コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


+Re+ Weekly Victim

≪Weekly Victim≫

「おっひさ〜!」
 その日は朝からイマイチはっきりしない空模様が続いていた。
 早足で駆け過ぎて行ってしまった春の気配は既に遠く、大きく開け放たれた窓からは湿り気を帯びた初夏の風が舞い込み、煙草の煙に満ちた室内を浄化している。
「はぁ‥‥今日もいい天気だな」
「‥‥思いっきり無視したね」
 この興信所の主、草間武彦にすげなくされた通称『金にならん依頼ばかりを持ち込む傍迷惑な男』、仲介依頼人の京師紫(けいし・ゆかり)はブチブチと呟きながら、ここを訪れた時の指定席であるソファに腰を降ろした。
 そんな二人のやり取りを小さく笑いながら、紫に茶を勧めた女性所員が救いの手を差し伸べる。
「で、今回はどんな依頼なんですか?」
「んー、新宿で少しだけ噂になってる『神隠し』の話って知ってる?」
「新宿に出かけたっきり丸一週間音沙汰なくなるってアレですか?」
 流石にここの人達は耳が早いねぇ。
 目には目を、歯には歯を、無視には無視を。大袈裟なアクションで草間に背を向けた紫はこれみよがしの大声で語り始めた。
「じゃ、これは知ってるかな? 毎週金曜日に都庁近くの5階建のオフィスビルで開催されているヴァーチャルゲーム。勝者に与えられるのは――夢のような時間」
「え? それって‥‥」
 目を大きく見開いて、神隠しとゲームを繋ぐ糸に気付いた所員に、紫は「ほんと、飲み込みの良い人ばっかりで助かるよ」と微笑んだ。
「そう、想像通り。ゲームの勝利条件は最上階で眠っている人を起こす事。そして起こした人物――ゲームの勝者が新たな眠りにつくってワケ。これが『神隠し』の正体らしいんだけどね」
 そして紫は応接テーブルの上に1枚の地図を取り出した。
「場所はここ。この建設予定地になってる空き地にゲーム開催日に忽然と入り口のないビルが現れて、そしてゲームスタートの21時になると何もない壁から扉が出現する」
「そんなバカなことがあるか!」
 紫の話を背中で聞いていた草間が溜まらず怒鳴り声をあげる。しかし紫は冷静な目でそれに応えた。
「嘘じゃないよ、僕も経験者だし。すごいリアルなゲームでね、マネキンみたいな人形が出てくるんだけど、そいつらに殺される! って思ったらスタート地点に戻されてたりとかしたからさ」
 まるでリセットボタンを押してるみたいにね。
 その言葉に、居合わせた所員達は息を飲む。ただ草間だけは小難しい表情で眉を潜めた。
「というわけで、今回の依頼はこの理不尽なゲームを終わらせる事。
 今度の金曜、扉は僕がなんとか20時半には開けるから、ゲームが始まる迄の30分の間に全てを片付けて欲しい。
 最上階のゴールの部屋にたどり着くには1階から順に『地の鍵』『水の鍵』『火の鍵』『風の鍵』と4階までの各階に1つづつ、その名に関係する場所に隠してある鍵を手にいれる必要がある。一応スペアキーも僕が作ったのがあったりはするけど、万端とは言いきれない。
 まぁ一番の問題は勝者にならず、どうやって眠る人を起こすかだと思うけど‥‥」
「で、そんな馬鹿げたゲームの主催者は誰なんだ?」
 相変わらず背中を向けたままの草間の問いに、紫はその日初めての苦い笑みを浮かべた。
「それは不明。いかんせん僕はクリアー出来なかったからさ」
 また金にならん依頼を‥‥深々と草間が吐き出した吐息に、紫は「それが僕のポリシーだから」と舌を出した。

   ***   ***

 餓えていたのだ
 ただ久遠に続くこの刻に
 持たぬものなど何一つありはしなかった
 だからこそ生まれた虚無感
 そして見つけた
 それを癒す玩具を
 目まぐるしく移り換わる生を一呼吸置くのさえ惜しいかのように駆けぬける
 これほど面白いものはないと思った
 生まれた意義にようやく出会った
 そう悟った

