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Weekly Victim
≪顔の見えない招待状≫
『ゲームをしませんか?』
投稿者:YUKARI 投稿日:2002/04/XX(Sat) 00:00
初めまして。
突然ですが、私が毎週金曜日に提供している仮想現実ゲームに参加して下さる方を募集しています。
場所は新宿。都庁近くの5階建のオフィスビルにて開催します。
ルールは至って簡単。最上階の一室で眠っている人を最初に起こした人が勝者です。
ただし『ゲーム』と言うからには色々と仕掛けがあります。
最上階の部屋にたどり着くには、1〜4階にそれぞれ隠された『鍵』が必要です。
1階には地の鍵が、2階には水の鍵が、3階には火の鍵が、4階には風の鍵がそれぞれの属性に関係した場所に隠されています。
各階の構造は次の通り
1階:エレベーターホールと警備員室。大会議室が2室に小会議室が6室
2〜4階:ワークデスクが50程度入るオフィススペースが4つ
5階:中会意室が20室(←そのうちの4つが鍵で扉が開きます。開いた部屋から全て繋がる一室がゴールです)
上記以外に各階、給湯室、喫煙室、自動販売機、トイレ(男女別)があります。オフィスビルですので机・椅子・パソコンなど普通あるものは普通にあると思って下さい。
移動には通常エレベーター(2機)、貨物用エレベーター(1機)、屋内階段、屋外階段の何れを使用されても構いません。
また鍵はそれぞれの属性に守護されていますので、狙う鍵を決め対策を考えておくことをお薦めします。‥‥当然、それ以外の電子人形等の障害も用意してあるので十分に気を付けて下さい。
勝者はただ1人。報酬として一時ではありますが夢のような時間を約束します。
参加希望の方はメールにてご一方下さい。折り返しご連絡差し上げます。
扉が開かれるのは金曜の21時。
死をも、久遠の眠りをも恐れぬ貴方の挑戦をお待ちしております。
≪エントリースタート≫
天には紅筆で引いたような月、地上の全てを嘲笑うかのごとく。重く立ち込める暗雲の彼方に、なぜだかその姿を覗かせていた。
ふと時計に目を遣ると、デジタルのそれは間もなく21時を迎えようかという時刻を点滅させていた。
「で、今回のゲーム参加者はこのメンツということか」
顔の見えない招待者からの呼びかけに蟠りを覚え、参加意志を伝えたメールの返信に添付されて来た地図で指定されたビルの前、佇む影は三つ。
その中で最も長身のそれ――紫月夾は自分以外の二人の顔を交互に眺めながら嘆息した。
どう見てもただのサラリーマン風情の男と、こちらはTVか何かで見覚えがあるような気がするが物腰の柔らかそうな金の髪の女。
このようにあからさまに不審なゲームに進んで参加するほどのゲーム好きには見えないし、自分のように特殊な能力を有しているようにも見えはしない。
興味本位で我が身を滅ぼす事がないことを祈るばかりだな。
つきかけた2度目の溜息を気付かれないように潜め、夾は考えを改めた。人というものは見かけによらないものだ、と。
「それにしても‥‥入り口らしきものが見当たりませんわね」
眼前に聳えるは漆黒の建物。高層ビルの多いこの界隈にしては随分とこじんまりとした造りになっている。
先ほどから敷地の入り口から丁度正面になる、何もない壁を興味深そうに触っていた女――ラフィエル=クローソーは夾の内心の思いをほんの一片も知ることなく、ほんわりとした笑顔を背後の男性陣二人に向けた。ゆるいウェーブを描く金の髪が傾ぐ彼女の動きに合わせてフワリと揺れる。
「うーん。多分、それもゲームの仕掛けの内の一つじゃないんですかね? 21時になったら扉が開かれるって」
背中や腕、膝裏部分に今日一日の労働の証である横皺を刻んだスーツに身を纏った男――室田充がラフィエルの問いに応えた。
日頃、『アンジェラ』の名でネット上に独自の世界を持つ充には、今回のゲームに直に関わるか分らないが、気になる情報が少なからず集まっていた。
表だって取りだたされることなく、いっそ不気味なまでに密やかに開催が続いているこのヴァーチャルゲームの始まりは昨年末辺り。運良く話を伝え聞くことの出来た参加者の弁によると、それは真実、恐ろしいまでにリアルで、かつ『ゲーム』であったと言う。
