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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:忍び寄るもの
執筆ライター  :水上雪乃
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜4人(最低数は必ず1人からです)

------<オープニング>--------------------------------------

 春めいた陽射しが事務所の窓越しに注いでいる。
 タバコの煙でリングなどをつくり、デスクに両足を投げ出している男がいる。
 草間武彦。
 この興信所の所長であり、怪奇探偵として知られている男だ。
 まあ、現在のだらしないの様子を垣間見たものは、とても高名な探偵だとは思わないだろう。
 ヒマなのだから仕方がないが。
「あ〜 どっかに美味い話でも転がってねえかなぁ」
 煙と一緒に、たわけた台詞を吐き出す。
 美味しい話など滅多に転がっているものではない。
 もし転がっていたとしても、デスクでくつろいでいるだけの人間に拾えるわけもない。
 と、耳障りな電子音が鳴り響く。
 電話だ。どうせ、またロクでもない依頼だろう。
 やる気なさそうに、受話器に手を伸ばす。
 だが、数分の通話の後、彼の背筋はぴんと伸び、瞳には爛々とした輝きが戻った。
 身辺警護の依頼である。
 依頼主は、中堅商事会社の社長。
 最近、娘がストーカー被害にあっている。娘の身辺を守り、できればストーカー男を捕らえて欲しい。
 と、これが大体の依頼内容だった。
 美味しいこととは、このようなことを指していうのだ。
 簡単な仕事で、しかも高額の報酬が期待できる。
 嬉しそうに、脳細胞に収納されている人名録をめくる草間だった。


※水上雪乃の新作シナリオは、毎週月曜日と木曜日にアップされます。
 受付開始は、午後7時からです。

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忍び寄るもの
 窓越しに注ぐ暖かい陽射しのなか、事務所内を眠りの精霊たちが飛び回る。
 春ともなれば、午後の業務に身が入らないのは仕方のないことだ。
 きっと、人間の遺伝子は、午睡の誘惑には勝てないように最初からインプットされているのだろう。
 えらく勝手な理屈を考えながら、青い目の女性がパイプ椅子の背もたれに寄りかかった。
 シュライン・エマである。
 働き者の彼女の脳細胞も、ときとして休息を要求する。
 だが、シュラインは頭を振って睡魔を祓った。こんなところでうたた寝などをしては、どのような悪戯をされるか知れたものではない。女性の寝顔に落書きくらいしそうな男が、事務所にはいるのだ。
 せめて、優しいキスで起こしてくれるとかだったら、安心して寝られるのに。
 埒もないことを思う。
 あの男がそんな洒落たことをするようになるには、あと八億年ほど修行を積む必要があるだろう。
「その前に老衰で死ぬわね。カクジツに」
 苦笑を浮かべたシュラインの耳に、扉の開く音が聞こえた。
 来客だろうか。
 やや慌てて表情を整え、衝立の向こう側へと移動する。
 しかし、そこに立っていたのは依頼客ではなかった。
 黒い髪と黒い瞳。身長はシュラインに及ばないが、どこかエキゾチックな雰囲気を漂わせる顔は、彼女におさおさ劣らぬほど美しい。
 杜こだまという姓名を持つ、香港からの留学生だ。
 シュラインの友人でもある。
「久しぶりじゃない。どうしてたの?」
「年度末の試験で忙しかった。それより何か仕事はないか?」
 ごく簡潔な答えとともに質問を発する。
 素っ気ない口調だが、べつに悪意があるわけではない。
「金欠?」
「このまま事態が推移すると、私の食生活は一週間後、カップラーメンのみになる」
 こだまらしい言い草に、思わずシュラインが苦笑を浮かべる。
 もっとも、黒髪の風水師としては、事実を事実として語っているだけなのだが。
 まったく日本の物価は高すぎる。
「タイミングよかったわね。大口の仕事があるわ。ストーカー絡みだけど、受ける?」
 笑いを収めたシュラインが言う。
「女性の敵というわけか。面子は?」
「私と直親さん。それに響と高御堂くん。こだまを入れて五人ね」
「多すぎないか?」
「調査員の人数が増えるほど報酬額も大きくなるから。そうなると喜ぶ人がいるわけよ」
 ちらりと事務所の奥に視線を走らせ、軽い皮肉を飛ばすシュライン。
 そんなに無理しなくてもいいのに、と、表情で語りながらこだまは口を開く。
「わかった、受けさせてもらおう。ところで、高御堂というのは誰だ?」
「ああ、こだまは会ったことなかったわね。後でちゃんと紹介するわ」
「美形か?」
「武彦さんより、ちょろっとだけ上かもね」
 冗談めかしたシュラインに、こだまは曖昧な笑みを浮かべた。
 返答の難しい台詞である。
 それは凄いと驚くのもわざとらしいし、草間よりも少し上というのなら大したことないと切り返してはシュラインが可哀想だ。
 自分で振った話題にも関わらず思い悩む年少の友人に、
「みんなが来るまでくつろいでて、今、お茶煎れるから」
 と、無邪気に笑うシュラインだった。