 『人』は脆弱であるからこそオモシロイ‥‥


≪お茶とケーキと情報と≫

「うん。確かに僕は君にあのゲームの詳しい話をするって約束したけど」
 目の前には某有名店のアップルパイがワンホール。
 ティーバッグではなく茶葉から淹れた紅茶を注いであるティーカップは、三者三様を呈している。当然だろう、何といってもこの部屋の主は一人暮しなのだから。
「なんで君は僕のウチで寛ぎながらケーキなんて食べてるんだい?」
「いや、目の前にあれば食べるでしょう、普通」
 予想通りと言えばあまりに予想通りの答えに、室田充はガックリと肩を落として背中からベッドにひっくり返った。
 都内某所の一人暮し用のマンションである。来客が二名にもなれば応接用のソファーは訪問者に占拠され、家主はフローリングの床にクッションを抱き締めて座るか、ベッドをソファー代わりにするより他はない。
「むーちゃん、それセクシーショット。おヘソ見えてるよ?」
「紫くん!!」
 梃子の原理で反動をつけて起きあがった充は、加速する勢いそのままで来訪者@号――京師紫の眼前にビシっと人差し指を着き付けた。
「君が話を聞きたいっていうから聞かれた事には答えたし、僕の気付いたことはちゃんと話したけど。でも僕はこれが<依頼>になるなんて聞いてないよ?」
「解決するにはそれなりの力が必要だと思ったから。というわけでむーちゃんも怒ってないであーん」
 反論するべく開きかけた口に、ご丁寧にも一口サイズにカットされたアップルパイが放り込まれる。口一杯に広がるシナモンの香りと、焼きリンゴの甘酸っぱさの誘惑に、充はしばしそれを無言で咀嚼する。
「はい、コッチも美味しいよ」
 次いで差し出された紅茶も受け取って、取り敢えず口に含んで豊かな香りを楽しむ。
「‥‥って、本当に美味しいねぇ」
「でしょ」
 悪気なんて物、完全皆無の笑顔に迫られては、頷き返すしかなく。充は深い溜息と共に紫の強行計画を事後承認と言う形で納得することにした。
 それでもどうにも釈然としないので、手にしたままのティーカップの中身を一気に飲み干すと、派手な音を立てて――でも割れないように細心の注意を払って――来客の時だけ引っ張り出すガラス製の丸テーブルの上にそれを置き捨てた。
 Webで参加者を募ったナゾのゲーム。
 勝者に与えられるのは夢のような時間。
 果たしてその正体は――得体の知れない<紫胤>と名乗った女の暇つぶしの為の遊戯であり、報酬は文字通り「一週間の眠り」であった。
 そして、充自身もその勝者の一人であり、一週間もの間、体のどこが悪いと言うわけでもないのに一度たりとて目覚めることなく眠り続けた経験を持つ者である。
「あ、室田さんお代わり如何ですか?」
 空っぽになった充のカップを覗きこみ、紫が連れて来た来訪者A号――唐縞黒駒がビクビクと様子を伺いながら充に問いかけた。
 なんだか本当に小動物みたいな子だねぇ
 紫に連れられてケーキを手土産にこの部屋を訪れた彼を最初に見た瞬間、紫にこんな大きな隠し子がいたのかとかなりの衝撃を受けたのだが、黒駒もまた草間興信所で依頼を受けた者の一人であると言う自己紹介をされた時には、正直目の前が暗くなるのを充は禁じえなかった。
 いったいどこの世界に半ズボンを履いた、どこぞの囲碁マンガのライバル少年のようなおかっぱ頭の24歳サラリーマンがいると言うのだろうか。
 髪型だけで言うならば、それを少し長くしただけの紫も大差ない筈だが、とにかくこの青年――少年と言いたい所をグッと堪えて――はとにかく幼顔なのだ、思わず免許証で年齢を確認したくなるほどに。
「取り敢えず、もらっておこうかな」
 ついつい出そうになる溜息をグッと堪えて、微笑みと一緒に空になったティーカップを差し出すと、黒駒は尻尾を振る子犬のように新たな紅茶の準備に取りかかる。そんな彼の様子を少しだけ複雑な心持で横目に見遣りながら、充は紫に向かって姿勢を正した。
「で、何を話せば良いのかな?」
「取り敢えず、ビルの内部のことを出来るだけ詳しく。鍵の属性に関係ありそうな物をあるだけ思い出してもらえると助かるかな」
 紫の方も、『仕事』をする気になったのか。
 先ほどまでの緩みきった雰囲気を払拭して、真剣な面持ちで充の目を見返して来た。
 そう。
 あの理不尽なゲームは次回の参加――というより無理やり押しかけなのだが――で絶対に終わらせないといけない。
 自分のように会社に机がなくなってはいないかという心配をしなくてはならない者が二度と出ないように。
「あ、あ。ビルのお話をするんでしたらちょっと待ってくださいぃ〜」
 キッチリ計っていた蒸らし時間がようやく終わったのか、それまで無言を通していた黒駒が雰囲気を変えた二人に、慣れた手付きで新たな紅茶を自分以外の二人のティーカップに注ぎ分けると、持参していたノートパソコンをテーブルの上に引っ張り出した。
「それって最新モデル?」
 話が多少ずれることは分かっていたが、黒駒の所有するそれが最近店頭に並んだばかりの結構値の張る最新機種であることに気付いた充は、ちょっとした興味で随分とコンパクトなデザインになったそれに手を伸ばした――が、彼はこのことを随分後々まで後悔することになる。
「あ、いやぁ。どこ触ってるんですかぁぁっ」
 突然上がった甘ったるい叫び声に、ビクリと全身を震わせて充は出しかけた手を引っ込めた。
 何か幻聴でも聞いたのかと思って小さく頭を振ってみるが、眼前で繰り広げられるソレは間違いなく現実の物だった。
「ごめんね、ボクのパソコンさん」
 充に触れられた場所を何度も念入りに撫でる黒駒の姿。
 それはまるで愛娘が痴漢の被害に遭った親の姿のようであり、はたまた痴漢に遭った当の本人のようであり。
「あ、ごめんなさい。ボクったらお話の邪魔しちゃいましたね‥‥ううっ、ボクってなんでいつもこうなんだろう」
 挙句の果てに大きな瞳に涙まで溜め出す始末。
「‥‥ねぇ、紫くん。悪いけど、こんなんで本当に事件解決出来ると思ってる?」
「まぁねー、なんとかなるんじゃないななぁ?」
 黒駒には聞こえないように、紫の耳元で囁けば実に呑気な答え。
「さ、お待たせしました! 今度こそ絶対大丈夫です!」
 いつの間に立ち直ったのか、ウキウキとノートを広げ2Bの鉛筆を握り締めたおかっぱ青年の姿に、今日幾度目になるか分からない溜息を深々と吐き出しながら、充は取り敢えず黒駒を自分の視界に入れないようにして憶えている限りの情報を淡々と語り始めた。