何でもその参加者は一度、障害物である『機械人形』に致命傷を負わされ、死ぬ! と思った瞬間、スタート地点であるビルの入り口に戻っていたらしいのだ。無論、負傷の痕跡は一切なく。
ゲームスタートまでの残り少なくなった時間を使って、充は夾とラフィエルに自分が調べ得た情報を説明した。
「あぁ、その辺は俺も調べた――確かにこのゲームには不審な点が多過ぎる」
どういう根回しになっているのか、決して『勝者』に辿り着くことの出来なかった事前調査。夾の持つ情報網を持ってして、充が知り得た情報以上のことを入手することは不可能だった。それが、更なる疑惑を生んだのだが。
「そろそろ約束の時間ですわね」
柔和な表情を崩すことなく、穏やかに二人の話を聞いていたラフィエルがアルカイックスマイルを浮かべる月を見上げて呟く。
「何事も、考えていては始まりませんわ。とにかく動いてみないと何も始まらないのではありません?」
地上の大人達がそれぞれの情報交換に身を置く頃、一足先に目的のビルに辿り着いていた少年は都会の喧騒を遠くに聞いていた。
「フン、バカな大人は困るね。何も正直に入り口から入ることもないじゃん。頭は使わないとね」
小柄な体を、屋外階段の手摺に預けて大沢巳那斗が理知的な光を瞳に宿し、建物の三階部分で暗い天を仰ぐ。
小学生である彼がこんな時間にこんな所にいることに、恐らく彼の両親は気付いていないだろう。一瞬だけ胸に飛来した冷たい痛みに巳那斗は気付かぬ振りをして瞳を正面の黒い壁に向けた。
「ホント、何もないんだもんな」
そっと差し伸べた指先から伝わってくるのは、無機質なコンクリートの感触。大人達を出しぬく形でこの場に到着してから、幾度触れたか分からないそれは、微塵の変化も見せない。
ゲームスタートに合わせてタイマーをセットした腕時計が、予告の時間が近いことを液晶ディスプレイの点滅で伝えてくる。
「さぁーってと、お手並み拝見」
ゲーマー魂に炎が燻る。
――今日は退屈しないで済む夜になりそうだ。
うふふ《うふふ》♪
《びる》の《ねむりひめ》だってー♪ おもしろそ〜☆
こまこは《れいたい》だから《かぎ》は《かんけーない》もんねー。ぜーんぶ《かべをぬけ》て《とんで》いけばいーんだもん☆
巳那斗が大人達よりほんの少しだけ月に近いところでそれを見上げていた頃、更に程近い場所に今は人の目に見えない存在がいた。
東北地方の家に住むと言い伝えられている家の守り神の精霊、子どもの姿をしているという座敷童子の寒河江駒子である。ちなみに彼女、今は被守護家たる寒河江家の娘、深雪にくっついて上京中らしい。なんとも便利な座敷童子だ。
はやくどこかの《まど》あかない、かなー
他の階同様、駒子の視界に映るのは全面漆黒のコンクリートの壁だった。それでも通りぬけてしまえば済むのだが、約束の時間が21時と指定されているので、その時間を守っているのは‥‥駒子が駒子だからだろう。
地上から舞い上がる風が、霊体状態の駒子のまさしく日本人形のように肩口で真っ直ぐに切り揃えられた黒髪と、赤い童女着物の裾を軽やかに踊らせる。
うふふ
《おひめさま》ってどんな《ひと》かな〜♪
ここには誰一人として、『最上階で眠る人物』が女性であると言われていないことを駒子に指摘するものはいない。
「‥‥21時だな」
デジタル数字が『21:00』を表示する。
誰もが息を飲んだ瞬間、その扉は不意に姿を現した。
一階にはなんの変哲もない両開きの自動ドアが。三階には重い鉄の非常扉が。そして五階には全面ガラス張りの窓が。
「‥‥ゲームスタートのようだな」
「そのようですわね」
「ふーん、本格テキじゃん」
《おひめさま》♪ はやく《みたい》なー☆
それぞれがそれぞれに銘々の目的に走り出す。
「あ、そう言えば。このビルって地図上には存在しない‥‥」
だから充がうっかり伝えるのを忘れていた肝心の情報を耳に出来た者はいなかった。
≪頭と体は使いよう≫
「楽勝楽勝っと」
21時ジャストに出現した扉は、巳那斗の侵入を拒む事はなかった。
音もなく仄暗いフロアー内部に到着した少年は、すかさず周囲を見まわし駆け出した。
非常灯だけが光源の割に視界の利く世界に軽やかな足音がリズミカルに響く。
「こういう造りのビルだと‥‥給湯室はコッチっと」
