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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


+Re+ Weekly Victim

≪Weekly Victim≫

「おっひさ〜!」
 その日は朝からイマイチはっきりしない空模様が続いていた。
 早足で駆け過ぎて行ってしまった春の気配は既に遠く、大きく開け放たれた窓からは湿り気を帯びた初夏の風が舞い込み、煙草の煙に満ちた室内を浄化している。
「はぁ‥‥今日もいい天気だな」
「‥‥思いっきり無視したね」
 この興信所の主、草間武彦にすげなくされた通称『金にならん依頼ばかりを持ち込む傍迷惑な男』、仲介依頼人の京師紫(けいし・ゆかり)はブチブチと呟きながら、ここを訪れた時の指定席であるソファに腰を降ろした。
 そんな二人のやり取りを小さく笑いながら、紫に茶を勧めた女性所員が救いの手を差し伸べる。
「で、今回はどんな依頼なんですか?」
「んー、新宿で少しだけ噂になってる『神隠し』の話って知ってる?」
「新宿に出かけたっきり丸一週間音沙汰なくなるってアレですか?」
 流石にここの人達は耳が早いねぇ。
 目には目を、歯には歯を、無視には無視を。大袈裟なアクションで草間に背を向けた紫はこれみよがしの大声で語り始めた。
「じゃ、これは知ってるかな? 毎週金曜日に都庁近くの5階建のオフィスビルで開催されているヴァーチャルゲーム。勝者に与えられるのは――夢のような時間」
「え? それって‥‥」
 目を大きく見開いて、神隠しとゲームを繋ぐ糸に気付いた所員に、紫は「ほんと、飲み込みの良い人ばっかりで助かるよ」と微笑んだ。
「そう、想像通り。ゲームの勝利条件は最上階で眠っている人を起こす事。そして起こした人物――ゲームの勝者が新たな眠りにつくってワケ。これが『神隠し』の正体らしいんだけどね」
 そして紫は応接テーブルの上に1枚の地図を取り出した。
「場所はここ。この建設予定地になってる空き地にゲーム開催日に忽然と入り口のないビルが現れて、そしてゲームスタートの21時になると何もない壁から扉が出現する」
「そんなバカなことがあるか!」
 紫の話を背中で聞いていた草間が溜まらず怒鳴り声をあげる。しかし紫は冷静な目でそれに応えた。
「嘘じゃないよ、僕も経験者だし。すごいリアルなゲームでね、マネキンみたいな人形が出てくるんだけど、そいつらに殺される! って思ったらスタート地点に戻されてたりとかしたからさ」
 まるでリセットボタンを押してるみたいにね。
 その言葉に、居合わせた所員達は息を飲む。ただ草間だけは小難しい表情で眉を潜めた。
「というわけで、今回の依頼はこの理不尽なゲームを終わらせる事。
 今度の金曜、扉は僕がなんとか20時半には開けるから、ゲームが始まる迄の30分の間に全てを片付けて欲しい。
 最上階のゴールの部屋にたどり着くには1階から順に『地の鍵』『水の鍵』『火の鍵』『風の鍵』と4階までの各階に1つづつ、その名に関係する場所に隠してある鍵を手にいれる必要がある。一応スペアキーも僕が作ったのがあったりはするけど、万端とは言いきれない。
 まぁ一番の問題は勝者にならず、どうやって眠る人を起こすかだと思うけど‥‥」
「で、そんな馬鹿げたゲームの主催者は誰なんだ?」
 相変わらず背中を向けたままの草間の問いに、紫はその日初めての苦い笑みを浮かべた。
「それは不明。いかんせん僕はクリアー出来なかったからさ」
 また金にならん依頼を‥‥深々と草間が吐き出した吐息に、紫は「それが僕のポリシーだから」と舌を出した。

   ***   ***

 餓えていたのだ
 ただ久遠に続くこの刻に
 持たぬものなど何一つありはしなかった
 だからこそ生まれた虚無感
 そして見つけた
 それを癒す玩具を
 目まぐるしく移り換わる生を一呼吸置くのさえ惜しいかのように駆けぬける
 これほど面白いものはないと思った
 生まれた意義にようやく出会った
 そう悟った

 『人』は脆弱であるからこそオモシロイ‥‥


≪Retry + ラフィエル=クローソー≫

「あれ、クローソーさん。今日はもう上がりですか?」
 紙コップの縁を噛みながら人懐っこく声をかけてきた青年に、ラフィエル=クローソーはニコリと微笑んで軽く頭を下げた。
「はい。今日はこれから別のお仕事が入ってるんですの」
「はーっ、毎日毎日忙しいっすね。体壊さないように気をつけて下さいヨ」
「ありがとうございます。それでは、後のことよろしくお願いします」
 目の細かいレースをふんだんにあしらった、まるで風を服にしたような白いワンピースが、扉を潜る瞬間の混ざり合う外と内の大気の流れにフワリと軽く揺れた。
 広がる金糸の髪。
「なーんか、天使の羽根って感じだよナ〜」
 レコーディングルームに昨夜から篭りっぱなしだった男がうっそりと姿を現し、不精髭をさすりながら彼女の後姿に眩しそうに目を細める。人工の光に慣れた彼の目には、ラフィエルはまさしく自然の光そのものに見えた。
「あ、ウチさん。ウチさんも帰りっすか?」
 相変わらず紙コップを咥えたままで器用に問いかけて来た青年に、「ウチ」と呼ばれた中年の男は一瞬視線を寄越して少しだけ眉を寄せた。
「‥‥むさくるしい現実‥‥」
「ヘ? 何っすか?」
「イヤ、独り言。お前、そのコップを噛む癖ヤメロ。それと帰りたいならさっさと仕事しろ」
 言い捨てて、再び元来たドアの向こうに姿を消す。窘められた青年は悪びれた様子もなく方眉を上げてそれを無言で見送った。
 ガジリ
 噛み続けていた紙コップに穴が空く。
「あー‥‥ラフィエルさんのいないスタジオには戻りたくないっスよー」