≪始動≫

「なら、俺が火で、クローソーが風の鍵だな」
「地の鍵なら僕達でなんとかなると思いますよ。エマさんもいてくれるし」
「それなら俺は水の鍵ってことですね」
「そういう割り振りになるか。くれぐれも早まらないで全員の到着をギリギリまで待つ事を憶えておいてくれ。どうやら四つの鍵が揃わないとあの女は出てこないような口ぶりだったから」
「‥‥やっかいな話ね」
 四つ人影が表通りから少し離れた場所にあった。
 いっそ不自然なまでに人の流れの途絶えたそこは、窓一つない不審な漆黒のビルの裏手にあたる所。
 色様々なネオンに彩られた中空から降り注ぐ光で、暗闇とは程遠い立地条件にありながら、そのビルはひっそりと夜の中に溶け込んでいた。
 それはまるで――誰かが意図的にそうしているのではないかと思える程に。
「でも、ゲーム参加者が三人もいてくれるってのは正直心強いですね」
 ジーンズにTシャツ。その上にパーカーを羽織ったいかにも高校生らしい姿の碧が、周囲の大人達を見まわして微笑んだ。
「ゲーム参加者と言っても、僕の場合はひたすら逃げ回ってただけだけどね」
 その言葉に、いつも通り一日の労働の跡が色濃く残ったスーツを着た充が照れたように頬を掻く。そんな彼の肩を、全身黒一色で衣服を統一した夾が軽く叩いた。
「そんなことはないだろう。現に『勝者』になったのはあんたなんだし。色々な所を見て回ってくれたおかげでこうしてビル内部の地図が用意できたんだからな」
 取り敢えず、無事に目が覚めてよかった。
 先日参加したゲームで顔を合わせ、充が勝者となり眠りについていたことを自分の目で見て知っていた夾は、この場に充がいることに珍しく頬を緩めた。
「確かに地図はありがたいけど」
 今回、このゲームに初参加となる――正確には依頼を遂行することになる――充とは対照的に彼女の性格をまるで体現したように爪の先まできっちりと整えたシュラインは、今ここにはいない子供のような青年から手渡された一枚の地図を見て嘆息した。
「まぁね‥‥僕もちょっとビックリしたんだけどさ」
 充の話を元に作成されたソレは、確かにビル内部の状況を事細かに記してはあったが、今時珍しい手書きのコピーだった。しかも罫線までがコピーに出ているは、消しゴムで何度も消した跡が残っているわで‥‥明らかにノートに手書き、しかも鉛筆で描いた物である事がくっきりと見て取れる。
 充の話だと、地図を作成した張本人が人前でパソコンを使うことを嫌がったゆえの顛末らしい。
「皆さん、お待たせしました〜」
 純白のワンピースに同系色のボレロを身を纏った女性が緊張感のかけらもないおっとりとした足取りで四人の元へ駆け寄った。
「クローソーさん、お疲れさまです」
「あれ、黒駒くんは?」
 コピーして持ってきていた地図が、気が付いたら一枚たりなくて慌ててコンビニに走って行った地図製作者の黒駒と一緒に、「今夜はちょっと冷えますから温かい飲み物でも買ってきます」と、自分は二度目だから詳しい話は簡単に聞けば分かりますので、とコンビニに付き添った筈のラフィエル単独の帰還に充が疑問符を投げる。
「えっと、行ったコンビニ。偶然コピー機が故障してまして。遅くなるとみなさんが心配するからって私だけ先に戻って来てしまいました」
 なんだか、どうしてボクっていつもこうなんだろうって泣きそうになられてたのが気にかかるんですけれど。
 小首を傾げながら、見る者の気持ちを穏やかにする笑顔を惜しげもなく振り撒くラフィエルの手から、コンビニ袋を譲りうけた碧が全員に缶ジュースを手渡してまわる。
「しっかし、その依頼人って人。まだですかね?」
 時計を見れば既に『入り口を開ける』約束の時間まで、あまり余裕のある状態ではなかった。現に、今日のゲームの「招待参加者」であるだろう人影もビルの反対側――つまりは大通りに面した方にチラチラと見え始めている。
「お待たせ」
「うわぁぁっ」
 不意に背後から何かに抱き付かれた碧が短い悲鳴を上げ手にしていたコンビニ袋を派手な音を立てて地面に落下させた。何事かと、拘束された体で振り返れば、自分よりほんの少しだけ背の低い男が、ワシっと碧の背中に張り付いている。
「紫くん、遅いっ」
 未だ事態の把握に至っていない少年の体を隠れ蓑にした遅刻寸前ギリギリセーフ状態の仲介依頼人の紫が、碧の背からちょこっと顔を覗かせ、充の言葉に「ゴメンゴメン」と二度謝ってみせた。
「‥‥相変わらず得体の知れない行動をする男だな、京師」
「あ、紫月くんも来てくれたんだ」
 別件で既に紫と面識のあった夾は短い一瞥をくれたが、その視線に呆れだけでない再会を喜ぶような色が混ざっていることに紫は気付き、パタパタとそれに手を振って応える。
「初めまして。ラフィエル‥‥」
「クローソーさんですよね。TVで時々お姿拝見してます」
 隣に立つ充に紫をコソっと紹介されたラフィエルが、絵的に似合わない甘さ控え目の缶紅茶を両手で握り締めたままフワリと優雅に紫と初対面の挨拶を交す。
「ところで京師さん。その子、固まってるわよ」
 顔なじみの気安さのシュラインの鋭い指摘に、紫は思い出したように碧の背中を解放した。
「ごめんごめん。ってことは君が鷹科碧くんだね?」
「あ‥‥と、えぇそうですけど。ってことはアンタがこの件の依頼人?」
「そうです。草間さんちに金にならない依頼を持ち込むのを趣味にしている京師紫です。今回はよろしくね」
「‥‥京師さん、絶対に武彦さんおちょくって遊んでるでしょう?」
 シュラインの手厳しいコメントにフフっと目を細めながら、紫は改めて碧に対し正面に向き直り、スッと右手を差し出した。
 その手を、いきなり他人の背中に張り付くような男に払う礼儀があるもんだろうかと釈然としないまま一応碧は握り返してやる。
「ところで黒駒くんは?」
「お‥‥っ、お待たせしました〜っ!」
 紫の追及のタイミングを待っていたかのような絶妙さで黒駒ががパタパタと駆け戻って来た。
「はい。碧くんの分です」
 笑顔で差し出されたのは当然先ほどの手描きの地図のコピー。
 今回の面子で最年少だからという遠慮もあってか、足りない分を辞退していた碧だったが、既に地図の概要は頭の中に十二分に叩き込んである。しかし要らないとは流石に言えなくて小さく有り難う、と告げるとそれを受け取った。
「というわけで、全員揃ったね」
「一番最後に来た人の言うセリフじゃないわね」
 シュラインのツッコミに、紫は一瞬押し黙ったが「すいませんねぇ」と悪びれた様子もなくすぐに復活を果たす。
「時間がないから手短に確認。使える時間は今から21時までの約30分。リセット食らってる暇はないから各々行動には十分に気をつけて」
「時間がないのはアンタが遅かったせいだろ‥‥‥」
 背後に取り付かれたのを根に持っているのか、目上の者には敬語を使う筈の碧がボソっと呟きながらジト目を向ける。が針のムシロに慣れたのか、紫はにっこり邪気のない笑みでそれに応えた。
 碧の肩をぽんぽんと慰めるように充が叩く。
「で、鍵の奪取その他だけど‥‥」
「それに関しては既に調整は終わっている。あんたは入り口を開けてさえくれれば大丈夫だ」
「そうなんだ。なら安心して任せられるね」
 夾の言葉に、紫は無言で頷くと、六人に背を向けて入り口のない漆黒のビルに歩み寄った。
 男にしては線の細い手が、コンクリートの冷たい壁にそっと触れる。
「僕は足手まといになるといけないからここで待つけど。くれぐれも油断はしないで」
「そんなこと当然だろ」
 すでに臨戦モードに突入した碧に、紫は皮肉でもなんでもなく心の底から「頼もしいね」と微笑むと、そっと瞳を閉じる。
 訪れる静寂。
 目に見えない何かが紫の無造作に結われた髪をフワリと持ち上げた。
「それじゃ、行っておいで!」
 その刹那、なかった筈の裏口用の非常扉が出現した。
 ムダな動き一つなく、次々に六人が扉の中に吸い込まれて行くのを紫は黙って見送る。
「貴方も気をつけて」
 駆け込みざま、ラフィエルは紫の額に浮かぶ汗に気付いて声をかけた。


