コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:Spring Breeze
執筆ライター  :水上雪乃
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜4人

------<オープニング>--------------------------------------

 わずかに軋んだ音を立て、事務所の扉が開く。
 戸口から入り込む風が、含硫煙の霧を吹き散らせた。
「よう」
 と、人間煙突が右手をあげる。
「久しぶりね」
 と、来訪者が応えた。
 前者の名を草間武彦、後者を新山綾という。
「どういう風の吹き回しだ?」
「べつに。挨拶と依頼に寄っただけよ」
「依頼?」
 草間の目が、すっと細まる。
 茶色い髪と黒い瞳を持つこの女性が絡んだ仕事で、安全だったことなど唯の一度もない。警戒するなという方がどうかしている。
「簡単な仕事よ。ただの護衛だもの」
 迎合するように、綾が薄く笑う。
「‥‥警護対象は?」
「わたし」
「内調に頼めよ」
「あれ? 言ってなかった? わたし内調辞めたのよ。先月いっぱいで」
「‥‥よく簡単に辞めさせてもらえたな」
 胡散臭そうに問う怪奇探偵。ひとたび諜報活動に関わった人物が、簡単に退職できるはずはない。まして新山綾である。内閣調査室が手放すとは思えなかった。
「ま、もともと正規の職員ってわけでもないしね」
「‥‥なるほどな。襲ってくる可能性があるのは内調か」
「そゆこと」
「他には?」
「スカウトに動いてるのは、バチカンとロンドンとワシントン。あと中東諸国かな」
「かなって‥‥お前なあ」
「いいのよ。どうせどこにも雇われる気ないし」
「じゃあ、大学に戻るのか?」
「そ。札幌の北斗学院。古巣にご帰還ってわけ」
 戯けたように言う綾の瞳には、ごく微量の寂寥感が揺れていた。
 草間は何か言いかけたが、結局、何も言わずに口を閉ざした。
 たしかに、今後の事を考えると、東京に留まるのは得策ではない。近くに便利な道具があれば、つい使いたくなってしまうのが人間だからだ。
「あー。イヤになっちゃうなぁ。また助教授に逆戻りよ。せっかく教授になったのに」
 つとめて明るい口調で綾が愚痴をこぼす。
「まあ、三〇で助教授なら速い方さ」
 草間も乗った。
 故意に事態を矮小化するのも、ときには良いであろう。
「で、報酬は?」
「一億」
「ペソ?」
「円よ」
「豪気だな」
「引っ越しの手伝い料も入ってるから」
「それなら適正価格だな」
「でしょ」
 冗談めかした会話をする男女。
 だが、その瞳は笑っていなかった。