 彼等は知らなかった。
 彼女がどんな「仕事」に向かったのかを。
 そして、彼女の瞳が淡い紫に色付いていたことを。


≪始動≫

「なら、俺が火で、クローソーが風の鍵だな」
「地の鍵なら僕達でなんとかなると思いますよ。エマさんもいてくれるし」
「それなら俺は水の鍵ってことですね」
「そういう割り振りになるか。くれぐれも早まらないで全員の到着をギリギリまで待つ事を憶えておいてくれ。どうやら四つの鍵が揃わないとあの女は出てこないような口ぶりだったから」
「‥‥やっかいな話ね」
 四つ人影が表通りから少し離れた場所にあった。
 いっそ不自然なまでに人の流れの途絶えたそこは、窓一つない不審な漆黒のビルの裏手にあたる所。
 色様々なネオンに彩られた中空から降り注ぐ光で、暗闇とは程遠い立地条件にありながら、そのビルはひっそりと夜の中に溶け込んでいた。
 それはまるで――誰かが意図的にそうしているのではないかと思える程に。
「でも、ゲーム参加者が三人もいてくれるってのは正直心強いですね」
 ジーンズにTシャツ。その上にパーカーを羽織ったいかにも高校生らしい姿の碧が、周囲の大人達を見まわして微笑んだ。
「ゲーム参加者と言っても、僕の場合はひたすら逃げ回ってただけだけどね」
 その言葉に、いつも通り一日の労働の跡が色濃く残ったスーツを着た充が照れたように頬を掻く。そんな彼の肩を、全身黒一色で衣服を統一した夾が軽く叩いた。
「そんなことはないだろう。現に『勝者』になったのはあんたなんだし。色々な所を見て回ってくれたおかげでこうしてビル内部の地図が用意できたんだからな」
 取り敢えず、無事に目が覚めてよかった。
 先日参加したゲームで顔を合わせ、充が勝者となり眠りについていたことを自分の目で見て知っていた夾は、この場に充がいることに珍しく頬を緩めた。
「確かに地図はありがたいけど」
 今回、このゲームに初参加となる――正確には依頼を遂行することになる――充とは対照的に彼女の性格をまるで体現したように爪の先まできっちりと整えたシュラインは、今ここにはいない子供のような青年から手渡された一枚の地図を見て嘆息した。
「まぁね‥‥僕もちょっとビックリしたんだけどさ」
 充の話を元に作成されたソレは、確かにビル内部の状況を事細かに記してはあったが、今時珍しい手書きのコピーだった。しかも罫線までがコピーに出ているは、消しゴムで何度も消した跡が残っているわで‥‥明らかにノートに手書き、しかも鉛筆で描いた物である事がくっきりと見て取れる。
 充の話だと、地図を作成した張本人が人前でパソコンを使うことを嫌がったゆえの顛末らしい。
「皆さん、お待たせしました〜」
 純白のワンピースに同系色のボレロを身を纏った女性が緊張感のかけらもないおっとりとした足取りで四人の元へ駆け寄った。
「クローソーさん、お疲れさまです」
「あれ、黒駒くんは?」
 コピーして持ってきていた地図が、気が付いたら一枚たりなくて慌ててコンビニに走って行った地図製作者の黒駒と一緒に、「今夜はちょっと冷えますから温かい飲み物でも買ってきます」と、自分は二度目だから詳しい話は簡単に聞けば分かりますので、とコンビニに付き添った筈のラフィエル単独の帰還に充が疑問符を投げる。
「えっと、行ったコンビニ。偶然コピー機が故障してまして。遅くなるとみなさんが心配するからって私だけ先に戻って来てしまいました」
 なんだか、どうしてボクっていつもこうなんだろうって泣きそうになられてたのが気にかかるんですけれど。
 小首を傾げながら、見る者の気持ちを穏やかにする笑顔を惜しげもなく振り撒くラフィエルの手から、コンビニ袋を譲りうけた碧が全員に缶ジュースを手渡してまわる。
「しっかし、その依頼人って人。まだですかね?」
 時計を見れば既に『入り口を開ける』約束の時間まで、あまり余裕のある状態ではなかった。現に、今日のゲームの「招待参加者」であるだろう人影もビルの反対側――つまりは大通りに面した方にチラチラと見え始めている。
「お待たせ」
「うわぁぁっ」
 不意に背後から何かに抱き付かれた碧が短い悲鳴を上げ手にしていたコンビニ袋を派手な音を立てて地面に落下させた。何事かと、拘束された体で振り返れば、自分よりほんの少しだけ背の低い男が、ワシっと碧の背中に張り付いている。
「紫くん、遅いっ」
 未だ事態の把握に至っていない少年の体を隠れ蓑にした遅刻寸前ギリギリセーフ状態の仲介依頼人の紫が、碧の背からちょこっと顔を覗かせ、充の言葉に「ゴメンゴメン」と二度謝ってみせた。
「‥‥相変わらず得体の知れない行動をする男だな、京師」
「あ、紫月くんも来てくれたんだ」
 別件で既に紫と面識のあった夾は短い一瞥をくれたが、その視線に呆れだけでない再会を喜ぶような色が混ざっていることに紫は気付き、パタパタとそれに手を振って応える。
「初めまして。ラフィエル‥‥」
「クローソーさんですよね。TVで時々お姿拝見してます」
 隣に立つ充に紫をコソっと紹介されたラフィエルが、絵的に似合わない甘さ控え目の缶紅茶を両手で握り締めたままフワリと優雅に紫と初対面の挨拶を交す。
「ところで京師さん。その子、固まってるわよ」
 顔なじみの気安さのシュラインの鋭い指摘に、紫は思い出したように碧の背中を解放した。
「ごめんごめん。ってことは君が鷹科碧くんだね?」
「あ‥‥と、えぇそうですけど。ってことはアンタがこの件の依頼人?」
「そうです。草間さんちに金にならない依頼を持ち込むのを趣味にしている京師紫です。今回はよろしくね」
「‥‥京師さん、絶対に武彦さんおちょくって遊んでるでしょう?」
 シュラインの手厳しいコメントにフフっと目を細めながら、紫は改めて碧に対し正面に向き直り、スッと右手を差し出した。
 その手を、いきなり他人の背中に張り付くような男に払う礼儀があるもんだろうかと釈然としないまま一応碧は握り返してやる。
「ところで黒駒くんは?」
「お‥‥っ、お待たせしました〜っ!」
 紫の追及のタイミングを待っていたかのような絶妙さで黒駒ががパタパタと駆け戻って来た。
「はい。碧くんの分です」
 笑顔で差し出されたのは当然先ほどの手描きの地図のコピー。
 今回の面子で最年少だからという遠慮もあってか、足りない分を辞退していた碧だったが、既に地図の概要は頭の中に十二分に叩き込んである。しかし要らないとは流石に言えなくて小さく有り難う、と告げるとそれを受け取った。
「というわけで、全員揃ったね」
「一番最後に来た人の言うセリフじゃないわね」
 シュラインのツッコミに、紫は一瞬押し黙ったが「すいませんねぇ」と悪びれた様子もなくすぐに復活を果たす。
「時間がないから手短に確認。使える時間は今から21時までの約30分。リセット食らってる暇はないから各々行動には十分に気をつけて」
「時間がないのはアンタが遅かったせいだろ‥‥‥」
 背後に取り付かれたのを根に持っているのか、目上の者には敬語を使う筈の碧がボソっと呟きながらジト目を向ける。が針のムシロに慣れたのか、紫はにっこり邪気のない笑みでそれに応えた。
 碧の肩をぽんぽんと慰めるように充が叩く。
「で、鍵の奪取その他だけど‥‥」
「それに関しては既に調整は終わっている。あんたは入り口を開けてさえくれれば大丈夫だ」
「そうなんだ。なら安心して任せられるね」
 夾の言葉に、紫は無言で頷くと、六人に背を向けて入り口のない漆黒のビルに歩み寄った。
 男にしては線の細い手が、コンクリートの冷たい壁にそっと触れる。
「僕は足手まといになるといけないからここで待つけど。くれぐれも油断はしないで」
「そんなこと当然だろ」
 すでに臨戦モードに突入した碧に、紫は皮肉でもなんでもなく心の底から「頼もしいね」と微笑むと、そっと瞳を閉じる。
 訪れる静寂。
 目に見えない何かが紫の無造作に結われた髪をフワリと持ち上げた。
「それじゃ、行っておいで!」
 その刹那、なかった筈の裏口用の非常扉が出現した。
 ムダな動き一つなく、次々に六人が扉の中に吸い込まれて行くのを紫は黙って見送る。
「貴方も気をつけて」
 駆け込みざま、ラフィエルは紫の額に浮かぶ汗に気付いて声をかけた。