≪貸借対照≫

「さて、問題です」
 多少、呼吸を乱しつつシュラインが共にある二人を見返ると、ちょうどすっ転んで今にもビービーと泣き出しそうな勢いの黒駒を、充が手を取って立ちあがらせてやる瞬間だった。
「すいません、すいません。もうっ‥‥ボクってなんでいつもいつもこうなんだろう」
 既に何度目になるか分からないそのセリフを、ハッキリ言えばかなりウンザリした心境でシュラインの耳は聞き流した。
 彼女の優れた聴音能力は、彼に悪気があるわけでも、またその言葉に真実嘘がないことをしっかりと聞き取ってはいたが――こうも連発されると嫌気もさすという物だ。
「良いよ、気にしなくって。それよりリセットかかって振り出しに戻される方が大変だからさ」
 大変――というより。
 どうやら鍵を四種とも揃えないとラスボスに御登場頂けないらしいと言うシステム上、どこか一箇所でもリセットを食らうのは、今回の依頼を解決する上で致命傷であると思われる。
 小学生と、その引率の先生と言った様子で黒駒の手を引きながらシュラインに追いついて来た充に「ご苦労様」と目で告げたら、少しの苦さが混じった笑顔が返って来た。
 三人で一度足を止める。
 どこをどう走ったかはしらないが、視野の範疇には互いの姿しかなかった――今は。
 壁にドサリと体重を預けてシュラインが大きく嘆息する。
「で、さっき何か言ってなかったっけ?」
「『さて、問題です』」
 充の問い掛けに、シュラインは二人の鼻先にピッと立てた人差し指をつきつけた。
「現在のこの状況を打開する為にはどうすれば良いのでしょうか?」
 ――さしあたり直面している、そして早急に解決しなくてはならない問題だった。
 恐らく同時に同じことを思ったのであろう。一人視線の高さの違う黒駒を挟んで、充とシュラインは目を合わせて、計ったように二人並んで盛大な溜息をついた。
 そんな二人を、所在なげに黒駒が怯えた瞳で見上げる。
 それはほんの少し前の出来事。
 何やら特殊技能持ちらしい残りの三人とは屋内階段の下で別れを告げ、正面入り口(らしき)場所まで行った所までは良かったのだ。
 以前このゲームに参加したことのある充に先導され、まだ電気が通っていないのか、表示板にすら明りの点っていないエレベーター前の観葉植物の鉢の中を三人で手分けして捜すことにして。
 観葉植物に妙な虫がついていたとかで、黒駒が騒ぎ出したのが運の尽き。
 そこから三人はひたすらのっぺりとした表情のない電子人形に追い掛け回されることになってしまっていた。
「ねぇ‥‥コレだけここに置いて行ったらダメかしら?」
 本気ともつかない冗談をシュラインが口にした刹那、ビクリと黒駒が身を大きく震わせシュラインの背後に逃げ込んだ。
「何よ、冗談じゃない」
 流石に言い過ぎたかしら、と綺麗にマニキュアの塗られた爪で黒駒の鼻先を弾いたが、黒駒はふるふると首を横に振ってそれに応えた。
「‥‥エマさーん」
「どうしたの? 情けない声なんか出して」
 今度は充がツイツイっとシュラインの服の引いて恐る恐る一点を、いや一点を差して、また指をスライドさせたので二点を示して絶望の表情を見せた。
「最悪ね‥‥」
 充の示した先を見遣り、半ば自棄の心境でシュラインが言い捨てた。
 三人の視線の先、ちょうど挟み込むように音もなく出現した二体の電子人形。
 ハッキリ言わなくても、状態としては最悪だった。
「あ! そうだ!」
 壁に持たれかかっていた為、現在は既に退路は断たれているに等しい。
 更に悪いこととは重なる物で、迫ってくる電子人形の一体は充を一度リセットに追いやった巨大サイズバージョンだ。
 どう考えてもリセットの絶体絶命大ピンチに、黒駒は思い出したように両手を打ち鳴らした。
「鍵、欲しいんですよね?」
 迫り来る二体の電子人形を怯むことなく、蒼い双眸で睨み付けているシュラインの腕に黒駒がぶら下がるように縋り付く。
「当たり前でしょう!」
「ボク、出来ます。それ、出来ますっ!!」
 シュラインの叱咤に、怯むことなく黒駒が正面から言い返す。その初めて見る彼の姿に充も人形を牽制しながら両の目を見張った。
 ユラリ。
 またユラリ。
 追い詰めた獲物を嘲笑うような緩慢な動きで、一歩一歩電子人形たちとの距離が詰められる。
「でも‥‥ボク一人じゃ出来ないんです! お願い、してくれますか?」
「あぁっ、もう! なんでも良いわ。出来ることならさっさとやってちょうだいっ」