世間に出まわっている、巳那斗にとって容易に攻略してしまえる3Dアクションゲームを思い出しながら、ほんの少しも迷うことなく走る。
これが『ゲーム』だと言うのなら、これを作った者もそういうセオリーは踏むだろう。小学生にしてはよく回る頭で辿り着いた結論。
果たしてそれは、間違いではなかった。
目指す廊下の先、自動販売機の眩しい光が暗闇に慣れた巳那斗の目を灼く。給湯室はたいてい自動販売機の近くにあるものなのだ。
見付けた目印に一気に迫り、巳那斗はにんまりと笑みを浮かべる。
「給湯室、みーっけ」
簡単な流し台と給湯器とご丁寧に分別収拾用か大小三ツのゴミ箱があるだけの給湯室。天井や棚の中に不信な物が潜んでいない事を一度確認した後、巳那斗は注意深く「火の鍵」の探索にかかった。
「火って言うからには‥‥給湯室だと思うんだけどな」
背の届かない給湯器を調べる為に、流し台に登る。ステンレスのそれを爪が滑って不快な音を立て、思わず巳那斗は眉を潜めた。と、その瞬間、気配を感じ給湯室の入り口を見遣り、息を止める。
ギチチギチ
「見つかっちゃったって事な‥‥」
軋むような音を立て、等身大のマネキンのようなのっぺりとした白い人形が一体、濁った紫色の瞳に巳那斗の姿を捕獲していた。
「って言っても、電子人形だろっ!」
緩慢な動作で巳那斗を捉えようと伸ばした腕を振り払い、流し台から飛びあがる。
目指す先にあるのはこのフロアー全体を統べていると思われるブレーカー。
「大人しくしてなっ」
複数あるスイッチの一番大きい物をOFFにセットする。給湯室の前で煌煌と光を放っていた自動販売機の明りが落ちた。
しかし――電子人形は動きを止めることなく巳那斗を目指す。
「って、そんなの有りかよっ」
どこかでゲーム主催者がパソコンで動きを制御しているのか、それとも自動的に動くものを捉えるようにプログラムされているのか。
まさしくゲームに出てくるロボットや不死者のごとく執拗に繰り出される腕の動きを、狭いが故に行動を制限されるシチュエーションを体の小ささを活かして躱し続ける。が、不意に届いた物音に、巳那斗は二体目の接近を直感し背筋を振るわせた。
「こう言うのを絶体絶命のピンチってね‥‥」
いつまでも躱しきれるものでもない。ましてや二体目が現れて出入り口を完全に封鎖されてはここを脱出する術を失う。
僅かの時間に渇ききってしまった唇をぺろりと舐め、周囲を見渡した巳那斗はすぐ手の届く場所にこの場の打開策を見出し、口の端を僅かに上げた。
「邪魔!」
かなりな重量のあるそれを片手で引き寄せ、両手で握りなおすと横一線に薙ぎ払う。
おもむろに消火器による反撃を横腹に食らった電子人形は、そのまま壁にぶち当たり動きを止めた。
「安心してる暇はないってね」
消火器を手にしたまま廊下に飛び出した巳那斗の眼前に、予想通り新たな電子人形が行く手を塞ぐ形で現出する。
上がりかけた呼吸を整え、腹に力を入れて一度人形を屠った武器を構え直す。そして一気に突き出そうとした瞬間、目前に迫っていた電子人形は巳那斗の背後の屋内階段とフロアーを繋ぐ扉が開いたと同時に、音もなく四肢を分断され床に散らばった。
昏い室内に一つの人影があった。
唯一の光源はノートパソコンの液晶画面が発する人工の輝き。
キーボードの上を指が踊る度にカタカタという音が掻き鳴らされる。
「‥‥さて、どう出る――かな」
カタ カタ カタカタ タ タタタタタ‥‥‥
≪火の鍵、群雄割拠≫
「へー、あんた強いんだ」
足音を立てず背後に立った全身を黒一色で覆う年長者の登場に、巳那斗は怯むことなく彼を選別の目で眺めた。
ゲームの世界だ。何が起きても不思議ではない。例えそれが超常的な能力を持つ人間が現れたとしても、だ。
「俺の名前は巳那斗。あんたは?」
足元に転がる人形の残骸を蹴飛ばす。元々丸みを帯びたフォルムの集合体だったそれは、渇いた音を立てて転がり、夾のつま先を掠めて動きを止めた。
「名乗る必要があるのか?」
尊大な子供を眼前に、夾は抑揚のない声で応える。少年の様子から彼もこのゲームの参加者である事は分ったが、だからと言って馴合う必要はない。むしろ、彼がこの階にいるということは目的の鍵が同じで争うべき相手になるということではないのだろうか?