※水上雪乃の新作シナリオは、毎週月曜日と木曜日にアップされます。
 受付開始は、午後7時からです。

------------------------------------------------------------
Spring Breeze

 警視庁ビルから徒歩五分ほどの距離にある人事院ビル。この中に、内閣調査室の出先機関のひとつがある。
 いま、一人の男がビルから街路へと足を踏み出した。
 サトルという通り名で呼ばれる男である。
 彼は、サングラス越しの視線を前方に送り、無言のまま回れ右をした。
 表情すら変えずにビルに戻ろうとする。
 が、その肩に重量が加わった。
「どうして逃げるんですかぁ」
 耳元で声がする。彼にとっては、いっそ水子霊だった方がマシであったろう。
「‥‥二つばかり質問がある」
「なんなりと」
 蠱惑的な声が応える。
 多くの女性たちを魅了してきた声だ。
 むろん、サトルは魅了されなかった。
「どうして、お前がここにいる?」
「俺、サトルさんの疫病神ですから」
「‥‥なぜ、俺の背中に張り付いている?」
「俺、サトルさんの疫病神ですから」
 人を喰ったような答えを返すのは、斎悠也という固有名詞をもった青年である。
 ふたりともサングラスを着用しているので、男ぶりは二割ほど減退しているが、瀟洒と表現するに足りるだろう。
 と、突如としてサトルが動いた。
 前後にでも左右にでもはない。その場で高速回転を始めたのだ。
 フィギアスケートの選手も顔色を失うほどの回転速度だった。遠心力によって、斎を切り離そうとしているのだ。
 似たような体格の物体をぶら下げたまま回転するとは、なかなか人間離れした膂力である。そして、この速度で回転する物体に涼しい顔でしがみついている斎も、なかなか人間離れしている。
「いっつもいっつも、突然現れては懐きやがって」
「これはけっこう楽しいですねぇ。昔のロボットアニメみたいです」
 独楽のように回転しながら、会話を楽しんでいる。
 人間離れというよりも、常識を破壊している、と表現する方が適当だろうか。
 ややあって、人間独楽が動きを止めた。
「‥‥疲れた‥‥」
「‥‥俺もです‥‥」
 まあ、三分間も回っていたりしがみついていたりすれば当然だろう。
 だいたい、力量が全く同じ二人が、こんな方法で決着がつくはずもない。
 四二歳と二一歳。合すれば還暦を越えるのだから、先に気が付いても良さそうなものである。
「で、何の用だ?」
「綾さんが引っ越すそうじゃないですか」
「えらく耳がはやいな」
「俺だって、少しくらい情報網がありますから。で、サトルさんはどうするんですか?」
「‥‥俺は残る」
「へぇ。意外ですねぇ」
「ホントにそう思うか?」
「いいえ、思いません」
 笑いを含んだ声で、斎が応えた。
 サトルは綾に心酔している。だからこそ、内調に残留するのだ。
 今後、内調が綾を利用しないよう監視するために。
「で、だ。ちょっと協力してくれるか?」
「なにするんです?」
「内調自体を俺が掌握する」
 そうすれば、綾を狙う勢力が一つ減る計算だからな、と、サトルは笑った。
 なにも、張り付いているばかりが護衛ではない。
 とはいえ、大胆すぎる発想である。
「可能だと思ってるんですか? そんなこと」
「不可能だと思うか?」
 反対に質問され、しばし斎は考え込んだ。
 そして、
「判りました。ちょっとだけお手伝いしましょう。楽しそうですから」
 と、微笑を浮かべる。
 綾を守るもう一つの機軸が、誕生した瞬間であった。


