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タヌキ少女をうち負かせ!
<オープニング>
「タヌキに取り憑かれてしまいました。助けてください」
月刊アトラスの編集部に姿を現すなり、一人の少女が深々と頭を下げた。
突然の珍客に、デスクの前で原稿の打ち合わせをしていた碇と三下は顔を見合わせる。
「私は栗本狸子(くりもと りこ)といいます。ちなみに月刊アトラスは二年契約で定期購読してます」
顔を上げた少女は、小柄な体と栗色の短い髪が特徴的な可愛らしい女の子である。目つきがぼうっとしていて、どこか眠たそうに見える。
「突然すぎて話が見えないんだけど……詳しく説明してもらえるかしら?」
愛読者を主張されてしまっては追い払うわけにもいかず、碇麗香はとりあえず話を聞く体勢をとる。
「私に乱暴者のタヌキの霊が取り憑いているんです。そのタヌキの霊……タヌ吉様がおっしゃるには、誰かがタヌ吉様と勝負して勝たないかぎり、ずっと取り憑いたままなんだそうです」
「ヤバいですよ編集長。この子、電波……」
バシンッッ!
碇に囁きかけた三下の顔面に、分厚いファイルケースがぶちあたる。誰もファイルケースに触れてはいない。
「おごっ!」
「ああ、また犠牲者が出てしまいました。お怒りをお鎮めください、タヌ吉様」
まるきり棒読みの口調で言う少女に、碇はさすがに冷静にたずねる。
「……それで、勝負っていうのは?」
「アトラスさんなら、そういう関係の知り合いがたくさんいらっしゃいますよね。協力してもらえそうな人のプロフィールを見せてもらえますか?」
ここはヘタに逆らわないほうが良さそうだ。デスクにたてかけたファイルから何枚か資料を抜き取り、狸子に見せる。
狸子が書類に目を通し、頷く。
「この人たちの弱点を見抜いて、私が……ごほん。タヌ吉様が一度だけ相手を化かすそうです。それを乗り越えることができれば相手の勝ち。それなりの謝礼を差し上げます。でももし私、もといタヌ吉様が勝った場合は」
ゆっくりと動く狸子の唇の奥に、鋭い犬歯が垣間見える。
「命の保証はしません。……と、タヌ吉様がおっしゃっています」
<前哨戦>
タヌキに取り憑かれたという少女、栗本狸子に指定されたのは夜の公園だった。
さして面積は広くないが、住宅街からは離れている。
周囲を雑木林に囲まれた公園を照らす光源といえば、鈍い明かりを放つ電灯だけである。
「妖の匂いで満たされてますね……お出迎えの準備はすでに万端というところですか」
公園の入り口から、一人の若い女性が園内に足を踏み入れる。
年の頃は二十歳前後、金色の長い髪を後ろでまとめ、緑色の瞳が闇に浮かび上がる。清楚な和服を身に纏い、口許には涼しげな笑みを浮かべている。
骨董屋『櫻月堂』の店員、草壁さくらである。
「さて、問題の女の子はどこにいるんでしょうか?」
「はじめまして、栗本狸子といいます」
「!」
いきなり背後から声をかけられ、さくらは振り返る。
たった今さくらが通ったばかりの入り口に、一人の小柄な少女が立っていた。
歳は十代半ば、栗色のショートカットが似合う可愛らしい女の子だ。無表情、というよりはどこかぼんやりとして眠そうな顔をしている。
驚きはしたが、さくらは穏和な笑みを崩さなかった。物腰柔らかな態度で少女に向き直り、優しい声をかける。
「貴女が狸子様ですね? いつからそこにいたのですか?」
「ごめんなさい。タヌ吉様は人を驚かせるのが好きなんです」
悪びれもせず棒読みの口調で言う少女を、さくらは注意深く観察する。
登場の仕方や話し方はともかく、外見はどこからどう見てもごく普通の女の子である。碇麗香の話を聞いたかぎりでは、タヌキに取り憑かれたというのは方便で少女自身が狸なのではないかと思っていたのだが……。
狸に対する嫌悪を隠し、さくらは静かな口調で狸子に問いかける。