≪澱≫

 そのフロアーに足を踏み入れた瞬間から、自分が囚われの身になっていたことには気付いていた。
 ドロリと全身にまとわりつく濃厚な空気。
 絶えず監視されている気配。
「んもうっ‥‥しつこい殿方は嫌われるって学校で教えて頂かなかったのでしょうか?」
 状況の割りに緊迫感に欠けたセリフと共に、光の壁を発動させる。
 先ほどから絶えることなく出現し続けるそれらを、己が周囲に張り巡らせた壁で一度弾き飛ばし、即座に構える光の矢で打ち落とす。
 左腕のブレスレッドは、光を神気に昇華させ、熱いほどの輝きを放っていた。
「今回は‥‥本当に先に進ませたくないようですわねぇ」
 もう幾度目になるか分からないそのルーチンワークに、ラフィエルの身体は既に酷く消耗していた。
 本来、天上で使うはずの力を、制限のかかった地上の世界で無尽蔵に解放することは、天使としての本性を現した状態でない現在、とてつもなく負担のかかることなのだ。
 翼を広げれば早いのだが、いつどこに『人間』の目があるか分からない状態にある以上、そうすることは憚られた。
 急がなくては。
 急がなくては間に合わなくなる。
 力の使い過ぎで、軽い眩暈を覚えた瞳を軽く両の手で押さえた。
 瞼の奥にちらつく「対極」と自分を言った彼女の企みを潰えさせることが出来なくなってしまう。
 焦れば焦るほど、人形たちの数が増えるような気がする。
 ただ唯一、決して輝きを失わないブレスレッドだけがラフィエルの味方だった。
「邪魔ですっ」
 短く言いきり、光弓を番える。
 音もなく引き絞られた弦は、風を切り膨大な熱量の凝縮体である矢を無数の人形たちめがけて打ち込む。
 一条の矢で数体のそれが一度に倒れるのに、それでもまだキリは見えない。
「退いて下さい」
『その人形たちが、元は人間の魂だとしたら、それでもお前は同じ事が言えるのかい?』
 不意に、首筋を冷たい手で撫でられた。
 ビクリと身を竦ませ振り返ると、そこには闇のような紫色の瞳。
 ラフィエルは光の弓を構えたまま、小さく息を呑んだ。
「紫‥‥」
『お前はその名を口にしない方が良いよ。恐らくそれだけでお前の気は穢れてしまうから』
 幻の女が、そっとラフィエルの唇に冷たい指を押し当てた。
 そこから伝わる波動に、ラフィエルの全身が泡だった。軽く柔らかいレース地の純白のワンピースが、風もないのに翻る。
『で、どうするんだい?』
「――そんな戯言に篭絡されるほど私は物知らずではありませんわっ」
 ラフィエルの銀の双眸が淡い透明な紫の輝きを帯びた。
 霞みがかかっていた思考に凛とした黄金の炎が燈る。
 あり得ない。
 これが人の魂であったなどということは。
 間違いなく真性の闇から生み出されたもの。
 浄化の光に灼かれて苦悶の叫びをあげるだけの存在。
 誰に教えられなくても、ラフィエルはそのことを知っていた。
『‥‥つまらないね』
「勝手なことを!」
 白い光が一気に膨れ上がる。
 世界を崩壊させるほどの熱を含んだそれが、ラフィエルを中心にまとわりつく紫色の闇を払う為に弾けた。
 激震がフロアー内を大きく揺るがす。
 グラリ
 ラフィエルの視界が歪んだ。
「‥‥いけません。思わず全開でやってしまいましたわ‥‥」
 久し振りに箍を外した力の完全解放に意識が遠のくのを感じてラフィエルは焦った。
 ダメ、いまここで意識を失っては。
 糸を引くように彼女の眼前から逃れ行こうとする昏い紫色の闇に、ラフィエルは必死の思いで手を伸ばした。

「おい、アンタしっかりしろって!」
 誰かに肩を揺さぶられている。
 その手から伝わる程よい熱と、魔を滅する己と同種の波動を感じてラフィエルは沈んでしまっていた意識を浮上させた。
「私‥‥?」
 その腕の中の心地よさに、うっとりと瞳を開くと、そこには心配そうに自分を見下ろす碧の顔があった。
「良かった、気付いてくれて」
 肩を支えられて立ちあがる。
 そうか。
 自分は力のコントロールを失って一時的に気を失ってしまっていたのか。
 まだあまりよく回らない頭で、取り敢えずそのことだけをラフィエルは認識した。
「ところで、鍵は見つかりました?」
 鍵?
 そうでした。
 私は鍵を探していたんでしたわ。
 ふと気を失う寸前に紫色の闇をつかんだ筈の手をラフィエルは開いた。そこには何故か金属性の小さな鍵。
 覚えのあるその波動は、間違いなく風の鍵だった。
「えっと‥‥持ってるみたいです」
 いつの間にそれを入手したのかは全く覚えていないのだけれども。
 それよりも今は最上階を目指す事が先決だ。
 はっきりと覚醒した意識で、自分たちが今最優先で成すべき事は何なのかを思い出したラフィエルは、気遣うように自分に手を差し伸べる碧に光の華のような微笑を向け、しっかりとした足取りで走り出した。