「‥‥いるわね」
「‥‥ああ」
 シュラインと廉が囁きをかわす。
 東北自動車道。とあるパーキングエリアである。
「二〇人ってところだな。那神、シュライン。綾を頼むぜ」
 僅かに緊張した声で巫が指示を出す。
 こちら側の手勢で戦闘能力を有するものは、廉、九夏、巫の三名。かなり分の悪い戦いになりそうだった。
「ちょっとハイジなに言ってるの? わたしも戦うわよ」
 怒ったように綾が詰め寄る。
 恋人を戦わせて自分は大人しく守られている、などということができる女性ではないのだ。
「ダメっす」
「ダメですよ」
 九夏と那神が、口々に諫める。
 敵の狙いは綾自身なのだ。運動神経の鈍い彼女が前線に出て、拉致でもされたら目も当てられない。
 後方から援護でもしてもらうのが無難であろう。
 だいたい、乱戦になってしまえば、綾の魔法などたいして役に立たない。魔法は敵味方を区別しないからだ。
「‥‥わかったわよぅ」
 不承不承に、茶髪の魔術師が頷く。
 彼女も理解してはいるのだ。しかし、論理思考力に富んだ頭脳も、恋愛が絡むと失調するものらしい。
 こんな場合だが、シュラインは苦笑してしまった。
 そして、すぐに表情を引き締め、
「くるわよ!」
 と、仲間の注意を喚起した。
 怪鳥のように外国語を喚きつつ、黒服の男たちが殺到する。
「‥‥ただの諜報員か‥‥」
 薄く笑った廉が、懐から拳銃を引き抜く。
 同時に、軽快な発射音が鳴り響いた。
 一発、二発、三発。
 速射である。
 ろくに狙点すら定めない。しかし、一弾の空撃すらなかった。極北まで鍛え上げられた射手に、敵の動きが止まる。
 それは、時間にして一秒に満たなかっただろう。
 だか、巫と九夏が攻撃を開始するには、充分すぎる時間だった。
 黒髪の浄化屋が、くわえていたタバコを軽く放る。
 無意味な行動、ではない。
 タバコは空中で分裂し、無数の火球となって降り注ぐ。物理魔法である。綾から教わったそれに、巫自身がアレンジを加えたものだった。
 焔の雨が降り注ぐなか、雷光にも似た輝きが敵中を走る。
 これも物理魔法である。
 ただし、使用しているのは九夏だ。
 若年の陰陽師もまた、綾の技を修得しているのである。
 そして、彼の技はそれだけではない。
 血気にはやって突進してきた敵が吹き飛ぶ。まるで、見えない壁に当たったかのように。
 防御結界だ。
 最年少の九夏ですら、この活躍である。
 幾度も実戦と修羅場をくぐり抜け、特殊能力を有する彼らには、一介の諜報員では歯が立たなかった。
 だが、
「‥‥ねえ綾さん。さっきから、敵が全然減らないんだけど‥‥」
「‥‥どうやら、連合しちゃったみたいね‥‥」
 やや深刻な会話を、シュラインと綾が交わしていた。
 バチカンだろうがワシントンだろうが、個別に動いてくるのなら、さほどの脅威ではない。硬軟いずれにしても対応は容易だ。
 しかし、各国の情報部が野合して、綾を拉致、もしくは抹殺を図るとすれば、事態は笑って済ましうる範囲を超えよう。
「‥‥まったく、どれだけの悪事を働いてきたんだか‥‥」
 ぼそりと、シュラインが呟く。
「しつれいねー。シュラインちゃんたちだって、バチカンの連中には恨まれてるじゃないのー」
 耳ざとく聞きつけ、戯けた口調でまぜ返した。
 青い目の美女が肩をすくめる。
 たしかに、彼女ら怪奇探偵の活躍によって、バチカンの思惑が潰えたことがあるのだ。
「和まないでくださいよ。ほら、また敵が増えてきましたよ」
 自信なさげに那神が指摘する。
 巫、廉、九夏の活躍によって、一〇人以上の敵がアスファルトに伏しているが、なお三〇人近い数が健在であった。
 インドア派の彼としては、不安なしとは言えないのだろう。
「大丈夫。何人いても同じだから」
 シュラインが応える。
 双眸には、仲間に対する信頼が宿っている。
 ここは何もない平原ではない。パーキングエリアなのだ。彼らが乗ってきた自動車の他、荷運び用のトラックに、襲撃者たちの乗用車。遮蔽物は幾らでもあるのだ。
 このような場合、勝敗を分けるのは数ではなく質だ。
 包囲さえされなければ、探偵たちの勝利は動かないだろう。否、敵わないと知った敵が退く方が早いかもしれない。
