんのや! なんでこないな事したんや」
 北斗が叫ぶとゴスロリ少女は鼻をならし黒いブーツのかかとで地面を蹴った。
「決まってるじゃない、私の手下が……強い使い魔が欲しかったからよ」
 だからジェリービンズを「妖蜂」の魔術をかけたジェリービンズを配り、人間の体内に「妖蜂」のカケラを宿らせた。
「――女王蜂の使い魔を作る為に「ミツバチ」を働かせ卵を配った。という訳ですか」
 腹の底から絞り出すような声でつぶやき、榊は歯を食いしばった。
 ジェリービーンズを全て食べた人間、つまり「妖蜂」のカケラは宿った人間の魔力を「エサ」にし、宿主の精神と肉体を犯す。そして……生まれ出るのだ。宿主の内臓を、その体を食い破って!
「この子達がいれば、この宝珠があれば私は何でも出来るわ。魔女というだけで私を足蹴にした馬鹿な奴らを後悔させてやる。何の力も持たない奴らを支配する事ができるのよ!」
 フフフ、と外見からは想像出来ないほど妖艶な表情で少女は笑う。
「許せない」
 魔女というだけで迫害された少女の言い分は判る。しかし、魔術は復讐の為の力ではない。
「魔術を使い、罪なき人々を殺めるあなたたちの所行、許すわけにはいかないわ。『烈光の魔女』の名において断罪します!」
 言うと、亜衣は手にしていたほうきをてばなし、空中に腕をさしのべた。
「空の精霊エアリアルよ、遠き善き魔女との約束を思い出して。そしてどうか私に力を貸して」
 亜衣の声の余韻が消えない内に、空の一転が今まで以上に蒼く染まっていく。
 やがて空の一部分が剥落したかのように、蒼い光のヴェールが亜衣を包み込み、ゆらゆらと揺れながら細身の女性の姿を取った。
「妖蜂の動きを封じて!」
 言うなり、エアリアルが再び蒼い光となり妖蜂達へと向かっていく。
 そして蜂の前でひときわ大きく輝き、光の中に妖蜂達を取り込む。
 とたんに蜂達の羽根の動きが遅くなり、二匹ほど地面へと墜落する。
「やるわね」
 ゴスロリ少女は冷たく言い捨てると、宝珠に息を吹きかけた。
 妖蜂の羽根が再び力を取り戻し、寒河江美雪へ向かって襲いかかる。
「まかせて!」
 短く宣言して深雪は白い手を蜂に向かってつきだした。
「はぁっ!」
 息を吐き出す。と、深雪の手から痛烈な吹雪が放たれ妖蜂を撃ち一瞬にして凍りつかせる。
「くっ!」
 状況が不利になったのか、少女は一歩後ずさって、宝珠を強く握りしめる。と、どこからともなく再び妖蜂が集いはじめた。
 一匹や二匹ではない。
 蜂の巣をつついたように、十匹、二十匹とあらわれ、全員を襲い始める。
「きりがないわ!」
 八匹目の妖蜂を音太刀で蜂をまっぷたつに切断しながら廉が叫んだ。同時に後方に控えていたシュラインが唇をかむ。
「あの宝珠を何とかできれば……」
「ふん、俺がいるって事を忘れてないか?」
 それまで事態の成り行きを見続けていた暁文が口を三日月の形に歪め笑い、ぱちん、と指をならした。
 とたんにシュラインのそばから暁文の姿が消え、ゴスロリ少女の後ろに現れる。
「遊びはここまでだお嬢ちゃん」
 いうなり羽交い締めにする。
「何をっ」
 必死になって少女がもがくが、大の男と少女では基礎体力が違いすぎる。
「いただき!」
 北斗が叫んで、その人を越えた「力」によって一気に少女のそばにかけより手から宝珠をもぎ取り、亜衣に向かって投げつける。
 亜衣は受け取った宝珠を天に掲げた。
「やめて! それを壊さないで!」
 喉を裂きかねないほど高く大きな声で少女が叫ぶ。しかし亜衣は声にかまおうとはしなかった。
「精霊達よ! 私に封印の力をかして」
 亜衣が一息に言う。と、風がうねり木々を揺らす。木々から落ちた葉がくるくると舞いながら宝珠を取り囲む。
 天空から一条の光が亜衣の手にさしこむ。
 パリンとガラスが弾けるような音がして、宝珠から赤い光が放たれる。
 光は瞬く間にあたりを強く照らし、光に照らされた妖蜂たちが次々に地面に墜落し、日に当たったヴァンパイアよりあっけなく灰燼に帰す。
「あ、ああ」
 がっくり、と暁文の腕から滑り落ち、少女が膝をつく。