「何? 僕達は何をすれば良いのっ!?」
 この時、二人は黒駒の微妙な言葉使いに気付き損ねた。
 黒駒が「お願いできますか?」と協力を要請したのではなく「お願い、してくれますか?」と願うことを要請したことに。
「祈って下さい! 鍵さん出て来て下さいって!」
 黒駒が二人の勢いに押されて叫ぶ――否、すぐ目前まで迫った電子人形の黒駒の頭くらいなら一掴みに出来そうなほどの巨大な手に恐怖を感じたからかもしれない。
「地の鍵! 今すぐ出てきなさいっ! 出てきて私の手の中に納まりなさい!!」
 ワケも分からず、シュラインが祈りの叫びをあげるのが充のそれより一瞬だけ早かった。
 刹那、黒駒の体から透明な光が溢れ出す。
 警戒したように人形達も、ピタリとその動きを止めた。
『願いを叶えましょう、等価のモノが代償になりますけど‥‥貴方の望みを今、ここに』
 陽炎のようだった光が急速に密度を増してシュラインの手の中に集束する。
『貴方の望みは地の鍵。それを貴方に授けましょう』
 カっと目を灼く烈光が周囲を真昼の輝きに染め上げた。
「‥‥あ、ボクったら代償が必要なこと、先に言うの忘れてましたね」
 真っ白な視界の中で黒駒がポツンと呟いた言葉に、充がこめかみを押さえたが、ほとんど視力が効かない状態であったため、その光景を黒駒が目にすることはなかった。
「そんなこと今はどうでも良いわよっ! さっさと行くわよ!」
 掌中に確かな質量を実感して。
 シュラインはまだ視野の眩む世界を二人の男の背を押して再び走り出した。
 予想していなかった突然の出来事に、人形達が意識を奪われ動きを止めている今が唯一無二のチャンス。
 これを逃してはここを切り抜ける機会はなくなる。
 そして最上階で待っているであろう今日限りかもしれないが、一応の『仲間』達の苦労を水の泡にするわけには絶対にいかなかった。
 僅かに聞こえる人形達の軋む音と、上階から響く誰かの声。
 ただそれだけを頼りに、シュラインは充と黒駒の手を取って屋内階段を目指した。
 そして、最上階に辿り付く寸前。
 少しだけ息をついた階段の踊り場で、シュラインはいつも胸から下げている眼鏡が失われていることを知るのである。


≪open into …≫

 1階から最上階の5階まで、一気に充、シュライン、黒駒が息を切らして駆け上がって来た時、彼等を最初に向かえたのは碧の笑顔だった。
「‥‥間に‥‥あった‥‥かしら?」
 肩で息をしながら問うたシュラインに「ギリギリセーフです」と碧は優しい笑みを浮かべて答えを返す。
 その言葉に、黒駒と充はリノリウムの冷たい床に揃ってしゃがみこんだ。
 なんだか、このビルに来ると走りまわりっぱなしな気がする。
 前回もそうだったし、今回もやっぱりそうだ。
 どれくらい前に辿り付いていたのかは知らないが、服装に微塵の乱れもない一回り年下の少年の気遣いに、充は少しだけ哀愁を漂わせた。
「あ、クローソーさんに紫月さん!」
 充同様、床にペッタリと座り込んでいた黒駒が、同じ形状の扉が並ぶだけの廊下の向こうから、走り寄ってくる二人を目聡く見つけて嬉しそうに手を上げる。
「鍵は?」
 夾の短い問い掛けに、シュラインはずっと握り締めたままだったソレを突き出した。
「間違いありませんわね。これからあの扉の模様と同じ力の気配を感じます」
 ラフィエルの言葉に、碧と夾が顔を見合わせて頷き合う。この階に到着したばかりの三人にはその意図が計れず、無言の眼差しで説明を要求した。
「えっと、黒駒さんにもらった地図にメモしてあったでしょう? この階の扉には鍵の属性を示すようなマークがあるものがあるって」
 碧の説明に充が、あぁ、と頷きを返した。
 前回参加した時に一緒だった寒河江駒子が気付いたコト。そのおかげで充は鍵の合う扉を一つ一つ探す手間が省けたのだ。
「どうやら、その模様に何らかの力が封印されている気配がするんです。それら全部をこの鍵を使うことで解放して初めてこのゲームの主催者の方に辿り付くのではと思いますの」
 ラフィエルの言葉に充と黒駒が目を合わせて笑う。
 事前に必要なことをキチンとまとめて書いた地図が役に立ったことが、純粋に嬉しかった。黒駒の癖のない黒髪を、充がやや乱暴に掻き混ぜた。
「とにかく。もう残り時間が少ないからな。全員揃ったことだしそろそろ行こうか」
 夾が、鍵の属性に対応する扉を一つ一つ指し示す。
 充と黒駒が、重い腰を上げた。