「ちょっとお尋ねしたいことがあるのですが……よろしいですか?」
「タヌ吉様ー。一人目の餌食……ごほん。挑戦者が現れましたー」
「狸子様。貴女は狸に取り憑かれているとおっしゃっているようですが……」
「わかりましたー。公園の中ですねー」
狸子はまるでこちらの話を聞かず、空に向かって誰かと会話をしている。横から見ていると、見えない電波を受信しているようにしか見えない。
「……お話をするつもりは最初からないようですね」
一瞬だけ笑顔を引きつらせるさくらに、狸子が相変わらず眠そうな顔を向ける。
「公園の奥に行っていただけますか? タヌ吉様がそこへ来いとおっしゃってます」
「奥? ここではいけないのですか?」
「つべこべ言わずさっさと行け、ボケが」
「……」
「と、タヌ吉様がおっしゃっています。ささ、ずずいっと奥へ」
「……まあ、いいでしょう。承知しました」
さくらは押し殺した声で言い、狸子に背を向ける。疑惑は抱えたままだが、本当に少女が狸に取り憑かれているという可能性も否定できない。今はとにかく真相を確かめるのが先決である。
歩き出して間もなく、ちらりと背後を振り返る。
するとそこには何もなく、枯れ葉を運ぶ風だけが吹いていた。
<勝負開始>
開けた場所へやってきたさくらを迎えるように、一陣の風が枯葉を舞い上がらせる。
「うっ!」
枯葉が顔にかかり、腕で顔を覆う。
直後、公園の入り口がある方角から、聞き覚えのある声が響いた。
『さくら』
ドクン、とさくらの心臓が鼓動する。
声のしたほうを見ると、見覚えのある人物がそこに立っていた。
「一樹様……」
骨董屋『櫻月堂』の店主、武神一樹だ。彼は薄い笑みを浮かべ、こちらへ向かってゆっくりと歩み酔ってくる。
だが、さくらはすぐに冷静を取り戻す。齢千年近くを生きた妖狐であるさくらの緑色の瞳は、眼前の一樹が幻術によるものであることをはっきりと見抜いていた。
「性悪の雌狸が、正体を現しましたね。人と妖の間にいらぬ漣が立つ前に、二度とこんな悪戯を起こす気にならぬよう少しばかりお灸を据えてやりましょう」
笑顔を消し、さくらは術を行使すべく胸の前で両手を組む。
だが、目の前の一樹は優しい笑みを浮かべて、甘い声で言う。
『さくら……愛してる』
意識を集中し高められた霊力が、あとかたもなく霧散する。
「なっ……」
顔が熱くなり、自分でも信じられないほど動揺する。
弱点を見抜き化かすと聞き、雌狸が一樹か甘味を出してくるだろうということは予想していた。だが、一樹がこのような行動に出るとは思いもしなかった。
『さくらが俺の前に現れてくれて嬉しかった。俺はこれからも、さくらとずっといっしょにいたい』
「……よ、よしなさい! あなたが本物の一樹様でないことはもう――」
『君は?』
一樹に問われ、さくらは言葉を呑み込む。
『今まで言えなくて、悪かった。愛してる、さくら。……さくらは、どうだ? 俺のことをどう思っているのか、さくらも言ってくれたことがないじゃないか』
「わ、私は……」
組んでいた手をほどき、熱くなった頬を隠す。かつてないほどに鼓動が早まり、熱に浮かされたように思考が混乱する。
「私は……私だって、もちろん……その……か、一樹様を……お慕い……」
言いかけ、ハッと我に返る。
顔を上げると、一樹がニヤニヤとイタズラっぽい笑みを浮かべていた。腰には太い尻尾が生えている。
『言いました、言いましたー。私の……ごほん。タヌ吉様の勝ちですー』
「な……な……」
どこからか聞こえた狸子の声を聞き、さくらはさらに顔を真っ赤に染める。
「い、言ってません! 私はまだ何も……」
『言った言った、言っちゃったー。さくらは一樹にふぉーりんらぶー」
「私は……何も言っていないと言っているでしょうっ!」
緑色の瞳を怒りに輝かせ、さくらは変化の術を行使する。
ッボボンッッッ!