「え? だって冒険者達が出会ったら名前を名乗ってパーティ組むのが当然だろ」
何を当たり前の事を。
鼻で笑うようにそびやかされて、夾は肩に入っていた力を抜いた。この少年は――年の割に賢能ではあるようだが――子供なのだ。
「‥‥夾だ」
「キョウ――ね、なるほどっと。で、アンタ強そうだし、俺とパーティ組まない? それなりの見返りはあると思うけど?」
「見返り?」
子供の口から出るとは思えない言葉に、夾は眉を寄せた。予想以上に頭の回る、そして恐ろしく老成した子供というわけか。
「そ、この階にいるならアンタも『火の鍵』ねらってるんだろ? その鍵の情報」
「‥‥良いだろう」
どの道、こんな場所に子供一人を放置することは気が進まないし、先ほど聞こえた衝撃音も気になる。相手の情報に魅力を感じるわけではなかったが、乗らぬ相手を乗せるより、乗る相手を乗せる方が手間も省けると言う物だ。
ピクリ
夾の感覚に触る小さな棘
「では、その情報とやらを聞かせてもらおうか」
右手の指先が、ほんの少しだけ動く。それだけで意志を持ち覚醒する鋼糸。
「鍵は給湯室にはないってこと」
探す手間が省けて便利だろ、そう笑う少年の背後で電子人形が静かに崩れ落ちる。重い物が弾む音に一度振り返り、再び夾を見返った巳那斗の顔には不敵な笑みが浮かんでいた。
「――というわけで、次は」
「喫煙室――だな」
「だね。それなら多分コッチ」
彼の武器なのだろう、消火器を抱えたまま、まるでいつも通っている場所を案内するように走り出した少年の背中を、夾は無言のままで追うように歩調を速めた。
「ここか‥‥」
辿り着いた一室の前で、夾は巳那斗に確認するように呟いた。道すがら、ただのガラクタに成り果てた電子人形の数は面倒だからもう数えていない。
「多分。こういう構造だとここだと思うんだ」
ゲームの主催者がありきたりな考え方をするヤツで簡単過ぎるな。そう嘯くと巳那斗は眼前の扉のドアノブに手をかけた。が、しかしそれは内側から鍵でもかけてあるのか微塵も動かない。
「中で何かが燃える気配があるな‥‥」
巳那斗の奮闘ぶりを視界に収めながら、夾は脳裏に浮かぶ映像を追った。
「‥‥見えたり匂ったりしてる?」
夾の言葉に、一度ドアを開ける事を断念したらしい巳那斗が問いかける。
「気配、だ」
常人には分からないだろうがな。
後半は胸の中でだけ言葉にしたが、それを見透かしたように「ふーん」と巳那斗が夾を見上げ目を細める。と、そこで何かに気付いたように笑みを浮かべた。
「なぁ、あのガラス窓割れる?」
指差す先にあるのはドアの上にある高さ30センチほどのガラス窓。巳那斗の表情と、その先にあるものを確認し、彼の意図を察した夾は無言で頷いた。
「それじゃ、よろしく」
一度、巳那斗がドアから離れる。窓ガラスではなく、扉自体を破砕することも夾にとっては労を有する事ではなかったのだが、中から危険な気配が伝わってくるわけではなかったので、巳那斗の策に乗る事にしたのだ。
散らす破片さえも鋼糸で編み上げた網で全て回収し、リノリウムの床に一切の音を立てずガラスの山が完成するのを確認し、巳那斗は夾の背と肩を踏み台にして飛びあがった。
大人では潜る事の出来ない隙間に少年の小さな身体が飲み込まれて行く。そしてドアの向こうで着地する音。
なかなかに見事なものだ、そう感じ入った瞬間、耳に入った巳那斗の驚愕の声に夾は身構える。鋼糸がドアを破壊する為の鎌首をもたげる。しかし、それは実行されることなくカチャリという鍵を開ける音と同時に中から開かれたドアの向こうに巳那斗の姿を確認した後、緊張を解かれた。
「鍵、あったけど」
招き入れられてドアの向こう。備え付けの灰皿の上に浮く丸い炎――そしてその中にある『鍵』。その自然界ではあり得ない現象に、夾は巳那斗の先ほどの声の意味を悟った。
「こういうのって、やっぱ消さなきゃ駄目なんだよな」
言葉は即、実行に移される。ドアの外に置いておいた消火器の安全弁を引き抜くと、巳那斗は迷わずノズルの先を狐火のような炎に向けた。薄ピンクの微粒子が室内を一瞬だけ真昼の白に似た世界に染め上げる。
「やりぃ、鍵ゲット!」