≪open into …≫

 1階から最上階の5階まで、一気に充、シュライン、黒駒が息を切らして駆け上がって来た時、彼等を最初に向かえたのは碧の笑顔だった。
「‥‥間に‥‥あった‥‥かしら?」
 肩で息をしながら問うたシュラインに「ギリギリセーフです」と碧は優しい笑みを浮かべて答えを返す。
 その言葉に、黒駒と充はリノリウムの冷たい床に揃ってしゃがみこんだ。
 なんだか、このビルに来ると走りまわりっぱなしな気がする。
 前回もそうだったし、今回もやっぱりそうだ。
 どれくらい前に辿り付いていたのかは知らないが、服装に微塵の乱れもない一回り年下の少年の気遣いに、充は少しだけ哀愁を漂わせた。
「あ、クローソーさんに紫月さん!」
 充同様、床にペッタリと座り込んでいた黒駒が、同じ形状の扉が並ぶだけの廊下の向こうから、走り寄ってくる二人を目聡く見つけて嬉しそうに手を上げる。
「鍵は?」
 夾の短い問い掛けに、シュラインはずっと握り締めたままだったソレを突き出した。
「間違いありませんわね。これからあの扉の模様と同じ力の気配を感じます」
 ラフィエルの言葉に、碧と夾が顔を見合わせて頷き合う。この階に到着したばかりの三人にはその意図が計れず、無言の眼差しで説明を要求した。
「えっと、黒駒さんにもらった地図にメモしてあったでしょう? この階の扉には鍵の属性を示すようなマークがあるものがあるって」
 碧の説明に充が、あぁ、と頷きを返した。
 前回参加した時に一緒だった寒河江駒子が気付いたコト。そのおかげで充は鍵の合う扉を一つ一つ探す手間が省けたのだ。
「どうやら、その模様に何らかの力が封印されている気配がするんです。それら全部をこの鍵を使うことで解放して初めてこのゲームの主催者の方に辿り付くのではと思いますの」
 ラフィエルの言葉に充と黒駒が目を合わせて笑う。
 事前に必要なことをキチンとまとめて書いた地図が役に立ったことが、純粋に嬉しかった。黒駒の癖のない黒髪を、充がやや乱暴に掻き混ぜた。
「とにかく。もう残り時間が少ないからな。全員揃ったことだしそろそろ行こうか」
 夾が、鍵の属性に対応する扉を一つ一つ指し示す。
 充と黒駒が、重い腰を上げた。

 充・シュライン・黒駒は連れ立って山のようなマークが蛍光塗料が発するそれに似た淡い光で描かれた扉の前に立った。
 碧はこの先に待つ『結末』に不敵な笑みを浮かべて、水の滴のようなものが描かれた扉へ姿勢を正して向かう。
 夾は何一つ迷いのない足取りで炎が描かれた扉の前へ。
 そして白銀の十字架をそっと握り締めたラフィエルは、風車が描かれた扉の前へと進む。