 同じ東京の空の下、二人の美女に噂されていた高御堂将人は、べつにくしゃみを連発していたりしなかった。
 冷笑的な黒い瞳を素通しの眼鏡に隠し、黙々と通常業務に勤しんでいる。
 彼の仕事は、国会図書館の司書だ。
 その美貌によって若い女性の利用者から絶大な人気を博しているが、本人としては大して嬉しくもない。これも仕事の内と思って、いつもの柔らかい笑みで応対しているだけである。
 高御堂の精神の海底には氷結した部分があり、他者の干渉を嫌うのだ。
 故に、人の心に踏み込むことはないし、踏み込ませることもない。
 人好きする微笑も柔らかな物腰も、全ては表層上のことだ。彼は、深刻に他人を憎悪したことがなかった。逆の言い方をすれば、真剣に人を愛したことがない、ということになるだろう。
 草間からの連絡が受けたとき、最初は断ろうかと思った。泥沼のような人間関係に深入りするのが嫌だったからだ。
 しかし、結局のところ彼は承諾の意志を示すこととなる。
 色々と複雑な事情と打算があるが、要するに好奇心に負けたのだ。
 趣向の問題は置くとしても、退屈だけはしないだろう。
 被害者の女性には気の毒だが、愉悦の具となってもらう。彼の楽しみと被害者の人権、どちらが重要なのかは一目瞭然なのだ。まあ、仕事はきちんとこなすつもりだから問題はあるまい。
 軽く書類を整理し、高御堂は席を立った。
 早退を願い出るためである。普通なら容易には認められないだろうそれも、彼の場合には困難な作業ではない。
 まったく、持つべきものは女性の上司である。
 説得する彼の顔には、蠱惑的な微笑が張り付いていた。
 メフィストフィレスすら鼻白むほどの。