灰皿の中に転がった小さな赤い鍵を巳那斗が掌中に収めたのと、それまでのものとは比較にならないほどの巨体の電子人形を、その場から一歩も動くことなく夾の鋼糸が切り裂いたのはほぼ同時であった。
そうして二人は、≪眠る人≫がいるという最上階を目指した。
「‥‥面白い。今回の挑戦者は本当に面白い輩ばかり‥‥」
声を押さえたクツクツという笑い声が、キーボードを叩く音に絡みつく。
「『人間』でない者も混ざっているようだし」
パタリ、とノートパソコンが伏せられた。唯一の光源を断たれ、室内を闇の帳が支配する。
「どういう選択をするのだろうよ」
笑いが――止まらない。
「で、どの扉に入れば良いんだろ?」
巳那斗は手にした鍵とズラリと並ぶ扉を交互に眺めながら溜息をついた。
「全部試すか?」
「‥‥非効率だけど、それしかないよね」
辿り着いた最上階。そこは人の気配はおろか電子人形達すら皆無の世界だった。
カチャリ、カチャリ。またカチャリ
巳那斗が一部屋一部屋、鍵を試して行く。
そしてその時は訪れた。
「キョウ、開いたよ」
20の扉の内の一つが音もなく開かれる。
「いよいよご対面と言うわけか」
二人は揃って扉を潜った。待っていたのは室内の筈なのに細く長い廊下。
真っ直ぐに伸びた一本道。
「いよいよって感じじゃん」
歩き出した二人の背後で、一度開いた扉がひっそりと閉じた。
≪その先にあるもの≫
「へぇ‥‥何もない部屋か」
眠る人――それ以外は。
巳那斗と夾が最初に辿り着いたその部屋は、壁全面を紫色で塗り込められていた。出入り口は一つしかなく、窓もない。縦長の造りのその部屋にあるのは鈍色に光る冷たい石で出来た寝台と、そこに静かに横たわる青年だけだった。
「他のメンバーはまだ到着していないのか」
周囲を警戒するように入り口の扉付近で立ち尽くしたままの夾が呟く。
見渡さずとも一望できる室内には、規則正しい寝息を立てる青年と自分、そして巳那斗の姿しかない。そして感じられる気配もその三つだけ。
しかし、どうしてだか心がざわつく。
得体の知れない――そう、誰かに値踏みされるような視線を感じていた。
「ということは、勝者は俺達ってことだね」
夾の態度から、取り敢えず室内に電子人形が潜んでいることはなさそうだと判断した巳那斗は、臆することなく眠る青年に近付いた。
白い、貫頭衣のような服を身につけた青年は巳那斗の接近にも覚醒の気配はない。
「おい、不用意に起こすなよ」
「当然じゃん。こーゆーのは寝てる本人がラスボスってのがゲームのお約束だし」
夾の忠告に、余裕の態度で巳那斗が返す。
実際、こういうゲームで助けるべき相手が実は‥‥というのはお約束中のお約束である。巳那斗は『経験』としてそのことを知っていた。
注意深く、眠る青年を観察する。着ている物以外はどこにでもいるような青年だった。別段、怪しいような所は見うけられない――まぁ、目を開けた途端というのはよくある話だが。
「なぁ、このままじゃ埒があかないから起こしてみないか?」
この場合、勝者がどちらになるか分からないので取り敢えず夾を振り返って巳那斗が確認を取る。
「そうだな」
暗に報酬など俺は必要ないから、起こすならお前が起こせと伝え、夾は万一何かが起こった時の為に臨戦体制を取った。
夾としてはまずゲームの主催者にこのゲームの意図を問いただすつもりだったのだが、その相手がこの場にいないようでは何も始まらない。
行き詰まっているのは二人とも同じだった。
「それじゃ、起こすよ‥‥」
「ちょっとお待ち下さいませ!」
巳那斗が眠る青年に手をかけようとした瞬間。夾の背後の扉から一人の女性が駆け込んできた。ようやく五階に辿り着いたラフィエルである。
「待って、くださいませ」
余程慌てて来たのか、部屋に到着したラフィエルは肩で荒い息を繰り返した。白磁のような白い額にうっすらと汗が浮かぶ。
「‥‥間に、合いまして?」
ようやく呼吸の落ち着きを取り戻し、改めて状況を確認するラフィエルに夾と巳那斗は一度視線を絡ませた。
「一応まだ起こしてないけど」
眠る青年より、突然の金の髪の乱入者のほうに驚いた巳那斗が代表して二人の意をラフィエルに伝える。その答えにラフィエルは安堵の溜息を溢した。
「良かった。皆さんお気づきかどうか分かりませんが‥‥この部屋はおかしいです。入り口の扉を潜った瞬間、時空が捻じ曲げられているのを感じましたの」