「皆さんに神のご加護がありますように!」
 ラフィエルの祈りと同時に、今全ての扉が開かれた。


≪bring … to a conclusion≫

「待って、いたよ」
 何もない部屋に二人いた。
 いや、一人は冷たい石の寝台に横たわって眠っているだけなので、そこに在っただけと言ったほうが正しいか。碧と年齢的に大差ない感じの少女だった。
 そして、もう一人。
 深淵を思わせる闇より深いムラサキイロに彩られた女。
 壁一面を紫に塗り込められた部屋に、初めて足を踏みいれた者はその異様さにまず眉を顰め、再び至った者は、婉然とした笑みを浮かべ片足に体重を預ける姿勢で、組んだ両手に小型のノートパソコンを持ち静かに立つ女に視線を奪われた。
「‥‥紫胤」
 夾が低い唸りにも似た声で女の名を呼ぶ。
 ラフィエルは、先ほどその女の幻に触れられた首筋に、握り締めていた白銀の十字架を押し当てる。
 そして充は――以前、このゲームで<勝者>の称号を得、一週間の眠りを得た充は、何故だか石の寝台で眠り続ける少女に見覚えがあるような気がした。
 多分、恐らく。
 この少女が自分を起こし、新たな眠りについたのだろう。
 そのことを充は理性ではなく本能で知覚した。
 それぞれ違う扉を潜った筈なのに、ドアを開けた瞬間から六人は同じ場所にいた。ただ細長い真っ直ぐな廊下。
 話には聞いてはいたものの、目の当たりにするとやはり我が目を素直に信じることは困難で。しかしそれでも足を止めるわけにはいかず。六人は無言のままこの紫色の部屋の扉を揃って開いたのだった。
 ここは彼等の日常のものさしは通用しない世界なのだ。
「へー、エラク美人なお姉さんが、こんな悪趣味なことをやってるんですねぇ‥‥」
 碧が小さく首を傾げて紫胤を眺め遣る横で、黒駒は怯えた様子で充の背に姿を隠した。
「アナタの目的は何なの?」
 影を縫い取られたような硬直から、シュラインが抜け出しゆっくりと紫胤に歩み寄りながら問いかけた。その声に混じる明らかな非難の響きに、紫胤は僅かに唇を綻ばせ微笑んだ。
「そこの三人から聞かなかったのか?」
「自分の暇つぶし? そんなものの為にこんなことを?」
「何か私が非難されるようなコトをしていると?」
「当然でしょう! アナタに人の時間を拘束する権利はないわ」
 激しく言い募るシュラインに、紫胤は静かに視線を横に流しながら底の見えない笑みをその顔に刻んだ。
「そうだな、私に権利はないかもしれないな。けれど、人間の方から私の方に寄ってくるのだ。自分の意志で来るものが自分の責任でどうなろうと‥‥私に非はあるまい?」
 これは以前にも語ったことだがな。
 押し黙ったシュラインに紫胤は黒のスリップドレスの裾を揺らした。
「人は脆弱だからこそ面白い。弱い心に棲み付かせた闇にほんの小さなキッカケを与えることで、本当に色々な顔を見せてくれる」
 こんなに楽しい玩具はあるまいよ。
 紫胤の言葉に、趣味サイアクっと吐き捨てる。
「ところで、お前達は良いのかい? 私は――楽しいから別に構わないが」
 ふっと紫胤がないはずのそこに窓があるように、目を細めた。その行動の意味することに気付いた黒駒が時計を見遣り、小さく短い悲鳴を上げる。
「たっ‥‥大変ですっ! 約束の21時まで残り5分もありませんっ」
 黒駒の言葉に碧も自分の時計で時間を確認し、不快感を露に前髪をかきあげた。
「要は‥‥っ、要はゲームを止めてまえばエエんやろっ! なら全員であの人一斉に起こしてまえばイイんと違います?」
 加速した苛立ちに碧の言葉使いが一変する。しかしそれに対しての反応を返せるほどの余裕のある者はいなかった。当のゲームの主催者を除いて。
「駄目だ。それでは恐らく眠る人間の意識に最初に触れたものが勝者になってしまうだろう。それに根本的にゲームが止まらない」
 夾の導き出した答えに、紫胤が満足そうに喉の奥を鳴らして笑った。
「その人を私達以外のモノで起こす方法には策があるんだけど‥‥」
 シュラインが、お守り代わりにポケットの奥に忍ばせてあるものをそっと服の上から握り締めた。そこには先日、以前紫から武彦が貰ったと言うガラス製の鍵が静かに覚醒の時を待っていた。
「それじゃぁ、あのパソコンの中身。全部消しちゃえば良いんですね、きっと」
 充の背後から顔を出した黒駒が、不意に思いついたことを口にした。瞬間、全員からの視線を浴び、「え? え??」と戸惑いながら再び充の背に隠れる。
「さて、相談会はそろそろ終わりかい?」
 紫胤の紫の瞳が舐るように全員を一人一人眺め見た。
「‥‥私があの方の能力を封じます」
 それまで無言を通していたラフィエルがそっと夾に耳打ちする。夾も無言でそれに肯き返し、二人の様子を伺っていた碧に一度だけ目を伏せて事態の了解を求めた。
「私の力が貴女に及ばぬと言うのなら、私は神に祈りを捧げましょう!」
 ずっと握り締め続けた白銀の十字架を胸に押し当てて、高らかに祈りの言葉を口にする。
「聖霊来たり給え、信者の心に充ち給え。主の愛熱の火をわれらに燃えしめ給え。しかしてよろずの者はつくられん。地の面はあらたにならん」
 そして謳い上げる。
 聖霊降臨祭で謳われる美しい調――『Venisancte spiritus』
 彼女のこの世の物とは思えぬ、まさに天使の歌声と形容されるに相応しいその旋律に、共鳴するように左腕のブレスレッドが淡い、そしてやがて炎の熱にも似た光を発し始めた。
「聖霊の光をもって信者の心を照らしたまいし天主、同じく聖霊をもってわれらに正しきことを悟らしめ、その御慰めによりて、常に喜ぶを得しめ給え。われらの主、キリストによりて、願い奉る」
 その瞬間、夾と碧が同時に動いた。
 夾の右手の一振りで意志を得た鋼糸が紫胤に絡みつきその動きを封じる。とそのタイミングに合わせて彼女の元へ走り込んだ碧が、それと認識される前に紫胤の手からパソコンを奪うと充と黒駒の方へそれを投げた。
「初期化命令! 分かるやろっ!!」
「――っ!」
 まだワケがわかっていないらしいまま充にしがみつく黒駒を取り敢えずそのままの状態で、充は手早くパソコンの電源を入れてメンテナンスモードに突入する。
「へぇ‥‥中身は普通のパソコンなんですね」
 興味深げに黒駒が発した言葉に、ホント、それで助かったと充は安堵の息を吐き出した。
「エマさんっ!」
「任せて」
 充の合図にシュラインがポケットの中から祈りを込めてそれを取り出した。
 繋ぎたい時に繋ぎたい場所へ扉を繋げてくれるという鍵。
 握り締めて自分の思いを伝える。
 眠る少女の隣と階下で今も動く人形の目の前を今すぐ繋げて。
 そうすれば不意に現れた障害物に人形が躓き、少女に向かって倒れこむ。そしてその衝撃は必ず彼女の目覚めに繋がる筈だ。
 室内に、ラフィエルの発する純白の光に、微振動を繰り返し始めたガラスの鍵が纏う薄水色の輝きが混ざり始めた。
 その水色の光に一瞬だけ紫胤が目を奪われたことに、彼女のすぐ近くにいた碧さえも気付かなかった。
 ユラリ。
 陽炎のような大気の揺らめきが生まれ、眠る少女のすぐ近くに半透明な扉が出現する。
「今だ!」
 誰が叫んだかは分からなかった。
『‥‥お前達には本当に楽しませてもらったよ。だから今回は私はここで引くとしよう』
 聴覚が捉えたのではなく、意識その物が捉えた紫胤の声。
 それは充の指が完全初期化命令を下すのと、幻の扉から現れた人形が眠る少女に向かって倒れこむのと、そして夾の鋼糸が捕獲していた対象を忽然と失って冷たい床に滑り落ちるのと完全に同時な出来事だった。