「ストーカーってのは、極端な努力至上主義者なのよ」
「努力?」
 不知火響の言葉に、久我直親が胡乱げな口調で応じた。
「ストーカーが何の努力をしてる? 嫌われるための努力か? 笑止だな。あいつらはただの暇人で変質者だ」
「まあ、一般論としては確かにそうなんだけどね。精神医学とか心理学では、べつの解釈になるのよ」
 苦笑を浮かべ、足を組む響。
 スリットからこぼれる脚線美は、テーブルの下に隠されて久我には見えなかった。
 響の勤務する高校から程近い喫茶店である。
 部外者である久我は学校に入れないし、響としても変な噂が立つのは好ましくない。外で逢うしかないのだ。
 もっとも、いかに外部で面会しても、充分に人目を惹く二人なのは間違いなかろう。
 妖艶な美女と堂々たる美丈夫だからだ。
「解釈ね。解釈より事実の方が重要だと思うがね、俺は」
「それは正論ね。でも、世の中の人間すべてが正論に基づいて行動しているわけじゃないわ」
 しかし、交わされる会話は至って散文的なものであった。
 仕方のないことではある。彼らは恋人ではなく職務上のパートナーに過ぎないのだから。
「要するに彼らが行うストーキングは、一途で純粋な愛のカタチなわけよ」
 コーヒーカップに形だけ口を付けた響が、戯けた口調で説明を始める。
 普通に考えれば、他人の後をつけまわすなど異常な行為だ。だが、ストーカーたちにも主張すべきことがあるだろう。
 希望は通じる。努力は絶対酬われる。
 結局のところ、これがストーカーの行動原理なのだ。
 愛されたいという希望、側にいたいという努力。本来、このような感情は誰でも持っている。それが歪んだ形で発現したのがストーカーである。
 言い換えれば、誰もがストーカーになる可能性を秘めている。
 恋は盲目という言葉があるが、それを極端にしたのがストーカーだ。
「周囲の迷惑も相手の意志も見えなくなってるってわけか」
 黒髪の陰陽師が思慮深げに腕を組む。
「まあね。だいたいは恋に未熟な人間が、こういう行為に走りやすいわ」
 響が唇の両端を上げる。白い顔と紅い唇のコントラストがなまめかしい。
 果たして、この妖艶な女教師は幾つの恋を経験してきたのか。
 なんとなく久我は知りたくなったが、口に出したのは別のことだった。
「未熟者の未熟者たる所以とは?」
「独占欲よ」
 簡潔に響が答え、久我が苦笑を浮かべる。
 この場合の独占欲とは、物質的なものに留まらない。むしろ、精神的な意味合いの方が強いだろう。
 どんな人間にもプライベートがある。それは当然のことだ。知人だろうと友人だろうと恋人だろうと夫婦だろうと肉親だろうと。必ず、人には見せない部分を持っているのだ。
 ところが、愛が深まるにつれ、人間はその秘密の部分を知りたくなってくる。
 どんなテレビを見、どんな音楽を聴き、どんな食事をとるのか。このような些細なものから、誰と会い、誰と電話し、誰に手紙を書くのか、という完全に個人的なものまで、知りたくて知りたくて堪らなくなるのだ。
 これが更にエスカレートすると、どんな下着を身につけ、どんな格好で眠り、誰と性交するのか、という次元に達する。
 ここまでくると変質者の域だが、思うだけならば犯罪ではない。多かれ少なかれ、独占欲は誰でも持っているものである。
 恋とは、そういった未知の部分を含めて楽しむものだ。秘密やスリルのない恋など面白いはずがない。成熟した大人はそのあたりを心得ているが、未熟者には理解できないのだろう。
 そして、未熟者の内の何パーセントかが、実際にストーカーになってしまう。
「不毛だな。愛するが故に嫌われる行為をする、か」