 充・シュライン・黒駒は連れ立って山のようなマークが蛍光塗料が発するそれに似た淡い光で描かれた扉の前に立った。
 碧はこの先に待つ『結末』に不敵な笑みを浮かべて、水の滴のようなものが描かれた扉へ姿勢を正して向かう。
 夾は何一つ迷いのない足取りで炎が描かれた扉の前へ。
 そして白銀の十字架をそっと握り締めたラフィエルは、風車が描かれた扉の前へと進む。

「皆さんに神のご加護がありますように!」
 ラフィエルの祈りと同時に、今全ての扉が開かれた。


≪bring … to a conclusion≫

「待って、いたよ」
 何もない部屋に二人いた。
 いや、一人は冷たい石の寝台に横たわって眠っているだけなので、そこに在っただけと言ったほうが正しいか。碧と年齢的に大差ない感じの少女だった。
 そして、もう一人。
 深淵を思わせる闇より深いムラサキイロに彩られた女。
 壁一面を紫に塗り込められた部屋に、初めて足を踏みいれた者はその異様さにまず眉を顰め、再び至った者は、婉然とした笑みを浮かべ片足に体重を預ける姿勢で、組んだ両手に小型のノートパソコンを持ち静かに立つ女に視線を奪われた。
「‥‥紫胤」
 夾が低い唸りにも似た声で女の名を呼ぶ。
 ラフィエルは、先ほどその女の幻に触れられた首筋に、握り締めていた白銀の十字架を押し当てる。
 そして充は――以前、このゲームで<勝者>の称号を得、一週間の眠りを得た充は、何故だか石の寝台で眠り続ける少女に見覚えがあるような気がした。
 多分、恐らく。
 この少女が自分を起こし、新たな眠りについたのだろう。
 そのことを充は理性ではなく本能で知覚した。
 それぞれ違う扉を潜った筈なのに、ドアを開けた瞬間から六人は同じ場所にいた。ただ細長い真っ直ぐな廊下。
 話には聞いてはいたものの、目の当たりにするとやはり我が目を素直に信じることは困難で。しかしそれでも足を止めるわけにはいかず。六人は無言のままこの紫色の部屋の扉を揃って開いたのだった。
 ここは彼等の日常のものさしは通用しない世界なのだ。
「へー、エラク美人なお姉さんが、こんな悪趣味なことをやってるんですねぇ‥‥」
 碧が小さく首を傾げて紫胤を眺め遣る横で、黒駒は怯えた様子で充の背に姿を隠した。
「アナタの目的は何なの?」
 影を縫い取られたような硬直から、シュラインが抜け出しゆっくりと紫胤に歩み寄りながら問いかけた。その声に混じる明らかな非難の響きに、紫胤は僅かに唇を綻ばせ微笑んだ。
「そこの三人から聞かなかったのか?」
「自分の暇つぶし? そんなものの為にこんなことを?」
「何か私が非難されるようなコトをしていると?」
「当然でしょう! アナタに人の時間を拘束する権利はないわ」
 激しく言い募るシュラインに、紫胤は静かに視線を横に流しながら底の見えない笑みをその顔に刻んだ。
「そうだな、私に権利はないかもしれないな。けれど、人間の方から私の方に寄ってくるのだ。自分の意志で来るものが自分の責任でどうなろうと‥‥私に非はあるまい?」
 これは以前にも語ったことだがな。
 押し黙ったシュラインに紫胤は黒のスリップドレスの裾を揺らした。
「人は脆弱だからこそ面白い。弱い心に棲み付かせた闇にほんの小さなキッカケを与えることで、本当に色々な顔を見せてくれる」
 こんなに楽しい玩具はあるまいよ。
 紫胤の言葉に、趣味サイアクっと吐き捨てる。
「ところで、お前達は良いのかい? 私は――楽しいから別に構わないが」
 ふっと紫胤がないはずのそこに窓があるように、目を細めた。その行動の意味することに気付いた黒駒が時計を見遣り、小さく短い悲鳴を上げる。
「たっ‥‥大変ですっ! 約束の21時まで残り5分もありませんっ」
 黒駒の言葉に碧も自分の時計で時間を確認し、不快感を露に前髪をかきあげた。
「要は‥‥っ、要はゲームを止めてまえばエエんやろっ! なら全員であの人一斉に起こしてまえばイイんと違います?」