  ***   ***

 ふと気がついた時、六人はそろって屋外にいた。
 振り仰いだ空は、少なくない星の瞬きを忘れてしまった都会の夜空。
 少し離れた所から鼓膜を揺らした「なんだ、結局このゲームの話ってガセかよっ」と口々に不平を漏らす声に、彼等は事態を悟った。
 駅に向かって歩き出す人の塊とはやや距離を置いた所には、一人で立ちすくむ高校生くらいの少女の姿。
 その少女も、しばし考えあぐねた様子だったが、すぐに駅に向かって走り出して行った。

「お疲れ様でした。依頼、無事に完了してもらえたみたいですね」

 不意に背後からかかる声。
 まるで合わせたように全員で振りかえって。
 そこにあった紫の笑顔で、六人はようやく自分たちが自分たちの現実に返って来たことを実感した。


≪salt & sugar≫

「お帰りなさいませ」
 教育の十分に行き届いたドアボーイに軽く微笑んでラフィエルは全面ガラス張りの扉を潜った。
 フロントに立ち寄れば、名前を告げる前にルームキーを差し出される。
 まさに「踝が埋まりそうな」ほど毛の長い絨毯は元から十分軽いラフィエルの重さを、まるで羽根のそれに変えてしまう。
 見上げる先には適度に華美な品の良いシャンデリア。心地好い温度に設定された空調が自然界に溢れるそれに酷似した大気の流れを生み出している。僅かに鼻孔をくすぐった森林の香りに、ラフィエルは銀の双眸を細めた。
 チンっと音を立て、エレベーターが到着する。
 整備の行き届いたそれは、ほとんど違和を感じさせることなく彼女を上階へ運んだが、一瞬だけ脳裏を過った記憶にラフィエルはそっと溜め息を吐く。
 もう、終わったのだ。
 あの女性がそう宣言したのだから、少なくともあのゲームは二度とこの世に現れる事はないのだ。
 再び鈴のような音が狭い空間内に響き、音もなく扉が開く。
 照明をギリギリまで押さえた仄暗い廊下は無人で、心地好い静寂が支配している。
 同じような扉が並ぶ中、ラフィエルは迷いのない足取りで一室の前まで歩みを進めると、ゆっくりとした動きでカードキーをドアにセットした。
 小さな電子音でロック解除を確認し、ドアノブに手をかける。軽くもなく、そして重くもないドアは軋むことなくここ暫くのこの部屋の主人を室内に招きいれた。
「‥‥‥ふぅ」
 後ろ手に扉を閉めると、自動で鍵の閉まる音。
 それによりかかり溜め息をついたラフィエルは、そっと自らの首筋を撫でた。
 冷たい手に触れられた場所。
 拭い去ることの出来ない違和感が、神気に満ちた彼女をそこから蝕んで行く。
 大丈夫
 明日の朝には治っていますわ
 自らに言い聞かせて、誰もいないと知りながら行儀良く帰宅の言葉を口にする。
「ただいま帰りました」
「お帰りなさい」
 ‥‥‥‥‥暫しの沈黙。
「‥‥え?」
 室内に駆け込むと、無人だった筈の窓が開け放たれカーテンが夜風にそよいでいる。
 そしてソファにゆったりと腰掛ける人物にラフィエルは思わず破顔した。
「まぁ、大きな黒猫さんですこと」
「窓からお邪魔しましたニャー」
 突然の不法侵入者にも全く動じず、それどころかこの部屋には珍しい客人に喜色に満ちた少女のような笑みを浮かべるラフィエルに、黒猫と表された紫は軽く握った拳で猫が顔を洗う真似をしながら来訪の意を告げた。
「黒猫さんは紅茶、召し上がられます?」
「ミルクたっぷりなら」
 あくまで自分を猫と呼ぶラフィエルに、紫も茶目っけで返す。
「ちょっとお待ち下さいね」
「あれ、ルームサービスじゃないの?」
 備え付けの簡易キッチンに向かったラフィエルの背に紫が疑問を投げかける。その問いに「紅茶は自分でいれたのが一番美味しいのです」とガラス製のティーセット一式を紫の眼前に並べながら、コロコロと鈴を転がすようにラフィエルは笑った。
 ティースプーン山盛りで紅茶の葉を二匙。
 電気ポットから湧き立ての湯を注げば、ティーポットの中で茶葉が楽し気に踊りだす。その様に見入っていた紫は、すかさず被せられたティーコジーにちょっとだけ恨みがましい視線を投げた。