 コーヒーの香気とともに、久我が慨嘆の吐息を吐く。
 やれやれと、響も肩をすくめた。
 まったく、不毛な話であり不毛な結論である。
 面白くもなさそうな表情で、二人は席を立った。
 陰気な議論をしていても、何の役立にもたない。彼らは哲学者ではなく実際家なのだ。真理を追究するよりも事件を解決しなくてはならなかった。

 巨大な黒い翼が空を覆い、昼の勢力は天界の支配権を失う。
 繚乱たる星々のため、地母神は貯め込んでいた熱を貢ぎ、卑小な人間どもは寒風にさらされる。
 吐き出す息が白い靄となって空中にわだかまる。
 集まった五人の探偵たちは、一様にコートの襟をあわせ、眼前にそびえ立つビルディングを眺めやった。
 佐島商事。今回のターゲットである佐島翔子(さじま しょうこ)が勤務する会社だ。
 中堅の商事会社という話だったが、なかなか立派な城構えである。
「翔子は去年大学を卒業し、父親である社長、つまり今回の依頼者だが、そいつの秘書のようなことをしているらしい。社長の娘ということで、狙っている男も多いそうだ」
 久我が簡単に説明する。
 他の探偵たちに先行して、日中にある程度までは調べ上げているのだ。このあたり、フリーランスで動ける彼は仕事が早い。
 その事前調査によると、翔子の評判は悪いものではなかった。少し神経質な点はあるものの、楚々たる美人で愛想も良く家柄も上々だ、というわけである。
「まあ、社内に限った話ではあるがね」
「どういうこと?」
 皮肉げな口調の陰陽師に、シュラインが問い返す。
「昔から言うだろ。女は無数の顔を持つってな。今時の若い女が、見た目どおりの中身なんてこと滅多にないさ」
 偏見を込めた言い草だった。
 こだまが嫌な顔をし、高御堂が薄く笑う。
 前者は同じ女性としての、後者は騒動師としての表情だっただろう。
「ま、その娘の性格はともかくとして、妬まれたり嫉まりたりする理由は、充分にあるわけね」
 年少組の表情を興味深そうに観察しながら、最年長の女教師が話題を切り替えた。
 実際、金持ちで美人というだけで、嫉妬心を煽る要素は充分である。どちらも「本人」の努力の結果として得られたものではないが、それだけに小人が敵愾心を燃やすのだ。
「となると、怨恨の線を消して考えることはできないか‥‥」
 シュラインが腕を組んだ。
 単なる愛情のもつれだけでないとすれば、調査の難易度は更に高まる。
「ついでに、翔子と同ゼミだったヤツで、就職にあぶれたのが一五人ほどいるな」
 追い打ちをかけるように久我が言った。
 就職できなかった恨みの矛先を、就職したものへ向ける。珍しくもない心理だ。まして、翔子のようにコネ入社した人間にならば、なおさらだ。
「コネ入社なんですか?」
「本当のところは判らん。だが、そう疑われても仕方のない立場ではあるな。そして、事実よりも思い込みの方が大切な人間はどこにでもいる」
 高御堂の質問に、久我が肩をすくめる。
「わからないな。言いたいことがあるなら、直接言えば良い」
 憤慨したこだまが腰に両手をあてた。
 たしかに彼女の意見は正論だが、そんなことのできる人間ならば、そもそもストーキングのような卑劣な行為はしない。
「即断は禁物よ。まだ犯人が定まったわけじゃないわ」
 響がたしなめる。
 犯人が翔子に恨みをもつものと決まったわけではない。今回は、蓋を開けてみなければ判らないことが多すぎるのだ。この段階で犯人を特定しては危険であろう。
 それに、と、響は言いかけ、喉元で言葉を飲み込んだ。
 右手には翔子の顔写真が握られている。
 考えすぎということもあるわ。
 内心に呟いて頭を振る黒髪の女教師だった。