それは決して尋常なことではない。
しかし自分たちが潜った炎の鍵の扉からこの部屋の扉までは一直線で他に入り口はなかった。そして同じ鍵を持つはずのないラフィエルが現れたのもまた同じ扉。
物理的に不可能な事――それが常状で考える事であるならば。
「それに其方の方、何か呪≪しゅ≫の気配を感じます」
ラフィエルがそっと巳那斗の肩に手を添え、寝台から遠ざける。
「呪?」
「えぇ。まだはっきりとしたことは分かりませんけれど‥‥少なくとも誰かに『眠らされている』気配がいたします」
ラフィエルがその左手を眠る青年の額に掲げる。彼女の細い腕に飾られたブレスレッドが夾と巳那斗の前で淡い燐光を発し始める。
その幻想的な光景に二人の意識が引き寄せられようとした瞬間、その厳粛な空気は二人の来訪者によって打ち破られた。
「駄目です! その人を起こしたら!」
『《おひめさま》〜♪』
充と、その充に抱えられた駒子である。
充に抱えられた駒子の方は当然のことながら元気だが、充の方は既にグロッキー寸前だった。彼も余程急いでここを目指したのであろう。
『‥‥《おひめさま》じゃない‥‥』
気まずい沈黙の中に駒子の不満の声だけが静かに響く。
「その人、起こしたら駄目なんです。起こしたら起こした人が眠りについてしまうんです。それがこのゲームの報酬『夢のような時間』なんですっ」
一気にまくし立てて充が激しく咳込む。その様に一番近くにいた夾が取り敢えず充の背を叩いてやった。
「で、詳しくはどう言う事なんだ?」
「‥‥それは、このゲームの主催者にお伺いした方が宜しいようですわ」
駒子と巳那斗を自分の背後に庇うように押しやって、ラフィエルが何もない筈の壁の一点を睨み付ける。
「――なるほど。主催者のお出ましと言うわけか」
スっと夾も身構える。先ほどから感じ続けていた視線の気配が実体化したのを感じた。
「ラスボス、登場?」
『え? こんどこそ《おひめさま》?』
ワクワクとした巳那斗と駒子の声が重なる。
そしてそれは現れた。
先ほどまで何もなかった場所から。
「今回の参加者は、賢しい者ばかりで本当に面白いね‥‥」
≪Weekly Victim≫
紫の女だった。
「よもや私がここに呼ばれる事になるとは思っていなかったよ」
癖のない長い髪と艶を含んだ瞳は、壁一面の色よりなお鮮やかで鮮烈な、そして昏い輝きを帯びた紫。
年の頃は27、8と言った所か。豊満な肢体を包むのは、黒のスリップドレス。一つの斑もなく紫のマニキュアで爪を整えられた手には小型のノートパソコン。
「この部屋に複数の鍵が‥‥四つの≪鍵≫が揃うとは思っていなかった。その点に関してはお前達を私は高く評価しているよ」
黒のピンヒールが冷たい床で硬い音をたてた。
『‥‥《あれ》は、なぁに‥‥?』
金縛りに遭ったように動く事が出来なかったゲーム参加者の内、最初に言葉を発したのは駒子だった。ラフィエルの服を固く握り締めた小さな手は、小刻みな震えを繰り返している。
『‥‥こまこがみた《め》?』
「あぁ、そんなに怖がるんじゃないよ。別にお前をどうしようというつもりはないのだから。赤いおべべの良く似合うお嬢ちゃん」
女がクスリと笑う。その様に駒子はビクリと肩を揺らして充の元へ駆け出した。
「貴女がこのゲームの主催者? そしてここ最近の新宿での神隠しの犯人というわけ?」
駒子をそっと抱き込んだ充が、挑む瞳で問いかける。
「さぁ、どうだろう。私は欲深い人間達に遊びの場を提供しているだけに過ぎない。その結果がどうなろうと、それは参加した者の勝手だ。私に非があるわけではあるまい?」
「それは貴女の勝手な言い分です。人の心を弄ぶような事を神がお許しになるはずはありませんっ」
ラフィエルの銀の双眸が淡い紫の光を煌かせる。それまでの穏やかさはひっそりとなりを潜め、代わって今にも爆発しそうな膨大な熱量を彼女自身が発していた。
「止めておくが良いよ、我等と対極に位置する娘。お前の力は多少厄介だったからこの部屋に入ると同時に枷をかけてある――気づかぬお前ではあるまい?」
女は手にしたノートパソコンを顎でしゃくりながらラフィエルの鋭い眼差しに、慈愛と侮蔑の篭った視線で応える。