 加速した苛立ちに碧の言葉使いが一変する。しかしそれに対しての反応を返せるほどの余裕のある者はいなかった。当のゲームの主催者を除いて。
「駄目だ。それでは恐らく眠る人間の意識に最初に触れたものが勝者になってしまうだろう。それに根本的にゲームが止まらない」
 夾の導き出した答えに、紫胤が満足そうに喉の奥を鳴らして笑った。
「その人を私達以外のモノで起こす方法には策があるんだけど‥‥」
 シュラインが、お守り代わりにポケットの奥に忍ばせてあるものをそっと服の上から握り締めた。そこには先日、以前紫から武彦が貰ったと言うガラス製の鍵が静かに覚醒の時を待っていた。
「それじゃぁ、あのパソコンの中身。全部消しちゃえば良いんですね、きっと」
 充の背後から顔を出した黒駒が、不意に思いついたことを口にした。瞬間、全員からの視線を浴び、「え? え??」と戸惑いながら再び充の背に隠れる。
「さて、相談会はそろそろ終わりかい?」
 紫胤の紫の瞳が舐るように全員を一人一人眺め見た。
「‥‥私があの方の能力を封じます」
 それまで無言を通していたラフィエルがそっと夾に耳打ちする。夾も無言でそれに肯き返し、二人の様子を伺っていた碧に一度だけ目を伏せて事態の了解を求めた。
「私の力が貴女に及ばぬと言うのなら、私は神に祈りを捧げましょう!」
 ずっと握り締め続けた白銀の十字架を胸に押し当てて、高らかに祈りの言葉を口にする。
「聖霊来たり給え、信者の心に充ち給え。主の愛熱の火をわれらに燃えしめ給え。しかしてよろずの者はつくられん。地の面はあらたにならん」
 そして謳い上げる。
 聖霊降臨祭で謳われる美しい調――『Venisancte spiritus』
 彼女のこの世の物とは思えぬ、まさに天使の歌声と形容されるに相応しいその旋律に、共鳴するように左腕のブレスレッドが淡い、そしてやがて炎の熱にも似た光を発し始めた。
「聖霊の光をもって信者の心を照らしたまいし天主、同じく聖霊をもってわれらに正しきことを悟らしめ、その御慰めによりて、常に喜ぶを得しめ給え。われらの主、キリストによりて、願い奉る」
 その瞬間、夾と碧が同時に動いた。
 夾の右手の一振りで意志を得た鋼糸が紫胤に絡みつきその動きを封じる。とそのタイミングに合わせて彼女の元へ走り込んだ碧が、それと認識される前に紫胤の手からパソコンを奪うと充と黒駒の方へそれを投げた。
「初期化命令! 分かるやろっ!!」
「――っ!」
 まだワケがわかっていないらしいまま充にしがみつく黒駒を取り敢えずそのままの状態で、充は手早くパソコンの電源を入れてメンテナンスモードに突入する。
「へぇ‥‥中身は普通のパソコンなんですね」
 興味深げに黒駒が発した言葉に、ホント、それで助かったと充は安堵の息を吐き出した。
「エマさんっ!」
「任せて」
 充の合図にシュラインがポケットの中から祈りを込めてそれを取り出した。
 繋ぎたい時に繋ぎたい場所へ扉を繋げてくれるという鍵。
 握り締めて自分の思いを伝える。
 眠る少女の隣と階下で今も動く人形の目の前を今すぐ繋げて。
 そうすれば不意に現れた障害物に人形が躓き、少女に向かって倒れこむ。そしてその衝撃は必ず彼女の目覚めに繋がる筈だ。
 室内に、ラフィエルの発する純白の光に、微振動を繰り返し始めたガラスの鍵が纏う薄水色の輝きが混ざり始めた。
 その水色の光に一瞬だけ紫胤が目を奪われたことに、彼女のすぐ近くにいた碧さえも気付かなかった。
 ユラリ。
 陽炎のような大気の揺らめきが生まれ、眠る少女のすぐ近くに半透明な扉が出現する。
「今だ!」
 誰が叫んだかは分からなかった。
『‥‥お前達には本当に楽しませてもらったよ。だから今回は私はここで引くとしよう』
 聴覚が捉えたのではなく、意識その物が捉えた紫胤の声。
 それは充の指が完全初期化命令を下すのと、幻の扉から現れた人形が眠る少女に向かって倒れこむのと、そして夾の鋼糸が捕獲していた対象を忽然と失って冷たい床に滑り落ちるのと完全に同時な出来事だった。