 さて、ターゲットと面会した探偵たちは、短い協議の末にオーソドックスな手段を取ることにした。
 つまり、翔子に張り付いて護衛する。
 最も安全で確実な方法だ。ただ、犯人を捕らえるのに時間がかかるかもしれない。
 ターゲットが一人でなければ、犯人は容易に姿を見せないだろうから。
 しかし、まさか素人の女性を使って囮捜査のようなことはできないのだ。これには二つの理由がある。
 一つ目は、ターゲットを危険に晒してはいけないということ。これは警護の根本である。もう一つは、護衛されてると知ったターゲットの問題だ。警戒心を持続させようと安心しきろうと、どうしても態度が変わることとなる。そうなった場合、犯人に不審を抱かせてしまうかもしれない。否、翔子の生活を細密に監視しているのなら、間違いなく気付くだろう。
 それで犯人が警戒してしまったら、そもそも囮捜査の意味がない。
 したがって、探偵たちとしては安全策を選択したのである。犯人を過大評価している感もあるが、この場合、警戒しすぎということはないのだ。
 ただ、問題は誰が翔子に張り付くか、であった。
 まず候補から外されたのは、久我と高御堂である。理由は単純で、翔子が男と一緒に歩いているのを目撃した犯人が突発的な行動に走る可能性を考慮したからだ。やはりここは、女性がガードに付くべきだろう。
 とはいえ、ばか正直に響とシュラインとこだまをつけるほど、探偵たちは純朴ではない。
 ターゲットにすら言っていないが、彼らは一石を投じて二鳥を落とすつもりだった。
 具体的には、シュラインとこだまがガードにつく。探知能力の高い二人だ。響と久我と高御堂は、離れたところからのサポートである。戦闘能力の高い三人が左右と後方を固めていれば、どの方向から犯人が現れても対処が簡単だろう。
 要するに、犯人が現れない可能性をターゲットに示唆しておき、その実、即応体制を整えておく。
 二重三重の網を張り巡らせるのだ。
 周到な準備と大胆な発想、これこそ怪奇探偵の本領である。
 こうして、長期戦を覚悟した警護劇が幕を開けたのだが、状況の変化は、全員の予想を裏切る速さで訪れた。
「シュライン、気付いているか?」
 こだまの唇が動く。紡ぎ出されたのは極めて小さな声だ。おそらくは、呼びかけられた当人以外には聞き取れまい。
 軽くシュラインが頷いた。
 月と街灯のみが、彼女らの影を路上に映し出している。
 会社からの帰路である。幾本かの電車を乗り継ぎ、駅から自宅までは徒歩移動だった。さすがに、専属運転手などはいないらしい。
 父親は社長でも、娘はただのOLというところだろうか。
 そんなことを考えながら、青い目の美女が、ふたたび聴覚に意識を集中した。
 たしかに、足音が増えている。
 うっすらとした笑みが、秀麗な顔を彩った。
 どうやら獲物は、意外に早く網にかかったらしい。
「でも、まだ判らないな。意識はこっちに向いているが、敵意や害意じゃない」
 慎重にこだまが判断する。風水師の彼女には、気の流れが判るのだ。
 やはり愛情過多のストーカーだったのだろうか。
「ひとつ、気が付いたことがあるわ。足音、息づかい、何か武道の訓練を受けたヤツね」
 歩調を変えず、後ろを振り向くこともせず、シュラインが言った。
「‥‥三人も動き出した。仕掛けるつもりだな」
 黒髪の風水師も前を向いたまま淡々と語る。
 三人とは、むろん、響、久我、高御堂である。彼らもまた追跡者に気が付いていた。少しずつ、包囲の鉄環を狭めている。
 この追跡者が犯人だと見極めたのだ。
 あるいは、時期尚早かもしれないが、爪弾いてみなければ弦の調子もわからない。
 無限の数秒が流れ、突然、状況が動いた。
 フィルムのコマが飛んだように。
 巨大な鴉(からす)が闇色の翼を広げ、追跡者に襲いかかる。
 高御堂の式神だ。
 とてもそうは見えないが、彼は先制攻撃を躊躇わないタイプなのだ。それに、高御堂の判断は正しい。
 彼らは警察官ではなく、逮捕権を持っていない。できるのは現行犯逮捕だけだ。ということは、証拠を揃えてストーカーを追い詰めることなどできないのだ。加えて、犯人を警察に引き渡したとしても立件に時間がかかるし、裁判にはもっと時間がかかる。だいたい、この国の裁判制度は被害者に優しくない。
 ここは、痛い目に逢わせて、退散していただくのが上策だろう。それも、中途半端では駄目だ。心胆を寒からしめるほどでなくては、必ず敵愾心を燃やしてくる。極端な言い方をすれば、ターゲットに手を出したら殺される、くらいまで思い込ませないと。
 高御堂の意図は、一瞬のうちに響と久我に伝播し、二人は颶風(ぐふう)となって追跡者に肉迫した。
 と、久我の身体が宙に浮く。
 追跡者に投げ飛ばされたのだ。だが、黒髪の陰陽師は猫のように空中で姿勢を整え、全くダメージを受けずに着地した。
「借力‥‥合気道か」
 むしろ楽しそうに言う。
「ちょ、ちょっと待って!」
 追跡者が狼狽えた声を出す。
 まだ若い、否、幼いとすらいえる男の声だった。
 むろん、それで三人の動きが止まるわけがない。響の鞭が容赦なく少年の足に絡みつき、ぶざまに転倒させる。
「眼球をくり抜いて差し上げましょう。闇の中こそがあなたに相応しい世界です」
 鴉を肩に留まらせた高御堂が、微笑を浮かべたまま恐ろしいことを口にする。
 地面に這いつくばる少年には、とても冗談には聞こえなかった。
 それもそのはずである。鴉を連れた青年は冗談など言っていないのだから。
 もしもこのとき、シュラインとこだまが割って入らなければ、高御堂は式神に命令を実行させていただろう。
 ところで、翔子とともに先に進んでいた二人が舞い戻ってきたのには、多少の事情がある。少年の声に聞きおぼえがあったのだ。
 こだまが、少年の背中をローヒールで踏みつけた。
「‥‥心、どうしてくれようかしら‥‥」
 シュラインも情けなさそうな顔で首を振った。
「‥‥まさか心くんがストーカーにまで身を墜とすなんて‥‥」
 なんとこの少年、シュラインとこだまの共通の知己だったのだ。
 名を、雪村心という。
 都内の男子校に通う高校生で、実家は富豪のはずだ。顔立ちも秀麗だし、成績も良いと聞く。何不自由ない環境にあったからこそ、このような犯罪行為に走ってしまったのだろうか‥‥
 奇しくも同じ感慨を胸に抱き、深い溜息をつく二人。
「違うって! 僕はストーカーじゃない!! 嘘だと思ったら草間さんに聞いてよ!!」
 その心を読んだように、雪村が反論する。
 探偵たちは顔を見合わせ、こだまが雪村の背中から足を退けた。
 危うく圧死をまぬがれた黒髪の少年が、立ち上がって説明を始める。
 翔子は所在なさげにたたずみながら、左手で携帯電話を弄んでいた。
 響と高御堂がちらりとそれを見遣ったが、口に出しては何も言わなかった。