事実、ラフィエルはこの部屋に入った時から自分を取り巻く何かがあることを感じていた。そしてその何かが、女の持つパソコンに繋がっていることも。けれど分かっているからと言って、それを覆すだけのことは今は出来ない。翼を広げればどうにかなるかもしれないが、未知の領域であるこの場と、そして何より『人間』のいる場所でそれを成すのは危険過ぎる。
噛み締めた唇にうっすらと赫い血が滲んだ。
「そして我等と同じ魂の刻印をその名に持つ者よ、今私を消してしまってはこの者は永遠に目を覚まさなくなるが構わないのか?」
女の唇が細い月と同じ形を作り、鋼糸を操ろうとした夾に微笑みかけた。
「‥‥厄介なことだな」
張り詰めていた呼吸を一気に吐き出し、夾が臨戦体制を解く。敵の手の内に切り札がある以上、情勢は不利。この場を打開する術は今はない。
「つまりは。これは≪ゲーム≫で、なんだか知らないけどあんたが主催者ってこと」
ラフィエルの背後に庇われていた巳那斗が一歩前に踏み出す。
「そういうことになるかな」
そして迷わず女に手が届く場所まで歩みより、やおらその身体に触れた。
「一応実体――っと。ということは参加者を遠くから眺めて笑ってるって言うより、自分の退屈凌ぎにこのゲームを開催してるって感じかな」
「‥‥頭の良い子供は好きだよ。下手な大人より分を弁えていて付き合いやすい」
「そりゃどーも」
それなりに納得の行く答えを得たのか、巳那斗は再びラフィエル達の元に戻り、そして全員に問いかけた。
「で、誰がこの人起こす?」
少年の言葉に一同が息を飲む。
「驚く事じゃないでしょ? 俺達がこのままこの人のこと無視して帰ればこの人はきっと次のゲームの勝者が来るまで眠りっぱなしってことだろ。別に俺はそれでも構わないけど、そんなことしたくなさそうな人ばっかな気がするし。かと言って今あのおばさんをどうこう出来たり、この人にかかってる呪とか言うのを何とか出来る人はいないんでしょ?」
巳那斗の弁が終わるやいなや、女が拍手と共に声を上げて笑い出す。
「あっははは。本当に頭の良い子だ――で、どうする?」
決断を迫る声。女は腕を組んだ姿勢でうっとりと微笑んだ。
「‥‥ならば、私が起こしましょう」
人を救うのが天使の役目。自分を置いて適任者はいまい、とラフィエルが名乗りをあげたが、その彼女を止める腕があった。
「貴女はダメ。どこかで見た事があると思ってたけど‥‥貴女、世界的なソプラノ歌手のラフィエル=クローソーさんでしょ? そんな有名な人が一週間も行方不明になったら大騒ぎになっちゃうよ」
抱きかかえていた駒子をラフィエルの腕に預け、にっこりと優しく微笑んだ。
「他の人はどうか分からないけど。僕は別に仕事に命かけてる訳じゃないし、有休だって残ってるし。というわけで、悪いけど駒子ちゃん。帰ったら深雪ちゃんに頼んで僕の会社に代理で連絡を入れるようにお願いしておいて。理由は‥‥海外の友人に不幸があったとか、で」
『‥‥《むーちゃん》、《あんじー》になって《おやすみ》しちゃうの? もう《おはよう》しないの?』
「ううん。多分また来週になったら元気になると思うから。だから深雪ちゃんに伝えてね? 約束」
駒子の小指に自分のそれを絡ませて、充は笑みを一層深くした。
『うん、わかった。こまこ《やくそく》する』
何が起こっているのか良くは分かっていないのだろうが、今にも泣き出しそうな顔で駒子がブンブンと繋がれた小指を振る。
名残を惜しむように、温もりを残したまま指が解かれる。
「起きたら‥‥きっとここであった詳しいことなんて憶えてないんだろうけれど」
神隠しとこのゲームがすぐさま直結されなかった理由。そしてゲームの勝者に決して辿り着けなかった訳。それを口に出して推察しながら充は眠る青年の隣に立った。
ラフィエルが、せめてと守護の歌を歌い始める。それはまさしく天使の歌声。
「‥‥名を聞いておこうか」
充の手が青年の肩に触れる。
「それくらいの褒美はやらぬとな」
女が夾の赤い剣呑な耀きを宿した瞳を楽しげに見つめながら紫の瞳を細めた。
「私の名は紫胤≪しいん≫。別に憶えておく必要はないよ」
「‥‥忘れはしないさ」
夾の唸るような呟きと、充の手が青年を揺り起こすのがほぼ同時。