「そんな、嘘よ、だって私……私、それがないと、駄目なの」
「どんな理由があっても命を奪ったらあかんのや。他人がそないなことしてたとしても、せめて自分だけはやったらあかん。そう思うとかなあかんのや」
 全くな北斗の意見に、深雪も頷く。
 暁文ははっ、と息を吐いた。口に出してないが「甘い」と言いたげなのが表情にありありと表れていた。もっとも、シュラインににらまれ、すぐにそっぽを向いたのだが。
「そして、どんなことがあっても、罪は罪よ」
 あえて感情を感じさせない、抑揚を抑えた声でいうと、廉は手錠を取り出し少女の小さな手首にはめた。
 亜衣には少女の気持ちが痛いほどわかった。
 もし自分も祖母がいなければ、草間興信所で出会った仲間がいなければ、少女のように「力」があるということで迫害されていたのなら、同じ事をしていたかもしれない、と感じたからだ。
 「魔女狩り」は無くなっても「力」持つものに対する偏見や怯えは、まだ根強くこの世界に残っているのだ。
 否、力持つ者に対する怯えが、「魔女狩り」を引き起こしたのだ。
「あの、ね」
 少女にちかより、亜衣はスカートが汚れるのにもかまわず地面に膝をついた。
「それでも、もし、あなたが魔術を悪いことに使わないって、これから、誰も傷つけたりしないって約束してくれるなら、私たち、友達になれるとおもう」
 少女が猜疑心に満ちた目を亜衣にそそぐ。
 と、今度は深雪が少女にほほえみかけて頭を優しくなでた。
「私も亜衣ちゃんと同じかな」
 せや、と北斗がまじめくさった顔でうなづいてみせた。
 長い沈黙の後で、少女がおずおずと三人の顔をうかがい、そして小さく唇をうごかした。
 ――私も、友達が欲しい――と。


■21:00 春の始まり事件の終わり■

「あかん、これ以上食えへんわ!」
 背伸びをし、満足の笑みをたたえながら北斗が言った。
 それはそうでしょうとも、と思いながら深雪は微笑を漏らす。
 事件解決のお礼ということで、榊警視が夕食(しかも何故か石狩鍋だ)をおごってくれたのだ。
 適度な運動の後、しかも食べ盛りの十代、だめ押しに「始めての石狩鍋」なのだ。北斗の食べっぷりの見事さは説明するまでもない。デザートのゆずシャーベットもきっちり胃袋にいれて、すっかり満足しているようだ。
 仕事があるから、と榊と斎木の警察コンビは現場に戻り、道すがらに顔なじみのおねーさん(どう見てもホステスだった)に捕まりオトナの世界へ流れていった暁文をのぞくと、残ったのは深雪と北斗と亜衣の三人だった。
 お腹も満足したし、これから適当にカラオケかゲームセンターにでも行ってお開き、という流れになるのだろう。
「どないしたん? 元気ないな」
 突然北斗に語りかけられ、深雪は驚いた。疲れているが深雪は十分に元気だ。
 ということは、と想い振り返ると、黒猫のゼルを抱きしめながら亜衣が困ったような表情で北斗を見つめていた。
「うん。ちょっと……今日の子、何だかかわいそうだなって。ああなってたのは私かもしれないなって考えてたら、ね」
 言いにくそうに言葉を切りながらぽつぽつと話す。
 相手が同じ「魔女」だっただけに、もしかしたら、どこかで道を間違えていたらと亜衣は考えずにいられなかった。
 自分はたまたま理解者にめぐまれ、能力者を差別しない人たちのいる場所に行き着き、そして草間興信所のように「仲間」が集う場所を探し当てられた。だけど、もし、と考えずにはいられなかった。
 元気ない主のほほをゼルが小さな舌で何度もなめる。しかし亜衣はほほえまない。
 深雪にも亜衣の気持ちは分かる。
 「能力」を持つが故に苦労しているのだ。髪をそめてコンタクトレンズを入れて、誰にもばれないように。
 外見だけではない。
 雪女の血を引いているからか体温は常に三十五度以下だし、夏はどこにいてもだるくて体調が悪い。
 三十歳を過ぎると老化が止まってしまうため、人生の伴侶さがしすら簡単ではない。
 それだけでも十分不利な境遇なのに、「能力者」だと差別されていじめられたら?
 ――あの少女のようにならなかったと誰が言えるのだろうか?