 発端は、しばらく前に遡る。
 その日、雪村は草間興信所を訪れ、こだまがストーカー被害の調査を引き受けたことを知った。
 ストーカーなどというものは、まったく得体の知れないもの。
 若い彼が、そう考えたとしても無理はない。
 雪村は思った。こだまをそんな危険な目に遭わせることはできない、と。
 少年はこだまを護りたいと思い、中年以前は調査担当者が増えれば報酬額も増えると目算を立てた。
 どちらが純粋であるかは一目瞭然であるが、双方の利害は一致する。
 かくして、敢然と雪村は行動を開始した。
 だが、彼は事務所を去り際に、致命的な一言を残してしまったのだ。
 曰く、
「こだまさんには内緒にしてください‥‥僕は、別行動をとりますから‥‥」
 草間は驚いたが、雪村の男としてのプライドは判らなくもなかったので、軽く頷いて了承してしまう。
 先発しているメンバーを思い浮かべ、安心しきっていたのかもしれない。
 もちろん、それは過大評価というものである。
 響も、久我も、シュラインも、高御堂も、こだまも、信頼と尊敬に値する知性の持ち主だが、人間なのだ。すなわち、人間である以上、無謬ではいられない。
 過誤や過失を犯さぬはずがないのだ。
 草間にもう少し配慮があれば、こだま以外の先発メンバーに、雪村の参加を連絡したであろう。これならば、こだまには内緒にするという約束は破っていない。
 この時点で草間は失念している。
 機敏で知恵がまわるとはいえ、雪村はまだ一五歳なのだ。むしろ、怒ってでも皆と一緒に行動させるべきである。
 行動は複数で、単独行動のときは連絡を欠かさない。
 これは、パリ第二大学の探偵科でも教えている探偵学の基本だ。
 怠ったために最悪の事態を招いたことは、歴史上いくらでも存在する。
 周囲の優秀さに安心して基本を疎かにするとは、草間らしくもない失敗だった。
 そしてその失敗の直接被害者となったのが、実働しているメンバーである。
 しかも間の悪いことに、雪村と面識のある人間はシュラインとこだましかいなかった。
 まあ、先発している高御堂も、シュライン以外は初対面だが、こちらはきちんと紹介がなされている。
 ともかくも、雪村は歩いているターゲット(とこだま)を遠くから護衛し、結果として疑われることになった。
 疑いが晴れたから笑い話で済むが、可能性としてはストーカーの汚名を着せられることも有り得たのだ。
 雪村としては、幸運を祝う気にはなれなかった。
 それでも少しだけ嬉しかったのは、こだまが彼の服に付いた埃を手ずから払ってくれ、
「勝手な行動をするな。‥‥心配するだろう」
 などと言ってくれたことだ。
 まったく、ついているのかいないのか。