「でも、一般車両が全然入ってきませんね‥‥」
「封鎖してるんでしょ。目撃者を出さないように」
 絵本作家と大学助教授の会話を、シュラインは聞き逃さなかった。
 道路封鎖をおこなうこと自体は、さほど難しいことではない。数本の標識で済むことだ。問題はタイミングである。
 ターゲットが何処のパーキングエリアに立ち寄るか、情報が漏れていたということであろう。一台の車両で移動しているわけではないので、運行計画は事前に立案されている。探偵たちが漏らした可能性はなくとも、引っ越し業者やレンタカー屋のデータが閲覧された可能性は低くあるまい。
 そこまで考えると、あまり面白くもない結論に達する。
 待ち伏せだ。
 尾行してきた敵、つまり、前面に展開する敵は囮だということである。
 何のための囮かは考えるまでもない。探偵たちを危地に追い込むために決まっている。
 であれば‥‥。
 シュラインは、聴覚に集中した。
 目前の戦闘音が遠ざかり、代わって、認識範囲が広がってゆく。
 風の音。梢のざわめき。微かな呼吸音‥‥。
 いた。
 息を殺し気配を消し、襲撃の機会を伺うものたちが。
「綾さん! 伏兵がいる!!」
 鋭く警告を発する。
 しかし、それは失敗だった。
 存在に気付かれた敵が、突発的な攻撃に打って出たからである。そして、迎え撃つ綾の運動神経と反射神経は、お世辞にも良いとはいえなかった。
 眼前に刺客が迫り、慌てて呪文の詠唱に入る大学助教授。
 間に合わない!
 絶望の翳りが、シュラインの青い瞳を支配する。
 だが、空気分子すら活動を止めたような一瞬に、動いたものがいた。
 那神である。
 平素の彼からは信じられない俊敏性で、綾を抱きかかえて跳ぶ。
 刺客たちのナイフが、間一髪で大気を切り裂いた。
 こく短い空中散歩を楽しんだ二人の前に、アスファルトに鎧われた大地が急接近する。
 綾が声にならない悲鳴をあげた。
 那神が体勢を入れ替える。
 同時に鈍い音が周囲に響いた。絵本作家の後頭部が、地面と強烈な接吻を交わしたのだ。
 大きくバウンドして転がる知的労働者たち。
 ふたたび刺客が殺到した。
 今度こそ、絶体絶命の危機であった。
「綾!」
「バカハイジ! よそ見するんじゃない!!」
 巫の声と、倒れたままの綾の声が交錯する。
 幾つもの事が同時に起こった。
 戦闘中に集中力を途切れさせた浄化屋の鳩尾に、黒服の蹴りが炸裂する。
 綾を助けに走ったシュラインの前に、二人の黒服が立ち塞がる。
 流れるような動作で弾倉を交換した廉が、綾に向かった三人ほどの肩を撃ち抜く。
 一時的に戦力の激減した前線を、九夏の防御結界がかろうじて支える。
 綾に肉迫していた黒服が二人、那神の足払いで同時に転倒する。
「こっちは俺に任せろ! 前線に戻れ!!」
 那神、否、金色の瞳を爛々と輝かせたもう一人の那神が、腹を押さえつつ駆け寄ろうとした巫に指示を下した。
 シュラインが安堵の溜息を漏らす。
 危機を迎えて、絵本作家の裡に宿る野生が目覚めてくれたようだ。
 心強いことこの上ない。
 とはいえ、前線にも綻びは生まれている。
 人体の急所に一撃を叩き込まれた巫の戦闘力は一時的に激減しているし、予定外のところで銃弾と呪力を浪費してしまった廉と九夏も、徐々にだが押され始めていた。
 弱いところに戦力を集中するのは、戦術の常道である。
 巫の周囲に、ナイフの斬光が煌めきわたる。あるいは身をかわし、あるいは受け流し、浄化屋も必死に応戦するが、全てを防ぎきることは不可能だった。
 無数の小さな戦傷が、彼の身体に赤い花を散らす。
 廉と九夏がフォローしようとするが、自身に群がる敵を処理するだけで手一杯だった。
「なにをやっていやがる‥‥」
 那神の顔をした野獣が呟いた。
 シュラインと綾を狙う黒服どもは、彼ひとりで圧倒している。とはいえ、素手のままなので、戦闘力を奪いきるのに時間がかかってしまう。とてもではないが、巫の援護までは手が回らない。
「‥‥あったまきた‥‥よくもわたしのハイジを嬲ってくれたわね‥‥」
 奇妙に平坦な口調で呟き、ゆらりと綾が立ち上がった。
 側にいるシュラインの背中を、冷たい汗が伝う。