「で、黒猫さんは何をしにいらっしゃったんですの?」
 紅茶が蒸らし上がるまでの時間、ゆったりとした応接セットで向かい合う二人。ラフィエルは穏やかな表情を崩さぬまま紫に問いかけた。
「黒猫さんは今日のお礼にプレゼントを持って来ました」
 カツンと小さい固い音を立てて、紫はテーブルの上にポケットの中から取り出したそれをラフィエルからよく見える場所を選らんで置いた。
「まぁ!」
 ラフィエルが両手を口元に当て感嘆の声を上げる。
 左腕のブレスレッドがシャランと小気味良い音楽を奏でた。
「ガラスで作った砂時計ですのね」
 ラフィエルの細い指先が、壊れ物を扱う丁重さでそれを取り上げる。中の砂までガラスを砕いて作った物なのか、室内灯の光を乱反射させて七色に輝いていた。
「信じてもらえるかは分からないけれど。見たい夢を見せてくれる魔法の砂時計だよ。貴女にはあまり意味のない物かもしれないけれど気が向いたら使ってみてね。ただし効果は一回きりだから信じてもらえるなら、使う場合を選んでね」
 紫の言葉に、ラフィエルは頬に浮かべた優しい微笑みをよりいっそう深くして「信じますわ」と呟いた。
「だって、人間は夢を見るステキな生き物ですもの」
 その言葉に、紫が掛値無しの笑顔を返す。
「あ、そろそろ良いんじゃないかな?」
 ふと壁にかけられた時計を見遣ると、蒸らし時間も丁度良い頃。
 瞳を輝かせて砂時計に見入っていたラフィエルは、一度立ち上がりそれをベッドの枕許に置くと、予め暖めておいたガラス製のティーカップを持って戻って来た。
 そっとティーコジーを外し大きく揺らさないように気を付けてカップに紅茶を注ぐ。フンワリと優しい香りが室内を満たす。そのあまりの心地好さに紫はそっと瞳を閉じた。
「ところで、黒猫さんは本当にミルクティーですの?」
「いや、折角だからストレートで頂こうかな」
 差し出されたカップを受け取り、より豊潤な香りを堪能していた紫は、不意に我が目に飛び込んできた映像にクツクツと喉の奥で笑いを噛み殺した。
「どうされましたの?」
 ラフィエルが自分の紅茶に砂糖を入れようとした姿勢のまま、小首を傾げる。何の疑問も抱いていない彼女の様に、紫は悪いと思いながら声を上げて笑い出した。
「‥‥‥ラフィエルさん、それ砂糖じゃなくって‥‥塩」
 そもそもティーセットの中に塩があること自体不思議なのだが、それを期待に違わず砂糖と間違えるラフィエルは――何というかあまりに可愛らし過ぎるというか、お約束を踏んでくれるというか。
 ついに腹を抱えて笑い出した紫に、ラフィエルは「あらまぁ」とほんのり頬を紅に染めて手にしたスプーンを元の場所に戻した。
「そんなに笑うなんて、黒猫さん酷いですわ」
「あははは、ゴメンゴメン」
 紫は自分の分の紅茶を一口、ゆっくりと味わった後、残りを一気に飲み干し笑ったまま立ち上がると、ラフィエルの背後に回った。
「ラフィエルさんって、楽しい人ですね」
 今日は本当にお疲れ様でした。
 少しだけ体温の低い紫の手が、今にも壊れそうなほど華奢なラフィエルの肩を数回揉み解す。そこから伝わる裏のない優しい気持ちに、金糸の髪の持ち主は尖らせた唇を穏やかに綻ばせた。
「それじゃ、僕はこれで帰りますから。紅茶、ご馳走様でした」
「あら、今度はドアから帰られるんですのね」
 窓に向かわず、ドアに向かう紫にラフィエルが仕返しとばかりに小さく舌を出す。
「流石に、僕には天使の羽根はありませんから。登ることは出来ても下りることは出来ないんですよ」
 それじゃぁ、と告げて黒一色の衣服に身を包んだ青年が部屋から出て行くのを、「それじゃ、黒猫さん」とラフィエルはソファに座ったまま見送った。
 ふと開け放たれたままの窓の向こうを眺めると、ライトアップされた東京タワーを中心に、地上に零れた無数の星達が足元の世界できらめいている。
 この輝きの数以上の幸せが、どうか明日もありますように。
 そっと手を合わせて主の御使いは天に祈る。