「普通に生まれていたら、こんな事にならなかったのかな。「普通」じゃないから「能力者」は差別されるのかな、って想ってたら、自分も「普通」じゃないからいつかはいじめられたりするのかな、って」
 おびえを隠すように、胸の黒猫を抱きしめる。
 相当きつく抱きしめられて、息苦しいだろうに、ゼルは何も言わずすべらかな毛に包まれた顔を必死に亜衣のほほにすりよせていた。
「せやけど、「普通」ってなんや?」
 人の流れに逆らって北斗は亜衣の正面に立つ。
「「普通」てなんや? 人と同じ事か? そら違うやろ。人間は大なり小なり他と違うんや。やったらみんな「普通」やない。見た目にしろ性格にしろ違うやろ。能力があったら「普通」と違ういうんはおかしいんやないか?」
 ポケットの中のバンダナを指先でいじくりながら北斗が口をとがらせた。
「じゃあ、北斗君は「普通」って何だと想う?」
 亜衣の肩を抱きながら、亜衣の代わりに深雪が尋ねる。と、少年はネオンに照らされ金茶色に染まった髪をかき上げて何でもない事のように言った。
「「普通」っていうのは難しいことやない。「人を傷つけない」ことや。人を傷つけたり殺したりするのは「普通」やない。それは判るやろ」
 亜衣が眼を見開いた。暗く沈んでいた紅の瞳が明るく輝き始めていた。
「人と違うとか、違わないやないで。「普通」っちゅうんは「人を傷つけない」こと。「人が傷ついていたら助けてあげる」事や。どんな姿していても、どんな力もっていても「普通」でいればみんな仲良くできるやろ」
「――そうね」
 底抜けに前向きで明るい少年の言葉に、亜衣の顔に微笑みが戻ってくる。
 少女の胸から黒猫が飛び降り、うれしそうに北斗や深雪、そして亜衣の足下に交互に体をすりよせる。
「ああぁ。考えてばかりであんまりご飯食べなくて損しちゃったな。せっかく榊さんのおごりだったのに」
「じゃあ、私のおごりでジェラート食べに行く? 近くに美味しい店があるのよ」
 深雪が亜衣と北斗の肩を叩いて、ウィンクして見せた。
 と、年上の、しかもみんながあこがれるお天気アナウンサーの深雪にウィンクされたからか、北斗の顔が赤くそまり、それを隠すように北斗はあわてて口を開いて反論した。
「ジェラートって、さっきゆずシャーベットたべたやないか! ジェラートとシャーベットどう違うんや!」
「あら、違うわよ。それにデザートとアイスクリームは別腹だもん。わぁ。嬉しいっ! 私アイスクリームも大好きだけど、ジェラートも好きなんですっ」
「じゃ二人で行っちゃおうか? 北斗君はいらないみたいだもんね」
 女同士顔を寄せ合い、からかうように北斗をみて笑いを漏らす。
「誰が行かんゆーてんねん。行くで! 行かせてもらいますでお姫様がた。どこまでもついてったるで」
 半分やけになりながら叫ぶ北斗をみて、ついに女性陣はお腹を抱えて笑い出した。
 そんな三人をみて冬の輝き星シリウスが困ったように瞬いた。
 冬の最後を告げる風が空の一番高いところを吹き抜けていった。
 きっと桜が咲く日も、遠くない。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0188 斎木・廉(サイキ・レン) 女 24 刑事 】
【0086 シュライン・エマ 女 26 草間興信所事務員&翻訳家&幽霊作家】
【0213 張・暁文(チャン・シャオウェン) 男 24 サラリーマン(自称)】
【0174 寒河江・深雪(さがえ・みゆき)女 22 アナウンサー 】
【0368 氷無月・亜衣(ひなづき・あい) 女 17  魔女(高校生)】
【0262 鈴宮・北斗 (すずみや・ほくと) 男 18 高校生 )】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは! 春なのに〜肩こりですか? の立神勇樹(たつかみ・いさぎ)です。
 さて、今回の事件は「エピローグを除いて時系列順に9シーン」。
 それぞれ「原稿用紙で30枚〜37枚のパラレル構成」になっております。
「なぜこのキャラが、こういう情報をもってこれたのかな?」と思われた方は、他の方の調査ファイルを見てみると、違う角度から事件の本当の姿が見えてくるかもしれません。
 もしこの調査ファイルを呼んで「この能力はこういう演出がいい」とか「こういう過去があるって設定、今度やってみたいな」と思われた方は、テラコンから、メールで教えてくださると嬉しいです。
 あなたと私で、ここではない、別の世界をじっくり冒険できたらいいな、と思ってます。

 はじめまして氷無月亜衣さん。
 今回は立神のシナリオに参加していただきありがとうございました。
 相手が魔女という事もあり、ああいうエピローグ&解決になりましたがいかがでしたでしょうか?(かなり心臓バクバクしてます(笑))

 では、再び不可思議な事件でお会いできることを祈りつつ。