 凍てつくような綾の迫力に圧倒されたのだ。日比谷公園、富士の演習場。青い目の美女は、綾の危険さをよく知っている。
「ちょっと綾さん。無茶はやめて!」
「‥‥やめない」
 言って、両手を大きく広げる綾。
 まずい、と、シュラインは思った。
 外国語が堪能な彼女は、魔術師の口から紡ぎ出される言葉の意味を把握した。竜巻を起こすつもりなのだ。直接に目撃したことはないが、その破壊力は仲間から聞いて知っている。戦闘用ヘリコプターを破壊するほどのものだと。
「ダメだって! みんな死んじゃうから!!」
 両腕で綾の頭を抱え込み、口を塞ぐ。
 年齢では茶髪の魔術師が上回るが、身長差では黒髪の事務員が頭ひとつ分勝っている。むろん、体力も遙かに凌いでいるのだろう。
 じたばたと綾が暴れるが、拘束は外れなかった。
「むぐー むぐー むぐー」
 なにやら喚いているが、意味のある言語にはならない。
 おそらくは、相当に下品なことでものたまっているのだろう。
「いたたた。噛みつかないでよ。‥‥まったく、子供じゃあるまいし‥‥」
 苦笑しながらも、シュラインには綾を解放する意思はない。
 怒りに身を任せている魔術師など、暴走機関車よりも危険だ。
「‥‥とはいえ、少し困ったわね‥‥」
 内心で慨嘆する。
 戦闘能力を有する仲間は頑張ってくれているが、包囲の鉄環は僅かずつ狭まっているのだ。個々の力では怪奇探偵たちに遠く及ばない敵でも、数が揃えば脅威だということであろう。
 やはり、先程の連携の齟齬が痛い。
 ハンディキャップもある。
 敵はこちらを殺害するつもりだが、こちら側には敵を殺すつもりはない。さしあたり戦闘力を奪うだけの戦いに終始している。つまり、手加減しているのだ。これは、なかなかに厳しい条件である。
 ‥‥最終的には綾の魔法を使う必要があるかもしれない。
 仕方なく腹を決めるシュラインの視界に、ひとひらの雪が映った。
 季節外れな、と、感じるよりも早く、雪は蝶へと姿を変える。
 紅色の蝶だ。
 この技を使う人物に、黒髪の事務員は一人だけ心当たりがある。
「悠也くん!」
 驚愕の叫びを圧し、十二輪の巨大トレーラーがパーキングエリアに突入してきた。バンパー部分には、有刺鉄線が絡みついている。おそらくは、力ずくでバリゲートを破ってきたのだろう。
 底腹に響くようなクラクションが響き渡る。
「遅くなりました皆さん。援軍の到着です」
 やたらと高い位置にある助手席から顔を覗かせた斎が、笑いながら手を振った。
 時の氏神ともいうべき登場である。
 狼狽する黒服たち。
 耳障りな破砕音とともに、車の一台が挽き潰された。黒服たちが乗ってきたベンツだ。
 アメリカ産のアクション映画のようなシーンである。
「‥‥あーあ、もったいねぇなあ」
「斎さん、目立ちすぎですよ‥‥」
「あんなバケモノ車両。道交法違反だ」
 どことなくずれたことを口にする前衛の三人。
 安堵と虚脱が、同時に精神野を占めたため、一時的に失調してしまったのかもしれない。
 ただ、斎としては、面白がって派手なことをしたわけではないのだ。
 強烈な恐怖心を与えることによって敵の戦意を削ぐのが目的である。
 戦わずして勝つ。
 これこそが戦略の至上であろう。
「‥‥ホントかよ‥‥? 俺には愉しんでるようにしか見えんが‥‥」
 一抱えはありそうなハンドルを握った男が、胡散臭そうに呟いた。
「やだなぁ。それは邪推ってもんですよ。サトルさん」
 カラカラと斎が笑う。
 サトルと呼ばれた男が、ますます疑わしそうに目を細めた。
 斎と同じ色の瞳を。
 車窓に映る外界では、黒服たちが逃げ散りつつあった。
 どうやら、これで幕引きのようである。
「すっかり仲良しになったわね‥‥」
 苦笑をたたえたシュラインが、やや呆然としたように、巨大トレーラーを見上げた。
「てか、シュラインちゃん。そろそろ放してくれない? わたしとしては、ハイジに駆け寄りたいなーとか思ってるんだけど」
 僅かに緩んだ両腕の隙間から顔を覗かせた綾が抗議する。
 どちらが年長かわからない有り様だった。
 疲労のため地面に座り込んだ那神が豪快に笑う。
 釣られて、シュラインも少しだけ微笑んだ。
 午後の陽射しが、激戦の跡を穏やかに照らしていた。