 首筋から全身に纏わりついていた不快感は、いつの間にか消えていた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0054/紫月・夾(しづき・きょう)/ 男 / 24 /大学生】
【0076/室田・充(むろた・みつる)/ 男 / 29 /サラリーマン】
【0086/シュライン・エマ/ 女 / 26 /翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0418/唐縞・黒駒(からしま・くろこま)/ 男 / 24 /派遣会社職員】
【0454/鷹科・碧(たかしな・みどり)/ 男 / 16 /高校生】
【0477/ラフィエル・クローソー/ 女 / 723 /歌手】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、ひっそりライター観空ハツキです(何?)。この度は京師紫からの依頼を受けて頂き、ありがとうございました。

 ラフィエルさん。前回に引き続き今回もご参加頂きありがとうございました。無事に事件の方、解決できて観空のほうも安堵しております。
 前作ではラフィエルさんのキャラクター性、PL様が掴まれるきっかけを書かせて頂きありがとうございました。今回は‥‥なんだか勝手に日常を捏造してしまいました(汗)ご不快に思われたら‥‥すいませんです。それと、今回はあまり天然ぶりを披露出来ずに申し訳ありませんでした。

 それでは改めて今回は本当にご参加頂きましてありがとうございました。少しでも皆さまのお気に召して頂ける事を切に祈っております。ご意見・ご指摘・ご感想、更には不思議アイテムのネタ(←品切れ中・笑)などございましたら、クリエーターズルームもしくはテラコンより送ってやって下さいませ。
 雨の多い季節になってまいりました。風邪など召されぬようお気をつけ下さい。