  ***   ***

 ふと気がついた時、六人はそろって屋外にいた。
 振り仰いだ空は、少なくない星の瞬きを忘れてしまった都会の夜空。
 少し離れた所から鼓膜を揺らした「なんだ、結局このゲームの話ってガセかよっ」と口々に不平を漏らす声に、彼等は事態を悟った。
 駅に向かって歩き出す人の塊とはやや距離を置いた所には、一人で立ちすくむ高校生くらいの少女の姿。
 その少女も、しばし考えあぐねた様子だったが、すぐに駅に向かって走り出して行った。

「お疲れ様でした。依頼、無事に完了してもらえたみたいですね」

 不意に背後からかかる声。
 まるで合わせたように全員で振りかえって。
 そこにあった紫の笑顔で、六人はようやく自分たちが自分たちの現実に返って来たことを実感した。


≪秘密の扉≫

 数えるほどしか星のない空を充は近くのガードレールに寄り掛かりながら眺めていた。
 彼の目の前には入り口のない漆黒のビル。それもあと数時間もすればなくなって、二度とこの場所に現れる事がないことを、なぜだか充は知っていた。
「‥‥『なぜか』‥‥なんかじゃないか」
 小さくこぼした充の言葉は、僅かに肌を刺す夜風に流され消えて行く。
 そう、『なぜか』なんかじゃない。
 自分も『勝者』として夢のような時間――それは文字通り一週間の眠りなのだが――を押し付けられたゲームが今日を限りに終わったのだ。
 自分達の手で終わらせた。
 けれど‥‥また同じような事が新たに始まらないという保証は何処にもない。
 無意識に吐きかけた溜め息を、意志の力で押し留める。
 溜め息の度に幸せが逃げて行く‥‥なんて言ったのは誰だったっけ?
「それにね、やれる精一杯はやったんだし」
 原色の光に染められ、闇とは言いがたい夜空を充は改めて振り仰いだ。どんなに目を凝らそうと、数えられる星の数は変わらない。
 それが、現実。
 誰にも変える事は不可能な事実。
 出来るのは、たった一つの取りこぼしもないように注意深く念入りにそれを見上げるだけ。
 それでも。
 例えそれだけしか出来なくても、何回か数えているうちに、さっきまで見落としていた星に気が付いた瞬間は、現実は先程までと何ら変わる事はなくとも、嬉しいのだ。
 そう、嬉しいのだ。
 だから、今はきっとそれで良い。
「で、終わったの?」
 指を折りながら瞬きの数を追っていた充は、ことさらゆっくりに首を傾ぐとぽっかりと一切の光を拒絶した暗がりに声を投げた。
「あー‥‥うん。待っててくれたんだ」
「まぁねー。紫くんが依頼解決の後、フラっと姿を消すのはなんとなく気付いてたからね」
 どうせ駅までの道のりは同じなんだから、一緒に帰ろうよ。
 弾む響きを持った充の声に、誘われるようにいつもと変わらない飄々とした笑顔を浮かべた紫が、闇の中から光の届く世界へ足を踏み出した。
「んー、行動パターンがバレてるなぁ」
 ゆっくり歩き出した紫に、充は体重を預けていたガードレールを軽く蹴り肩を並べた。
「セリフの割に顔が嫌そうじゃないよ」
「あはははは。だって僕、むーちゃん好きだし」
 暫く、他愛のない会話を続ける。
 今日あったこと。
 この間のゲームの時にあったこと。
 初めて紫を知った時に出会った少女達の話。
 つまらない上司の話。
 段々と駅が近くなる。
 会話の数だけ近くなる。
「ねぇ、紫くん‥‥」
「あ、これ毎回お金にならないもので悪いけど」
 遠慮がちに問いかけようとした充の言葉に紫の楽し気なそれが重なる。
「はい、毎度お馴染み不思議アイテム」
 自分で不思議って言うのもね。
 そうくったくなく笑いながら紫が充の手に握らせたのは、手のひらサイズの小さなガラス製の砂時計だった。
 中でサラサラと踊る砂もガラスを砕いて作ったのか、どこまでも遠くを見渡せそうなほどの純度の高い透明な輝きを纏っている。
「寝る前に枕許に置いておくと、見たい夢が見られるよ。まぁ、他の人に使って見せたい夢を見せる事も出来るけど」
 これまた定番で使用回数は一回だけだから。
 充の表情を覗き込むように、ツイっと一瞬だけ寄せられた紫の表情を彩る双眸は鮮やかな藤色。
 砂時計を握り締める充の手に、思わず力が篭る。

 YUKARIと名乗った紫胤
 印象的な狂気にも似たムラサキイロ

「ねぇっ! 紫くん!」
「っと、僕は地下鉄でこっちだから」
 喧騒が凝り始めた世界で、不意に並んでいた二人の肩が離れた。
 それでもまだ声を張り上げなくても会話の出来る距離。
「じゃ、むーちゃん。バ‥‥」
「紫くん、きみ‥‥もしかして『紫胤』と何か関係があるんじゃないの?」
 背中を向けながら、小さく手を振り掛けた紫に、充は声を荒げることなく静かに問いかけた。
 足が止まる。
 普段と変わらない穏やかな笑みのまま逆再生された映像のように、紫が充を振り返った。
 
 大丈夫
 声は届いている筈だ

 我知らず、充の手に汗が浮かぶ。その手に抱かれた砂時計が、華やかなネオンに濡れて妖しく輝いた。
 スローモーションのように紫が閉ざしていた口を開く。
「その女性がそう名乗ったのなら、彼女は僕の‥‥」
 突然、二人の間を人の波が過る。
「何? 聞こえな――」
 届かない応え。

 ざわめく街が、充の前から障害物を取り払った時、そこには既に紫の姿は無く。
 ただ最初からその場には彼しかいなかったように、ただ現実の時間だけがサラサラと音を立てて流れ続けている。
 その日、充が数えた仄明るい夜空に瞬く星は増える事はなかった。


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0054/紫月・夾(しづき・きょう)/ 男 / 24 /大学生】
【0076/室田・充(むろた・みつる)/ 男 / 29 /サラリーマン】
【0086/シュライン・エマ/ 女 / 26 /翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0418/唐縞・黒駒(からしま・くろこま)/ 男 / 24 /派遣会社職員】
【0454/鷹科・碧(たかしな・みどり)/ 男 / 16 /高校生】
【0477/ラフィエル・クローソー/ 女 / 723 /歌手】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 こんにちは、ひっそりライター観空ハツキです(何?)。この度は京師紫からの依頼を受けて頂き、ありがとうございました。

 室田さん、前回に引き続きご参加くださいましてありがとうございました。今回は紫月さんやラフィエルさんに室田さんの無事な姿をお届けできて、観空としても大安堵しております。
 今回、本作とはあまり大きくは関係ない所で多少物事が動き出しておりますが‥‥もしお気にかけて頂けますようでしたら、機会がありましたら折を見てヤツをまたつついてやって下さいませ(笑)。

 それでは改めて今回は本当にご参加頂きましてありがとうございました。少しでも皆さまのお気に召して頂ける事を切に祈っております。ご意見・ご指摘・ご感想、更には不思議アイテムのネタ(←品切れ中・笑)などございましたら、クリエーターズルームもしくはテラコンより送ってやって下さいませ。
 雨の多い季節になってまいりました。風邪など召されぬようお気をつけ下さい。