  エピローグ

 札幌の大気は、意外なほど冷涼だった。
 桜の開花すらまだらしい。
 同じ国内とは思えぬ環境の違いに驚きながら、探偵たちは新鮮な空気で胸郭を満たした。
 足かけ三日間。
 交代で運転し、休息も取ったが、疲労の蓄積はかなりのものである。
 普通乗用車二台と荷運びトラックが一台。それに巨大トレーラーの頭だけが一両という珍妙な引っ越しグループは、一度だけあった襲撃を切り抜け、目的地に到着した。
「みんな、ご苦労さま。これ約束の謝礼よ。シュラインちゃん」
 故郷への帰還を果たした綾が上機嫌で小切手を渡す。
 探偵たちの仕事の、ここで終わりである。あとは引っ越し業者と大学職員たちが手伝う手はずになっている。些末事ばかりなので、彼らの出番はない。
 新千歳から飛行機で、東京に戻るだけである。
「‥‥色々大変でしょうが、頑張ってくださいね」
 そう声をかけたのは那神だった。
 むろん、普段の彼である。
「あなたもね」
 笑いを含んで綾が応えた。
 今回もまた、那神は途中で意識を失ったのだ。どうやら、自分は二重人格らしい、と、疑いはじめる彼である。しかもタチの悪いことに、意識を失っている間のことは、誰に訊いても笑うばかりで教えてもらえない。
 ちょっと落ち込んでしまう那神だった。
 それをよそに、仲間たちが次々と別離の挨拶と握手を交わす。
 シュライン、廉、斎、九夏、サトル。皆、笑顔だった。
 涙の別れなど、怪奇探偵にも綾にも似合わない。
 そんな中、巫だけが黙然と佇んでいる。
「灰滋‥‥浮気なんかしたら許さないから‥‥」
 かろうじて、綾が笑顔を浮かべる。
「‥‥俺にそんな甲斐性はないぜ‥‥」
 巫も無理に笑った。
 これから、遙かな距離の壁に立ち向かわなくてはならない。
 互いの顔を瞳に映しながら、ふたりの顔は自然と近づいていった。
 恋人たちに気を遣い、視線を逸らす探偵たち。
 その嗅覚に、かすかな花の香りが届く。

 北の地に、臆病な春の女神が訪れたようだ。



                    終わり

□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0188/ 斎木・廉     /女  / 24 / 刑事
  (さいき・れん)
0086/ シュライン・エマ /女  / 26 / 翻訳家 興信所事務員
  (しゅらいん・えま)
0374/ 那神・化楽    /男  / 34 / 絵本作家
  (ながみ・けらく)
0143/ 巫・灰慈     /男  / 26 / フリーライター 浄化屋
  (かんなぎ・はいじ)
0164/ 斎・悠也     /男  / 21 / 大学生 ホスト
  (いつき・ゆうや)
0183/ 九夏・珪     /男  / 18 / 高校生 陰陽師
  (くが・けい)

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

たいへん長らくお待たせしました。
Spring Breeze お届けいたします。
推理要素のないお話でしたが、楽しんでいただけたら幸いです。

それでは、またお会いできることを祈って。


☆お知らせ☆

4月15日(月曜日)18日(木曜日)の新作シナリオは、
著者、MT13執筆のため、お休みさせていただきます。
まことに申し訳ございません。