白煙がさくらを包み、その姿が一瞬にして巨大な影へと変貌する。
「悪戯も大概にせんか、このバカ娘が〜!」
迫力のある怒号が、ビリビリと周囲の木々を揺らす。
さくらに代わって姿を現したのは、数メートルもの巨体を誇る狸だった。額のねじり鉢巻きを巻き、二つの提灯をぶら下げた竿を担いでいる。
その昔、狸の大将である六右衛門狸を熾烈な戦いで破った伝説の狸、金長狸である。
『ぎゃー! 金長様ー!』
どこからか狸子の悲鳴が響き渡る。
「つまらぬ幻術で人を惑わしおって、狸と人は共に在れという教えを忘れおったか!」
怒鳴り、金長狸が大きな竿を振り回す。
ゴウッッッ!
轟風が吹き荒れ、一樹の幻影が霧のように消えてなくなる。
風が止んだあとに残されたのは、慌てて逃げ去ろうとしている狸子の後ろ姿だった。
「待て待てぃっ! 説教はまだ終わっておらんぞ!」
「わーん! 来るなー! ヒハリトヘサセ、ウン!」
狸子が意味不明な言葉を叫んだ瞬間、一陣の風が大量の木の葉を舞い上がらせる。
たちまち枯葉が一瞬にして氷の塊と化し、さくらめがけて降りそそぐ。
「そんな未熟な術が、儂に効くと思ったか!」
金長狸が怒鳴った途端、氷の塊が空中でピタリと停止し、方向転換して狸子めがけて襲いかかる。
「ひーっ!」
氷の塊が狸子を直撃したと思った瞬間。
ボンッ! と煙を上げて狸子の体が、大量の木の葉に変わる。
「む……!」
辺り一帯に木の葉が舞い散る。狸子の姿はどこにも見あたらない。
周囲を見回す金長狸の目の前に、一枚の紙が舞い降りた。
受け止めて内容を見ると、汚い文字が一行だけ書かれていた。
『ごめんなさい もうイタズラはしません』
その文字を見て微笑んだのは、元の和服美女、草壁さくらだった。さきほどまでいた金長狸は姿形もなく消え去っている。
「今回は、このくらいで許してあげるとしましょう。あの雌狸もこれで懲りてくれると良いのですが……」
ふう、とため息をつき、さくらは人気のない公園を歩きだした。
<エピローグ>
「そうだったの。やっぱりあの子が……」
さくらの報告を聞いて、碇麗香が納得したように頷く。
狸子という名の少女と会った翌日、さくらは月刊アトラス編集部を訪れていた。
「私としたことが、とんだ不覚です。一樹様にあのような甘言を面と向かって言うような甲斐性がないということくらい、知っていましたのに……」
「え?」
「い、いえ、なんでもありません。しかしあの雌狸も、もうこれで二度と悪戯は――」
バシンッッ!
何の前触れもなく、さくらの顔面にファイルケースがぶちあたる。
「……」
編集部が沈黙に包まれるなか、ぼとり、とファイルケースが床に落ちる。
さくらが首から上だけを動かして編集部の入り口を見ると、壁に隠れるようにして小柄な少女がこちらを見ていた。
さくらの視線に気づくと、少女は慌てて逃げ去っていく。
「……申し訳ありません。私、急用ができましたので失礼させていただきます」
引きつった笑みを浮かべ、さくらは入り口に向かって歩き出す。変化の術を行うために胸の前で組んだ両手に、必要以上に力がこもる。
「ようするに遊び相手が欲しかったのね……」
さくらの後ろ姿を見送りながら、麗香がため息をこぼした。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0134 / 草壁・さくら(くさかべ・さくら) / 女 / 999 / 骨董屋『櫻月堂』店員】
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■ ライター通信 ■
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はじめまして、草壁さくらさん。
このたびは岩井のシナリオ『タヌキ少女をうち負かせ!』に参加していただき、ありがとうございます。
プロフィールとプレイングを見た途端、狸子の敗北を悟りました。このシナリオを返り討ちにするためにいるようなお方ですね(苦笑)。勝てるわけがないので、せめて少しだけでも困ってもらいました。今回のシナリオ、またさくらさんの描写はいかがでしたでしょうか?
人物や能力の描写に関してご希望・感想がありましたら、クリエーターズルームからメールで教えていただけると嬉しいです。
次回もまたぜひ東京怪談の舞台でお会いしましょう。
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