そして世界は紫色の闇に包まれた。
≪繰り返されるゲーム≫
闇から開放された時、ゲーム参加者はビルの外にいた。
「‥‥終わりましたのね」
ラフィエルが呟く。
「本当、終わっちゃったみたいだね」
その声に全員が振り返る。
「え? あれ? どうしたの? ってヤバ、終電行っちまう!」
そこに立っていたのはジーンズに黒のシャツ。その上から迷彩柄のブルゾンを羽織った青年だった。
「じゃ、俺は先に帰るから! バイバイ」
青年が何事もなかったように駆け出す。その背に声をかけようとしたラフィエルを巳那斗が制した。
「意味ないよ。あの人なんにも覚えてないから」
「そうだな‥‥逆に混乱させるだけだろうからそっとしておいた方が良い」
夾にも同意され、ラフィエルは伸ばしかけた手を下ろす。
「じゃ、俺も帰る。今日はありがと、ばいばい」
真っ先に立ち直った巳那斗が青年の背を追うように新宿駅を目指して走り出した。
『こまこ、《むーちゃん》との《やくそく》、《みーちゃん》につたえなきゃ』
駒子の姿が闇に解ける。
フワリと一陣の風が舞った。
「‥‥これはまだまだ続くのでしょうか」
「終わらせるさ。いつかは」
そう、いつかは
いつか、は。
星の見えない街の夜空に、妖艶な女の笑い声が響いたような気がした。
そして翌日、その場を訪れた人物は我が目を疑った。
ビルがあった筈の場所は建設予定地の立て札があるだけの空き地になっていたのだから。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0029/大沢・巳那斗(おおさわ・みなと)/ 男 / 10 /小学生。】
【0076/室田・充(むろた・みつる)/ 男 / 29 /サラリーマン】
【0291/寒河江・駒子(さがえ・こまこ)/ 女 / 218 /座敷童子】
【0054/紫月・夾(しづき・きょう)/ 男 / 24 /大学生】
【0477/ラフィエル・クローソー/ 女 / 723 /歌手】
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■ ライター通信 ■
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初めまして、英語は最大鬼門の観空ハツキです。そんなわけで、今回の依頼のタイトル、文法的に変じゃないの〜というツッコミはご勘弁下さい(笑‥‥えない)。そのようなわけで、今回はYUKARIこと紫胤の招待に応じて頂き誠にありがとうございました。
当初の予定では少々理不尽なだけの物語を予定していたのですが、皆さまのゲームに参加される以前の調査や、ゲーム中の行動、そして眠っていた青年への疑惑からこのような展開になりました。観空的にはまだまだ紫胤は出すつもりはなかったので、ちょっとびっくりな状態になりました(笑)。
巳那斗くん、書きながらもう少し子供っぽく書いた方が良いのだろうか? などと悩みながら、ちょっとどころではなく小生意気になってしまいました。ご気分を害されたら申し訳ありません。個人的にはとても楽しみながら巳那斗くんのことは書かせて頂きました。ありがとうございます。
さて、今回のシナリオですが。最初に書いた通り想定していた以上に話が進んでしまった事から、後日改めて≪解決編≫ということで草間興信所にて京師紫から依頼を提出する事に致しました。
今回のゲームはゲームとして完結しておりますが、この理不尽なゲームを終わらせたい、もしくはその後どうなったかを知りたいと思われる方がいらっしゃいましたら、今後の観空の依頼、もしくは完成した物語をチェックして頂けると幸いです。
それでは改めて今回は本当にご参加頂きましてありがとうございました。少しでも皆さまのお気に召して頂ける事を切に祈っております。ご意見・ご指摘・ご感想などございましたら、クリエーターズルームもしくはテラコンより送ってやって下さいませ。
ではでは今回はこの辺にて。「また」の機会があれば良いな‥‥と思っております。
季節の変わり目、体調を崩されませんようお気をつけ下さい。
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