 と、紆余曲折はあったものの、一人増えた探偵たちは、無事に佐島邸へと到着した。
 結局、雪村の登場以外、尾行らしいものもなく一安心である。
 それともやはり、護衛がいることで警戒されたのだろうか。
 どちらにしても今日明日になんとかなるという類の依頼ではない。相手がしびれを切らすまで、辛抱強く待ち続けるしかなかろう。
 むろん、ただ待つわけではない。
 些細な情報も漏らさず集め、感覚を鋭くして犯人を待ちかまえるのだ。
 その一環として、探偵たちは二階にある翔子の部屋を見せてもらった。
「きれいに片づいているわね」
 響が感歎の声をあげるほど、彼女の私室は整理されていた。
 まるでモデルルームのようだ。
 そういえば、少し神経質だという噂もあったな。
 独自で集めた情報を反芻するように、久我が胸中に呟く。
「‥‥また、入られてるわ‥‥」
 怯えながら翔子が両手で自分の肩を抱いた。
 シュラインが不審顔をする。
 たしかに、片づいている部屋の方が、痕跡が残りやすいともいうが‥‥。
「とりあえず、出勤前と変わっている点を教えてください」
 違和感未満のようなものを感じつつも、定型的な台詞で翔子を促した。
「ベッドに置いてある目覚まし時計が少しずれています。花瓶の花も、朝とは角度が違うようです」
 ぽつりぽつりと翔子が言う。
「ほう。細かいところまで良く気が付きますね」
 優しげな微笑のまま、高御堂が皮肉った。
 人間の記憶など曖昧なものだ。些細な部分まで完璧に憶えていられるはずがない。
 だが、彼の皮肉に気付かぬ様子で、翔子が続けた。
「はい。自分の部屋のことですから」
 おかしい。普通は、自分の部屋だから気が付かないのだ。人間がものを失くすとき、その発生場所は自宅がほとんどである。くつろげる場所だからこそ油断が生じるのだ。それとも、この女性にとっては自室はくつろげる空間ではないのか。
 軽く振られた高御堂の頭では、既に面白くもない推論が完成しつつあった。
「さて、そろそろ夜も更けて参りました。私たちはこれでお暇しますが、常に近辺に気を配っております。安心してお休みください」
 丁寧な口調で響が言い、仲間たちを促す。
 なんとなく釈然としない様子を見せるものもいたが、重ねて促され、全員が退出した。
 やがて、佐島邸を後にした探偵たちが、重い溜息をつく。
 家の外部を警護しなくてはならないから、ではない。
「‥‥狂言、だな」
 苦々しく、久我が呟いた。
「あの人、タンスの中身を確認しなかった」
 こだまもまた、苦い吐息をつく。
 普通、誰かに侵入されたと思ったら、まずは貴重品を確認するだろう。この場合だと侵入者はストーカーだと予測されるわけで、一般的な女性であれば下着類を一番にチェックするのではないか。
 この一事だけでも、翔子に不審を抱くには充分だ。
「問題は、どうして彼女が嘘をついたかってことよね‥‥」
「あら? 彼女は嘘ついてないわよ」
 腕を組んだシュラインに、響が意外な一言を投げかける。
「そうですねぇ」
「僕もそう思う」
 だが、高御堂と雪村が頷いた。
「僕の学校でもいるよ。携帯をずっと手放さないヤツ。電話もメールも入ってないのに、ちょくちょく確認するんだ。あの人も、そうだったね。でも、結局会社を出てから今まで、一本の電話もない。きっと、かかってきたような気がしてるんだよ」
 抽象的なことを言う雪村。
 一瞬の空白の後、久我とシュラインとこだまの顔に理解が広がる。
 黒髪の少年が言った状態から一歩進めると、尾行られている気がする、部屋に入られた気がする、と、こうなるだろう
「インビジブルストーカーよ」
「姿なき忍び寄るもの、ストーカーという言葉の語源ですね」
 響の言葉を高御堂が補強した。
 このインビジブルストーカーは、絶対、人の目には見えない。なぜなら、人の心が生み出した魔物だからだ。
 より心理学的にいうなら、ストレスや自意識過剰や罪悪感によって生み出された、誤認や錯覚、ということになる。
 翔子の場合は、学生時代の生活と現在の生活の差異によるストレス、過敏なまでの神経質さからくる自意識過剰、就職難で仕事のない学友への罪悪感、すべてが当てはまるのだ。
「彼女に必要なのは探偵じゃないわ。心療内科医よ、残念ながら」
 少しだけ悲しげな呟きを響が漏らす。
 あるいは、精神を患って死んでいった患者たちに、翔子の姿を重ねたのだろうか。
 かける言葉を持たず、五人の男女が、それを見つめていた。
 夜風が、弱く脆い人間たちを嘲笑うかのように、冷たさを増す。
 どうしてか、朝日が待ち遠しかった。

                   終わり

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086/ シュライン・エマ /女  / 26 / 翻訳家 興信所事務員
  (しゅらいん・えま)
0092/ 高御堂・将人   /男  / 25 / 図書館司書
  (たかみどう・まさと)
0095/ 久我・直親    /男  / 27 / 陰陽師
  (くが・なおちか)
0030/ 杜・こだま    /女  / 21 / 大学生 風水師
  (もり・こだま)
0303/ 雪村・心     /男  / 15 / 高校生
  (ゆきむら・しん)
0116/ 不知火・響    /女  / 28 / 臨時教師
  (しらぬい・ひびき)

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■         ライター通信          ■
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毎度のご注文ありがとうございました。
忍び寄るもの、お届けいたします。
少し切ないラストになりましたが、
楽しんでいただけたら幸いです。
今回のテーマは、人の心に潜む闇、という感じでしょうか。
お客さまの推理はあたりましたか?

では、またお目にかかれることを祈って。